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大震災1年:3歳児「ほうしゃのう、こわい」 外遊び数日おき--福島

 被ばくの不安から、多数の親子が県外に避難している福島県。避難した親子も、残る道を選んだ親子も苦悩の日々が続いている。【井上英介】

 「じいじ、ほうしゃのうこわいからかえろうよ」。放射線量が高い福島県伊達市。原発事故から間もないころ、初孫の菅野優花ちゃん(3)を散歩に連れ出した祖父の均さん(61)はこう言われた。

 ままごとセットや人形の家など優花ちゃんの玩具は、茶の間の窓際に置かれている。家の中で一番線量が低いからだ。「いつも一人でおとなしく遊んでいます」。祖母の智子さん(53)が言う。母の美雪さん(27)は近くの薬局に勤務。均さんは昨年春に高校教員を退職し、農業に専念する。

 智子さんは今も悔やんでいる。「家に一人で残すわけにもいかなかった」。物資不足が心配で、原発事故からしばらく、買い出しに優花ちゃんを連れ歩いた。放射性ヨウ素が一帯に降り注いでいたことを後で知った。

 周囲の子を持つ世帯は次々と避難し、この春、優花ちゃんと一緒に近くの幼稚園に通い始める子は13人から2人に減った。「避難すれば仕事を失う」。美雪さんは何カ月も迷った末に残ることを決めた。外遊びは数日おきに玄関先で20分ほど。「原発事故からしばらく、美雪の顔つきは変わっていた」と智子さんは振り返る。

 均さんは「放射能という言葉を優花はすぐに覚えた」。外に出たがる孫のためにアニメを一日中流す衛星放送に加入した。智子さんはやむを得ず外へ連れ出す時、背におぶう。地面に下ろすと土や草花に触ろうとする。そのたびに「だめよ」と小さな手をつかむ。

 事故後、炊飯器で2種類のコメを炊くようになった。以前は均さんが収穫するコメをみんなで食べていた。昨年秋の新米から放射性セシウムは検出されなかったが、美雪さんは原発からより離れた喜多方産のコメを娘に与えている。地場の果物や野菜も厳禁。優花ちゃんは近所に自生する山菜のタラの芽の天ぷらが大好物だ。「たべたいよお」。孫にせがまれるたびに、智子さんは切なくなる。

 ◇幼い子にがん保険も

 「子育て仲間が何人も去った」と美雪さんは言う。福島市北沢又の吉田裕子さん(29)もその一人。同じ日、同じ病院で出産したのがきっかけで親しくなった。吉田さんが昨年9月、3歳と1歳の娘を連れ山形市へ避難する際、我が子が放射線を浴びる不安を互いに語り合った。

 吉田さんは仕事のある夫を福島に残し、見知らぬ土地で子育てをする。アパートの家賃は2年間山形市が負担するが、生活費は自己負担。3年前に建てた家のローンもあり楽ではない。「2年後、マイホームに戻っていいものか。放射線の影響は素人には判断できない。将来を思うと憂鬱です」。周囲では親が幼い子にがん保険を掛ける動きもある。

 美雪さんは「今の生活なら娘は大丈夫」と腹をくくっている。それでも我が子に将来、何かあったら……。心の底からくつろげる瞬間は永遠に訪れないかもしれない。

 「やっぱり外で遊びたいよね」。そう話しかけると、優花ちゃんは笑顔で言った。「ううん。ゆうかはおもちゃがたくさんあるから、うちであそぶよ」

 ◇悩み明かせず孤立 支援の輪、拡大が急務

 被ばくへの不安を抱えながら暮らす親子への支援の輪が広がっているが、質も量も十分ではない。

 「育児だけでも大変なのに、見えない放射線のため衣食住の一つ一つを全て考えなければならなくなった。疲れ切った母親が多い」と、日本助産師会福島県支部の石田登喜子副支部長は言う。原発事故直後、助産師仲間に声を掛け、母子の訪問活動を始めた。線量の低い同県会津若松市の民家を借り、出産間もない母子の一時避難所も開設した。

 「親は放射線のリスクに向き合い、地元に残る残らないも含めて自ら生き方を決めなければならない。生き方を指示はできないが、悩みを受け止め、納得できる結論を出せるよう寄り添いたい」。だが、助産師だけではとても追いつかない。

 石田さんは「出産直後は気を張っているが、数カ月して疲れがどっとくる。訪問先にうつうつとした親が多く、虐待や育児放棄が今後増えかねない」と懸念している。

 福島の子供を一時的に県外へ出す「保養」の取り組みも全国に広がる。その一つ、東京都練馬区の市民グループ「福島こども保養プロジェクト@練馬」は福島県内の親子8組を昨夏の1週間、埼玉・秩父でのキャンプに招待した。「放射性物質を少しでも体外へ出してほしい」と事務局の竹内尚代(ひさよ)さん(67)は狙いを語る。福島県外に出ることで累積被ばく線量の増加も抑えられる。

 ただ、親の一人の言葉が今も気になっている。「内緒で来た。『保養に行く』と周囲には言えない」。竹内さんは「放射線の不安を話せない空気が福島に広がっているのでは。参加者は苦悩を語り合い関係を深めた。親子を孤立から救い出すためにも保養の取り組みは必要だ」と話す。

毎日新聞 2012年3月5日 東京朝刊

 
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