前回の記事では、「人間の認識は絶対的ではない」と書きました。記事の主旨をざっくばらんに言えば、「自分の認識力なんて絶対的ではないのだから、認識力を過信せず慎重に判断したほうがいいですよ」ということになります。ところが同じ私がコメント欄では、「認識」は絶対的ではないが「決断」は絶対的だと述べています。 なんだか矛盾したように感じるかもしれませんが、コメント欄を注意深くお読くだされば、ご理解していただけると思います。核心部分は下記です。 最終的に決断するのは「私自身」です。その決断は絶対的で、他者は指一本触れられません。(中略)認識は絶対的なものではなく、あくまでも「私の決断」のための材料にすぎません。他にも、私のそれまでの人生体験も、決断の材料になります。 こちらも、ざっくばらんに言えば、「認識したものが絶対的なのではなく、私が決断したものこそ私にとって絶対的なのです。認識は、決断のための材料にすぎないのです」ということになります。よく読めば、意味が分かっていただけるものと期待します。 さて、なぜこんな前置きを書いたのかと言えば、これから私はご要望にお応えして「真の父母様をメシヤと信じるようになった経緯」を綴ろうと思っているからです。これから綴る内容は、あくまでも私にとって絶対的な決断を促した材料にすぎません。 このポイントを押さえて読んでいただかないと、「なんだ、下らない理由で信じるようになったんだね」と、下らないコメントを書かれるからです。そういうコメントは心外ですので、あらかじめ禁止とさせていただきます(削除します)。 まずは、私の少年期の悲しい体験から。拙著「意識のホログラムにアクセスしよう」の「はじめに」において、次のよう書いています。 私は7歳のときに、弟を事故で亡くしました。つい数分前まで仲良く遊んでいた弟が、冷たくなって横たわり、何の反応も示さないことに愕然としました。弟の亡骸を抱いて号泣する両親の姿は、今でも私の記憶の中に鮮明な映像として焼き付いています。「人は、かくも簡単に死んでしまうものなのか。かくも辛く悲しいものなのか」と感じました。 同時に、「自分はどうして生きていられるのか。今そこに横たわっている弟と自分との違いは、いったい何なのか」と、生と死の謎に頭を悩ませました。その解答を得たくて、科学の世界に進んでいきました。 当ブログの「昇華式」という記事の中で、弟が亡くなった経緯について、もう少し詳しく綴っています。 私は、小学1年生のときに弟を事故で亡くしました。 私が幼い弟の面倒をみなければならなかったのに、つい友達との遊びに夢中となってしまい、気づいたら行方不明となってしまいました。大勢の人が探しましたが、なかなか見つかりませんでした。 池に浮いている弟の亡骸を発見したのは、私でした。 このときの悲しみと罪悪感といったら、言葉に表現できません。大人になってからも、ずっと苦しんできました。何度か自殺も考えたほどです。 上記内容を圧縮して書けば、「自分の責任で弟を死なせてしまったので、自殺を考えるほど罪悪感に苦しんできた。それからというもの、生と死の謎に頭を悩ませるようになった。そして、その回答を得るために科学の世界へ進んでいった」ということになります。 でも、ちょっと飛躍しているように感じませんか? 生と死の謎に対する回答を得るために、なぜ科学の世界に行くのでしょうか? 普通は、宗教の世界に行くのではないでしょうか? そうなのです。そこが割愛されています。それぞれの文章が掲載された本や記事の主旨とは直接関係ないので、省略しているのです。私は最初、宗教の世界に行こうとしました。悩める私を見かねた母が、「おばあさん(祖母)の家に行ったらいい」と進めてくれたのです。なぜか祖母はキリスト教だったのです(熱心ではないが)。そして小学生の私に聖書をすすめました。 しかし、読んでも「なんじゃこりゃ」という感じ。ちんぷんかんぷんでした。祖母には失礼でしたので、母にその旨を告げると、こう言われました。 「そうだろう。宗教なんて、所詮そんなもんだよ。だから、もうそういうことで悩まない方がいいよ。宗教はお金がかかる。うちのような貧乏人には、無縁の世界だよ」 実は母も若いころ、とある宗教団体に入信していたのです。そこで、だいぶお金を捧げたようでした。だから、私にそう言ったのでした。 ただ、行くなと言われると行ってみたくなるもので、他宗教の本も図書館で読み漁りました。読めば読むほど、「なんじゃこりゃ」でした。