2012.03/05(Mon)
血液型とパーソナリティ(2)
ABO血液型とパーソナリティ(1)で能見式血液型人間学とそれにまつわる社会的問題について論じた。
今回は、そもそもABO血液型とパーソナリティには何らかの因果関係があるのか、という点について論じたい。
結論の一つは、現段階において、この因果関係については科学的に不明である、という点だ。科学的には不明であるのだから、科学的に否定されたと言うことではない。この点で、一部のニセ科学批判者たちの主張とは対立する。
私の立場は、科学的に不明であるから大いに研究を推進してもらいたい、ということだ。
それは、血液型(特に断らない限りABO血液型)とパーソナリティには何らかの関係がありそうだ、という「感じ」が基礎にある。例えば、先に紹介したタイプB連絡協議会のサイトで表現されるB型特性、あるいはダダモのサイトで示されているB型特性が、結構私にあてはまるんじゃないか、と思っているのだ。
ただし、紋切型態度を自戒するためにもう少し説明しておこう。
よく用いられているパーソナリティ理論の一つにいわゆるBig Fiveというのがある。仔猫の遊び場さんが簡潔にまとめている。ちょっと無断で拝借します(ごめんね)。
各々の素因について0~1の値を割り振れたとして、個人のパーソナリティは例えば(N, E, O, A, C)=(0.3, 0.4, 0.2, 0.8, 0.6)のように5つの値の組み合わせとして表現できる。今、各々を11段階に評価しているから、この組み合わせの数は11の5乗、つまり約16万通りのバラエティがある。現実には、各々について連続量(つまり∞)であるから、当然、組み合わせも無限大∞だ。
現実の個人はこのようにそのパーソナリティ特性は連続量であって、無限通りの個性をもつ。
これに対し、5つの素因を強さの順に並べると、5×4×3×2=120 通りのタイプ分けが出来るし、、、と書いているときりがないので、話を元に戻す。
血液型と性格というテーマは何故科学的なテーマになりうるか、というのが本題で、これに関連して、個人的に関係ありそうだなという実感を上に述べたわけ。
さて、パーソナリティの遺伝率は約40%である。つまり、パーソナリティの個人差は、遺伝的要因で約4割がた決まるということだ。一卵性双生児が一緒に育った場合、別々の家庭で育てられた場合を比較しての結論だ。
ABO血液型は遺伝率100%であり、環境にかかわらず遺伝子だけで決まってしまう。しかも、一つの遺伝子だけで決まる:遺伝子型と表現型(血液型)は一対一の対応で決まる。パーソナリティは、環境によっても変容されるし、介在する遺伝子も多数で、ポリジーン。量的形質ともいう。この点で、身長や血圧などのパラメターと同質だ。
パーソナリティの遺伝率が約40%で、しかも量的形質であることを勘案すれば、ABO血液型(遺伝子)のパーソナリティに及ぼす寄与も、その程度ではある。
また、血液型抗原の種類の違いやあるなしの違いが、少しでもパーソナリティに影響するとは直観的には理解しがたいだろう。しかし、その可能性はなくはないのだ。
一つは、連鎖不平衡という現象。つまり、血液型遺伝子と強く連動して遺伝する「性格決定遺伝子」の存在する可能性を否定できない、という点。
もう一つは、多面的効果の問題。血液型遺伝子は血液型抗原の青写真になるが、この血液型抗原は赤血球膜表面の他にもいろいろな組織に分布している(これは事実)。しかし、その生物学的機能は現在のところ未知であり、性格決定に寄与するような生物学的作用をもっていることを否定できない。交感神経と副交感神経のバランスを左右するのに関係しているかもしれないし、ドーパミン作動性の神経伝達を変容する作用を持つかもしれないし、、、、というような可能性のこと。
現代科学はこうした可能性を否定することが出来ていない。したがって、血液型とパーソナリティは一切無関係である、という命題は科学的には誤りである。
次回は、最近の面白い仮説を紹介する。
今回は、そもそもABO血液型とパーソナリティには何らかの因果関係があるのか、という点について論じたい。
結論の一つは、現段階において、この因果関係については科学的に不明である、という点だ。科学的には不明であるのだから、科学的に否定されたと言うことではない。この点で、一部のニセ科学批判者たちの主張とは対立する。
