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創価学会の信者など在る訳がない

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月 8日(木)18時21分50秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  抑も、創価学会員に於いて、我が日蓮正宗の法義に対して文句する元手は、その殆どが日蓮正宗の
上代、又は中代に於ける、枝葉末節の例外部分であり、後は該当する事項が御書に載っているか、
いないか、延いては、其のものズバリの文章が書かれているのか、いないのかを理由にして文句する
しかないのである。それはどういう事か、つまりは、其の元からして創価学会には『教義』というも
のが無いからであり、其の流布する処(ところ)は、須らく日蓮正宗の教義だったからである。

本より、御書に記(しる)されていない事目などは、多々在るのであって、抑も、大聖人の御本懐たる
御本尊の御図顕からして、其の一々などは御書に記(しる)されてはいないのである。

仍って『御書根本』などと云う謳い文句は、其の記(しる)されていない化儀化法に対しては、全くに
して無力なのである。さても『御書根本』などとは言っておるが、其の釈論は一体、どういう相伝を
以って示されるのか。

つまりは、本からして無教義の信者組織が、其の破門後に於いて、俄(にわか)に作成された教義教学、
つまりは、其の不相伝の教学を以って、示された諸御書の一文を解釈するしかないのであろう。

仍って、二箇相承の鑑定書を持って来い、と駄駄を捏ねる学会員や、御義口伝は二の次資料なとど疑
う学会員や、本因妙抄・百六箇抄をして偽書だ、と断定する学会員や、遂には日蓮大聖人は御本仏で
はない、などと云う創価大学の教授などが、ボロボロと出でくるのである。

して、これも皆、相伝の無い新興組織の証拠たる、鵺(ヌエ)現象なのである。哀。

恩師の肉声に云く『創価学会の信者なんてある訳がねーじゃねーか。みんな日蓮正宗の信者だよ。
創価学会に君らに信心してもらうものなんか何もねーよ!』と。

さても、記(しる)されていない化儀、又は、其の周知をして記(しる)す必要のない化儀、そして敢えて
記さなかった化儀。そして又、年代を重ねて行くごとに荘厳される化儀。

本より、お主ら新興宗教の輩(ともがら)に、理解出来る門義ではないのである。

日蓮大聖人に曰く『此の経は相伝に有らざれば知り難し』と。

加えて中興・日寛上人が曰く『口伝にあらざれば知り難し、師資相承故あるかな』と。

結句は創価、我ら、正統・富士門流に責められて、

『日蓮大聖人の仏法に、別してもへったくれもないんだよ!!』と、其の椅子を蹴飛ばして立ち去る
しかないてのある。哀。

『創価学会に信心してもらうものなんか何もねーよ』

応に此の一言が、創価学会の会長にして、まこと足し引きのない、恩師の偽らざる御指導なのである。

小笑。

『破門されたから、我らの教義を作りました。以後よろしく』

鼻笑。まこと、お目出度い連中である。
 

正義か未練か暫定か

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月 8日(木)15時38分7秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  さて、聞く処(ところ)によると、今、創価学会では、学会本部と創価文化会館を解体し、来年の秋に
向けて『創価学会総本部』が建設されるという。

そして、其の『総本部』には、日蓮正宗第六十四世・日昇上人御書写の模刻本尊が安置されるという。
本より此の模刻本尊は、現在、学会本部の師弟会館に安置されている、所謂【大法弘通慈折広宣流布
大願成就】の脇書がある板本尊である。

して、現在、創価学会は、此の板本尊をして『学会常住の大御本尊』とも称している様ではあるが、
果たして、日昇上人は創価学会に対して『大御本尊』を下付されたのであろうか。

存じの如く、此の【大法弘通慈折広宣流布大願成就】の御本尊は、日昇上人が昭和二十六年の五月に
御書写された御本尊であるが、其れを創価学会が、昭和四十九年の九月、総本山雪山坊での連絡会議
に於いて『板御本尊にしたい』旨を宗門に告げて、其の翌日に御先師日達上人が御承知されたもので
ある。しかし、日達上人が御承知されたのは、日昇上人の紙幅御本尊を、日達上人御謹刻の板本尊に
御取り替えする事への御承知であった事は『(学会本部三階の御本尊を)板本尊にして欲しい、という
願いはあったが、その後、御本尊下付願いが正式に出てこないので、どうしたのかと思っていたら、
既に板本尊に直していたという事を後から聞かされた』との日達上人の仰せからして理解出来るもの
である。さても『板本尊にしたい』という申し出と『板本尊にして欲しい』という願い出とでは、
相互の認識に於いて解釈の違いもあろうが、兎も角も、学会本部の模刻本尊は、かろうじて日達上人
の御承知するところであったから、其の没収を免れたのである。

まぁ、其の経緯(いきさつ)などは経緯として、創価学会は、此の日昇上人の御本尊を『常住大御本尊』
として祀っているのであるが、さても、創価学会総本部に安置する本尊などは、そろそろ桂冠詩人の
池田太作書写の板本尊にしてはどうか、と小生は思うのである。

何? いけないか…。何故にいけない。何故にいけないのだ。哀笑。

お前らからして、信心強盛の者であれば、御本尊様を書いてもいいのであろう? 何? 違うのか。

という事は、やはり日蓮正宗御歴代上人の御書写本尊でなければダメという事であるのか。

おかしいではないか。お前らからして、我が日蓮正宗の唯授一人血脈相承は、ズタズタに切断されて
いるのであろう。加えて、日蓮正宗の御歴代上人などは、途中の人師論師なのであろう。哀笑。
ならば、御歴代上人の書写判形にこだわる必要などないではないか。

其れとも何か。日寛上人と日昇上人と日達上人はオッケーという事なのか。鼻笑。

おかしいではないか。果たして、誰それの御書写本尊であるから良い、というのであれば、其れこそ
日興上人の御書写本尊を入手して模刻すれば最高となるではないか。聞けば栃木浄圓寺には日興上人
の御本尊が在るという。果たして、お前らからして、僧宝とは日興上人御一人なのであろう。ならば、
日興上人御書写の本尊こそを求めるべきではないか。そうであろう。今からでも遅くはないぞ。

兎も角も、平成二十五年に完成と目される創価学会総本部に安置される本尊が、未だにして日蓮正宗
御歴代上人の御書写本尊であるとは、此れ、御歴代上人正義の本尊であるが故か、其れとも温故知新
の未練が故か、其れとも、創価上人・池田大作猊下の書写本尊完成までの暫定であるが故か。

いずれにせよ、そろそろお前らは、そういう本尊の定義というものを、しっかりと決めなければなら
ない。

よいか。応に、創価学会総本部の完成の暁に於いて、其の決断こそが試されるのである。

尚、御本尊に於いては、本より売買の対象ではないから、退会・破門となりし時は、御山に御返納し
なければならない。又、其れが故の『御下付』である。

さても、学会本部に安置されている御本尊は、御宗門から買ったものであるのか。もし、違うという
のであれば、御山に返納しなければならない。

何? 学会本部の板本尊は、宗門に無断で造ったものであるから、返す必要などない、とな。

鼻笑。さもありなん、さもありなん。哀笑。

しかし、思えば思うほど、お前らの行態は『蝙蝠鳥』であるよな。哀。

まぁ、いずれにしても、本尊の定義については、はっきりした方がよい!

よろしいか!
 

黒川殿

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月 8日(木)15時25分20秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  >ロム男、私なりの総括
>今回、大月天殿との論戦を拝見して、相変わらずの人間であることを再実感した次第です。

左様でありますか。

>残念ながらその心根は「何が何でも負けたくない。憎き宗門の輩を破折しまくろう。捻じ曲げて
>でも反対してやろう。屁理屈でもなんでもいいんだ、俺は法華講員をやっつけたい・・。」という
>根性があります

あいや、もう一つ。「からかってやろう」という性根もあるのではないですか。つまりは『意地悪』
という事であります。尚、其の証左は、彼の者が好んで使う「^m^」という絵文字から窺(うかが)い
知る事が出来ます。

小笑。尚、小生から言わせれば、其の絵文字などは、以下の様に使って欲しかったと、今更ながらに
思っております。

⇒『俊師 化儀秘訣に云く』^m^

鼻笑。

兎も角、議論に於いて、狡猾な人間である事は、間違いないでしょう。だからこその『雑学』であり
ます。

こういう者に対しては、一言一句たりとも見逃してはなりません。

して、其の捨てセリフは『卑怯者!』でありました。哀。

尚、当方としては、これ以上、論敗した蝙蝠鳥については述べません。

本日を以って終わりと致します。
 

追記

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月 8日(木)14時32分41秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  尚、過日の検証に於いて、若干洩れた内容、つまり『追善回向するも、中有の因業は、来世まで不変』
という珍言について、其れを再破しておこう。

日蓮大聖人曰く『此の(法華経の)文字の中より大雨降りて無間地獄の炎を消す。閻魔王は冠をかたぶ
けて歓ひ、獄卒は杖をすてて立てり。一切の罪人はいかなる事ぞとあはてたり』と。

云うまでも無く、閻魔王は十王の一人であるが、中有の四十九日以降も、其れら十王の裁断は行われ
るのである。して、上記御文、中有身を裁く其の閻魔王が、其れこそ法華の大雨によって無間地獄の
炎が消されるを歓び、獄卒が杖を捨てて雨に立つ、とは、応に死後の中有身に於いても、法華追善の
功力によって、其の因業が消されるを、当文に於いて、其の理(ことわり)を示されたものである。

仍って大聖人が曰く『仮使(たとい)法界に遍く断善の衆生も一たび法華経を聞かば決定して菩提を成
ぜん』と。

つまりは、法界に冥伏せし、死後の生命も、我が法華の追善回向によって、即身成仏するのである。

其れを以って最終、当方は、已下の御金言を以って、邪流邪義の徒輩の珍弁を、此に粉砕せしめたの
である。

御義口伝に曰く『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の
光無間に至りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり』と。

此の、足す可きでもない、又、引く可きでもない、つまり、善巧と訓戒の範疇を超えた、まこと法義
根本の御教示に対し、唾を吐き、弓を引く者は、須らく邪徒であり、鬼人であり、身中の蝗蟲なので
ある。

とまれ、創価学会の葬式回向に於いては、此の法界に冥伏する生命に対しては、全く意味をなさない、
という事が、創価学会員の証言によって明らかになったという事である。

しかし、其れら邪想珍義を、日蓮大聖人のせいにするのであるから、始末に負えるものではない。

兎も角も、其れら邪糞を撒き散らかした蝙蝠鳥の羽は、富士門の正義によってもぎ取られたのである。

論勝一言。当に予定通りの結末であった。
 

ロム男 私なりの総括

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 3月 7日(水)18時07分27秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  もう一年になろうとしております。私がロム男氏と論戦したきっかけは、「日恭上人の焼死事件」から始まり、その後「牧口常三郎氏の国家諌暁」に話題が飛び、延々3か月に及ぶ長期戦となったのですが、今回、大月天殿との論戦を拝見して、相変わらずの人間であることを再実感した次第です。

この方は雑学は豊富とお見受けいたしますが、残念ながらその心根は「何が何でも負けたくない。憎き宗門の輩を破折しまくろう。捻じ曲げてでも反対してやろう。屁理屈でもなんでもいいんだ、俺は法華講員をやっつけたい・・。」という根性があります。これはひとえに池田タサクの会員洗脳が末端まで行き届いているという一つの証拠であります。従いまして正常な客観的論証が出来ない人であると言えましょう。

私の所感、昨年の5月の所感です。参考までにアップいたします。

■■■■■■■■■■



ロム男君の総括
  投稿者:れいな  投稿日:2011年 5月27日(金)10時49分34秒
返信・引用

あなたは私が言った通りの人間ですね。

●何でも批判してやろう。俺の出した文証は認めろ、しかしお前の出したものは一切認めない。

●「戦時下」ということがまだ理解できない。

●何でもかんでも重箱の隅まで反対してやろう。

歴史認識というものは再度言いますが、相手の出した文証を認めることです。その上でそれを検証することにより、[その奥に隠れた真実]が見えてくるのです。

貴殿は創価の修羅宣揚作戦が心身に渡り十分行き届いており、洗脳され、カッカッ、カッカと闘争力、修羅の生命が大成長しているだけです。

お気を付けなさいませ。



 

(無題)

 投稿者:73  投稿日:2012年 3月 6日(火)23時36分17秒 p2153-ipbf2806hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp
返信・引用
  成仏とは、そのまま仏に成るということ。
仏界を開いて仏に成る。


即身成仏とはそのまま、衆生の身で仏になることだが、
ロム男くんの勘違いは、
仏になったのだから、
何があっても永遠に仏のままという事らしいが、

仏法では、
我々生命は因縁によって仮に生じて存在している、
と説かれているから、
即身成仏した身は永遠ではなく、あくまでも仮。
そこに悪縁が生じれば、当然即身成仏して亡くなったその空の生命にも
因果の理法に則り影響を与える。

従って、正しい追善供養が重要であるということ。

 

お知らせ

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月 6日(火)21時02分3秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  投稿者及び閲覧者各位

本日、破邪の蘭室は、論敗者、創価学会員・HN名『ロム男』を、追放処分と致します。

其の理由は、前(さき)に述べた通りであります。

尚、今回の処置に関する苦言文句については、法華講員、創価学会員を問わず、其の一切について
受け付けませんので、予め御了承下さい。
 

検証

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月 6日(火)20時42分17秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用 編集済
  さて、落ち着いた処(ところ)で、論敗者・ロム男との対論を此に振り返ってみよう。

云うまでも無く、今回の論交の発端となったのは、小生の『即身成仏とは、冥界の生命に於ても当て
嵌まる』という記述に対する、ロム男からの、

>(即身成仏が)冥界の世界に当て嵌まるって?(笑)

という嘲笑から始まったものである。

そしてロム男は、遂に『大聖人の仏法に、死後の成仏は有り得ない』という邪言を以って、其の死後
に於る即身成仏義、つまり、法界に冥伏せし生命の成仏を否定したのである。

仍って小生は、護持する妙法の追善回向によって、故人(死後の生命)に於ける即身成仏が果たせるを、
日有上人の聞書、そして最終、御義口伝の御文証を以って、其れを立証せしめたのである。

云く『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至
りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり』と。

本より、此の御文証を以って、法界に冥伏する聖霊(生命)であっても、妙法の功力によって即身成仏
するは明白なのであり、そも、此の御義口伝の御文をして『大聖人の仏法に死後の成仏は有り得ない』
とするロム男の邪義は、須らく粉砕されたのである。

さて、ここからが検証であるが、以下の事を見れば、いかにロム男の記述がいい加減で、支離滅裂で
あるか、つまりは、論詰まりによる、言い訳の重ね刷りが、結局は己自身の細首を絞め上げて行った
という事が一目瞭然となるのである。

先ず此の者、小生が死後の世界をして『冥界』と申していた事を、其の対論の途中まで共有しておき
ながら、後に至って『冥界とは地獄界の事だ』と言い出し、遂には『(冥界とは)三悪道の意味だ!』
などと風呂敷を広げて、とうとう、『冥界(地獄界)に居る仏(仏界)』などと珍釈したのである。

小笑。しかも『即身成仏は、今世で成仏を果たすと、死後も仏であると云う事ではないのか? 』と
小生に質問した本人が、である。呆笑。

本より、対論に於ける解釈の変更を、其の度ごとに行う事自体が、論窮したる証拠なのである。

さても閲覧者諸氏をして、其の部位の経緯を読んで戴ければ、ロム男の頓珍漢な物言いが、はっきり
と判る筈である。つまりは此の時点で、ロム男の破綻が始まっていた、という事なのである。

して、此の者、大石寺の信徒である小生が、中興の祖である日有上人の御教示を示すは当然であると
云うに、此の者は『途中の人師の言葉だろう』と蔑んだのであるが、其の蔑んだ本人が、中有の事を
して、創価学会員でありながら、保田妙本寺、日我の言い分を引っ張り出して『即身成仏の人は中有
にあるべからず』などと言うのであるから、何ともお目出度い論客ではある。哀笑。

加えて『途中の人師の言葉だろ』と蔑んだ者が、誰が書いたのか判らない、などと自らが其の過程を
疑ってる御義口伝(つまり本人からして二の次資料)の内容を以って『己(おのれ)の信心に資する!』
などと自慢しているのであるから最早始末に負えない。哀笑。

本より、こういうのを自己撞着(どうちゃく)と云うのである。哀笑。

して、本題となった死後の生命であるが、此の者は『死後は中有のみがあって、すぐ来世に生まれる
から、死後の成仏など無い』と言っていたのだが、小生が『人間が死ねば、その生命は大宇宙の生命
の中に溶け込み、有無の概念では把握しえない空という状態で連続する。そして縁にふれて、五十年、
百年、または一年後に再びこの娑婆世界に、前の生命の連続として出現してくるのである』との、
仏哲の文証を提示すると、今度は、四十九日のみならず、五十年、百年も、死後の命は中有のままで、
時間の概念こそ違え、その死後の過程は「中有」と変わるものではない、などと言って来た。小笑。

本より『死後は中有のみがあって、すぐ来世に生まれるから、死後の成仏など無い』と、応に中有の
即生、つまり、其の時間の概念を理由にして、死後の成仏を否定した者が、今度は『時間の概念こそ
違え』などと、又もや、解釈の変更を行い、遂には『大聖人の「中有」の教義からは、中有は最長
49日しか死有と生有の間には存在しない。それが、中有と云うものである』と断言しておきながら、
その舌も乾かぬうちから『中有が49日というのは、一般論の通説だ』などと言って来たのである。

呆笑。

最早、此の時点で、ロム男の邪説は、自らが繰り出す、後付の言い訳によって自滅していったので
ある。哀。応に此れこそは自論に溺れた結末であろう。

そして、最終、

>不成仏者の(死後の)成仏など初手から問題にしていないではないか!

などと、開き直って白を切って来たが、其の論窮の開き直りも功を奏せず、小生からの再三なる、

『死後の成仏などは無い! 其れは大聖人の法義ではない!』と云うお主の邪論と、大聖人が御教示
された御義口伝の御文と、一体どちらが正義であるのか!!

との詰問に対して、此の者はとうとう、保田妙本寺の日我が書した『化儀秘訣』を持ち出して、御義
口伝の解釈を行ったのである。しかも『後世の人師論師の釈ではダメ!』と宣言した本人がである。

呆。

応に、こういうのを『論敗』と云うのであり、だからこそ、当室管理人は此の者『ロム男』をして
『論敗者』と断定したのである。

尚、閲覧者各位に於いては、此の度の対論に於ける内容を、其の一々に於いて精読して戴ければ、其の
撞着(どうちゃく)がどちらに在るのか、自ずと御理解されるであろうと、小生は確信するものである。

さて見れば、今回の『論敗』の処置に対して、

>予定通りですな。

などと口走っておる様だが、再三、出来ずんば論敗である! との小生からの詰問に対して、ろくな
返答も寄こさず、其れこそ開き直って、自己撞着の珍弁を繰り返しておるから、論敗したのであって、
本より、其れこそが予想通りなのである。小笑。解かっておればよい。

して、今思えば『ロム男』はアヒルだったのではなく、蝙蝠鳥だったのではないか。哀。

『鳥にも非ず、鼠にも非ず』

応に、小生からして自己撞着の権化であった。

さて、やはりと云うか、今回も論敗者からの恨文が投稿された。何度も言うが、其れをして論敗者の
度量が判るというものである。哀。

尚、当室は、此の度の恨文が投稿された事を以って、過日の通告文に記した警告に照らし、本日以降、
『ロム男』からの投稿を遮断し、当室からの追放を此に決するものである。

したがって『又、会おう』との申し様は、『ロム男』自身の侮言によって、不可能になったのである。

では最後に、論敗者『ロム男』の恨み節を此に掲載し、今回の検証を終える事とする。
 

所感、死に関して

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 3月 5日(月)22時50分38秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  今回の法論は「死」ということをテーマとした論戦であり、大月天氏の破折を通し改めて日蓮正宗の御本尊の凄さに確信を得た次第です。

私の母の死相に関しては既に述べさせて頂きましたが、私の法華講仲間の友人の体験談を少々お話しさせて頂きます。この友人は親戚の御爺さんと御婆さんを長く折伏していたのですが、強烈な創価員であり折伏しても無理かな?と半ば諦めていたのですが、昨年の10月、御爺さんの方が癌に侵され後数ヶ月ですと医者から言われていたということです。

友人は最後の折伏と決意を固め家庭訪問して「大聖人の仏法の正義は日蓮正宗ですよ。脱会して日蓮正宗に戻りましょう」と話をしたのです。死期を感じていたのでしょうか、御爺さんはやっとの思いで重い腰を上げ折伏することが出来、ニセ本尊を処分し、お寺にて勧誡をお受けすることが出来たのです。12月末、お正月も間近でしたが、このおじいさんは逝去されました。正味2ヶ月ちょっとの復帰でした。

それでもおじいさんは安らかな死相で亡くなられたということです。御通夜に御住職様が来られました。読経唱題・・・をするにつれ、御爺さんの死相(顔)が白く変化してゆくのをこの目で見た、という話でした。

この死相を眼で見た御婆さんですが、「やはり日蓮正宗に戻ろう・・」とやっと覚醒され勧誡を受けられ日蓮正宗の信仰に戻られたのです。しかしそれもつかの間、先月2月に亡き夫を忍び亡くなられたのですが、同じくその死相は半眼半口、成仏の死相を以て逝去されたとのことです。

大聖人様の仏法は凡人の薄脳では計り知れません!

文証、理証よりも現証が日蓮正宗の正しさを物語っていることを私の母の体験と共に実感した次第です。

さて先日このような質問をある人から頂きました。

「母は日蓮正宗でしたが成仏の相ではなかったです」と。

これに対しては、大聖人様は、このように御指南されておられます。

「人皆口には此の経を信じ、手には経巻を握るといへども、経の心にそむく間、悪道を免れ難し」

我々法華講員は、入信さえすれば大丈夫とか、信心しているものに全く謗法は無い、などということではない。信心をしていても、その行いや発言や心に中に、法華経の心に背く謗法があるならば、悪道は免れ難い、地獄に堕ちる、と大聖人様は言われておられます。

そのためにその「遺族が日夜回向し、追善供養を行い成仏せしめるのであります」と返事をしておきました。

以上、
 

はいはい!ご苦労さん。^m^

 投稿者:ロム男  投稿日:2012年 3月 4日(日)23時57分52秒 p8039-ipngn100108osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  予定通りですな。

卑怯者、大月天よ!

恥を知りなさい!!(爆笑)

では、また会おう!
 

管理人殿

 投稿者:ロム男  投稿日:2012年 3月 4日(日)23時50分47秒 p8039-ipngn100108osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  即身成仏は、瞬間に成仏することではないのだよ!

凡身のままで、一生成仏を果たすと云うことなのだ。

まして、貴殿は成仏とは「仏に成る」と定義していた。

成仏とは、仏を開くと言うことなのです。

お分かりか?