「よくもまあ、こんな訳のわからないものを信じているもんだ」と、完全に反宗教、宗教嫌い、宗教軽蔑少年になりました。 ところがなぜか、霊体験をするのです(詳しく書くと長くなるので、思いっきり割愛)。あるときは、ひき逃げされた現場に立っている浮かばれない霊と目が合って、付きまとわれました。悪霊が見えても、決して目を合わせないことです。向こうも「あ、気づいてくれた」と思って、付いてきます。ただ、面白いことに、霊にも礼儀があり(駄洒落か)、家にまで上がりこまないんです。まあ、私が出会った悪霊たちだけかもしれませんが…。おっと、長くなるので割愛するんだった。(^_^;) とにかく、理性では宗教を否定しているのに霊体験をするものだから、混乱するわけです。そこで科学の登場というわけです。科学は何でもできる(と思っていた)。物理法則を解明し、飛行機を作り、ロケットを作り、テレビも作り、コンピュータも作った。必ず霊現象も解明できるだろう、生と死の謎にも回答を与えてくれるだろうと考えた次第です。 中学2年生のときには、独学で微積分を勉強していました。なぜかというと、アインシュタインの相対性理論をどうしても理解したかったので、そのために数学の基礎力をつけていたのです。ですから、理数系の成績は良かったです。しかも文系も強かった。結局、勉強するには本を読まねばならないので、読書家になり、読解力が身に付いたからです。ですから、高専入学に際しては、受験勉強は英語しかしませんでした。おっと、自慢っぽくなるのでやめましょう(だからあまり自分のことを書きたくないんだ…)。 20歳のころには、自分の中に強固な世界観が確立されていました。下記のような内容です。 ・この宇宙を創造した存在がいると仮定したほうが論理的である。この宇宙が、あまりにも精巧にできていることは、科学が立証済みである。こんなに精巧な宇宙が、偶然にできる確率は低すぎる(あり得ない)。 ・人間には、宇宙の観測者としての自由意志が与えられている。創造主自身ですら、人間の自由意志に干渉できない(そのように創造した)。これは不確定性原理から言えること。 ・しかし、その創造主は、巷で言われているような「神様」ではない。なぜなら、世の中には不幸が蔓延しているからだ。幼い弟が苦しみながら溺死するような世界を作っておいて、何が「神様」だろうか! 戦争や犯罪や飢餓などで多くの人が理不尽にも死んでいく世界を作っておいて、何が「神様」だろうか! ちゃんちゃらおかしい。 ・創造主は存在するが、「神様」とは呼べない。では何と呼ぶのか。「悪魔」がふさわしいだろう。 ・では、なぜ「悪魔」は自分でも人間に干渉できないように創造したのか。それは、「悪魔」が予測可能なことを人間にされたら、「いじめる・苦しめる」という「悪魔の喜び」を享受できないからである。人間に善なる心を与えて、悪を退けようとする性質をも授け、なおかつ創造主たる「悪魔」自身も干渉できないようにしたからこそ、「いじめがい・苦しめがい」があるのだ。 ・なんと酷い創造主「悪魔」であろうか! このことを多くの人々に知らせないといけない! <小休止> 大丈夫ですかあ〜? 頭の中が、ぶっ飛んでいませんかあ〜? (^_^;) だいたい、こんなことが20歳の私の世界観でした。今から思えば、愛のない創造原理みたいです。初めは友人に話したりもしましたが、あまりにもぶっ飛んだ仮説ゆえに、みんな引いていきました。(^_^;) そこで私も学習して、「ストレートに語っても駄目だ、小説にして啓蒙していこう」と決め、小説家を志すのです。 高専といえば20歳で卒業なのですが(高校+短大)、就職先も決まっていたのに卒業間近で休学し、山中のレストランで住み込みのバイトをしながら、執筆していました。厨房担当だったので、このころ料理を覚えたのです。だから、妻よりもずっと料理がうまいのです。妻がいないときに私が料理を作るので、「お父さんのほうがおいしい」と子供たちには大好評ですが…、妻の機嫌を損ねるのでこの辺で割愛。 ところが、レストランで働いている最中に、ある事件に巻き込まれました。これも長くなるので割愛しますが(割愛ばっかりだなあ〜)、当時の世の中を騒がせた有名な事件です。たぶんこれも悪霊現象でしょう。ともかく刑事2人に張り付かれ(あ、私は全然悪いことしていないんですよ、参考人です。犯人のアリバイ証人)、客商売のレストランにいずらくなって、バイトをやめて学校に復学したわけです。 2年休学したので、2年遅れで卒業。