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Focus
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化学物質の影響
東北地方太平洋沖地震と津波による汚染と除去
著者
Winifred A. Bird
と
Elizabeth Grossman
は、日本の長野県とオレゴン州ポートラン(
Portland, Oregon
)のそれぞれのオフィスから、東日本大震災の余波を追跡した。被害の全貌を把握し、化学物質汚染とそれらによる潜在的な健康被害が津波の後、どのように扱われているかを知るために、
Bird
は被害の大きかった茨城県、岩手県、宮城県を訪れた。一方
Grossman
は、被害を受けた企業と化学物質の情報、そしてこれらの問題が米国(
United States
)でどのように扱われるかを検討した。
日
本の本州東北地方沿岸部を襲った史上最大の地震と津波から30日後、宮城県 石巻市 は荒廃した状況だった。産業、工業の盛んなこの港町
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は、震源に近く、東北地方で最も被害の大きかった地域のひとつであった。崩壊した家々、骨組みだけとなった工場、がれきの山が、ほこりまみれの通りに連なっていた。つぶれた車は廃棄場に積み重なり、壊れた船舶用コンテナは、陸地に乗り上げていた。壊れたオイルタンクからは、黒い液体が漏れ出しており、農薬の袋は玉虫色の水溜りに浸かっていた。「化学物質貯蔵庫」と書かれた倉庫のドアは外れて開いており、中には何も残されていなかった。町の人達や救助隊員がこの広大な荒廃した地域を歩いたり、家に残されたものを拾い集めたり、あまりの被害の大きさのため動けなくなったかのようにこの現実離れした眺めをただじっと見つめていた
2
。
2011
年
3
月11日のマグニチュード
9.0
の地震と津波は、沿岸部561平方キロメートルが浸水し、内陸
2011年3月、宮城県気仙沼の荒廃した町で通り道を作る男性
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