津波や地震による被害に加え、東京電力福島第1原発事故の放射能汚染にも苦しむ福島県。今も原発から半径20キロの警戒区域は立ち入りが禁止され、全域が避難対象の自治体もある。除染が進められてはいるが、住民の不安は大きく、各産業は風評被害におびえ続ける。震災が「現在進行形」と言える中、沿岸や警戒区域、計画的避難区域にある計15自治体が復興に向けて模索する姿をまとめた。
佐藤雄平知事は昨年12月、「脱原発」を前提とする復興計画を公表した。県内の原発を全基廃炉にすることを求める強い決意が表れた計画となった。
期待するのは再生可能エネルギーと医療関連産業で、1万人の雇用を生んでいたとされる原発に代わる産業の柱に位置づけた。国が福島沖で進める世界初の浮体式洋上風力発電計画を機に、関連企業の誘致を目指す。
復興特区の適用に加え、今国会で審議中の福島復興再生特別措置法の成立に期待を寄せる。復興特区以上に税制優遇や規制緩和を受けられるからだ。新年度予算案には進出企業が200億円を上限に最大75%の補助が受けられる全国で最も手厚い企業立地補助金も盛り込み、企業誘致の促進と雇用拡大を図る。
だが、被災自治体が「ゼロからではなくマイナスからの出発」と言う放射能汚染への懸念は色濃い。史上最大となった1兆5763億円の新年度予算案では半分近くを、除染や食品検査機器導入などの災害対応につぎ込む。
震災後、約4万5000人が県外に流出した。子育て世代を引き留めるため、佐藤知事は18歳以下の医療費無料化を国に求めたが、県単独で取り組む結果となった。【乾達】
新地町は2月29日、都市再生機構と災害公営住宅(復興住宅)建設に関する協定を結んだ。賃貸集合住宅を30戸建設し、来年中の入居を目指す。加藤憲郎町長は「住宅再建の第一歩。今後、復興に向けて総力を挙げて取り組む」と意気込む。
震災で町内の5分の1に及ぶ904ヘクタールが浸水し、住宅約600戸が全半壊した。今後5年間の復興計画で掲げた五つの重点事業のトップに「すまい再建」を掲げ、災害危険区域に指定した約380世帯の集団移転を計画する。必要な復興住宅は150戸を見込む。
町は1月に公示地価の8割超という被災した土地の買い取り価格を決めた。加藤町長は「多くの住民から理解を得られた」と語る。【高橋秀郎】
「通学時間は片道2時間半。JR常磐線を再開してほしいけど、仕方ありません」。常磐線相馬駅でバスを降りた高校3年の男子生徒(18)は話した。毎日、相馬市の自宅から仙台市周辺の学校に通う。
相馬市は仙台市と結びつきが強い。5年間の復興計画を策定したが、身近で切実な問題は津波で線路が流された同線相馬-亘理駅間の再開時期だ。同区間は代行バスが走り、仙台駅までの所要時間は約2時間と以前の2倍。相馬看護専門学校は今年度、仙台方面からの受験生が激減した。
復旧時期は未定。立谷秀清市長は「雇用保険の特例期限が切れると、就業支援対策が重要になる。その要が通勤通学手段の確保。一日も早い再開を」と国やJRに働きかけている。【高橋秀郎】
広野町内では今、作業服にマスク姿の男性の姿が目立つ。警戒区域に隣接し第1原発にも近いため、事故処理などにあたる作業員の宿舎が増えたからだ。
昨年9月に緊急時避難準備区域の指定を解除されたが、町内に住む町民は約250人なのに対し、作業員は5000人を下らない。策定中の復興計画では町民数に匹敵する「新住民」への対応も迫られている。山田基星町長は「ピンチをチャンスに」と、原発関連の研究機関や企業の集積を図るまちづくりを目指している。
3月末には避難指示を解除し、4月から町民に帰還を呼び掛ける。3月1日には役場機能も戻り、小中学校は2学期からの再開を目指し、除染作業が急ピッチで進む。だが、いわき市を中心に避難している町民は仮設住宅から町に通い、夜には戻る生活を送る人が多い。「医療や買い物先の確保が進まなければ、町に戻る人の動きが鈍くなる」(黒田耕喜副町長)と懸念する。【和泉清充】
