2012年02月19日

ご報告

 病院にくすり取りにいったらそのまま緊急入院ということになってしまいました。
 そういうわけで、コメント承認なども含めて、しばらくレスポンスがとまります。ま、このままさようならってことはないと思いますが。
 とり急ぎご報告まで。お見舞いコメントとかは特にいりません。では、よろしくどうぞで。  

お散歩>木更津のたぬきと久留里の象。

 なにやらよくわからない動物ネタを2件。まずは木更津のたぬき。

 知らなかったんですが、木更津には童謡『証城寺の狸囃子』の舞台となった「証誠寺(證誠寺)」があるのだそうで、なんか街中にいろいろとたぬきが氾濫しておりました。なんか市のWebページとかを見ても位置づけがいまひとつはっきりしないんですが、木更津市は、たぬきをイメージキャラクターとして使っているということのようです。

 西口の駅前周辺。
 

s3p75240 - 2012/01/03 09:09
JR東日本 - 内房線/久留里線 - 木更津駅
西口の駅前通り。
s3p75242 - 2012/01/03 09:10
JR東日本 - 内房線/久留里線 - 木更津駅
西口の駅前通りと駅前広場。このフレームの中にたぬきの駅前モニュメントが2件。
 
 たぬきの駅前モニュメント・その1。木更津駅西口にあったもの。
 これはタクシープールの分離帯に置かれていました。たぬきの家族がくつろいでいるのを表現した作品なんでしょうね。
 
s3p75249 - 2012/01/03 09:11
JR東日本 - 内房線/久留里線 - 木更津駅
西口駅前広場。駅前モニュメント。岩を使ったたぬきの家族。
s3p75252 - 2012/01/03 09:11
JR東日本 - 内房線/久留里線 - 木更津駅
西口駅前広場。駅前モニュメント。岩を使ったたぬきの家族。おとうさん(?)個体アップ。
s3p75255 - 2012/01/03 09:11
JR東日本 - 内房線/久留里線 - 木更津駅
西口駅前広場。駅前モニュメント。岩を使ったたぬきの家族。おかあさん(?)個体アップ。
s3p75258 - 2012/01/03 09:12
JR東日本 - 内房線/久留里線 - 木更津駅
西口駅前広場。駅前モニュメント。岩を使ったたぬきの家族。お子さん(?)個体アップ。
 
 もう一件、たぬきの駅前モニュメント・その2。
 これは駅前通りの角に立てられていたもので、「きぬ太くん」という狸が逆立ちをしている像。説明看板によると「時には違う視点からものを見てみよう」というメッセージがこめられているとのことなんですが(=^_^;=)、まあこれについては能書きはなくてもよかったかな。
 
s3p75246 - 2012/01/03 09:10
JR東日本 - 内房線/久留里線 - 木更津駅
西口駅前広場。駅前モニュメント。なんだあの妙なものは?
s3p75261 - 2012/01/03 09:12
JR東日本 - 内房線/久留里線 - 木更津駅
西口駅前広場。駅前モニュメント。なんだあの妙なものは?
s3p75270 - 2012/01/03 09:13
JR東日本 - 内房線/久留里線 - 木更津駅
西口駅前広場。駅前モニュメント「逆さ狸・きぬ太くん」。たぬきの像でした。てことは裏側のものはキンタマかいっ。
s3p75273 - 2012/01/03 09:13
JR東日本 - 内房線/久留里線 - 木更津駅
西口駅前広場。駅前モニュメント「逆さ狸・きぬ太くん」。たぬきの像の説明看板。木更津商工会議所が設置したものだそうです。
 
 いやあ、なんとなくそうなんじゃないかなあとは思ったんですが、駅前に巨大なキンタマを振りかざしてたぬきが逆立ちしていますかあ(=^_^;=)。
 でもまあ、出来は悪くないと思うし、いちおう名所と結びついてもいて多少は観光訴求とかの役にも立ちそうだし、ま、これはこれでいいんじゃないかなーなんてわりと甘い採点をしちゃいます。

 他にもたぬきは存在。マンホール。
 

s3p75200 - 2012/01/03 09:01
千葉県木更津市富士見1
マンホール。木更津市の汚水用のもの。無彩色。
s3p75231 - 2012/01/03 09:07
千葉県木更津市富士見1
マンホール。木更津市の雨水用のもの。彩色。
 
 たぶん探せばさらに他にもいろいろなたぬきがいるのでしょう。いやーしかし童謡『証城寺の狸囃子』が実在の場所をモデルにしたものだなんて知らなかったわあ。どこからああいうアイディアが浮いてきたんだろうと思っていましたが、もともとそういう伝承があったんですね(=^_^;=)。

   *

 もうひとつの動物ネタは、久留里市街地正源寺から。いやあ、狛象っすよ狛象(=^_^;=)。

 えー。2004年訪問時にはいなかったと思うんですが、2012年訪問時に、こんなんいました。阿吽の象ってゆーか(だじゃれかいっ)。仏教寺院なので、間違っても「神使」ではないんですが、まあ狛犬とか狛狐とかの類例でしょう(=^_^;=)。
 

s3p76228 - 2012/01/03 13:15
千葉県君津市久留里市場
正源寺。左狛象。
s3p76234 - 2012/01/03 13:16
千葉県君津市久留里市場
正源寺。左狛象。
s3p76225 - 2012/01/03 13:15
千葉県君津市久留里市場
正源寺。右狛象。
s3p76231 - 2012/01/03 13:16
千葉県君津市久留里市場
正源寺。右狛象。
 
 なんで象なんだろう・・・という疑問があったわけですが、まあお釈迦さまの拠点ってインドだし、そういうことなのかな、と。
 後日、ときどきコメントをくれる寺族はカメさんとこ(愚だくさんブログ)で話題にしてみたら、「仏教では、お釈迦様がインドのひとですから象はけっこうなじみのもので、『白象』と呼ばれており、しばしば登場する(大意)」というご説明をいただきました。どうもありがとうございました。はー、白象っすか。
 もともと神使がしばしば取っている「阿吽」のポーズですが、あれは仏教系の概念ですし、「阿吽の像」てのは金剛力士像からの流れなんでしょうから、これもまた特に違和感はないんですが。

 しかしそれが、阿吽の象になって結界を築いているとなると、それはちょっとそれまでとはフェイズが違ってくるというか、特異な例になってくるわけで。アイディアとしては神道から仏教が再輸入したってことになるんでしょうかね。いやあおもしれーなー(=^_^;=)。

 さて、この写真を見ていて思ったのです。阿吽ですが、左が「阿」で右が「吽」です。ところが、うちんちの神使の項目(狛犬狛狐それ以外)は、全部「右→左」の流れで配置してあったんですね。それは逆だろうと。なんかキモチワルサを感じてしまい、全員に「左→右」に並び変わるよう号令をかけたのですが、躾が悪いのが多くてなかなか入れ替わってくれないやつとかいてね、往生しましたわ。

  
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2012年02月16日

お散歩>久留里線 (3) これから変わるぞ/車輌更新。

 もうひとつ、久留里線に近々に起きるであろう変化というと、車輌の更新があるらしい。

 千葉動労ががんばって車輌更新を拒否していたせいで首都圏の動態保存エリアになっていた房総半島ですが(=^_^;=)、ここんところちょっと様子が変わっていて、電車区間には211系(成田線総武線)や209系(外房線内房線)がぞろぞろはいってきているし、どうしちゃったんでしょうみたいな。いやまあ個人的には「なんでそんなに更新をいやがるのか、古くてぼろっちいのを使っていたら苦労するのはおまいらだろーが」とか思ったりしてたわけですが、動態保存をしてくれる分にはそれはそれでありがたいよねみたいな面もあったわけで(おい(=^_^;=)>おれ)。

 で、久留里線。 現在の使用車輌は、キハ35系・キハ37系・キハ38系。
 キハ35系は、過去には別に珍しくもなかったが経年淘汰が進んだせいで最近は珍しくなっちゃっている車輌。関東鉄道常総線にも中古で流れていった仲間がいましたが、そいや常総南線(取手〜水海道)からのこの系列の運用離脱がついこないだ話題になってたばかりなような気がする。
 キハ37系は、1983年に国鉄が製造した新系列のディーゼル気動車でしたが、試作車のみわずか5輌で製造が打ち切られたという希少車。別に失敗作だったわけではないみたいですが、まあ国鉄末期でローカル線の廃止やらなんやらがあり、必要がなくなってしまったということらしい。
 キハ38系は、1986年から1987年にかけて製造されたこれまた新系列ディーゼル気動車で、キハ35系の老朽化対策として、廃車となったキハ35系の部品を流用しつつ作られたもの。しかしこちらも量産には至らず、わずかに7輌が製造されたのみに終わりました。
 とまあそんな感じで、久留里線は「きみは常磐線ですか」と聞きたくなるような妙な車が寄せ集められていたんですが、さすがにそろそろ更新の時期だろうということらしい。2012年の秋をめどにE130系に置き換えられることが決まったようです。

 ま、おれは国鉄型には興味がないのでなかばどうでもいいのですが、走ってれば撮るよねってことで、こんな感じでした。そうかこの風景も、秋から激変してしまうのか。

 まずはキハ35型キハ30。あらー国鉄リバイバルカラーになってるじゃありませんか。
 

s3p75475 - 2012/01/03 10:21
JR東日本 - 久留里線 - 東清川〜横田
小櫃川橋梁。国鉄色キハ35型キハ3062+キハ30100の2連の下り列車。
s3p76059 - 2012/01/03 12:38
JR東日本 - 久留里線 - 俵田〜久留里
木更津行きの国鉄色キハ35型キハ3062+キハ30100の2連。
s3p76767 - 2012/01/03 16:07
JR東日本 - 久留里線 - 上総松丘〜上総亀山
通過するキハ35型キハ3062+キハ30100の2連。木更津行き列車。
s3p76677 - 2012/01/03 15:26
JR東日本 - 久留里線 - 上総亀山駅
木更津側から駅全景と停車中のキハ35型キハ3062+キハ30100の2連。
 
 以前の久留里線色時代は、こんな感じでした。他系列とあわせて前面窓の周囲を大きく隈取りしたパンダ顔。
 
dsc12514 - 2004/09/19 14:50
JR東日本 - 久留里線 - 上総亀山駅
停車中の列車(キハ35型キハ3062+キハ37型キハ371003)とホーム。
 
 いやー。個人的にはなんだなー。
 普段着の久留里線を撮りたかったもので、国鉄色リバイバルカラーよりはパンダ顔のままの方がありがたかったんすけど、まあ国鉄色リバイバルカラーってそれなりに撮り鉄が来るらしいんだよなあ・・・(撮り鉄がくると鉄道が潤うのかどうかはよくわからないが)。
 んで国鉄リバイバルカラーが運用にはいっているということは、久留里線色の撮影チャンスは減るということでもあって、けっこうがっくしでした。

 続きまして、キハ38系。
 

s3p75718 - 2012/01/03 11:05
JR東日本 - 久留里線 - 馬来田駅
木更津行きの列車。キハ38-1001+キハ38-4。
s3p75730 - 2012/01/03 11:06
JR東日本 - 久留里線 - 馬来田駅
木更津行きの列車。キハ38-1001+キハ38-4。
s3p76029 - 2012/01/03 12:30
JR東日本 - 久留里線 - 俵田〜久留里
上総亀山行きのキハ38型2連(キハ38-4+キハ38-1001)。
s3p76793 - 2012/01/03 16:28
JR東日本 - 久留里線 - 平山〜上総松丘
通過する上総亀山行きキハ38+キハ37の2連。
 
 こっちはまぁ、淡々といつも通りという感じで走ってました。

 んで、キハ37系。これが、なかなか見かけなかったんすよねえ。なので古い写真を掘り起こしておきます。
 

04017a27 - 2004/09/19
JR東日本 - 久留里線 - 久留里駅
出発する上総亀山行き列車を見送る。
dsc12542 - 2004/09/19 15:24
JR東日本 - 久留里線 - 上総亀山駅
駅全景・木更津側から。
dsc12460 - 2004/09/19 13:29
JR東日本 - 久留里線 - 木更津駅
到着した列車。けっこうな人数が降りてきています。
dsc12562 - 2004/09/19 15:30
JR東日本 - 久留里線 - 上総亀山駅
駅全景・木更津側から。停車中のキハ37型キハ371003。
 
 で、だめかー今日はキハ37は走ってないかあ、久留里線なんてそうそう来ることないだろうし残念だなー、とか思っていたら最後の最後に。
 
s3p76798 - 2012/01/03 16:29
JR東日本 - 久留里線 - 平山〜上総松丘
通過する上総亀山行きキハ38+キハ37の2連。
s3p76803 - 2012/01/03 16:29
JR東日本 - 久留里線 - 平山〜上総松丘
通過する上総亀山行きキハ38+キハ37の2連。
 
 なんか通り過ぎていった2連の後ろ側(木更津側)の車輌がキハ37でした。

 いやまあなんだね。
 そういうわけで葬式鉄みたいな行動様式にはいまいちなじめないのですが、それはとにかく。国鉄色キハ35も貴重かしれませんが、キハ37やキハ38なんてもともと希少車なんだし、こいつらもいっしょにいなくなっちゃうんだし、とかおれ思うわけです。しかし大半の撮り鉄さんたちのお目当ては35オンリーで、37や38はどうでもいいような感じでしたね。すぐあとに交換した列車が逆に走ってくるのに撤収にかかっちゃってるひととか多かったし。
 ま、キハ37やキハ38は希少車であるがゆえに見慣れた車ではなく、塗装も風情が感じがたい久留里線色だし(=^_^;=)、あんまし被写体として魅力的ではないのかもしれませんが、んな露骨にサベツしないで撮ってあげなさいよとか思ったのではごさいました。秋口になるとこのあたりにも群がるひとたちが出てくるんだろうか。

  
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2012年02月15日

訃報>土浦駅の富久善分店の駅弁

 メイルで教えてもらって新聞で裏を取った情報ですが、土浦駅の駅弁調製元・富久善分店が、廃業した模様です。2012年2月15日づけ茨城新聞朝刊が報じました。

茨城新聞 2012年2月15日朝刊
 土浦駅弁110年の灯消える 大観愛した「うな丼」業者廃業
 (2012年2月15日16:12閲覧)


※閉店した富久善分店のホーム売店
 (この写真はウソです。東日本大震災で休業していたときの写真。
  リンク先に弁当の写真などがあります)

 記事は、すでに「廃業した」と報じていますが、廃業の日付については明記はありません。まあ、さみだれ的に休業が増えて最終的に廃業、というような流れなんじゃないだろうか、だから明確な廃業日付が決められないんじゃないだろうか、とか思いますが、これは想像です。

 なんかこの記事、よく読むと横山大観が贔屓にしていたのは説田商店の駅弁であり、今回廃業したのは富久善分店であり、さらに富久善分店の前に富久善時代というのがあって、そのあたりの経緯がごちゃごちゃしていてよくわかんない記事になっているんですが、うーん、要するにまあ富久善分店の関係者のコメントは取れず、周辺のコメントで構成したらこうなった、ということなんでしょうね。富久善分店のみなさんはいまごろ温泉にでも社員旅行に行っているのかもしれない。
 土浦駅の駅弁の歴史あたりもまとめるとなったらいまがラストチャンスということになるのかもしれませんねえ。おれはやんないけど、誰かやりません?

 んで、常磐線の駅弁ですが、水戸駅の3社(太平館芝田屋鈴木屋)が壊滅、いわき駅の住吉屋が廃業、日立駅の海華軒が撤退、原ノ町駅の丸屋弁当部が路線の震災による長期運休のため駅弁も長期運休、とまあさんさんたる状況になってしまいました。で、今回富久善分店が廃業、と。
 ゆううつなネタですけど、とり急ぎのご報告でした。

   *

 で、常磐線の駅弁壊滅の危機ですけど、いちおう口直し情報。まあ世の中そこそこ良くしたもので。
 一時期は「常磐線からNRE以外の駅弁が消滅するのではないか」という心配もされたわけですが、その後いわき駅では、いわきが出自のシーフードレストランメヒコが「ウニピラフ弁当」と「カニピラフ弁当」を発売、また水戸駅では地元の北のしまだが駅弁に参入し、とりあえず「壊滅」という状況は避けることができています。
 「メヒコ」にせよ「北のしまだ」にせよ、駅弁は主力商品ではないわけで、公式webを見ても駅弁の情報がぜんぜんなかったりするあたり、そこそこ時代の移り変わりを突きつけてくるものがあったりしますけどね(=^_^;=)。  

2012年02月14日

お散歩>久留里線 (2) これから変わるぞ/タブレット。

 久留里線の続き。タブレット

 タブレットは、鉄道において衝突事故を避けるために使われている(使われていた)もので、通行手形として使う特定の形状の金属板のことをさします。簡単にいうと、「ある区間にはその区間専用の形状をしたタブレットを持つ列車しか進入することができない」というルールを作ることで、ひとつの管理区間(閉塞区間といいます)にはひとつの列車しか入れないようにして、衝突事故を避けようというもの。方式の名前としては「タブレット閉塞」となります。
 しばしば輪っかのようなものを「タブレット」と呼びますけれど、あれは正しくは「タブレットホルダー」といい、あのでっぱった部分に通行手形となる金属板が格納されています。タブレットに類似するものとして「スタフ」「通票」と呼ばれるものがあります。

 タブレットは、わりと古い技術であり、現在ではすたれつつありますが、久留里線では2012年1月現在、まだそのタブレットが使われていました。で、管理区間(閉塞区間)の入口では駅員が列車にタブレットを渡し、出口ではタブレットを回収する、という作業が必ず行われます。その作業が「タブレット交換」で、タブレットによる閉塞が行われている区間でのみ見ることができる独特の風物詩となっていました。
 ところが、久留里線のこのタブレット閉塞がついにいよいよ廃止され、最近の方式に改められることになったらしい。以前に久留里線に来たときにもいちおうタブレット交換あたりは撮っていましたが、まあ今回もいちおう念頭に置いてはおくことに。

 まずは横田駅でのタブレット関連。
 

s3p75517 - 2012/01/03 10:32
JR東日本 - 久留里線 - 横田駅
駅舎のホーム側出入口に貼ってあったタブレット確認のステッカー。これはタブレットの出納と受け渡しを行う駅員に向けたものでしょう。
s3p75586 - 2012/01/03 10:39
JR東日本 - 久留里線 - 横田駅
下りホームの上総亀山側先端にあるタブレット確認の札。これは渡されたタブレットを持って管理区間に進入する運転士向けのものでしょう。
s3p75604 - 2012/01/03 10:41
JR東日本 - 久留里線 - 横田駅
タブレットマシン。管理区間の両端の駅にあって、その間にはひとつだけしかタブレットを出さないように管理する機械です。管理区間内の交換駅(つまり両側が別の管理区間)の場合には、2台のタブレットマシンが置かれることになります。
s3p75508 - 2012/01/03 10:30
JR東日本 - 久留里線 - 横田駅
「列車発着時には発券できません」の注意書き。タブレットの交換に人手を取られてしまうからでしょう。
 
 横田駅におけるタブレットの交換。上3枚は2004年訪問時のもの。
 
dsc12866 - 2004/09/24 14:58
JR東日本 - 久留里線 - 横田駅
タブレットの交換。上り線側ホームにて。
dsc12478 - 2004/09/19 14:05
JR東日本 - 久留里線 - 横田駅
構内踏切。上り列車から受け取ったタブレットを下り列車に届ける。
dsc12479 - 2004/09/19 14:05
JR東日本 - 久留里線 - 横田駅
タブレットの交換。下り線側ホームにて。
s3p76815 - 2012/01/03 17:45
JR東日本 - 久留里線 - 横田駅
下り列車側。タブレットの交換。
 
 続きまして久留里駅。2012年現在、久留里線では横田駅と久留里駅の2つの駅でしか列車交換は行われませんので、タブレットの交換が行われるのもこの2駅だけということになります。
 
s3p76166 - 2012/01/03 13:05
JR東日本 - 久留里線 - 久留里駅
こちらにもタブレット確認のステッカーが貼られていました。これは駅舎のもので、駅員向けでしょう
 
 2004年訪問時の写真。
 
dsc12613 - 2004/09/19 16:27
JR東日本 - 久留里線 - 久留里駅
交換する列車・上総亀山側から。停車位置は、構内踏切をはさんで対角線型。こうすれば構内踏切のそばに両列車の運転席がきますから、タブレットの交換がやりやすいといった事情があるのでしょう。もっとも、その構内踏切と、駅舎内にあるタブレットマシンとの距離は、けっこうあるのですが。
列車は、左側がパンダ顔時代のキハ35系、右がキハ38系。
s3p76401 - 2012/01/03 14:17
JR東日本 - 久留里線 - 久留里駅
入線した木更津行きのキハ38の2連(キハ38-1001+キハ38-4)とタブレットを取りに行く駅長。
 
 で、今回の写真。
 
s3p76407 - 2012/01/03 14:20
JR東日本 - 久留里線 - 久留里駅
タブレットを手に下り列車を待つ駅長。
s3p76416 - 2012/01/03 14:20
JR東日本 - 久留里線 - 久留里駅
タブレットの交換。
s3p76424 - 2012/01/03 14:21
JR東日本 - 久留里線 - 久留里駅
タブレットを手に駅舎に戻る駅長。
s3p76442 - 2012/01/03 14:22
JR東日本 - 久留里線 - 久留里駅
タブレットの交換。
 