そして、『中有』の問題だが、読者にも分かるように説明を加えておく。

『中有』は、また『中陰』とも言った。感情、意識を持つすべての衆生を『有情』と言
うが、『有情』は『生有』(誕生)、『本有』(生存)、『死有』(死亡)、『中有』
の四つの過程を繰り返す、此れを『四有(しう)』と言うのである。

つまり、『生類』が死んでから次ぎに生まれ変わるまでの間を『中有』と言った。その
後、中国で『陰陽説』の影響を受けてから『中陰』の万が一般的に使われる様になった
のであろう。『生』と『死』の繰り返しは『陽』と『陰』の繰り返しに外なら無いから
だ。では其れがどれ程の期間なのかと言うと色々あるが人間の場合、7日×7日で49
日と言うのが一つの定説である。死後7日毎に7回の裁きを受けて次の生へ生まれるの
が常の人だと言うのである。


最初の7日目、『賽の河原』から『三途の川』を渡り1回目の審判を受ける。『三途』
とは生前の業の探さに依って浅瀬、深瀬、橋、と3通りの渡る所が決められて居るから
言うのである。室町時代に川の船賃が6文だったので、死んだ人には其の為の6文を持
たせてやるのが風習になった。法事としては此の日の『初七日』をする人は多いと思う
が、2~4回目は省かれがちである。

5回目の『35日』は最も大事な審判の日で法事も行う場合が多いと思う。実は此の日
が『閻魔大王』が裁定を下す日なのである。人間には生まれると同時に、左肩に『同名
天』右肩に『同生天』と、二人の神が着いて居る。此の二人が毎日の様に閻魔大王にリ
ポートを送って、前者は『善行』を、後者は『悪行』を報告してあって、大王の手元に
は『閻魔帳』が揃って居るのである。そこで死んだ人が大王の前に着くと、先の二人の
神(倶生神とも言う)も立ち会いの上、裁判が行われる訳だ。その後2回の補足裁判が
あり、次ぎに何処に生まれるかが決まって『中有』が終わる。


↑いいか!これも仏法の説話なのだが、中有の世界では、前世からの境涯を転換する事
は出来ないんだ。

私は一般論通説で話をしたが、『中有』は49日と決まって居る訳では無い。
『弥勒菩薩』は釈迦より早く死んだのに、次ぎに世に出て来るのは56億7千万年後と
され、其の間は『地蔵菩薩』が民衆を守護する事になって居る。

『輪廻(りんね)』の思想は陰陽説や仏教よりもズーツト古くからある『東洋哲学』の根
本とも言えるものなのである。

分かるよな。このことを大聖人は御指南に引用されているのである。

貴殿は、それを「邪義」と言い放った。

 

【通告】

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月 4日(日)23時42分46秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  当室は、創価学会員、HN名『ロム男』を、日蓮大聖人の生死に亘る即身成仏義、所謂、御義口伝の
『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて
即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり』との御文に対して『死後の成仏はない』との自義を
以って反旗し、遂に其の我執の正当性を証明するに至らず、返って日蓮大聖人の法義に違背する邪徒
として、其の正体を自ら露呈したのである。

仍って当室及び当室管理人は、本日の今日を以って、創価学会員、HN名『ロム男』を論敗者と決し、
以後、当室に於いて、其の烙印を押すものである。尚、本日の通告後に於いて、猶(なお)も同じ文句
を繰り返し、又は其の言い訳を以って投稿し、遂には恨文・悪口に至る場合に於ては、前例の処置に
照らして、当室からの追放遮断を決するものである。又、其れらの投稿については当室管理人の確認
に於いて、随時不掲載の処置を採るものである。

尚、昨今、それら追放遮断の処置が、論破者の言い訳(未だ論敗など決してしないのに、管理人は自らの
の都合によって投稿を遮断した。だから、勝敗は未決である)を助長する感も拭えないが、要は当室に
於いて論敗と決せられた事が重要なのであって、其のレッテルを当室に於て貼られた事自体、自らの
邪論と、其の力量の不足を悔いるべきなのである。まして、創価学会員でありながら、日蓮大聖人の
仏法義に違背する至っては、もはや論敗の域を超えるものである。

尚、当該処置に関する苦言文句については、法華講員、創価学会員を問わず、其の一切について受け
付けないので、予め御了承願いたい。

敗軍の将、兵を語らず。

さてこそ、潔(いさぎよ)い論客を待ち望む昨今である。

                                  【文中敬省略】
 

ロム男くん

 投稿者:73  投稿日:2012年 3月 4日(日)23時39分49秒 p2153-ipbf2806hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp
返信・引用
  葬式は創価学会でもしておるけんど、

創価学会では、生前、ニセ本尊に縁して地獄に堕ちた者に、
創価葬で尚も念を押して地獄に落とす必要が何故あるのか?

まずはそれに答えんしゃいませ。
 

ロム殿

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月 4日(日)23時28分40秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用 編集済
  >御義口伝の文言は、
>聖霊(故人)を追善回向するのは、貴殿の言うような「冥界(死後の世界)」に住する霊魂や魂に
>回向するのでは無く、故人は既に今世に生を受けているのであって、生ある者に回向である。

お主、いい加減に致せよ。

小生は霊魂や魂などとは言っておらんぞ。法界に冥伏した生命と申しておる。
して、其の死後の生命に於いて、生前、不成仏の者が成仏するか、否かを問うているのである。

して、日蓮大聖人は、御義口伝に於いて、

『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて
即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり』との仰せである。

よいか、ここで云う聖霊とは、法界に冥伏せし生命の事である。訪(とむら)う、とは其の意味である。
して、其の冥伏せし命が、追善回向の功力によって、即身成仏するを説かれているのである。

地獄界を含む十界の聖霊のすべてが、此の娑婆世界に既に生まれている、だから死後の成仏はない、
などと云うは、お主の都合のよい我見である。

>答て云はく即身成仏の人は中有にあるべからず

呆。だから、其れは今世に於いて成仏したからであろう。其の事は前(さき)に小生も述べている事で
はないか。

よいか。

小生は、此の法界に冥伏せる不成仏者の生命の成仏、つまり生死不二に於ける『死の仏』の有無を
問うているのである! 仍って、御義口伝の御文証を以って『死後の成仏はある』と申しているの
である。而してお主は其れを無いと断言しておる。だから、其れは御義口伝の御文証に違背している
と申しているのである。

ったく、化儀秘訣の『即身成仏の人は中有にあるべからず』などは、御義口伝の御文意からして、
まったく的の外れたものである。よいか、御義口伝では『題目の光無間に至りて即身成仏せしむ』と
申されているのである。此の意は、冥伏する生命に於いても、其の成仏は有るを示されているので
ある。して、お主は『大聖人の仏法に、死後の成仏はない』と断言したのである。

仍って小生は、御義口伝に記(しる)されている御文と、お主の『死後成仏否定』と、どちらが正義で
あるか、を問い質しているのである。聖霊とは、すべて現世に生まれている命の事であるなどと、
勝手に解釈しおって! つまりお主は、此の御義口伝の御文証に於いて『大聖人の法義に死後の成仏
はない』との自義を立証出来なかったのである。つまり、お主は、御義口伝の法義に違背して、己の
我見を押し通したのであり、つまり、其れこそが論敗の証しとなるのである。

してお主は『俊師 化儀秘訣』に云く、などと申しておるが、其れは、保田妙本寺の日我の書を、日俊
上人が写したものではないのか。ったく、お主という奴は、何という狡猾な御仁であるのか。

お主はダメだ。話に成らん。哀。

もうよい。

もはや、お主は、御義口伝の解釈から遁走しておる。哀。

したがって『大聖人の仏法に、死後の成仏は有り得ない』との邪論を、全聖霊誕生済の稚論を以って
言い逃れたのである。

呆。もはやキリが無い。

今より、お主の論敗を別頁に於いて通告する。

尚、論敗の理由は、法界に冥伏せる悪道の生命も、妙法の追善功力によって即身成仏する、という
日蓮大聖人の法義に違背し、己(おのれ)の我義(死後の生命に即身成仏は無い)を、不成仏者に於いて
論開できなかった事によるものである。つまり、お主の『死後不成仏論』は、御義口伝の御文証から
して粉砕された、という事である。

ロム殿。最早、これ迄である。
 

Re: ロム殿

 投稿者:ロム男  投稿日:2012年 3月 4日(日)23時04分14秒 p8039-ipngn100108osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  > No.44134[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。


貴殿は文盲か?はたまた、読者を撹乱しようとしているのか?(苦笑)

> 当方からの再三の詰問に対して答えようともせず、同じような文句を何度も繰り返しておる。


御義口伝の質問に対しては、↓ホレ!

「私たちが追善回向をするのは、聖霊(故人)に送る追善だが、その聖霊は既にこの世に
生をうけているのだよ!
そして、回向は故人のみならず、現世に生きる縁者にも送られ、その功徳が己の功徳と
なって現れる。これが、大聖人の仏法また視点から見た、御義口伝の拝しかただろ。
無間地獄と言っても他の場所にあるのではなく、全て自分の心の内、つまり、現世にあ
ると言うのが、大聖人の御指南だ。即身成仏・一生成仏は、現世成仏だろ。(大笑)」

とっくに答えてるぞ!しっかりしなさい!!(笑)

やはり、葬式仏教信者には、目に痛いものは見えないのか?(爆笑)

 

Re: 成仏した?

 投稿者:ロム男  投稿日:2012年 3月 4日(日)22時09分48秒 p8039-ipngn100108osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  ???さんへのお返事です。

> 成仏したか、してないかの判定は、誰がするのか。
> 基準はあるのか。
> 成仏したか、してないかが判らないから創価学会でも、日蓮正宗でも葬儀を執り行うのではないのか。
> 「成仏したものが云々」は前提が証明できないから、議論は成り立たないのではないか。


では、「死者の成仏に葬儀は必要不可欠な通過儀礼か?」に、質問を変更しよう。

これなら、万人が納得行くところでしょう。

管理人殿、当閲覧の???様の意見を聞き入れ、上記質問に切り替えます。
 

Re: ロム殿

 投稿者:ロム男  投稿日:2012年 3月 4日(日)21時57分36秒 p8039-ipngn100108osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  管理人さんへのお返事です。


さて、続きだよ~(笑)


> >この「中有」は、生前の業をそのままに、裁きを受け、そのままの業を持ち来世に生ま
> >れるのだよ。(笑)つまり、貴殿の言うところの「冥界(死後の世界)」の成仏などありえない。
>
> ならば其の言は、日蓮大聖人の『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え
> 奉る時・題目の光無間に至りて即身成仏せしむ』との御金言に反するものであるから邪義である。

よろしい。邪義と言い切ったな。(爆)

> よいか。御義口伝とは、富士宗門の宝義であり、日蓮大聖人からの口伝を、大石寺御開基・日興上人
> が筆受された珠玉の書である。そこには悉檀も方便もない。そのすべてが大聖人に於ける真実の法義
> である。


↑と云う、伝承があるが、正確には、奥書に、六老僧の為に『註法華経』の要文を
講述され、その校閲允可を得て、六老僧が連署し、興師が受筆責任の署名をしたことに
なっている。しかし、その内容や成立過程に問題があり、私は「信心に資する」ので、
拝読しているが、他門流との対論には用いない。
貴殿もその辺りの事は、御存知だろ?
つまり、第一次資料としては採用しないってこと。


そこで、「中有」の件だが、貴殿は邪義と言い放った。

『後にはすこし信じ給いたるやうにきこへしかども、臨終にはいかにやおはしけむ。
おぼつかなし。地獄まではよもおはせじ。又生死をはなるる事はあるべしともおぼへ
ず。中有にやただよひましますらむとなげかし』(本尊問答抄)

『問う、還滅の十二因縁の様如何。
 答う、無明滅すれば則ち行滅す、行滅すれば則ち識滅す、識滅すれば則ち名色滅す、
名色滅すれば則ち六入滅す、六入滅すれば則ち触滅す、触滅すれば則ち受滅す、受滅す
れば則ち愛滅す、愛滅すれば則ち取滅す、取滅すれば則ち有滅す、有滅すれば則ち生滅
す、生滅すれば則ち老死憂悲苦悩滅す。是れ其の還滅の様なり。仏は還つて煩悩を失つ
て行く方なり。私に云く、中有の人には十二因縁具に之なし。又天上にも具には之なく
。又無色界にも具には之なし。』(一念三千理事)


> しかし、お主は『死後の成仏は、大聖人の法義ではない』と云う。
> だから小生は、大聖人が御教示された御義口伝の御文と、お主の珍言と、一体どちらが正義であるの
> か、という事を問い質しているのである!
> して、お主は『(大聖人の法義からして)死後の成仏はありえない!』と重ねて断言した。
> つまり、御義口伝に示された御金言に逆らい、未だ己義邪義を述べまくるお主こそが、まさに邪宗の
> 防人ではないか! と小生は申しているのである!


何をバカな事を、のうのうと言っているのか?
貴殿の云うような、「冥界(死後の世界)」における成仏はないと言ってるのだよ!

貴殿は、よほど読解力がないか、私の質問に答えられず逃げておるのかどちらなんだ?


> お主らの仏教哲学大辞典(以下「仏哲」)には、こう書いてある。
> 「死んだ人が、たとえ地獄界の衆生になっても、塔婆供養することにより、三大秘法の御本尊に縁
> して成仏することが出来る』と。つまり、命終の死に於ても、応に成仏の義が在るという事である。


はてさて、その仏哲は第何版なのか?
現在、学会では第3版を採用しているが、そんな記述はないぞ?(笑)
第何版か、お示し頂こう!


> よいか。お主は『死後の成仏はありえない!』と言ったのであるぞ。
> しかし、大聖人は『ある!』と仰せなのである!
> だから、どちらが正しいのか、と詰問しているのである!
> あるのか、ないのか。
> して、死後の成仏はない、と云うのであれば、お主は大聖人の仏法に違背する者であるから、邪教の
> 徒輩となるのであり、創価学会こそが邪教の証しとなるのである!


だから、大聖人も死後の世界の成仏などは説かれていない。
大聖人の仏法は、あくまで現世成仏・即身成仏・一生成仏なのだよ!


> 尚、お主は、中有はすぐ生まれ続くから、死後の世界など、其の瞬間も無い、などと云う様な事を
> 言っておるが、其れこそは以下の仏哲の一文を以って、お主の邪論を摧破してしんぜよう。よいか。


大聖人の「中有」の教義からは、中有は最長49日しか死有と生有の間には存在しない。
それが、中有と云うものである。


> 己が教団が発行する大辞典の記事を、紙背に徹してよく読みなさい。
> 『生前の生命のこのような変化(肉体・精神に於ける一瞬一瞬の変化)と連続の、過去および未来に
> 対する延長が永遠の生命である。人間が死ねば、その生命は大宇宙の生命の中に溶け込み、有無の
> 概念では把握しえない空という状態で連続する。そして縁にふれて、五十年、百年、または一年後
> に再びこの娑婆世界に、前の生命の連続として出現してくるのである』と。(死後の世界/156頁)


上記の記述は、戸田先生の生命論からの採用である。
この戸田先生の生命論は、中有の世界観をより近代的に顕されたものと認識している。

よく読んでごらん!
「前の生命の連続として出現してくる」と言われている。
要するに、宇宙生命に溶け込んでいるときは、前世の生命状態のままで、変化せず。
娑婆世界(現世)に生を受けると云うことだろ!?(苦笑)

どこに、死後の成仏など説かれているんだ????(笑)

時間の概念こそ違え、その死後の過程は「中有」と変わるものではないじゃないか。

だから、大聖人も死後の世界の成仏などは説かれていない。
大聖人の仏法は、あくまで現世成仏・即身成仏・一生成仏なのだよ!


> 果たして、お主の、追善する暇も無い『今世来世瞬間移動説』と、上記仏哲による死後の生命観と、


私が云う『今世来世瞬間移動説』だって?

『三世諸仏の御本意に相い叶い二聖・二天・十羅刹の擁護を蒙むり滞りなく上上品の
寂光の往生を遂げ、須臾の間に九界生死の夢の中に還り来つて、身を十方法界の国土
に遍じ、心を一切有情の身中に入れて、内よりは勧発し、外よりは引導し、内外相応
し、因縁和合して、自在神通の慈悲の力を施し、広く衆生を利益すること滞り有るべ
からず』(総勘文抄)

↑これは大聖人の仰せだが?(爆)

「正信の者は、仏の本意に叶い、諸天の擁護を蒙って、須臾(瞬間・刹那)の間に、
生死の夢の中より十方法界の国土に生まれる」との御指南だろ!(苦笑)


> 一体どちらが、御義口伝の、
> 『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて
> 即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり』との御金言に合致するのか。
> つまり、『大聖人の仏法に、死後の成仏はありない』と断言した、其のお主の論と、
> 日蓮大聖人の御義口伝、日有上人の聞書、そして、上記仏哲が示す内容と、一体どちらが正しいのか。
> よいか。最後に申す!
> 『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて
> 即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり』との御文証と、
> 『大聖人の仏法に、死後の成仏はありない』としたお主の論と、
> 一体、どちらが正しいのか。


馬鹿じゃないか?

大聖人の教義に死後の成仏は存在しない。

あくまでも、即身成仏であり一生成仏であり現世成仏なのである。

そこのところが、既成仏教との大いなる違いになるのである。

従って、御義口伝の文言は、

聖霊(故人)を追善回向するのは、貴殿の言うような「冥界(死後の世界)」に住する
霊魂や魂に回向するのでは無く、故人は既に今世に生を受けているのであって、生ある
者に回向である。無間地獄と言っても、あくまでも各人の心の内にあるということ。
その聖霊(故人)が、不信心ならば、回向の功徳により娑婆世界で、御本尊に廻り合い、
一生成仏の道を歩むのであり、一生成仏を果たして亡くなった者への追善回向は、
①仏果増進②報恩感謝③孝行追善の為に行うのである。
回向と云う文は、このことから起こるのである。

なお、↑上記の論は私論にあらず、俊師『化儀秘訣』からの引用である。


俊師『化儀秘訣』に云く

「問ふて云はく中陰は如何、答て云はく即身成仏の人は中有にあるべからず、然りと雖
も自他の方軌に任する処なり、虚空中住とある時は寂光の中にかくれこもり給ふ処の仏
身の追善と心得べし、他宗の如くは心得べからず、其の外三十五日、四十九日年忌等何
れも其の時其の日になぞらへて仏果増進、報恩謝徳、孝行追善の一理迄なり」
(富士宗学要集第一巻p314)


ところで、「葬儀は、即身成仏を果たした者には、絶対不可欠な通過儀礼か?」
「葬儀に、坊さんの引導は必要か?」

早く答えなさい!これが初手の質問である!!
 

成仏した?

 投稿者:???  投稿日:2012年 3月 4日(日)21時35分23秒 proxyag074.docomo.ne.jp
返信・引用
  成仏したか、してないかの判定は、誰がするのか。


基準はあるのか。


成仏したか、してないかが判らないから創価学会でも、日蓮正宗でも葬儀を執り行うのではないのか。


「成仏したものが云々」は前提が証明できないから、議論は成り立たないのではないか。
 

ロム殿

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月 4日(日)21時33分34秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  >不成仏者の成仏など初手から問題にしていないではないか!

おいおい! 不成仏者の成仏を詰問しておるから、御義口伝の御文証を提示しているのではないか!
して、其の成仏はあるのか、ないのか、と詰問しているのである。してお主は『死後の成仏はない』
と断言したのである。

>貴殿の言うようところの『冥界の世界(死後の世界)』などでの「即身成仏」はない!

何を言う。小生がどうのこうのではなく、御義口伝の御文証からして『死後の成仏はある』と小生は
申しているのである。して、お主は『死後の成仏はない』と断言した。だから、其れを再三詰問して
いるのである。お主、大丈夫か? 頭。

>何度も言っているが、生前、一生成仏(即身成仏)を果たした者に、
>葬儀と云う通過儀礼は必要か?と、質問しているのだ。(笑)

…呆。其の事は既に答えておる。よく遡って読みなさい。

ったく、何度も同じ事を言わせおって。

哀。お主はダメだ。

当方からの再三の詰問に対して答えようともせず、同じような文句を何度も繰り返しておる。

しかも、今に成って『不成仏者の成仏など初手から問題にしていないではないか!』などと、小生が
何回も御義口伝の御文を示して詰問して来た事を、初手から問題にしていない、などと開き直ってお
る。呆笑。

>>日蓮大聖人の『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目
>>の光無間に至りて即身成仏せしむ』との御金言に反するものであるから邪義である。

>よろしい。邪儀と言い切ったな。(爆)

うむ。言い切ったぞ。上記御金言に違背する成仏義は、須らく邪義である!

>では、間もなく来客なので、後ほど後編は破折する。

まぁ、どうでもよいが、それが最後であるぞ。

お主の論敗は秒読みに入っておる。

尚、小生は、午前零時には就寝するから、それまでに文句を提出しなさい。

哀笑。どのみち、お主の論敗は免れまい。
 

Re: ロム殿

 投稿者:ロム男  投稿日:2012年 3月 4日(日)19時37分0秒 p8039-ipngn100108osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  > No.44130[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。


おやおや、長い前説の上に珍論の展開か!?(嘲笑)

すでに、貴殿の頸はコンコロコンと落ちで、冥界からの叫びに聞こえてならん。(笑)


> 其れよりも『死後の成仏は無い! 死後の成仏などは大聖人の仏法ではない!』と、弥増して断言
> しておる。困ったものよのぉ。哀笑。


貴殿の言うようところの『冥界の世界(死後の世界)』などでの「即身成仏」はない!


