大地震の直後、避難を呼びかける活動中に津波にのまれ、今も行方が分かっていない福島県浪江町の消防団員の男性の葬儀が営まれました。浪江町では、東京電力福島第一原子力発電所の事故で沿岸の地区などに避難指示が出され、そのまま警戒区域として立ち入りが制限されたため、津波で行方不明になった人たちの捜索活動を十分に行うことができませんでした。
福島県浪江町の消防団員、渡辺潤也さん(36)は、大地震の直後、沿岸部で住民に避難を呼びかけているときに津波にのまれ、現在も行方が分かっていません。
葬儀は親族や消防団の仲間など400人余りが集まって二本松市で営まれ、弔辞を述べた浪江町消防団の紺野栄重団長は「消防団の活動中に逃げ遅れたことを大変申し訳なく思う。潤也さんの活躍は町の消防団の歴史に刻み、永遠に伝えていきたい」と述べました。
続いて長女で中学2年生の紗彩さんと長男で小学5年生の桐惟くんが「寂しいけれど、見守っていてください」「早く帰ってきてね。いつまでも待っています」とお別れの言葉を述べました。
浪江町では、東京電力福島第一原子力発電所の事故で沿岸の地区などに避難指示が出され、そのまま警戒区域として立ち入りが制限されたため、津波で行方不明になった人たちの捜索活動を十分に行うことができませんでした。
潤也さんの母親の昭子さん(62)は、避難してから一度も息子を捜すことができずに、いつ戻ってくるのかという思いを持ち続けていたといいます。
葬儀を終えた昭子さんは「原発事故のために探しに行けなかったことが悔しいです。でも、きょうで気持ちに区切りをつけて前を向いて頑張っていきます。潤也もきっとそう願っていると思います」と話していました。
昭子さんは、最後まで一緒に活動していた消防団員の荒川勝己さんと9日、町の許可を得て警戒区域に指定されている自宅近くに向かいました。
潤也さんと荒川さんは大地震のあと、沿岸部の請戸地区で住民たちに大津波警報が出ているので高台に避難するよう呼びかけて回っていました。
そのうち津波が住宅地にも流れ込み、2人で濁流にのまれそうになっていた大学生を救助したあと、潤也さんは自宅の前で荒川さんと別れました。
その直後、津波が押し寄せてきて、潤也さんの行方が分からなくなったということです。
荒川さんが、最後に潤也さんと別れたのは自宅の裏口のすぐ近くだと説明すると、母親の昭子さんは、家のあった場所に花や潤也さんが好きだったたばこなどを供えました。
昭子さんは「助けてあげられなくてごめんね。早く帰ってきて、と伝えました。見つからないのは悔しいですが、あすは区切りをつけて前向きになれるかなと思います」と話していました。
また最後まで一緒に消防団の活動を続けた荒川さんは「自分が潤也さんを消防団の車に乗せて行かなければ、こんな目に遭わなかったかもしれないとずっと葛藤していました。ただ、潤也さんがどれくらい頑張っていたかを伝えられてよかったです。でも、震災の翌日に捜索ができれば、もっと助かった命はあったと今でも心残りです」と話していました。
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