 いやあなんと申しましょうか(=^_^;=)。
 下から2枚目で写真を撮ってるにーちゃんなんて、もう駅員にぶつかりそうっていうかキスでもするつもりかみたいに肉薄して写真を撮ってまして、ここが歌舞伎町だったらおまえいまごろ殴られているぞとか思ったんですが、帰ってきて調べたらタブレットの廃止って3月中旬のことで、もうずいぶん時期が迫ってきていたのねえ。すでに葬式鉄が出没する時期になっていた、ということなのでしょう。それに気づかずにのほほんと撮影にいってるうちらもたいがいのものだが。

 写真のセオリーのひとつに「被写体に肉薄して撮れ」てのがあったりはするのですが、それってばあくまでも「セオリーのひとつ」にすぎないわけで。おれなんか、動物番組のディレクターで一人立ちをしたということもあって、「近寄らずに撮るのも大事」みたいな感覚もあってね。ていうか、野性動物なんて近寄れないし(逃げられてしまう or 襲われてしまう、といった事情があるわけです)、基本的には写真とか映像とかって「距離を置いて撮るもの」だという感覚があります。距離を詰めるのは詰めても大丈夫なだけの手続きを取ってからから、ってことですね。相手に圧迫感を抱かせかねないくらいに近寄って撮っていいのは政治家の写真やら犯罪写真やらくらいのときだけだろうと思う。

 そいや、夕刻になって横田駅で列車交換を待っていたら、駅員に声をかけられたんですね。「運転士に向けてストロボは焚かないでくださいね」という注意でした。逆に言えば、傍若無人に運転士に向けてストロボを焚くようなやつが続出しているんだろうなあってことで。

 というわけで、なんかちょっとこう、今回のタブレットがらみは、しょーじきあんまし後味が良くなかったなぁ、とか思ったのでございます。

  
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2012年02月11日

お散歩>久留里線 (1) 再訪。もろもろ小さな変化の積み重ね。

 そーゆーわけでなんか千葉県がマイブーム(アワブームか)になったみたいで。いすみ鉄道・小湊鉄道に続いてこんどは久留里線です。

 久留里線ですが、過去にいちおう行ってはいます。2004年に、なぜか2週続けて行ってますね。ただ、いずれも乗るついでにいくつかの駅をざっと眺めた程度であり、それなりの数の駅の項目がありはしますが大半は「客扱いをしている間にあいてる扉から外を写しただけ」だったりして、ま、あれで「写真がある」とかいうと、それは詐欺みたいなもんです(=^_^;=)。
 ま、首都圏から近い国鉄の非電化ローカル線ですし、わけわかんない希少車もいますし、2012年1月現在ではタブレット閉塞も現役ですし、悪い路線じゃないと思うんですけど、いかんせん地味なんですよねえ。そのわりに車輌の塗装が派手で路線に似合っておらず、率直なところ「いまひとつ食指が動かない路線」という印象でした。
 しかしまあ、鉄道めぐりのツレともども、いいかげん近場は行きつくした感があり(=^_^;=)、千葉県づいたまんまイキオイでなんとなく「久留里線、いってみよーか」みたいな話になりまして。なんか最近、撮影枚数が異様に多くなってて、露出違いこみで撮影枚数が1470枚、生き残り写真が413枚ですか、けっこう死にそうになってました。すでに撮影してあった分とあわせると700枚越えましたねえ、久留里線にもそんなにいっぱい被写体があったんだー、とか思ったり(そりゃ、あるだろ(=^_^;=))。

 久留里線は7年半ぶりくらいだったんですが、えーと、たいして変わる要素もなさそうに見えてた路線だったんですけど、けっこう大きく変わってました。なんていうか、接客設備の更新がかなりの規模で行われたみたいです。具体的には、ホーム待合室の更新と、便所の新設ですね。
 無人駅となった駅の旧駅舎の取り壊しと無人駅仕様の駅舎の新築は、2004年時点ですでにかなり進んでいました。その後は、もともと駅舎なんかなかったような小規模駅のホーム待合室の整備などが行われた、ということでしょう。けっこうな数の駅で、車窓からテキトーに撮った旧ホーム待合室の写真が、それの唯一の写真てことになっちゃってたりして。
 マーフィの法則じゃないけどさ、「変わる要素があるものごとは、変わる」ものなのである、と。そもそも変わる要素があることに気づいていなかったあたりが甘かった、ということかもしれません。まあ、何が変わる可能性がある要素なのかを見抜くのってたいへんなんですけどね。大規模開発の手にかかると地形だって変わっちゃったりすっからなあ(ためいき)。

 んじゃそういうわけで、まずはその差分から行ってみましょうか。

 まず、木更津駅。ここは内房線の駅という要素の方が大きいんですけど。西口の売店が縦横ともに成長。
 

dsc12811
2004/09/24-13:33 , JR東日本 - East Japan Railway , 内房線/久留里線 , 木更津駅(千葉県木更津市)
西口の売店。
s3p75128
2012/01/03-08:49 , JR東日本 - East Japan Railway , 内房線/久留里線 , 木更津駅(千葉県木更津市富士見1)
西口駅舎入口の売店。なんかちょっと成長したようです。
 
 上総清川駅。ホーム待合室が更新されました。この駅では便所の新設は行われていませんでした。
 
dsc12474
2004/09/19-13:55 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 上総清川駅(千葉県木更津市)
ホームとホーム待合室。このホーム待合室は、再訪時には更新されていました。
s3p75383
2012/01/03-09:57 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 上総清川駅(千葉県木更津市菅生)
ホーム待合室。更新されてしまいました。線路上総亀山側。
 
 東清川駅。ここは2004年訪問時の写真がないのですが、他のいくつかの駅と類似した様式の便所とホーム待合室が作られていました。
 
s3p75425
2012/01/03-10:07 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 東清川駅(千葉県木更津市笹子)
便所とホーム待合室。便所がホーム待合室をはさんで性別で独立しています。便所本体は規格型ですが、この配置は珍しい。
 
 横田駅。交換機能を持ち、訪問時点ではタブレットの受け渡しがあるため有人駅でした。
 まず、多少の構内整備が行われた模様。駅舎のすぐ前にあったこけしのオブジェが撤去されていました。まあ、これはもしかすると駅員の手作りのものとかであったかもしれず、その駅員が転属になったとかいう程度の理由でもなくなっちゃう理由にはなるものだったかもしれません。
 
dsc12728
2004/09/19-18:12 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 横田駅(千葉県袖ケ浦市横田)
駅舎の線路側、上りホーム上にあった、切り株を利用したこけしのオブジェ。地図で見ると木材関連の店や加工業が散見されます。房総山地の木材集積場所のひとつだったのかもしれません。2012年訪問時には発見できず。
 
 同じく横田駅。便所が更新されました。まあ、便所はねえ・・・「駅の便所は汚い」という固定観念があるくらいだから、それを打ち破るべくがんばっていただいてちょうどよかったりしますし。にしても、実にこう、集中的に便所を作りましたなあ。
 
dsc12715
2004/09/19-18:02 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 横田駅(千葉県袖ケ浦市横田)
便所・線路上総亀山側。
s3p75532
2012/01/03-10:33 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 横田駅(千葉県袖ケ浦市横田)
便所。構内側。
 
 同じく横田駅。下りホームのホーム待合室。撤去されました。代替のものは作られていませんでしたが、まぁ、横田駅から下り列車にのるお客さんはそうは多くないのじゃないかと思います。
 
dsc12691
2004/09/19-17:54 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 横田駅(千葉県袖ケ浦市横田)
下りホームのホーム待合室。
s3p75568
2012/01/03-10:36 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 横田駅(千葉県袖ケ浦市横田)
ホーム待合室の跡。
 
 東横田駅。ホーム待合室が、車掌車流用のものから新築のものに更新されました。過去に便所があったかどうかわかりませんが、それも新築されています。
 
dsc12826
2004/09/24-14:08 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 東横田駅(千葉県袖ヶ浦市)
車掌車の廃車体利用のホーム待合室。ヨ3500型ないしヨ5000型。※この車掌車は解体されたとの情報あり(2007/02/04追記)
s3p75621
2012/01/03-10:48 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 東横田駅(千葉県袖ケ浦市横田)
駅入口。ホーム待合室と便所。車掌車流用駅舎は撤去されてしまいました。
 
 馬来田駅。2004年訪問時にすでに古い便所は撤去されユニット便所が並べられるかたちとなっていましたが、2012年訪問時には改めて新築されていました。ま、2004年時点のものは過渡的な状態だったということなのでしょう。
 
dsc12836
2004/09/24-14:15 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 馬来田駅(千葉県木更津市真里)
便所。ユニット式の便所が並べられていました。右から横書きの、もしかするとものすごく古いものかもしれない看板がかかっています。
s3p75762
2012/01/03-11:08 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 馬来田駅(千葉県木更津市真里)
便所。表側。
 
 下郡駅。ホーム待合室が更新されました。過去に便所があったかどうかわかりませんが、他のいくつかの駅と類似した様式の便所が新築されていました。
 
dsc12677
2004/09/19-17:41 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 下郡駅(千葉県君津市)
ホーム待合室。
s3p75840
2012/01/03-11:23 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 下郡駅(千葉県君津市山本)
駅名標と便所とホーム待合室。
 
 俵田駅。ホーム待合室が更新されました。過去に便所があったかどうかわかりませんが、他のいくつかの駅と類似した様式の便所が新築されていました。いやあ、便所はこの様式のものがいくつかの駅で使われていたんですが、ホーム待合室はけっこうばらばらのデザインなんですよねえ。どういう力学なんだろ。
 
dsc12494
2004/09/19-14:24 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 俵田駅(千葉県君津市)
ホーム待合室。
s3p76012
2012/01/03-12:17 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 俵田駅(千葉県君津市俵田)
便所とホーム待合室。
 
 久留里駅。横田駅とならぶ現存の交換可能駅で(過去には馬来田駅をはじめとして、ほかにもいくつか交換可能駅があったようです)、久留里線の中核駅でもあります。訪問時点では有人駅でしたが、小さいとはいえ房総半島中部の拠点都市のひとつですから、タブレットが廃止されたあとも無人化されるかどうかはなんとも。
 駅施設については特に更新には気づきませんでした。ここは便所は2004年時点ですでに更新されていましたし。
 で、これはJRがやっているわけじゃないような気がしますが、駅前広場が更新中でした。どのようになるのかは不明ですが、とりあえず広場全域を新しくするようで、広い範囲で工事が行われていました。
 
dsc12637
2004/09/19-16:37 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 久留里駅(千葉県君津市久留里市場)
駅舎道路側俯瞰。
s3p76080
2012/01/03-12:51 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 久留里駅(千葉県君津市久留里市場)
駅前広場越しに駅舎と便所。駅前広場は整備工事中でした。
 
 平山駅。特に変化はない・・・ように思えたのですが、写真を仔細にチェックしてみたところ、便所が更新あるいは新築されたようです。
 
dsc12600
2004/09/19-16:19 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 平山駅(千葉県君津市平山)
無人駅仕様の駅舎。クローズアップがありませんが、駅舎の向こう側には便所は見えていません。
s3p76493
2012/01/03-14:39 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 平山駅(千葉県君津市平山)
ホーム待合室。線路上総亀山側。
s3p76490
2012/01/03-14:38 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 平山駅(千葉県君津市平山)
便所とホーム待合室。線路木更津側。
 
 同じく平山駅。旧ホーム待合室は取り壊されてはおらず、無事でした。
 
dsc12601
2004/09/19-16:19 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 平山駅(千葉県君津市平山)
ホーム待合室。
s3p76496
2012/01/03-14:39 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 平山駅(千葉県君津市平山)
旧ホーム待合室。
 
 上総亀山駅。久留里線の終端駅です。
 駅舎には大きな違いはないようでしたが、便所は更新されました。
 
dsc12518
2004/09/19-15:05 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 上総亀山駅(千葉県君津市藤林)
便所・道路木更津側。
s3p76557
2012/01/03-15:06 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 上総亀山駅(千葉県君津市藤林)
便所。道路木更津側。
 
 いやー。
 2004年訪問時には、木更津駅・横田駅・馬来田駅・久留里駅・上総亀山駅くらいしか下車しておらず、情報としてはすかすかよねって感じがしていたのですなあ。それでも差分検出用というか、状況の変化を確認するといった目的ならば、「それなりに使えるものなんですなあ」とまるで自己弁護のような感想を抱きました。
 するとそれを聞いていたおれの中のもうひとりのおれが、「だからって枚数撮ればいいってもんじゃねえだろ、整理するのはおれなんだからな」とかぶつくさ文句を言っていたりするわけなんだなあ。あ、なんか目つきがけっこう険悪じゃありませんか、こりゃマジで怒ってるな〜(=^_^;=)。
  
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2012年02月08日

お散歩>小湊鉄道〜一応全駅コンプリート。

 そういうわけでいすみ鉄道をひととおり終わり、そのまま惰性で小湊鉄道へとなだれこみます。最初は養老渓谷駅。
 
s3p74859 - 2011/12/31 15:30
小湊鉄道 - 養老渓谷駅(千葉県市原市朝生原)
駅舎。道路五井側。
 
 しかしなんだな。雪景色だったとはいえ、上総牛久より東側の山線区間については、ふたりともすでに全駅をまわっていたのだよなあ。
 そこでこれからどうするか相談になり、「雪景色ではないノーマル(笑)な小湊鉄道の風景をおさえつつ日没までいく」「未撮区間で日没まで粘る」の2案を検討した上で、第二案を採用。途中をすっとばして馬立駅に向かいます。おれも全く撮っていないわけではないが、撮り落とし駅がそこそこあったような気がしていたんだよなあ。

 上総牛久を通り過ぎ、最初の駅は馬立駅。
 

s3p74875 - 2011/12/31 16:10
小湊鉄道 - 馬立駅(千葉県市原市馬立)
駅舎。道路五井側。小湊鉄道様式のいい感じの木造駅舎です。
s3p74899 - 2011/12/31 16:13
小湊鉄道 - 馬立駅(千葉県市原市馬立)
元貨物倉庫。五井側。
貨物側線にあるものですが、線路側壁面は封じられており、貨物ホーム上屋としては使えません。上総鶴舞駅にも同様のものがあったのですが、貨物輸送廃止後に業務用倉庫に転用したとか、なんかしらそんな事情があるのでしょう。
s3p74881 - 2011/12/31 16:10
小湊鉄道 - 馬立駅(千葉県市原市馬立)
駅前のタクシー屋(馬立タクシー)。
 
 いやまあなんというか。未撮駅がぞろぞろあったような気がしていたのだが、冒頭一発目ですでに既撮駅が出てきたぞ(=^_^;=)。ま、すでに馬立駅の写真はあるとはいえ、2001年のもので機材もポリシーもスキルも変わってますから撮りなおす価値は十分にあるのだけど。

 続きまして、上総山田駅。
 

s3p74980 - 2011/12/31 16:39
小湊鉄道 - 上総山田駅(千葉県市原市磯ケ谷)
駅舎と詰所。道路五井側。小湊鉄道様式のいい感じの木造駅舎です。
 
s3p74968 - 2011/12/31 16:38
小湊鉄道 - 上総山田駅(千葉県市原市磯ケ谷)
駅舎。道路上総中野側。
 
s3p74995 - 2011/12/31 16:42
小湊鉄道 - 上総山田駅(千葉県市原市磯ケ谷)
構内踏切から五井方面を望む。左側に側線が延びています。
 
 
 うおー。ここも既撮駅だわ(=^_^;=)。てゆーかまあ、チェックしていなかっただけで忘れていたというほど忘れていたわけでもなく。
 モノになっていない以上当然ボツになっているわけですが、以前ににちゃんねら鉄道板の有志で「1/87・12mmゲージで安価な模型を製造販売できないか」という思いつきの企画をはじめたことがあり、そのときの候補に「小湊鉄道の古典貨車」てのがはいっていたのですね。その候補の古典貨車のうち、無蓋車が、この上総山田駅に留置されていたんでした。トム10とトム11の2輌。片側にはバッファ穴がありもう片方にはないというところからみて、鉄道院の路線はまだバッファ&スクリューの連結器を使っていた時代に控車として使われたという履歴があるのではないかと思われる、とんでもない古典貨車でございます。
 んで、おれひとりでも一度きてるし、そのあと有志でオフを兼ねて巻尺を持って来たこともあった。駅はついででしたが、来た以上撮らないわけがないだろうって感じ。
 その古典貨車ですが、ちらっと見たところ側線はからっぽのようであり、ないのを確認するのも悲しかったのでちゃんとチェックはしないというヘタレな選択をしてしまったのですが(=^_^;=)、少なくとも2011年12月31日段階で、ここの側線からはいなくなっているようでした。移動しただけなのか、鬼籍にはいってしまったのかは、確認していません。

 んで、既撮駅が2つ続いたところで、次は上総三又駅。
 

s3p75011 - 2011/12/31 16:51
小湊鉄道 - 上総三又駅(千葉県市原市海士有木)
再建された駅舎。道路五井側。
 
s3p75017 - 2011/12/31 16:51
小湊鉄道 - 上総三又駅(千葉県市原市海士有木)
再建された駅舎。道路側。
 
s3p75020 - 2011/12/31 16:52
小湊鉄道 - 上総三又駅(千葉県市原市海士有木)
再建された駅舎。道路上総中野側。
 
 
 はいー。まだまだ続く既撮駅攻撃です(=^_^;=)。ていうか、上総三又駅は、おれが最初に小湊鉄道に乗って最初に降りた駅だな。
 ただ、ここはそのときに撮った駅舎、というかホーム待合室はその後火災にあって焼失しており、「駅を撮ったことがあるか」という意味では既撮駅ですが「現在の駅の状態を撮ってあるか」という意味では未撮駅なんで、もとより撮りなおすつもりでおりました。ま、この駅ではじめて「目標のひとつが達成できた」ということになりましょうか。しかし、時すでに夕暮れなのであります(=^_^;=)。

 隣は海士有木駅。ここは純然たる未撮駅。ああ、ようやくだ・・・。
 

s3p75044hdr - 2011/12/31 17:03
小湊鉄道 - 海士有木駅(千葉県市原市海士有木)
駅舎。道路側。
 
s3p75047hdr - 2011/12/31 17:03
小湊鉄道 - 海士有木駅(千葉県市原市海士有木)
駅舎。道路上総中野側。
 
s3p75050 - 2011/12/31 17:05
小湊鉄道 - 海士有木駅(千葉県市原市海士有木)
便所。
 
s3p75053 - 2011/12/31 17:06
小湊鉄道 - 海士有木駅(千葉県市原市海士有木)
駅名標。
 
 
 小湊鉄道様式の木造駅舎を持ついい感じの小駅です。駅舎は、車窓からは確認できていたんですが、列車本数が多くて来やすい上総牛久以西であることが理由となってあとまわしになっていたんでした。しっかしまあ、この扱いは、いったんあとまわしにしちゃうととめどなくあとまわしになる、という見本みたいなもんですなあ(=^_^;=)。

 そいや駅名なんですけどね。
 えーと「海士有木駅(あまありきえき)」っていちおう難読駅に分類されているような気がします。で、どっかでそういう話をしたところ、鉄分がぜんぜんないやつが「フツーに『海士』って書いて『あま』って読むじゃん。鉄ヲタって漢字読めないのか?」とか言ってくれちゃいまして。言われてみればそうだなあと。「海士有木駅」は、「海士+有木+駅」と容易に語素分解ができるし、分解しちゃえば個々の要素は難読でもなんでもないんですよね。なんで難読駅に分類されることになっちゃったんだろう? 誰か事情を知っているひとはいませんか(=^_^;=)。

 で、隣は上総村上駅。ここもまごうかたなき未撮駅だったんですが、駅名標を見るとさらに隣はもう五井駅なわけで、案外こう未撮駅は多くなかったなあと思いつつ、しかしすでにとっぷりと夕暮れなのであります(=^_^;=)。
 

s3p75056hdr - 2011/12/31 17:18
小湊鉄道 - 上総村上駅(千葉県市原市村上)
駅入口。
 
s3p75074 - 2011/12/31 17:21
小湊鉄道 - 上総村上駅(千葉県市原市村上)
便所。ラッチ外、駅舎入口の対面にあります。
 
s3p75101hdr - 2011/12/31 17:28
小湊鉄道 - 上総村上駅(千葉県市原市村上)
下り線ホームから駅舎。
 
s3p75104hdr - 2011/12/31 17:28
小湊鉄道 - 上総村上駅(千葉県市原市村上)
下り線ホームから駅舎。
 
 
 上総村上駅。
 えーと、駅舎本体の構造体の造りは「小湊鉄道様式」に準じているように見えるのですが、動線設計などは大きく異なり、ディテールも違っています。車窓から見ただけだったんですが、「なんかちょっと違う、小湊鉄道の駅舎としては異質の駅舎」ということはわかっていました。なので気になっていたというか。小湊様式では建てられないといった立地的制約があったようにも見えませんし、不思議です。まあ、別に「ひとつの鉄道の駅舎は様式をそろえるべきだ」とする理由もないわけですが、他は揃っているのになあ、とは思ってたわけです。
 で、じっくり見てどういう違いがあるのかは確かめることができたのですが、なんせ夕暮れなんですなあ。ていうかもう夜(=^_^;=)。
 でだ。
 この日は「いすみ鉄道の全線をまわる」というのが目標でしたし、そんなに時間に余裕がないのはわかっていたため、いざとなりゃハイダイナミックレンジ合成(HDR合成)を持ち出すつもりでおりました。結果は上の通りで、まあ、「その駅がどんなものであったかを知るための資料としては最低限の役には立つかもしれません」というレベルですが。この件については後日別のエントリを書くかもしれません。