いわき市の12年度一般会計当初予算案は、震災復興関連事業を中心に過去最高の1718億円に上る。被災した市民の生活再建支援に力を注ぐ一方で、市外からの避難者向けの移動販売支援などの施策も大きな柱になっている。
背景には、市外からの避難者が約2万2000人(1月15日現在)に上ることがある。経済的なつながりのある双葉郡からの避難者が多く、同市から市外への避難者は約7500人(2月14日現在)のため、人口が増えたのと同じ状態だ。
雪がほとんど降らず、過ごしやすい土地として知られるため、双葉郡から会津地方に避難している人たちからの移転希望もあり、避難者は今後も増えるとみられるだけに無視できない。
渡辺敬夫市長は「オールいわきで震災前よりも活力のある市を」と、昨年9月には「復興ビジョン」を、12月には今後5年間の復興事業をまとめた「復興事業計画」(第1次)を策定した。
除染活動や災害公営住宅建設、18歳以下の市民の医療費無料化などの被災・放射線対策に力を入れる。浮体式洋上風力発電事業の誘致や新たな工業団地開発計画なども盛り込んでいる。しかし、がれきの処理は、最終処分場確保のめどが立たないことから遅れており、課題となっている。【和泉清充】
一部が警戒区域に指定されている田村市。緊急時避難準備区域については昨年9月末に解除され、復旧計画では今年1月から住民の帰還を見込んだが、戻った住民はいない。市災害対策本部は「放射線に対する不安が大きいから」とみる。警戒区域の住民379人を含む2557人(1月31日現在)が市内外で避難生活を送っている。
昨年末に設置した検討委員会で策定中の復興計画は、今月末にはまとまる見通しだ。
原状回復のための復旧対策、地域コミュニティー再生など7項目が柱で、新年度から10年間で完了を目指す。冨塚市長は「復興に向け、まず避難を強いられている都路地区で集中的な除染を進める」と話している。【太田穣】
「自分たちの学校に戻れてうれしい。思い出をたくさん作りたい」。2月27日、11カ月半ぶりに元の校舎に戻った南相馬市立石神第二小6年の伏見空翠(くうすい)君(12)は全校集会で語った。この日で、緊急時避難準備区域(昨年9月末解除)の原町区を離れ鹿島区の学校に間借りしていた小中12校の復帰が完了した。
原発事故で市内は、警戒区域の小高区▽旧避難準備区域の原町区▽30キロ圏外の鹿島区--に3分された。原町区は学校が元に戻り、飲食店などの営業再開も進むが、小高区は立ち入り禁止が続いて復旧工事もままならず、企業の流出も進む。
震災前の人口は7万人を超えていたが、市内居住者は一時1万人前後に落ち込み、今も2万2000人が市外で避難生活を送る。児童生徒数は震災前の約半数にとどまる。
帰還を困難にしている大きな原因は放射線に対する不安。子育て世帯の帰還状況が市の将来を占うが、避難先からは「放射線も心配だが、今後の復興、発展に期待できない」(30歳代の母親)との声も聞こえる。
漁業は操業自粛が続き、今年もコメの作付け見送りを決めた。首都圏と結ぶ国道6号は寸断され、常磐自動車道の工事も中断。沿岸部のがれき処分も進まない。仮置き場の設置を巡っては、住民の間に異論が根強い。
市は昨年12月、今後10年間の復興計画を策定した。除染、医療福祉の回復、産業振興、被災者の住宅再建、防災など多岐にわたる。桜井勝延市長は「新年度を復興元年とし、市民が戻れる状況を早急に作り出す」と意気込む。新年度一般会計当初予算案は今年度の3倍となる総額約871億円で、震災・原発事故対策費が7割近くを占める。【高橋秀郎】
村民が消えた村の中心部を何台もの大型ダンプカーが駆け抜けていく。村中心部で進む環境省の除染モデル事業で出た汚染土壌などを運搬する車両だ。