むろん、技術職に就くつもりはなかったですので(かといって小説家にすぐなれるわけでもなく)、何とか新聞社に入って文章関係の仕事にありつきました。ゆくゆくは、「悪魔」の所業を世の中に晒すべく、文章に磨きをかけていた次第です。 もちろん、上記のような期間には、ギャンブラーとしての華々しい経歴もあるのですが、まあこれも割愛です。 そのころは、人間に自由意志があるということと、「悪魔」も「自由意志に干渉しない」というルールに従っていることから、「人間の良心を啓発すれば、世の中を平和できるはずだ」という希望的な思いも持っていました。「悪魔」は、人間に自由意志を与えた時点で、「もしかしたら人間が善なる世界を築き、自分(悪魔)を悔しがらせるかもしれない」という可能性(リスク)を残しているからです。 「いやあ、悪魔も一流のギャンブラーだよな」と感心していたくらいです。「自分の楽しみ(人間いじめ)のために宇宙を創ったのだけれども、その楽しみを得られず逆に歯がゆい思いをするかもしれない世界にしておいたということは、一流の遊び人だなあ」というわけです(ハイリスク・ハイリターンな遊び、まさにギャンブルの醍醐味!)。 とにかく、「必ずしも世の中は不幸に満ちるとは限らない」というのは、人間側としては希望的だと思っていたのです。変な考えですけれども、「だからぼくも世のため、人のために生きるぞ」と燃えていたのです。そういう時期に伝道された次第です。 伝道されて、統一教会に入教していくところの証は、過去に当ブログで書いていますので、そちらをお読みください(下記)。 私が出会った神様(1) 私が出会った神様(2) 私が出会った神様(3) さてさて、入教前に私が持っていた「悪魔教」とも呼ぶべき世界観をみれば、どうして私が統一教会の教理を受け入れたのか、統一教会員の方々であれば分かると思います。あえて説明する必要はないと思います。あの世界観に、「真の愛」という概念と堕落論が加われば、私の世界観における悪魔は神様に変わることが、ご理解いただけると存じます。 私には、読者の皆様には想像し得ないくらいの科学的知識があります(決して傲慢になっているのではないです)。それら科学的知識の1つ1つは、すべてが統一原理を否定する材料にもなるし、肯定する材料にもなります。 なぜなら、科学にそもそも限界があるからです。科学を学べば学ぶほど、科学の限界は分かるのです。霊能力とか超能力を肯定する人が、しばしば「科学にだって限界があるんですよ」といって科学者に反論しますが、正直いって腹が立ちますし、赤面します。そんなことは、科学者のほうが何億倍も分かっていることです。それでも、一歩一歩、科学的方法論に則って現象を解明しているのが科学者であって、一足飛びに自分たちの認識を絶対化するべく科学批判をする似非(えせ)宗教者は嫌いです。 だから、まずは科学を学ぶ。そして「決断」する。自分が持っている科学的知識を、否定材料に使うのか、肯定材料に使うのか、ということの決断です。私は後者、肯定材料に使うことを決断したのです。こうなると、いくら統一原理や統一教会を否定されても、信仰は微動だにしません。内部で問題があろうがなかろうが、「ぜ〜んぜん問題な〜い」と感じます。 問題が生じることが問題ではなく、問題を解決できないことが問題です。問題が生じたら、外野に逃げて内部を批判しているのが問題です。問題を解決するために勤しむことが、神様への礼儀というものです。科学者も、そうやって問題解決に勤しんでいるのです。似非宗教者は、どうも一足飛びに結論に至ろうとするから困ります。だから、ちょっと問題があると分派を作ったりする。極めて非科学的方法論です。 真の父母様が再臨主、メシヤであるということは、統一原理を受け入れれば当然の帰着です。もっというと、統一原理を受け入れていなければ、文鮮明師と韓鶴子総裁は真の父母として認識できないし、再臨主としてもメシヤとしても認識できません。 総じて言えば、私が真の父母様を再臨のメシヤだと受け入れるようになったのは、あの世界観の中の「悪魔」が「神様」に入れ替わった瞬間です。そのときに、私のパラダイムはシフトしたのです。アヒルがウサギに見えた瞬間です。 宗教的回心というものは、多かれ少なかれ、そんなものでしょう。もともと自分がもっている思考の枠組み、すなわちパラダイムが、突然違ったパラダイムに移行することが回心だと思います。そしてパラダイムシフトしたら(回心したら)、もうアヒルはウサギに見えないのです。