2011-06-09 小沢は岩手を見捨てた。岩手も小沢を見捨てた

先週、週刊文春と東京新聞により小沢一郎氏と東京電力とのズブズブの関係が暴露されましたが、それでもめげないのが小沢翼賛の日刊ゲンダイであります。
■「小沢待望論」再燃/「次の首相」ヤフー調査で1位(8日付ゲンダイネット)
菅首相が不気味なぐらい地位に執着する政局で、小沢元代表に対する期待が高まっている。
例えばヤフーが実施している「次の首相にふさわしいと思う政治家」の調査。小沢は26%の得票率でトップに立っている。ウォール・ストリート・ジャーナル日本版のネット投票では、現在75%の支持を集めダントツだ。サンデー毎日が今週号(6月19日号)でやっていた脳科学者・茂木健一郎氏とお笑いコンビ・サンドウィッチマンの対談でも「あの人(小沢)ほど東北を知っている人はいない」と首相待望論を展開していた。政治評論家の有馬晴海氏が言う。
「小沢さんは国民に支持されていないし、人気があるのは永田町だけ。そんな解説をする人もいますが、現実は、まったく違います。大手マスコミの調査でも、小沢さんは必ず上位にランクインする。政治とカネの問題など、いろんなマイナス要素について質問された後でも、“小沢”と答える人が多いのです。周りがクールビズでもスーツを着込み、ネクタイすら外さない。こだわりや信念はハンパではないし、リーダーシップも十分。政界がどん詰まりになればなるほど、政界一の剛腕に期待する声が高まるのは当然です」
大手マスコミは、前原前外相や枝野官房長官の名前を出して煽っている。しかし、偽メールにだまされたり、バカのひとつ覚えのように「直ちに問題はない」と繰り返したりする若造に、いったい、何ができるのか。冷静に考えれば、不安だらけだ。
「小沢嫌いの大マスコミは、不信任案の採決で欠席したことを批判し、“小沢も落ちたものだ”と嫌みたっぷりです。小沢外しの大連立構想をうれしそうに報じている。でも、この政局で菅を追い込んだのは小沢さんです。造反はせいぜい20人と予想された中、投票前夜に70人を集め、執行部を慌てさせた。ポスト菅騒動は高みの見物。グループの議員と会合を重ね、結束を維持しながら、次の一手のタイミングを見計らっています」(民主党関係者)
ヤフー調査と聞いて「田母神(俊雄)か!!」と毒づいた私ですが、そんな「政界一の剛腕」の実態を、またもや週刊文春が暴露しています(以下、太文字部分は、岩手県民の声)。
■岩手を見捨てた小沢一郎 有力後援者が続々「絶縁宣言」(週刊文春6月16日号26-28ページ)
「玄関先で話すのはまずい。家に上がって」
岩手県の小沢一郎後援会の現役幹部が、近所の目を気にしながら小誌記者を部屋に通した。彼は座布団にドサッと腰を落とすや、あきれ顔でこう言うのだ。
「新聞やテレビの人たちが小沢についてコメントを求めてくるけど、後援者は誰も喋んないよ。でも、内々ではみんな怒ってる。『小沢はもう終わった』って。小沢から心は離れたね」
かつて“剛腕”と呼ばれた男から、驚くほど政局への冴えが消えている。
「(不信任案のドタバタは)当然の帰結ですよ」
そう総括するのは、国民新党の亀井静香代表である。亀井氏が四月二十四日に小沢氏と会食したときのやり取りを振り返る。
「私は『東北がこれだけやられているんだ。とにかくここは挙党態勢、挙国一致でやるしかないよ』と話したんだが、小沢さんは相変わらず、『菅総理ではダメだ』としか言わない。そんなに菅がダメなら、野党の力を借りるのではなく、小沢さんが自分で菅総理を説得するしかないでしょ、と言ったんだ。それで『展望はあるの?』と聞くと、小沢さんはこう答えたよ。『ない』って」
四月、小沢氏は東京・深沢の自宅に側近議員を集め、「今こそ国民のために行動しなければならない。菅を退陣させるためには不信任案しかないだろ」と、決起を即している。しかし、勇ましい言葉とは裏腹に、どこか中途半端だった。
