経済産業省原子力安全・保安院のチームが、東京電力福島第一原発事故から1週間後には、1〜3号機の原子炉内の核燃料は溶け落ちて炉心溶融(メルトダウン)したと分析していたことが、朝日新聞が情報公開請求した文書でわかった。ただし公表はされず、国が炉心溶融を認めたのは事故から2カ月後だった。分析を国民への説明などの初期対応に生かせなかった。
分析したのは、保安院内にある「緊急時対応センター(ERC)」で昨年3月14日から活動を始めた「情報分析・対応評価チーム」。もともと想定されていたチームではなく、保安院企画調整課の要請で、経産省や原子力安全基盤機構などの有志約10人で急きょ結成された。従来の分析部署が緊急対応に追われるなか冷静に分析する集団が必要だという判断だった。
メンバーが注目したのは、東電から24時間態勢で送られてくる水位や圧力データ、原子炉格納容器内の放射線量を測る「CAMS」(格納容器雰囲気モニター)の数値。昨年3月15日には1、2号機で放射線量が急激に上昇し、格納容器底部に燃料が溶け落ちたことをうかがわせた。ほかのデータの変化もあわせ、同18日午後2時45分の時点で、1〜3号機ですでに炉心溶融が起きたと判断している文書が残されていた。
文書では、溶融した燃料は底にたまって水に浸されやすくなっているため、「外部から注水を続ける限りにおいては安定した状態が継続している」と評価している。
■分析生かされず、非公表
保安院は、早い段階で炉内状況の分析ができていたことになる。しかし、組織的な位置づけがあいまいだったため、チームの分析結果はあくまで参考にとどめられ、公表されることもなかったという。
当時対応にあたった平岡英治・保安院次長も解析結果は知っていたが、チームが暫定的な組織で解析結果を扱うルールがあるわけではなかったので、重視しなかったという。「(チームが)正規の態勢の中につくれていなかったのは反省点」と話している。
事故直後の国の説明については、保安院の広報を担当していた中村幸一郎審議官は昨年3月12日の時点で、1号機で「炉心溶融の可能性」に言及。幹部から「言葉遣いに注意するよう」と注意を受けた。その後、広報担当が代わり、原子炉の状態の明言を避けるようになり、事実上撤回されてしまった。
結局、東電がコンピューターの解析結果を公表し1号機の炉心溶融を認めたのは5月15日で、2、3号機は同24日と、事故発生から約2カ月も経過してからだった。この解析結果を受けて保安院もようやく認めた。(小堀龍之)