東日本大震災から1年 津波被害に遭った建物の保存の判断に揺れる自治体を取材しました。
東日本大震災からまもなく1年を迎えます。
津波で被害に遭った建物をモニュメントとして保存するか、解体をするか。
被災した人の揺れる心情を前に、保存の判断をする自治体も揺れています。
境 鶴丸キャスターが現地で取材しました。
2月25日の宮城・石巻市雄勝町は、一面雪だった。
1年たっても、津波に流され、公民館に乗り上げた観光バスが、そのまま残されていた。
この観光バスは、止めてあった駐車場から、およそ500メートル流され、高さ7〜8メートルはある公民館の屋上に乗り上げた。
津波の被害の大きさを物語る存在として、今も多くの人がこの場所を訪れる。
雄勝町に住む人は「わたし、もう(バスが)ない方がいいと思うんですけど。いつまでも津波のことがよみがえってくるでしょ」と話した。
「早く撤去してほしい」という多くの住民からの声に、震災丸1年を翌日に控えた3月10日、バスは「撤去」されることになった。
撤去作業を前に、バスを所有する南三陸観光バスの高橋武彦社長が現場を訪れた。
高橋社長は「ちょっと寂しいような気もしますけどね、正直。今、(撤去を前にして)初めて、自分の子どものような感じがしましてね。でもやはり、仕方がないですよね」と話した。
こうした中、津波被害の記憶を後世に残そうという、新たな動きもあった。
岩手・宮古市の田老地区では、当時日本一といわれた防潮堤が倒壊し、多くの人の命を奪った。
恐ろしい津波の記憶を後世に伝えたいと、宮古市は、津波で被害を受けた建物を「津波遺産」として残そうと、2月、候補の募集を始めた。
壊滅的な被害を受けながらも残った「たろう観光ホテル」。
ホテルを訪れると、あの日、このホテルから撮影された津波の映像を見つめる人たちの姿があった。
ホテルを「津波遺産」として残すべきか、住民の心情は揺れている。
田老地区に住む人は、保存するかしないかについて、「ここまで津波が来て、ここがこのくらい残ったって知っててもらいたい」、「残しておいても、そういうこと(津波)を思い出して、どうかな」と話した。
宮城・南三陸町の「骨組みだけの防災対策庁舎」や、岩手・陸前高田市の「奇跡の一本松」など、震災で壊れた建物などをモニュメントとして保存するか、ほかの地域でも多くの議論があった。
そんな中、「津波遺産」として建物を残す考えの宮古市も、時間をかけて慎重に扱うべき問題だと考えている。
宮古市の山本正徳市長は「津波というものは、どういうものなのか。どういうふうになったのかっていうのは、歴史として残していくべきだと、わたしは思う。嫌だというような人たちもいるのも確かなので。だからそのへんは、慎重に扱わないとだめと思う」と話した。
宮古市の「津波遺産」には、7件の応募があった。
2度とこんな大きな悲劇を繰り返したくないと、歴史を後世に残す試みが進められている。
(03/05 13:19 仙台放送)