不信任案採決の二日前、小沢氏と会食した側近の平野貞夫氏に聞くとーー。
「小沢さんも簡単に不信任案が可決されるとは思っていなかった。菅首相が自ら辞任することに期待していたんです。私が小沢さんと会食した晩、鳩山・菅会談があったけれど、鳩山さんの会談結果を小沢さんは期待していました」
だが、昨年九月の代表戦前の騒動を思い出せば、鳩山由紀夫前首相に期待などできないはずだ。“伝書鳩”と揶揄(やゆ)された鳩山氏は菅首相に「トロイカ体制復活」を持ちかけて、大失敗したではないか。民主党関係者はこう言う。
「採決の数日前から、小沢さんは鳩山さんの働きに不満があった。連絡が遅いし、相談なしに勝手に動こうとする。そんな“使えない”鳩山さんしか組む相手がいない点が、小沢さんの致命傷です」
しかし、何よりも小沢氏の凋落を物語るのは、実は地元岩手での酷評なのだ。
不信任案採決の日の朝、小沢氏のお膝元、水沢(現・奥州市)で、地元の名士が集う定期会合があった。
「今日は歴史が変わる日だな」と口にしながら、小沢氏の支援者である彼らは誰もが不信任案可決を疑っていなかった。だが、決して喜んでいたわけではない。
「小沢氏が権力の表舞台に戻ってくることに対して、誰もが会合で『もうウンザリだ』とか『えらい迷惑だ』とぼやいていた。マスコミはすぐ地元を小沢王国と呼ぶが、もう嫌気が差している。水谷建設の事件であまりにもイメージが悪いし、震災後、一度しか岩手に帰ってきていない。しかも、行ったのは県庁だけ。採決の日、我々の会合は午前中で終わり、『家で、国会中継を見るべ』と帰ったのですが……」
ご承知の通り、史上最低の政局が幕を開けた。
「何が、国民の生活が第一だ!」と憤るのは、小沢氏の元選対幹部である。
「そもそも国難の時に頼りになるという期待感が小沢にはあった。ところが、いざとなったら何にもしないことがよくわかった。選挙の時だけ、地を這えと人を動かすのに、被災地に誰も寄こさない。先日、岩手で経営者ら二百人が集まった時、みんな『小沢は地に堕ちた』と避難囂々(ごうごう)でした」
倒閣のために、小沢グループの政務三役五人が辞表を出した騒ぎも致命的だ。そのうち、東祥三・内閣府副大臣は、原子力と防災担当。橘高剛・環境政務官は、がれき処理など災害廃棄物処理の担当責任者である。「ここまで被災地を無視した政局はありえない」と、政治部記者も呆れる。
壊滅的な被害を受けた陸前高田市は、中選挙区時代の小沢氏の選挙区である。政治の停滞が、ここでは深刻な問題を起こしていた。
がれきの撤去をしていた土木業者が訴える。
「県からまだ三月分の代金が全額払われていないんです。重機をリース業者から借りているし、従業員の賃金すら払えない。あんた、女房と子供がいるのに、給料がなくてどうすんの?銀行がカネを貸してくれないから、サラ金に借金している業者もいる。がれきを片づけろと言われても、行政は止まっているし、支援金も義捐金も入ってこない。本当に困ったよ」
「がれき撤去には手をつけないようにしている業者が結構ある。復興計画が確定していないので、タダ働きになるからだよ。今は資材調達に動いているが、小沢派の代表格だった会社が、自民党に頼んでいるほどだ。これまで小沢さんは『用があれば秘書に言え』と言ってきたが、誰も来ないから頼りにならない」
小沢王国を支えてきたのは、建設業者だった。しかし、震災以前から、県内の業者は“小沢離れ”を始めていた。発端は、昨年、公正取引委員会が「談合を繰り返していた」と、県内の八十社を認定。公共事業の指名停止処分と課徴金の納付命令で、自主廃業や倒産に追い込まれる社が出てきたのだ。
「地域で除け者にされたくないという恐怖心から、談合サークルに入っていた業者も、巻き添えを食らった。もう政治活動どころではない」(県政関係者)
