阿部重夫発行人ブログ「最後から2番目の真実」
FACTAleaks――対セラーテム戦争17 まだ残る謎 黒幕は誰か
2010年10月09日 [leaks]
この辺で“事件”をもう一度整理してみよう。セラーテムに取材を申し込む前の時点で、FACTAは下記の3つの疑惑に確信を得ていた。
1)セラーテムの北京誠信買収は、前者を「ハコ」にした裏口上場だったのではないか
2)スマートグリッド受注などのIR(投資家向け広報)は、株価つり上げを狙った誇大宣伝(風説の流布)ではないか
3)一連の操作には、東証1部上場の中国企業チャイナ・ボーチーが深く関与しているのではないか
案の定、セラーテムは疑惑に関してまともな釈明も反論もできなかった。ブログで全面公開したFACTAと同社のやりとりを読めば、それは一目瞭然でしょう。
だが、まだ解明できていない大きな謎が残っている。“事件”の本当の黒幕は誰なのかである。セラーテム取締役CFOで元中国人の宮永浩明、北京誠信会長兼セラーテム会長の于文革、中国系ファンド「Wealth Chime Industrial Limited(WCI)」のオーナーの趙広隆、同じく中国系ファンド「New Light Group Limited(NLG)」のオーナーの庄瑩、チャイナ・ボーチー取締役(前CEO)の白雲峰。これらの5人が、何年も前から直接間接に親密な関係だったことは明白だが、一連の操作を誰が主導したのか、それによって誰が一番得をしたのか、現時点では確証が得られていない。また、セラーテムの第三者割当増資を引き受けたWCIとNLGは、英領バージン諸島に登記されたペーパーカンパニーであり、実際の資金の出し手が誰なのか見えない。本当の黒幕は他にいるかもしれないのだ。
謎を推理するのに有効な手だての1つは、ばらばらの情報を時系列で並べ直してみることだ。いつ、誰が、どこで、どんな行動をしていたのか。関連性が薄いと思われた複数の出来事が同じタイミングで起きていたなど、見落としていた意外な事実に気付く事が多い。そこで、FACTAとセラーテムの攻防が始まった8月6日の決算発表会までの時系列情報を公開しましょう。興味のある方は、謎解きに加わってください。
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2000年10月 宮永浩明がセラーテムに入社。取締役経営管理本部長に就任
2001年12月 セラーテムが大証ヘラクレス(当時はナスダック・ジャパン)に上場
2002年(日付不明) 庄瑩が「北京華電恒盛電力技術(代表者は于文革)」に入社、副総裁に就任
2002年6月 「北京博奇電力科技(チャイナ・ボーチーの中国の事業主体)」が創業。趙広隆と庄瑩が同社のコンサルタントに就任
2002年11月 宮永浩明が病気を理由にセラーテムを退社
2003年2月 セラーテムが突然の赤字転落を発表し、株価が暴落。創業者が持ち株を売り抜けた疑惑が浮上
2003年10月 北京博奇の経営陣がMBO。程里全(現チャイナボーチーCEO)が事実上のオーナーに
2003年12月 チャイナ・ボーチー(持ち株会社)が英領ケイマン諸島に設立
2004年12月 「北京誠信能環科技」が創業
2006年4月 中国農業大学と北京誠心能環の提携式典に、于文革が総経理、庄瑩が人力資源部長の肩書きで出席(セラーテムは「庄瑩は顧問だった」と主張)
2006年9月 宮永浩明がチャイナ・ボーチーの副総裁に就任
2006年末 チャイナ・ボーチーCEO(当時)の白雲峰が、宮永浩明に趙広隆と庄瑩を紹介
2007年5月 趙広隆が英領バージン諸島に「Wealth Chime Industrial Limited(WCI)」を設立
2007年8月 チャイナ・ボーチーが東京証券取引所第1部に上場
2008年5月 趙広隆が共同事業主を務める山西省の発電所建設プロジェクトにチャイナ・ボーチーが出資
2008年末 セラーテムの株価がリーマンショックの影響で5000円台に下落、時価総額がヘラクレスの最低基準を割り込む
2009年1月 セラーテム取締役(現社長)の池田修らが宮永浩明に連絡し、経営再建への協力を依頼。宮永浩明が趙広隆、庄瑩に連絡し、協議を開始
2009年4月15日 庄瑩が英領バージン諸島に「New Light Group Limited(NLG)」を設立