> よいか。もはやお主の細首は土面に落ちいている。して、其れでも尚、ベチャクチャ鳴いておるから、
> 小生は過日、其の土面に切り落とされた、お主の其のアヒル首を、更に上から踏んづけたのである。
> するとお主は、其の踏み付けられている窮屈な土面から、遥か上にある小生の顔を、恨めしく仰ぎ覩
> (み)ながら、「貴殿、もう終わってるぞ。頸を落としてしんぜよう、お楽しみに」などと、其れこそ
> アヒルよろしく最後の足掻(あが)きを見せてくれた。
> して、其のバタつかせた強がりを楽しみにしておったが、いやはや、何とも情けない内容である。
> 応に其れこそは、誤訳と付会と我見のオンパレードである。呆。
> ロム殿。その様な歪曲したアヒル刀では、愈々(いよいよ)増して、小生の太首などは切れんぞ。
> もはや、此れが最後である。其のお主の腐りかかった細首を、撒き散らかしたゴミ(邪文)と共に焼却
> してしんぜよう。そして、最終最後の詰問をお主に与えよう。


冥界の口だけ王子よ!そんなアホ書かんと、まっとうな法義を書きなはれ。(爆)


> >『雑々聞書』の冒頭にお示しの様に、「後生成仏は石山の化儀ではないと仰せだ。
> >更に、たとえ、世間の通例で用いたとしても、当流では用いない、この経を受持する信心無二の
> >ところが妙法蓮華経であり、当門流はそこに実義を立てている」と、かかれているではないか。


> ロム殿。其の事は随分前に既に答えておろう。
> つまり『お主が引用せし「連陽房雑々聞書」の一文は、法華信徒たるもの、後生の成仏のみを期する
> のではなく、其の受持する処の経(本尊)を以って、其の信心無二なる能持をして、今生の即身成仏を
> 叶うべきである、との申し様であって、決して冥界に於ける成仏を否定したものではない。其の事は
> 後半の文意からして一目瞭然である』と云う事である。よいか。上記文『後生成仏』の意が、死後の
> 即身成仏義を否定する意であるならば、後文の『又親師匠不信なれども其の跡を継ぐ子・弟子能信な
> れば又成仏すと云へり』などと云う筈もない。つまり『後生成仏』とは、死してこその成仏という、
> 浄土思想の意を以って述べたものであり、其れこそは、ただ死して来世の浄土を望み、今世に於ける
> 一生成仏、延いては煩悩即菩提の信心を疎かにするなどは、当宗の義ではないという意なのである。
> つまり、当宗の義は後生の成仏を欣求するのではなく、今世での成仏を第一義とする、との意である。
> 決して、死後の成仏義を否定したものではない。
> よいか。誤訳してはならんぞ


だから、何度も言っているが、有師『雑々聞書』前半の文言と、後半の文言は貴殿の解
釈だったら相反することになと言ってるの!分かるか?(笑)
後半部分を訳すると、

「また有師は言われるには、当宗においては信の道こそ大切であ
る。親師匠がよく信を持ち、徳によって成仏されても、後を継ぐ子や弟子が不信であれ
ば親師匠もまた迷いの境智に入る。またその反対に、親や師匠が不信であっても、子供
弟子が能信であれば成仏すると説かれました。このように信の源が大切であります。
この法理を深く心腑に染めて修行しない人は、功徳善根を虚しくするでしょう」

↑この御文のどこで、日有上人は死んでからの成仏を説かれているのか!?(大笑)

何度も言うが、即身成仏・一生成仏は現世での成仏なのだよ!
有師の言葉として、一言でも親や師匠が死んだ後などと書かれているかい?
答えなさい!

つまり、師匠と弟子、親と子への信心の戒めなのだよ!
その様に解釈すると、前半と後半の文意が筋の通った文章になる。
でないと、有師は二枚舌と言うことになるのだ~。(苦笑)

頓珍漢な解釈は止めなさい!


> >しかし、翻って有師の言葉の「後生成仏は石山の立義ではない」と云う言葉には、暗い宗門史に
> >一条の光を見出す思いである。

> という弁を借りれば、以下の
> 『今生の悦びは夢の中の夢、霊山浄土の悦びこそ実の悦びなれと思し食し合はせて又南無妙法蓮華経
> と唱へ、退転なく修行して最後臨終の時を待って御覧ぜよ』(新編 1051) との日蓮大聖人の御金言に
> 唾するものであり、実に此の御金言こそ、上記『後生成仏』の意が、死後の成仏を否定していない、
> という文証となるのである。


馬鹿な事を言うのじゃないぞ!「臨終の時」と云うのは、死の直前の刹那を云うのであ
り、死後のことを仰ってるのでないぞ。あくまでも、「臨終」は生は現世にあるのだ。
その臨終の砌まで、退転無く修行すれば、来世の「霊山浄土(仏界)」の喜びとなる、
と、仰せなのだろ!
つまり、臨終(死の刹那)に生前成仏を果たしなさいと御指南されてるの!(笑)
貴殿は、臨終を亡くなった後のことと解釈してるのか???????(苦笑)


> お主は『後生成仏』の文意を取り違えたのである。呆笑。先ずは其の恥じを知りなさい。


↑そっくり貴殿にお返しする!自分の未明を恥じなさい!!


私は、歴代にも間違いは多々あると云う立場で発言しているのだよ。
貴殿のローカルルールを、学会員にそのまま押し付けないで頂きたい!


> 尚、恩師戸田先生は生涯、富士大石寺の大信者であられた。其の大石寺の大信者たる恩師の指導を引
> いて小生にモノを申すならば、其の大石寺をしてローカルなどと嘲笑してはならん。又、恩師が其の
> 生涯に於いて体得された宗義を、一地方寺院のルールであったなどと云うは、まさしく恩師に対する
> 侮蔑である! お主は、創価学会員として、恩師の御魂に謝罪しなさい! よろしいか!


はぁ???戸田先生の『生命論』が大石寺のルールだって?(爆)

大聖人直結の、透徹された恩師の哲学だよ!

貴殿こそ、上記の発言を恩師に謝罪しなさい!いいか!!

恩師戸田先生云く、

「我々は大聖人を信じ、大聖人の教えを行じているのだ。この原点を忘れたら大変なことになる。“途中”の僧侶などを盲信したら、すべてが狂ってしまう」


> >管理人殿、大聖人の文証をストレートに示しなさい。
> >後世の人師論師の釈ではダメ!

> 日有上人が後世の人師であるならば、日興上人とて後世の人師となり、お主らが日蓮大聖人直結の
> 御正師と仰ぐ日寛上人さえも後世の人師となるのである。つまり、お主からして、それら後世の人師
> が釈したものは全てダメだ、と云う事になる。呆笑。お主こそは、創価学会に於ける日寛上人本尊の
> 下付の大義を、今一度、退転坊主から聞いた方がよろしい。哀笑。
> 尚、大聖人のストレートなる御文証は、何度も醜いアヒルには見せておる。
> 曰く『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に
> 至りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり』と。
> 仍って日有上人が曰く『仏事追善の引導の時の回向の事、私の心中有るべからず。経を読みて此の経
> の功用に依って、当亡者の戒名を以って無始の罪障を滅して成仏得道疑いなし。乃至法界平等利益』
> と。


日興上人は、興門派の開祖である。途中の人師論師と同様に述べる貴殿の脳内が
知りたいものだ。(笑)


> 此の両の御文に於いて、死後の成仏義が示されてる事は、少しの教学と読解力があれば、容易に解
> かるものである。
> して、お主は『死後の成仏などは無い! 其れは大聖人の法義ではない!』と断言した。
> だから、小生は御義口伝の文証を以って、問い詰めているのである。

> >ほっほう~なるほど。^m^
>
> >しかし、別の御書では、
>
> >『三世諸仏の御本意に相い叶い二聖・二天・十羅刹の擁護を蒙むり滞りなく上上品の寂光の往生を
> >遂げ、須臾の間に九界生死の夢の中に還り来つて、身を十方法界の国土に遍じ、心を一切有情の身
> >中に入れて、内よりは勧発し、外よりは引導し、内外相応し、因縁和合して、自在神通の慈悲の力
> >を施し、広く衆生を利益すること滞り有るべからず』(総勘文抄)
>
> >↑どうだ、「生前成仏を遂げて亡くなった生命は、瞬時に九界迷いの世界に帰還して、自由自在の
> >慈悲の力を発揮して利益する」とも御指南されている。(笑)
>
> 呆。だから小生は成仏を遂げた者の死後を論じているのではない。不成仏の者が其の死後に於いて
> 成仏するを論じているのである。して、お主は『其れは大聖人の法義ではない!』と断言したから、
> 今の今までお主の珍論を問い詰めているのである。お主、現状を把握しておるのか。しっかりと致せ。


貴殿の話のすり替えが、上記の文に始まっているのだよ!

何度も言っているが、生前、一生成仏(即身成仏)を果たした者に、
葬儀と云う通過儀礼は必要か?と、質問しているのだ。(笑)

不成仏者の成仏など初手から問題にしていないではないか!

話の拡散を図り、回答から逃げているのは貴殿だと云うことを自覚しなさい!

> >さらに、『故道善御坊は(中略)後にはすこし信じ給いたるやうにきこへしかども、臨終にはいか
> >にやおはしけむ。おぼつかなし。地獄まではよもおはせじ。又生死をはなるる事はあるべしともお
> >ぼへず。中有にやただよひましますらむとなげかし。』(本尊問答抄)
> >↑この御指南では、生前の不信心の故、死後も成仏できないと御指南されている。
> >さて、どちらなのだ?(微笑)


> 小笑。三世諸仏の御本意に叶い、二聖の擁護を以って即身成仏すれば、其れこそすぐに生まれ変わる
> (永遠の生命からして〝連続〟)という事であろう。別段、小生は其れを否定しない。
> 又、故道善房に対する御文は、其の謗法たる死後の命をして、常に彷徨うとの形容を以って述べられ
> たものであり、お主が云う様な『生前の不信心の者は、死後も成仏できない』などと云う意で申して
> いるのでない。果たしてこれこそは、お主がいみじくも引用している『予が法門は四悉檀を心に懸け
> て申すならば、強ちに成仏の理に違わざれば且らく世間普通の義を用ゆべきか』に当たるものであり、
> 其れこそは、教義本来の大義を強ちにせず、其の時々の心情を以って説かれたものである。
> つまり、小生からして、両文とも受け入れられるものであり、其れよりも、大聖人の御形容を以って、
> 『大聖人は不信心の者は、死後も成仏できないと言っている』などと解釈するは、其れこそ法華経は
> 永不成仏の経である、と宣言しているに等しい暴言である。お主は其の浅薄な解釈を恥じて、今こそ、


おいおい!だから

『予が法門は四悉檀を心に懸けて申すならば、強ちに成仏の理に違わざれば且らく
世間普通の義を用ゆべきか』

との文証を証拠としてだしたのだよ!

『本尊問答抄』の該当御文を訳してごらん!(笑)
道善房は、大聖人の弟子であるが、臨終まで法華経に帰依しなかった。

分かるよな?(笑)


> >翻って、貴殿が全く無視をしている「中有」について、更に詳しく述べておく。
> >「中有」は、死の瞬間(死有)から次の生を受ける(生有)までの間の事で、霊魂身と
> >でも名づけるような身体をもつのである。
>
> 哀笑。小生は何も『中有身(小生が学会男子部員の時は、此の様に言っていた)を無視していたのでは
> ない。本より、中有身は死後の生命であるから、敢えて括っていたのである。勘違いするでない。
> よいか、ロム殿。お主が中有身を持ち出して、色々と屁理屈を述べようとも、中有身は死んだ後の
> 姿であり、お主が云う様に、次の生を受けるまでの、所謂、死後の生命なのである。
> 尚、此の中有身は、此の法界に於いて、男女の交合いの時、其の精子と卵子の結合の瞬間に、其の業
> に感応して、瞬時に女性の胎内に入ると云う。して、此の中有身は、どんな物質をもっても遮る事は
> 出来ない、とされている。小笑。まぁ、其の事はよい。

> >この「中有」は、生前の業をそのままに、裁きを受け、そのままの業を持ち来世に生ま
> >れるのだよ。(笑)つまり、貴殿の言うところの「冥界(死後の世界)」の成仏などありえない。
>
> ならば其の言は、日蓮大聖人の『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え
> 奉る時・題目の光無間に至りて即身成仏せしむ』との御金言に反するものであるから邪義である。


よろしい。邪儀と言い切ったな。(爆)

では、間もなく来客なので、後ほど後編は破折する。
 

管理人殿、質問です

 投稿者:某男子部員  投稿日:2012年 3月 4日(日)18時58分6秒 i60-42-60-87.s10.a027.ap.plala.or.jp
返信・引用
  管理人殿は普段からそのような口調なのでしょうか  

ロム殿

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月 4日(日)14時31分17秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用 編集済
  なんだ、小生の首は、びくともしておらんぞ。小笑。

ロム殿。だから言ったであろう。お主のアヒル刀では所詮、無理な事であると。

其れにしても、あれだけ後付の言い訳を書き増してはならん、と言い付けておったのに、あれや
これやとベタベタ貼っておる。哀。

なんだ、小生からの最終の詰問に何ら答えていないではないか。

其れよりも『死後の成仏は無い! 死後の成仏などは大聖人の仏法ではない!』と、弥増して断言
しておる。困ったものよのぉ。哀笑。

よいか。もはやお主の細首は土面に落ちいている。して、其れでも尚、ベチャクチャ鳴いておるから、
小生は過日、其の土面に切り落とされた、お主の其のアヒル首を、更に上から踏んづけたのである。

するとお主は、其の踏み付けられている窮屈な土面から、遥か上にある小生の顔を、恨めしく仰ぎ覩
(み)ながら、「貴殿、もう終わってるぞ。頸を落としてしんぜよう、お楽しみに」などと、其れこそ
アヒルよろしく最後の足掻(あが)きを見せてくれた。

して、其のバタつかせた強がりを楽しみにしておったが、いやはや、何とも情けない内容である。
応に其れこそは、誤訳と付会と我見のオンパレードである。呆。

ロム殿。その様な歪曲したアヒル刀では、愈々(いよいよ)増して、小生の太首などは切れんぞ。

もはや、此れが最後である。其のお主の腐りかかった細首を、撒き散らかしたゴミ(邪文)と共に焼却
してしんぜよう。そして、最終最後の詰問をお主に与えよう。

>『雑々聞書』の冒頭にお示しの様に、「後生成仏は石山の化儀ではないと仰せだ。
>更に、たとえ、世間の通例で用いたとしても、当流では用いない、この経を受持する信心無二の
>ところが妙法蓮華経であり、当門流はそこに実義を立てている」と、かかれているではないか。

呆笑。

ロム殿。其の事は随分前に既に答えておろう。

つまり『お主が引用せし「連陽房雑々聞書」の一文は、法華信徒たるもの、後生の成仏のみを期する
のではなく、其の受持する処の経(本尊)を以って、其の信心無二なる能持をして、今生の即身成仏を
叶うべきである、との申し様であって、決して冥界に於ける成仏を否定したものではない。其の事は
後半の文意からして一目瞭然である』と云う事である。よいか。上記文『後生成仏』の意が、死後の
即身成仏義を否定する意であるならば、後文の『又親師匠不信なれども其の跡を継ぐ子・弟子能信な
れば又成仏すと云へり』などと云う筈もない。つまり『後生成仏』とは、死してこその成仏という、
浄土思想の意を以って述べたものであり、其れこそは、ただ死して来世の浄土を望み、今世に於ける
一生成仏、延いては煩悩即菩提の信心を疎かにするなどは、当宗の義ではないという意なのである。
つまり、当宗の義は後生の成仏を欣求するのではなく、今世での成仏を第一義とする、との意である。
決して、死後の成仏義を否定したものではない。

よいか。誤訳してはならんぞ

尚、お主の、

>しかし、翻って有師の言葉の「後生成仏は石山の立義ではない」と云う言葉には、暗い宗門史に
>一条の光を見出す思いである。

という弁を借りれば、以下の

『今生の悦びは夢の中の夢、霊山浄土の悦びこそ実の悦びなれと思し食し合はせて又南無妙法蓮華経
と唱へ、退転なく修行して最後臨終の時を待って御覧ぜよ』(新編 1051) との日蓮大聖人の御金言に
唾するものであり、実に此の御金言こそ、上記『後生成仏』の意が、死後の成仏を否定していない、
という文証となるのである。

お主は『後生成仏』の文意を取り違えたのである。呆笑。先ずは其の恥じを知りなさい。

>大笑いだよ!私は、大聖人の法義であるかどうかを聞いているのだ!
>それが、なんだ!?石山の有師の化儀を持ち出してきてどうするの?(爆)
>はっきりと、「大石寺の義に云く」と書かれているじゃないか。(苦笑)

小笑。

本より曰く『当宗に於て信の道の大切なる事は親師匠能信の徳に依って即身成仏したまひたる其の跡
を継ぎたる弟子など不信なれば其の親・師匠を悪趣に輪廻させんずるなり。又親師匠不信なれども其
の跡を継ぐ子・弟子能信なれば又成仏すと云へり』とは、当宗の成仏義であり、当宗の成仏義こそが
日蓮大聖人の法義である。其の事は小生が提示した御義口伝の御文からして明確である。

加えて曰く『阿弥陀仏の本願と法華経の文と真実ならば法然上人は無間地獄に堕ちたる人に非ずや、
一切の経の性相に定めて云く師堕つれば弟子堕つ弟子堕つれば檀那堕つと云云、譬えば謀叛の者の
郎従等の如し』と。

よろしいか。此の御金言からしても、日有上人の御教示は、須らく日蓮大聖人の法義に沿っているの
であり、上記御文は、其の現実の成仏義について述べられているのである。

お主が云うような、単なる信心の戒めではないのである。

>(笑)つまり、貴殿も私も示した有師文書『雑々聞書』は、
>終始一貫、蓮祖のお言葉ではなく、石山の教義、すなわちローカルルールなのだよ。

日興上人已来、唯我一人の法脈を伝う富士大石寺に於いて、其の中興の祖たる日有上人が示したる
宗義は、須らく日蓮大聖人の御教示をして連綿とするものであり、又、其の大根本を以って化儀を
正則したものである。而して『当宗の本尊の事、日蓮聖人に限るべし』と御教示された日有上人こそ、
応に正系の御正師たる証なのであって、お主らこそも、其の大教義を以って、日寛上人書写の本尊を、
日蓮大聖人の魂魄(こんぱく)として拝しているのでないか。恰(あたか)も日有上人の御教示が、大聖人
の法義から終始一貫外れている様な言い草は止めた方がよい。上人に対して無礼である。

尚、恩師戸田先生は生涯、富士大石寺の大信者であられた。其の大石寺の大信者たる恩師の指導を引
いて小生にモノを申すならば、其の大石寺をしてローカルなどと嘲笑してはならん。又、恩師が其の
生涯に於いて体得された宗義を、一地方寺院のルールであったなどと云うは、まさしく恩師に対する
侮蔑である! お主は、創価学会員として、恩師の御魂に謝罪しなさい! よろしいか!

>管理人殿、大聖人の文証をストレートに示しなさい。
>後世の人師論師の釈ではダメ!

日有上人が後世の人師であるならば、日興上人とて後世の人師となり、お主らが日蓮大聖人直結の
御正師と仰ぐ日寛上人さえも後世の人師となるのである。つまり、お主からして、それら後世の人師
が釈したものは全てダメだ、と云う事になる。呆笑。お主こそは、創価学会に於ける日寛上人本尊の
下付の大義を、今一度、退転坊主から聞いた方がよろしい。哀笑。

尚、大聖人のストレートなる御文証は、何度も醜いアヒルには見せておる。

曰く『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に
至りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり』と。

仍って日有上人が曰く『仏事追善の引導の時の回向の事、私の心中有るべからず。経を読みて此の経
の功用に依って、当亡者の戒名を以って無始の罪障を滅して成仏得道疑いなし。乃至法界平等利益』

と。

此の両の御文に於いて、死後の成仏義が示されてる事は、少しの教学と読解力があれば、容易に解
かるものである。

して、お主は『死後の成仏などは無い! 其れは大聖人の法義ではない!』と断言した。

だから、小生は御義口伝の文証を以って、問い詰めているのである。

>ほっほう~なるほど。^m^

>しかし、別の御書では、

>『三世諸仏の御本意に相い叶い二聖・二天・十羅刹の擁護を蒙むり滞りなく上上品の寂光の往生を
>遂げ、須臾の間に九界生死の夢の中に還り来つて、身を十方法界の国土に遍じ、心を一切有情の身
>中に入れて、内よりは勧発し、外よりは引導し、内外相応し、因縁和合して、自在神通の慈悲の力
>を施し、広く衆生を利益すること滞り有るべからず』(総勘文抄)

>↑どうだ、「生前成仏を遂げて亡くなった生命は、瞬時に九界迷いの世界に帰還して、自由自在の
>慈悲の力を発揮して利益する」とも御指南されている。(笑)

呆。だから小生は成仏を遂げた者の死後を論じているのではない。不成仏の者が其の死後に於いて
成仏するを論じているのである。して、お主は『其れは大聖人の法義ではない!』と断言したから、
今の今までお主の珍論を問い詰めているのである。お主、現状を把握しておるのか。しっかりと致せ。

>さらに、『故道善御坊は(中略)後にはすこし信じ給いたるやうにきこへしかども、臨終にはいか
>にやおはしけむ。おぼつかなし。地獄まではよもおはせじ。又生死をはなるる事はあるべしともお
>ぼへず。中有にやただよひましますらむとなげかし。』(本尊問答抄)

>↑この御指南では、生前の不信心の故、死後も成仏できないと御指南されている。
>さて、どちらなのだ?(微笑)

小笑。三世諸仏の御本意に叶い、二聖の擁護を以って即身成仏すれば、其れこそすぐに生まれ変わる
(永遠の生命からして〝連続〟)という事であろう。別段、小生は其れを否定しない。

又、故道善房に対する御文は、其の謗法たる死後の命をして、常に彷徨うとの形容を以って述べられ
たものであり、お主が云う様な『生前の不信心の者は、死後も成仏できない』などと云う意で申して
いるのでない。果たしてこれこそは、お主がいみじくも引用している『予が法門は四悉檀を心に懸け
て申すならば、強ちに成仏の理に違わざれば且らく世間普通の義を用ゆべきか』に当たるものであり、
其れこそは、教義本来の大義を強ちにせず、其の時々の心情を以って説かれたものである。

つまり、小生からして、両文とも受け入れられるものであり、其れよりも、大聖人の御形容を以って、
『大聖人は不信心の者は、死後も成仏できないと言っている』などと解釈するは、其れこそ法華経は
永不成仏の経である、と宣言しているに等しい暴言である。お主は其の浅薄な解釈を恥じて、今こそ、
大聖人に対する非礼を詫びなさい! よろしいか!

>翻って、貴殿が全く無視をしている「中有」について、更に詳しく述べておく。
>「中有」は、死の瞬間(死有)から次の生を受ける(生有)までの間の事で、霊魂身と
>でも名づけるような身体をもつのである。

哀笑。小生は何も『中有身(小生が学会男子部員の時は、此の様に言っていた)を無視していたのでは
ない。本より、中有身は死後の生命であるから、敢えて括っていたのである。勘違いするでない。

よいか、ロム殿。お主が中有身を持ち出して、色々と屁理屈を述べようとも、中有身は死んだ後の
姿であり、お主が云う様に、次の生を受けるまでの、所謂、死後の生命なのである。

尚、此の中有身は、此の法界に於いて、男女の交合いの時、其の精子と卵子の結合の瞬間に、其の業
に感応して、瞬時に女性の胎内に入ると云う。して、此の中有身は、どんな物質をもっても遮る事は
出来ない、とされている。小笑。まぁ、其の事はよい。

>この「中有」は、生前の業をそのままに、裁きを受け、そのままの業を持ち来世に生ま
>れるのだよ。(笑)つまり、貴殿の言うところの「冥界(死後の世界)」の成仏などありえない。

ならば其の言は、日蓮大聖人の『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え
奉る時・題目の光無間に至りて即身成仏せしむ』との御金言に反するものであるから邪義である。

よいか。御義口伝とは、富士宗門の宝義であり、日蓮大聖人からの口伝を、大石寺御開基・日興上人
が筆受された珠玉の書である。そこには悉檀も方便もない。そのすべてが大聖人に於ける真実の法義
である。

しかし、お主は『死後の成仏は、大聖人の法義ではない』と云う。

だから小生は、大聖人が御教示された御義口伝の御文と、お主の珍言と、一体どちらが正義であるの
か、という事を問い質しているのである!