 お・ま・け。
 

s3p74950 - 2011/12/31 16:25
小湊鉄道 - 馬立駅(千葉県市原市馬立)
高滝神社初詣列車のヘッドマーク。
 
s3p74756b - 2011/12/31 14:58
小湊鉄道 - 上総中野駅(千葉県夷隅郡大多喜町中野)
高滝神社初詣列車のヘッドマーク。
 
 
 大晦日だったものですから、初詣客を呼び込もうという趣旨のヘッドマークをつけた列車が運転されていました。ヘッドマークは少なくとも2種類ありましたが、もしかすっともっとたくさんの種類があったのかもしれません。

 ま、とりあえずそういうわけで、夜景になっちまった部分もあって多少の欲求不満がないわけではありませんが(=^_^;=)、それを言ったら房総半島の鉄道だとゆーのに雪景色しかない駅だって多々あったりするわけで(=^_^;=)、いちおう「小湊鉄道は全駅をコンプリート」ということになりました。別にコンプリートしたからって何かいいことがあるわけじゃあないんですが。

  
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2012年02月05日

2012年の真壁の雛祭り

 えーとそういうわけで茨城県は真壁町の雛祭りです。2012年のものがはじまったみたいなので、お知らせ。行くひとは、ついでですから「東日本大震災>真壁旧市街地の被災状況」にも目を通していってくれるとうれしい。

 概要は以下のページにまとめられています。

和の風第十章 真壁のひなまつり

 上記ページの「お知らせ(ご確認下さい)」にも、震災被害関連のコメントがあります。あわせてご覧ください。

 んで、バス便は以下。ふだんは公共交通機関だけでは真壁にたどり着くことはできないのですが、ひなまつりの期間内は臨時でバスが運行されます。ひなまつり見物だけではなく、真壁の町並みを眺めたいという方にとっても、とても便利になると言うことができます。この機会にぜひ。

・つくばエクスプレスつくば駅から(公式ページ
 運行期間2012年2月4日〜3月3日
 料金2日間有効の往復券で1500円
 時刻表の「筑波山神社入口」と「梅林入口」の時刻が同じ理由は謎
 つくばセンター - 真壁駅 真壁駅 - 筑波山神社入口 - 梅林入口 - つくばセンター
9:30 - 10:20 10:30 - 10:55 - 10:55 - 11:35
10:00 - 10:50 11:30 - 11:55 - 11:55 - 12:35
10:30 - 11:20 12:30 - 12:55 - 12:55 - 13:35
11:00 - 11:50 13:00 - 13:25 - 13:25 - 14:05
11:30 - 12:20 13:30 - 13:55 - 13:55 - 14:35
12:00 - 12:50 14:00 - 14:25 - 14:25 - 15:05
13:00 - 13:50 14:30 - 14:55 - 14:55 - 15:35
14:00 - 14:50 15:00 - 15:25 - 15:25 - 16:05
 15:30 - 15:55 - 15:55 - 16:35
 16:00 - 16:25 - 16:25 - 17:05
 16:30 - 16:55 - 16:55 - 17:35

・水戸線岩瀬駅から(公式ページ
 運行期間2012年2月4,5,11,12,18,19日(土日)
     2012年2月25〜29日/3月1〜3日
 料金片道500円
 JR岩瀬駅 - 真壁駅 真壁駅 - 雨引観音 - JR岩瀬駅
  9:40 - 10:05 10:00 - 10:25 - 10:45
 10:30 - 10:55 11:00 - 11:15 - 11:35
 11:30 - 11:55 12:10 - 12:25 - 12:45
 12:30 - 12:55 13:00 - 13:15 - 13:35
 13:30 - 13:55 14:00 - 14:15 - 14:35
 14:50 - 15:15 15:20 - 15:35 - 15:55
 15:30 - 15:55 16:00 - 16:15 - 16:35
 16:30 - 16:55 17:00 - 17:15 - 17:35

 いやあ。バス便の時刻表くらいは公式ページ見てもらえばわかることなんだけど、このページ毎年同じURLを使いまわしているので、過去情報が消えちゃうんだよね。なので毎年の記録ってことで、いちおうこっちにも掲載しときます。

 ご参考までに、行かれる方にとってはそれなりに使える資料なんじゃないかと思うものへのリンクを2件。
真壁町中心部の地図
真壁町の登録有形文化財一覧(たぶん2005年時点)

 おまけですが、過去の「真壁町のひなまつり」紹介エントリ
2010年 真壁町への臨時バス便が運行されます
2011年 2011年も真壁町への臨時バス便が運行されます  

2012年02月04日

モルヒネを使ってみた。

 残念ながら、非合法薬剤の話じゃありません。別に麻薬とかに特に忌避感はないんだけど、おおっぴらに言うのがかっこいい種類の話だとも思っていませんので。
 というわけで、モルヒネを使ってみた。これ。



 いやさ、痛いんですよ(=^_^;=)。んで、痛みなんてごく私的な感覚であり、他者と共有できるような感覚じゃないでしょ。いくら文字を連ねても、痛みとか、味覚とか、そういうものは伝えることが困難だ。喜びとか悲しみとかも同じ問題を抱えているんだけど。
 となると、チャレンジしてみたくなるじゃないですか。というのがこのエントリを書きはじめた理由だったりするわけだが(=^_^;=)。
 まあだからってどのように痛いのかを大げさな言葉を連ねて語ってみても伝わるわけもないし、他人が読んで背筋がゾクゾクしてきちゃうような路線は狙う気がないし、どうアプローチするか書き始めた時点では未定なわけですが。まあつらつら、痛みについて。

 なんだかよくわからんのですが、首のあたりで炎症が起きているんですなあ。喉の粘膜とかが炎症を起こしたとかいうのならばまあ風邪とかのときにお馴染みの感覚なんですが、そうじゃなくて、なんか筋肉組織の中のあたりで炎症が起きているらしい。きわめて限られた範囲での炎症であり、体温があがるとかいうような全身症状は出ていないんですが、しかしとにかく痛いんである。さらにあわせわざまで強烈な肩こりまで登場してきた。結果として、歴代痛みの強さランキングでいくとベストスリーにははいるんじゃないか。
 ちなみに、順位ははっきりしませんが、順不同でベストスリーを並べると「右足下腿複雑骨折(粉砕骨折)の受傷直後」「胆嚢炎」「今回」となるでしょーか。

 んで、当初はロキソプロフェン・ナトリウムという鎮痛剤を出してもらっていた。これ、胆嚢炎のときにも使った薬で、おれに関してはよく効くんだけど、悲しいかな、多少持続時間が短い。60ミリグラムの投与で6時間くらい。成人の一日極量が180ミリグラムだそうで、それを守る限りでは一日3回までしか使えないから、一回あたり2時間、一日合計で6時間くらい足らないんですなあ。
 そいやフェナセチン系の「セデスG」という、おれに関してはとてもよくきく鎮痛剤があったんだが、あれとかもあわせて出してもらえんもんかなと思ったんだよなあ。ロキソプロフェン系とそれ以外系とを適当に混用して極量制限をかいくぐるとかって手はないもんかと思ったわけですが、どうもそういう発想はないらしかった。で、調べてみたら、その「セデスG」は、というかフィナセチン系鎮痛薬そのものが、副作用が問題になったとかで製造中止になっていたりした(=^_^;=)。
 まあそういわけでその持続時間が足らない2時間×3回をどーすっかで悩んでいたところ、医者が「モルヒネだそーか」と言ってきまして。
 モルヒネでしょ、あのほれ末期癌患者の痛みをおさえるために意識の混濁とかをものともせずに使うというモルヒネですかあ、それが出てきちゃいますかあ、みたいな。ってまあモルヒネといっても量とかにもよるし、モルヒネは使用上限量がない(極量がない)らしくて盛大に使えばそりゃ意識くらい飛ぶでしょうが使ったら必ず意識混濁が起きるとかいうわけでもないんで、どうしたもんだろうかみたいな。別の知り合いの医者にも相談したところ「おれも普通に処方するけど(大意)」ということだったんで、出してもらうことにしました。

 使用量が少ないせいなのかもしれませんが、おれに関しては、モルヒネきかないねえ。いや、ぜんぜんきかないわけじゃないんだけど、期待していたほどには劇的な効果ってのはありませんでした。副作用はいっちょまえにありまして、慣れるまではけっこうぼーっとしたり、いつもとは頭の覚醒バランスが違っているみたいで寝付けなかったり、してましたけど。
 あ、その後もいまでも高性能バッテリーが落ちるときみたいに(つまりいきなしってことだが)、意識が遠のいていくってのがあるな。横で見てると「いきなし眠った」みたいに見えるんだろうなあとか想像しますが。これ、こないだからときどき出てた症状で、モルヒネのせいじゃないかもしれませんが。頻度と深度はモルヒネの使用開始後、あがったような気がしますけどねっ。

   *

 んで、痛みってのにも、そういやいろいろあるなあ、と。

 右足下腿の粉砕骨折ってのは、対抗右折車につっこまれたバイク事故で、相手の車のバンパーの厚さ分だけ骨があとかたもなくばらばらになっていたというやつで。
 これは、受傷直後はそらもう盛大に痛かったんですけど、なんか一発芸的な痛みだったような。
 そうねえ。なんか周辺じゅうのセンサが異常信号を出しまくっており、痛いぞセンサは痛いぞ信号を出しているのだが、それが受容値を越えて隣の警報システムになだれこんでいたのか、それとも熱いぞセンサが誤動作していたのか、どっちかっつーと痛いというよりは熱かったという記憶があります。
 ただ、痛かったわりには意識は清明で、思考が痛みに引きずられるということもなかった。救急車のスタッフや医者とは普通に話をしていたような気がするし(いやまあ、それなりにろくでもないこともクチバシってはいたのだろうけれども)。
 また、受傷後4時間くらいで痛みはさーっと引いていったように記憶しています。鎮痛剤とかも使ったんだろうけれども、まあセンサの方も「これ以上警報を出しても無意味」とか諦めたのかしらんし。骨折ってけっこう痛みが長引くこともあるみたいですが、おれの場合は毎回のように、受傷直後の痛みは長引かないで消えてますね。ていうか、たいして痛くないものだから骨折していることに一晩気づかなかった事件、てのもあったしなあ。
 とまあそういうわけで、このときの痛みは、「ものすごく痛かった」ということは鮮やかに覚えているものの、さほど印象に残る痛みというわけではなかったんでした。

 胆嚢炎のときの痛みはなあ。
 なんていうかこう、ちんどん屋のような痛みっていうか。延々と痛くてしかも持続してにぎやかで、たとえとしてどうかと思うが『美しき天然』がエンドレスでかかっているかのような痛み。んで、思考が痛みにひっぱられるのですなあ、四六時中「いたいよーいたいよー」とかいうモノローグが頭の中をめぐっている感じ。もうほかのことは考えられない。ちなみに、当初医者は、胆嚢炎をなんとかしようとは思っていたものの痛みをなんとかしようとは思っていなかったようで鎮痛剤を出してくれず、とりあえず痛いのをなんとかしてほしかったおれとしては「おれは何のために病院に行ったんだろう」とかいう疑問を抱いていたりしました。リクエストをちゃんと言うことを忘れるほどに痛かったということだな(=^_^;=)。
 あと、こんときの痛みは、なんていうか「眠れぬほどの痛み」というやつで、眠ってしまえばとりあえず楽になるとは思うものの眠るに眠れないという現象を引き起こしていました。まあそんでも眠気の限界がくれば眠ってしまうんだけどね(=^_^;=)。

 今回の痛みは、胆嚢炎のときにとはけっこう対照的。たとえていえばラヴェルのボレロのような痛みっていうか(なんかもうたとえがわけわからんがな(=^_^;=))。
 いっちばん対照的なのは、今回は「気を失える」ということでしたね。痛いんすよ、痛いんですけど、それがゆえに眠れないとかいうことはない。というか気を失ってしまえば痛くないから脳が気を失ってしまおうと思ったのかどうかよくわかりませんが、なにかっつーと気を失ってしまいそうになるんです。寝てるんだか失神してるんだか、そもそもその2つがどう違うんだか、よくわかりませんが。簡単にブレーカーが落ちる状態っていうか。で、そのブレーカーが落ちる状態はそのちょっと前から別の理由で生じていたんですが、まーとにかく落ちる落ちる、痛みの最盛期には面白いように落ちまくってましたね(=^_^;=)。
 ま、これ、胆嚢炎のときの痛みとは性格が違う痛みだったのか、痛みそのものは似たようなものだけど体の(ていうか脳の)対処方法が違ってきていたのだか、そのあたりはよくわかりませんけど。

   *

 とか言ってるところに、新手の脅威が登場(=^_^;=)。五十肩ってやつです(=^_^;=)。

 しょーじきこれ、関係があるんだかないんだか、よくわからないんだよね。関係している医者4名のうち3名までは「無関係(であり、自分の管轄ではない)」という主張、のこり1名は「関係あるかもしれないし、ないかもしれないけど、とにかく鎮痛剤は出しておきましょう」という対処。ただ、痛みの場所は近くて、炎症が痛いんだか五十肩が痛いんだか、しばしば区別がつかない場合があるんです(=^_^;=)。
 んで、肩こりに鎮痛剤はきくか、肩こりにモルヒネはきくか、っつーとあんまし期待できなさそうな感じで。鎮痛剤で肩こりが治るんだったら、肩こりにはとりあえずバファリンでも飲んどけって話になりそうな気がするんだけど、そういう話はあんまし聞かないもんなあ。
 基本的にはぐちゃぐちゃ言ってないでペインクリニックにでも行くべきなんだろうけどな。ううう。

 なお、更新が止まってますけど、これは別に痛みのせいではありません。ていうか、痛みがひどくなってきたのって12月の話だし。
 更新が止まっているのは、単に写真整理が追いつかないでいるためです。  

2012年01月24日

お散歩>いすみ鉄道 (2) 再生に向けての取り組み篇

 一時期はかなり深刻に廃線の可能性が取りざたされたいすみ鉄道(旧国鉄木原線)。まずは第三セクター転換後のおおまかな年表。

1988年3月24日 国鉄木原線を第三セクターに転換して開業。その後延々と赤字が続く。
2005年8月3日いすみ鉄道再生会議発足。
2007年2月社長の公募(第一次)。
2007年10月29日いすみ鉄道再生会議の最終報告発表。「2008年と2009年の2年間を検討期間とし、収支改善の見通しが立たない場合には廃止」という方向を確認。
2008年3月26日吉田平氏(平和交通社長)が、第一次の公募社長に就任。
2008年8月9日城見ヶ丘駅開業。
2009年2月吉田社長が千葉県知事選挙に立候補するため辞任すると発表。
2009年5月4日社長公募(第二次)。
2009年6月28日鳥塚亮氏(元ブリティッシュ・エアウェイズ旅客運航部長)が、第二次の公募社長に就任。
2009年7月1日命名権販売により、久我原駅を三育学院大学久我原駅に改名。
2009年9月1日命名権販売により、大多喜駅をデンタルサポート大多喜駅に改名。
2009年10月1日命名権販売により、国吉駅を風そよぐ谷国吉駅に改名。
2009年10月「ムーミン」をイメージキャラクターとして起用。また順次、大原・国吉・大多喜に直営売店を開店。
2010年3月訓練費自己負担(700万円)を条件として、運転士の公募(のち4名が採用され、免許を取得)。
2010年8月いすみ鉄道再生会議の最終報告に記載されていた効果測定の結果、いちおう「廃止は見送り」ということに。
2011年4月29日旧国鉄キハ52-125による営業運転を開始。

   *

 とりあえず年表にある案件をいちおう上から、見たままレポート。個人的感想は末尾に。

 城見ヶ丘駅の開業。
 ま、常識的なところで、駅新設による利便向上策。大多喜市街地のちょい外の幹線道路沿いにあるショッピングモールに近い場所への駅の新設です。ショッピングモールは、国道297号沿いのロードサイド店舗群で、コメリ・オリブ・ガスト・ヤックスドラッグなどが道端に並ぶ、まあよくある郊外型のもの。地図
 ただまあ、「近い」つっても数百メートルはあるわけで、どうなんでしょうねみたいな感じも。駅で降りて徒歩で買い物にいくひとがどんだけいるのかなぁ、ここらへんはもう完全に自動車社会だしなあ。
 これはまあ、たまたま線路のすぐ脇にそれなりの規模のショッピングモールとかがあれば、ある程度は効果が期待できるのかもしれませんが、条件が揃うかどうかは鉄道側の努力の範囲外なんですよね。たまたま条件が揃ったら受身でやってみてもいいかな、という性格の企画。類似の事例は、三岐鉄道北勢線の星川駅のものなどがありますが、あっちはどうなんだろ(ちなみに星川駅の場合は、駅前からショッピングモールがはじまっています。地図。もっとも、遠い店まではやっぱ数百メートルあるんだけど)。
 

s3p74352 - 2011/12/31 12:56
いすみ鉄道 - 城見ヶ丘駅(千葉県夷隅郡大多喜町船子)
大原側から駅全景。
s3p74367 - 2011/12/31 13:00
いすみ鉄道 - 城見ヶ丘駅(千葉県夷隅郡大多喜町船子)
駅入口の駅名標。
s3p74371 - 2011/12/31 13:01
いすみ鉄道 - 城見ヶ丘駅(千葉県夷隅郡大多喜町船子)
駅前通り、というか駅からショッピングモールがある場所に向けて伸びている道路。
 
 続きまして、命名権販売。

 国吉駅。スポンサーはパシナコーポレーション、ていうか鳥塚社長の会社。ま、自分で金を出して遊んでみました、ということでしょう、実効を目指したものではないだろうと思います(=^_^;=)。なので評価とかって無粋でしかないからやりません。
 

s3p74186 - 2011/12/31 12:08
いすみ鉄道 - 国吉駅(千葉県いすみ市苅谷)
大原側から駅全景。
s3p74256 - 2011/12/31 12:16
いすみ鉄道 - 国吉駅(千葉県いすみ市苅谷)
駅舎内の駅名標。
s3p74258 - 2011/12/31 12:17
いすみ鉄道 - 国吉駅(千葉県いすみ市苅谷)
駅名標。
 
 大多喜駅。スポンサーはデンタルサポート
 いやあおれは不勉強なことに「大多喜町の歯医者さんかなんかなんでしょう」と思っていたのですが(=^_^;=)、そうではなくて、訪問歯科診療などを軸とした新業態をやっている医療グループだそうです。試みとしてはけっこう面白そうな業態ではあるし、意欲的な事業を展開している会社であるとも思うし、実際使ったら便利でもあるだろうと思う。商売として成り立っているのかどうかは専門外なんでよくわからないけど。
 いすみ鉄道のネーミングライツ購入が宣伝効果につながっているかどうかは疑問、おれが「大多喜町の歯医者さんなんだろう」とか思ってたくらいだから。なんかもうちっと上手に宣伝してあげる手立てってないものなんかな。とりあえずおれはここで言及しオフィシャルページにリンクを張るというかたちで応援してみます。
 
s3p74378 - 2011/12/31 13:06
いすみ鉄道 - 大多喜駅(千葉県夷隅郡大多喜町大多喜)
道路大原側駅全景。
s3p74416 - 2011/12/31 13:14
いすみ鉄道 - 大多喜駅(千葉県夷隅郡大多喜町大多喜)
駅名標。
s3p74442 - 2011/12/31 13:17
いすみ鉄道 - 大多喜駅(千葉県夷隅郡大多喜町大多喜)
駅名標。
s3p74440 - 2011/12/31 13:17
いすみ鉄道 - 大多喜駅(千葉県夷隅郡大多喜町大多喜)
駅名標。「デンタルサポート」が書かれていませんが・・・書き忘れでしょうか(=^_^;=)。
 
