まずはじめに、お断りしておかねばならぬ事がある。
このリレーエッセィは、ある者があるものを書き、それを名指しである者に送る。
送られたある者は、一ヶ月以内にやっぱりあるものを書き、それをある者に送る。
これ、いわば幸福の手紙の麻雀版である。
もちろん、送られた方は幸福どころか不幸の矢を射られたようでたまったものではない。
しかし、こんな読み物が麻雀ファンや仲間の見る楽しみとなれば幸いである。
(ホームページ編集部)
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第2回:滝沢 和典
お世話になっている荒正義プロからの御指名とあっては、放っておくわけにはいくまい。
では、自分の麻雀に対する構え、そして考え方について少々お時間を。
人それぞれ、麻雀に対しての接し方が違う。
麻雀店のメンバーや打ち子として、勝ち負けがそのまま生活に直結している人、競技麻雀プロ、麻雀教室の講師、ライター、趣味としてたまに打つ人、等。
どんな形で接しているにせよ、麻雀を打つ時には必ず勝ち負けがつきまとう。
そして誰しもが、勝つためにはどうするかということを考える
麻雀という競技の性質上、一日単位の常勝は無理に等しい。
が、目指すところは勝率10割。
勿論、麻雀においては到底無理な数字だが、目標設定としてはそのくらいの心持ちのほうが良いのではないだろうか。
特に、自分の様に生涯プロとして打ち続ける者に取っては、その一戦一戦を消化するごとに、確実に実力を高めていかなければならないと思う。
4〜5年前、前原プロによる麻雀研究会『前原塾』で教わった概念、
「ノーテン罰で勝負は決まらない」
これはかなり衝撃的だった。
競技麻雀においてそうなのだから、他のルールではなおさらだろう。
現在、巷で行われている麻雀は、赤入りだったり東風戦だったり、或いは三人打ちだったり、実に多種多様だ。
麻雀プロを名乗る者にとって、麻雀と名の付くもので負けるわけにはいかない。
ルールに対応するのは勿論、相手のレベルやスタイルにも対応する。
そこで必要になってくるのが、確立された基本技術。
まず、セオリーや基本手順をしっかりと習得すれば、自分の核となる部分が出来上がる。
それだけでも充分勝負になるだろう。
しかし、プロと名乗る人間には、それより先のことも要求される。
強くなければ話にならないが、ただ勝つだけではなく勝つにも自分の型で勝てる様になることが必要。
強い打ち手は何人もいるが、脚質や戦法が似たタイプであっても、全くの同型というのは存在しないのではないだろうか。
これは麻雀に限らず、格闘技、野球、競輪等、勝負事全般にいえる。
核となる部分がしっかりしていれば、こうでなければいけないということはないのだ。
自分が一番しっくりくる自分流の打ち方で良いのである。
技術的に、と言う事以外に精神的にもあるのでは?
先日、吉祥寺『ダンヒル』で麻雀を観戦していると、こんなことがあった。
A氏の手牌
         ポン  ドラ
完全な發のバック仕掛け、
ここにあがれない を持ってきた。少考して打 、一手でトイトイに変化する。
次巡ツモ切り 、次のツモも 、ツモ切り。捨て牌に   とアンコでならんだ。
直後の下家の を大ミンカン!
リンシャンから をツモあがった。
対戦相手からは罵声が浴びせられた。
次回の半荘もA氏がトップで、その卓は割れてしまった。
自分がA氏の立場だったら、瞬時にカンの声が出るだろうか?
視点を変えれば、罵声を浴びせられるようなことではない気がする。
確かに捨て牌は下手に見えてしまうが、それは単なる結果であって、
カンのタイミングやトイトイへの渡りを考えれば、逆に絶賛すべき打ち筋である。
ただ負けを人のせいにして頭にきているだけだ。
結果を出している人に対して、ひとまず肯定的な目線で見ないことには、一生くだらない常識の範疇から抜け出せない。
それを意識し始めることができれば、人の長所を吸収し、日々進化していく自分を感じることができるようになるであろう。
ほかにも、体調の管理、対局前のテンションの上げかたや集中力の高め方、そしてその保ち方、等、課題となる部分はたくさん有る。
数ある世界の中からわざわざこの世界を選んだのだから、それぞれが納得いく形に近づいていければよいのではないだろうか。
形にとらわれず、自分自身のスタイルを創り上げて行きたい。
では、そろそろこのあたりで。
次回は新鳳凰位の望月さん、よろしくお願いします。
文責:滝沢 和典
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