して、お主は『(大聖人の法義からして)死後の成仏はありえない!』と重ねて断言した。

つまり、御義口伝に示された御金言に逆らい、未だ己義邪義を述べまくるお主こそが、まさに邪宗の
防人ではないか! と小生は申しているのである!

よいか。

お主らの仏教哲学大辞典(以下「仏哲」)には、こう書いてある。

「死んだ人が、たとえ地獄界の衆生になっても、塔婆供養することにより、三大秘法の御本尊に縁
して成仏することが出来る』と。つまり、命終の死に於ても、応に成仏の義が在るという事である。

よいか。お主は『死後の成仏はありえない!』と言ったのであるぞ。

しかし、大聖人は『ある!』と仰せなのである!

だから、どちらが正しいのか、と詰問しているのである!

あるのか、ないのか。

して、死後の成仏はない、と云うのであれば、お主は大聖人の仏法に違背する者であるから、邪教の
徒輩となるのであり、創価学会こそが邪教の証しとなるのである!

尚、お主は、中有はすぐ生まれ続くから、死後の世界など、其の瞬間も無い、などと云う様な事を
言っておるが、其れこそは以下の仏哲の一文を以って、お主の邪論を摧破してしんぜよう。よいか。
己が教団が発行する大辞典の記事を、紙背に徹してよく読みなさい。

『生前の生命のこのような変化(肉体・精神に於ける一瞬一瞬の変化)と連続の、過去および未来に
対する延長が永遠の生命である。人間が死ねば、その生命は大宇宙の生命の中に溶け込み、有無の
概念では把握しえない空という状態で連続する。そして縁にふれて、五十年、百年、または一年後
に再びこの娑婆世界に、前の生命の連続として出現してくるのである』と。(死後の世界/156頁)

果たして、お主の、追善する暇も無い『今世来世瞬間移動説』と、上記仏哲による死後の生命観と、
一体どちらが、御義口伝の、

『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて
即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり』との御金言に合致するのか。

つまり、『大聖人の仏法に、死後の成仏はありない』と断言した、其のお主の論と、
日蓮大聖人の御義口伝、日有上人の聞書、そして、上記仏哲が示す内容と、一体どちらが正しいのか。

よいか。最後に申す!

『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて
即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり』との御文証と、

『大聖人の仏法に、死後の成仏はありない』としたお主の論と、

一体、どちらが正しいのか。

お主は、其れを宣べなさい。

尚、不答の場合は、お主を論敗者と断じ、当室は、其の決したるを、此に表記する。

さても、返す刀で、再びアヒルの細頸を刎ねるとは思わなんだ。

お主も罪よのぉ。哀笑。

小笑。其れにしても『「中有」は、生前の業をそのままに、裁きを受け、そのままの業を持ち来世に
生まれるのだよ。(笑)』との言い分は面白い。はて『裁きを受け』とは、何を以って裁かれるのか。
加えて其の『裁き』は、四十九日間、其れこそ日蓮大聖人の追善回向を以ってしても詮無き事なのか。

暇があったら、教えて貰いたいものである。鼻笑。

では、ロム殿。

最後の返答を待っておる。

よいか、ツベコベの言い訳は、もう要らんぞ。

尚、成仏した者に追善と引導は絶対必要か、という下らない質問については、お主の論敗宣言の後と
させて戴く。

言って置くが、お主が論敗を認めない、という事は、そのまま日蓮大聖人の生死に亘る即身成仏義を
否定する事となるから、お主は其の覚悟で答えられよ。よろしいな。

では待っておる。
 

Re: ロム殿

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 3月 3日(土)21時09分29秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  > No.44127[元記事へ]

ロム男さんへのお返事です。

> 管理人さんへのお返事です。

> 大笑いだよ!私は、大聖人の法義であるかどうかを聞いているのだ!
> それが、なんだ!?石山の有師の化儀を持ち出してきてどうするの?(爆)


アハハ、こりゃ駄目だ、ロム男君よ、貴殿ホントに大丈夫かい?・・・その頭!

大月天氏はな~~~~~んかい~~~も、御書を出して説明されているではないか!!!

君はホントにトッカンロム男だね!
 

おやすみ前に、一言。(^.^)

 投稿者:ロム男  投稿日:2012年 3月 3日(土)02時49分1秒 p8039-ipngn100108osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  『大石寺の義に云く、縦(たと)ひ親・師匠は信心堅固にして得道すとも弟子等の所々に
退転有らば其の師輪廻すべきなり云々。仰せに云ハく・此の義相違無きなり』
(雑々聞書)

さて、この有師の文証は、大聖人の法理から見ると成り立つのであろうか?

ある人曰く、

「成仏を果たした人は、死後、常に受動的な立場にしか置かれないのか?
成仏を果たした故人が、遺族に対し能動的に妙法の功徳を回向すると云う、可能性は、
無いのだろうか?結論的に言えば、成仏者は、娑婆世界に再生し、前世における家族に
も回向をしていると考えるのが、三世(過去・現在・未来)における、大聖人の生命観
であり、成仏観であると考えられる。」

『六道四生の衆生に男女あり、此の男女は皆我等が先生の父母なり、一人ももれば仏に
なるべからず』(法蓮抄)

↑と観ずるのが、仏の境涯であるならば、有師の『雑々聞書』の文は、
信心の戒めとしか考えられないのである。

眠た~い。。。。。おやすみなさ~い。(-_-)zzz
 

Re: ロム殿

 投稿者:ロム男  投稿日:2012年 3月 3日(土)01時35分45秒 p8039-ipngn100108osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  管理人さんへのお返事です。


さて、リクエストにお答えしよう。

なお、私の回答は、別しては管理人殿、総じては、頭破七分の法華講諸氏に捧げる。^m^

では、亡者管理人殿の頸を刎ねさせて頂こう。笑笑笑


> >先にも書いたが、私は、現世で即身成仏(一生成仏)を果たした者は、その仏果
> >により、三世永劫に亘り、御本尊の下に生を受けると一貫して言っている。
>
> だから其れは、お主が単に言い張っているだけであって、仮令(たとえ)一生成仏を遂げた者であろう
> とも、其の死後、親類縁者などが退転し、邪教を信じ、其の邪教を以って回向せば、其の亡くなった
> 者(亡者)の命は、忽(たちま)ちにして苦悶するのである。だからこそ追福追善の回向が重要なのであり、
> だからこその常盆・常回向なのである。
> して、其の文証は、前(さき)にも示したとおり、
> 『又云く、当宗に於て信の道の大切なる事は親師匠能信の徳に依って即身成仏したまひたる其の跡を
> 継ぎたる弟子など不信なれば其の親・師匠を悪趣に輪廻させんずるなり。又親師匠不信なれども其の
> 跡を継ぐ子・弟子能信なれば又成仏すと云へり』(有師談諸聞書)
> 『大石寺の義に云く、縦(たと)ひ親・師匠は信心堅固にして得道すとも弟子等の所々に退転有らば其
> の師輪廻すべきなり云々。仰せに云ハく・此の義相違無きなり』(雑々聞書)
> との御文であり、しかも上記の御文証は、お主が先に示した文の後文に記されているものである。
> しかもお主は、上記御文をして、
> 『親・師匠が、即身成仏しても、子供・弟子が不信であれば、親・師匠も迷いの境智に入り、その
> 反対に、親・師匠が不信であっても、子供や弟子が、篤信者であれば、成仏すると言われているの
> だろ!』
> と、しっかりと正訳しているではないか。して、上記の内容はこそは、今世・来世に亘るものであり、
> 又、其の事は、小生が前(さき)に示した御義口伝の御文に於いて裏付けられるものである。
> 仍って、一生成仏を遂げた者は、未来永劫、成仏した儘である、というのはお主の我見であり、設い
> 成仏しようとも、其の師匠・弟子・親類・縁者なとが、邪教を以て回向するならば、其の死後の命は、
> 此の法界に冥伏する世界に於いて苦悶するのである。
> そして、其れこそが日蓮大聖人の仏法なのである。


大笑いだよ!私は、大聖人の法義であるかどうかを聞いているのだ!
それが、なんだ!?石山の有師の化儀を持ち出してきてどうするの?(爆)
はっきりと、「大石寺の義に云く」と書かれているじゃないか。(苦笑)

貴殿の示した有師の文証は、信心の戒めを仰せになっているのだよ!

この『雑々聞書』の冒頭にお示しの様に、「後生成仏は石山の化儀ではないと仰せだ。
更に、たとえ、世間の通例で用いたとしても、当流では用いない、この経を受持する
信心無二のところが妙法蓮華経であり、当門流はそこに実義を立てている」
と、かかれているではないか。(笑)

つまり、貴殿も私も示した有師文書『雑々聞書』は、終始一貫、蓮祖のお言葉では
なく、石山の教義、すなわちローカルルールなのだよ。

では、私が何故、『雑々聞書』を示したかって?

それは、貴殿は自宗のルールに違えてることを言ってるからだよ!

しかし、翻って有師の言葉の「後生成仏は石山の立義ではない」と云う言葉には、
暗い宗門史に一条の光を見出す思いである。

管理人殿、大聖人の文証をストレートに示しなさい。

後世の人師論師の釈ではダメ!

改めて聞く!貴殿の示した有師の文証を裏付ける、大聖人の御指南を示しなさい。


> されば法蓮抄に曰く『若し能く持(たも)つこと有らば即ち仏身を持つなり』と。
> して曰く『(此の法華経の)一々の文字変じて日輪となり、日輪変じて釈迦如来となり、大光明を放っ
> て大地をつきとおし、三悪道無間大城を照らし、乃至東西南北、上方に向かっては非想非非想へもの
> ぼり、いかなる処にも過去聖霊のおはすらん処まで尋ね行き給ひて、彼の聖霊に語り給ふらん』と。
> 仍って申さく『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光
> 無間に至りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり』と。
> お主が云う『一生成仏を遂げた者は、死後の世界での即身成仏は必要ない』とは、あくまでも妙法を
> 堅持しての前提で成るものであり、其の親類縁者の正法護持を以って、それら法界に冥伏する生命、
> つまり、死後の生命への追善供養と相成るのである。
> したがって『死後の世界の即身成仏などは、大聖人の法義ではない』と云うのは、お主の明らかな誤
> りであり、其れは再三申しているとおり、御義口伝の御文、
> 『題目の光無間に至りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり』に違背する邪義なのである。

ほっほう~なるほど。^m^

しかし、別の御書では、

『三世諸仏の御本意に相い叶い二聖・二天・十羅刹の擁護を蒙むり滞りなく上上品の寂
光の往生を遂げ、須臾の間に九界生死の夢の中に還り来つて、身を十方法界の国土に遍
じ、心を一切有情の身中に入れて、内よりは勧発し、外よりは引導し、内外相応し、因
縁和合して、自在神通の慈悲の力を施し、広く衆生を利益すること滞り有るべからず』
(総勘文抄)

↑どうだ、「生前成仏を遂げて亡くなった生命は、瞬時に九界迷いの世界に帰還して、
自由自在の慈悲の力を発揮して利益する」とも御指南されている。(笑)

さらに、『故道善御坊は(中略)後にはすこし信じ給いたるやうにきこへしかども、
臨終にはいかにやおはしけむ。おぼつかなし。地獄まではよもおはせじ。
又生死をはなるる事はあるべしともおぼへず。中有にやただよひましますらむとなげ
かし。』(本尊問答抄)

↑この御指南では、生前の不信心の故、死後も成仏できないと御指南されている。

さて、どちらなのだ?(微笑)

つまり、『予が法門は四悉檀を心に懸けて申すならば、強ちに成仏の理に違わざれば且
らく世間普通の義を用ゆべきか』(太田左衛門尉御返事)

また、『此の戒(随方毘尼)の心はいたう事かけざる事をば、少少仏教にたがふとも其
の国の風俗に違うべからざるよし仏一つの戒を説き給へり』(月水御書)

分かるよな、、、(苦笑)

つまり、大聖人は信仰には厳格でありながら、遺族の心情には思い遣りのお心があられ
る故、そのお心を師匠と仰ぎ奉るのある。

教義的に言えば、「四悉檀」「随方毘尼」と言うことだろ。

翻って、貴殿が全く無視をしている「中有」について、更に詳しく述べておく。

「中有」は、死の瞬間(死有)から次の生を受ける(生有)までの間の事で、霊魂身と
でも名づけるような身体をもつのである。

この「中有」は、生前の業をそのままに、裁きを受け、そのままの業を持ち来世に生ま
れるのだよ。(笑)

つまり、貴殿の言うところの「冥界(死後の世界)」の成仏などありえない。

故人の来世と云うのは、見送った者の側から見れば来世であるが、故人は既に現世で
営みをしているのだ。

分かるか?

私たちが追善回向をするのは、聖霊(故人)に送る追善だが、その聖霊は既にこの世に
生をうけているのだよ!

そして、回向は故人のみならず、現世に生きる縁者にも送られ、その功徳が己の功徳と
なって現れる。これが、大聖人の仏法また視点から見た、御義口伝の拝しかただろ。

無間地獄と言っても他の場所にあるのではなく、全て自分の心の内、つまり、現世にあ
ると言うのが、大聖人の御指南だ。即身成仏・一生成仏は、現世成仏だろ。(大笑)


> 尚、お主が執拗に引用している「浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし、只我等が心の善悪による
> と見えたり」という一生成仏抄の御文は、己心における十界互具を示されたものであり、死後の成仏・
> を否定するものではない。

貴殿は、「冥界(死後の世界)にも即身成仏義はある」と言ってたんだぞ!(爆笑)
一生成仏は、現世成仏だろ!

貴殿に相応しい詭弁である!(嘲笑)

> 又、『今法華経と申すは一切衆生を仏になす秘術まします御経なり。  所謂地獄の一人・餓鬼の一人・
> 乃至九界の一人を仏になせば一切衆生・皆仏になるべきことはり顕る』との法蓮抄の一節も、今世に
> 於ける妙法の功力を示されたものであり、此の御文とて、死後の成仏を否定されたものではない。


この御文は、貴殿の言うように妙法の功徳を仰せの御文だ。
いみじくも、貴殿も「今世に於ける」と言ってるじゃないか。(笑)
来世じゃないって。つまり、一切衆生は題目の功徳によって一生成仏(今世)するので
あって、死後の葬儀と云う通過儀礼や坊さんの引導など関係がないと言っているのだ。
一生成仏は、己の唱えた題目によって、己の信じた御本尊によって果たすものである。


> 尚、お主は、『他の世界に、浄土・地獄が存在すると本気で思っているのか?』などと言っておるが、
> そんな事は、『死後の世界が架空のものと云うのは、地獄や浄土が実際に存在するわけではないと云
> う意味だ!』という、お主自身の言葉に答えが在るのであって、本より小生は、其の初手からして、
> 地獄に閻魔が居て、棍棒を持った獄卒が罪人を追い回している、などとは言っていないし、極楽浄土
> に阿弥陀が微笑んで待っている、とも言ってはいない。小生は、終始一貫、其の命終せし生命が、
> 此の法界に冥伏し、其の命をして十界を感ずるを申しているのである。つまり、そういう意味での
> 死後の生命であり、そういう意味での死後の成仏なのである。


おいおい!だんだんと論調が変わってきたぞ!(苦笑)

では、死後、別の世界に地獄や浄土があるというのを貴殿も否定するのだな。
よろしい。


> 而して、上記のお主の回答を受けるならば、小生が云う処の死後の世界が、閻魔獄卒・阿弥陀極楽を
> 指していない以上、小生が述べている死後の世界、つまり、此の法界に冥伏する命の世界とは、決し
> て架空のものではない、という事になるのである。


過去の書き込みを見てごらん。貴殿の変節が手に取るように分かる。


> 仍って『死後の世界は架空のもの』とするは、お主の全くの謬論であり、お主こそが死後の世界とは、
> 其の様な作り話のものであるから、死後の地獄・死後の成仏などはない、などと初手から小生が言っ
> ていない事を、そのように定義付けたのである。
> つまり其の事を返せば、死後の世界は決して架空のものではなく、今の現世と密接に関わっているの
> である。だからこその『生の仏・死の仏』であり、だからこその生死に亘る即身成仏義なのである。


私は、何度も貴殿に、「浄土や地獄が別世界にあると思っているのか」と問い質した。

今頃、取り繕って発言するなら、何故、その時に答えなかったのだ。
後だしは、貴殿の敗北である。

> >「しかし、今世で成仏しようとも、死後、親類縁者などが、邪法を以て追善せば、
> >其の死後に於て、其の生命は忽(たちま)ちにして苦悶するを、小生は述べたのである。」
>
> >↑これは、大聖人の法門なのか?
>
> 本より、此れは、日蓮大聖人の法義である。

大聖人の法義なら大聖人の御指南を示しなさい。

以上、私が述べたように、大聖人の法義における、即身成仏を果たして逝った死者の、
死後の世界での即身成仏は必要ないのである。
三世を貫く生死因果の理である。

では、貴殿の胴体と頸を切り離すとしよう。(ごめんね)

恩師戸田先生『開目抄講義』に云く。

「現在生存するわれらは死という条件によって大宇宙の生命へとけ込み、空の状態に
おいて業を感じつつ変化して、なんらかの機縁によってまた生命体として発現。
かくのごごとく死しては生まれ生れては死し、永遠に連続するのが生命の本質である」
(戸田先生『開目抄』講義)

↑まさに、大聖人の「中有の道」を現代的に表された名講義ではないか!

恩師は更に申される。

「六道の実感は六道のままに、仏の生命は仏の生命のままに大宇宙の生命に溶け込み、
やがて前世と同じような新しい生を営む」

↑わかるでっしょ。(笑)「生まれ変わり」ではなく「生まれ続き」なんだよ!

そして、来世(故人の現世)も、前世で即身成仏した者は、その因果によって御本尊の
下に生まれ、即身成仏を果たす。逆縁の衆生は、私たちの追善回向により、御本尊に縁
し、即身成仏(一生成仏)を果たす。

これが、三世を貫く因果だよ!

御義口伝に云く。

「本有の生死とみれば無有生死なり生死無ければ退出も無し唯生死無きに非ざる
なり、生死を見て厭離するを迷と云い始覚と云うなりさて本有の生死と知見する
を悟と云い本覚と云うなり」

いいか!生死輪廻に拘る、葬式仏教の信奉者諸氏よ!

生死輪廻に囚われて、本質を見失うな。

葬儀は、一生成仏・即身成仏を果たした者に、必要不可欠の通過儀礼か!

一生成仏を果たした故人の葬儀に、坊さんの引導は必要か!

これが、私の初手の質問である。答えよ!

日興上人と田吾作とどっちを取るって?(大爆笑)

これこそ、幼稚園児の質問ではないか!^m^

 

ロム殿

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月 2日(金)17時36分49秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  >苦笑
>貴殿、もう終わってるぞ。(笑)
>まったく、的外れな回答を寄越している。
>大笑いさせて頂いた。

哀笑。そうか。大笑いしたか。

其の前に、小生は呆れ返っておる。哀。

何、頸を落としてしんぜよう、とな。

おいおい、既に頚が土面に落ちて、碌な返答も寄こせぬ者が、今更何を云うか。呆笑。

よいか。

小生の最終の詰問に答える事なく、同じ様な文句を言い回し、後付の言い訳を書き増すような返答を
寄こしたならば、其の時点でお主を論敗者と見なすぞ。

本より、其の後の負け惜しみについては、当室は一切関知しない。

して、其れを突破せんとするならば、須らく小生からの詰問に答える可し。

尚、小生は、明日一日不在となる。して、本日は午後十一時頃より就寝する。

果たして、お主のアヒル刀で、小生の首が落せるか、楽しみにしていよう。

よいか! 出来ずんば論敗であるぞ!
 

管理人殿

 投稿者:ロム男  投稿日:2012年 3月 2日(金)15時39分28秒 wb89proxy12.ezweb.ne.jp
返信・引用
  > No.44123[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。


苦笑

貴殿、もう終わってるぞ。(笑)


まったく、的外れな回答を寄越している。

大笑いさせて頂いた。

きょうは、民音のコンサートで遅くなるが、頸を落としてしんぜよう。

お楽しみに。(=^▽^=)
 

ロム男殿

 投稿者:通りすがりの法華講  投稿日:2012年 3月 2日(金)13時04分52秒 pw126211066015.37.tik.panda-world.ne.jp
返信・引用
  そろそろはっきりと
ない あるどちらか返答してはどうか?

