ここから本文エリア 現在位置:高校野球>コラム>恒川直俊 記録で読む甲子園> 記事 同一大会で選手宣誓と優勝旗授与のダブル栄誉の主将2007年05月01日 毎年開会式の選手宣誓を見ていて、選手達の堂々とした姿には感心させられる。 従来は組み合わせ抽選会で1番くじを引いた主将が選手宣誓を行うこととなっていたが、平成13年夏から立候補制となり、手を上げた希望の主将達で抽選して決めるようになった。センバツは平成14年春から選手宣誓をする主将を高野連の会長がくじを引いて決めている。 宣誓のスタイルも夏は宣誓する主将だけが前に出て壇上で宣誓するが、センバツはその後ろに他校の主将全員が半円になって昭和12年から贈られるようになったセンバツ旗を持って並ぶ。それぞれが春・夏の特色を出している。 昭和35年春には沖縄が新たに地区選考の対象となり、那覇高が初出場したのを記念して特別に那覇の牧志清順主将が宣誓する粋なはからいもあった。 また、昭和62年春には京都西の上羽功晃主将が英語で宣誓したり、平成10年春には同じく京都西の三好剛主将が初めて手話つきの宣誓をしたりして話題を集めた。今年はどんな工夫をこらすのだろうかと何時も楽しみにしている。 さて、選手宣誓の栄誉に浴しながら尚且つ優勝してその手に優勝旗を握ったダブル栄誉の輝かしい経験をした幸運な主将がこれまで春・夏通じて8名いる。(別表1) 春は3名、夏は5名で、第1号の広島商の杉田栄主将は、大会2校目の夏2連覇を達成した時の三塁手。昭和8年夏の中京商の吉田正男主将は、大会初の夏3連覇を達成した時のエースで、昭和8年はその最後の年だった。 昭和28年の松山商の小川滋主将は、後年、滋夫と改名し、昭和29年から6年間中日でプレーしている。 平成10年夏の横浜の小山良男主将(現中日)は、今年からレッドソックス入りした松坂大輔投手が、決勝戦で京都成章をノーヒットノーランに抑えて、大会5校目の春・夏連覇を達成した時にバッテリーを組んだ捕手だった。 変わった所では、平成13年夏に松山商の石丸太志主将が選手宣誓をしたが、惜しくも準決勝で近江に敗れた。兄の石丸裕次郎捕手は平成8年夏に優勝したが、主将でなかったし、その時は中越の儀同謙一主将が選手宣誓をしていた。兄弟であわせれば、宣誓と優勝を経験した事になる。 また、平成16、17年夏に連覇した駒大苫小牧の林裕也主将は(平成16年は2年生で主将ではなかった)平成17年春に選手宣誓をしており、春宣誓、夏優勝と異なった大会での経験となった。 長い大会の歴史の中で同一大会ではたった8名しかいないこのダブル栄誉を、次に手にするのは何時、誰であろうか? 恒川直俊(つねかわ・なおとし)
1940年、名古屋市生まれ。明治大法学部卒。高校野球を中心とした野球史の研究に取り組む。著書に「プロ野球で活躍する甲子園球児の戦歴事典」(2000年東京堂出版、2003年改定)、「出身校別懐かしの甲子園球児たち」(2005年東京堂出版)、「熱球譜‐甲子園全試合スコアデータブック」(2006年東京堂出版)などがある。
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