ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
警告   この作品は<R-18>です。 18歳未満の方は移動してください。
  とある主従の攻防戦 作者:七誌
真由  前編
 どうしてこうなったのか、私は呆然としてしまいました。
 次いで後ろで聞こえる寝息に非常な腹立たしさを感じました。

 私、若宮真由は高杉家での勤めを無事に終えました。旦那様や奥様に可愛がっていただき、同僚にも恵まれて楽しく過ごせたと心から感謝しています。
 最後の夜は私のために主が一緒に食事をしてくださることになっていました。
 本来ならそれは旦那様と奥様だったのですが、急用が入られたからとお鉢が若旦那様である悟様に回ってきました。
 悟様は高杉家の跡継ぎとして、現在旦那様のもとで仕事を覚えていらっしゃいます。
 ご本人は頑張っているのですが、生来の人のよさやあまり強く言えない性格などが災いしてやや軽く見られる節があり、旦那様からは頼りない、と一喝されるような状況です。
 でものびのびとお育ちになった悟様のかもし出す明るい雰囲気は、得がたいものと思っています。
 ですから悟様をお嫌い、という方はごく少ないのではないかと思われます。

 そんな悟様が、私のために夕食に付き合ってくださったのです。勤務の労をねぎらわれて、緊張と感謝や別離の寂寥などで胸がいっぱいになった私に優しく接してくださいました。
「真由、これとても美味しいよ、食べてごらんよ。料理人が随分と腕を振るったみたいだ。手間隙かかっているよ」
 笑顔で勧められるとついこちらもその気になってしまいます。
 本当に料理は美味しくて、悟様が話しかけてくださったこともあり、いつの間にか私の緊張は解けていました。
 食事の終わり頃には私がここに来た当時のことや、数年過ごした中で起こった出来事などの思い出話になりしんみりしてしまいました。
 明日には故郷に戻ることになっています。

 私の父は高杉家の所有する山林の管理を任されています。木々の手入れや伐採、見回り、松茸の採取など山を知り尽くした父の仕事ぶりは旦那様が全面的に信頼を寄せられるほどで、先代の旦那様が趣味で作られた窯をつかって陶芸にまで手を出していました。
 小難しい物を作る気はない、と用の美を追求した実用品を作っている父ですが、その父の気質は私にも受け継がれていて、私もどちらかといえば実用品を好む傾向がありました。
 まだ高杉家に来てそんなに経っていないころ、帰宅された悟様からいきなり花束を差し出されたことがありました。
 思わず受け取ってしまい、悟様のお顔をまじまじと見つめたことを思い出します。
「これをお部屋に飾ればよいのでしょうか、若旦那様」
 そう尋ねた私に悟様はにっこり笑われて、
「それは真由の部屋に飾ればいい、店で見かけて真由の顔が浮かんだんだ」
 花束をもらうなど初めてで、しかもこんな綺麗な花を見て私を連想したなどと言われ、真っ赤になってしまいました。

 花は実用からは遠いものです。
 でも私は初めて実用でないものでも心を和ませ嬉しい気持ちにさせてくれるものがあるのだ、と気付かされました。
 それからちょくちょく悟様は出先で買ったからと大げさでない花や、美味しいお菓子などくださるようになりました。
「皆の分はないから内緒だよ」
と言われましたが、悟様の内緒など使用人にはばればれです。ですのでいただいたものは使用人の詰め所に置くようになりました。
 悟様はまた、私が若旦那様と呼ぶのをひどく嫌がりました。
 何度もしつこく言われてようやく二人の時には悟様、と呼ぶようになりました。
 そう呼びかけると悟様は目を細めて、お笑いになるのです。心底嬉しそうに。
 それがひどく眩しくて、妙に胸がどきどきするのです。胸が苦しくなるのです。
 こんなに動悸がしてはとても仕事が果たせないと、本気で怯えたこともありました。

 私が仕事に慣れどうにか高杉家を見る余裕がでると、こんなに素敵な家はないのではないかと自慢したくなるほど魅力的な方々でした。
 ちっとも偉ぶったところがなく、それなのに自然と敬う気持ちを起こさせるような旦那様と、優しくて、でもお茶目な奥様、ぼんくらなどと言われながらも持ち前の明るさで人を惹きつける悟様。
 本当にこの家に勤めることができて幸せでした。
 これを悟様に申しあげた時の私は、少し涙ぐんでいたかもしれません。
 悟様は笑顔を引っ込められて。真面目な顔つきをされました。
「……寂しくなるな」
 そうおっしゃっていただいただけで私は果報者です。幸せで、でもすこし寂しい気持ちで夕食が終わろうとしていました。

「俺の部屋で飲まないか? 真由に飲ませたいと思って買っていたものがあるんだ」
 私のお馬鹿。この時誘いを辞して自室に戻るべきだったのです。
 今の私が過去の私と話ができるなら、全力で止めたでしょうに。
 でも別れの感傷に目がくらんでいた私は、うかつにもその誘いに乗ってしまったのです。
 悟様の出してくれたお酒は本当に、ええ本当に美味しかったです。
 ここでも最初は思い出話でした。雲行きが怪しくなってきたのは悟様の飲酒のペースが随分はやくなってからでした。
「真由は明日出て行くんだよな」
 なんとなく据わったような目で言われ、本当のことですので頷きました。

 途端悟様の顔がくしゃり、と歪んだのです。普段笑顔か、真面目なお顔しかなされない悟様の表情に私は慌てました。
「悟様。どうされたのですか。ご気分でもお悪いのですか?」
 水を、とグラスに注ぎかけた手は悟様によってとどめられました。
「何で俺を置いていくんだ。俺が都会っ子だからか?」
 悟様が何を言っているのか本気で分からずに私は首をかしげてしまいました。
「都会もなにも、悟様は高杉家の方で、ここで生きていかれる方です」
 それを聞いた悟様は今度は泣き出したのです。悟様が泣くなんて。明日は雪か嵐かもしれません。
 故郷に戻るのに悪天候は勘弁してもらいたいものです。
「真由は俺と会えなくなって平気なのか?」
 つきり、と胸が痛みました。会えなくなって平気なわけはありません。
 寂しいに決まっています。
 ――泣きそうな気分です。





+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。