見れば貴殿の回答は、全てで?←マークがついているではなか

自分の意見、回答をはぐらかし
負けそうになると、そんなことはは言ってないと
逃げ道を作っているように見える
法太郎氏に褒められたぐらいの、研究熱心で知られるロム男氏ではあるが
あまり男らくないように感じるぞ
 

ロム殿

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月 2日(金)12時33分14秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用 編集済
  哀笑。

もう、観念した方がよい。

見れば見る程、論詰まりの様相である。哀。

さて、お主にも愈々(いよいよ)引導を渡す時が来たようであるな。

して其れこそは、既に刎ねられて土面に落ちている、お主の其の細首を、更に上から踏んづける意味
での引導である。最早これ以上のダメ押しはあるまい。哀笑。

よいか、此れが最後であるぞ。

>先にも書いたが、私は、現世で即身成仏(一生成仏)を果たした者は、その仏果
>により、三世永劫に亘り、御本尊の下に生を受けると一貫して言っている。

だから其れは、お主が単に言い張っているだけであって、仮令(たとえ)一生成仏を遂げた者であろう
とも、其の死後、親類縁者などが退転し、邪教を信じ、其の邪教を以って回向せば、其の亡くなった
者(亡者)の命は、忽(たちま)ちにして苦悶するのである。だからこそ追福追善の回向が重要なのであり、
だからこその常盆・常回向なのである。

して、其の文証は、前(さき)にも示したとおり、

『又云く、当宗に於て信の道の大切なる事は親師匠能信の徳に依って即身成仏したまひたる其の跡を
継ぎたる弟子など不信なれば其の親・師匠を悪趣に輪廻させんずるなり。又親師匠不信なれども其の
跡を継ぐ子・弟子能信なれば又成仏すと云へり』(有師談諸聞書)

『大石寺の義に云く、縦(たと)ひ親・師匠は信心堅固にして得道すとも弟子等の所々に退転有らば其
の師輪廻すべきなり云々。仰せに云ハく・此の義相違無きなり』(雑々聞書)

との御文であり、しかも上記の御文証は、お主が先に示した文の後文に記されているものである。

しかもお主は、上記御文をして、

『親・師匠が、即身成仏しても、子供・弟子が不信であれば、親・師匠も迷いの境智に入り、その
反対に、親・師匠が不信であっても、子供や弟子が、篤信者であれば、成仏すると言われているの
だろ!』

と、しっかりと正訳しているではないか。して、上記の内容はこそは、今世・来世に亘るものであり、
又、其の事は、小生が前(さき)に示した御義口伝の御文に於いて裏付けられるものである。

仍って、一生成仏を遂げた者は、未来永劫、成仏した儘である、というのはお主の我見であり、設い
成仏しようとも、其の師匠・弟子・親類・縁者なとが、邪教を以て回向するならば、其の死後の命は、
此の法界に冥伏する世界に於いて苦悶するのである。

そして、其れこそが日蓮大聖人の仏法なのである。

されば法蓮抄に曰く『若し能く持(たも)つこと有らば即ち仏身を持つなり』と。

して曰く『(此の法華経の)一々の文字変じて日輪となり、日輪変じて釈迦如来となり、大光明を放っ
て大地をつきとおし、三悪道無間大城を照らし、乃至東西南北、上方に向かっては非想非非想へもの
ぼり、いかなる処にも過去聖霊のおはすらん処まで尋ね行き給ひて、彼の聖霊に語り給ふらん』と。

仍って申さく『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光
無間に至りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり』と。

よろしいか。

お主が云う『一生成仏を遂げた者は、死後の世界での即身成仏は必要ない』とは、あくまでも妙法を
堅持しての前提で成るものであり、其の親類縁者の正法護持を以って、それら法界に冥伏する生命、
つまり、死後の生命への追善供養と相成るのである。

したがって『死後の世界の即身成仏などは、大聖人の法義ではない』と云うのは、お主の明らかな誤
りであり、其れは再三申しているとおり、御義口伝の御文、

『題目の光無間に至りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり』に違背する邪義なのである。

尚、お主が執拗に引用している「浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし、只我等が心の善悪による
と見えたり」という一生成仏抄の御文は、己心における十界互具を示されたものであり、死後の成仏・
を否定するものではない。

又、『今法華経と申すは一切衆生を仏になす秘術まします御経なり。  所謂地獄の一人・餓鬼の一人・
乃至九界の一人を仏になせば一切衆生・皆仏になるべきことはり顕る』との法蓮抄の一節も、今世に
於ける妙法の功力を示されたものであり、此の御文とて、死後の成仏を否定されたものではない。

仍って、『死後に即身成仏はない!』との文証に成る筈もなく、其れこそはお主の認識が初手から
間違っているのであり、此に至って、誤謬解釈の訂正と合わせて、自義珍論による惨敗宣言を行なう
羽目になってしまった、という事なのである。哀。

尚、お主は、『他の世界に、浄土・地獄が存在すると本気で思っているのか?』などと言っておるが、
そんな事は、『死後の世界が架空のものと云うのは、地獄や浄土が実際に存在するわけではないと云
う意味だ!』という、お主自身の言葉に答えが在るのであって、本より小生は、其の初手からして、
地獄に閻魔が居て、棍棒を持った獄卒が罪人を追い回している、などとは言っていないし、極楽浄土
に阿弥陀が微笑んで待っている、とも言ってはいない。小生は、終始一貫、其の命終せし生命が、
此の法界に冥伏し、其の命をして十界を感ずるを申しているのである。つまり、そういう意味での
死後の生命であり、そういう意味での死後の成仏なのである。

而して、上記のお主の回答を受けるならば、小生が云う処の死後の世界が、閻魔獄卒・阿弥陀極楽を
指していない以上、小生が述べている死後の世界、つまり、此の法界に冥伏する命の世界とは、決し
て架空のものではない、という事になるのである。

仍って『死後の世界は架空のもの』とするは、お主の全くの謬論であり、お主こそが死後の世界とは、
其の様な作り話のものであるから、死後の地獄・死後の成仏などはない、などと初手から小生が言っ
ていない事を、そのように定義付けたのである。

つまり其の事を返せば、死後の世界は決して架空のものではなく、今の現世と密接に関わっているの
である。だからこその『生の仏・死の仏』であり、だからこその生死に亘る即身成仏義なのである。


>「しかし、今世で成仏しようとも、死後、親類縁者などが、邪法を以て追善せば、
>其の死後に於て、其の生命は忽(たちま)ちにして苦悶するを、小生は述べたのである。」

>↑これは、大聖人の法門なのか?

本より、此れは、日蓮大聖人の法義である。

お主、以下のやり取りを覚えておるか。

***************************************************************************
『又云く、当宗に於て信の道の大切なる事は親師匠能信の徳に依って即身成仏したまひたる其の跡を
継ぎたる弟子など不信なれば其の親・師匠を悪趣に輪廻させんずるなり。又親師匠不信なれども其の
跡を継ぐ子・弟子能信なれば又成仏すと云へり』(有師談諸聞書)

『大石寺の義に云く、縦(たと)ひ親・師匠は信心堅固にして得道すとも弟子等の所々に退転有らば其
の師輪廻すべきなり云々。仰せに云ハく・此の義相違無きなり』(雑々聞書)

本より、此の二文は、仮令(たとえ)、今世に於いて仏果を得ようとも、冥界(死後の世界)に向かった後、
其の弟子・遺族・縁者等が不信し、退転するならば、それら死後の生命は悪趣に輪廻する、という義
を示したのである。して、此の御文は、お主が前(さき)に引用した御文の後半に示されたものである。

果たして、お主の自義と、富山の宗義と、一体どちらが正義であるのか。

見れば、上記の御文について、

『親・師匠が、即身成仏しても、子供・弟子が不信であれば、親・師匠も迷いの境智に入り、その
反対に、親・師匠が不信であっても、子供や弟子が、篤信者であれば、成仏すると言われているの
だろ!』

などと、不貞(ふて)腐れて書いておるが、本より、そういう意味である。

*****************************************************************************

と。

ロム殿。

此に至って、見苦しい後付の言い訳などは、もう止めた方がよろしい。もう、これ以上、自分の解釈
で自分の首を絞める事もなかろうて。見ていて余りにも哀れである。悲。

ではロム殿、今より最後の詰問とする。

よろしいか。一生成仏を遂げた者が、其の死後に於いて即身成仏する必要はない、だから死後の成仏
はない、などと云う、お主の幼稚園談義に付き合っている暇はないのである。

要は一点。死後の成仏はあるのか、ないのか!

日蓮大聖人は在る、と仰せられている。

して、お主は無い、言う。

だから、どちらが正しいのか。

お主は其れに答えなさい。

よいか、今一度改めて云うぞ!

小生は、不成仏の者であっても、其の死後に於いて成仏するか、を問い質しているのである。

して、お主からして回向を否定しない、と言うのであれば、死後の生命に於いての即身成仏を認める
と云う事ではないか。

ならば、『死後の世界の即身成仏などは、大聖人の法義ではない』としたお主の断言を撤回しなさい。

して、撤回しない、と云うのであれば、小生が提示したる御義口伝の御文、

『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて
即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり』との御文証を否定する事となるから、お主の論説は
邪説となる。

よいか、死後の成仏はあるのか、ないのか。お主は其の即答を為すべし。

出来ずんば論敗と見なす。
 

ロム男君 所感

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 3月 1日(木)18時12分10秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  ところが、貴殿は↓この言葉、

「しかし、今世で成仏しようとも、死後、親類縁者などが、邪法を以て追善せば、
其の死後に於て、其の生命は忽(たちま)ちにして苦悶するを、小生は述べたのである。」

↑これは、大聖人の法門なのか?

■■■■■■■■■■

この人には大聖人の幽遠なる仏法を理解することはもはや不可能だと感じる。頭破作七分とは言わぬが、頭は確実に3つぐらいに割れていることは確かだ。大月天氏の言われていることは何も仏法を知らぬ人間でも読めば、たいがい分かるであろう。

しかし、大月天氏の解説は実に奥深いことを言っておられる。それは「現世の人間の信仰が故人の生命に影響を与える」ということだ。 読んでいて背筋がゾッとすることが多々ある。

母の「絶対 この御本尊 離したら あかんで~!!」死ぬ1か月前の最期の遺言を改めて思い出す。
そして、「かーちゃん、親戚のみんな、成仏させたわ~」、毎日の勤行での回向、そしてお寺での塔婆供養を欠かしたことのない母でした。戸田会長が亡くなる3年前に創価を通して日蓮正宗に入信。55年の信心でした。

母の眼は数ミリ開き、口も数ミリ開き、生きているような遺体をこの目で目撃した。初めての体験だ。通夜当日、御住職は言われた。「お母様、既に成仏されていますよ・・」と。先月一周忌をお寺でして頂いた。この時も御住職は同じことを言われた。「お母様は既に成仏されていますね・・」と。

「追善供養の大切さ」、凄い法門です。凄い実証です。日蓮正宗に間違いはない!

以上、
 

管理人殿

 投稿者:ロム男  投稿日:2012年 3月 1日(木)00時48分24秒 p8039-ipngn100108osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  貴殿は、以前このように言っていた。↓


「生前仏果を得た者が、其の死後に於いて仏果を得る必要はないであろう。
其れは、其の者が既に仏果を得ているからである。又、今世で成仏した者が、
死んで地獄に堕ちるという事もない。しかし、今世で成仏しようとも、死後、
親類縁者などが、邪法を以て追善せば、其の死後に於て、其の生命は忽(たちま)ち
にして苦悶するを、小生は述べたのである。」


↑おかしいと思わないのか?

先にも書いたが、私は、現世で即身成仏(一生成仏)を果たした者は、その仏果
により、三世永劫に亘り、御本尊の下に生を受けると一貫して言っている。

ところが、貴殿は↓この言葉、

「しかし、今世で成仏しようとも、死後、親類縁者などが、邪法を以て追善せば、
其の死後に於て、其の生命は忽(たちま)ちにして苦悶するを、小生は述べたのである。」

↑これは、大聖人の法門なのか?

『今法華経と申すは一切衆生を仏になす秘術まします御経なり。  所謂地獄の一人・
餓鬼の一人・乃至九界の一人を仏になせば一切衆生・皆仏になるべきことはり顕る』
(法蓮抄)

↑一人の成仏が万人・一切衆生の成仏になると云う、蓮祖の御指南をどう捉えるのか?

幾度と無く述べて来たが、貴殿の言うところの「冥界(死後の世界)」等は、
現実にはないのである。

なぜ、この大聖人の仰せが理解できないのか?

「浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし、只我等が心の善悪によると見えたり」
(一生成仏抄)

更に、

「夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はず・ただ我等がむねの間にあり、
これをさとるを仏といふ・これにまよふを凡夫と云う、これをさとるは法華経なり、
もししからば法華経をたもちたてまつるものは地獄即寂光とさとり候ぞ」

お分かりか?

貴殿は一貫して、他の世界に浄土・穢土・地獄があるように言っているではないか!

貴殿の言うところの、「死後の成仏」とは、このような世界での成仏を言ってるのだろ!
従って、私は貴殿の言うような「死後の成仏」はないと、言ってるのだ。(哀笑)

私の論が、大聖人の本義ではないのか!?

もう一度聞く!

貴殿は、他の世界に、浄土・地獄が存在すると本気で思っているのか?

すれば、貴殿の思考は、念仏と云うことである。

コロコロ話を摩り替えるのではないぞ!(苦笑)
 

ロム殿

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月 1日(木)00時21分9秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  小生はもう寝るぞ。

よろしいか。

一生成仏を遂げた者が、其の死後に於いて即身成仏する必要はない、という、幼稚園児が理解できる
様な論議をしているのではない。

不成仏の者であっても、其の死後に於いて成仏するか、を問い質しているのである。

して、お主からして回向を否定しない、と言うのであれば、死後の生命に於いての即身成仏を認める
のであるな。

ならば、『死後の世界の即身成仏などは、大聖人の法義ではない』としたお主の断言を撤回しなさい。

して、撤回しない、と云うのであれば、小生が提示したる御義口伝の御文、

『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて
即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり』との御文証を否定する事となるから、お主の論説は
邪説となる。

よいか。

葬式と引導については、其れからの事である。

其れは何故か。葬式も引導も、故人の回向に拘わるからである。して、其れらの回向は、死後の生命
に対する追善ではないか。仍って、生死に於ける即身成仏義が其の根本として優先されるのである。

あまり、当たり前な事を何度も言わすではないぞ。

では、次回の投稿を待っておる。

答えを有耶無耶にして遁走するでないぞ。よいな。
 

ロム殿

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 2月29日(水)23時53分12秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  おいおい、何をまだゴチャゴチャ言っておるのだぁ。

>私が一貫して言っいてるのは、「現・世・で・即・身・成・仏」した者は、
>貴殿の言う死後の世界での即身成仏は必要ない。

哀笑。だから、小生は以前から、何度も言っている様に、今世で成仏を果たした者は、其の死後に
於いても成仏であり、其の福徳に於いて来世に生まれるを否定していない。と何度も言っているだ
ろう。今世で成仏を果たした者が、死後に於いて即身成仏する必要など無いではないか!

ったく、そんな当たり前な事を、お主は延々と述べておるのか。大丈夫か? 頭。

よいか、物わかりが悪いのではなく、そんな当たり前な事は、其の論議の前提から承知して述べて
いるのである。だから前(さき)にも申したであろう。

此の論は『今世に於いて即身成仏した者は来世に於いて即身成仏する必要はない、だから、死後の
世界での即身成仏はないとする、お主の詭弁を封じ込めるものであり、今後の遁走について、其の
退却路を絶つものである』と。よく遡って再読しなさい。

>滅後、「中有」となり生前の境涯に相応しい処に、再び瑞々しい生命で生まれる。
>つまり、御本尊の下に生を受け、現世で再び一生成仏を果たすのである。
>大聖人の仏法は、現世成仏が要なのだよ!(現世安穏後生善処)

哀笑。だから、来世の成仏に於いて、今世での一生成仏が必要である事を小生は否定していない。

そうではなく、今世で不成仏の者であっても、死後の世界(言って置くが、架空の世界ではないぞ)
に於いて即身成仏する、という義を述べているのである。

よいか。小生の言い分がどうのこうの、ではないのである。

日蓮大聖人が『死後の即身成仏はある』と云われているのである。

しかし、お主は、そうではない、と云う。

だから小生は、お主と大聖人と、どっちの成仏義が正しいのか、と訊いているのである。

果たして、お主をして日蓮門下と自負するならば、当然の事として、日蓮大聖人の御教示に随うが筋
ではないか。して、其れこそが『信者』と云うのであろう。

よいか、十界互具とは依正共に有るのであり、其れは法界に冥伏せし生命に於いても同じなのである。
仍って、死せる命に於いても、其の成仏は感応妙の原理に於いてあるのである。

よって大聖人は、其の事を以って御義口伝に示されたのである。

して、お主は、『死後の世界の即身成仏などは、大聖人の法義ではない』と云う。

これは明らかに、日蓮大聖人の仏法に違背する邪義である!

して、其の文証こそは、

『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて
即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり』との御義口伝の御文である!

よいか、一生成仏をした者が、死後に於いて即身成仏する事はない、などという当たり前な事を
論じいるのではない。お主が云う処(ところ)の『死後の世界の即身成仏は、大聖人の法義ではない』
という邪義について、其れを問い質しているのである。

よろしいか。

お主は、速やかに其の自義珍論を撤回し、本日までの小生の論述に対する嘲笑詭弁を詫び、今こそ、
論客としての潔さを、此に示すべきである。

此の儘、間違いを認めなければ、お主は大聖人の法義に背く謗法者となるぞ。

今こそ、死後の成仏はあるのか、ないのか。其の即答を為すべし。

さもなくば遁走と見なす。
 

Re: ロム殿

 投稿者:ロム男  投稿日:2012年 2月29日(水)23時12分47秒 p8039-ipngn100108osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  > No.44117[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。


大笑いである。(爆)

> もうゴチャゴチャはよい、と言っておるだろう。

また、肝心要のところはスルーか。(笑)

ゴチャゴチャ言ってるのは貴殿ではないか。


> だから、此の御義口伝の御文のどこに、死後の即身成仏は無い、と書かれているのか。> 死後の成仏はある、と書かれているではないか!
> しかしお主は『そんなのは大聖人の法義ではない!』という。
> お主と、日蓮大聖人と、どっちの成仏義が正しいのだ!
> 其れをお主は答えなさい!


本当に物分りの悪い御仁である。(苦笑)

私が一貫して言っいてるのは、「現・世・で・即・身・成・仏」した者は、
貴殿の言う死後の世界での即身成仏は必要ない。

滅後、「中有」となり生前の境涯に相応しい処に、再び瑞々しい生命で生まれる。

つまり、御本尊の下に生を受け、現世で再び一生成仏を果たすのである。

大聖人の仏法は、現世成仏が要なのだよ!(現世安穏後生善処)

これが、三世を貫く因果の理法ではないか。

何度も同じことを言わせないで頂きたい。

何度も言っているが、私は回向を否定するものではない。

回向を否定すれば、学会員として、勤行も相矛盾したことになるのである。

要するに、葬儀が成仏には欠かせない通過儀礼であるのか?

坊さんに引導を渡してもらわないと成仏出来ないのか?

上記の2点である。

速やかに答えられよ!

 

ロム殿

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 2月29日(水)21時18分14秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  もうゴチャゴチャはよい、と言っておるだろう。

だから、此の御義口伝の御文のどこに、死後の即身成仏は無い、と書かれているのか。
死後の成仏はある、と書かれているではないか!

しかしお主は『そんなのは大聖人の法義ではない!』という。

お主と、日蓮大聖人と、どっちの成仏義が正しいのだ!

其れをお主は答えなさい!

尚、成仏した者に葬式が必要なのか、成仏した者に引導が必要なのか、などとは、其れこそ、死後の
生命に於いて成仏が有るのか、無いのか、其の大義を示してからの事である!

して、日蓮大聖人は、御義口伝に於いて、死後の即身成仏はある、と云われておる。

して、お主は、死後の即身成仏などは、大聖人の法義ではない、と云う。

だから小生は、どちらの成仏義が正しいのだ!? と詰問しているのである。

お主は其れに答えなさい。
 

管理人殿

 投稿者:ロム男  投稿日:2012年 2月29日(水)20時57分1秒 p8039-ipngn100108osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  管理人殿 貴殿は肝心要のところをスルーし、己の主張を正当化しているが、
全くもって、的外れな見解を述べておられる。

もう、ハッタリの自論の展開はお止めになったほうがいい。


『夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はず・ただ我等がむねの間にあり、
これをさとるを仏といふ・これにまよふを凡夫と云う』

↑の御文は、亡き夫の追善供養のため供物を捧げてきた折に、大聖人は、
返礼として亡き夫が、霊山浄土に居ることを伝えつつも、亡き夫が待つ霊山浄土
とは、遠い別世界にあるのではなく、実は人の心の中にあると、説かれた御書
じゃないか。(苦笑)


さらに、大聖人は仏道修行者が、自らの信仰・仏道修行を通して生前に成仏する
こと、すなわち「一生成仏」の意義を強く訴えられた。

『一生の中に仏位に入り、妙覚に至つて因果の功徳を具するなり』
(十法界明因果抄)


『同じ妙法蓮華経の種を心に・はらませ給いなば・同じ妙法蓮華経の国へ
生れさせ給うべし』(上野殿母御前御返事)


死後の世界が架空のものと云うのは、地獄や浄土が実際に存在するわけでは
ないと云う意味である。

すべては、人の心におさまり、現実世界での修行が仏果を得、後生を
約束されるということである。

貴殿は、霊山浄土や地獄が現実のものとして、死後の世界に存在するとお考えか?

それならば、浄土宗でも信仰された方が良いと思うが、如何か。(苦笑)

まずもって、都合の悪いところはスルーし、私の投稿すら、切り文にして
返してくる、狡猾な御仁である。

何が、「編集済み」か。(苦笑)

もう一度本題に戻すが、今世で「一生成仏・即身成仏」を果たした者に、
葬儀と云う通過儀礼は必要か?

今世で「一生成仏・即身成仏」を果たした者に、坊さんによる引導が、
必要か?