私にとって真の父母様は、再臨のメシヤであって、それ以外には見えないのです。 そういえば最近、例のブログ村を見たら、お父様がボケてきて正常な判断ができないとか、お父様だって嘘は見抜けないのだ(統一教会幹部がお父様に嘘の報告をして問題が生じている)とか、下らないことを言っているグループがいました。さらに、そのグループに対して、躍起になって反論している教会員らしきブログもありました。よく見てみたら、日韓歴史論争をしていた人々でした。 いやあ〜、懲りずに下らない議論をしているものです。日韓歴史論争はどうしちゃったんですかね。「論争が目的」、「論争によって精神状態を保っている」としか見えませんでした。 お父様はメシヤなんですから、ボケないんです。そこに理由なんかない。メシヤなんですから。普通の人間ではないのです。お父様に嘘など通用しないんです。神様と直結するメシヤなんですから。こう言い切るのが信仰というもんです。それで終わり。論争にならないはずなんです。 例えば……。4,000万双祝福準備員会のビデオ記録担当だった私は、万物の日を前後してアメリカへ打ち合わせに行きました。会長中心とした十数人の小グループでした。万物の日の式典に参加する恵みにあずかりましたが、「日本からきた者だけ残りなさい」と言われ、その小グループだけでお父様を中心とした会議になりました。 会議の詳細は割愛しますが(また割愛か)、とにかくお父様に怒られました。お父様が1人1人の前に立って、1人1人に怒るのです。私の前にも立たれ、怒られました。それはもう、その怒り方といったら……、言葉では表現できません。あ、暴力はありませんよ。迫力について言っています。 私は一瞬、気を失いました。気を失う直前に、「ひえ〜」とか「ぎょえ〜」という声を聞きました。 気が付くと私は、さっき座っていたところから5メートルくらい後ろに立っていました。でも、5メートル前には私が座っているのです。そう、霊人体が肉体から離れてしまったのです。幽体離脱って、その前も何度か経験あるので、対処方法は心得ていました。とにかく、早く意識を集中して、肉体に戻らないと、死んじゃいます。 「ひえ〜」、「ぎょえ〜」という声は、私に貼りついていた悪霊さんでした。もがき苦しみながら、天に昇って行きました。 「早く戻らないと死んじゃう…」と、焦って肉体に戻ろうとするとき、お父様がこっちを見ました。「こっち」とは、すなわち私の霊人体の顔のことです。そして、ニヤッと笑うと、隣の人の前に移動して怒り始めました。 私は無事に戻って、ほっと一息。するとお父様が、こっち(今度は肉体)を見て、「戻ったね」とひと言。そして、また隣の人を怒り続けました。たぶん、なぜ「戻ったね」と言われたのかは、誰も意味が分からなかったでしょう。 その後、私は身体が爽快になりました。実はそれ以前、たいへんな肩こりと腰痛に悩んでいたのですが、きれいになくなりました。お父様に直接怒られるということは、清平の役事の何十倍、いや何百倍、何千倍も効果があるのだと思います。 おおっと、また話が脱線しましたね。もう収拾がつかない…。(^_^;) 何が言いたいかと言えば、メシヤはこんなにすごいんですよ、と私の体験から証しているんです。ボケるだの、嘘を見分けられないだの、ありっこないのだと言いたいわけです。神様と直通の、絶大なる霊能力の持ち主だからです。 いやあ、長々と書きましたが、なんだか脈絡がないですね〜。(^_^;) まあ、たまにはこんな駄文もよろしいのではないでしょうか。まだまだ語り尽くせないのですが、あとは何なりと質問してください。できる限り回答いたします。 |
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タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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内 容 | ニックネーム/日時 |
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すごい。こんな緻密な悪魔観(神観)を青年時代に形成していたんですね。だから、説得力がある。しかも、独りよがりではなく、目的を持って、いろんな職業を経験され、その仮説を証明していったことが読み取れます。 |
はじめまして 2012/02/17 22:00 |
神様に召命された「私の」証詞。 |
