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シンディ・ローパーはワスレナイ
「あなたがもし倒れたら、私が受け止めてあげる。何度も、何度でも」シンディ・ローパーさんのヒット曲、「タイム・アフター・タイム」の歌詞の一節です。
言葉どおり、シンディさんは私たちに力強いメッセージを送るために、再び日本を訪れてくれました。
東日本大震災が起きた去年の3月11日に来日して、震災の混乱に巻き込まれたシンディさんは、再来日を決めた思いについて、NHKのインタビューで、「ワスレナイ」と語りました。
科学文化部・新本貴敏記者が解説します。
“あの日”を経験したシンディ
「ハイスクールはダンステリア」や「タイム・アフター・タイム」などのヒット曲で、今も世界的に活躍するポップスターのシンディ・ローパーさん。
去年の3月11日、シンディ・ローパーさんを乗せた飛行機は、午後に成田空港に到着する予定でした。
まもなく着陸態勢に入ろうとしていた午後2時46分。
激しい揺れが各地を襲い、成田空港の滑走路が閉鎖されたため、飛行機は名古屋や大阪への着陸も検討されましたが、どこも混雑などで着陸できませんでした。
結局、緊急措置で東京のアメリカ軍の横田基地に着陸したのです。
その後もシンディさんの苦難は続きます。
横田基地では入国審査ができず、飛行機は再び羽田に向かい手続きを終えましたが、羽田空港から乗った車は帰宅困難者などであふれる大渋滞に巻き込まれ、シンディさんが都心のホテルに着いたのは翌日の午前3時ごろでした。
しかし休むまもなく、原発事故のニュースに直面しました。
あえて日本に残ろう
ホテルの部屋のテレビは、刻一刻と状況が深刻化する原発事故のニュースを伝え、シンディさんは食い入るように見入っていたそうです。
原子炉建屋が爆発する事態となって、周囲はアメリカに帰るよう促したということですが、シンディさんは「音楽の力で日本を励ましたい」と残ることを決め、日本ツアーは予定通り行われました。
3月18日に東京・渋谷のBunkamuraのホールで行われたコンサートでは、ヒット曲「トゥルー・カラーズ」の間奏で、ジョン・レノンの「パワー・トゥー・ザ・ピープル」を拳を振り上げて歌い、日本にエールを送りました。
あすがどうなるのか、不安な日々を送っていた観客たちの中には、力強いシンディさんの姿を見て涙ぐむ人も多かったということです。
「ワスレナイ」
当時の心境についてシンディさんは、私たちのインタビューに対し、「原発事故はもちろん怖かったです。でも当時は日本に残るべきだと思いました。日本にいるのだから、今できることをやるべきだと思いました」と話しました。
シンディさんが特に強調したのは、「お互いがお互いのためにいるのだから」ということでした。
「世界ではさまざまな困難があり、どんな人も困難に直面するが、でもだからこそ、お互いがお互いのために存在しているし、お互いが支え合っていけば必ず困難は乗り越えられる」と語っていました。
シンディさんは阪神・淡路大震災の際も被災地の支援活動に当たったほか、アメリカでは同性愛者やその家族を支援する活動に携わるなど、さまざまな困難に直面している人たちにひときわ強い思いを抱いて活動してきました。
なぜ、ことしの3月11日も日本で迎えることにしたのかとシンディさんに尋ねると、日本語で「ワスレナイ」という答えが返ってきました。
シンディさんは、「忘れていないと伝えたいのです。みんなにも被災地や子どもたちたちに何ができるか、私が来ることで思い出してほしいのです」と語りました。
私はこの「ワスレナイ」という言葉がとても重く感じられました。
日本人の立場で考えると、被災地の方でなくても、東日本大震災のような大規模な災害や原発事故などは当然忘れることはないだろうと感じます。
しかし世界を見るとどうでしょう。
私自身、世界で起きている災害や紛争、飢餓や人権問題などを、果たして忘れずにいることができているか。
残念ながらそこまで思いをはせることができていないと気づいたのです。
震災1年を日本で迎える
今月2日に来日したシンディさんは、被災地への訪問を強く望みました。
本来は、公演を前に体調を整えるために設けられていた休日でしたが、それを返上して、5日は予定になかった宮城県石巻市の大街道小学校を訪れました。
体育館で、350人の児童を前にシンディさんはヒット曲を披露し、子どもたちと握手して励ましました。
そして、1メートルほどに育った桜の苗木10本を子どもたちに手渡し、「桜の成長と共に、皆さんも元気になって下さい。いつでも皆さんのことを思っています」と呼びかけました。
震災の発生から1年の3月11日。シンディさんは東京・渋谷でコンサートを行い、その様子は福島市や宮城県石巻市など、被災地の4か所の映画館で無料で中継されます。
シンディ・ローパーさんへのインタビュー(全文)
今月3日に行ったシンディ・ローパーさんへのインタビューの全文です。
Q)震災の発生から1年になりますが、再来日して、まずどのような思いですか?
「きょう(3月3日)はひな祭りの日。ひな祭りの日に戻って来ることができて、うれしいです。コンサートは、被災した県の映画館で無料で上映されます。まだテレビを持っていない人がいるので。ほかの映画館でも募金を募り、津波の被害者の復興に使われます。そうしたことができるのが、うれしいんです」
Q)去年の3月、原発事故への不安が広がるなか、周囲からはアメリカへの帰国を促されたと聞いています。それでも日本に残ろうと思われたのはなぜですか?
「私は安全でしたし、よく分からないけれど、それが正しいことだと思いました。バンドのメンバーもサポートしてくれましたし、私たち自身、危険だと思っていなかったんです。毎日ニュースで、数日前の悲惨な状況が流されていました。そういうサイクルの中で、音楽という気分を変えるものがあることはよいことだと思ったのです。音楽というのは、癒やしの効果があります。そういう方向で私は助けたいと思いました。厳しい時期に、音楽はとても役に立つものです」
Q)原発事故は怖くありませんでしたか?
「それは怖かったですよ。みんなそうですよ」
Q)怖いなかで日本に残ることは、とても大変なことではなかったですか?
「(日本に残ることは)正しいことだと思いました。勇気だとは思っていません。もし、ここで帰ってしまったら、よくないと思ったんです。もう日本にいましたし、これから日本に行こうという話ではありません。だから、日本に残ることは正しいことだと思いました。バンドのメンバーもOKしてくれたので、一緒にいることにしました。私たちの滞在は短いものです。どちらにしてもいずれ、私たちは日本を離れます。しかし、日本の人たちはずっとそこにいるのです。だから日本にいるときに、何であれできることをしようと思いました。夫からも言われたんです。世界じゅうには、ひどいことがたくさんある。どんな人も難しいことに直面する。でも、だから、お互いがお互いのために、存在している。私たちはお互いを支える必要があります。そうすることで私たちは、困難を乗り越えることができるのです」
Q)今回、東日本大震災から1年になるのにあたり、改めて来日しようと思われたのはなぜですか?
「私は日本に来ることが“いいこと”だと思ったんですよ。コンサートの様子を被災した県の映画館で無料で提供する。すごくよいアイデアだと思ったんです。被災した子どもたちにも会いに行ければと思っています」
Q)震災1年の公演では、どのようなメッセージを伝えることにしていますか。
「被災した人たちに『あなたがたは、忘れられていませんよ』ということを伝えたい。そして多くの人たちに、被災地や子どもたちのために、それぞれ何ができるのか、私が来ることで思い出してほしいのです」
(最後に日本語で)「ガンバッテ」「ワスレナイワ」
(3月7日 20:50更新)
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