東京電力福島第1原発事故で放出された大量の放射性物質は、かけがえのない大気や水、土壌を汚染した。周辺住民の日常生活を奪っただけでなく、食品汚染は各地に広がり、消費者を不安にさせた。第1原発が「冷温停止状態」を達成したとする政府の宣言を受け、避難住民の帰還に向けた動きが活発化し、放射性物質を除去する除染も各地で始まっている。しかし、今のところ効果は未知数で、除染に伴い発生する汚染された水や土壌の処理も頭が痛い問題だ。
福島第1原発事故で放出された放射性物質は、東日本を中心に拡散した。放射性セシウム、ヨウ素などが、大気を漂い、事故直後には雨や上水道などから検出された。次いで葉物野菜や原乳からも放射性物質が見つかり、政府は出荷制限や摂取制限を何度も出した。
過去に経験したことのない放射能汚染への警戒感が国民の間に強まる中、母乳からも微量ながら放射性物質が検出された。さらに茶葉▽淡水魚▽キノコ類▽肉牛▽コシヒカリ--などにもセシウムの汚染が広がり、東北地方などでは農業や観光業などに大きなダメージを与えている。
ごみ処理施設では、焼却灰から高濃度のセシウムが検出されて処分場に埋め立てられない事例が相次いだ。
また、今年1月には、福島県二本松市内の新築マンションで、高い放射線量が測定された。原発事故で汚染された採石場の石がコンクリートの材料に使われていた。
こうした中、放射性物質の基準作りも進み、食品では厚生労働省が事故後に暫定規制値(1キロあたり500ベクレル)を設定。今年4月からは大幅に規制が強化される見通しだ。一般食品で1キロあたり100ベクレルの基準などが設定された。
廃棄物処理では、焼却灰などを安全に処分できる基準を1キロあたり8000ベクレル以下と定めた。
福島県内では昨秋にミミズから高濃度の放射性セシウムが検出され、食物連鎖による汚染の再拡大が懸念されている。思いもよらないものや動植物などから汚染が見つかるケースは、今後も続きそうだ。
原発から放出された放射性物質は細かな粒子となって風で運ばれ、雨や雪とともに地表に落下した。その際、田畑で作物の表面に付着したり、土壌に落ちたセシウムを根が吸収したりした。現在は原発から新たに放出されるセシウムはわずかだが、半減期が長いセシウムが、主な汚染源となっていて、ほとんどの作物が土壌を通じて汚染されていると考えられる。また、土壌だけでなく、家の屋根や壁、木の葉などに付着したセシウムが雨で田畑に流れ込み、水を通して作物が吸収することもある。
一方で時間がたつにつれ、セシウムの粒子は土の中の粘土粒子表面に強く付着し、はがれにくくなるため、根から取り込まれにくくなる。
西村拓・東京大准教授(土壌物理学)によると、粘土粒子は薄いタイルのような形をしており、側面は何層にも積み重なっている。セシウム粒子は粘土粒子の表面にとどまった後、次第に吸着力の強い側面に移り、層の隙間(すきま)に入り込む。
ただし、根は有機酸を分泌して土を溶かして養分を吸収するため、粘土粒子に付着していたセシウムを取り込むことが懸念される。田畑の養分が足りなければ、栄養を取り込もうと根はさらに粘土粒子を溶かす。このため、西村准教授は「セシウムと化学的な性質が似ているカリウムを田畑に十分含ませれば、カリウムが代わりに吸収され、セシウムの吸収を減らせる」と話す。
実際、中央農業総合研究センター(茨城県つくば市)が、セシウムに汚染された田んぼに、植物に吸収されやすいカリウムの化合物「交換性カリ」入りの肥料をまくと、玄米に取り込まれるセシウムを抑えられた。土壌の特性で異なるが、最大で玄米のセシウム濃度を半減できたという。
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放射性物質に汚染された作物を食べると内部被ばくの危険がある。福島県南相馬市では昨年7月から、住民を対象に内部被ばくを測定するホールボディーカウンター(WBC)検査を実施。受検者は既に1万人を超えた。
東京大医科学研究所によると、住民への聞き取り調査では、家庭菜園や路上で販売している果物を頻繁に食べる人ほど、内部被ばく量が高い傾向が見られたという。坪倉正治医師は「86年のチェルノブイリ原発事故では10年後に周辺住民の内部被ばく量が増大した。時間が経過して検査が甘くなったことが原因だ。一度きりではなく、定期的にWBCで検査する必要がある。それと同時に、汚染された食品がどのような経路で食べられたか調査が必要だ」と指摘する。
国立医薬品食品衛生研究所は昨年9月と11月の2回、宮城、福島、東京の3都県の平均的な食事に含まれる放射性物質の量を測定した。3都県ごとに食品約150品目を選び、食品の1日摂取量に従って混合した試料を作成。その放射性物質濃度を測定し、セシウムの1日摂取量を推定した。
その結果、福島県の食事からは1日当たり3・39ベクレルが摂取されており、食事からの内部被ばく量の目安となる年間1ミリシーベルトを下回っていた。調査を担当した松田りえ子食品部長は「山菜など自生している植物は管理し切れていないため注意が必要だ。極端な内部被ばくを防ぐため、同じ食材を食べ続けないようにしてほしい」と話す。
全ての物質は原子で構成され、大部分は安定した性質を持っている。一部にはエネルギー(放射線)を放出しながら別の原子に変わる不安定なものがある。
