斎場の外には雪が降りしきっていた。
2月25日、福島県郡山市で木村紀夫さん(46)一家の告別式が営まれた。スクリーンに映し出された思い出のスライドは8歳の次女汐凪(ゆうな)ちゃんの成長記録だ。同県大熊町で津波にのまれた家族3人のうち、汐凪ちゃんだけが見つかっていない。
私が取材で木村さんと知り合って9カ月。「娘が小さいころから撮りためたDVDを結婚式で上映して、新婦の父のおれ、泣くんだと思ってたよ」。そう話していた。参列者が帰り、一人になった喪主はスクリーンの前で初めて涙を流した。
あの日の夕方、木村さんが勤務先の養豚場から帰ると家は土台だけになっていた。東京電力福島第1原発から3・2キロ。翌朝空が白むまで捜し回ったが、原発10キロ圏内に避難指示が出され、無事だった母と長女を連れ町を離れるしかなかった。
住民は避難し、警察も捜索に入れない。心当たりのある人をどうやって捜せばいいのか。コンビニのコピー機で写真入りのチラシを300枚作り、警戒区域以外の市町村をほとんど回った。
ひと月以上たって再開された5キロ圏内の捜索で、父の王太朗(わたろう)さん(当時77歳)が見つかる。妻の深雪さん(同37歳)は約40キロ先の同県いわき市沖まで流され、戻ってきた時は身元不明のまま荼毘(だび)に付されていた。「原発事故さえなければ、もっと早く捜し出せたのではないか」。その思いは消えない。
3月3日、木村さんは一時帰宅で大熊町熊川地区に入った。白い防護服に身を包み、娘の手がかりを求めて近所のササやぶを見て歩く。
雪の残る波打ち際に、妻の好きな赤いスイートピーの花束を手向けた。おととしの海開きには、親子で地引き網に参加した。その浜のすぐ先には、行方不明者の捜索をいまだに妨げる福島第1原発が残骸をとどめる。
群青の海に向かって「ゆうな」と呼べば、今にも「はーい」と返事が聞こえるようだ。生まれた夏の熊川の海のように、穏やかで優しい子になってほしい。そう願ってつけた名前だ。
東日本大震災からあす1年。福島、宮城、岩手の3県で行方不明になっている10歳未満の子供は汐凪ちゃんを含め、まだ116人いる。【袴田貴行】
毎日新聞 2012年3月10日 2時33分(最終更新 3月10日 3時17分)