 久我原駅。スポンサーは三育学院大学
 申し訳ないことに知らない大学だったんですが、調べました。大多喜町に拠点を置く大学で、1971年の設立だから案外古い。いちばん最初は1898年設立の芝和英聖書学校だから、ものすごく古い(=^_^;=)。キリスト教プロテシタント系列に属するセブンスデー・アドヴェンティスト教会を母体としており、グループ内に神学校も存在。英語学科・看護学科などがある。
 簡単にまとめると、一般の大学というよりは教団内の教育機関を目指して設立されたものだろうと思います。ただまあなんだ、カソリック系の聖ルカ病院をはじめとして、キリスト教系の医療施設とかってけっこう一般的でありかつ充実してたりするんで、一般の大学とかとはちょっと違った意味合いで存在感と存在価値のある学校なのであろう、と想像します。個人的には、調べて「ほーなるほど」って感じだった。
 で、キャンパスの最寄り駅だから命名権を購入したんだと思いますが、それ以上の意味合いはなさげ。通勤通学にこの駅を使う職員や学生がいるとも思われませんし。でもまあ、キリスト教的ヴォランティア精神での寄付と思えば、納得もいったりして。そういうところ、なんだかんだ言いつつ「神のいる国のひとびと」ってしっかりしてるんだよなあ、くやしいことに。
 
s3p74615 - 2011/12/31 14:14
いすみ鉄道 - 久我原駅(千葉県夷隅郡大多喜町大戸)
大原側から駅全景。
s3p74620 - 2011/12/31 14:15
いすみ鉄道 - 久我原駅(千葉県夷隅郡大多喜町大戸)
ホーム待合室の駅名標。
s3p74611 - 2011/12/31 14:13
いすみ鉄道 - 久我原駅(千葉県夷隅郡大多喜町大戸)
駅名標。
 
 んで、現物は見られなかったし、おれは国鉄型にはまったく興味がないのでどうでもいいのですが(=^_^;=)、いちおうキハ52。一日乗車券に載ってましたので、それをはっつけておきます。
 
s3p76833 - 2012/01/03 19:36
いすみ鉄道 - 一日乗車券。「キハ52シリーズ」てのをやっているらしい。これはその2番目のもの。
 

   *

 年表にない案件。

 設備なんだけど、なんだかんだ言いつつ順調に更新は進んでいるみたい。目に見えるわかりやすい更新設備ってそうはないんだけど、気づいたものとして、たとえば以下。
 

s3p74012 - 2011/12/31 11:11
いすみ鉄道 - 西大原駅(千葉県いすみ市新田)
大原側にある第一中川踏切(第三種)。手前側警報機は全方向警告灯のもの。
s3p74057 - 2011/12/31 11:26
いすみ鉄道 - 上総東〜新田野(千葉県いすみ市佐室)
佐室踏切(第一種)。
s3p74065 - 2011/12/31 11:26
いすみ鉄道 - 上総東〜新田野(千葉県いすみ市佐室)
佐室踏切の全方向警報灯。
 
 何か所かの踏切で、全方向警報機を実見しました。もしかすっともう新品で購入できる踏切警報機は全方向タイプしかない、とかいう話かもしれませんが、いずれにせよ施設は着実に更新されているということの証ではなかろうかと思います。
 上の第一中川踏切なんて、踏切自体は激減の一途をたどる第3種踏切(警報機はあるけれど遮断機はない)なんで、そこに新鋭の全方向警報機なんていう組み合わせは全国でもここだけかもしれません。

 それから、いすみ鉄道応援自動販売機というのがけっこう目につきました。
 

s3p73953 - 2011/12/31 10:48
いすみ鉄道 - 大原駅(千葉県いすみ市大原)
ガンバレいすみ鉄道塗装の自販機。
s3p74011 - 2011/12/31 11:11
いすみ鉄道 - 西大原駅(千葉県いすみ市新田)
駅前の商店「BARBERフジヒラ」。いすみ鉄道応援自販機が設置されていました。
s3p74008 - 2011/12/31 11:10
いすみ鉄道 - 西大原駅(千葉県いすみ市新田)
駅前の商店にあったガンバレいすみ鉄道塗装の自動販売機。
s3p74627 - 2011/12/31 14:24
いすみ鉄道 - 総元駅(千葉県夷隅郡大多喜町黒原)
自動販売機。
 
 見てのとおりでパターンは2種。いすみ200型塗装のものと、国鉄色のもの。
 駅構内だけではなく、駅前商店などにも設置されているものがありました。もしかすると駅から離れた沿線商店などにも設置されているのかもしれません。
 以前に、なんだかよくわからないルートで飲料会社から「1本いくらのプレミアムマージンを出すという条件をつけるから、あまり販売機がないエリアで、新規に販売機を置かせてもらえるところを紹介してくれないか」という話が舞い込んだことがあります。「飲んで残そう○○鉄道」なんていうネタを考え付いたはいいんだけど、一か所声をかけたらそのままになっていて、まあおれにとっても個人的なメリットがあるわけじゃないしそのまま放置状態なんですが、そういう流れなんじゃないかと想像します。あ、この「自販機置かせてくれ」という話、なくなったわけじゃないと思うんで、興味がある鉄道会社のひととかいたらお声がけください。つなぎます。
 これ、街中にある程度以上氾濫したら、それなりに鉄道の存在感につながるかもしれず、そういう意味ではそれなりの効果がある方法論なのかもしれません。もっともまあ、塗装特注にかかる費用とか、がんばったけどだめで廃止になっちゃったときその自販機をどうするかとか、いろいろ悩ましいポイントもありそうですが。

   *

 んで、個人的感想です。

 いやあなんていうかね。こういう感想を述べるのって、鉄道会社に対してはものすごく失礼なことかもしれないし、そもそも大晦日にざっと見ただけだから観察が正しく行われたものなのかという疑問もあるわけですけど、ちょっと驚いたことがあるんです。
 言うぞ言うぞ、覚悟して読めよ(=^_^;=)。

 なんとまあ驚いたことに、*いすみ鉄道には客がいる* んですよ(=^_^;=)。

 幾多ローカル線を見て歩いてきましたが、駅ごとになんかしら利用者がいる、というケースってあんまし見た覚えがないのです。だけど今回、人数は少ないんだけど、駅にはけっこう列車待ちのお客さんがいたりした。列車が到着すると降りてくる客もいた。ちょっとこれは、予想外の高頻度であり、「なんだ使われているんじゃん」という感想につながったわけですよ。
 あ、乗り鉄撮り鉄系の利用者もいましたけど、そこらへんは除外して考えてます。趣味者はいずれにせよレギュラーの利用者じゃありませんから。
 

s3p74090 - 2011/12/31 11:31
いすみ鉄道 - 上総東駅(千葉県いすみ市佐室)
大原側から駅全景。下り列車待ちのお客さんがいます。
s3p74671 - 2011/12/31 14:38
いすみ鉄道 - 西畑駅(千葉県夷隅郡大多喜町弥喜用)
到着した列車。車輌は203。降りてくる家族連れがいます。
 
 なんせ大晦日ですから、「家族がみんな忙しくて車を出してくれず列車を使わざるを得なかったご老人」であるとか、「里帰りでたまたま列車を使っただけの非在住者」であるとか、そういうことだったのかもしれないんですが、通り過ぎる列車を見ても空気輸送状態ではなかったし、お客さん、いるんですね。採算が取れるほどの利用者がいるわけじゃないのが悩みのタネなんだろうけど、公共交通機関なんて最低限の地域サービスの部類で採算性で判断していいものかどうかビミョーなところがあるわけだし。
 公募運転士なんかのときにも「鉄道の実用性を無視して、趣味に走った政策である」みたいな批判がけっこうあったんですが、もし実用性を無視してしまっているのならばそれは問題だとおれも思うのですが、果たしてそういう流れになっているんだろうか。
 案外こう、いろいろと打ち出される奇抜な政策って、地元に対してもインパクトがあったりして、鉄道の存在感につながっているのではないか、なんてことをふと思ったりしたんでした。外から見ているのと、地元から見ているのとでは、案外見えている姿が違うのではないか、という感じだろうか。

 まあなんせ一回しかちゃんと見ていませんし、観察は甘いし、単なる通りすがりの趣味者なんで精緻な分析をしようとかいう意図もないんですけど、「予想外に利用者がいた」という一点をもって、いすみ鉄道はおれにとって「ちょっと気になる路線」へと格上げになったということは言えるように思います。とりあえず今回の感想はこんなところ。

  
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2012年01月22日

お散歩>いすみ鉄道 (1) 趣味的観点篇

 そういうわけで本日の主目標であるいすみ鉄道です。

 いすみ鉄道は、すでに項目はありますが、これってば小湊鉄道のついでにざーっとまわっただけで、もう日も落ちていたし、要するにまあちゃんと見てはいない路線だったのでした。今回が初めてのまともな訪問であると言えましょうか。

 実はなー、いすみ鉄道にはいい思い出がないんだよなー。
 大昔にバイクで訪ねたんですよ。小湊鉄道を見て回って、それからいすみ鉄道に流れた、と。そしたら山道で土建屋の車にぶつけられましてね。大多喜の土建屋の車で、いくら地元だからってブラインドの山道で携帯電話をかけながら突っ走って来るんじゃないっつーの。んで、壊した分だけちゃんと金を払えば水に流してやらんでもなかったのに、そいつは「自分の車のラジエターも壊れた」とかいって過失相殺で修理代を値切ろうとしたんですな。カウルはぐちゃぐちゃにされたけどフレームはいってなかったし、いくら正面衝突とはいえその程度のあたり方で商用車のラジエターが壊れるかっつーの。こっちは止まれていたんだし、ぐちゃぐちゃ言ってないでてめえの不注意の分くらいは抵抗せずにおとなしく払いやがれ。
 そのちょい前にも一旦停止をしなかった土建屋の車に真横からぶつけられて鎖骨折ってるし、この2連発でしみじみ「土建屋ってろくなもんじゃねえな」と思うに至った。建築系の仕事を(も)しているおれが言っていいことじゃないような気もするけれども。んで、おれはモメる際にもいちおう落としどころは考えるように心がけてきたのですが、環境屋的活動の上では「土建屋は例外、土建屋の都合は一切考えなくていい」という方針を確立するに至ったのでございました。開発事業がストップして土建屋が干上がったっておれ知らんもんね、ということです。おまえその修理代のセコい節約は日本全国の土建屋にとって高くついたぞ、ざまあみやがれ。
 まあなんだね、おれがこんだけ感情的になるのは珍しいことでございまして、ま、そのくらい不愉快な出来事だったということです。
 とまあそういうわけでいすみ鉄道には何の責任もないところでおれ的にはバッドイメージがまとわりついていたりするわけですが、愚痴をこぼしたところで本論に戻ります。

 すでにWeblogでのいすみ鉄道の紹介でも書いたことですが、夜間にざーっと見た限りでは、「元は国鉄木原線とはいえ、国鉄型の駅舎は1棟も残っていないし、車輌はつまらん富士重工Le-Carだし、趣味的にはいまいち」という印象でした。しかしまあ、どんな場合でもその気になって丁寧に見れば「いいとこ探し」はできるわけでね。
 今回は、大原到着が午前10時40分頃、上総中野での撮影終了が15時ちょい過ぎくらい、日中が短い冬の日ではありますが、まあまあ余裕で全駅をめぐることができました。駅間や橋梁などの施設はほとんど見ていませんが、まあ一日でざーっと回ろうというときになんでもかんでもっていうのは無理がありますし、こんなもんでしょう。

 そうですねえ。いすみ鉄道の趣味的視野からの「いいとこ」っていうと、小駅の雰囲気でしょうか。もともと駅舎なんかあったとは思えない、待合室がぽつんとあるだけですみたいな小駅に、そこそこ見るべき風景がありました。たとえば以下。
 

s3p74044 - 2011/12/31 11:16
いすみ鉄道 - 西大原駅(千葉県いすみ市新田)
上総中野側から駅全景。
s3p74172 - 2011/12/31 11:48
いすみ鉄道 - 新田野駅(千葉県いすみ市新田野)
大原側から駅全景。
s3p74514 - 2011/12/31 13:48
いすみ鉄道 - 小谷松駅(千葉県夷隅郡大多喜町小谷松)
大原側から駅全景。
s3p74608 - 2011/12/31 14:11
いすみ鉄道 - 久我原駅(千葉県夷隅郡大多喜町大戸)
上総中野側から駅全景。停車中の大原行きの列車はいすみ206。
 
 ま、いずれも地味ではありますし重要な駅でもないわけですけど、その分「おらが町の第三セクター鉄道っ!」とかがんばって行政施設合造駅舎を新築するみたいな流れにはならなかったということなんでしょう。周囲の風情とかも含めて丁寧に観察するならば、それなりに見る価値はあるような気がします。どういう風景を見たいかとかいうベクトルにもよるのでしょうけど、大きめの駅は全部捨ててこういう小駅だけをめぐっても楽しいかもしれませんね。

 それから、「国鉄型の駅舎は全滅」と思っていましたが、それは間違いで、1棟だけ残っていました。上総東駅。
 

s3p74099 - 2011/12/31 11:31
いすみ鉄道 - 上総東駅(千葉県いすみ市佐室)
旧駅舎。線路大原側。
s3p74105 - 2011/12/31 11:32
いすみ鉄道 - 上総東駅(千葉県いすみ市佐室)
旧駅舎。道路上総中野側。
 
 駅舎としては使われておらず、どうも駅前の商店に貸し出されているか売却されたかみたいでいまはいすみ鉄道の管理物件ではなくなっているようですが、とりあえず1棟だけは、国鉄型の駅舎が残っていました。木造モルタル塗りの、まあちょっとクセはあって「典型的な国鉄型駅舎」とは言えないかもしれませんが、まあまあいい感じの建築物なんじゃないでしょうか。

 それから、すでに上総中野駅で発見してはいましたが、妙に背の低い信号機がいくつか発見できました。未撮影分にも同じようなのがいくつかあったはず。
 

s3p74181 - 2011/12/31 12:07
いすみ鉄道 - 国吉駅(千葉県いすみ市苅谷)
大原方面を望む。背の低い出発信号機があります。右側2線が行き違いができる本線で、その左側は側線。
s3p74184 - 2011/12/31 12:07
いすみ鉄道 - 国吉駅(千葉県いすみ市苅谷)
背の低い出発信号機。木原線の特徴でしょうか。
s3p74422 - 2011/12/31 13:15
いすみ鉄道 - 大多喜駅(千葉県夷隅郡大多喜町大多喜)
背の低い出発信号機。
 
 これって木原線様式なんでしょうかねえ。まあ、高く配置すればメンテナンスとかもたいへんになるわけで、実用上問題がないのなら、信号機を低く設置するというのはありだと思います。「あるひとつの路線に独特な雰囲気を演出する小道具」として、けっこういい感じのものだと思います。まあ、こういうのを鉄道模型のレイアウトとかでこれをやってしかもリアルに見せるとなるとたいへんだろうと思ったりもしますけど、実物の持つパワーってやっぱすごいわけで、特に不自然には見えなかったんですよねえ。

 おまけで、反射板つき道路信号機も1つ発見。
 

s3p74316 - 2011/12/31 12:35
千葉県いすみ市苅谷
反射板つき信号機の設置状況。T字路3方向の信号機のうち、反射板がついているのは1基(左端)だけ。
s3p74289 - 2011/12/31 12:23
千葉県いすみ市苅谷
反射板つき信号機。
 
 この反射板つき道路信号機ってのもよくわかんないんだよな。全方向に反射板がついているというケースはほとんどない。同時に更新されたのであろう信号機のうち一部の方向のものにのみ取り付けられているということが多いんです。日差しの関係で見えにくいとかいうのがあるんだろうかと思って考えてみたんだけど、必ずしも方向によって反射板がついているとかついていないとかが決まっているわけでもなさそうだし。
 鉄道の信号機だと、ゼブラ模様ではないにせよ、背景板がついているのが普通だったりします。このあたりってどういう事情によるものなんですかね。とか疑問を投げ出しただけでまったくもって解決につながる糸口は提供できないわけですが(=^_^;=)。

 ま、そんなこんなで、久しぶりのいすみ鉄道、そして(ぶつけられた時に途中までやっていたのを除けば)丁寧に見て回るのははじめてのいすみ鉄道ですが、まあ、それなりに楽しい路線ではあるようでした。車庫にしまいこまれていて見ることはできませんでしたが、なんか最近、国鉄型のキハ52を入れてレトロトレインとして走らせていたりもするみたいですし、そういうのが好きな方にとっては、「駅舎は残念だけど、それ以外には見所はありますよ」というのは、それなりに有益な情報となりましょうか。

 次回は、公募によって誕生した鳥塚社長の企画なども含めて、再生に向けてがんばっているいすみ鉄道の動向とかについて、ちょっと考えてみたいと思います。

  
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2012年01月20日

お散歩>外房線を2駅ほど・上総一ノ宮駅と東浪見駅

 そーゆーわけで上総一ノ宮におりました。そしたらやっぱ駅も見ていきませんとってことで、上総一ノ宮駅。玉前神社から上総一ノ宮駅までの参道にもいろいろ古建築があったっぽかったんですが、さすがにそこにまでひっかかると本日の目標が完遂できなくなるのはわかっておりましたので、さくさく飛ばします。
 
s3p73840 - 2011/12/31 09:52
JR東日本 - 外房線 - 上総一ノ宮駅
神門県道から駅全景(安房鴨川側)。はー、ここが不用意に中距離列車で居眠りをするとつれてこられてしまうという恐ろしい場所なのですね(=^_^;=)。
 
 毎度恒例の駅前モニュメント
 
s3p73845 - 2011/12/31 09:53
JR東日本 - 外房線 - 上総一ノ宮駅
駅前モニュメント。標語時計台。
s3p73848 - 2011/12/31 09:53
JR東日本 - 外房線 - 上総一ノ宮駅
駅前モニュメント。標語塔。
 
 駅前広場です。駅舎そのものは、新しくはないけれど、だからといってさほど古くもない、なんていうかモダニズム系なのかな、な建築でございました。ていうか車が邪魔で全体像がよくわからん(=^_^;=)。
 
s3p73853 - 2011/12/31 09:54
JR東日本 - 外房線 - 上総一ノ宮駅
駅前広場。
s3p73860 - 2011/12/31 09:54
JR東日本 - 外房線 - 上総一ノ宮駅
駅舎・道路安房鴨川側。
 
 駅周辺。さすがは古くから玉前神社の門前町としてにぎわったところだけあって、まあそれなりの古建築もあります。いつかチャンスがあればストラクチャーウォッチングをしにきてもいいかもしれません。
 
s3p73873 - 2011/12/31 09:57
JR東日本 - 外房線 - 上総一ノ宮駅
駅前の日本建築の商店「最首商店」。
 
 んで、招き猫がいたりもして。鮮魚屋さんなんだよなあ、いいもん食ってるんだろうなあ。
 
s3p73892 - 2011/12/31 10:03
JR東日本 - 外房線 - 上総一ノ宮駅
招き猫がいた駅前商店「タカラ鮮魚」。
s3p73876 - 2011/12/31 09:58
JR東日本 - 外房線 - 上総一ノ宮駅
駅前商店の招き猫。
s3p73878 - 2011/12/31 09:58
JR東日本 - 外房線 - 上総一ノ宮駅
駅前商店の招き猫。肉球をいじられても動じません。タマタマが見えてますが、肉球はとにかくタマタマをはじいたりすれば相手をしてもらえたのかもしれません(発想が鬼だな・・・)。
s3p73883 - 2011/12/31 09:59
JR東日本 - 外房線 - 上総一ノ宮駅
駅前商店の招き猫。なんかシャッターチャンスの関係で寝てるようにも見えるのですが、そうではなくて、無防備に毛づくろいに夢中。
s3p73891 - 2011/12/31 10:02
JR東日本 - 外房線 - 上総一ノ宮駅
駅前商店の招き猫。無防備に毛づくろいに夢中。
 
s3p73885 - 2011/12/31 10:00
JR東日本 - 外房線 - 上総一ノ宮駅
駅前のタクシー屋「日の丸自動車」。
 
 いやあいつのまにか車輌が変わっているじゃありませんか。どうした千葉動労。
 なんか通り過ぎるのを眺めていたら中がクロスシートになっているのが見えたりして。けっこう気合いのはいった改造がなされているようで、元は通勤型でしたけれども、それなりに中距離電車としてちゃんと使えるようになっているみたいです。
 
s3p73861 - 2011/12/31 09:55
JR東日本 - 外房線 - 上総一ノ宮駅
進入する千葉色の209型。
s3p73867 - 2011/12/31 09:56
JR東日本 - 外房線 - 上総一ノ宮駅
出発する千葉色の209型。
 
 続きまして、となりの東浪見駅(とらみえき)。
 
s3p73893 - 2011/12/31 10:12
JR東日本 - 外房線 - 東浪見駅
駅入口。
s3p73900 - 2011/12/31 10:13
JR東日本 - 外房線 - 東浪見駅
駅入口。
s3p73914 - 2011/12/31 10:16
JR東日本 - 外房線 - 東浪見駅
駅入口からホームへの階段。
s3p73902 - 2011/12/31 10:14
JR東日本 - 外房線 - 東浪見駅
構内風景。千葉方面を望む。
s3p73908 - 2011/12/31 10:14
JR東日本 - 外房線 - 東浪見駅
跨線橋。
 
 で、駅前にあった看板なんですが。
 
s3p73919 - 2011/12/31 10:16
JR東日本 - 外房線 - 東浪見駅
駅入口のところにあった「麻雀博物館」の看板。
 
 麻雀博物館があるのは、かまわないんです。ただ、「世界唯一!」というのをどうやって確認したんだろうかというのが疑問で。連れもほぼ同時にその疑問を思いついたらしい。しかしそういう疑問を思い浮かぶという時点で、けっこうつらい人生を選んでしまっているような気が、しなくもありません。素直に「そうか世界で唯一なのかーすごいなー」とか驚いてりゃいいのにってか(=^_^;=)。

