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復興に向けて 首長に聞く 

2012年02月29日

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伊達勝身・岩泉町長

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山本正徳・宮古市長

 大震災から1年。暮らしを、まちを、どう立て直すのか。各首長に聞く。

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【伊達勝身・岩泉町長】

「現地からは納得できないこと多い」

 被災した小本地区の移転先は、駅周辺を候補に用地交渉をしている。近くに三陸沿岸道のインターがあり、交通の要衝だ。

 昨年11月、用地買収に向けて価格設定をしようとしたが、国から待ったがかかった。沿岸道の用地買収に影響するという。県もバラバラに進めると混乱するという。そんな調整で2カ月遅れた。被災者には申し訳ない。

 現場からは納得できないことが多々ある。がれき処理もそうだ。あと2年で片付けるという政府の公約が危ぶまれているというが、無理して早く片付けなくてはいけないんだろうか。山にしておいて10年、20年かけて片付けた方が地元に金が落ち、雇用も発生する。

 もともと使ってない土地がいっぱいあり、処理されなくても困らないのに、税金を青天井に使って全国に運び出す必要がどこにあるのか。

 4月1日付で役場に復興課を新設する。被災者支援から復興まちづくりの窓口にする。小本支所を含め正職員だけで8人の態勢だ。

 6月には三陸鉄道小本駅の観光センターを取り壊し、避難ビルや集会所、支所を置く複合ビルにする工事を発注する。

 2010年7月の事故以来不通になったJR岩泉線は、観光路線化して復旧させることを真剣に考えたい。人口が減る地元だけで利用運動をしても無理がある。高速道路ができる中、鉄路の将来は厳しい。どう残すか、知恵を絞らなければいけないときがきた。

   ◇

【山本正徳・宮古市長】

「自分たちで考えた将来像、愛着わく」

 復興計画づくりが他の市町村より遅いと言われてきた。100戸以上が被災した10地区は住民にまちづくりの検討会をつくってもらい、小規模被災地では行政が住民と話し合ってきたからだ。

 一部地区では検討会の議論が二転三転し、委員の皆さんにご苦労をかけた。でも、自分たちで将来像を考えることで愛着がわく。将来の定住を促すことにもなると考えた。

 こうした議論の結果は3月中にまとめる市の復興推進計画に採り入れていく。3月8日には防潮堤の工事が始まり、新年度は本格復興がスタートする。

 宮古市は中心部の土地が狭く、公共施設を郊外に分散させてきた。だが、今後は中心部を整備し、公営住宅を建てていく。鉄道の利用者が増える可能性がある。だから、山田線をバス高速輸送システム(BRT)化する案は残念だ。

 JRの路線はまちづくりの核だ。税金で三陸鉄道の南北リアス線を復旧しているのに、その間を結ぶ鉄路を外すことなど考えられない。国は黒字企業のJR東日本に補助金を出しにくいというが、まちづくりの一環で取り組めないものか。

 閉伊川の水門建設受け入れは悩んで決めた。本当は堤防をかさ上げして津波は川をさかのぼらせた方がいいと思っていたが、それでは国道45号の宮古大橋が落ちると県からいわれ、あきらめた。

 年末年始が忙しく、議会や市民への説明が遅れたことは申し訳なかった。でも決定前に公表すればもっと混乱しただろう。

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