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「何、取材してんだ」/3・11取材ノート

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12年2月、約1年ぶりに再会した菊田明雄さん
12年2月、約1年ぶりに再会した菊田明雄さん

<東日本大震災から361日 忘れない3・11>

 寝たきりの父と看病する母がいない。53歳の女性は最愛の両親を捜し途方に暮れていた。最寄りの避難所に両親の名前はない。3月12日の午後2時。まだ望みはあるはずだが「遺体安置所はどこですか…」と尋ねられた。大粒の涙があふれていた。口にしたくない言葉だった。だが、そうするしか前に進めなかった。

 それだけ仙台市若林区荒浜の被害は甚大だった。それでも「近所の2人も見つからない。70代なのに、いつもうちの両親を手伝ってくれた。(両親を)助けてくれて巻き込まれたのかも…」と他人を気遣う姿に、思わず涙がこぼれた。

 翌13日、宮城県利府町の遺体安置所を取材した。記者仲間が遺族に「何、取材してんだ!」と胸ぐらをつかまれていた。それでもこの惨状を伝えるために取材を続けた。ここにも両親を捜す女性がいた。31歳。顔面蒼白(そうはく)で安置所から出てきた。その日は彼女の父の誕生日だった。母と一緒にプレゼントを選ぶ相談をしていたという。結婚して両親を喜ばせたかったとも話した。掛ける言葉が見当たらなかった。

 震災直後問題になった「孤独老人」にも直面した。石巻市の1人暮らし菊田明雄さん(91)に先月会いに行った。震災後「肺を悪くしてな、手術したんじゃ」。昨年よりやせ細り、声はかれていた。それでも1人、夕食の準備をし、たくましく生きていた。

 当時私は仙台市の中心に住んでいた。沿岸部に比べたら被害は極めて小さい。そんな記者が生死をさまよった被災者に話を聞いていいのか常に葛藤したが、多くの方が親切に対応してくれた。まだ1年。支援の手を緩めてはいけない。【三須一紀】

 [2012年3月6日8時33分 紙面から]







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