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さて、聞く処(ところ)によると、今、創価学会では、学会本部と創価文化会館を解体し、来年の秋に
向けて『創価学会総本部』が建設されるという。
そして、其の『総本部』には、日蓮正宗第六十四世・日昇上人御書写の模刻本尊が安置されるという。
本より此の模刻本尊は、現在、学会本部の師弟会館に安置されている、所謂【大法弘通慈折広宣流布
大願成就】の脇書がある板本尊である。
して、現在、創価学会は、此の板本尊をして『学会常住の大御本尊』とも称している様ではあるが、
果たして、日昇上人は創価学会に対して『大御本尊』を下付されたのであろうか。
存じの如く、此の【大法弘通慈折広宣流布大願成就】の御本尊は、日昇上人が昭和二十六年の五月に
御書写された御本尊であるが、其れを創価学会が、昭和四十九年の九月、総本山雪山坊での連絡会議
に於いて『板御本尊にしたい』旨を宗門に告げて、其の翌日に御先師日達上人が御承知されたもので
ある。しかし、日達上人が御承知されたのは、日昇上人の紙幅御本尊を、日達上人御謹刻の板本尊に
御取り替えする事への御承知であった事は『(学会本部三階の御本尊を)板本尊にして欲しい、という
願いはあったが、その後、御本尊下付願いが正式に出てこないので、どうしたのかと思っていたら、
既に板本尊に直していたという事を後から聞かされた』との日達上人の仰せからして理解出来るもの
である。さても『板本尊にしたい』という申し出と『板本尊にして欲しい』という願い出とでは、
相互の認識に於いて解釈の違いもあろうが、兎も角も、学会本部の模刻本尊は、かろうじて日達上人
の御承知するところであったから、其の没収を免れたのである。
まぁ、其の経緯(いきさつ)などは経緯として、創価学会は、此の日昇上人の御本尊を『常住大御本尊』
として祀っているのであるが、さても、創価学会総本部に安置する本尊などは、そろそろ桂冠詩人の
池田太作書写の板本尊にしてはどうか、と小生は思うのである。
何? いけないか…。何故にいけない。何故にいけないのだ。哀笑。
お前らからして、信心強盛の者であれば、御本尊様を書いてもいいのであろう? 何? 違うのか。
という事は、やはり日蓮正宗御歴代上人の御書写本尊でなければダメという事であるのか。
おかしいではないか。お前らからして、我が日蓮正宗の唯授一人血脈相承は、ズタズタに切断されて
いるのであろう。加えて、日蓮正宗の御歴代上人などは、途中の人師論師なのであろう。哀笑。
ならば、御歴代上人の書写判形にこだわる必要などないではないか。
其れとも何か。日寛上人と日昇上人と日達上人はオッケーという事なのか。鼻笑。
おかしいではないか。果たして、誰それの御書写本尊であるから良い、というのであれば、其れこそ
日興上人の御書写本尊を入手して模刻すれば最高となるではないか。聞けば栃木浄圓寺には日興上人
の御本尊が在るという。果たして、お前らからして、僧宝とは日興上人御一人なのであろう。ならば、
日興上人御書写の本尊こそを求めるべきではないか。そうであろう。今からでも遅くはないぞ。
兎も角も、平成二十五年に完成と目される創価学会総本部に安置される本尊が、未だにして日蓮正宗
御歴代上人の御書写本尊であるとは、此れ、御歴代上人正義の本尊であるが故か、其れとも温故知新
の未練が故か、其れとも、創価上人・池田大作猊下の書写本尊完成までの暫定であるが故か。
いずれにせよ、そろそろお前らは、そういう本尊の定義というものを、しっかりと決めなければなら
ない。
よいか。応に、創価学会総本部の完成の暁に於いて、其の決断こそが試されるのである。
尚、御本尊に於いては、本より売買の対象ではないから、退会・破門となりし時は、御山に御返納し
なければならない。又、其れが故の『御下付』である。
さても、学会本部に安置されている御本尊は、御宗門から買ったものであるのか。もし、違うという
のであれば、御山に返納しなければならない。
何? 学会本部の板本尊は、宗門に無断で造ったものであるから、返す必要などない、とな。
鼻笑。さもありなん、さもありなん。哀笑。
しかし、思えば思うほど、お前らの行態は『蝙蝠鳥』であるよな。哀。
まぁ、いずれにしても、本尊の定義については、はっきりした方がよい!
よろしいか!
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