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視点・論点 「米軍完全撤退後のイラク」2011年12月28日 (水)
日本エネルギー経済研究所研究員 吉岡 明子
アメリカのオバマ大統領は今月14日にイラク戦争の終結を宣言し、その4日後、イラクからの全ての米軍部隊の撤退が完了しました。2003年のイラク戦争は、わずか3週間程度で首都陥落に至り、旧フセイン政権は崩壊しましたが、その後の国家再建に足をとられる形で、米軍のイラク駐留は9年近くに及びました。今日は、米軍が撤退した後のイラクがどのような問題に直面しているのかを、考えていきたいと思います。
そもそも、米軍が撤退するきっかけとなったのは、2008年に、イラク政府と当時のブッシュ政権との間で結ばれた地位協定でした。地位協定には、2011年末までの米軍完全撤退が定められており、その前段階として、2009年6月にイラク市街地からの米軍の撤収、2010年8月には戦闘部隊の国外撤退と、徐々に米軍がイラクの治安維持の最前線から退いてきました。
イラクの治安情勢は、2005年から2007年頃が極めて悪く、大勢のイラク人が国外へ避難する状況でした。その後、情勢は改善していますが、今でも1ヶ月あたり200人以上の民間人の死者が出るという状況が続いていますから、決して他の国と同様に安全になったとは言えません。そもそも、地位協定を締結した2008年当時、長引く戦争に終結の目処を付けたい米国側と、2009年の地方選挙及びその翌年の議会選挙を控えて、有権者に米軍の占領終結への道筋を訴えたいイラク側の、双方の政治的事情が存在していました。そのため、2011年になって改めて、本当に撤退するのか、それとも駐留を延長するのかが、両政府間で話し合われることになりました。
イラク政府は、議会も含めた国内世論の動向から、現状の形での駐留延長は極めて困難だとの認識のもと、米軍のうち、イラクの軍隊や警察の訓練にのみ特化した、小規模の訓練部隊を残すことを米国側に求める、という決定をしました。しかし、その際、地位協定で保証されていた米軍兵士への免責特権を認めないという方針を打ち出しました。イラクでは、これまでに米軍による攻撃や誤爆による死者が多数出ており、さらには拘留者に対する虐待事件が明るみに出たこともあり、今後も引き続き、米軍兵士に免責特権を付与することはできない、という判断は、イラク政府にとって譲れない一線でした。一方で、米国政府にとっても、依然として毎月のように死者が発生する「戦地」へ兵士を送り込むにあたっては、免責特権の確保は同様に譲れない一線でした。
そうしたことから米軍の駐留延長交渉は決裂し、米軍は地位協定が定める通り、年内いっぱいで撤退することになりました。このように、地位協定も、その後の延長交渉も、イラクの治安部隊が治安を維持できるかどうか、という判断よりも、両国それぞれの政治的な事情が優先されて決定されてきました。現在のイラクの治安部隊は、現場の治安維持はある程度任せられるものの、再建が遅れている空軍や海軍は十分に機能しておらず、対外的な脅威に極めて脆弱な状態にあります。さらに、国内の治安を維持する部隊も、例えば諜報活動や医療支援、物流手配など、後方支援の能力も十分でないと指摘されています。
そして、ここ3年間くらいの間に、マーリキ首相が治安部隊を強力に掌握し始めていることが、より大きな問題として指摘できます。マーリキ首相は2006年から首相の座に就いており、2007年頃から、首相直轄の治安組織を各地に立ち上げ、国防大臣や内務大臣、軍のトップなどを経由しないダイレクトな命令系統を構築してきています。彼が首相に就任した頃は、国内治安情勢が極めて悪い一方で、イラク軍の規模も指揮系統も十分に整っておらず、治安改善のための軍事作戦を実行に移すために、首相のもとにこうした強い権限の掌握が必要とされた、という側面は否定できません。しかし問題は、議会や閣議などによる首相権限へのチェック機能が働いておらず、首相が権力を乱用しているとの批判を呼んでいることにあります。
昨年の総選挙において、マーリキ首相が率いる法治国家連合は第2党となりましたが、長い組閣交渉の末に主要政党がすべて参加する挙国一致内閣を組織し、再び首相として続投することに成功しました。第二期政権においても、マーリキ首相は特に治安権限の掌握を重要視していますが、そうした姿勢は、連立のパートナである他の政党から、強い反発も招いています。組閣した時には、選挙で第二党となった法治国家連合が首相ポストを得る代わりに、第一党のイラーキーヤは、内閣とは別に国家戦略会議という組織を新たに立ち上げ、その議長ポストを得ることで、権力を分掌するとの合意がなされていましたが、その後、この会議が持つ権限を巡って交渉が暗礁に乗り上げ、結局この案は立ち消えになってしまいました。また、当初の合意では、イラーキーヤが国防大臣ポストを得ることになっていましたが、その人選を巡っても交渉に決着がつかず、結局、マーリキ首相が自分の腹心の人物を大臣代行という形で、議会承認を得ないまま、事実上の国防大臣に就けています。
さらに、旧フセイン政権の支配政党であった旧バアス党の党員の扱いを巡っても、政治対立が激しくなっています。マーリキ首相を初めとする政権幹部には、米軍撤退のタイミングを狙って、バアス党がクーデタを起こして政権転覆を図るのではないかという疑心暗鬼がある模様で、10月頃から、旧バアス党員を対象に大規模な逮捕キャンペーンを繰り広げていました。これに対して、政党のメンバーに旧バアス党員も含んでいるイラーキーヤは、首相が明確な根拠もなく不公正な逮捕を乱発していると反発を強めていました。
そして12月19日、第二次マーリキ政権発足からちょうど1年をむかえるタイミングで、そして米軍撤退と時を同じくして、テロ事件に関与しているとの疑惑から、イラーキーヤに所属するハーシミ副大統領に逮捕状が出されるという事態が発生しました。また、これまでにしばしばバアス党員の立場を擁護し、マーリキ首相こそ独裁者だ、との批判を続けていたイラーキーヤのムトゥラク副首相に対しても、首相は不信任の意向を議会に伝えており、挙国一致内閣は現在崩壊の危機にあります。
こうした対立は、基本的には政党間の党派対立ですが、法治国家連合が南部のイスラーム教シーア派住民が多い地域を支持基盤とし、一方のイラーキーヤは中部のスンナ派住民が多い地域を支持基盤としていることから、宗派対立を起こそうとするテロ・グループにとって利用しやすい対立であるという側面があります。また、政治勢力のほとんどが武力を保持していますから、政治情勢の不安定化が、治安情勢のそれにつながりやすいという懸念があります。
今回の政治危機は、米軍が去った後のイラクの安定性が、極めて危ういものであることを露呈しました。先週の22日には、バグダードでおよそ60名の死者が発生する大規模テロも起こっています。しかしながら、不安定ながらも安定が継続する余地があるとすれば、それはイラクの政治各派の妥協と協調によってのみ、可能になることは疑いありません。それは、米軍の撤退前も、そして今後も、変わらないものだと考えられます。