ポポポヤ〜ン 2012/02/17 22:30 |
すごいのひとことです。圧倒されました。ブログ村の論争が、幼児のケンカに見えますね。再臨主のみことばを出版する会社の社長になる器とはこういうものなんだなと、あらためて感動させていただきました。ありがとうございました! |
さち 2012/02/17 22:38 |
素晴らしい証しです。 |
在米 2012/02/18 00:52 |
尊い人生の道! |
スマイル 2012/02/18 02:21 |
まめ改め、まめっちです。 |
まめっち 2012/02/18 09:17 |
「何なりと質問してください。できる限り回答いたします」とあったので、お言葉に甘えて1つ質問させていただきます。 |
さち 2012/02/18 19:02 |
貴重な証しをありがとうございました。 |
大久保直也 2012/02/18 19:06 |
実に感慨深い体験経過を率直に書いて下さり、親近感と理解が増しました。 |
光太朗 2012/02/18 19:48 |
皆様に喜んでいただけて嬉しいです。ありがとうございます。コメントが多くて1人1人返事ができませんが、ご了承ください。さちさんの質問にだけ回答です。 |
小林浩 2012/02/18 21:04 |
小林社長が同じ統一教会員であることに |
まこ 2012/02/19 22:46 |
まずタイトルの「私の決断は、私にとって絶対的だ!」というのが良いです。その通りっ!と言いたくなります。 |
ぱあ子 2012/02/20 06:45 |
●まこさん、ぱあ子さん |
小林浩 2012/02/20 20:57 |
光言社への企画提案です。 |
米本 2012/02/21 17:45 |
●米本さん |
小林浩 2012/02/21 19:15 |
いやあ、米本さん、無茶苦茶面白いですね。面白いと同時に、実はここが我々の盲点でもあります。 |
ポポポヤ〜ン 2012/02/21 20:25 |
はじめまして |
海のもくず 2012/02/21 21:09 |
それは物凄く良い企画だと思います。 |
在米 2012/02/21 21:20 |
小林浩さん。お久しぶりです。正統派右翼のクローザーです。科学的政治ネタ、なかなか書いてくれませんね。首を長くして待っています。 |
クローザー 2012/02/21 22:15 |
僕もこの企画は、断固賛成です。タイトルは、米本さんが提案されたものがいいかなと思っております。 |
大久保直也 2012/02/21 23:20 |
この企画絶対いいですよ! |
せんとぱぱ 2012/02/22 02:00 |
劇的な証もそれなりにいいですけど、巷でAKB●○が流行っているように「等身大」というか、典型的というか、日本人の標準的な証集というのが出版されればいいですよね。こんな箸にも棒にも引っかからない私も信徒ですってのが。 |
はじめまして 2012/02/22 09:02 |
さらに意見です。 |
せんとぱぱ 2012/02/22 12:33 |
小林さんのように壮絶な手記もいいし、どこにでもいるような人が食口になった話もいいですね。 |
ぱあ子 2012/02/22 12:42 |
ぱあ子さんの提案に大賛成です。 |
米本(1) 2012/02/22 17:15 |
話はさらにさらに飛んで現在に。私の故郷、松江市に白亜の小殿堂といってもいいような幸福の科学の会館が立っています。 |
米本(2) 2012/02/22 17:18 |
ぱあ子さん、米本さんに賛成。信者でなければ理解できない本なら私は読みません。 |
クローザー 2012/02/22 17:26 |
話はさらにさらに変わって、「拉致監禁by宮村裁判の記録」です。 |
米本(3) 2012/02/22 17:53 |
さすがカルトと呼ばれる団体に的を絞り探求してこられた専門家は、提案の切り口も鋭い指摘だと感心します。 |
光太朗 2012/02/22 21:16 |
確かに小林さんが仰るように統一原理を理解しなければ御父母様をメシヤとして認識できないということですから、そこを抜きにしてしまうと米本さんのようにいくら話を聞いても理解できないということになってしまうかもしれませんね。 |
在米 2012/02/22 21:55 |
小林さんに質問なんですが、最初に原理を学んだきっかけは、例えば原理のどこが間違ってるか教えてあげようとしてとか、そんな理由ですか? |