逃げずに回答して頂こう。

これが、本題だと云うことをお忘れか?(苦笑)
 

ロム殿

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 2月29日(水)19時33分23秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用 編集済
  呆笑。

お主も、往生際の悪い奴よのぉ。哀。

何。死後の世界は架空の世界とな。

おいおい、大丈夫か。

して、お主が云う処(ところ)の、

『大聖人の三世を貫く生命観・死後の生命観』とは、架空の事を述べているという事か。

言って置くが、お主が引用せし、

『夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はず・ただ我等がむねの間にあり、これをさとるを仏と
いふ・これにまよふを凡夫と云う』

との御文は、死後の世界に於ける生命、つまりは法界に冥伏する生命を否定しているものではない。
つまりは己心に於ける十界互具を示されたものである。

尚、小生は、何度も言っている様に、今世で成仏を果たした者は、其の死後に於いても成仏であり、
其の福徳に於いて来世に生まれるを否定していない。其れこそ何度も言わすでないぞ。

要は、お主が『死後の世界に於いて即身成仏はない! 死後の世界の即身成仏などは、大聖人の法義
ではない』と断言しておるから、其の細首を刎ねる意味に於いて、決定せる御義口伝の一文を此に
提示したのである。

曰く『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に
至りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり』と。

よいか。此の御文は、本より、無間地獄に堕ちた者への回向の功徳を示されたものであるが、其の事
によって精霊が即身成仏すると説かれているのである。

してお主は『死後の世界の即身成仏などは、大聖人の法義ではない!』と断言した。

ロム殿。

負け惜しみのゴチャゴチャはもうよいから、お主が断言した『死後の世界の即身成仏などは、大聖人
の法義ではない』という事が、間違っておるのか、いないのか、上記の御義口伝の御文から、其れを
示しなさい。つまり、上記御文が、死後の成仏を示されている御文であるのか、そうでないのか。
其れを示せばよい、という事である。

そして、間違っていたのなら、間違いでした。と云えばよいのである。勿論、今までの嘲笑について
は詫びて貰わねばならん。其の様な事は、仏法ならずとも世間の常識であろうが。

よろしいか。今一度申すぞ。

御義口伝に曰く『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の
光無間に至りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり』と。

果たして、お主の『死後の世界の即身成仏などは、大聖人の法義ではない』との物言いが、上記御文
からして正しいのか。お主は其れを述べなさい。よろしいか。論点はもう此の一点なのである。

ましてお主は、大聖人の仏法に於いて、死後の世界などは架空のものである、などと言い出した。哀。

果たして、死後の世界が架空であるならば、何で死んだ後の来世が在るのだ。

滅茶苦茶な事を言うものではない。其れ以上、自分で自分の細首を絞めるものではないぞ。

小笑、其れにしても、最初は冥界を死後の世界と捉え、後に焦って地獄界と称し、遂には三悪道だ、
などと風呂敷を広げて、何と今度は、其れらは全て『架空の物語』であると云う。笑。

おいおい、ロム殿。いい加減にして貰おうか。呆笑。

尚、お主が枝葉末節の事について、ゴチャゴチャ言っておるが、日有上人の御教示については、もう
既に説明しておる。よく読んでおきなさい。

よいか。お主の珍論は唯(ただ)一つ。

『死後の世界は架空のものであるから、其の世界での即身成仏などは、大聖人の法義ではない』

して、日蓮大聖人が曰く『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・
題目の光無間に至りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり』と

よいか。お主の其の細首は、もはや正法の大刀によって切り落とされているのである。哀笑。

残るは、お主の潔い態度のみである。

あまり、恥を晒すものではないぞ。
 

管理人殿 ご期待に沿えず、すまん。(^^ゞ

 投稿者:ロム男  投稿日:2012年 2月29日(水)18時07分47秒 p8039-ipngn100108osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  管理人さんへのお返事です。

> 急遽、本日午後の帰宅と相成った。

おお、それなら早く閲覧しておけばよかった。(笑)

それにしても、またもや読者を誤魔化そうとしている書き込みではないか。(苦笑)

> 見るにお主、もはや、断末魔に近い状態であるな。
> 其れにしても、ここまで読解力のない御仁であるとは思わなんだ。哀笑。
> 仕方がない。
> 此に改めて論点を整理し、お主の其の自義珍論を、本日この日を以って粉砕せしめよう。
> お主は、今回の対論に於いて、
> 『初手の質問は、「葬儀の要不要」葬儀における「僧の要不要」だったのを忘れたのか?』と
> ほざいておるが、其の内容は以下のとおりである。

> >あっ!そうそう、葬式は成仏とは関係ございませんので悪しからず。(笑)
> >大聖人の法門は、一生成仏・即身成仏なのですよ!
> >坊様って?葬儀に必要不可欠のお方じゃございません。

> ロム殿。
> この何処(どこ)が「質問」なのであるか。これは質問ではなく、初手からお主の自論を述べている
> ものではないか。しかも、其れをして断定しておる。よいか。本日までの事は、お主の自義断定から端を発しているのである。
> したがって小生は、お主が断言する処(ところ)の、葬儀、つまりは追善供養する儀式と、故人の成仏
> との関係について、論を重ねて来たのである。


おい!私が初手の質問としたことを、初投稿の文を指して読者に悪印象を与えようと
しているのは、余りにも姑息である。

いいか!私の初手の質問と云うのは、↓の書き込みだ!忘れたのか?(苦笑)

「実に馬鹿馬鹿しい質問である。妄想や空想で話をして、何の意味があるのか?
葬儀は、セレモニーで、成仏の本義とは、まったく関係のないことである。田吾作って?(爆)
人物の人となりを教えて頂こうか。でないと、答えようがない。(笑)
で、大聖人の法門は、一生成仏・即身成仏ではないのか?
この法門からして、坊さんに引導を渡してもらうのが大聖人仏法の本義なのか?」

↑お分かりか?
あまり、小ズルイ論法を使うものではないぞ。(苦笑)


まず、詭弁とは、道理に合わない論であると言っておく。その上で。

> よいか、ロム殿。以下の小生の記述はよく読んでおきなさい。これは『今世に於て即身成仏した者は
> 来世に於て即身成仏する必要はない、だから、死後の世界での即身成仏はない』とする、お主の詭弁
> を封じ込めるものであり、今後の遁走について、其の退却路を絶つものである。
> 生前仏果を得た者が、其の死後に於いて仏果を得る必要はないであろう。其れは、其の者が既に仏果
> を得ているからである。又、今世で成仏した者が、死んで地獄に堕ちるという事もない。しかし、
> 今世で成仏しようとも、死後、親類縁者などが、邪法を以て追善せば、其の死後に於て、其の生命は
> 忽(たちま)ちにして苦悶するを、小生は述べたのである。
> つまり、其の逆に於いて、生前、成仏を果たせなかった者であっても、其の死後、親類縁者などが
> 正法を以って追善供養せば、其の苦悶せし冥界の命も、忽(たちま)ちにして成仏するを述べたので
> ある。其の意味に於いての『即身成仏は冥界の生命に於いても当て嵌まる』との言であり、其の意味
> に於いての『生死ともに即身成仏義は在る』という意なのである。
> してお主は『(即身成仏が)冥界の世界に当て嵌まるって?(笑)』と嘲笑し、敢えて「冥界の世界に
> 【も】を意図的に省いて、小生が恰(あたか)も、即身成仏は死後にこそ当て嵌まる、との印象を画策
> せんとしたのである。よいか、ロム殿。対論・法論に於いて、其の重要なる論点の一節については、
> 一言一句たりとも誤謬解釈してはならないのである。仍って、小生は其の事について、お主を問い質
> しているのである。


まだ、理解できていないようだな。(笑)では、↑貴殿の論に反論しよう。

先の投稿でも書いたが、日蓮大聖人は、即身成仏を大事の法門と仰せだ。

大聖人の三世を貫く生命観・死後の生命観は、

「生前」→「臨終」→「中有(中陰)」→「後生」なのだ。

つまり、生前臨終の刹那までに即身成仏を果たすと、その因で「中有」と云う霊体にな
り、49日間の※『中有の道』を旅した後、その境涯に相応しい処に生を受ける。
つまり、御本尊の下に生を受けるということなのだ。(現世安穏後生善処)

※『中有の道にいかなる事もいできたり候はば、日蓮がでしなりとなのらせ給へ』
(妙心尼御前御返事)

大聖人は、御消息文では、「霊山浄土」や「地獄」等と云うお言葉で、御指南され
ているが、大聖人の御法門は、

『夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はず・ただ我等がむねの間にあり、
これをさとるを仏といふ・これにまよふを凡夫と云う』

と云う、御指南に収束されるのです。

つまり、『死後の世界』等と云うものは、あくまでも架空の世界であって、
それでも、しいて『死後の世界』を認めろと言うならば、『中有の旅』の途上だと
云う事であろう。

従って、生前即身成仏を果たした者には、後生では、御本尊の下で再び即身成仏を
果たされるのです。

お分かりか?

大聖人は、浄土も地獄も現実の世界にあると仰せられ、三悪道に落ちたものも、
「死後の世界」ではなく、現実の世界(後生)で苦しみ、現実の世界で、仏縁に触れ
現実の世界で、即身成仏をして行くのです。

私の書き込みに、貴殿もいろいろ気に障ったことがあると思うが、居丈高な文章で
威圧し、同じことを何度も繰り返し難解な文章で私を落とそうなどと云うのは、
所詮無理なことなのである。

> して、お主の『(即身成仏が)冥界の世界に当て嵌まるって?(笑)』という嘲笑の根拠が、
> 『冥界(死後)に即身成仏はない!』という自論から来ている事からして、小生は種々の文証を通して、
> 其の珍論を糺したのである。
> つまり、其れこそは、
> 『当宗に於て信の道の大切なる事は親師匠能信の徳に依って即身成仏したまひたる其の跡を継ぎたる
> 弟子など不信なれば其の親・師匠を悪趣に輪廻させんずるなり。又親師匠不信なれども其の跡を継ぐ
> 子・弟子能信なれば又成仏すと云へり』との御文であり、
> 『大石寺の義に云く、縦(たと)ひ親・師匠は信心堅固にして得道すとも弟子等の所々に退転有らば其
> の師輪廻すべきなり云々。仰せに云ハく・此の義相違無きなり』との御文なのである。
当宗に於て等は、貴殿が信じていればよい。私は御本仏の本義から話しているのである。

> つまり、此の事からして、仮令(たとえ)今世に於て仏果を得ようとも、冥界(死後の世界)に向かった後、
> 其の弟子・遺族・縁者等が不信し、退転するならば、それら死後の生命は悪趣に輪廻する、という義
> が明らかとなるのであり、又、其の事は、お主が不貞(ふて)腐って書いた処(ところ)の、
> >親・師匠が、即身成仏しても、子供・弟子が不信であれば、親・師匠も迷いの境智に入り、その
> >反対に、親・師匠が不信であっても、子供や弟子が、篤信者であれば、成仏すると言われているの
> >だろ!

> という解釈によって、其の文意の論拠を得たのである。して、上記の御文が、今世のみに当て嵌まる
> 事を申しておるのか。お主は、謹んで其れを正訳しなければならない。して、上記の文意が今生のみ
> ならず、来世に亘って通用する義であるならば、お主こそは、今こそ『(即身成仏が)冥界の世界に当
> て嵌まるって?(笑)』という嘲笑を訂正し、又、其の稚拙な誤読を恥じなければならない。


分かるか?貴殿の言うところの「冥界・死後の世界」等は、大聖人の仏法に於いては
架空の物語りなのである。


> 尚、お主は、小生の言葉尻を捉えて、
>
> >即身成仏・一生成仏は、「ある」のではなく、「する」のである。
> >もういい加減、貴殿は言葉の錯誤に気づかれては如何か?(苦笑)
>
> などと、苦しまぎれに笑っておるが、即身成仏は『する』。即身成仏義は『在る』が根釈であり、
> 其の立て分けなどは、以前からの小生の記述を読んでおれば、容易に判別出来るものである。


いや、判断できないから、そのように申したのである。
『在る』は、どこまで行っても存在すると云う意味であって、根釈等と云うのは、
それこそ、苦し紛れの、「アヒルの、あんよバタバタ」だよ。

私も不勉強なのか、「根釈」と云う言葉を始めて聞いた。(苦笑)
御書にも著されていないし、広辞苑にもない。後生の為に出典を御教示されたい。
まぁ、凡その意味は理解できるが…(笑)


> 其れよりも何よりも、冥界の意を、相互に於いて『死後』として論じて来たものを、今になって
> 地獄界だ、などと後釈し、
>
> >貴殿は、冥界と云う言葉の意味を分かって使っておられるのか?(苦笑)
> >単純に死後の世界と云う意味で使っておられるのか?
>
> などと嘲笑したのである。して、其の嘲笑している己(おのれ)自身が、
>
> >即身成仏は、一生成仏と同義語で、今世で成仏を果たすと、死後も仏であると云う事ではないのか?
> >なぜ、死後(冥界)に即身成仏があるのか?
>
> などと、脳捻転が如き質問しているのであるから、もはや救う神とておるまい。呆笑。> して見れば、
>
> >貴殿の示した、『冥界』と云う言葉を『三悪道』と捉え、話をしたのである。
>
> などと、今更に惚(とぼ)けた言い訳などをしておる。哀笑。
> ならば何故『死後も仏であると云う事ではないのか? なぜ、死後(冥界)に即身成仏があるのか?』
> などと申すか! お主は間違いなく『冥界』を『死後・死後の生命』と捉えていたのであり、だから
> こそ『なぜ冥界に居る仏に坊さんが引導を渡すのか』と質問したのである。して見れば、此の時点で
> 冥界を地獄界と捉え、そして今回の投稿に於いては、冥界を三悪道と捉えていたのだと云う。小笑。
> お主が云く、

> >『何故故に、冥界に居る仏に坊さんが引導を渡さないといけないのか?」と云う質問は、
> >「冥界(地獄界)」に居る「仏(仏界)」と云う意味で、何等、解釈におかしいところがあるとは
> >思わないが。(苦笑)

> などと言っておる。
> ったく、冥界を地獄界ではなく、死後の世界との認識であったからこそ、其の死後、つまりは冥界に
> 居る仏に何故、引導を渡すのか、と質問したのであろうが。して、お主の詭弁を糺すとなれば、死後
> の地獄界に仏が居るとは如何なる事か。して、冥界に仏界が居る、とは、如何なる意味か。お主は、
> 此の二点について、説明しなければならない。よいか、お主は、冥界に居る仏に何故引導を渡すのか、
> と問うたのである。ならば、其の仏とはどういう仏であるのか。お主は今世に成仏した者は、死後に
> 於いても仏である、と申したのであるぞ。今回こそは其れに答えなさい。よろしいか。

地獄界に仏が居るとは、「十界互具」と云う意味と認識している。
成仏とは開く義だろ!ありもしない冥界に居ようが、地獄界にいようが、
成仏するということは、仏界を開くとと云うことなのである。

貴殿の主張する冥界(地獄界・三悪道)にある衆生が、成仏するには、
仏界が互具していなければ為されないと云うことだよ。(笑)

先にも書いたが、『夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はず・
ただ我等がむねの間にあり、』だから、在りもしない「死後の世界」
の衆生に、坊さんが引導を渡すのか?
と、皮肉ったのである。貴殿は、まだ理解出来ないのか?(苦笑)


> 尚、
> 一生成仏を遂げて亡者となり、冥界(死後の世界)に旅立った者は、其の子孫が退転し、邪教を信奉し、
> 其の邪教を以って供養した場合でも、其の亡者の生命は、延々と成仏の歓喜を受け続けるのか。
> さても、其れは何処の教えであるか。お主は創価学会員であるから、其の文証を恩師の指導から提示
> して貰おうか。出来ずんば、お主の論敗である!
> という小生からの詰問に対し、お主は『ばかばかしい!(苦笑)』と吐き捨て、本幹での池田太作の
> 『葬式に必ずしも御僧侶を呼ぶ必要はないのです。正宗は葬式仏教ではなく生きるための仏教です。
> 呼びたい人は呼んでもいいが、呼びたくなければ呼ばなくてもいい』などの文言を出し、これが恩師
> の見解だ、などと莫迦な事を言っておる。
> よいか、小生が詰問しておるのは『一生成仏を遂げて亡者となり、冥界(死後の世界)に旅立った者は、
> 其の子孫が退転し、邪教を信奉し、其の邪教を以って供養した場合でも、其の亡者の生命は、延々と
> 成仏の歓喜を受け続けるのか。さても、其れは何処の教えであるか。お主は創価学会員であるから、
> 其の文証を恩師の指導から提示して貰おうか』という事である!
> 本より、恩師とは戸田先生の事である! お主は池田の事を、恩師・池田先生と呼んでおるのか。
> 何とも変梃(へんてこ)りんな学会員である。よいか! 小生が云う恩師とは、創価学会第二代会長・
> 戸田城聖先生、其の仁(ひと)である! よろしいか。上記の詰問に対して、其の回答を寄こしなさい。


私たち学会員の恩師は、牧口先生であり、戸田先生であり、池田名誉会長である。
そんなの常識ではないか! これら三代の恩師は、永遠の指導者である。
なかんずく、名誉会長は、現在に生きる指導者である!

ところで、その名誉会長の御指導を、狡猾にも削り取り、相手を陥れようとする、
姑息な手段を使うなんぞは、貴殿は仏法者の風上にもおけぬ御仁である。(苦笑)

『御本尊に題目を朝晩あげて、事の一念三千の当体である我々です。
死んでだれにお経を読んでもらう必要がありますか。』

と、↓

『日蓮正宗は、あらゆる宗教のなかで最先端を行くものであり、
最高の近代性をもっているのです。これについては、総本山も大聖人の根本精神と
つながった考えです、といっておりました。』

この御指導部分を、なぜ削り取り返答したか!?

都合が悪いのか?(苦笑)

貴殿は、切り文を先の投稿で否定していたではないか!
いやはや、呆れた御仁である。

ひとつ言葉を正しておこう。

「亡者」とは、「死んでなお成仏できずに冥途(めいど)をさまよっている魂。」と、
認識するが、それならば、一生成仏を果たし「亡者」になる等と云うのは、珍論である。

> 尚、お主は、小生が引用せし、烏竜と遺竜親子の説話に対し、
>
> >烏竜は、地獄で一生成仏を果たしたのか?(笑)
>
> などと阿呆な事を言っておるが、本より、此の御説は、死後の生命に於いても、今世の者が為す正法
> 追善の功力によって、其の即身成仏が成るを説いたものであり『仮使(たとい)法界に遍く断善の諸の
> 衆生も一たび法華経を聞かば決定して菩提を成ぜん』との御義にして、応に死後の生命をして菩提を
> 成ずるを示されたものであり、其の地獄に於て常寂光の都と成り、遂には地獄に住する罪人に於ても
> 皆、仏と成る、つまりは即身成仏する旨を説かれているのである。


これは、烏竜・遺竜の説話を引用されて、法華経写経の功徳でさえ父を無間地獄から救
い出す功徳があるのだから、読誦による功徳は更なるものがあると仰せなのだよ』とい
う当たり前の解釈をしてるのだ。


> 死後の生命に於ける即身成仏の義が、証明されるのである。して、其の事は、お主が引用したる所の、
> 『生死ともに仏なり、即身成仏と申す大事の法門これなり』の御文に繋がるのである。言って置くが
> 『生死ともに仏なり』とは、今世に成仏した者は、来世も引き続いて仏である、なとど云う簡素な意
> ではない。今世に於いても、来世に於いても、ともに即身成仏の大義が在る、との意である。


いいか、話は元に戻るが、大聖人の御法門から拝すると、故上野殿は、即身成仏を
果たされた。現世で、成仏すれば、未来永劫に亘る成仏が許されているのである。
故に、有師も現世での即身成仏が、冨士の立義で、後生成仏は冨士の立義でないと
仰せなのだろ。(笑)


> 而してお主は断言した。
> 『冥界に即身成仏はない!』
> 『死後の世界の即身成仏(一生成仏)などは、大聖人の法義ではない』と。
> よいか、此の事は、前々から申しているとおり、葬儀の要不要、僧の要不要以前に、日蓮大聖人の
> 仏法に於いて、死後の生命、つまりは、其の解釈としての冥界に於いて、其の命が即身成仏するや
> 否やの、大根本たる論議なのである。して、これこそは、両者に於ける、日蓮大聖人門下としての
> 当に成仏義に於ける正邪決定の瞬間なのである。


煩雑になるので、簡単に言う。

大聖人の御法門の根本義は、現世での即身成仏であり、貴殿が主張するところの、
「冥界」「亡者が彷徨う死後の世界」など存在しない。

存在しない衆生に、即身成仏もあり得ない。

これが、私の言うところである。

> ロム殿。
> お主にもう後はない。何度でも云うが、アヒルは所詮、アヒルなのである。其れ以上、足をバタつか
> せては、其れこそ醜いアヒルと成ってしまう。して、もはや、其の細首も、我が正法の大刀によって
> 今や刎ねられんとしているのである。
> 御義口伝に曰く、
> 『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて
> 即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり』(新編 1724)


また、御義口伝の文証を出してきて話を拡散させようとしてるではないか!(笑)

この御文から見て取れるように、生前成仏を果たせず、無間地獄へ堕ちた者への
回向の功徳を御指南」されているのだろ。

当初から、生前成仏・即身成仏・一生成仏を果たされた故人に対して、葬儀は必要か?
坊さんの引導は必要か?との疑問を呈しているのだ!

私は、何時、何処で、法華経誹謗・不信心の故に地獄に堕ちた者の話をした?

話をすりかえるのも、いいかげんにしなさい!(笑)

ましてや、大聖人の本義からすると、無間地獄も「己の胸中」にあるのであって、
現実の世界にあるのである。

貴殿の言うような、「死後の世界」のものではない。(苦笑)

大聖人は、竜口の法難にあたり、

『今度頸を法華経に奉りて其の功徳を父母に回向せん』(種種御振舞御書)

と、仰せである。

この御時、蓮祖の御尊父、御母堂は御存命中なのである。

分かるか?生ある人に回向されると言われているのだよ!


> お主こそは、其の自義珍論を速やかに恥じて、本日までの小生の論述に対する嘲笑を詫び、其の貧弱
> なる読解力によって誤読を繰り返して来た事を心から猛省して、今こそ、其の創価の論客としての潔
> (いさぎよ)さを、此に示すべきである。
> 又、其れこそが本日まで、お主の論勝を待ち望んでいた同志に対する礼儀でもあろう。> それ以上、醜いアヒルになっては、お主こそが可哀想である。
> よろしいか。閲覧されている同志への手前もあろうが、ここは論客としての潔さこそが大事である。
> 最早、これ以上は申すまい。
> お主の態度、皆が注目しておるぞ。


お気遣いありがとう!(苦笑)そのまま貴殿にお返しいたす。(笑)


最後に言う。葬儀に坊さんの引導が必要等と言ったのは、現宗門であることを
心得なさい。

まぁ、葬式仏教の信者さんには、分からないことかも知れんが…(-_-;)
 

Re: 所感

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 2月29日(水)12時58分31秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  黒川和雄さんへのお返事です。

「今世で成仏しようとも、死後、親類縁者などが、邪法を以て追善せば、其の死後に於て、其の生命は忽(たちま)ちにして苦悶するを、小生は述べたのである。」

我々法華講員に取りましては、ここが一番重要ですね。
つまり法灯相続をしなければならないということです。

大石寺の大過去帳には、日朗の名前があるそうです。日興上人がその滅後回向され、そして750年間現在に至るまで回向されています。しかし身延でも回向はするでしょう。池田太作に関しては回向されるかどうかわかりませんが、ロム男君によれば「センセは成仏して死ぬ。一端成仏したら回向も供養もいらん」ということでしょうね。池田家の実家は真言宗ですね。真言で池田は供養されるのでしょうね。

学会員は太作の死後、センセは成仏しているのであるから供養はしなくてよいと、ロム男君は明言。例えされても、ニセ本尊・・。
一方、タサクの実家は真言宗で供養する。

永遠に太作殿は成仏は出来ないでしょう、それどころか、死して苦悩の連続となるであろうことは言うまでもない。身延の日朗、学会のタサク、一闡提は死しても永遠に苦労の連続であるメカニズムがここら辺にあるように思えます。
 

お知らせ

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 2月29日(水)00時14分28秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  投稿者及び閲覧者各位

当室管理人は、予定の変更に伴って、昨日急遽、午後からの帰宅となりました。

尚、当室管理人は、常時夜間に於いて在宅でもなく、又、祝祭日に於いても常時在宅ではありません。
又、其の逆として、平日の終日に於ける在宅もあり、又、時として、一日、二日と連続して不在にな
る場合もあります。

したがいまして、当方としては、その都度の予定告知、つまり、投稿者・閲覧者各位に対する、お知
らせ等については、其の一々について掲示する事は、以後、行いませんので、其の時々に於て寄稿が
無いとなれば、其れを以って管理人は不在と御承知下されば、其れで結構であります。

又、当室は管理人による「確認後投稿」となっておりますが、当室をして鋭意確認次第、投稿者各位
からの寄稿文について、速やかに掲載する事を、此にお約束致します。尚、管理人のアクシデントに
よる不掲載が続いた場合は、其れこそがアクシデントの証拠となりますので、其の時は何卒、御容赦
下さいますよう、お願い申し上げます。
 

所感

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 2月28日(火)23時25分13秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  当方のサークルで紹介させて頂きました。

■■■■■■■■■■


大月天氏は非常に大切なことを申しておられます。

生前、成仏を成し遂げられなかった人間は、追善供養により成仏が可能となり、反対にその遺族が創価などの邪教により追善供養すると故人は死後の生命に於いて最悪の状態となり、もがき苦しみ、地獄のどん底に叩き落される、という非常に重要なことを創価員に破折されておられますね。

私の母が最期に残した言葉、「この御本尊、絶対に離したらあかんで~!」に尽きると改めて感じた次第です。

■■■■■■■■■■



生前仏果を得た者が、其の死後に於いて仏果を得る必要はないであろう。其れは、其の者が既に仏果を得ているからである。又、今世で成仏した者が、死んで地獄に堕ちるという事もない。しかし、今世で成仏しようとも、死後、親類縁者などが、邪法を以て追善せば、其の死後に於て、其の生命は忽(たちま)ちにして苦悶するを、小生は述べたのである。