私の立場は、科学的に不明であるから大いに研究を推進してもらいたい、ということだ。
それは、血液型(特に断らない限りABO血液型)とパーソナリティには何らかの関係がありそうだ、という「感じ」が基礎にある。例えば、先に紹介したタイプB連絡協議会のサイトで表現されるB型特性、あるいはダダモのサイトで示されているB型特性が、結構私にあてはまるんじゃないか、と思っているのだ。
ただし、紋切型態度を自戒するためにもう少し説明しておこう。
よく用いられているパーソナリティ理論の一つにいわゆるBig Fiveというのがある。仔猫の遊び場さんが簡潔にまとめている。ちょっと無断で拝借します(ごめんね)。
N | 神経症的傾向 Neuroticism 不安、敵意、抑うつ、自意識、衝動性、傷つきやすさ |
E | 外向性 Extraversion 温かさ、群居性、断行性、活動性、刺激希求性、よい感情 |
O | 開放性 Openness to Experience 空想、審美性、感情、行為、アイデア、価値 |
A | 調和性 Agreeableness 信頼、実直さ、利他性、応諾、慎み深さ、優しさ |
C | 誠実性 Conscientiousness コンピテンス、秩序、良心性、達成追求、自己鍛錬、慎重さ |
各々の素因について0~1の値を割り振れたとして、個人のパーソナリティは例えば(N, E, O, A, C)=(0.3, 0.4, 0.2, 0.8, 0.6)のように5つの値の組み合わせとして表現できる。今、各々を11段階に評価しているから、この組み合わせの数は11の5乗、つまり約16万通りのバラエティがある。現実には、各々について連続量(つまり∞)であるから、当然、組み合わせも無限大∞だ。
現実の個人はこのようにそのパーソナリティ特性は連続量であって、無限通りの個性をもつ。
これに対し、5つの素因を強さの順に並べると、5×4×3×2=120 通りのタイプ分けが出来るし、、、と書いているときりがないので、話を元に戻す。
血液型と性格というテーマは何故科学的なテーマになりうるか、というのが本題で、これに関連して、個人的に関係ありそうだなという実感を上に述べたわけ。
さて、パーソナリティの遺伝率は約40%である。つまり、パーソナリティの個人差は、遺伝的要因で約4割がた決まるということだ。一卵性双生児が一緒に育った場合、別々の家庭で育てられた場合を比較しての結論だ。
ABO血液型は遺伝率100%であり、環境にかかわらず遺伝子だけで決まってしまう。しかも、一つの遺伝子だけで決まる:遺伝子型と表現型(血液型)は一対一の対応で決まる。パーソナリティは、環境によっても変容されるし、介在する遺伝子も多数で、ポリジーン。量的形質ともいう。この点で、身長や血圧などのパラメターと同質だ。
パーソナリティの遺伝率が約40%で、しかも量的形質であることを勘案すれば、ABO血液型(遺伝子)のパーソナリティに及ぼす寄与も、その程度ではある。
また、血液型抗原の種類の違いやあるなしの違いが、少しでもパーソナリティに影響するとは直観的には理解しがたいだろう。しかし、その可能性はなくはないのだ。
一つは、連鎖不平衡という現象。つまり、血液型遺伝子と強く連動して遺伝する「性格決定遺伝子」の存在する可能性を否定できない、という点。
もう一つは、多面的効果の問題。血液型遺伝子は血液型抗原の青写真になるが、この血液型抗原は赤血球膜表面の他にもいろいろな組織に分布している(これは事実)。しかし、その生物学的機能は現在のところ未知であり、性格決定に寄与するような生物学的作用をもっていることを否定できない。交感神経と副交感神経のバランスを左右するのに関係しているかもしれないし、ドーパミン作動性の神経伝達を変容する作用を持つかもしれないし、、、、というような可能性のこと。
現代科学はこうした可能性を否定することが出来ていない。したがって、血液型とパーソナリティは一切無関係である、という命題は科学的には誤りである。
次回は、最近の面白い仮説を紹介する。
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