日本統治下の朝鮮における教育

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


 

平成21年7月3日金曜日くもりのち雨

朝鮮における日本語普及率
 「一九四二年には全人口の二〇%に当たる五〇〇万人強の朝鮮人が日本語を解したのである」

中川八洋『歴史を偽造する韓国』のP五八(中川氏は森田芳夫『韓国における国語・国史教育』からの引用)

 我が国が朝鮮人に対して「言葉を奪って」、日本語の強制をした結果がこの程度です。

 一九一〇年(明治四三年)併合後の日本は学校教育で朝鮮語を必修課目とした。この教科書の作成を通じ、綴字法の統一、標準語の制定、普及が進んだのである。
勿論韓国教科書で主張する朝鮮語研究会、朝鮮語学会が大きく貢献した事は言うまでもない。
 朝鮮語は一九三七年(昭和一二年)まで必修であり、その間に初等教育の普及は大幅に進んだ。併合時書道を含め、十%程度だった就学率は一九三七年には三六%に達している。これと共にハングルは普及したのである。ハングルの普及に最も貢献したのは、朝鮮人自身としても、日本の貢献も合わせて評価すべきである。
(中略)
 なお毎日申報は終戦までハングル文字の新聞を発行していた。
『「植民地朝鮮」の研究』(杉本幹夫 展転社、二〇〇二年、p.七九)

 日本では、「日帝三十六年」の「七奪」の一つとして、朝鮮人の言葉を奪ったという批判がずっとまかり通っている。じつは南総督時代以後、非常時にさいしての「国語(日本語」)の奨励策はあったが、朝鮮総督府による朝鮮語使用禁止という政策はなく、この見方は真っ赤な嘘である。

 日本帝国主義による対朝鮮教育侵略の特徴は、韓国民衆を徹底的に日本化、つまり「愚民化政策」に重点をおいて展開したとか、「日帝三十六年」の教育政策によって、戦後の韓国人は、どうしようもない状態に陥ったなどという見方も歴史歪曲である。

 朝鮮人から言語を奪った張本人であると批判されている南次郎総督でさえ、朝鮮人から朝鮮語廃止の建策に反対したのが、歴史的事実である。
 たとえば、「日本人以上の日本人」といわれた玄永燮や、「三・一独立運動」で三十三人の民族代表の一人であった朴煕道は「朝鮮語使用の全廃」を主張していたとき、南総督は、むしろ極力反対してこう語っている。
 「朝鮮語を廃止するのはよくない。可及的に国語を普及するのはいいのだが、この普及運動も、朝鮮語廃止運動と誤解されることがしばしばあるくらいであるから、それはできない相談である」(林鐘国著『親日派』御茶の水書房)
黄文雄『歪められた朝鮮総督府』(光文社 一九九八年刊)P一六五〜一六六より

 

初めて民衆に八ングルを普及させたのは、日本だった

 ハングルは李朝が滅びるまで、オンムンと呼ばれて、女や子供のための文字として蔑まれていた。エリートである両班たちは慕華思想に凝り固まっていたので、漢文しか使わなかった。

 首都の漢城と呼ばれたソウルには、中国の属国あることを示す迎恩門と、慕華館があった。李朝の歴代の国王は中国から勅使が来ると、迎恩門まで出迎えて、臣下としての礼をとらなければならなかった。慕華館は使節の宿舎であった。

 ハングルは一四四三年に、李朝四代目の世宗王のときに考案された独自の文字であったにもかかわらず、その後、李朝を通じて、国字としての正統な地位が与えられることがなかった。

 これは日本がカナを公文書にも用いたのと、対照的であった。もしハングルが日本のカナと同じように使用されたとしたら、民族として自立的な意識を強めて、中国という妖怪を崇める慕華思想の呪縛から脱することができただろうが、そうならなかったのは残念なことである。日本の独特なカナは、日本の文化的独立を強める役割を果たした。

 ハングルは、音を表す要素を組み合わせてつくられる音節文字だが、韓国語も漢字と、日本語のカナに相当するハングルを混ぜて書かなければ、自由に表現することができない。朴正煕政権のもとで民族主義を発露するために、一時期、漢字の使用をいっさい排したことがあったが、これはカナだけを使って日本語を表記するのと同じで、不便きわまりなかった。

 ハングルが全国民に教えられるようになったのは、日帝時代になってからのことである。韓日併合の翌年千九百十一(明治四十四)年から、総督府によって朝鮮教育令が施行され、初、中、高等学校で朝鮮人、日本人の生徒の区別なく、ハングルを必修科目とすることに決められた。

 もちろん、朝鮮教育令は朝鮮人を、忠良な日本国民に仕立てることを目的としていた。私が日帝時代に小学校へ通っていた時は、朝鮮語がよくできる日本教師は、月二円の加俸があった。当時の一円は今日の日本円の数万円に相当しただろう。

 もっとも、昭和十年代に入ってから「皇民化教育」が強められると、日本語が強調されて、ハングルが教えられなくなった。だがハングルをはじめて韓国民に教えた総督府の功績も、忘れてはならない。

崔基鎬『韓国堕落の2000年史』(詳伝社 二〇〇一年刊)P一一六〜一一八

 総督府は明治44年(1911年)7月に、「諺文綴字法研究会」を作り、現代ソウル語を標準語として「普通学校用諺文綴法」を決定し、教科書として採用した。そのとき、諺文は国字・国文としての言語体系としては未熟であり、そもそも婦女子用のものだから、教材として使えるものはきわめて少なく、当時の教育関係者には、苦労談が多かった。
黄文雄『歪められた朝鮮総督府』p百六十八


(一九〇六〜一九一〇年)

学年
国語(朝鮮語) 24
漢文 16
日語(日本語) 24

 

 

併合時代の小学校国語(日本語)教育

学年

1911年10月 普通学校規則 国語(日本語)

10

10

10

10

40

朝鮮語・漢文

22

1920年11月普通学校規則改正 国語(日本語)

10

10

10

10

58

朝鮮語・漢文

30

1922年02月普通学校規程 国語(日本語)

10

12

12

12

64

朝鮮語

20

1929年06月普通学校規程改正 国語(日本語)

10

12

12

12

64

朝鮮語

20

1938年03月小学校規程 国語(日本語)

10

12

12

12

64

朝鮮語(随意科目)

16

1941年03月国民学校規程 国語(日本語)

11

12

54

朝鮮語

表は中川八洋『歴史を偽造する韓国』徳間書店 p五五、p五六より(中川氏は森田芳夫『韓国における国語・国史教育』原書房より作成)

 台湾でもそうですが、我が国は欧米諸国とは違う統治の仕方をしています。

 欧米諸国は自分たちのやって来た事を基準に考え、それを基に「そうにちがいない」「きっとそうだ」ということで話します。

 まあ、支那、朝鮮もそうですけど・・・・・・・

だいたい、英国が国立大学をインドに作ったか!

     オランダがインドネシアに国立大学を作ったか!

     フランスがベトナムに国立大学を作ったか!

 朝鮮人に言わしたら、ソウル大学は大東亜戦争終了後の昭和二十一年に「突然」京城にできたものらしいですけど!

(一応、多くの大学を統合して作ったから、京城帝大との関連はないとか米軍により京城帝大は閉鎖されていたとか言っとるらしいです。 大学にとっての財産である蔵書はどうなっとるのでしょう?)

 カスやな!

 あほらし

 ヒマ。金曜日なのに下手するとオチャピー・・・・と思っていたら、二名様来店。Sさん、Iさん来店。

 今日は流石に記憶あり。 

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