年間100ミリシーベルト以下の低線量被爆については、広島、長崎の被爆者では、むしろ一般よりも発ガン率も低いという結果が得られているのですが、統計的な誤差を加味すると、必ずしもそうだと断定できません。そのことが、低線量被爆の影響について、さまざまな議論を呼び起こし、混乱が生じています。
ひとつの考えは、データを素直に見れば、ある線量を超えたときにはじめて健康被害がでてくるのだろうというものであり、もうひとつはたとえ低線量であっても被曝するとそれに比例して健康に影響がでてくるというものです。
それらの議論はすべてデータをどう見るかの仮説にもとづくものであり、いわば抽象的な世界での議論です。なにかの根拠があるわけではありません。
そういった議論があるために、世界の規制当局は批判を避けようと、「安全な基準などない」という、いわゆる「しきい値無し直線(LNT)仮説」の立場を取っているのが現状です。
3・11直後に、ICRP(=国際放射線防護委員会)の委員にたいして行った行ったインタビューの映像がテレビに流れているのを見たのですが、やはり100ミリシーベルト以下なら安全だと認めるリスクを恐れていることが滲みでたものでした。しかし不思議なことにそれ以降はまったく取り上げられなくなりました。
3・11以降は、福島第一原発周辺地域の人たちのみならず、日本の広域に放射性物質が飛散したこともあって、国民の多くが不安を感じ、低線量被曝でも危険だ、放射線被爆が怖い、政府の発表にも疑心暗鬼という状態が広まってしまいました。
不幸なことに、原子力安全委員会、また電力ムラへの不信感や批判が重なってしまい、その影響もあって、どちらかというと、たとえ低線量被曝でも危ないとする一方の考えが報道の基調となってしまいました。とくにNHKの偏りが気になるところです。
こういった論争に一石を投じそうなコラムが、ウォール・ストリート・ジャーナルにでています。
【オピニオン】原発の真の危険性、見極めが肝要―有害とは限らない低線量被ばく - WSJ日本版 -
1980年代初め、台湾の鉄鋼会社が誤って放射性元素コバルト60を鉄筋に混入させ、それを使って1700棟のアパートがつくられてしまったのです。
それが発覚したのが15年後。住民は、その間、最大で自然環境の30倍の放射線、福島の避難区域の10倍もの放射線を浴び続けて暮らしていたのですが、慌てた当局が当時と過去のアパートの住人について健康調査健康調査を実施すると、意外な結果だったのです。
一般的なガンの発症率からいうと、住人1万人に対しガン患者は160人と推定されていたのですが、しかし、実際には、ガンの症例はそれを上回るどころか、わずか5件しかなかったのです。先天異常の割合も予想を下回っていました。この研究結果は、2004年の米医学誌ジャーナル・オブ・アメリカン・フィジシャン・アンド・サージョンズに発表されているそうです。
この台湾の事例だけではにわかに信じがたいのかもしれませんが、広島・長崎のケースとまったく同じなのです。それが真実だとするとこういえます。
低線量被曝は健康にいいとまでは断定できなくとも、
少なくとも有害とはいえない
放射線を発するラジウム温泉や岩盤浴が好まれ、また海外で、他の地域よりもかなり高い放射線量の地域が、人気の高いリゾート地であったり、さらにパワースポットだとされる巨大な花崗岩などは放射線を発しているわけで、それらもそう語っているようです。黒砂ビーチで保養地として人気の高いブラジルのガラパリは年間で平均5ミリシーベルト、最高値では35ミリシーベルトですから、日本ならパニックが起こりそうです。
世界の高自然放射線地域 :
またこういった世界の高線量地域の人たちを対象とした疫学研究でも、まったく健康への悪影響は認められなかったといいます。
高自然放射線地域における疫学研究
低線量被爆でも健康被害があると考える人のなかには、健康に害があるという証拠を探し、確信を高めようとします。おそらくいくらこういった事例がでてきても、広島・長崎のデータは原爆を投下した占領軍がデータを捏造していると主張するように、おそらく信用しないのでしょう。
思い込みの罠にはまると、なかなかそこから抜け出せないのは世の常です。
ただ、気をつけないといけないのは、いくつかのネガティブな流れを生み出す社会的なメカニズムが働き、日本にとんでもない損失をもたらす危険性をはらんでいることです。
政府も将来に被爆に関する保障問題が広がることを避けるために、基準を厳しく適応しようというメカニズムが潜在的に働いてきます。政治家も摩擦を避けるために安全だとは発言しません。
マスコミも、下手に低線量被爆は健康になんら影響がないと報道するとクレームを浴びせかけられるので、放射線被爆に注意しましょうという報道に流れます。さらに放射線が測定されたとすると、それをピックアップして報道されていくので、次第に無意識のうちにも国民は数字に金縛りになっていきます。そうなると、基準値の厳格化への声がさらに強まってきます。
またがれき処理問題でもあったように、世論調査を行うと、協力すべきという人が多数なのですが、声が大きく、行動してくる「反対派住民」との軋轢を避けるために、自治体も決断をためらうことが、さらに活動の手応えとしての高揚感を生み出し、「反対運動」を勢いづかせます。安全だと主張するよりは、危険だと主張する方が注目され、共感されやすいので意図的にそう主張する人も現れます。
こういった混乱も福島第一原発事故後遺症として、時の流れを待つしかないのかもしれません。
しかし、うまくこの後遺症から抜けださないと、そのために除染などにも何兆円もの膨大な費用をかけ、事の次第によってはもっと多くの費用負担になってしまいかねません。それが本当に必要だという根拠もないのにです。しかもそれでも放射線被爆の恐怖は消え去らないのです。
もともと幻の数値でしかない暫定基準値ですが、それを徹底することによって、国民のコンセンサスを政府が得る努力を行い、それなりのコストを国民が負担するのも一手かもしれませんが、そのまえに、広島・長崎で被曝した国として、また福島第一原発事故にあった国として、もっと知恵のある解決はできないものかと感じてしまいます。
田原総一朗さんが関心をもたれるかどうかはわかりませんが、一度、科学者を含めて意見の異なる人を集め、「朝まで生テレビ」で、徹底的に低線量被爆問題をテーマにやってみてはどうかと感じます。