昨年4月に全域が計画的避難区域に指定された飯舘村では、「みんなで帰ろう」を合言葉に、約3200億円を投じる除染計画に基づいた事業が進む。昨年12月16日にまとまった「までいな復興計画」では、「5年後に希望する全村民の帰還実現」との目標を掲げ、除染に力を入れている。
1月末に発表した村の除染工程表は標高の高いところから除染に着手するとしており、国が示す「放射線量の低いところから」の指針とは一線を画す。雨水などを介して放射性物質が標高の低いところに流れるとの実験結果を踏まえたうえでの判断で、菅野典雄村長は「国が机の上で作った計画と地元の心は違う」と話す。
また除染を、住民の離散を防ぎ、雇用を創出する機会ととらえていることが大きな特徴の一つだ。年度内にも村振興公社を母体とし、地元企業や森林組合を巻き込んだ除染事業組合を設立し、除染作業の受託を目指す。
さらに、村の防犯対策を自ら行う「いいたて全村見守り隊」を結成、緊急雇用創出基金事業を利用して、村民約350人の雇用につなげた。また、村民の多くが避難する福島市飯野町と川俣町内に村の幼稚園、小中学校仮校舎を建設中で、来年度中に開校したいとしている。
ただ、村内には巨額の費用を投じる除染計画の効果を疑問視し、移住や避難者への支援の強化を求める声も少なくない。菅野村長は「やってみなければ結果も分からないが、汚染された故郷を置き去りにすることはできない」と訴える。【泉谷由梨子】
昨年9月に緊急時避難準備区域の指定が解除された川内村。週末になると、明かりがともる民家が増える。約3000人の村民のうち、村で生活しているのは200人弱。避難先と行き来する「二重生活」を送る村民が多い状況がうかがえる。「村に完全に帰る意思を呼び起こせるかが問題」。村で商店を営む男性がつぶやいた。
1月末、避難区域に指定された自治体で初めて「帰還宣言」をした。本格的な帰村を促すため行政機能を3月中に元の役場に戻す。小中学校も4月から再開するが、戻ってくるのは児童生徒約160人のうち30人。遠藤雄幸村長は「村は先に帰って待っている。子どもや妊婦はすぐ戻れなくても、帰れる人から帰って」と呼び掛ける。
村が2月下旬まで実施した全村民への帰村の意向調査には、約1100人が回答した。「帰村済み」「帰村する」は計38%で、「帰村しない」の28%を上回ったが、「分からない」も36%。「除染も終わらず帰村は早い」との声もあるが、避難先で仕事や子どもの学校生活が落ち着けば、帰村が遠のくとの危機感を村は抱く。
当面重点を置くのは除染と雇用の確保だ。村の面積の約9割を占める森林の除染は難しく、雪で作業スケジュールは遅れている。
村民の働き口は、沿岸部の会社や原発関連企業が頼りだっただけに、「自前」の雇用発掘が急務だ。8月に東京の企業が村内に進出し、12年度内には水耕栽培の工場を稼働させる。除染で出た間伐材を使った木質バイオマス発電プラント事業もめどがたった。
遠藤村長は「避難者が『戻ろう』と思える健康管理やインフラを整備すれば納得を得られる」と、村の将来を悲観していない。【深津誠】
警戒区域と計画的避難区域に指定された葛尾村は昨年12月7日、復興計画策定に向け、25人からなる復興委員会を発足させた。当初は年度内の策定を目指したが、5月にずれ込む見通し。除染など放射線対策や復旧のための基盤整備などを盛り込む予定だ。
村は原発事故後、国の判断を待たずに全村避難を実施した。住民1532人(2月8日現在)のうち、863人が三春町の仮設住宅で、約500人が県内の借り上げ住宅や親戚宅で、約100人が県外で避難生活を続ける。
松本允秀村長は「新年度から2年間で除染など村民の生活環境の復旧に努め、その後に全村民一体の帰還を目指す」と話している。【太田穣】
