(第7巻)
【第7巻目次】
(162) 2005年12月14日 東京高裁、釜石製鉄所未払い賃金還付請求却下処分に対する損害賠償請求訴訟控訴棄却
戦時中に朝鮮半島から日本製鉄(現新日本製鉄)釜石製鉄所に強制連行され、死亡した四人の未払い賃金の還付請求を却下したのは違法として、韓国人遺族が一人二千万円の損害賠償を国に求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は十四日、請求棄却の一審東京地裁判決(134)を支持、原告側の控訴を棄却した。
戦時中に受けた被害の個人請求権は消滅するとした日韓請求権協定の解釈などが争点で、江見弘武(えみ・ひろむ)裁判長は昨年十月の一審判決と同様、日韓請求権協定や関連国内法の有効性を認め「請求権が消滅したことが明らかな以上、却下は適法」との判断を示した。
判決によると、釜石製鉄所に徴用された四人は一九四五年七月、米軍の艦砲射撃で死亡。製鉄所側は翌年、未払い賃金計約九千五百円を盛岡法務局に弁済供託した。
四人の遺族は九七年に還付請求したが、同法務局は協定に基づき請求権が消滅しているとして却下した。
一方、四人の遺族らは釜石製鉄所への強制徴用に対する賠償も国に求めて提訴したが、一(90)、二審(159)とも敗訴。ただ新日鉄との間では九七年、慰霊金計約二千万円の支払いなどを条件に戦後補償訴訟で初の和解が裁判外で成立した。(2005.12.14 共同通信)
なお、最高裁判決(173#)参照。
(163)
2005年12月15日 中国人強制連行長野訴訟、原告側が和解原案再提出 賠償金支払い求めず
第二次世界大戦中に中国から強制連行され、県内の建設現場で働かされた中国人とその遺族12人が97年12月、国と大手建設会社4社を相手取り、総額約1億4000万円の損害賠償と未払い賃金の支払いなどを求めた訴訟で、原告側は15日、長野地裁(辻次郎裁判長)へ和解原案を再度提出した。
原告団によると和解原案の内容は、前回案にあった賠償金支払いは求めず、国や企業の原告らへの謝罪と、企業の謝罪の証しとして強制連行されたすべての人々を救済するための基金を設立することなどを求めている。
この訴訟は今年5月に結審後、辻裁判長から双方に和解が勧告され、協議が続いていたが、10月の協議で企業側が協議進行を拒否し、判決を求める姿勢を示していた。【神崎修一】(毎日新聞2005.12.16長野地方版)
(163a)
2005年12月20日 長崎地裁、在韓韓国人被爆者に時効を否定して3年分支給を認める
日本に住んでいないことを理由に被爆者手当の支給を打ち切られた韓国人被爆者の故崔季〓(チェ・ゲチョル)さん(昨年七十八歳で死亡し遺族が継承)が、過去二十四年分の手当支給や慰謝料など計約九百六十万円を国と長崎市に求めた訴訟の判決で、長崎地裁は二十日、国側の時効主張を「許されない」と退け、一九八〇年から約三年間分、八十二万七千九百円を遺族に支払うよう長崎市に命じた。
田川直之(たがわ・なおゆき)裁判長は、手当打ち切りを定めた旧厚生省通達(四〇二号通達)を「在外被爆者にとって重大な障害だった」と批判。手当受給に「時効なし」とした判決は二〇〇三年の長崎地裁判決(88#)に続き二例目で原告側は「勝訴」としている。
崔さんは長崎で被爆。八〇年に来日して被爆者健康手帳を取得したが、同年に韓国に戻ったことを理由に健康管理手当の支給が打ち切られた。
当時の規定では受給期間は最長三年(更新可能)。判決は手帳取得の手続きをした八〇年七月から三十五カ月分を「受給権あり」と認めた。
以降の八三年六月から〇四年一月までの未受給分については「期限の三年を超えた無期限の支給を認定すべき根拠がない」として支払いは認めなかった。また「原爆特別措置法(当時)では支払い義務は地方公共団体にある」と述べ、国に対する請求は棄却した。
