南相馬市原町区の介護老人保健施設「ヨッシーランド」は東日本大震災で津波に襲われ、36人が死亡、1人が行方不明になった。市が作成したハザードマップは、施設にまで津波が押し寄せることを想定していなかった。その時、何が起き、職員はどう動いたのか。関係者の証言から検証する。(敬称略)
■3月11日
【午後2時46分、東日本大震災が発生】
「ウィン、ウィン、ウィン」。携帯電話から突然、緊急地震速報の警告音が鳴った。事務所で書類確認をしていた事務長の小林敬一(61)は直後の激しい揺れに動転した。火災警報音がけたたましく響く。人の出入りがないのに自動ドアが激しく開閉した。揺れが収まると、廊下に出て叫んだ。「早く避難を。出入り口を全て開けろ」
敷地内には介護老人保健施設、訪問看護、在宅介護支援、認知症高齢者グループホームの各施設があった。当時、入所者やデイサービスの利用者は合わせて約140人おり、職員は60人ほどが勤務していた。職員は、車椅子や介護用ベッドに乗せたまま利用者を駐車場に避難させた。
駐車場はアスファルトに亀裂が入り、冷たい浜風が吹き付けていた。入浴中の利用者は全裸に近い状態だった。フェンスにブルーシートを張って風が吹き込むのを防ぎ、強烈な余震がやむのを待った。
【午後2時49分、大津波警報発令】
「津波は大丈夫だろうか」。職員の1人が言った。入所棟介護長の大井千加子(50)は、施設の近くにある防災無線を見上げたが、呼び掛けは何もない。消防車が巡回して避難を求めている様子もなく、大津波警報が出ていることを誰1人知らなかった。この頃、南相馬消防署に向かった男性職員は署員から「万が一に備え、高台に避難した方がいい」と告げられていた。
火災に備えた避難訓練は何度もしていたが、津波を想定したことはなかった。市が平成20年にまとめたハザードマップでも、津波被害の想定区域に含まれていない。とりあえず5~600メートル離れたテクノアカデミー浜の体育館に避難することを決め、近くにいた利用者を職員の車に乗せた。道路は他の避難車両で渋滞し始めていた。