 で、ここで思い出したんですが、本日の目標は外房線の駅めぐりじゃなかったんですね。主目的はいすみ鉄道だったはずです。すでに時刻は10時をまわっております。このまま外房線の駅をたどっていたら絶対に目標は完遂できないであろう、ということで外房線駅めぐりは打ち切って、大原に向かいます。いやあ危なかった、このまま気づかずに続けていたら大原にたどりつくのは何時になっていたことだろうか(=^_^;=)。

  
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2012年01月18日

お散歩>上総一ノ宮・玉前神社 〜 神社と死穢のビミョーな関係

 年末だっつーのに大掃除もしないでお散歩です(=^_^;=)。

 今回は突然のように「いすみ鉄道の鳥塚社長の手腕をみにいこーぜ」という話が持ち上がり、そういうわけで房総方面へ。アプローチは千葉東金道路→東金九十九里道路とたどって大原から。
 ところが、九十九里道路を降りるところでトイレのために一宮休憩所に立ち寄ったところで、さっそくの脱線(=^_^;=)。
 

s3p73682 - 2011/12/31 09:07
千葉県長生郡長生村一松丙
九十九里有料道路・一宮休憩所。ドライブイン風の休憩設備。
 
 「一宮休憩所って、上総一ノ宮ってことだよね?」
 「だろ」
 「上総国の一宮があるってことだよね?」
 「だろ」
 「寄っていこーぜ」

 という流れで、上総一ノ宮へ。
 上総一ノ宮といえば、総武線〜外房線の直通列車の終着駅だったりもするわけで、車内で寝ていたらなんかとんでもないところに連れていかれた記憶があったりもしますが(=^_^;=)、まあ馴染みがない駅名じゃありません。そうかそういえばそういう駅名なんだから神社があるはずなんだよなあ。
 行ってみたらありました。「玉前神社」というところだそうです。
 

s3p73707 - 2011/12/31 09:25
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。門前町の通り。まっすぐいくと上総一ノ宮駅。背中方向に玉前神社。
s3p73718 - 2011/12/31 09:26
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。街灯。商店名などははいっておらず、すべて「いちのみや」の札がかけられています。
s3p73704 - 2011/12/31 09:24
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。石造りの塀。さすがは一宮で、寄進者には江戸在住者の名前も多く見られました。上総国と取引があった商工業者もたくさんいた、ということなのでしょう。
 
 なんせ大晦日です。初詣の迎撃準備もいよいよラストスパートってところ。
 
s3p73715 - 2011/12/31 09:26
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。門前から入口を見る。一の鳥居は朱塗りの明神鳥居。
s3p73727 - 2011/12/31 09:27
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。初詣客を迎え撃つ準備が進む境内。はー、おれフライドポテトの屋台ってのがあるんだということをはじめて知りました。
s3p73729 - 2011/12/31 09:28
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。参道に設けられた茅の輪。後ろ側、2列目の鳥居は石造の明神鳥居。
 
 元旦のWeblogの記事の冒頭のっけにいたドラゴンさんですが、あれがこの玉前神社の手水場のドラゴンさんでした。手水場も、大量の初詣客をこなそうということらしく特設のものが作られていて、レギュラーの手水場はお休みになるようでした。
 
s3p73754 - 2011/12/31 09:31
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。参道屈曲部を曲がったところ。両側に初詣対応の臨時手水場が設けられていました。右側裏手にレギュラーの手水場があります。
s3p73758 - 2011/12/31 09:32
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。レギュラーの手水場。
 
 拝殿本体にいく前に周辺をご紹介。
 
s3p73792 - 2011/12/31 09:36
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。参集殿。バンケットみたいなものらしい。鉄筋コンクリートの二階建てだったかな、の大きな建物ですが、崖地にあるため、境内側からは平屋に見えるっていうか、サイズは把握しづらくなっています。
s3p73791 - 2011/12/31 09:36
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。招魂殿。おれが大嫌いで、ついでに蔑視している国家神道は靖国神社系。とはいえ、建立は国家神道が咲き誇っていたの1923年(大正12年)であり、当時に向かって「建てるべきではなかった」とか言うのはくだらないイチャモンにしかならないし、かといってじゃあ今から壊すとなるとそれもまたいろいろ厄介ごとが起きるのがわかっているしで、むずかしいところだ。やぱ国家神道の後遺症ってでかいわなぁ。
s3p73812 - 2011/12/31 09:40
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。脇参道と脇社。鳥居は石造の明神鳥居。
s3p73824 - 2011/12/31 09:43
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。なんかのご神木でしょうか。周囲には「はだしで歩こう」という玉砂利を敷いたドーナツ状の道が作られていました。普段は拝殿・神殿のまわりに「はだしの道」てのがあるらしいんだが。
s3p73830 - 2011/12/31 09:44
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。山車庫と山車。
s3p73776 - 2011/12/31 09:35
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。奉納殿。拝殿前広場に面しています。
s3p73782 - 2011/12/31 09:35
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。売店。拝殿前広場に面しています。
 
 で、本体拝殿なんですが・・・修理中でした(=^_^;=)。前回静神社のときにも書いたことですが、修理が終わってから再訪するとは限らないわけで。まあ、こういうのは出会いですから、拝殿を見られなかったのもそういう運命だったんだよってことで済ませるしかないんでしょう。
 
s3p73820 - 2011/12/31 09:41
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。拝殿前広場。
s3p73777 - 2011/12/31 09:35
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。拝殿。「平成の大修理」中だそうで、仮宮でした。
s3p73784 - 2011/12/31 09:35
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。拝殿脇の特設おみくじ売り場。
 
 拝殿裏の神殿。
 
s3p73786 - 2011/12/31 09:36
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。神殿。
s3p73798 - 2011/12/31 09:37
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。神殿。瑞垣の壁では「絵馬展」が行われていました。
 
 で、裏手に抜けて駐車場に戻る、と。
 
s3p73834 - 2011/12/31 09:46
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。駐車場から裏手。
 
 はい。で、ここからが玉前神社最大の見所となった「神社と死穢のビミョーな関係」です(=^_^;=)。

 神社の裏手に墓地があったんですね。
 でもってまあ、すでに幾度も書いてきたことですが、「神社は死穢を嫌うため境内には墓地がない」というのは俗説にすぎないものと思われます。江戸時代までは、神道の神社と仏教の寺院は必ずしも分化していなかった、というか一体となっていることが多いものでしたし、葬儀利権は仏教側が握っていて離しませんでしたから、結果として神社側にはあまり墓地が作られなかった。それだけの話であろうと、おれは考えています。そもそも「捨て墓」と「参り墓」がわかれていた時代、墓(参り墓)って別に死体がある場所じゃなかったんだしな。
 死穢云々というのは、おそらく明治時代以降に、「なぜ神社には墓地がないのか」を説明するためにでっちあげられた妄想でしょう。

 と・こ・ろ・がっ(=^_^;=)。
 

s3p73701 - 2011/12/31 09:22
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。神社に隣接する墓地。生垣の向こうは神社です。もともと別の敷地であったとは思いにくい。
s3p73695 - 2011/12/31 09:21
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。神社に隣接する墓地と立札(右側)。
s3p73698 - 2011/12/31 09:21
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。神社に隣接する墓地のところにあった立札。深読みしすぎかもしれませんが、「墓地は神域ではない」と玉前神社は言いたいようです(=^_^;=)。
 
 配置はこうです。

 明らかに玉前神社の境内であったであろう場所、あるいは今でも登記上は玉前神社の地所かもしれないんですが、そこに墓地があります。神社に墓地があるのはたいして珍しいことじゃないし、世田谷の松蔭神社なんて吉田松陰の墓地を神社にしちゃったものだったりするわけで、まあいいんですが、どうも玉前神社は「墓地は神域ではない。墓地は神社の境内ではない」と言いたいように見えるんですね(=^_^;=)。なんかこう、神社ご自身がごく最近に作られた物語を信じてしまっているような気配があってなんだかなぁで(=^_^;=)。
 ていうか、ぶっちゃけ「神社境内はダメだが墓地は犬が散歩しててもいいということなのかっ」ていうかより具体的には「墓地にならば犬のウンコがころがっていてもいいとおまいは思っているのかっ」みたいな妙な違和感がございました(=^_^;=)。

 まあなんだ、格式の高い神社ほど国家神道の影響を大きく受けたわけでしょうし(なんせ宮司とかの給料を国が出していたんだからなあ)、大きく格式の高い神社ほど国家神道の呪縛に深くからまっちゃってる、ということなのかもしれません。神道もいろいろたいへんだぁ、とかためいきをつきつつ、お散歩は続きます

  
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2012年01月13日

お散歩>茨城県那珂市静の静神社

 だんだんコネタになってきたお散歩報告ですが、常陸国二ノ宮だった静神社です。ていうかお散歩報告の性格が変わってきたんだよな、更新の回数が減ったかわりにお散歩報告でとりあえず写真を公開しちゃおう、みたいな感じです。

 水郡線に「静駅」というのがありますが(駅そのものはつまらん無人駅だ)、その駅名の由来となった地名の源流がこの神社であるらしい。常陸二ノ宮ですから(ちなみに常陸一ノ宮は鹿島神宮であるらしい)、まあかなりの神社であると言えましょう。
 もっともまあ、訪問が12月の16時でしょ、もう暗くてなにやらようわからん感じ。写真も露出不足でボロボロです。じゃあ出すのやめればとか思わないでもないんですが、生きてる間に再訪することがあるかどうか微妙な場所ってけっこうあるわけで、そういうところは「いつか再訪したときに」ではなく「とりあえず出す。再訪したら差し替える」の方がいいような気がするんすよね。ま、「もったいないお化け」が出ただけかもしれませんが。

 んで静神社。さすがは二ノ宮で、けっこうな規模の神社でした。しかしそれより、そろそろ年末なわけで、初詣の準備とかが中途半端に進んでおり、その「作りかけの舞台装置」みたいな部分がちょっと興味深かったのでした。いやな視点だなあとか思わないでもありませんが(=^_^;=)。
 

s3p73593.jpg - 2011/12/23 16:17
茨城県那珂市静
静神社。入口。一の鳥居、二の鳥居ともに石造の神明鳥居。
s3p73596.jpg - 2011/12/23 16:19
茨城県那珂市静
静神社。表札石碑。常陸二ノ宮だったことが刻まれています。
 
 参道入口周辺。
 
s3p73602.jpg - 2011/12/23 16:20
茨城県那珂市静
静神社。石段の入口。
s3p73606.jpg - 2011/12/23 16:20
茨城県那珂市静
静神社。手水場と街灯。
s3p73611.jpg - 2011/12/23 16:21
茨城県那珂市静
静神社。街灯ヘッド。
s3p73597.jpg - 2011/12/23 16:19
茨城県那珂市静
静神社。入口のところにある建物。
s3p73612.jpg - 2011/12/23 16:21
茨城県那珂市静
静神社。由緒書き1。
 
 で、参道の石段。正直、きつかったわぁ(=^_^;=)。んで両側に「御神燈」と書かれた行灯が延々と並んでいるんですね。初詣仕様なんでしょうねえ。並んではいるんだけど、しかし火ははいっていない。周囲はすでに暗い。なかなかにあやしげな雰囲気をかもし出しておりました。もっともこれで行灯に火がはいっていたら、その部分が露出オーバーになるわけで、写真を撮る上での条件はもっと厳しくなっていたようにも思いますが。
 
s3p73615.jpg - 2011/12/23 16:22
茨城県那珂市静
静神社。石段。
s3p73618.jpg - 2011/12/23 16:24
茨城県那珂市静
静神社。石段。
s3p73621.jpg - 2011/12/23 16:25
茨城県那珂市静
静神社。石段。
 
 石段を登りきったところにある平地。瑞垣で囲まれた中枢部の手前にもいろいろとあります。
 いやあ、ここらへんにも「御神燈」が乱立しておりますてね。狛ちゃんなんか御神燈に隠れてしまっていて、最初は気づかなかったもんなあ。おまいら番犬なんだからさ、人がとおりかかったら「ここに狛犬がいますよ」とかちゃんと吼えろとか、理不尽なことを思っちゃいましたよ。
 手水場のドラゴンは、帰り道で気づいたもので、もうほとんど真っ暗闇でした。よって手水場全体の写真はありません。
 
s3p73627.jpg - 2011/12/23 16:26
茨城県那珂市静
静神社。瑞垣門。
s3p73665.jpg - 2011/12/23 16:37
茨城県那珂市静
静神社。右狛犬。
s3p73668.jpg - 2011/12/23 16:38
茨城県那珂市静
静神社。左狛犬。
s3p73671.jpg - 2011/12/23 16:39
茨城県那珂市静
静神社。手水場の竜。
s3p73628.jpg - 2011/12/23 16:27
茨城県那珂市静
静神社。由緒書き2。
 
 瑞垣内部の拝殿・神殿ほか。
 
s3p73634.jpg - 2011/12/23 16:28
茨城県那珂市静
静神社。拝殿斜め。
s3p73640.jpg - 2011/12/23 16:29
茨城県那珂市静
静神社。拝殿と神殿。
s3p73649.jpg - 2011/12/23 16:31
茨城県那珂市静
静神社。神殿。
 
 やー。三脚つけて撮ればまあまだいける程度の光はあったんですが、手持ちじゃちょっと無謀でしたね。まあ、基本的にいちおう三脚は持っていることが多いんで、面倒がらずに「暗いな」と思ったら帯同することをまじめに考えようとか反省したのではございました(車に積みっぱなしにしていて持っていかなかった)。反省はしたけれど実践するかどうかは微妙なところですが。
  
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2012年01月11日

お散歩>たまたま発見したバスの保存車群。

 友人とドライブをしていたら、運転していた友人が突然「戻っていいか」とか言い出した。おれも視界の片隅にボンネットバスが見えていたので、それのことだろうと思った。ところが戻ってみたらボンネットバスだけじゃなくて、あるわあるわ・・・(=^_^;=)。保管場所の管理者に許可を得てじっくり眺めてきました。
 なお、ナンバープレートには例によってスクランブルがかけてありますので、実在の番号ではなくなっています。
 
バス保存車。全体像。
バス保存車。右側の車列。
バス保存車。左側の車列。
 
ボンネットトラックのタンクローリー。バス保存車にまざって置かれていました。
 
バス保存車。日野BH15。
バス保存車。MR-410(潮来)。
バス保存車。K-MS615SA(東急)。
バス保存車。形式不明・仮称奈良交通。
バス保存車。形式不明・仮称はとバス。
バス保存車。6RA-107。
バス保存車。形式不明・仮称JR特急東京行き。
バス保存車。形式不明・仮称日野ウイングコミュニティー。
 
草むらの中にいた車2台。マイクロバスとかいうわけではなく単なるワンボックスカーだと思うのだが、サベツするのもかわいそうなので、写真を撮っておきました。
 
バス保存車。形式不明・仮称5225。
バス保存車。形式不明・仮称赤おでこ。
バス保存車。日野RB-10P。
バス保存車。4R-94(加茂)。
バス保存車。トヨタDR-15(ホーチキ)。
バス保存車。UR-690。
バス保存車。形式不明・仮称東亜電子。
 
 帰ってきて調べたら、どうも趣味組織がかき集めたコレクションだったらしい。たぶんその筋のひとたちにとっては有名なものだろうし知ってるひとも多いのかもしれませんが、よくわからないのでもろもろ情報は伏せます。
 バスの保存というのもけっこう大変だろうと思うのですが、ぜひ末永く保存していただければ、と。何かお手伝いができるわけでもなく、陰ながらとしか言いようがないのですが、エールを送りたいと思います。
  
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2012年01月09日

お散歩>水車小屋2件・茨城県立博物館および県民の森

 そういうわけで別に水車に深くこだわるつもりはないんですが(=^_^;=)、水車小屋2件。

 まずは移築保存物件の茨城県立博物館にある水車。
 建築年代は幕末ないし明治初期とのこと。もとの所在地は山方町諸沢で菊池家のものだったそうです。
 水車の様式は上掛け(水輪の上から水をかけるタイプ)。このタイプの水車はパワーは出るものの傾斜地でないと設置できず(駒村清明堂の水車もこの様式でした)、平地に移築保存するとなると展示場所の選択がけっこうむずかしいしろものです。茨城県立博物館では、敷地内の崖を上手に使って、不自然ではないかたちで展示していました。
 

s3p73483.jpg - 2011/12/23 13:43
茨城県水戸市緑町
茨城県立歴史博物館。水車小屋(移築保存物件)。
s3p73479.jpg - 2011/12/23 13:43
茨城県水戸市緑町
茨城県立歴史博物館。水車小屋(移築保存物件)。
s3p73486.jpg - 2011/12/23 13:44
茨城県水戸市緑町
茨城県立歴史博物館。水車小屋(移築保存物件)。水輪。
s3p73489.jpg - 2011/12/23 13:44
茨城県水戸市緑町
茨城県立歴史博物館。水車小屋(移築保存物件)。
s3p73494.jpg - 2011/12/23 13:45
茨城県水戸市緑町
茨城県立歴史博物館。水車小屋(移築保存物件)。説明看板。
 
 なんか説明によると、中のからくりがけっこう充実しているらしい。本体がそもそも二階建てで、碾臼に自動的に少しづつ蕎麦の実などを補給する木製のコンベアなども装備しているとのこと。ただ、中を見ることができるような展示とはなっておらず、そのメカニズムを見ることはできませんでした。また、そういうややこしいメカがあるせいか、動いてもいませんでしたね。まあ、しょうがないっちゃあしょうがないんですが、メカも含めて、動いているところを見たかったなあ。
 移築保存物件ではありますし、なんか茅葺屋根というあたりでありがちなステロタイプな物件を一瞬連想していやんな予感もしたんですが、詳細を見てみると水輪付近にはトタン波板が打ち付けられていたりもして、まあそれなりに使われていたものであるという痕跡も見て取れます。最初は「茅葺屋根にトタン波板」という組み合わせにはちょっと違和感も抱いたんですが、それはおれにもステロタイプな水車小屋イメージがある、ということの証明でしかないわね(=^_^;=)。

   *

 もう一件は県民の森に設置されているもの。こちらはちょぉっとヒドかった。ヒドいもんの方が写真の枚数が多いってのもなんですが。

 最初に説明看板。なんか池の浄化設備として木炭を使った循環システムを作ったらしいんですが、その一環として水車小屋も作ってみましたってことらしい。必然性がどこにあるんだかよくわかりませんが。そういうわけで移築物件でも保存物件でもなく1993年に税金で作られた新築物件です。
 

s3p73551.jpg - 2011/12/23 15:30
茨城県那珂市戸
県民の森。水車小屋説明看板。
s3p73548.jpg - 2011/12/23 15:29
茨城県那珂市戸
県民の森。水車小屋説明看板。
 
 で、せっかくの新築物件なんですが、その後放置されたらしく、廃墟と化しています。
 
s3p73552.jpg - 2011/12/23 15:30
茨城県那珂市戸
県民の森。水車小屋。
s3p73581.jpg - 2011/12/23 15:35
茨城県那珂市戸
県民の森。水車小屋。
s3p73556.jpg - 2011/12/23 15:31
茨城県那珂市戸
県民の森。水車小屋。
s3p73559.jpg - 2011/12/23 15:31
茨城県那珂市戸
県民の森。水車小屋。
 
 で、ぱっと見、下掛け水車に見えるんですね。水の流れに水車の下端を接触させて回すタイプの、パワーは出ないけど傾斜地である必要はなくある程度の水流があればどこにでも設置できるというやつ。上の写真を見るとそうとしか思えないでしょう。
 ところがこれ、上掛け水車なんだなあ。
 
s3p73561.jpg - 2011/12/23 15:31
茨城県那珂市戸
県民の森。水車小屋。
s3p73571.jpg - 2011/12/23 15:32
茨城県那珂市戸
県民の森。水車小屋。
s3p73566.jpg - 2011/12/23 15:32
茨城県那珂市戸
県民の森。水車小屋。
 
 3枚目の写真に写っていますが、裏側に立ち上がっている鉄パイプがその無理やり上掛けにした証拠の送水管。おためごかしに木枠で囲ってはありますが、いかにも不自然なしろものです。なんでこういうことをやるかなあ。
 立地を見ればわかるとおり裏側には傾斜地があるんで、ちょっと場所を考えて崖に寄せるとか、高架水路でつなぐとかすれば、こんな不自然な上掛け水車にはならなかったはずなのにな。「茅葺木造の小さな小屋を新築」「平地にむりやり上掛け水車を設置」という、ある種の「最悪の展示用水車」の見本的しろものとなってしまいました。廃墟化しておりこのまま朽ちていくのでしょうが、まあ設置者がかなりいいかげんな気分で作っているのが手に取るようにわかるしろものなんで、それで良かったのかもしれませんわ。
 また、水輪も、詳細に見るとあまり例がないような作り方になっています(側板がたがいちがいに重ねられている)。こういう作り方をする地方がないとは断言しませんが、これは釘打ちなどを前提とした設計のように思われ、なんかちょっと釈然としないものを感じます。少なくとも水車に詳しい人や仕事として水車を作っている水車職人が作ったものではないような気がする。
 
s3p73578.jpg - 2011/12/23 15:34
茨城県那珂市戸
県民の森。水車小屋。
 
 中もいちおう、なんらかのメカニズム(搗臼でしょうか)が設置されていた痕跡があります。杵と臼は2セットあったんでしょうか。しかしどうやったらこのように壊れるのかわからないような壊れ方をしたままで放置されています。パーツも、全部そろっているような気がしません。

