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フクシマを乗り越えて 流転のアスリートたち 続き 2012年 03月 09日
3月9日付け中日新聞:スポーツ欄掲載記事より
フクシマを超えて 流転のアスリートたち③ 女子サッカー 松長佳恵㊦ 東電から伊賀 姉と新たな”家族”と 互いに白い防護服をまとっていても、誰が誰かはすぐに分かった。思わず抱きしめ合った。 「やっぱり、居心地がいいと感じた」 昨年6月。なでしこリーグの東京電力マリーゼから伊賀FCくノ一に移籍した松長佳恵は、福島第1原発事故のあと立ち入りが禁止されていた東電の社員寮に一時帰宅で赴いた。宮崎合宿中に震災が起こり、自宅待機を経て移籍したため、古巣の寮に入るのは約3ヶ月ぶり。部屋から荷物を持ち出せることより、マリーゼの仲間との再会がうれしかった。 好きなサッカーを続けるために伊賀に来たはずだった。「ここで頑張らなくちゃっていつも考えてた。でも…」。東電時代の”家族”を頭から消し去れなかった。 選手26人の大半が寮生活。同じバスで職場や練習場に向かい、寮に戻れば全員で食事をした。「毎日が合宿みたい。お風呂も一緒で、夢や悩みについていつも話した」。何もかも分かち合えた仲間が、あの原発事故で散り散りになった。「もしマリーゼがチームごと別の会社に移るなら、戻るつもりでいた」。 迷いを解きほぐしてくれたのは、新天地でプレーしていた本物の家族だった。双子の姉の朋恵。ともに小学2年でサッカーを始め、伊賀の下部組織に入ると、滋賀県湖南市の実家から1時間近く電車に揺られて一緒に通った。芯の通った性格はのんびりした自分と違うが、一番のライバルで一番の理解者だった。 グラウンドでは明るく振る舞うが、アパートに帰ると無口になっていた自分に、姉は「話したいことがあれば何でも聞くよ」と繰り返した。「体重が落ちてるから食べなきゃ」と夕食を作ったり、マッサージをしたりと気遣ってくれた。 心を大きく動かされたのは、出場機会がないまま迎えた8月の前期最終戦。初めてベンチ入りし、MFの朋恵が劣勢を打開しようとこぼれ球を追い、相手にぶつかり続ける姿を間近で見て自分が情けなくなった。「姉の力にならなければと思った。そのためには、今の私じゃ駄目なんだと」 後期が始まるまで一ヶ月半の間、練習で自ら点を取りに行く姿勢をアピールした。後期は本職のMFではなくFWで全8試合に起用され、4得点。ようやく居場所が見つかった気がした。 11月、ベガルタ仙台レディースが東電の選手を受け入れることが決定。元のメンバーのうち20人近くが戻るという。伊賀に意思表示をする期限だった12月26日の数日前、食卓で姉と話し合った。朋恵は言った。「好きなようにしたらいいよ。でも残ったほうがいいと思う」。答えを代わりに言ってくれたように思えた。 「昔のように強い伊賀にしたい。姉と、みんなで」。伊賀は過去に日本リーグや女子天皇杯を何度も制した伝統あるチーム。マリーゼへの感謝は忘れないが、自分はここで新たなサッカー人生を紡いでいく。肉親の姉だけでなく、同じ夢を追う新たな”家族”も増やしながら。 |