つまり、其の逆に於いて、生前、成仏を果たせなかった者であっても、其の死後、親類縁者などが正法を以って追善供養せば、其の苦悶せし冥界の命も、忽(たちま)ちにして成仏するを述べたのである。其の意味に於いての『即身成仏は冥界の生命に於いても当て嵌まる』との言であり、其の意味に於いての『生死ともに即身成仏義は在る』という意なのである。

 

ロム殿

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 2月28日(火)19時33分2秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用 編集済
  急遽、本日午後の帰宅と相成った。

見るにお主、もはや、断末魔に近い状態であるな。

其れにしても、ここまで読解力のない御仁であるとは思わなんだ。哀笑。

仕方がない。

此に改めて論点を整理し、お主の其の自義珍論を、本日この日を以って粉砕せしめよう。

よいか、ロム殿。

お主は、今回の対論に於いて、

『初手の質問は、「葬儀の要不要」葬儀における「僧の要不要」だったのを忘れたのか?』と
ほざいておるが、其の内容は以下のとおりである。

>あっ!そうそう、葬式は成仏とは関係ございませんので悪しからず。(笑)
>大聖人の法門は、一生成仏・即身成仏なのですよ!
>坊様って?葬儀に必要不可欠のお方じゃございません。


ロム殿。

この何処(どこ)が「質問」なのであるか。これは質問ではなく、初手からお主の自論を述べている
ものではないか。しかも、其れをして断定しておる。よいか。本日までの事は、お主の自義断定から
端を発しているのである。

したがって小生は、お主が断言する処(ところ)の、葬儀、つまりは追善供養する儀式と、故人の成仏
との関係について、論を重ねて来たのである。

して先ず、其の論を重ねる中で、小生は、

『今世に於いて一生成仏を成し遂げ、遂には即身成仏する。して其の即身成仏は冥界の生命に於いて
も当て嵌まる』

と述べた。

するとお主はこう言って来た。

「冥界の世界に当て嵌まるって?(笑)」と。

仍って小生は『生死ともに即身成仏義は在る、と申した。又、其の事は、お主が引用せし御文「生死
ともに仏なり、即身成仏と申す大事の法門これなり」との義に一致するものである』と述べ、お主が
嘲笑する「冥界の世界に当て嵌まるって?(笑)」との物言いは、明らかな誤読であると問い詰めた
のである。

よいか。『即身成仏は冥界の生命に於いても当て嵌まる』とは、一生成仏を遂げた者が、死後の世界
に於いて再び成仏をする、などという意味で言っているのではない。そんな事は馬鹿でも解かる事で
ある。よいか。小生が申しておるのは、日蓮大聖人が仰せの如く、即身成仏の大義は、生前にも死後
に於いても当て嵌まる事を述べているのである。

して、お主は、其の事について、

>「於いても」とは、死後の世界にあっても、「即身成仏(一生成仏)」をすると云うことではない
>のか!?(笑) 詭弁を使っても無理である。死後の世界に於いては、生前仏果を得ているので、
>即身成仏(一生成仏)をする必要はないのである。(爆)

などと、其れこそ脳ミソが爆発した様な事を言っておる。

さても、お主は詭弁の意味を理解しておるのか。哀。実にお主こそが詭弁を弄し、返答の摩り替えを
平然と行っているのではないか。

よいか、ロム殿。以下の小生の記述はよく読んでおきなさい。これは『今世に於て即身成仏した者は
来世に於て即身成仏する必要はない、だから、死後の世界での即身成仏はない』とする、お主の詭弁
を封じ込めるものであり、今後の遁走について、其の退却路を絶つものである。

よいか、ロム殿。

生前仏果を得た者が、其の死後に於いて仏果を得る必要はないであろう。其れは、其の者が既に仏果
を得ているからである。又、今世で成仏した者が、死んで地獄に堕ちるという事もない。しかし、
今世で成仏しようとも、死後、親類縁者などが、邪法を以て追善せば、其の死後に於て、其の生命は
忽(たちま)ちにして苦悶するを、小生は述べたのである。

つまり、其の逆に於いて、生前、成仏を果たせなかった者であっても、其の死後、親類縁者などが
正法を以って追善供養せば、其の苦悶せし冥界の命も、忽(たちま)ちにして成仏するを述べたので
ある。其の意味に於いての『即身成仏は冥界の生命に於いても当て嵌まる』との言であり、其の意味
に於いての『生死ともに即身成仏義は在る』という意なのである。

してお主は『(即身成仏が)冥界の世界に当て嵌まるって?(笑)』と嘲笑し、敢えて「冥界の世界に
【も】を意図的に省いて、小生が恰(あたか)も、即身成仏は死後にこそ当て嵌まる、との印象を画策
せんとしたのである。よいか、ロム殿。対論・法論に於いて、其の重要なる論点の一節については、
一言一句たりとも誤謬解釈してはならないのである。仍って、小生は其の事について、お主を問い質
しているのである。

して、お主の『(即身成仏が)冥界の世界に当て嵌まるって?(笑)』という嘲笑の根拠が、

『冥界(死後)に即身成仏はない!』という自論から来ている事からして、小生は種々の文証を通して、
其の珍論を糺したのである。

つまり、其れこそは、

『当宗に於て信の道の大切なる事は親師匠能信の徳に依って即身成仏したまひたる其の跡を継ぎたる
弟子など不信なれば其の親・師匠を悪趣に輪廻させんずるなり。又親師匠不信なれども其の跡を継ぐ
子・弟子能信なれば又成仏すと云へり』との御文であり、

『大石寺の義に云く、縦(たと)ひ親・師匠は信心堅固にして得道すとも弟子等の所々に退転有らば其
の師輪廻すべきなり云々。仰せに云ハく・此の義相違無きなり』との御文なのである。

つまり、此の事からして、仮令(たとえ)今世に於て仏果を得ようとも、冥界(死後の世界)に向かった後、
其の弟子・遺族・縁者等が不信し、退転するならば、それら死後の生命は悪趣に輪廻する、という義
が明らかとなるのであり、又、其の事は、お主が不貞(ふて)腐って書いた処(ところ)の、

>親・師匠が、即身成仏しても、子供・弟子が不信であれば、親・師匠も迷いの境智に入り、その
>反対に、親・師匠が不信であっても、子供や弟子が、篤信者であれば、成仏すると言われているの
>だろ!

という解釈によって、其の文意の論拠を得たのである。して、上記の御文が、今世のみに当て嵌まる
事を申しておるのか。お主は、謹んで其れを正訳しなければならない。して、上記の文意が今生のみ
ならず、来世に亘って通用する義であるならば、お主こそは、今こそ『(即身成仏が)冥界の世界に当
て嵌まるって?(笑)』という嘲笑を訂正し、又、其の稚拙な誤読を恥じなければならない。

尚、お主は、小生の言葉尻を捉えて、

>即身成仏・一生成仏は、「ある」のではなく、「する」のである。
>もういい加減、貴殿は言葉の錯誤に気づかれては如何か?(苦笑)

などと、苦しまぎれに笑っておるが、即身成仏は『する』。即身成仏義は『在る』が根釈であり、
其の立て分けなどは、以前からの小生の記述を読んでおれば、容易に判別出来るものである。

其れよりも何よりも、冥界の意を、相互に於いて『死後』として論じて来たものを、今になって
地獄界だ、などと後釈し、

>貴殿は、冥界と云う言葉の意味を分かって使っておられるのか?(苦笑)
>単純に死後の世界と云う意味で使っておられるのか?

などと嘲笑したのである。して、其の嘲笑している己(おのれ)自身が、

>即身成仏は、一生成仏と同義語で、今世で成仏を果たすと、死後も仏であると云う事ではないのか?
>なぜ、死後(冥界)に即身成仏があるのか?

などと、脳捻転が如き質問しているのであるから、もはや救う神とておるまい。呆笑。

して見れば、

>貴殿の示した、『冥界』と云う言葉を『三悪道』と捉え、話をしたのである。

などと、今更に惚(とぼ)けた言い訳などをしておる。哀笑。

ならば何故『死後も仏であると云う事ではないのか? なぜ、死後(冥界)に即身成仏があるのか?』
などと申すか! お主は間違いなく『冥界』を『死後・死後の生命』と捉えていたのであり、だから
こそ『なぜ冥界に居る仏に坊さんが引導を渡すのか』と質問したのである。して見れば、此の時点で
冥界を地獄界と捉え、そして今回の投稿に於いては、冥界を三悪道と捉えていたのだと云う。小笑。

お主が云く、

>『何故故に、冥界に居る仏に坊さんが引導を渡さないといけないのか?」と云う質問は、
>「冥界(地獄界)」に居る「仏(仏界)」と云う意味で、何等、解釈におかしいところがあるとは
>思わないが。(苦笑)

などと言っておる。

ったく、冥界を地獄界ではなく、死後の世界との認識であったからこそ、其の死後、つまりは冥界に
居る仏に何故、引導を渡すのか、と質問したのであろうが。して、お主の詭弁を糺すとなれば、死後
の地獄界に仏が居るとは如何なる事か。して、冥界に仏界が居る、とは、如何なる意味か。お主は、
此の二点について、説明しなければならない。よいか、お主は、冥界に居る仏に何故引導を渡すのか、
と問うたのである。ならば、其の仏とはどういう仏であるのか。お主は今世に成仏した者は、死後に
於いても仏である、と申したのであるぞ。今回こそは其れに答えなさい。よろしいか。

尚、

一生成仏を遂げて亡者となり、冥界(死後の世界)に旅立った者は、其の子孫が退転し、邪教を信奉し、
其の邪教を以って供養した場合でも、其の亡者の生命は、延々と成仏の歓喜を受け続けるのか。
さても、其れは何処の教えであるか。お主は創価学会員であるから、其の文証を恩師の指導から提示
して貰おうか。出来ずんば、お主の論敗である!

という小生からの詰問に対し、お主は『ばかばかしい!(苦笑)』と吐き捨て、本幹での池田太作の
『葬式に必ずしも御僧侶を呼ぶ必要はないのです。正宗は葬式仏教ではなく生きるための仏教です。
呼びたい人は呼んでもいいが、呼びたくなければ呼ばなくてもいい』などの文言を出し、これが恩師
の見解だ、などと莫迦な事を言っておる。

よいか、小生が詰問しておるのは『一生成仏を遂げて亡者となり、冥界(死後の世界)に旅立った者は、
其の子孫が退転し、邪教を信奉し、其の邪教を以って供養した場合でも、其の亡者の生命は、延々と
成仏の歓喜を受け続けるのか。さても、其れは何処の教えであるか。お主は創価学会員であるから、
其の文証を恩師の指導から提示して貰おうか』という事である!

本より、恩師とは戸田先生の事である! お主は池田の事を、恩師・池田先生と呼んでおるのか。
何とも変梃(へんてこ)りんな学会員である。よいか! 小生が云う恩師とは、創価学会第二代会長・
戸田城聖先生、其の仁(ひと)である! よろしいか。上記の詰問に対して、其の回答を寄こしなさい。

尚、お主は、小生が引用せし、烏竜と遺竜親子の説話に対し、

>烏竜は、地獄で一生成仏を果たしたのか?(笑)

などと阿呆な事を言っておるが、本より、此の御説は、死後の生命に於いても、今世の者が為す正法
追善の功力によって、其の即身成仏が成るを説いたものであり『仮使(たとい)法界に遍く断善の諸の
衆生も一たび法華経を聞かば決定して菩提を成ぜん』との御義にして、応に死後の生命をして菩提を
成ずるを示されたものであり、其の地獄に於て常寂光の都と成り、遂には地獄に住する罪人に於ても
皆、仏と成る、つまりは即身成仏する旨を説かれているのである。

又、其の事は、お主が返して云う処(ところ)の、

『貴殿が示した『法蓮抄』の御文は、法華経写経の功徳でさえ父を無間地獄から救い出す功徳がある
のだから、読誦による功徳は更なるものがあると仰せなのだよ』という、当たり前の解釈をもって、
死後の生命に於ける即身成仏の義が、証明されるのである。して、其の事は、お主が引用したる所の、
『生死ともに仏なり、即身成仏と申す大事の法門これなり』の御文に繋がるのである。言って置くが
『生死ともに仏なり』とは、今世に成仏した者は、来世も引き続いて仏である、なとど云う簡素な意
ではない。今世に於いても、来世に於いても、ともに即身成仏の大義が在る、との意である。

而してお主は断言した。

『冥界に即身成仏はない!』
『死後の世界の即身成仏(一生成仏)などは、大聖人の法義ではない』と。

よいか、此の事は、前々から申しているとおり、葬儀の要不要、僧の要不要以前に、日蓮大聖人の
仏法に於いて、死後の生命、つまりは、其の解釈としての冥界に於いて、其の命が即身成仏するや
否やの、大根本たる論議なのである。して、これこそは、両者に於ける、日蓮大聖人門下としての
当に成仏義に於ける正邪決定の瞬間なのである。

ロム殿。

お主にもう後はない。何度でも云うが、アヒルは所詮、アヒルなのである。其れ以上、足をバタつか
せては、其れこそ醜いアヒルと成ってしまう。して、もはや、其の細首も、我が正法の大刀によって
今や刎ねられんとしているのである。

御義口伝に曰く、

『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて
即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり』(新編 1724)

よろしいか。ロム殿。

お主こそは、其の自義珍論を速やかに恥じて、本日までの小生の論述に対する嘲笑を詫び、其の貧弱
なる読解力によって誤読を繰り返して来た事を心から猛省して、今こそ、其の創価の論客としての潔
(いさぎよ)さを、此に示すべきである。

又、其れこそが本日まで、お主の論勝を待ち望んでいた同志に対する礼儀でもあろう。

それ以上、醜いアヒルになっては、お主こそが可哀想である。

よろしいか。閲覧されている同志への手前もあろうが、ここは論客としての潔さこそが大事である。

最早、これ以上は申すまい。

お主の態度、皆が注目しておるぞ。
 

Re: 追記

 投稿者:ロム男  投稿日:2012年 2月27日(月)23時25分18秒 p8039-ipngn100108osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  > No.44103[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。


おお、返答を忘れていた。


> ロム殿。
> お主は、以下の御書を紙背に徹して読みなさい。
> 日蓮大聖人に曰く『臨終の時、汝を誡めて仏経を書くことなかれと遺言せし事のくやしさ申すばかり
> なし。後悔先にたたず、我が身を恨み舌をせめしかどもかひなかりしに、昨日の朝より法華経の始め
> の妙の一字、無間地獄の鼎(かなえ)の上に飛び来たって変じて金色の釈迦仏となる。此の仏三十二相
> を具し面貌満月の如し。大音声を出して説いて云はく「仮使(たとい)法界に遍く断善の諸の衆生も一
> たび法華経を聞かば決定して菩提を成ぜん」云々。此の文字の中より大雨降りて無間地獄の炎をけす』
> と。
> 又曰く『八巻の題目は八十八六十四の仏・六十四の満月と成り給へば、無間地獄の大闇即大明となり
> し上、無間地獄は当位即妙・不改本位と申して常寂光の都と成りぬ。我及び罪人とは皆蓮(はちす)の
> 上の仏と成りて只今都率の内院へ上り参り候』と。
> 存知の如く、此の二文は、彼の有名な「烏竜」「遺竜」親子の説話から示されたものである。
> よろしいか。いみじくもお主がお休みの間際に記入した、

> >「若不聞法者無一不成仏」と云うことですよ。
> >じゃ、おやすみ。(^^)/~~~

> とは、実に冥界(死後の世界/地獄界)に於いても、其の義が通用する、という事なのである。
> 仍って、お主が断言した処(ところ)の、
> 『冥界(死後)に即身成仏はない!、即身成仏は、生前も死後も連続している』との認識は間違って
> いるのであり、お主も一端(いっぱし)の論者であるならば、速やかに論敗を認めた方がよい。


大笑いである!貴殿は、またもや詭弁を弄して話を誤魔化そうとしている。(苦笑)


この法蓮抄の御文のどこに、一生成仏・即身成仏について述べられているのか?

父の烏竜は、仏教を信ぜず道教を信じたため、その罪で大地獄に堕ちたのである。

この御文は、烏竜と遺竜親子の説話を引用され、回向の功徳の大きさを述べられて
いるのじゃないか。(笑)

烏竜は、地獄で一生成仏を果たしたのか?(笑)

『但し妙法蓮華経と唱へ持つと云ふとも、若し己心の外に法ありと思はば全く妙法に
あらず、麁法なり。麁法は今経にあらず、今経にあらざれば方便なり、権門なり、方
便権門の教ならば、成仏の直道にあらず。成仏の直道にあらざれば、多生広劫の修行
を経て成仏すべきにあらざる故に、一生成仏叶ひがたし』(一生成仏抄)

大聖人の御法門は、歴劫修行に相対するもので、凡身を改めず仏と云う仏果をひらく
直道のことだろう!

仏にならせてもらう法門ではなく、仏を開く法門なのだよ!(苦笑)

貴殿が示した『法蓮抄』の御文は、法華経写経の功徳でさえ父を無間地獄から救い出す
功徳があるのだから、読誦による功徳は更なるものがあると仰せなのだよ。

何度も同じ事を言わせるものではないぞ。(苦笑)

私は、いつどこで回向を否定した?唱題の功徳を否定した?

御教示いただきたい。(笑)


> もうこれ以上は申すまい。
> 兎も角、誤読訂正と自論珍義による惨敗宣言を、速やかに行なわれる事を望むものである。
> 尚、其れが済み次第、
> お主が待望している、
> 『成仏には葬儀が絶対に必要か』
> 『坊さんの引導が不可欠か』
> と云う、其の『絶対に必要か』『不可欠か』という事について、論じて参ろう。
> …哀笑。
> 其れにしても、『絶対に必要か!』『絶対に不可欠か!』などといきり立って質問するのもよいが、
> 何とも見え透いて、其の懐の狭さのみが見えて来る様であるが、まぁ、それが貴殿の個性であるから、
> 其れも仕方あるまい。
> ではロム殿。待っておるぞ。
> 話を進めるも止めるも、すべてお主次第である。


管理人殿。「成仏には葬儀において坊さんの引導が必要」と脅迫めいたことを
言ってるのは、現宗門であるぞ!

速やかに、当方の質問に答えられよ!

明後日を楽しみに待っている。
 

Re: ロム殿

 投稿者:ロム男  投稿日:2012年 2月27日(月)18時09分53秒 p8039-ipngn100108osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  管理人さんへのお返事です。


しかし、貴殿はくたびれる御仁である。(笑


> >貴殿は初めから、即身成仏に、この世(成仏)・あの世(不成仏)と立て分けているではないか。(笑)
>
> いいや、立て分けてはおらんぞ。
>
> 小生は、『生死ともに即身成仏義は在る』と申しておる。果たして、今世と来世を分離して考える
> 日蓮正宗信徒など、此の世に居るのか? お主、大丈夫か? 頭。


おいおい、貴殿の「生死ともに」と云う解釈は「生前の即身成仏義」
「死後の即身成仏義」が、別個にあるということであろう。

もし、貴殿が生死を分離して考えていないと言い張るのなら、
生前即身成仏を果たせば、因果の理法で、死後も後生も成仏しているという事ではない
のか?

ならば、死後の「即身成仏」などは、あり得ない。(苦笑)
すでに、仏果を得たものが、何故、即身成仏(一生成仏)をしないといけないのか?
まったく、貴殿の言い分は論旨不明である。

まずもって、大聖人の死後の生命観の御指南は、死して後、生前の信仰で得た境界に
相応しい幽界の「中有」となり、その「中有」は、最長49日の間に、
次の生を受けると云う事であろう。

つまり、生前、即身成仏(一生成仏)果たした故人の御霊は、後生は御本尊の下に
瑞々しい生命で生まれるということである。

この中有については『本尊問答抄』御書全集p373『妙心尼御前御返事』同p1480に
詳しい。

故に、死後の世界の即身成仏(一生成仏)などは、大聖人の法義ではないと
言ってるのだ。(笑)

と云うことで、↓の私の

「何故故に、冥界に居る仏に坊さんが引導を渡さないといけないのか?」と云う質問に
なるのである。

貴殿の示した、『冥界』と云う言葉を『三悪道』と捉え、話をしたのである。

冥界に迷う衆生は、生前即身成仏をしていないということであろう。

> >その上で、貴殿は「冥界」と云う言葉を使って私に質問を続けているが、
> >広義の意味で「冥界」は、死後の生命等と、私見を我見を交えられては、
> >対論が成立しないではないか!?(苦笑)
>
> だから、お主も「冥界」の意を死後・又は死後の生命と捉えて、小生と論じて来たのではないか。
>
> 一体このセリフは誰のセリフであるか。
>
> >即身成仏は、一生成仏と同義語で、今世で成仏を果たすと、死後も仏であると
> >云う事ではないのか?
> >なぜ、死後(冥界)に即身成仏があるのか?


なぜ、私の↑の質問がおかしいのだ?(苦笑)

貴殿の、死後にも即身成仏義はあると云う事に対して、質問をしているのじゃないか。

さらに説明を加えると、「生前」→「臨終」→「死後(中有)」→「後生」の順に
なるが、死後・後生の境界は、「生前」「臨終」で決定してるのだよ。(苦笑)


> ****************************************************************************
>
> >即身成仏は、一生成仏と同義語で、今世で成仏を果たすと、死後も仏であると云う事では
> >ないのか? なぜ、死後(冥界)に即身成仏があるのか?
>
> 呆笑。だから、小生は、
>
> 『即身成仏とは、冥界の生命に於いても』と、「於いても」とはどういう意味ぞ、と問い質して
> おるではないか。


何度も言わせるものではないぞ。

「於いても」とは、死後の世界にあっても、「即身成仏(一生成仏)」をすると
云うことではないのか!?(笑)

詭弁を使っても無理である。死後の世界に於いては、生前仏果を得ているので、
即身成仏(一生成仏)をする必要はないのである。(爆)

> 果たして、お主が引用した『生死ともに仏なり、即身成仏と申す大事の法門これなり』との一節と、
> 小生が上記に申した事と、一体、其のどこが違うのかと、詰問しているのである。
> よいか。小生は『(今生のみならず)冥界の生命に於いて【も】即身成仏は在る』と申したのだ。


即身成仏・一生成仏は、「ある」のではなく、「する」のである。

もういい加減、貴殿は言葉の錯誤に気づかれては如何か?(苦笑)


> しかし、お主は其れに対して『冥界の世界に当て嵌まるって?(笑)』と嘲笑したのである。
> だから、其の誤読について訂正しなさい、と申しておる。
> よいか。小生は【生死ともに即身成仏義は在る】と申した。又、其の事は、お主が引用せし御文にも
> 一致するものである。
> しかしお主は、其の小生の記述に対して、
> 『冥界の世界に当て嵌まるって?(笑)』と嘲笑したのである。
> これこそは明らかな誤読ではないか。又、此の時点に於いて、冥界とは、地獄界との認識で対論して
> いない事は、両者の記述からしても明らかである。
> 仍って、上記の時点に於ける、お主の誤謬解釈に対して、其の訂正を求めるものである。


貴殿の上記の書き込みのくどさから、心理状態がよみとれるぞ。(笑)

いいか、即身成仏・一生成仏は、「ある」ものではなく「する」ものである。

> *****************************************************************************
>
> 其の上でロム殿。
> お主の以下の理屈はもう破綻しておるから、止めた方がよろしい。


> >おいおい!また貴殿の示した『雑々聞書』の文のどこに、葬儀が重要と読み取れるのか?
> >これは、私の示した文証の後に続く言葉であるが、成仏には、葬儀が重要で、坊さんの
> >引導が必要などとは、説かれていない。(苦笑)


> 哀笑。
> ったく、あれほど論点の拡散を注意しておるのに、葬儀の要不要、僧の要不要を引っ張り出して
> 騒いでおる。


まてまて、私の貴殿宛の初手の質問は、「葬儀の要不要」葬儀における「僧の要不要」
だったのを忘れたのか?