選挙のたびに動員を要請され、名簿の提出を求められていた建設業者が、「政治には疲れた」と離れていったのである。そこへトドメの一撃となったのが、震災への無策だった。
小沢氏が被災地を訪れないのは「警備などで迷惑をかけるから」と言われているが、小沢グループに詳しい関係者はこう言う。
「小沢氏は被災地で陳情されるのがイヤなんです。陳情されても『よし、わかった』と言えない。政府に対する力がなくなったから、空手形は切れないのです」
それでも、「人としておかしいだろ」と怒るのは、陸前高田でがれき撤去をする別の土木業者だ。
「二月の市長選挙の時、小沢氏本人や現職の国会議員、県議、県知事まで陸前高田を訪れている(結果は民主党系候補の落選)。そのとき『陸前高田を明るくする』と言っていた連中は、薄情にも来ない。だから、我々市民は『なんだよ、選挙の時だけ来て』と言うんだ。小沢氏は自分の選挙地盤だった所だから、常識があれば顔くらい見せるだろ。
先日も中学一年の子供が、他の子供に『お前だけが悲しんでるんじゃねえ!うちの母ちゃんもじいちゃんも亡くなったんだ!』と叫んでいた。ここにはそういう子供がいっぱいいるのに、一体、国会で偉そうに何やってんだよ!」
被災地のこうした政治に対する激しい怒りは、決してテレビでは流れない。
現在、陸前高田を選挙区とする民主党の黄川田徹代議士は、母親、長男、秘書を亡くし、妻と父親は行方不明のままだ。黄川田氏の支援者が怒る。
「黄川田さんの秘書が遺体で上がった後、焼き場に来た民主党の人間は黄川田さんだけだった。小沢の秘書も、他の民主党の連中も来なかった。死に水を取ることもできないヤツらに、政治なんてできねえよ!」
沿岸部の被災した町を訪ねて歩くと、結局、政治は誰のためにあるのかと考えさせられる。
数年前まで小沢氏に献金し、選挙を手伝っていた建設会社の社長を訪ねると、家族が「もう父は政治に関わっていません」と言う。
震災以来、がれきの撤去を続けた社長は、粉塵で気管支炎になり、高熱を出して倒れたままだという。家族が疲れた表情で話す。
「不信任案採決の日は、やっと家にガスが通ったので、それで忙しくてテレビは見ていません。国会であんなことをやっている時間があったら、こっちに来て作業着を着て、がれきの撤去を手伝ってほしいですよ」
不信任案採決の際、小沢氏が本会議を欠席したことに、小沢グループの一年生議員も失望している。
「小沢さんから欠席する理由を一言も聞かされていません。ほったらかしにされた我々は、ただの数としか見られていなかったということが、よくわかりました」
岩手の後援会支部に話を聞くと、小沢氏の父親の代からの付き合いで「仕方なく後援会に入っているだけ」とさめている人は多いという。最後に、冒頭の後援会幹部がこう言う。
「小沢にとって、我々は票集めの道具でしかない。今、小沢は西郷隆盛の晩節と同じ道を辿っていると思う。ただ、西郷隆盛にとっての故郷の城山が、小沢にとってどこなのか……」
もう手遅れかも知れませんが、小沢氏がやるべき事は、千葉県で釣りをして刺身をかっ喰らう事でもなければ、チルドレンたちとカラオケ店でテキーラを浴びる様に飲む事でもありません。自ら被災地を這って被災者の言葉に耳を傾け、政府官邸に頭を下げて被災者の苦しみを伝え解決に導く事であります。
私たちは、あなたが被災後すぐに地元に帰られて陣頭指揮をしてくれるものと信じていました。
ところが、あなたがされたことは菅さんの足を引っ張って復興を遅らせただけでした。
選挙ということになれば、地元では他に投票する人もいませんので、あなたに投票することになると思いますが、何かを期待してということではありませんので、その辺りをご理解いただきますようお願いします。