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水俣病溝口訴訟:原告側が逆転勝訴 福岡高裁判決

判決後、母チエさんの遺影を手にして笑顔を見せる溝口秋生さん(中央)=福岡市中央区の福岡高裁前で2012年2月27日午後1時29分、加古信志撮影
判決後、母チエさんの遺影を手にして笑顔を見せる溝口秋生さん(中央)=福岡市中央区の福岡高裁前で2012年2月27日午後1時29分、加古信志撮影

 母親(故人)の水俣病認定申請を熊本県が放置し21年後に棄却したのは違法として、次男で熊本県水俣市の農業、溝口秋生さん(80)が県を相手に、棄却処分の取り消しと県に水俣病認定義務付けを求めた「水俣病溝口訴訟」の控訴審判決が27日、福岡高裁であった。西謙二裁判長は、いずれの請求も退けた1審・熊本地裁判決を取り消し、溝口さんの請求を全面的に認めた。判決は10年の大阪地裁判決に続き、国の水俣病認定基準の妥当性を事実上否定した。

 確定すれば現行の認定基準や、09年の水俣病被害者救済特別措置法に基づく被害者救済など国の水俣病対策は抜本的な見直しを迫られることになる。

 原告側によると、水俣病認定を巡る行政訴訟で認定基準を否定する判決は高裁レベルで初めて。原告を水俣病患者と認定するよう義務付ける判決は10年の大阪地裁に続き2例目。

 国の認定基準は感覚障害の他、運動失調や視野狭さくなど複数の症状の組み合わせを求めている。

 西裁判長は「四肢末端の知覚鈍麻と口の周辺の感覚障害が認められる。地区住民の水俣病発病状況などからすればメチル水銀のばく露歴を有すると推認するのが相当。水俣病と認定することができた」と述べた。

 判決によると、溝口さんの母は水俣市に1899年に生まれ、市内の水俣病多発地域の農家に嫁いだ。魚介類を多食し、体調を崩して74年に水俣病認定を申請したが、認定に必要な検診が完了しないまま77年に死亡した。

 県は94年に生前のカルテなどを探す作業を始め、95年に判断資料がないとして申請を棄却した。

 溝口さんは01年、棄却取り消しを求めて提訴。05年には県に対し認定を命じるよう求める「義務付け訴訟」を追加提訴した。

 溝口さん側は生前の母の診断書に「四肢末端に知覚鈍麻を認める」との記述があることなどから「04年の水俣病関西訴訟最高裁判決に従えば水俣病」と主張。県側は「腎臓病による尿毒症が原因」と反論した。

 1審・熊本地裁は08年、病状に関する客観的な資料が乏しいとして、溝口さん側の請求を退けていた。【岸達也】

毎日新聞 2012年2月27日 13時34分(最終更新 2月28日 7時24分)

 

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