なぜ、それに答えない。(苦笑)

論点を拡散させているのは、御貴殿であることに、気がつきなさい。


> 仍って、お主が断言する処(ところ)の、
> 『冥界(死後)に即身成仏はない!、即身成仏は、生前も死後も連続している』との認識は間違って
> いるのであり、此に至って、誤謬解釈の訂正と合わせて、自義珍論による惨敗宣言を行なう羽目に
> なってしまった、という事である。哀笑。


管理人殿、少しは理解できたか?(笑)

もう一度述べる。

即身成仏・一生成仏は、「ある」のではなく、「する」のである。

> さても、其れは何処の教えであるか。お主は創価学会員であるから、其の文証を恩師の
> 指導から提示して貰おうか。
> 出来ずんば、お主の論敗である!


ばかばかしい!(苦笑)


『坊さんを呼ばないとか、死亡通知だけでよい、というような考えです。
御本尊に題目を朝晩あげて、事の一念三千の当体である我々です。死んでだれにお経を
読んでもらう必要がありますか。我々こそ、葬式の最高の近代化をうたえる人であり、
合理化の先駆者なのです。だから、もし葬式の改革の話が出たら、我々は賛成だ、
先端を行くのだ、といっていいのです。葬式に必ずしも御僧侶を呼ぶ必要はないのです
。正宗は葬式仏教ではなく生きるための仏教です。呼びたい人は呼んでもいいが、
呼びたくなければ呼ばなくてもいい。このように日蓮正宗は、あらゆる宗教のなかで
最先端を行くものであり、最高の近代性をもっているのです。これについては、
総本山も大聖人の根本精神とつながった考えです、といっておりました。』


昭和43年11月、日蓮正宗創価学会であった時の、恩師の公式見解であり御指導である。

これを否定するなら、宗門を否定することになる。心得なさい!


では、「即身成仏には、葬儀が絶対不可欠な通過儀礼である」
「葬儀に僧侶を呼ばないと成仏しない」と云う、大聖人の御法門を述べなさい。

出来ずんば、貴殿の論敗である!

では、会合の準備があるのでこれにて。

明日は、帰宅後より忙しいので、時間があればこちらに寄せて頂く事にするので、
念のため。


追伸:貴殿との論戦に横槍を入れる不届き者に、注意されたい。

山本五十六は、ミッドウェー海戦の作戦を練り、海軍司令官として陣頭指揮を
執ったが、敵との交戦をせず、敵兵を一人も殺さなかったので、山本五十六は、
「戦争しなかった」と、馬鹿な論調を重ねる御仁が、当掲示板にウロウロしている
のは、真に目障りである。(笑)
 

お知らせ

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 2月27日(月)17時55分28秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  投稿者及び閲覧者各位

当室管理人は、本日午後七時より、明後日の午後三時まで不在となります。

尚、其の間の、皆様からの投稿につきましては、一部条件付きを除き、随時、掲載する事と致します
ので、多少の時間的ロスはあると思いますが、鋭意、御投稿のほど、宜しくお願い致します。
 

黒川殿

 投稿者:通りすがりの法華講  投稿日:2012年 2月27日(月)14時38分10秒 pw126211066015.37.tik.panda-world.ne.jp
返信・引用
  もう一つ念の為
ロム男氏の逃げの口実を与えることに成りかねないので
ご自身の掲示板にロム男氏が逃げ込んで来ても
大月天氏との法論が決着するまで
スルーしていただけないか?

最後までじっくり拝見したいので
宜しくお願いいたします
 

ロム男君、

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 2月27日(月)13時29分44秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  一つ念を押しておくが、貴殿は牧口常三郎氏の国家諌暁の論に於いて、当方が主張した「牧口常三郎氏は確かに国家諌暁を叫んだのは事実であるが、実際には国家諌暁はしておらない。叫んだだけであり、牢獄で衰弱死し、国家諌暁どころが一人も折伏出来なかった」の発言に於いて、

【昭和16年の記録であるが、これが国家諌暁でなくてなんなのだ?】
ttp://6730.teacup.com/tasakuikeda/bbs/597

との発言だったね。青年部3名の石黒邸訪問記を以て国家諌暁の証と言ったよね、これが第一番目の敗北だった。

次に、君は当方の下記の発言に於いて、反論出来なかった。これが第二番目の敗北だったよね?

現在の創価は日蓮正宗憎さ極まり、

①寺院無用論
②僧侶無用論
③塔婆無用論
④葬儀無用論
⑤本尊軽視

なんてことわない、内外相対からして、創価は外道である。凡そ仏教の体裁を整えていない。小乗教以下の外道である。

お分かりか?


文句があるなら大月天氏の対論を終了してから、時間をかけてやってもよいゾ。 ただ言っておくが、三回目の敗北となることは間違いない。これ以上、恥を天下にさらしたいか?

大月天氏曰く、


【お主、もはや、ワニに追われたアヒルの様ではないのか。哀笑。

平然を装っておるが、水面の下では、足をバタつかせておる。哀笑。】

お前さんの姿を想像するだけで、笑いが止まらん昨今である。

以上、



 

追記

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 2月27日(月)11時02分50秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  ロム殿。

お主は、以下の御書を紙背に徹して読みなさい。

日蓮大聖人に曰く『臨終の時、汝を誡めて仏経を書くことなかれと遺言せし事のくやしさ申すばかり
なし。後悔先にたたず、我が身を恨み舌をせめしかどもかひなかりしに、昨日の朝より法華経の始め
の妙の一字、無間地獄の鼎(かなえ)の上に飛び来たって変じて金色の釈迦仏となる。此の仏三十二相
を具し面貌満月の如し。大音声を出して説いて云はく「仮使(たとい)法界に遍く断善の諸の衆生も一
たび法華経を聞かば決定して菩提を成ぜん」云々。此の文字の中より大雨降りて無間地獄の炎をけす』

と。

又曰く『八巻の題目は八十八六十四の仏・六十四の満月と成り給へば、無間地獄の大闇即大明となり
し上、無間地獄は当位即妙・不改本位と申して常寂光の都と成りぬ。我及び罪人とは皆蓮(はちす)の
上の仏と成りて只今都率の内院へ上り参り候』と。

存知の如く、此の二文は、彼の有名な「烏竜」「遺竜」親子の説話から示されたものである。

よろしいか。いみじくもお主がお休みの間際に記入した、

>「若不聞法者無一不成仏」と云うことですよ。
>じゃ、おやすみ。(^^)/~~~

とは、実に冥界(死後の世界/地獄界)に於いても、其の義が通用する、という事なのである。

仍って、お主が断言した処(ところ)の、

『冥界(死後)に即身成仏はない!、即身成仏は、生前も死後も連続している』との認識は間違って
いるのであり、お主も一端(いっぱし)の論者であるならば、速やかに論敗を認めた方がよい。

もうこれ以上は申すまい。

兎も角、誤読訂正と自論珍義による惨敗宣言を、速やかに行なわれる事を望むものである。

尚、其れが済み次第、

お主が待望している、

『成仏には葬儀が絶対に必要か』
『坊さんの引導が不可欠か』

と云う、其の『絶対に必要か』『不可欠か』という事について、論じて参ろう。

…哀笑。

其れにしても、『絶対に必要か!』『絶対に不可欠か!』などといきり立って質問するのもよいが、
何とも見え透いて、其の懐の狭さのみが見えて来る様であるが、まぁ、それが貴殿の個性であるから、
其れも仕方あるまい。

ではロム殿。待っておるぞ。

話を進めるも止めるも、すべてお主次第である。
 

ロム殿

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 2月27日(月)09時36分2秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  お主、もはや、ワニに追われたアヒルの様ではないのか。哀笑。

平然を装っておるが、水面の下では、足をバタつかせておる。哀笑。

>貴殿は初めから、即身成仏に、この世(成仏)・あの世(不成仏)と立て分けているではないか。(笑)

いいや、立て分けてはおらんぞ。

小生は、『生死ともに即身成仏義は在る』と申しておる。果たして、今世と来世を分離して考える
日蓮正宗信徒など、此の世に居るのか? お主、大丈夫か? 頭。

>私の「何故故に、冥界に居る仏に坊さんが引導を渡さないといけないのか?」と云う質問は、
>「冥界(地獄界)」に居る「仏(仏界)」と云う意味で、何等、解釈におかしいところがあるとは
>思わないが。(苦笑)

呆笑。おいおい、そういうのを『苦しまぎれ』と云うのであるぞ。呆笑。

一体『冥界に居る仏に坊さんが引導を渡す』との文面をして、何故、地獄界に居る仏界に坊さんが
引導を渡す、などと云う解釈になるのか。呆笑。果たして『仏界が居る』という日本語は、仏教徒
からして通用するのか。そのまま『仏が居る』と読むが正解であろう。つまり、お主からして最初の
表現でよいのである。小笑。

>その上で、貴殿は「冥界」と云う言葉を使って私に質問を続けているが、
>広義の意味で「冥界」は、死後の生命等と、私見を我見を交えられては、
>対論が成立しないではないか!?(苦笑)

だから、お主も「冥界」の意を死後・又は死後の生命と捉えて、小生と論じて来たのではないか。

一体このセリフは誰のセリフであるか。

>即身成仏は、一生成仏と同義語で、今世で成仏を果たすと、死後も仏であると
>云う事ではないのか?
>なぜ、死後(冥界)に即身成仏があるのか?

ロム殿。

いい加減にして貰いたいぞ。呆。

今更、論釈をゴチャゴチャにして逃げようとも、お主のシッポはもう掴まれておるぞ。

よろしいか。

小生とお主は、今日の今まで、冥界の解釈を、死後、もしくは死後の生命という意を以って論じて
来たのである。其れを今に成って、冥界とは地獄界の事だ、などと言い換えるは、ワニに追われて
遁走する、アヒルの姿そのものである。哀笑。

では再度、其れらの事を踏まえて、お主の誤謬解釈の訂正を以下に求める。

****************************************************************************

>即身成仏は、一生成仏と同義語で、今世で成仏を果たすと、死後も仏であると云う事では
>ないのか? なぜ、死後(冥界)に即身成仏があるのか?

呆笑。だから、小生は、

『即身成仏とは、冥界の生命に於いても』と、「於いても」とはどういう意味ぞ、と問い質して
おるではないか。

果たして、お主が引用した『生死ともに仏なり、即身成仏と申す大事の法門これなり』との一節と、
小生が上記に申した事と、一体、其のどこが違うのかと、詰問しているのである。

よいか。小生は『(今生のみならず)冥界の生命に於いて【も】即身成仏は在る』と申したのだ。

しかし、お主は其れに対して『冥界の世界に当て嵌まるって?(笑)』と嘲笑したのである。

だから、其の誤読について訂正しなさい、と申しておる。

よいか。小生は【生死ともに即身成仏義は在る】と申した。又、其の事は、お主が引用せし御文にも
一致するものである。

しかしお主は、其の小生の記述に対して、

『冥界の世界に当て嵌まるって?(笑)』と嘲笑したのである。

これこそは明らかな誤読ではないか。又、此の時点に於いて、冥界とは、地獄界との認識で対論して
いない事は、両者の記述からしても明らかである。

仍って、上記の時点に於ける、お主の誤謬解釈に対して、其の訂正を求めるものである。

よろしいか。

*****************************************************************************

其の上でロム殿。

お主の以下の理屈はもう破綻しておるから、止めた方がよろしい。

>おいおい!また貴殿の示した『雑々聞書』の文のどこに、葬儀が重要と読み取れるのか?
>これは、私の示した文証の後に続く言葉であるが、成仏には、葬儀が重要で、坊さんの
>引導が必要などとは、説かれていない。(苦笑)

哀笑。

ったく、あれほど論点の拡散を注意しておるのに、葬儀の要不要、僧の要不要を引っ張り出して
騒いでおる。

よいか。小生が引用した御文は、お主の、

>冥界に即身成仏はない!故上野殿は、今世の即身成仏(一生成仏)をなしとげ、仏果を得て、
>逝去したのである。
>死後、即身成仏したのではなく、三世の生命の連続性から言っても、因果の理法から言っても、
>即身成仏は、生前も死後も連続しているのである。

という自論に対して、其の反証を述べたものであって、葬儀の重要性、僧侶の出席云々以前の、
即身成仏義に関する法義的解釈を述べているのである。

其れを「どこに葬儀が重要と読み取れるのか、坊さんの引導が必要なのか」などと拡散するので
あるか。だから小生は、お主の誤謬解釈の訂正までは、余計な投稿文は保留としているのである。

よいか。お主は『冥界(死後)に即身成仏はない!』と断言し『即身成仏は、生前も死後も連続して
いるのである』と断言したのである。だから小生は、以下の御文、

『又云く、当宗に於て信の道の大切なる事は親師匠能信の徳に依って即身成仏したまひたる其の跡を
継ぎたる弟子など不信なれば其の親・師匠を悪趣に輪廻させんずるなり。又親師匠不信なれども其の
跡を継ぐ子・弟子能信なれば又成仏すと云へり』(有師談諸聞書)

『大石寺の義に云く、縦(たと)ひ親・師匠は信心堅固にして得道すとも弟子等の所々に退転有らば其
の師輪廻すべきなり云々。仰せに云ハく・此の義相違無きなり』(雑々聞書)

の二文を引用して、仮令(たとえ)、今世に於いて仏果を得ようとも、冥界(死後の世界)に向かった後、
其の弟子・遺族・縁者等が不信し、退転するならば、それら死後の生命は悪趣に輪廻する、という義
を示したのである。して、此の御文は、お主が前(さき)に引用した御文の後半に示されたものである。

果たして、お主の自義と、上記、富山の宗義と、一体どちらが正義であるのか。

見れば、上記の御文について、

『親・師匠が、即身成仏しても、子供・弟子が不信であれば、親・師匠も迷いの境智に入り、その
反対に、親・師匠が不信であっても、子供や弟子が、篤信者であれば、成仏すると言われているの
だろ!』

などと、不貞(ふて)腐れて書いておるが、本より、そういう意味である。小笑。

仍って、お主が断言する処(ところ)の、

『冥界(死後)に即身成仏はない!、即身成仏は、生前も死後も連続している』との認識は間違って
いるのであり、此に至って、誤謬解釈の訂正と合わせて、自義珍論による惨敗宣言を行なう羽目に
なってしまった、という事である。哀笑。

ロム殿。

もう観念した方がよいぞ。アヒルは所詮、アヒルなのである。其れ以上、足をバタつかせては、其れ
こそ醜いアヒルと成ってしまう。そろそろ止めた方がよろしい。

其れにしても『即身成仏義』の正意を示す為に小生が引用せし御文を、

>「成仏には葬儀が絶対に必要」「坊さんの引導が不可欠」等の文証に使われると、(有師も)迷惑
>千万この上ない! 詭弁も、いいかげんにしてもらいたい!!(悲笑)

などと、まったく的の外れた事を言っておる。

お主こそは、一生成仏を遂げて亡者となり、冥界(死後の世界)に旅立った者は、其の子孫が退転し、
邪教を信奉し、其の邪教を以って供養した場合でも、其の亡者の生命は、延々と成仏の歓喜を受け
続けるのか。さても、其れは何処の教えであるか。お主は創価学会員であるから、其の文証を恩師の
指導から提示して貰おうか。

出来ずんば、お主の論敗である!

おっと、其の前に、誤読訂正の弁が先であるぞ。よろしいな。
 

Re: ロム殿

 投稿者:ロム男  投稿日:2012年 2月26日(日)23時14分30秒 p8039-ipngn100108osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  管理人さんへのお返事です。


> >貴殿は、冥界と云う言葉の意味を分かって使っておられるのか?(苦笑)
> >単純に死後の世界と云う意味で使っておられるのか?
>
> 本より、承知の上で使っておるぞ。
> して、お主は、今になって冥界の意味を「地獄界」などと言っておるが、小生の云う冥界とは、
> 本より、死後の世界と云う意味に於いて使っておる。そんな事は、今までのやり取りの中で理解
> できるではないか。又、我ら富士門の教学に於いては、冥界とは本仏所有の法界に住するものと
> 理解しておる。仍って、今回のやり取りに於ては、其の広義の意味に於て、死後の生命を指して
> 述べてきたのである。又、だからこそ『生死ともに仏なり、即身成仏と申す大事の法門これなり』
> との一節について、全く相違がないではないか、と詰問してきたのである。初手から冥界をして
> 地獄界との認識でおるならば、本日の今まで、お主に対する誤読の訂正など求めまいて。
> 又、お主とて、小生の冥界に対する広義の解釈、つまり「死後の生命」という認識を受けて、
>
> >何故故に、冥界に居る仏に坊さんが引導を渡さないといけないのか?
>
> と質問したのであろうが。哀笑。
>
> 其れを今に成って「貴殿は、冥界と云う言葉の意味を分かって使っておられるのか?」と苦笑され
> ても、こっちこそが苦笑である。


おいおい!冥界と云う用語は、仏教哲学大辞典でも、三悪道・地獄界と、
記載されている。

貴殿は初めから、即身成仏に、この世(成仏)・あの世(不成仏)と立て分けているではないか。(笑)

私の「何故故に、冥界に居る仏に坊さんが引導を渡さないといけないのか?」と云う
質問は、「冥界(地獄界)」に居る「仏(仏界)」と云う意味で、何等、解釈に
おかしいところがあるとは思わないが。(苦笑)

その上で、貴殿は「冥界」と云う言葉を使って私に質問を続けているが、
広義の意味で「冥界」は、死後の生命等と、私見を我見を交えられては、
対論が成立しないではないか!?(苦笑)

> よろしいか。其の上に立って、以下を再掲する。

> >即身成仏は、一生成仏と同義語で、今世で成仏を果たすと、死後も仏であると云う事では
> >ないのか?
>
> 呆笑。だから、小生は、
> 『即身成仏とは、冥界の生命に於いても』と、「於いても」とはどういう意味ぞ、と問い質して
> おるではないか。
> 果たして、お主が引用した『生死ともに仏なり、即身成仏と申す大事の法門これなり』との一節と、
> 小生が上記に申した事と、一体、其のどこが違うのかと、詰問しているのである。
> よいか。小生は『(今生のみならず)冥界の生命に於いて【も】即身成仏は在る』と申したのだ。
> しかし、お主は其れに対して『冥界の世界に当て嵌まるって?(笑)』と嘲笑したのである。
> だから、其の誤読について訂正しなさい、と申しておる。
> よいか。小生は【生死ともに即身成仏義は在る】と申した。又、其の事は、お主が引用せし御文にも
> 一致するものである。


まったく、牽強付会の質問である。
冥界に即身成仏はない!故上野殿は、今世の即身成仏(一生成仏)をなしとげ、
仏果を得て、逝去したのである。

死後、即身成仏したのではなく、三世の生命の連続性から言っても、因果の理法から
言っても、即身成仏は、生前も死後も連続しているのである。

故に、上野殿は、死後の生命において再び即身成仏を果たしたのではないと、
断言する。


> 尚、今になって、小生が使用した「冥界」を、地獄界の意にして得意然としておるが、当宗に於ては、
> 導師本尊をして、冥界に向かう信徒の化導と為す、との表現を使っておる。


それが本当なら、「三悪道に向かう信徒の化導」と、捉えるのが本当の意味だろう。
葬式仏教と呼称される、現宗門なら、その言葉の意味も頷けると言うものだ。(笑)


> >即身成仏(一生成仏)を果たし、仏果を得て逝去された故上野殿が、
> >三悪道に墜ち、再び、即身成仏をされると言われるのか?(苦笑)
>
> などと騒いでおるが、上記の苦笑の屁理屈については、以下の文証を提示しておこう。> 尚、以下の御文は、お主が謝罪訂正した後に、掲載する予定であったが、お主がベラベラと後付の
> 文句をしておるから、今、其れを掲載する事にする。
> 「又云く、当宗に於て信の道の大切なる事は親師匠能信の徳に依って即身成仏したまひたる其の跡を
> 継ぎたる弟子など不信なれば其の親・師匠を悪趣に輪廻させんずるなり。又親師匠不信なれども其の
> 跡を継ぐ子・弟子能信なれば又成仏すと云へり」と。(有師談諸聞書)
> 加えて云く、
> 「大石寺の義に云く、縦(たと)ひ親・師匠は信心堅固にして得道すとも弟子等の所々に退転有らば其
> の師輪廻すべきなり云々。仰せに云ハく・此の義相違無きなり」と。(雑々聞書)
> 仍って、お主が云う処の、
> 『大聖人の仏法は、今世で成仏を果たし、死後も、生前仏果を得た因により、仏の生命でおられると
> 云う事ではないのか?』とは、仮令(たとえ)、今世に於いて仏果を得ようとも、冥界(死後の世界)に
> 向かった後、其の弟子・遺族・縁者等が不信し、退転するならば、それら死後の生命は、悪趣に輪廻
> するのである。仍って、故人に対する追善の供養は、葬儀も含めて非常に重要なのである。
> したがって、


おいおい!また貴殿の示した『雑々聞書』の文のどこに、葬儀が重要と読み取れるのか?
親・師匠が、即身成仏しても、子供・弟子が不信であれば、親・師匠も迷いの境智に
入り、その反対に、親・師匠が不信であっても、子供や弟子が、篤信者であれば、
成仏すると言われているのだろ!

これは、私の示した文証の後に続く言葉であるが、成仏には、葬儀が重要で、坊さんの
引導が必要などとは、説かれていない。(苦笑)

要は、各人の「信」が成仏には重要であると云う、戒めであろう!


> >であるならば、
>
> との、お主の前提こそが崩れるのであり、

> >貴殿の『即身成仏とは、冥界の生命に於いても』と云う論釈は、成り立たない。
>
> との文句こそが、成り立たないのである。
> よろしいか。


まったく、よろしくないぞ!(笑)

有師も、『雑々聞書』を、「成仏には葬儀が絶対に必要」「坊さんの引導が不可欠」
等の文証に使われると、迷惑千万この上ない!

詭弁も、いいかげんにしてもらいたい!!(悲笑)

 

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