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皇室全般画像掲示板
1953年 19歳頃の皇太子明仁親王 1953年3月30日から10月12日までの半年余りにわたり初の外遊。ヨーロッパ12か国および米国・カナダを歴訪。6月2日イギリス・エリザベス2世の戴冠式へ昭和天皇の名代として参列。
宮内庁は天皇陛下の退院に伴い、5月18日の英国エリザベス女王即位60周年祝賀行事に天皇、 皇后両陛下が出席する方向で検討するなど、今後の公務について調整を始めた。 今月は、11日に東京都千代田区で政府主催の東日本大震災1年追悼式があるほか、 21日にはクウェート首長を迎えた宮中晩さん会も予定されている。 4月には園遊会、5月には仙台市での国際会議や山口県での全国植樹祭が予定に入っている。 エリザベス女王に関しては1953年の戴冠式に当時皇太子だった天皇陛下が出席している。 約60年を経て双方に出席する招待者はほとんど例が無いとみられ、陛下は出席に前向きという。 ただ、片道13時間前後の飛行時間など負担への懸念も残る。宮内庁は医師団とも相談し、 個々の公務に関し出席時間を短縮したり、2月17日から国事行為臨時代行を務めている 皇太子さまに委ねるなどの負担軽減策を検討していく。
1953年# 英国では、第二次世界大戦で敵対国であった記憶は未だ褪せておらず、戴冠式において13番目の席次(前列中央の座席で、隣席はネパール王子)を与えられたが、女王との対面まで長時間待たされた。また女王は、握手は交わしたが視線は交わさなかった[26]。
エリザベス女王即位50周年祝賀行事のときは誰が行ったんだろう。テロの危機の中で誰も行かなかった?
さすが英国女王!!若い皇太子に立場をはっきり教えて下さったのですね。日本の女帝なんて、若い池面ニダや池面キーパーの手を握ったまま離さないくらい愛情深いんですけど、おばちゃんたちには「また泣かしてやった」とか言うんですよね。
戦時中はヒットラー同等に恐れられてたヒロヒトの息子だから、英国の国民感情を考えてのことでしょう。
エリザベスは王女時代に従軍してたくらいだから日本に対して良い印象はなかったかもですね。
>ID:5REzcmlo No.433661 美智子の母親は「客家(ハッカ)」の出。支那には、世界に誇れる 支那5千年の歴史ある 『拝金主義』 が有ります。上から下まで、金の為なら、親でも子でも、平気で売る事も 殺す事も出来る民族です。美智子の気質は、日本人離れしているので、母親の血が色濃く生きているのでしょう。「エア・オペ」や、女性宮家創設要求が、尽く裏目に出始めたと悟ったのでしょうか?皇室消滅は何としても避けなければならないと 「秋篠宮」に、舵を切りはじめたのでしょうか?英国訪問間近になって、急遽陛下の健康悪化という触れ込みで、ナルだけ行かせるかどうか、見ものです。