サッカーのナショナルトレーニングセンター「Jヴィレッジ」がある楢葉町。原発事故後は国・東京電力の前線・中継基地として使われてきた。スタジアムやフィールドは作業員の寮や車の除染場などに活用され、1日平均約3000人の作業員が防護服を着て出入りを繰り返す。
町の復興ビジョンには「Jヴィレッジの再生」が盛り込まれた。草野孝町長は除染作業の一部が5月にも福島第2原発内に移転されるとの見通しを示し、「Jヴィレッジを復興のシンボルとしたい」と話す。
原発事故で町の約8割が警戒区域、約2割が緊急時避難準備区域に指定された。準備区域は昨年9月に解除されたが、事業再開できた企業は19社中3社だけ。住民は戻っていない。津波で被災した130戸の集団移転に向けた町民の意思確認も始まったばかりだ。
住民帰還に向け、最大の課題は除染。町全域が除染特別地域に指定され、国が除染を行うが、「それだけでは本当に心から安心できる暮らしは取り戻せない」(企画課)として町独自の除染計画策定を進めている。
今春予定の警戒区域の解除・再編で、町は「避難指示解除準備区域」(年間20ミリシーベルト以下)に指定されることが見込まれる。従来より町民の一時帰宅の自由度が増すため、町は復興への機運が高まると期待を寄せる。
1月中旬には、役場機能を県西部の会津美里町から、楢葉町に隣接するいわき市に移した。草野町長はいわき市を「古里に帰る拠点」と位置付け、県外避難者の受け皿として仮設住宅200~300戸を増設する。震災前から約300人減った人口の回復を図る考えだ。【清水勝】
福島第1原発1~4号機が立地し、事故対応に当たる作業員を乗せた車が行き交う大熊町。東西に延びる約78平方キロのうち東側ほぼ半分は年間放射線量が20ミリシーベルトを超え、さらにこのうち7割が同50ミリシーベルト以上という高線量地域を抱える。震災で被害を受けた道路や水道などインフラの復旧も手つかずだ。
町は昨年10月、比較的放射線量が低い区域を拠点に復興へ取り組むことなどを盛り込んだ「復興構想案」を策定した。しかし、警戒区域の見直しが今年4月にも予定され、どの地域が帰れるのか不透明だ。国が実施するとした除染事業も進んでおらず、渡辺利綱町長は「国の方針が固まるまで、具体的な復興イメージが描けない」とため息をつく。
町民1万971人(1月末現在)は全国に避難し、「いつ帰れるのか」「将来はどうなるのか」という声が高まる。震災前には増え続けていた人口は減少に転じ、今年1月末までに585人減った。町は今年1月に復興計画を策定する検討委員会を発足させ、3月末までの策定を目指し、「町に戻れない住民」への具体的な支援方法を探っている。
さらに悩ましいのが、国が双葉郡内に設置を要請した汚染土壌の中間貯蔵施設の受け入れ問題だ。「やむを得ないという町民もいれば、これ以上マイナスイメージを受けると帰れなくなるから絶対反対という町民もいる。どっちも率直な気持ち」と渡辺町長。結論に至るまでには時間がかかりそうだ。
コメや梨など基幹産業の農業も再開できず、課題は山積している。だが、渡辺町長は「除染事業により雇用を確保し、安全に住民が戻れるまちづくりを進めたい」と話している。【蓬田正志】
双葉町全域が警戒区域に指定され、町民約7000人は41都道府県に避難し、半数以上が福島県外で暮らす。役場は被災自治体で唯一、県を離れて埼玉県加須市の廃校に移転。校内で約500人が避難所生活を続けている。国による除染は具体化せず、住民の帰還のめどは立たない。高台移転などの再建や復興については「計画すらできない」(井戸川克隆町長)のが実情だ。
国が双葉郡への設置を求める汚染土の中間貯蔵施設受け入れや、町が独自に弁護団を結成して取り組む東電との賠償交渉など課題は山積。福島県内で生活する町民を中心に「役場を福島に」との声がある一方で、放射能の影響を懸念する人もおり、町民の意見も割れている。【藤沢美由紀】