在米 2012/02/22 22:30 |
皆さんの意見を総合すると、やはり原理用語なし、一般人向け、ということになりそうですね。確かに、教会員向けならわざわざ本にしなくても、トゥデイズワールドジャパンや祝福家庭といった機関誌に掲載すればいいわけですし。検討してみましょう。 |
小林浩 2012/02/22 22:57 |
小林さん |
在米 2012/02/22 23:24 |
いつも楽しく拝見させていただいております。 |
たい君のママ 2012/02/23 05:44 |
アメリカでは昨年「トゥリビュート」と言う本が出版されました。一昨年、777家庭の40周年記念に40年以上の信仰暦をお持ちの先輩方の証しを公募し、本にまとめたものです。有名無名の諸先輩方の証しが100以上掲載されています。仁進様の企画です。そんな本が日本でも出版されたら良いかと思います。 |
たい君のママ (2) 2012/02/23 05:46 |
たい君のママさんの「悪いうわさばかりの教団が教団サイドから書いた本を、まず手にも取らない」との意見は理解できる。しかしこの見立ては、そういう教団に属する者の被害者意識のような感覚から出たものだと思う。なぜなら、非信者の私は手に取るから。 |
クローザー 2012/02/23 08:12 |
私も実をいうと、たい君のママさんの意見に近く、一教会員としては発刊それ自体には喜んで賛成しますが、「この状況下で果たして売れるのか」と聞かれると、正直「?」でした。 |
ポポポヤ〜ン 2012/02/23 08:39 |
ポポポヤ〜ンさん。賛同ありがとうございます。ノセラレついでに、信者さんには耳の痛い意見を述べておきます。 |
クローザー 2012/02/23 12:51 |
・統一協会の出版社ではない「一般の出版社が教祖様の自叙伝を出した」(つまり世間が認めた)ということにしたかった。 |
クローザー 2012/02/23 12:52 |
失礼。訂正です。2010年でなく「2011年 年間ベストセラー発表」を引用しないといけませんでしたね。 |
クローザー 2012/02/23 13:07 |
うわ〜、だいぶ盛り上がってしまいましたね。(^_^;) |
小林浩 2012/02/23 21:14 |
伝道が進めば、いろいろ本を近所で注文しようと思うのですが、今は…、 |
はじめまして 2012/02/23 22:35 |
理解力に難があるもんで、ちょっと整理したいんですが…。 |
ポポポヤ〜ン 2012/02/23 23:52 |
●ポポポヤ〜ンさん |
小林浩 2012/02/24 08:34 |
私が初めて光言社の本(『統一協会の検証』)を買ったのは、旧浦和市にある、埼玉県では大手書店の須原屋でした。 |
米本 2012/02/24 09:16 |
>書店で注文して光言社の本を買うようなスタイルが定着すれば、幸福の科学のように、光言社の本も常時、店頭に並びます。「公文」で流せばいいのにネ。 |
たい君のママ 2012/02/24 11:44 |
すみません。表現の間違いを一つ見つけました。 |
たい君のママ 2012/02/24 12:18 |
米本さんがおっしゃる通り、まさに「公文」で流せば済む話のように私も思ってしまうのですが(それにしてもよくご存じで…)。 |
ポポポヤ〜ン 2012/02/24 18:11 |
>書籍を通じて教会に尋ねて |
ポポポヤ〜ン 2012/02/24 18:14 |
小林さん、はじめまして。 |
daniyyel 2012/02/24 20:56 |
皆様、いろいろなコメントをありがとうございます。せんとぱぱさんやdaniyyelさんが言うようにweb上で証しを募集するというのも「あり」だと思います。むろん、越えねばならないハードルはいくつもありますが…。ともかく貴重な意見だと受け止めています。 |
小林浩 2012/02/24 21:23 |
「公文」を出したのがまずかったですねえ。 |
米本 2012/02/25 11:31 |
●米本さん |
小林浩 2012/02/25 18:53 |
念のためですが、私も『指示』というより『推奨』の意味合いで考えていました。今現在、こういったことを知るすべがないのがもどかしいですしね。 |
ポポポヤ〜ン 2012/02/25 23:33 |
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