 なんか見ていて悲しくなるような水車でしたね。こういう無駄なものを税金で作るのはやめましょうや。作るんだったら、ちゃんと「作る意味があるだけのクォリティのもの」を作るようにしてほしい。まあ、ここの場合、「なんで木炭浄水設備に水車を作りつけようと思ったのか」からしてもうわけがわからず、予算が余ったから消化試合としてでっちあげたという以上のものには見えないのですがね。

  
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2012年01月07日

お散歩>茨城県立歴史博物館の移築保存物件の古建築

 茨城県立歴史博物館も再訪。お目当ては移築保存物件の水車小屋だったんですが、それは別の場所の水車小屋とあわせ技で次回。

 とりあえず再撮物件2件。まずは水海道小学校旧校舎。以前の分
 1881年の建築で、設計・施工は水海道の宮大工・羽田甚蔵氏であると伝えられています。典型的で大規模な擬洋風建築で、1973年に移築復元され、保存されています。元の場所は水海道(現常総市水海道)ですが、そちらの跡地は公民館かなんかになっていたような(小学校そのものは移転)。
 ま、ざっと外回りだけ。前回はたしか夕暮れ時であまり光線状態が良くなかったような記憶がありますが、まあ再撮影したからって格段にクォリティがあがるってものでもなく(=^_^;=)。
 

s3p73472.jpg - 2011/12/23 13:38
茨城県水戸市緑町
茨城県立歴史博物館。水海道小学校(移築保存物件)。
s3p73469.jpg - 2011/12/23 13:38
茨城県水戸市緑町
茨城県立歴史博物館。水海道小学校(移築保存物件)。
s3p73466.jpg - 2011/12/23 13:37
茨城県水戸市緑町
茨城県立歴史博物館。水海道小学校(移築保存物件)。
s3p73463.jpg - 2011/12/23 13:37
茨城県水戸市緑町
茨城県立歴史博物館。水海道小学校(移築保存物件)。
 
 ふたつめは水戸農業高校本館。以前の分
 もともと茨城県立歴史博物館は水戸農業高校の跡地に作られたもので、保存物件ではありますが移築物件ではないような。多少場所が動いているくらいのことはあるかもしれませんが。
 んで、今回は日差しの向きが最悪(=^_^;=)で、下の写真の逆側からは撮れませんでした。いやあ、多少の逆光くらいならば後処理でなんとかしてしまうのだが、どう構えても太陽が視界にはいってくるような角度だと逃げ場がありませんわ(=^_^;=)。
 
s3p73476.jpg - 2011/12/23 13:40
茨城県水戸市緑町
茨城県立歴史博物館。水戸農業高校本館。陽のまわりのせいで、逆側(正面左側)からは撮れなかったんすよねえ・・・。
 
 新規は「茂木家住宅」。茅葺屋根の移築保存物件。
 そういうわけで前回は、水車小屋と茂木家住宅は、あるのはわかっていましたが日没タイムアウトで撮影しませんでした。今回はまあ、撮りもらし分の補完ということで。
 
s3p73544.jpg - 2011/12/23 13:57
茨城県水戸市緑町
茨城県立歴史博物館。茂木家住宅(移築保存物件)。
s3p73509.jpg - 2011/12/23 13:50
茨城県水戸市緑町
茨城県立歴史博物館。茂木家住宅(移築保存物件)。
s3p73514.jpg - 2011/12/23 13:51
茨城県水戸市緑町
茨城県立歴史博物館。茂木家住宅(移築保存物件)。
s3p73541.jpg - 2011/12/23 13:56
茨城県水戸市緑町
茨城県立歴史博物館。茂木家住宅(移築保存物件)。
s3p73537.jpg - 2011/12/23 13:55
茨城県水戸市緑町
茨城県立歴史博物館。茂木家住宅(移築保存物件)。
 
 あと移築保存物件は1件、水車小屋がありますが、それは前述の通りで次回ご紹介します。

 いちおうこれで、現在のところ茨城県立歴史博物館に移築保存されている建築物はコンプリートなんで、「茨城県立歴史博物館」という項目も作っておきましょうかねみたいな感じ。作ったからどうなるってものでもないんですが、「どこに行けば何が見られるか」のガイドという使い道もあるだろうし、まとまってた方が便利かもなあとか思うわけで。誰もこのサイトをそんなふうに使ったりはしねーか(=^_^;=)。

  
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2012年01月05日

お散歩>鹿島鉄道代替BRT・平日朝の利用状況。

 そーゆーわけで鹿島鉄道は2007年にあえなく廃線となってしまったわけですが、平行道路の渋滞が激しく通勤通学時間帯に公共交通機関のバスの定時運行が確保できないという問題が生じ、公共交通機関の利用者が鹿島鉄道時代と比べて4割減るとかいうような惨状に。もろもろあった結果、廃線敷をバス専用道路化するというBRT(バス・ラピッド・トランジット)事業が行われました。バスを高速化し便利にしようというのが主旨で、かかった費用は10億円、やったことは廃線敷を道路にし、一般自動車がはいらないように遮断機を取り付け、待合室などを新設する、などでした。
 過去にも幾度かこのWeblogで話題を扱っています。以下。

(1) お散歩報告>鉄道の残像〜茨城県のばやい(2010年10月18日)
(2) 時事ネタ>鹿島鉄道BRTの評価(2011年01月21日)

 BRT事業の対象区間は石岡から四箇村までの間で(上記 (2) のページに地図あり)、このルートを使うバスは、鹿島鉄道の代替バスである「石岡〜(四箇村)〜常陸小川〜玉造町〜鉾田」のルートと、「石岡〜(四箇村)〜常陸小川〜茨城空港」のルート。それらのバスは「かしてつバス」と名づけられ、横におおきく「か」の文字を記した専用塗装のバスが投入されています。便数も、地方ローカルなバスとしては異様ともいえるくらいに多い。

 そのBRT事業ですが、まあハードウェアとかだけを見ていても評価はできないわけです。なので、平日朝の利用状況を見てきました。観察日は2011年12月15日木曜日。
 ま、時系列での様子とかは更新を待って見てくださいとしか言いようがないんですが、まあざっと、とりあえずのご報告。
 

s3p71841 - 2011/12/15 06:46
鹿島鉄道跡BRT - 石岡バスターミナル
下り。6:50石岡駅発、8:00鉾田駅着の便。かしてつバスを待つ人々。
s3p71893 - 2011/12/15 07:14
鹿島鉄道跡BRT - 石岡バスターミナル
下り。7:20石岡駅発、7:40小川駅着の便。客を乗せるかしてつバス。
s3p71920 - 2011/12/15 07:30
鹿島鉄道跡BRT - 石岡バスターミナル
下り。7:32石岡駅発、7:52小川駅着の便。客扱い中のかしてつバス。
s3p71960 - 2011/12/15 07:51
鹿島鉄道跡BRT - 石岡バスターミナル
下り。8:00石岡駅発、8:40玉造駅着の便。かしてつバスを待つ客。
s3p71989 - 2011/12/15 08:02
鹿島鉄道跡BRT - 石岡バスターミナル
下り。 8:12石岡駅発、8:32着の便。かしてつバスを待つ人々。大半が学生。
 
 下り(石岡発)の便はこんな感じ。まあ、沿線の学校に行く学生・生徒さんがメインなのはしょうがないですね。最大乗車人数でも十人ちょっとでした。
 
s3p71858 - 2011/12/15 06:53
鹿島鉄道跡BRT - 石岡バスターミナル
上り。5:45鉾田駅発、6:55石岡駅着の便。到着したかしてつバスから降りる人々。
s3p71884 - 2011/12/15 07:09
鹿島鉄道跡BRT - 石岡バスターミナル
上り。6:50小川駅発、7:10石岡駅着の便。到着したかしてつバスと降車する客。
s3p71897 - 2011/12/15 07:18
鹿島鉄道跡BRT - 石岡バスターミナル
上り。7:00小川駅発、7:20石岡駅着の便。到着したかしてつバスと降車する客。
s3p71913 - 2011/12/15 07:29
鹿島鉄道跡BRT - 石岡バスターミナル
上り。6:50玉造町発、7:30石岡駅着の便。到着したかしてつバスと降車する客。
s3p71940 - 2011/12/15 07:44
鹿島鉄道跡BRT - 石岡バスターミナル
上り。6:35鉾田駅発、7:45石岡駅着の便。到着したかしてつバスと降車する客。
 
 上り(石岡着)の便はこんな感じ。メモ取ってなかったんでどの便だったか言明できないんですが、上りで二十名ちょい乗っていた便が1便あった以外はせいぜい十人前後。ただ、見た感じでは「一桁前半」とか「空気輸送」とかってのは、この時間帯にはなかったような。

 で、小川駅まで一往復、乗ってみることにしました。8:12石岡駅発、8:32着の便です。
 

s3p72007 - 2011/12/15 08:15
鹿島鉄道跡BRT - 車内
かしてつバス車内。学生さんがいっぱいいて、とりあえずほぼ席は埋まった状態。立っているひともいますが、座る席がないからというよりは、友人とのお喋りを優先とかそういう事情によるもので、着席定員を上回っているということではありません。
 
 しかしその学生さんたちは東田中駅で降りてしまいました。茨城県立石岡商業高校の学生さんたちだったようです。
 
s3p72013 - 2011/12/15 08:19
鹿島鉄道跡BRT - 車内
かしてつバス車内。学生さんたちが降りていった。
s3p72016 - 2011/12/15 08:20
鹿島鉄道跡BRT - 車内
かしてつバス車内。まだわれわれ以外に一人だけ乗っていますけれども。
 
 われわれ以外にたったひとり乗っていた乗客も四箇村駅だったかどこかそこらへんで降りていってしまいました。まああと二人乗ってはいるけれど、この二人はレギュラーじゃないんで、事実上は完全な空気輸送状態。
 
s3p72031 - 2011/12/15 08:30
鹿島鉄道跡BRT - 車内
かしてつバス車内。そして誰もいなくなった。
 
 小川駅に到着(バス停名は「常陸小川駅」ではなく「小川駅」となっています)。バスはそのまま8:40小川駅発・9:00石岡駅着の便として折り返します。
 
s3p72040 - 2011/12/15 08:35
鹿島鉄道跡BRT - 小川駅バス停
駅前通り。いろいろ建物がなくなってすけてしまいました。タクシー屋の建物もなくなりました。
s3p72045 - 2011/12/15 08:37
鹿島鉄道跡BRT - 小川駅バス停
待合室。
s3p72049 - 2011/12/15 08:38
鹿島鉄道跡BRT - 小川駅バス停
待合室壁のかしてつバス応援団の壁画。
 
 かしてつバス上り。8:40小川駅発・9:00石岡駅着。
 
s3p72050 - 2011/12/15 08:39
鹿島鉄道跡BRT - 小川駅バス停
発車時、われわれ以外に客はいませんでした。以下、レギュラーではないうちら二人を除いた人数でカウントします。
s3p72057 - 2011/12/15 08:47
鹿島鉄道跡BRT - 新木ノ内バス停
お客さんがひとり乗ってきました。現在数1名。
s3p72061 - 2011/12/15 08:47
鹿島鉄道跡BRT - 玉里駅バス停
お客さんがもうおひとかた乗ってきました。現在数2名。
s3p72065 - 2011/12/15 08:50
鹿島鉄道跡BRT - 石岡玉里バス停
さらにもう一人乗ってこられて、現在数3名。
s3p72071 - 2011/12/15 08:53
鹿島鉄道跡BRT - 東田中バス停
もうひとり乗ってきて現在数4人。
s3p72074 - 2011/12/15 08:55
鹿島鉄道跡BRT - 大谷津南バス停
もうひとり乗ってきて現在数5人。
s3p72080 - 2011/12/15 08:56
鹿島鉄道跡BRT - 石岡南台バス停
石岡南台バス停でひとり降りて現在数4人。
s3p72083 - 2011/12/15 08:58
鹿島鉄道跡BRT - 石岡一高下バス停
石岡一高下バス停でひとり降りて石岡まで行ったのは3人。
 
 BRT化されたあとの2011年12月現在の状況は、いちばん多い便でも20人前後、その前後でも10人いけば多いほう、通勤通学時間帯をはずしてしまうと1桁前半から空気輸送が常態、という程度の乗客数でした。BRTでの速達化で公共交通機関の復権を目指したはいいけれど、10億円かけてこれじゃあねえ。鹿島鉄道の廃止やその後の状況を見てのあわてふためいてのBRT化は、個人的にはやはり「失敗」であったように感じられますが。
 まあ、いまさら何か言ってもせんないことですけど。

 いちおうメモ書き。
 鉄道の廃止とバス代替に関しては、いくつかの異なる論点がとっちらかって扱われているように思います。大枠でいって「コストの問題」と「交通機関としての安定性の問題」になるのかなあ。
 バス代替によって交通機関を維持するためにかかるコストは確かに安くなる場合が多いのだろうと思う。それと同時に、バス代替によって、減便や路線廃止が更に楽になるということもある。で、この2つの要素はそもそも全く別の要素のはずなんだけど、現実には必ずセットでやってくる。つまり、「鉄道の廃止とバス代替化」というのは、公共交通機関の安楽死のためのプロセスとして位置づけられてしまっている、ということです。
 別に鉄道を廃止しやすくするために助力する気なんか全くもってないけれども、それはとにかくとして、公共交通機関の維持という観点からすれば「バス代替によってコストを削減しつつ、しかし減便や路線廃止がしやすくはならないようにする」といった縛りをかけることができれば、だいぶ状況は違ってくるような気がする。まあ、それでも「ランドマークが地図から消える」という問題をはじめとして、鉄道がなくなることによるマイナスっていろいろあるんだけどね。
 率直なところ、この鹿島鉄道の廃止とBRT化というのは、コストパフォーマンスとしていかがなものかという感じはした。選択として失敗だったんじゃないか、とも思う。しかし現実問題、10億かけちったわけでしょう。そしたら、路線の廃止や減便はしにくいはずで、あの「無駄金10億円」がその「縛りをかける理由」として機能するかどうかというあたりに、個人的な興味は移りつつあるかな、とか。

 しっかしなあ。実際に「平日朝の通勤通学時間帯」を見てみて、やっぱ呆然とせざるを得ないような状況なわけで。平日の朝なんだぜ、通勤通学時間帯なんだぜ、それで、こうなんだぜ。鹿島鉄道の廃止からBRT化によるカンフルまでかなりのタイムラグがあったにせよ、なんだってバスってこんなに機能しないかなぁ、みたいな疑問ってやっぱしあったりするわけよ。
 個人的には、最近自宅周りでけっこうバスを使ってたりするんで(って必要最低限の路線しか把握していないんだけどさ)、まあ慣れればそれなりに使えるものだとかいうイメージも持ちつつあったりしたところだったので、ここまで鹿島鉄道代替バスが機能していないというのは、ちょっと想像していなかったんです。

  
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2012年01月03日

お散歩>勘十郎堀と千波湖とD51の保存車

 なんか脈絡がありませんが、水戸付近のお散歩です。

 一発目は勘十郎堀。
 説明は、6枚目の写真にある茨城町教育委員会の説明看板がなんとか読めますのでそちらをどうぞ。
 かいつまんで言えば、江戸時代前半の1707年から1709年にかけて、将軍でいうと5代綱吉から6代家宣にかけての頃に行われた大土木工事の遺跡です。その後も明治時代になるまで延々と構想は続いた鹿島灘房総半島ショートカット水運計画の初期のもののひとつ(この構想のトリとなったのが利根運河)、結局失敗に終わりました。説明看板ではぼやかされていますが、実際には難工事ということもあって「農民の一揆によってつぶれた」というのが正しいらしい(そう、一揆とかって案外ちゃんと抗議行動として機能していたらしいのだ)。
 でもってまあ、完成はしませんでしたが、一部は残されています。
 

s3p73344.jpg - 2011/12/23 11:54
茨城県東茨城郡茨城町大字城之内
農産物直売所「かんじゅうの里」。大昔の出来事であり決していいイメージで伝えられてはいないはずですが、人々の記憶には刻み込まれているようで、このような名前のお店がありました。
s3p73348.jpg - 2011/12/23 11:58
茨城県東茨城郡茨城町大字城之内
なんかの石碑。読めなかったんすが、勘十郎堀とは関係がありそうです。
s3p73349.jpg - 2011/12/23 11:58
茨城県東茨城郡茨城町大字城之内
なんかの石碑。読めなかったんすが、勘十郎堀とは関係がありそうです。
s3p73355.jpg - 2011/12/23 12:03
茨城県東茨城郡茨城町大字城之内
勘十郎堀跡。横断する道路から南側を望む。
s3p73362.jpg - 2011/12/23 12:04
茨城県東茨城郡茨城町大字城之内
勘十郎堀跡。横断する道路から北側を望む。写真で見るとわけわかんないが、奥のほうに多少水面が見えます。
s3p73354.jpg - 2011/12/23 12:02
茨城県東茨城郡茨城町大字城之内
茨城町教育委員会による「勘十郎堀跡」の説明看板。
 
 特に予備知識もなく、「見たい」という友人に連れられてついていっただけだったんすけど、えーと。
 農産物直売所「かんじゅうの里」のおばちゃんによると「何もないよ」ということだったんですが、確かにまあ観光施設的なものはなんもありませんでしたが、いやあけっこう巨大な遺構じゃありませんか。この規模の運河を2桁キロ単位で人力のみで作ろうって、まあうまくいけば見事だったんでしょうが、十分に失敗する可能性もある無謀な計画だったような気がしなくもなく。
 ルートは、航空写真を見ればわかるかなと思ったんですけど、案外痕跡が少なく、航空写真だけでは全貌を掴むのは無理っぽかったですね。まあ気が向いたら調べましょう。

   *

 ふたつめ。千波湖。
 いやあ、実は千波湖って行ったことなかったんすよね。通りかかかったことは数限りなくあったんですが。まずは湖畔にある蒸気機関車の保存車へ。
 

s3p73386.jpg - 2011/12/23 13:10
茨城県水戸市千波町
千波湖湖畔の保存車D51515。「D51駐車場」の看板。
s3p73381.jpg - 2011/12/23 13:05
茨城県水戸市千波町
千波湖湖畔の保存車D51515。駅名標型の看板。
s3p73364.jpg - 2011/12/23 13:02
茨城県水戸市千波町
千波湖湖畔の保存車D51515。エンジン。
s3p73375.jpg - 2011/12/23 13:04
茨城県水戸市千波町
千波湖湖畔の保存車D51515。テンダー。
s3p73371.jpg - 2011/12/23 13:03
茨城県水戸市千波町
千波湖湖畔の保存車D51515。屋根に上るなの注意看板。誰かが登るのかと思っていたのだが、帰り際に見たらがきんちょどもがテンダーから屋根の上まで登って遊んでいたわ。確かに落ちたら大怪我で済むかどうか(=^_^;=)。看板の上の写真は現役時代のD51515のもの、場所は水戸線笠間駅。近場で働いていた機関車のようです。
 
 ま、フツーの保存車です。車種もD51だし。でもまあ実際に走っていた場所の近所に保存されているわけで、まあゆえなしとはしない。適当なものを置いておきました、というのとはちょっと違うような気がします。
 んでこれ、なんか保存会みたいなものがあるらしくて、ぴっかぴっかなんです。が、ぴっかぴっかはいいけど、始終ペンキを塗り替えてぴっかぴっかを維持しているようで、近づいて見ると「塗料の厚塗り」状態なんですね。へたっぴが塗装した模型みたい(=^_^;=)。いやあ、だからって旧来の塗装を剥離してから再塗装とかってのはえらい手間がかかるわけでそんなことは求めるべくもないんですが、なんかいろいろディレンマを感じたりもしました。

   *

 えーとそいから、周辺の様子。うむー。これがけっこう本格的に「うむー」でなあ・・・。
 

s3p73441.jpg - 2011/12/23 13:20
茨城県水戸市千波町
千波湖越しに水戸市街。
s3p73429.jpg - 2011/12/23 13:17
茨城県水戸市千波町
水戸黄門像。
s3p73438.jpg - 2011/12/23 13:19
茨城県水戸市千波町
千波湖湖畔の喫茶店。
 