2009年4月下旬 趙広隆が来日し、宮永浩明、池田修らと詰めの協議。庄瑩も電話で参加
2009年4月30日 セラーテムが社長交代を発表。7月1日付で今井一孝社長が辞任し、池田修取締役が社長に昇格
2009年5月 于文革が北京市供電局を退官し、“民間人”に。関連会社である「北京京供誠信電力工程」の社長も辞任(登記簿上の代表者交代は2009年12月)
2009年6月1日 セラーテム取締役で経営陣およびWCI、NLGへの第三者割当増資と、宮永浩明の顧問就任を決議。代表取締役社長の今井一考は反対したが、取締役の池田修と藤本秀一が押し切った。同日中にIRを発表
2009年6月5日 既存株主が新株発行差し止めの仮処分を東京地裁に申し立て
2009年6月15日 庄瑩が北京誠信能環副社長の肩書きで北京の環境フォーラムで講演(セラーテムは「庄瑩は顧問だが、便宜上、副社長の肩書きをつかうことがあったかもしれない」と主張)
2009年6月19日 既存株主が東京地裁への申し立てを取り下げ
2009年7月3日 セラーテムの第三者割当増資が完了
2009年8月5日 于文革と于文翠(姉または妹とみられる)が北京誠心能環の株式の34.81%を取得(日付は登記簿上の記録)
2009年8月10日 セラーテムが北京誠信との戦略提携を発表
2009年9月17日 宮永浩明がセラーテムの取締役CFOに就任
2009年10月20日 セラーテムが中国に100%子会社「科信能環(北京)技術発展(代表者は于文革)」を設立
2009年11月13日 セラーテムが北京誠心能環の子会社化、WCIへの第三者割当増資を発表(外資規制を回避するため北京誠心能環には直接出資せず、科信能環と排他的契約を結ばせて支配するスキーム。費用は15億円)
2009年11月30日 セラーテムの臨時株主総会で第三者割当増資を承認。北京誠信能環会長の于文革がセラーテム会長に就任。同社長の王暉と同取締役の蔡静偉がセラーテム取締役に就任。東京大学名誉教授の高橋満がセラーテム社外取締役に就任(取締役7名のうち4人が中国出身者に。高橋満はチャイナ・ボーチーCEOの白雲峰経由の紹介で就任)。セラーテム社長の池田修が北京誠信能環取締役に就任
2009年12月16日 白雲峰がチャイナ・ボーチーのCEOを辞任し、副会長に就任(程里全による事実上の更迭か)
2009年12月21日 セラーテムが北京誠信能環の子会社化完了と「負ののれん」の発生を発表。第三者割当増資の結果、WCIが49.56%を保有する筆頭株主に。NLGも引き続き4.56%を保有(裏口上場が完成)
2009年12月22日 セラーテムが業績予想を上方修正。北京誠信能環の従業員にストックオプションを付与
2010年2月1日 セラーテムが業績予想を上方修正
2010年3月26日 セラーテムが「科信能環が発電所・製鉄所向け大型省エネ事業とスマートグリッド事業に参入する」と発表。株価は2週間で2倍に
2010年5月28日 セラーテムが業績予想を上方修正
2010年6月25日 白雲峰がチャイナ・ボーチー副会長を辞任(取締役の肩書きは残したが、業務は担当せず)
2010年6月末(または7月初) セラーテムが北京で科信能環の開業式典。于文革、宮永浩明らとともに白雲峰が出席
2010年7月15日 華北電力大学(白雲峰の母校)で行われたイベントに、白雲峰が科信能環CEOの肩書きで出席(セラーテムは白雲峰の科信能環CEO就任を否定)
2010年7月16日 セラーテムが「北京誠信能環が地域内スマートグリッドの建設プロジェクト2件を受注した」と発表
2010年7月30日 セラーテムが「北京誠信能環が次世代送電網のプロジェクトを受注した」と発表
2010年8月3日 セラーテムの株価が直近の最高値(14万9900円)を記録。7月からの1カ月で5割上昇。1年半前の30倍
2010年8月6日 セラーテムが東京の大和証券の会議室で取締役会を開催し、白雲峰が科信能環のCEOとして出席。同日、2009年6月期決算を発表
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この続きはまた次回。
投稿者 阿部重夫 - 08:00| Permanent link | トラックバック (1)