東日本大震災:「故郷を離れ定住」10ポイント増の63%

2012年3月6日 21時36分 更新:3月6日 22時27分

 東日本大震災発生1年を前に、被災地から全国に避難した人たちを対象に毎日新聞が震災半年に引き続き実施したアンケートで、63%が「故郷を離れて定住を考えている」と回答した。前回調査(54%)から約10ポイント増加した。被災地に戻ることを考えている人も、53%が帰郷の時期を「見通せない」と答えた。東京電力福島第1原発事故や津波被害からの復興の遅れで、1年たっても帰郷の展望を見いだせない避難者の姿が浮き彫りになった。

 アンケートは震災半年の昨年8~9月に続いて2度目。半年前の回答者に質問し、今年2月、全国の避難者129人から回答を得た。元の居住地は、福島県102人▽宮城県24人▽岩手県2人--などで、福島からの避難者が約8割だった。

 被災地に戻らない理由を複数回答で聞くと「被ばくが不安」が77%と最多だった。続いて、「被災地で暮らすのがつらい」27%▽「仕事が見つかった」23%▽「子どもが学校になじんだ」16%--と続いた。避難が長引く一方で、新たな生活が根付き始めている様子がうかがえた。

 「自宅が津波で流され、思い出すとつらいことばかり」(80代女性、神奈川県)など、癒やされない心の傷を訴える声もあった。

 避難生活でストレスを感じている人は60%(震災半年で66%)、避難後に体調の変化がある人は60%(同61%)と大きな改善は見られなかった。「仕事が見つからず、いつ福島に戻れるかも分からない」(50代男性、福岡県)、「震災前のような人間関係を作れない」(40代女性、新潟県)など、不慣れな土地で続く先の見通せない生活が心身両面に負担をかけている様子がうかがえた。

 故郷の人々とのつながりが「ある」としたのは87%(震災半年で86%)で横ばいだったが「最初に比べて連絡する回数は減っている」(60代男性、石川県)といった声もあった。地域での避難者同士のつながりが「ある」とした人も51%で、震災半年(63%)から減少した。

 原子力発電の今後について、福島からの避難者の考えは▽即時廃止40%▽時間をかけて廃止56%▽存続させるべきだ4%--だった。【まとめ・川口裕之】

 ◇厳しい避難生活 心身不調の訴えも多く

 毎日新聞の県外避難者アンケートの自由記述からは、東日本大震災から1年を経てもなお避難生活を続けざるを得ない被災者の厳しい暮らしぶりが伝わってくる。心身の不調を訴える人も多く、状況は震災半年から改善しているとは言い難い。

 宮城県気仙沼市から福井県坂井市に移った女性(48)は雑貨店を始めたが「古里の言葉で話せず、仕事に慣れるまでストレスを覚えた」と打ち明けた。折れそうな心を救ったのは、故郷に残った友人らとの電話でのやりとりだったという。

 福島県浪江町から名古屋市北区に移った女性(63)は「家も車も置いてきた。補償をきちんとしてほしい。震災直後に避難した場所が放射線量の高い地域で、独身の娘への5年後、10年後の影響が心配」と訴えた。同県南相馬市から新潟県長岡市に逃れた男性(52)は「大雪で車で外出するのが怖い」と記した。進学を控えた子供たちは横浜市の親戚宅で暮らし、心細さを募らせているという。

 仕事が見つからなかったり避難生活に伴う出費のため、経済的な不安を抱える避難者も少なくない。被災した宮城県多賀城市の自宅を取り壊し、神戸市に移った男性(66)は「都会では採用の年齢制限が厳しい」。南相馬市から北九州市に避難した男性(31)は失業保険を受けるが「現金ではなく、就労支援などの生活基盤を立て直す支援を」と訴えた。

 沖縄県宮古島市でパート従業員として働き始めた女性(50)は仙台市の自宅が半壊した。仕事のため地元に残った夫とは離ればなれで、「子供に寂しい思いをさせているのがつらい」と書き込んだ。宮城県石巻市から神奈川県松田町に移った女性(80)は震災前から体重が12キロ落ちたという。津波で自宅を失い「何もなくなり、思い出すのはつらいことばかり」と明かした。【まとめ・平川哲也】

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