 上。こうやって見ると水戸も大都会じゃん。中。水戸黄門以外に売り物はないのかっ。下。ここにもご老公ご一行がいるしー。

 んで友人いわく「水鳥いっぱいいるから望遠レンズ持っていけば」ってことだったんですが、望遠がついたD200は車に置き去りにして、標準ズームのS3Proだけを持参。それでもこんな写真が撮れてしまうくらいにすぐそばまで水鳥がやってきます。きみたち、野鳥だろうがっ。猫的には「おいしそう」って感じ。
 

s3p73392.jpg - 2011/12/23 13:11
茨城県水戸市千波町
ハクチョウ。
s3p73445.jpg - 2011/12/23 13:21
茨城県水戸市千波町
マガモ。
s3p73408.jpg - 2011/12/23 13:12
茨城県水戸市千波町
コクチョウ。
 
 ハトはまだいいんだ。そこらじゅうで餌もらうつもりでうろうろしてっから。なんでその中にマガモがまぎれこんでいるんだっ。しかもこいつ、逃げない。目が合うと「なんかもってない?」とか言いながら寄って来るのである。いやあ、ひとめがなければほんっと、猫的には「今晩の食事めっけ」ですよ。一羽つかまえてひとりじめできれば二三日は持つのではないか。これをくわえて他の猫にみつからない場所まで持って行くのはたいへんそうだけどにゃっ。
 
s3p73401.jpg - 2011/12/23 13:12
茨城県水戸市千波町
鳩と一緒に餌をもらう慣れたマガモ。
s3p73404.jpg - 2011/12/23 13:12
茨城県水戸市千波町
鳩と一緒に餌をもらう慣れたマガモ。
s3p73413.jpg - 2011/12/23 13:13
茨城県水戸市千波町
鳩と一緒に餌をもらう慣れたマガモ。「何見てんのよっ!」的にガンをつけられてしまいました。
 
 更にはハクチョウまで・・・。
 
s3p73448.jpg - 2011/12/23 13:21
茨城県水戸市千波町
餌をもらうためにアピールする白鳥。
s3p73449.jpg - 2011/12/23 13:21
茨城県水戸市千波町
餌をもらうためにアピールする白鳥。
s3p73452.jpg - 2011/12/23 13:22
茨城県水戸市千波町
餌をもらうためにアピールする白鳥。
s3p73454.jpg - 2011/12/23 13:22
茨城県水戸市千波町
餌をもらうためにアピールする白鳥。
「父ちゃん、みんな見てるよ、恥ずかしいよ・・・」。
「息子よ、スターになるためには視線が気持ちよくなるくらいでなければあかんのだ」。
「別にスターになりたいと思わないもん。ぼく小白鳥でいいもん」。
「ハクチョウとコハクチョウは別の種類の鳥だっ」
「しょうはくちょうだっ、しょうしみん(小市民)っていうだろっ」。
 
 わりと最近の話だったと思うんですけどねー。
 千波湖付近で撲殺されたハクチョウなどの死体が複数発見されて騒ぎとなり、近所の悪ガキかなんかがとっつかまったという事件があったように記憶しております。んで、世間様的には「ひどい話よねー」というご感想だったようですし報道もそんな感じだったんですが、おれ的には「野鳥だろ。撲殺って、どうやってつかまえたんだそいつ」という疑問を抱いたのであります。フツー、撲殺する前に逃げられてしまうだろうが(=^_^;=)。
 とか思っていたんですが、こういうことだったんですね・・・。なんか餌をもらえるものだから渡り鳥が留鳥化してるって話もあるし。
 いちおうこう、「餌をやるな」という掲示も出てますし、やっちゃあかんことになってはいるみたいなんですが、人間の側もおかまいなしで餌やってるし野鳥の側もおかまいなしで食ってるし。いやもう勝手にしてください状態になっておりました。んで、こういう状態だもんなあ、ときおり悪ガキに撲殺される個体が出るくらいはおまえら覚悟しとけよ、とか思ったりもしたんでした。まあ、当該事件、騒いだのは人間の側だけだったみたいですけどねっ。

 ま、うろうろしているといろんなことがありますわ(ためいき)。

  
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2012年01月01日

お散歩>鹿島鉄道保存線、震災からの復旧状況。

 あ、どうも。新年の挨拶とかあんまし好きじゃないんで基本やらないんですが、大晦日だっつーのに昨日散歩にでかけたら上総一ノ宮の玉前神社でこんなものを見つけましたので、まあせっかくだから(=^_^;=)。初詣客を迎える準備で忙しい玉前神社の手水場におられたドラゴンさんです。

 なんか初詣用に、参道の両脇に仮設の手水場ができており、レギュラーの手水場にいるこのドラゴンさんには出番がなさげだったんですが(=^_^;=)、まあ陰から見守っていますよってことなんでしょう。けっこう手水場にはドラゴンさんがいることが多いみたいなので、ついでですからちょっと見てみてあげてください。


 さて、グッドニュースで年をはじめようということで、鹿島鉄道保存線の東日本大震災からの復旧状況です。

 線路が液状化で沈み、保存車輌が傾いてしまっていたほっとパーク鉾田保存線の2輌の車輌ですが、いったん保存線から駐車場に移動、保存線を修復の上で、2011年12月23日に元の線路の上に戻されました。被害状況や復旧までの経緯、そして今後の予定などの詳しい説明は、鉾田駅保存会のWeblogの2011年12月24日の記事「【復旧作業情況】展示線の修復工事が終わり、保存車両が展示線に戻りました」にありますので、ぜひご覧ください。

 この復旧作業ですが、関係者のご好意で作業日程を教えてもらい、作業様子を見に行ってきました。以下、当日の報告です。

s3p73088 - 2011/12/23 08:18
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
修復なった保存線。霜が降りております。なかなか寒い朝でございました。
 
 作業開始前はこんなふうでした。
 
s3p73098 - 2011/12/23 08:20
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
線路から下ろされていたキハ601とKR505。
s3p73236 - 2011/12/23 09:26
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
地面直置きの様子。フランジを傷つけないように木材がかましてありました。
 
 8時頃から作業がはじまり、8時半にはクレーンが2台ともアームを上げ始めました。
 
s3p73141 - 2011/12/23 08:29
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
クレーンが2機とも立ち上がりました。
 
 先にKR505から移設作業が行われました。
 
s3p73147 - 2011/12/23 08:39
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
KR505に玉掛が行われます。
s3p73167 - 2011/12/23 09:04
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
KR505の吊り上げ開始。
s3p73165 - 2011/12/23 09:04
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
KR505の吊り上げ開始。
s3p73169 - 2011/12/23 09:04
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
KR505転回。
s3p73173 - 2011/12/23 09:05
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
KR505転回。
s3p73177 - 2011/12/23 09:06
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
KR505、保存線上へ。
s3p73198 - 2011/12/23 09:08
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
KR505の着陸。
s3p73200 - 2011/12/23 09:08
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
KR505の着陸。
s3p73227 - 2011/12/23 09:19
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
KR505移動終了。
 
 続いてキハ601の移動作業が行われました。
 
s3p73242 - 2011/12/23 09:27
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
キハ601への玉掛け。
s3p73281 - 2011/12/23 10:04
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
キハ601吊り上げ開始。
s3p73284 - 2011/12/23 10:04
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
キハ601転回。
s3p73287 - 2011/12/23 10:05
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
キハ601転回。
s3p73291 - 2011/12/23 10:06
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
キハ601転回終了、保存線の上空へ。
s3p73299 - 2011/12/23 10:06
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
キハ601着陸。クレーンの手前にコートの人が写っていますが、実はこれ、鉾田市長だったりして。当日、ほっとパーク鉾田の駐車場で芋煮会だか餅つき会だかがあったようで、それに来たついでだったようですが、601の移動をほぼ最初から最後まで張り付いてご覧になっていました。
s3p73313 - 2011/12/23 10:12
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
キハ601着陸。
s3p73321 - 2011/12/23 10:20
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
キハ601も保存線上の定位置に到着。
 
 鉾田駅からの搬出作業のときもそうでしたが、今回も2台のクレーンを使っての作業。1台の大型クレーンで持ち上げると車輌が回ってしまったりしてけっこうたいへんみたいなんですが、この方法だと、なんか2回とも実にすんなりとうまく移動できていました。本当は連携とかけっこうたいへんなんでしょうけれども、見た感じ実にあっさりと簡単に移動しちゃったという感じです。見た感じのあっけなさと、でも実はきっとすごいことをやっているんだろうなあという想像との間で、毎度のことではあるんですが、やっぱけっこう驚嘆しますわね。

 ということで、作業終了。
 

s3p73331 - 2011/12/23 10:29
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
クレーン車撤収。
s3p73335 - 2011/12/23 10:38
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
定位置に戻った2輌。
 
 ということで、外構(柵など)はまだですが、保存線と車輌は、とりあえず復旧しました。車輌は、液状化で線路が沈んだ際に腹が着地してたり、いろいろ塗装がはげたりしている部分があるようですが、そのあたりはこれから修復作業を行うとのことです。

 ほっとパーク鉾田も、2012年1月中の営業再開を目指して、復旧作業が行われていました。
 

s3p73123 - 2011/12/23 08:23
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
施設本体・建築物の修復も進む。
 
 いやー。積み上げられているのは歩道に敷き詰められていたタイルなんですが、おれはこういう単調な作業は苦手なんで気が遠くなりますが(とか言いつつ6万枚を越える写真をいちいちレタッチしてたりするわけで、それもまた考えると気が遠くなるわけですが)、なんとか順調にいってほしいなあと思います。
 ほっとパーク鉾田の営業再開予定などについては、本日の時点ではまだはっきりとした日付は掲載されていませんが、おいおい公式サイトで発表があろうかと思います。営業が再開されたら、ぜひ保存車に会いにいってあげてください。


 ということで、2012年もよろしくお願いもうしあげます。

  
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2011年12月30日

お散歩>筑波山ロープウェイとつつじヶ丘。

 や。実は「ケーブルカー」というやつは何本か撮ってありましたけど、「ロープウェイ」というやつはこれまでに1本も撮っていませんでした。わずかに東武博物館で撮影してきた明智平ロープウェイの保存ゴンドラの写真があるくらい。
 というわけで、八郷町にいくついでに、初ロープウェイ撮影です(=^_^;=)。

 とはいっても、今回は時間もあまりありませんから乗りません。見るだけです。とりあえず筑波山ロープウェイの山麓側の駅があるつつじヶ丘へ。

 つつじヶ丘は、ケーブルカーの山麓側の駅がある宮脇と並んで筑波山観光の拠点なのですが、ロープウェイの開通は1965年とだいぶ遅かったこともあり、またおそらくもともとは何もない場所だったんでしょう、現在も集落は形成されていません。ロープウェイの駅のほかは、駅併設のレストハウス・筑波山京成ホテル・筑波ニュー三井谷という観光施設があるだけです。しかしま、寂れているわけでもなく、必要十分という感じでしょうか。個人的には、古くからの観光地特有の乱雑さがない分だけちょっとさびしく感じたりはしますが、筑波山総体としてはとにかくこの場所は「古くからの観光地」ではないわけで、ないものねだりですね。
 

s3p72645 - 2011/12/15 12:55
筑波観光鉄道 - 筑波山ロープウェイ - つつじヶ丘駅
観光施設「筑波ニュー三井谷」と駐車場。駐車場は「10分まで無料」というけっこうせこいサービスのもので、10分を越えるといきなし400円。ま、観光地だしなあとは思いつつ、これだったら「無料時間」は最初からなくていいんじゃねーのって感じも(=^_^;=)。
nd207136 - 2011/12/15 13:09
筑波観光鉄道 - 筑波山ロープウェイ - つつじヶ丘駅
観光施設「筑波ニュー三井谷」のガマガエル。
おれはそういうわけで時間節約のために行ってませんけど、「ガマ大明神」とか「ガマ洞窟」とか、この手のものが好きそうなひとにはたまらないのではないかと思われる文字が並んでおります。
s3p72637 - 2011/12/15 12:52
筑波観光鉄道 - 筑波山ロープウェイ - つつじヶ丘駅
観光施設「筑波山京成ホテル(正面)」と「つつじヶ丘レストハウス(右)」。
 
 2枚目の「ガマ洞窟」なあ。
 ふと思いついて、故・荒川聡子さんのサイト「動物園、B級SPOT大好き!」を覗いてみたら、やっぱしあったわ(=^_^;=)→「ガマ洞窟」。検索したわけでもないのに一発でみつかっちゃうって、どういうことだ(=^_^;=)。

 で、お目当てのロープウェイです。
 

s3p72671 - 2011/12/15 13:08
筑波観光鉄道 - 筑波山ロープウェイ - つつじヶ丘駅
駅舎。
s3p72648 - 2011/12/15 12:55
筑波観光鉄道 - 筑波山ロープウェイ - つつじヶ丘駅
駅舎。
s3p72652 - 2011/12/15 12:57
筑波観光鉄道 - 筑波山ロープウェイ - つつじヶ丘駅
駅舎。
s3p72654 - 2011/12/15 12:58
筑波観光鉄道 - 筑波山ロープウェイ - つつじヶ丘駅
駅舎。
s3p72661 - 2011/12/15 12:59
筑波観光鉄道 - 筑波山ロープウェイ - つつじヶ丘駅
駅舎。
 
 20分間隔の運転なんで、上って降りてで40分弱はかかるんですね。なので乗るつもりはなかったんですが、近くで見たくはあったので、「入場券ありませんか」と聞いてみました。
 
s3p72640 - 2011/12/15 12:52
筑波観光鉄道 - 筑波山ロープウェイ - つつじヶ丘駅
出札窓口。
s3p72641 - 2011/12/15 12:53
筑波観光鉄道 - 筑波山ロープウェイ - つつじヶ丘駅
改札口。
 
 ありませんでした(=・_・、=)。
 出札窓口のにーちゃん、なんかとんでもないことを聞かれたかのような驚きの表情を浮かべていたなあ(=^_^;=)。まあ確かに、ここで入場券を求める客って、そうはいないんでないかと思うわけですが(=^_^;=)。

 というわけで動くのを待って撮影。
 

nd207061 - 2011/12/15 12:51
筑波観光鉄道 - 筑波山ロープウェイ - つつじヶ丘〜女体山
ケーブル。
nd207064 - 2011/12/15 13:02
筑波観光鉄道 - 筑波山ロープウェイ - つつじヶ丘〜女体山
白いゴンドラ。「1」の番号がつけられています。
nd207073 - 2011/12/15 13:02
筑波観光鉄道 - 筑波山ロープウェイ - つつじヶ丘〜女体山
白いゴンドラ。「1」の番号がつけられています。
nd207107 - 2011/12/15 13:05
筑波観光鉄道 - 筑波山ロープウェイ - つつじヶ丘〜女体山
赤いゴンドラ。「2」の番号がつけられています。
nd207127 - 2011/12/15 13:06
筑波観光鉄道 - 筑波山ロープウェイ - つつじヶ丘〜女体山
赤いゴンドラの走り装置。
 
 最近はとんと縁がありませんけど、ロープウェイに乗ったことがないわけじゃなし、まあこんなもんかなって感じで。

 そういえば。
 千葉の鋸山のロープウェイに乗ったときのことだったと思いますが、山から下る便に乗っていたときに、男の子がその母親に「おかーさんやっぱり降りる方が早いねっ!」とか大きな声で叫んだんですね。ゴンドラの中は笑いに包まれ、母親は「馬鹿なことを言ってるんじゃありませんっ、笑われてるじゃないのっ」とか叱っていたんですが。
 あんとき、「なんでそう思うの?」とか助け舟を出してやればよかったとか思ったんすよね。いまだに時々思い出す。
 確かにまあ、上りも下りもスピードは同じだけどさあ、「下りの方が速いと感じた」ってのはその時のその子にとっては真理(笑)なわけじゃん。時計的に同じタイムであることと、感じる時間が等しいことは、イコールじゃないんだしさ。ゴンドラの中が笑いで包まれたとしたって、別に頭ごなしに叱るようなこっちゃないんじゃないかと、おれ思ったんだよなあ。

 とか、脈絡なくロープウェイの思い出を語ってみました。ではまた。

  
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2011年12月28日

お散歩>茨城県旧八郷町(現石岡市域)の茅葺屋根建築物。

 茨城県の旧八郷町の風景です。

 もともとは、駒村清明堂と気象庁地磁気観測所が旧八郷町域にあり、そのために項目を作ったんでした。ところが駒村清明堂も地磁気観測所も追加撮影のせいもあってそこそこの巨大項目に発展、「八郷町」でくくるのも不適切っぽいし、分野別でもそれぞれを「工場」「公共施設」に入れておいても邪魔だしってことで、独立項目として仕立て直すことに。そしたら八郷町の項目はすかすかになるかと思いきや、別ネタがはいってきました。それが「茅葺屋根」。
 なんでだかよくわからないのですが、旧八郷町域にはけっこうな数の茅葺屋根の建物が残っているそうで、石岡市との合併前には、町の観光協会が「八郷町茅葺きマップ」なんてものを作って配布していたくらいです。せっかくなので、その茅葺屋根の現役建築物を見に行こうってことになりまして。なんかよくわからない展開だけどねー。

 まずは旧八郷町への道。
 八郷町は、筑波山の山麓にありました。ていうか、筑波山観光の拠点のひとつであるつつじヶ丘(ロープウェイが出てる場所)は、もう八郷町でしたし。というわけで、つつじヶ丘から八郷町に向かう道です。オートバイだと通行規制が多くてなかなか不自由だったんだよなあ(と、遠い目をする)。
 

s3p72676 - 2011/12/15 13:14
茨城県石岡市小幡
風返峠の警告看板。石岡警察署と石岡市役所による「ローリング族・ドリフト族・対策区間」のもの。
s3p72679 - 2011/12/15 13:16
茨城県石岡市小幡
そのセンターラインの特殊装備がこれであるらしい。
s3p72682 - 2011/12/15 13:16
茨城県石岡市小幡
なんてゆーか、別に一車線しかなくてもその幅でアウトインアウトとかできるし、コース取りもいろいろ悩めるわけで、センターラインを越えて道路の幅を全部使って走らなくちゃなんない理由なんてないような気がするんですけどね。そんでもそこらの小僧よりおれのが速いぞってか。
 
 八郷町の町並みと茅葺屋根の建築物です。なお、「茅葺屋根○○」の番号は、八郷町観光協会が発行した「八郷町茅葺きマップ」の番号(同マップは現在は入手不能。ただしこのマップだけで建物に行き着けるほどの精度のものではない)。特に意味はありませんが、まあ識別用ということで。
 全部を並べるとけっこうな枚数になっちゃうので、ここでは1棟1枚にしておきます。あとの角度は更新を待て(角度ってなんだ、『茅葺屋根の角度』とかいう本でも出すつもりかっ>おれ)。
 
s3p72687 - 2011/12/15 13:26
茨城県石岡市小幡
茅葺屋根11。住宅主屋。
s3p72716 - 2011/12/15 13:37
茨城県石岡市吉生
茅葺屋根13or14。長屋門。
s3p72851 - 2011/12/15 14:21
茨城県石岡市上曽
茅葺屋根16。住宅主屋。住宅ってか、もともとは宿屋かなんかを営業していたらしいけっこう大きな建物です。
s3p72922 - 2011/12/15 14:36
茨城県石岡市上曽
茅葺屋根17or18。長屋門。
s3p72933 - 2011/12/15 14:38
茨城県石岡市上曽
茅葺屋根17or18。長屋門から中を見ると、住宅主家も茅葺でした。
s3p72954 - 2011/12/15 14:54
茨城県石岡市鯨岡
茅葺屋根19。住宅主家。
s3p72967 - 2011/12/15 15:13
茨城県石岡市中戸
茅葺屋根24。長屋門。
s3p72979 - 2011/12/15 15:23
茨城県石岡市部原
茅葺屋根27。長屋門。
 
 街角にいたひもなしわんこ。かなりの老犬のようで、歩くのもおぼつかない感じ。「おいそこの若いもん、なにをしにきた?」って感じで寄ってきましたが、吠えるでもなく、逃げるでもなく。
 
s3p72878 - 2011/12/15 14:24
茨城県石岡市上曽
老犬。
 
 三輪神社。茅葺屋根の家を探していて、たまたま近くにあったものですから、お邪魔してきました。
 
s3p72882 - 2011/12/15 14:29
茨城県石岡市上曽字沖前1665
三輪神社。エントリ。鳥居は石造の明神鳥居。
s3p72892 - 2011/12/15 14:30
茨城県石岡市上曽字沖前1665
三輪神社。拝殿と脇社。
 
 佐久の大杉。このあたりに茅葺屋根の家がある、という情報があったのですが、結局みつからず。とりあえず目印とした「佐久の大杉」を撮っておきました。途中で折れてますけど、折れる前はどんだけ高さがあったのでしょうか。
 
s3p73016 - 2011/12/15 15:41
茨城県石岡市佐久
佐久の大杉&鹿島神社。エントランス。
s3p73034 - 2011/12/15 15:43
茨城県石岡市佐久
佐久の大杉&鹿島神社。拝殿。
s3p73044 - 2011/12/15 15:45
茨城県石岡市佐久
佐久の大杉&鹿島神社。杉を見上げる。
 