昨年4月から計画的避難区域に指定され、全住民が避難している川俣町の山木屋地区。商店や理髪店には「避難解除まで休業致します」と書かれた紙が張られ、雪で閉ざされた牧場には牛の姿がない。
震災前は園児たちが元気に通っていた山木屋幼稚園の空間放射線量は毎時1・2マイクロシーベルトを超える。
古川道郎町長は「早く除染を終わらせて安全、安心な地域にしないと人口が流出する」と、全町民の帰還を目標に掲げている。
区域内では農地の除染モデル事業が進行中だ。
仮設住宅に避難している農業、中山巌さん(56)は「除染が終わったら、震災前みたいに畑で野菜を作って食べたいよ」と期待を寄せる。【三村泰揮】
東西約16キロ、南北約7キロと東西に長い浪江町。原発事故で警戒区域と計画的避難区域を分けた原発から半径20キロのラインが町を二分する。東側の沿岸部は立ち入りが制限される警戒区域で、津波で604戸が流されたにもかかわらず、復興は手つかずのまま。町の家屋被害調査さえ進んでいない。西側は震災の被害は少ないが、計画的避難区域に属する。
放射線量も地区によって大きく異なる。今春予定の警戒区域再編で、「解除準備」「居住制限」「帰還困難」の全3区分を抱える見通しで、地区ごとに置かれている状況が違うため「復興計画を策定する段階にもまだ達していない」(町行政運営班)という。
約2万人の町民のうち、約3分の1の7200人は県外に避難している。町の調査に対し3人に1人が「戻らない」と答えている。
町民から避難先での生活の苦しさを訴える声は多く、復興計画の前段となる「復興ビジョン」では、帰還より避難先での「暮らし再建が第一」との方針が掲げられた。復興住宅建設や就職支援、事業再開支援などを14年度までの目標とした。復興住宅は町外に計数千戸建設する方針だ。
除染については、放射線量が低く、町中心部のある沿岸部で先行して実施。14年までに帰還を始め、16年には主要地域で多くの人が帰れる環境を整えるという目標を掲げている。
原発に依存した産業構造から脱却するためにも、将来的には沿岸地域での大規模太陽光発電所の建設や放射線医療の一大研究拠点づくりを復興構想として掲げる。馬場有町長は「子供たちが元気で戻れるような町に戻したい」と誓う。【泉谷由梨子】
福島第2原発が立地し、全域が警戒区域の富岡町。今春予定の警戒区域の解除・再編では、「帰還困難区域」(年間被ばく線量50ミリシーベルト超)は町北東部に限られそうだが、中心部を含む人口の約6割を占める地域は「居住制限区域」(同20ミリシーベルト超50ミリシーベルト以下)になるとみられ、早期の帰還は難しい状況だ。遠藤勝也町長は「50ミリシーベルト以下の地域の同時帰還」を目指しており、帰還困難区域以外の除染が終わる14年3月まで帰還は難しいとみている。
役場機能は当初、川内村と共に郡山市の「ビッグパレットふくしま」に置いていたが、行政サービスの充実を図ろうと、昨年12月に同市内の別の場所に移転。いわき市、三春町、大玉村にも出張所を設置した。
町民が最も多く避難している県内の自治体はいわき市で4829人。富岡町と同じ沿岸部にあり、地理や気候が近いことから、当初の避難先から移った人も多い。次いで多いのは、役場機能がある郡山市の3201人で、この2市が県内の避難先の約8割を占める。県外への避難者は5097人で、徳島を除く45都道府県に分散している。(人数はいずれも2月15日現在)
町の産業の復興は進んでいない。一部の会社は事務所をいわき市などに移して事業を再開したが、原発関連企業を除き大半は休業状態。町は6月定例議会への提出を目指し、1月にまとめた災害復興ビジョンを基に復興計画を策定中で、原発に代わる再生可能エネルギー関連の企業誘致などが盛り込まれる見通しだ。
遠藤町長は「原発依存のまちづくりから脱皮し、素晴らしい自然や文化、歴史や観光を生かしたまちづくりをしていきたい」と話している。【松本惇】
2012年3月5日