放射線はα線、β線、γ線、X線などがあり、物質を突き抜ける力を持っている。その力には違いがあり、α線は紙1枚で遮蔽(しゃへい)できるが、X線は人体を通過する。普段の生活でも自然界から放射線を浴びており、日本人の場合は平均で年1・5ミリシーベルトとなっている。
放射線が人体に影響を与えるのは、細胞の中にあるDNAを傷つけるためだ。DNAは遺伝情報を持つ重要な物質だが、放射線によって切断されると誤った修復が行われることがあり、細胞が死んだり、突然変異や染色体異常が起きることがある。
被ばくには、体の外から浴びる外部被ばくと、水や食料を通じて放射性物質を体内に取り込む内部被ばくがある。体内に入った放射性物質は代謝で体外に排出される。セシウムの場合、排出されるまでの期間は約100日だ。
外部被ばくと内部被ばくの健康影響の違いについては、専門家の間でも意見が分かれているが、各国政府に放射線防護策を勧告している国際放射線防護委員会(ICRP)は両方とも等しいという考え方を採用している。
広島・長崎の原爆被爆者約9万3000人の追跡調査から、100ミリシーベルト以上被ばくすると、がんの発症率が直線的に増えていくことが分かっている。放射線医学総合研究所によると、100ミリシーベルトの被ばくで、がんによる死亡率が0・5%上がるという。
一方、福島第1原発事故の場合、100ミリシーベルト未満の「低線量被ばく」が心配されているが、健康影響は科学的に証明されていない。ただし、ICRPの元主委員会委員、佐々木康人・日本アイソトープ協会常務理事は「安全な被ばく線量はない。放射線を浴びる量は少なければ少ないほど良い」と話す。
除染に伴い、放射性物質に汚染された土壌などの廃棄物が、福島県内で1500万~3100万トン発生すると見積もられている。汚染廃棄物は、除染場所近くに設置する「仮置き場」にいったん集められる。その後3年以内に「中間貯蔵施設」に搬入し、福島県外で最終処分するまで保管される。その期間は約30年だ。
中間貯蔵施設は、福島第1原発立地地域の福島県双葉郡内(浪江、双葉、大熊、富岡、楢葉、広野、葛尾、川内の8町村)に設置される予定。環境省は12年度中に設置場所の選定を行うとしている。
環境省の中間貯蔵施設の工程表によると、敷地面積は最大5平方キロで、容量は最大2800万立方メートル。除染で発生した土壌は放射性物質の濃度に関係なくすべてを保管。焼却できる廃棄物は焼却し、1キロ当たり10万ベクレル超の灰も運び込む。
環境省は当初、設置箇所を1カ所としていたが、規模が大きいため、複数箇所に設置する案も浮上している。
雨水の流れ込みや地下水への漏出がないような構造にする。廃棄物の保管方法は高濃度、低濃度でそれぞれ変える。高濃度の廃棄物は、細かく仕切った鉄筋コンクリート製の構造物を地中に設置。搬入後はふたで覆って完全に埋め立てる。低濃度は、小分けにした廃棄物を穴に積み、搬入後は土をかぶせる。
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この特集は、江口一、藤野基文、神保圭作が担当しました。(グラフィック かみじょうりえ、編集・レイアウト 小松やしほ)
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2011年
3月11日 東日本大震災発生
12日 福島第1原発1号機爆発
19日 埼玉、東京など6都県で水道から微量の放射性セシウム、ヨウ素検出
20日 福島県内の原乳や千葉、群馬などのホウレンソウや春菊などからヨウ素を検出
同日 山形、栃木など8都県で雨などからヨウ素
21日 東京など10都県の雨などから最大9万3000ベクレルのヨウ素
23日 政府が福島県の葉物野菜などに対し初の摂取制限を指示
同日 東京都内の浄水場の水から0歳児の飲用基準の2倍にあたるヨウ素
24日 福島県飯舘村の雑草からセシウム265万ベクレル
4月 5日 北茨城市沖のコウナゴで初めて食品衛生法の暫定規制値を超えるセシウム
10日 福島県飯舘村など3市町村の露地栽培シイタケから規制値超えセシウム
30日 福島、茨城など1都4県の女性7人の母乳から微量の放射性物質を検出
5月 1日 福島県郡山市の下水道処理施設で処理後の汚泥から高濃度のセシウム
13日 福島県内のワカサギとアユから県内淡水魚初の規制値超えセシウム
16日 茨城県内の茶葉から規制値超えセシウム検出。神奈川、栃木、千葉などでも
26日 福島県いわき市の海藻のヒジキとアラメから規制値超えの放射性物質
28日 福島県伊達市でウメの実から規制値超えのセシウム
6月 3日 福島県内河川の川底の砂から最高1キロあたり3万ベクレルのセシウム
9日 静岡市内で作られた製茶から規制値超えのセシウム
7月 8日 肉牛から初めて規制値超えのセシウム
10日 千葉県柏市内の焼却灰から1キロ当たり7万ベクレル超のセシウム
下旬 栃木県産の腐葉土からセシウム検出相次ぐ
8月19日 宮城県角田市の山間部で捕獲された野生のイノシシから規制値を超すセシウム
9月30日 福島第1原発から約45キロ離れた福島県飯舘村などでプルトニウム
11月16日 福島市大波地区産のコシヒカリ(玄米)から規制値超えのセシウム
12月 6日 粉ミルクから初のセシウム検出
毎日新聞 2012年3月4日 東京朝刊
岩手県・宮城県に残る災害廃棄物の現状とそこで暮らす人々のいまを伝える写真展を開催中。