 マンホール。石岡市と合併して消滅した八郷町のものです。
 
s3p72712 - 2011/12/15 13:37
茨城県石岡市吉生
マンホール。八郷町(消滅自治体)の汚水用のもの。
 
 当初はそんなに期待をしていなかったんですが、いやあけっこうすさまじかったですね(=^_^;=)。
 なんていうか、ひとつひとつの住宅が、数百坪くらいの敷地を持つ豪邸で、そこに長屋門や住宅があってそれが立派な茅葺屋根の建物である、というのがいくつもいくつもありました。しかも、「保存物件」とかじゃなく、「廃屋」でもなくて、「現住民家(*1)」であり、手入れがいきとどいている。まあ、当然のこととしてアルミサッシ化などの改造改修や増築がなされているものも多くありましたけど、もうここまできっちり使われているのであればそんな改造なんか気にならない感じ。
 ま、茅葺屋根維持のための支援などの保護活動は行われており、茅刈ヴォランティアなんてのもあるみたいで、ある程度は茅葺屋根の建物を維持しやすい状況が整ってはいるのでしょうけれども、それにしてもひとつの町の中にメンテナンスの良い現役の茅葺屋根建築物が数十棟という数残っているというのは、なんかものすごいことであるように思います。公共交通の便がいいとは言いにくい場所ではあるけど、関東平野の真っ只中なんだし、穴場っていうかなんていうか。
 見たのはまだごく一部です。ってまあ全部を見ようとかいう方向性はないんですけど。

*1  くだんないと思いつつ書いておくのですが、「現住民家」は「現住+民家」であって、侮蔑的なニュアンスを帯びた言葉を含む「原住民+家」ではありません。ときおり「げんじゅうみん」という音が含まれているというだけの理由で漢字なんか見ないではしゃいで揶揄したりする馬鹿がおったりするので、無粋だけど、いちおう馬鹿封じとして説明を書いておきます。
 
 ただえーとなんていうんですか。
 これらの建物はたいへん貴重で価値の高いものではあるんですが、「保存物件」でも「廃墟」でもなく「現住民家」なんですよね。つまり、そこで生活をしているひとがいる。観光資源として客引きのネタにするには、ちょぉっと使いにくいものなわけです(=^_^;=)。
 前述の通り旧八郷町の時代には観光協会がマップを作っていましたが、現在ではそれは配布されていませんし、どこに茅葺屋根の建築物があるかといった資料はきわめて入手しにくくなっています。また、石岡市のサイトなんかでも「見学の際の注意事項」などがうるさく書かれています。いろいろ摩擦があったんだろうなあ。
 だいたい見物客が多少来たくらいじゃ実際に茅葺屋根建築を維持管理しているひとびとにとってはメリットなんかなさげだしね。こういう景観の維持とかもどうすりゃいいんだろうとか、いろいろ考えさせられてはしまいましたよ。

 もひとつおまけ。
 この手の私有物件を見に行く場合、どうすれば迷惑をかけず失礼にもならないかっていうのは、けっこう悩ましいところです。
 よくあるのが「挨拶をしてから撮影しましょう」ってやつなんだが、いちいち呼び鈴鳴らして挨拶をして事情説明をして許可取りをしてから撮影、ってのもおれの感覚では現実的じゃないんだよなあ。こっちとしても面倒なんだけども、それ以上に来られる側にとって迷惑でしょう。家の中でのんびりくつろいでいるところに、あるいは忙しく家事をかたづけているところに、なにかっつーと見知らぬ人がやってきて呼び鈴鳴らして撮影許可をくれと言ってくるだなんて、おれが住民だったらと仮定して想像すると、かなりうんざりする状況ですし。
 まあおれの場合は、「原則として挨拶や許可取りはしない。通常の立入が想定されていないと思われる敷地(*2)には入らない。さっさと必要最低限の撮影だけして退去」というあたりを原則としています。たまたまその物件の持ち主とかが表にいたりしたらなるべくにこやかに挨拶をする、といったことは心がけていますけど。

*2  商店の駐車場など、敷地内であっても部外者の事前許可を得ない立ち入りが禁じられているわけではないと思われる場所には、ケース・バイ・ケースで判断し立ち入る場合はあります。絶対に他人の私有地には立ち入るべきではない、とまでは考えていませんし、他人にも求めません。ただ、おれの基準はかなり厳しい方ではあると思う。一緒に行動することが多いやつのうち一人は、なにかっつーと不用意にかつ意識せずに私有地にはいりかけて、おれに「ひとんち!」とか怒鳴られてますし。
 
 ま、探せばこういう穴場みたいな場所は、まだほかにもあちこちにあるのかもしれません。八郷町のすぐそばだけど、真壁町なんかも同類、つまり「あまり知られていないけれども、町並みや建築物がすばらしい場所」だし。
 そういうところは、それなりに評価を受け、経済的にも潤ってほしいと思うけれども、なかなかうまくそういう流れを作る方法って、思い浮かびませんわねえ。うむー。

  
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2011年12月26日

お散歩>駒村清明堂再訪。晴れた日の水車。

 前回が夕刻でしかも雨という悪条件だったので、駒村清明堂を再訪してきました。前回分の追加撮影です。

   *

 まず、駒村清明堂の店舗。店売りがメインなはずはありませんが、現地でも販売しており、訪問しても線香を買うことはできます。こういうネタのときは、店舗と商品の写真を忘れちゃいけないよな(=^_^;=)。
 

s3p72341 - 2011/12/15 11:40
茨城県石岡市小幡
駒村清明堂。店舗。この日はご主人はおられず、おかあさまかな、が店番をしておられました。
 
 水路。
 
s3p72411 - 2011/12/15 11:59
茨城県石岡市小幡
駒村清明堂。地表を流れる水路。上流方面を望む。
s3p72419 - 2011/12/15 12:00
茨城県石岡市小幡
駒村清明堂。水路。地表から木製高架に変わる部分。左側のコンクリートは、発電用水車につながっていた水管の跡。
 
 現役水路と平行に走るコンクリートの構造物は、発電用水路の跡だそうで。以前は螺旋水車かなんかで発電機を回して集落の電気をまかなっていたとのことです。現役水車が目的での訪問でしたけど、こういう産業考古学的遺構に出会えたというのは、望外の幸運でございました。
 
s3p72468 - 2011/12/15 12:06
茨城県石岡市小幡
駒村清明堂。発電用水路跡。
s3p72474 - 2011/12/15 12:06
茨城県石岡市小幡
駒村清明堂。発電用水路跡。
 
 水車小屋。
 前回は暗かったこともあって「近距離からストロボを焚いてなんとか」って感じでしたが、水車周辺ってけっこう水が飛び散っていて黒く、また日陰なので、晴れていてもやっぱし暗くなってしまうことに変わりはなかったりして(=^_^;=)。水輪だけについていうなら、前回の写真のがわかりやすかったかも(=^_^;=)。
 
s3p72348 - 2011/12/15 11:47
茨城県石岡市小幡
駒村清明堂。水車小屋。表で杉の葉の選別作業をしている方々がいました。左が上流方向。水輪は向こう側。
s3p72358 - 2011/12/15 11:49
茨城県石岡市小幡
駒村清明堂。水車小屋。表で杉の葉の選別作業をしている方々がいました。左側にちらっと高架水路が見えています。
s3p72596 - 2011/12/15 12:20
茨城県石岡市小幡
駒村清明堂。水車小屋。上流側から。左側に高架水路。
 
s3p72443 - 2011/12/15 12:03
茨城県石岡市小幡
駒村清明堂。水車小屋。水輪上流側から。
s3p72453 - 2011/12/15 12:04
茨城県石岡市小幡
駒村清明堂。水車小屋。水輪下流側から。
s3p72500 - 2011/12/15 12:07
茨城県石岡市小幡
駒村清明堂。水輪。
s3p72540 - 2011/12/15 12:11
茨城県石岡市小幡
駒村清明堂。水輪。
 
s3p72457 - 2011/12/15 12:05
茨城県石岡市小幡
駒村清明堂。水輪と水路。下流側から。
s3p72460 - 2011/12/15 12:05
茨城県石岡市小幡
駒村清明堂。水車小屋。下流側から。
 
 杉葉小屋。ここである程度乾かしてから次の工程へ、ということのようです。
 
s3p72613 - 2011/12/15 12:21
茨城県石岡市小幡
駒村清明堂。杉葉庫。水車小屋の並びにあります。裏側に高架水路が通っています。
 
 駒村清明堂と直接に関係があるのかどうかは聞きそびれましたが、道を隔てて、水分神が祀られています。
 水分神(みくまりのかみ)は、神道系の水の神様で、水の配分などを司るとされており、水源地や水路の分流部などに祀られることが多いとのこと。「水配りの神」が「みくまりのかみ」になったのではないかと考えられています。
 
s3p72622 - 2011/12/15 12:31
茨城県石岡市小幡
水分神(みくまりのかみ)。小さくて読めませんが、右側に駒村清明堂の看板が出ています。
s3p72618 - 2011/12/15 12:31
茨城県石岡市小幡
水分神(みくまりのかみ)。
 
 ま、前回のと今回のを足せばだいたい全貌はわかるんじゃないかって感じです。
 いやあしかし人間の欲望というのは限りないもので、帰りの車の中で「ここまで見たんだったら、杉葉粉をこねるところとか、線香のかたちに整形するところとか、全工程を見たいよねえ」とかいう身の程をわきまえぬ会話が(=^_^;=)。
  
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2011年12月24日

お散歩>気象庁柿岡地磁気観測所を見学してきた。

 茨城県の鉄道の宿敵、気象庁地磁気観測所です。そう、あの鉄道の直流電化を拒む地磁気観測所です。初回は、たどりついたらすでに夕暮れ、雨もぱらつく日でございまして、入口だけしか見ていませんし、ほとんどわけわかりませんでした。

 そういうわけで二回目。Webに「見学は申し込めば随時」と書かれていたもんですから、前回も一緒にいった友人が見学を申し込んだところ、見学日でもなんでもないのにわずか2名の野次馬見学者のために見学ツアーを組んでいただいてしまいまして、えらい恐縮する羽目に(=^_^;=)。予約時間に訪ねたら、会議室には液晶プロジェクタが用意され、机の上には二人分のパンフレット類が並べられており、研究者とおぼしき方がお二方ほど迎撃体制を整えて待ち構えているんだもんなあ(=^_^;=)。なんかものすごく申し訳ないことをしてしまったような気が(=^_^;=)。

 で、気象庁地磁気観測所。東京の発展につれノイズが増えてきて観測に支障を来たすようになったため、それまで測定をしていた皇居から大正年間に柿岡に引っ越してきた施設で、移転時点の大正年間建築の建築物などが大切に使われていました。
 

s3p72325 - 2011/12/15 11:29
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。正門。
 
 構内風景。ノイズを極端に嫌う観測であるせいか、かなり土地をぜいたくに使っています。建物がせせこましく立て込んでいたりはしません。
 
s3p72310 - 2011/12/15 11:10
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。正門から続く道。
s3p72313 - 2011/12/15 11:10
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。構内の並木道。
s3p72322 - 2011/12/15 11:11
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。防火水槽とおそらく消防機材庫。
s3p72304 - 2011/12/15 11:09
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。官舎ではないだろうかと。
 
 第一庁舎。1925年、地磁気観測所が全面的に柿岡に移転してきたときに作られた洋館です。ドイツ風を意識して作られたとのこと。もともとは正面に筑波山を望めるように作られていたとのことですが、その後新たに建てられた建物のせいで、現在は筑波山は見えなくなっています。
 
s3p72107 - 2011/12/15 10:29
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。本館・第一庁舎。1925年(大正14年)の建築。正面。
s3p72251pf - 2011/12/15 11:04
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。本館・第一庁舎。1925年(大正14年)の建築。右側から。
 
 KASMMER地磁気観測施設。KASMMERは「Kakioka Automatic Standard Magnetometer」の略で、これこそが茨城県内の鉄道の直流電化を拒む中核の観測施設だそうです。なんか大正年間に東京を追い出されることになったきっかけは、周囲を走りはじめた市電が原因の電磁波だったそうで、どうも直流電化というものにトラウマがあるらしい(そういう話じゃねーか(=^_^;=))。
 4台のオーバーハウザー磁力計という装置を角度を変えて組み合わせ、その出力を合成して、地磁気を観測しているとのことです。
 
s3p72116 - 2011/12/15 10:34
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。KASMMER地磁気観測施設。
s3p72123 - 2011/12/15 10:35
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。KASMMER地磁気観測施設。
 
 空中電気室。1925年の建築。大気の電場変動を測定するための建物だということです。
 
s3p72130 - 2011/12/15 10:40
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。空中電気室。1925年(大正14年)の建築。
s3p72114 - 2011/12/15 10:33
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。空中電気室。1925年(大正14年)の建築。
 
 実験室。コンクリートで覆われていますが実は煉瓦造りで、屋根は銅板葺き、雨どいなども銅板で作られており、徹底して磁性材を排除して作られているとのことです。
 いやあ、見た感じちっちゃくてかわいい小屋で、やっぱこう松戸菜園味博士がこもって何かやっていそうな気配が感じられてならないのですが(=^_^;=)。
 
s3p72147 - 2011/12/15 10:42
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。実験室。1924年(大正13年)の建築。
s3p72167 - 2011/12/15 10:45
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。実験室。1924年(大正13年)の建築。
s3p72171 - 2011/12/15 10:46
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。実験室。1924年(大正13年)の建築。
 
 絶対観測室。「Absolute House」という表札が掛けられていました。
 
s3p72208 - 2011/12/15 10:51
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。絶対観測室2棟。
 
 測定機材とかいろいろ。
 
s3p72187 - 2011/12/15 10:49
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。北指示器。KASMMER地磁気観測施設の方位あわせに使うらしい。
s3p72217 - 2011/12/15 10:54
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。なんかのアンテナ。
s3p72239 - 2011/12/15 10:58
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。太陽電池パネル。測定機器への電力供給に電線を引き回しそこに電流が流れると磁気が発生してしまうため、なるべく電力のやりとりがないようスタンドアロンで動かせるようにということで、太陽電池を多用しているとのこと。はぁ(=^_^;=)、電線もだめすか(=^_^;=)。いちおうバックアップ用に電力線は引いてあるみたいですけど。
 
 第一変化計室。なんかの測定を行っており、温度変化を嫌うために、かまぼこ型の石造りの建物を作ってそれに土盛をして半地下にしてしまったとのこと。上に載っているのは、そういうわけでその土塁の日除けのための建物であって、本体ではないらしかった。
 
s3p72227 - 2011/12/15 10:56
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。石室・第一変化計室。1912年(大正元年)の建築。半地下の建物。表左側。
s3p72231 - 2011/12/15 10:57
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。石室・第一変化計室。1912年(大正元年)の建築。半地下の建物。表左側。
 
 あんましこう、建物とか立地とかに興味を持って見学に来るやつなんかいないらしく(そりゃ、いないだろうなあ・・・)、応対してくれた方も勝手が違うらしくてちょっと困った顔をしておられたような気がしますが(=^_^;=)、けっこう楽しい見学でございました。

 個人的には地磁気観測所に怨みはないっていうか、常磐線の直流電化を阻止してくれたおかげで妙なものがいろいろ走ることになって趣味的には楽しいとか思っているんですが(=^_^;=)、まあ茨城県や産業的には、んなのんきなことを言っていらんない面もあるのでしょうし、まあいろいろ。
 そのせいか、「地磁気の観測はこのように役に立つ」といった方向性の説明が多かったような気がします。ただまあ、基礎科学なんてそうそう実益に直結するものではないし、そんでもいいんではないかとかおれは思ってるものですから、実益に結びつける説明のあたりに苦労を感じてしまったりしたんですよね(=^_^;=)。

 なにはともあれ、たかが野次馬見学者に実にていねいな応対をしていただきまして、いろいろとどうもありがとうございました。

  
Posted by 猫が好き♪ at 14:00 │Comments(0)TrackBack(0)
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2011年12月22日

更新>小金牧・柏の葉・野田線江戸川橋梁・震災被害状況報告

 すっかり報告を忘れておりましたが(=^_^;=)、2011年12月7日に、それまでのお散歩分をまとめて更新しています。以下のお散歩報告の分。

久々の小金牧(高田台牧)・こんぶくろ池と弁天池
柏の葉・国立がん研究センター東病院
柏の葉・東京大学柏キャンパス
誰か「パーカートラス」のことを知りませんか?
小金牧(高田台牧)の駒木台・柏の葉の境界部分
東日本大震災>土浦旧市街地の被災状況
筑波鉄道(関東鉄道筑波線)の廃線跡
東日本大震災>真壁旧市街地の被災状況
駒村清明堂の水車
茨城県の鉄道の宿敵・気象庁柿岡地磁気観測所

 うち、駒村清明堂の水車と気象庁柿岡地磁気観測所は、そのあと追加撮影に出かけており、現状はサブセットというかたちになってしまいました。特に柿岡は、現状では入口の夜景写真しかありませんし、まあ報告を見てわかるとおりほとんど意味ないっすね。お散歩報告と次回更新を待て(=^_^;=)。

 ではざっと、主として新規項目へのリンク先ご案内という感じで。

 まず、小金牧(高田台牧)に2か所追加。
 ひとつはこんぶくろ池
 高田台牧の水場のひとつだったとされる湧水池で、大堀川の源流のひとつ。たまたま開発されずに残っていたことから「こんぶくろ池自然博物公園」として保全されることになりました。こんぶくろ池のほか弁天池という湧水池があり、そこから流出する河川もあまり人間の手がはいらない状態でよく残されています。
 以前はなかなか公共交通機関では行きにくい場所でしたが、柏の葉開発の結果バス便が整備され、だいぶ行きやすくなりました。
 もうひとつは流山市駒木台と柏市柏の葉の境界部分
 あまり期待しないで出かけたのですが、短い区間とはいえ、良好な状態の野馬土手・野馬堀が残されていました。とりあえず下調べのみで、追って再調査の予定です。

 続いて、上記高田台牧周辺で、柏の葉。主として2件。
 ひとつは「国立がん研究センター東病院」。こんぶくろ池に隣接する場所にある大規模病院。併設レストランが2件もあったり、巨大ビルの並びに平屋の緩和ケア病棟があったり、なかなか興味深い病院でした。
 もうひとつは「東京大学柏キャンパス」。がんセンターの向かいにあり、なんか妙に凝ったビルが立ち並んでいます。ざーっとひととおりビルを見てきました。しかし名前を聞いただけではなにをやっているのかわからない施設が林立しているわけで、けっこう気押されましたねえ。
 ま、新しい市街地というか、「鳴り物入りで作られたばかりの新しい街区」という意味では、それなりに見栄えがする存在なのではないでしょうか。

 今回の更新では数少ない鉄道関係。
 東武鉄道野田線の川間〜南桜井にある江戸川橋梁を見てきました。
 1930年架橋1955年改修の単線の曲弦ワーレントラス橋で、地味っちゃあ地味ですが、なかなか優美な橋梁です。曲弦トラス橋も珍しくなってきたので、きっちりおさえておこうかっていう感じ。
 ついでに川間駅付近もちらっと散策。千葉県野田市尾崎の風景。基本的には新興住宅地でありだからどうしたっていう感じですが。
 で、ここでは「ポトス(食べログ)」という喫茶店をみつけましてね。これがけっこう大ヒットだった。充実した古式ゆかしい洋食、というだけでもう大喜びなのに、なんと大盛りグラタンがありましてねーもう狂喜乱舞です。お近くに行かれましたらぜひ立ち寄ってあげてください。

 えーとそれから、茨城県関連で数件。

 まだ尾を引いている東日本大震災関連ですが、土浦市(主として旧水戸街道沿道)桜川市真壁町をチェックしてきました。
 土浦の方は、まあざっくり言ってしまえば「さほど甚大な被害はなかったようだ」という感じ。
 真壁ですが、こちらもざっくり言ってしまえば「さほど甚大な被害はなかったようだ」ということになるんだろうと思うんですが、町並み観光で売り出そうとしていたところに襲ってきた地震で、けっこう町並みというか景観への影響が大きいんですね。ちょっとこういう被害の様相というのは想定していなかったので、たじろぐものがありました。どうすりゃいいんでしょうか。

 それから、ほんのちょっとだけですが、筑波鉄道の廃線跡に追加。虫掛駅から田土部駅にかけての区間と真壁駅
 いやあ、ある程度整備は終了したとばっかし思ってしばらく目を離していたんですが、その後も整備は続いていたんですねえ。どこまで金をかければ気が済むんだろう。ていうか、やっぱこの金は筑波鉄道の存続に投入しておくべきだったのではないか、という気がしてなりません。

  *

 で、本体ページでは「今回の目玉」とか言ってる駒村清明堂ですが、夕方でしかも雨模様という状況だったんですね。というわけで再撮にでかけております。
 とりあえず現状の写真でも「現役水車というのがどういうものか」は十分にわかるかとは思いますが、すぐに大量の追加とヴァージョンアップがあるのがわかってるわけで、なんか新規項目としては紹介しにくいんだよな(=^_^;=)。

 なお、現在、駒村清明堂と気象庁柿岡地磁気観測所は「旧八郷町」の項目にまとめてありますが、いずれも追撮の結果、収録写真数が増えてそこそこ巨大項目になってしまったため、次回更新では独立項目にします。

 今回の更新は、こんなところです。  
Posted by 猫が好き♪ at 17:44 │Comments(2)TrackBack(0)
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