原告資格を引き継いだ崔さんの遺族は今回来日せず、支援者らが判決を傍聴。請求額に比べ判決が認めた額は低かったが、国の援護政策を批判し、ほぼ四半世紀前にさかのぼる受給権を時効とせずに認めた点を、原告の支援者は高く評価した。(2005.12.20共同通信)
【判決の要旨】
韓国人被爆者の過去の手当受給権をめぐる訴訟で長崎地裁が二十日、言い渡した判決の要旨は次の通り。
【主文】
長崎市は故崔季〓さんの妻と娘ら遺族に計八十二万七千九百円を支払え。国への請求は棄却。
【手当受給権取得の有無】
一九八〇年当時、健康管理手当の受給者であることの認定期間は一部の疾病を除き最長三年とされていたことなどから、崔さんに認定されるべき期間は三年間だったと推認するのが相当。
原告らは、崔さんの大腿(だいたい)骨頭壊死(えし)の症状は不可逆、終身的であり、認定期間を限定すべきでなかったと主張するが、崔さんの認定期間を無期限にする根拠はない。
【離日による失権とそれ以降の受給権】
「被爆者」は日本を離れてもその地位はなくならず、既に支給認定を受けている者は継続して手当が支給されるべきだ。都道府県知事などの認定(手続きの更新)がないのに継続して受給権があるとは認められない。崔さんは八〇年六月から八三年五月まで、受給権があったと認められる。
【消滅時効】
旧厚生省局長通達(四〇二号通達)により、離日したことで受給権を失うという行政的な取り扱いは、法律解釈として一般に理解、運用されていた。日本の法制度の理解に乏しい在外被爆者が、この法律解釈をやむを得ないと受け止めるのは自然なことだ。失権を不当として提訴するにしても、四〇二号通達が在外被爆者にとって重大な障害だったことは容易に想像できる。
こうした障害の原因は国の法律解釈にあるから、事務を委任された長崎市が地方自治法の消滅時効(五年)適用を主張することは信義則上許されない。よって時効の適用は否定することが相当。
崔さんは既に受給した八〇年六月分を除き、同年七月から八三年五月までの手当を受け取る権利がある。
【国家賠償法に基づく賠償請求】
通達の法解釈に明確な法違反はなく、通達に基づく事務にも故意や過失による違法行為は認められない。国への賠償請求には理由がない。(2005.12.20共同通信)
【登載判例集】 判例集未登載。ただし、「在外被爆者にも援護法の適用を!」のサイト(
http://www.hiroshima-cdas.or.jp/home/yuu/index.html
)に判決文が掲載されている。
【追記】
海外に住む被爆者に過去の手当を受給する権利があるかどうかが争われた長崎地裁の訴訟で、長崎市は二十八日、韓国人被爆者の遺族に市が約八十万円を支払うよう命じた判決を不服として、福岡高裁に控訴した。
二十日の長崎地裁判決は、外国に出た後の手当打ち切りを規定した旧厚生省通達(四〇二号通達)を「在外被爆者にとって重大な障害だった」と批判。市と国の時効主張を退け、一九八〇年代の約三年間分について支払いを命じた。
長崎市は「過去の手当の時効をめぐる訴訟の判決は数件あるが、判断は両極端に分かれている。厚生労働省の意向も確認した上で控訴した」としている。(2005.12.28共同通信)
なお、本件控訴審・福岡高裁判決(176a)、上告審で最高裁が弁論再開を決定した記事(212)および最高裁判決(220)参照。
(164) 2006年2月8日 広島高裁、ブラジル移住被爆者への被爆手当支給訴訟で時効の援用否定
時効を理由に被爆者援護法に基づく健康管理手当を支給しないのは不当として、ブラジルに住む被爆者3人が広島県に計約290万円の支払いを求めた訴訟の控訴審判決が8日、広島高裁であった。草野芳郎裁判長は「支給を認めてこなかった国の通達は被爆者援護法などの法律の解釈を誤ったものであり、時効を適用するのは著しく正義に反する」として、原告の訴えを退けた一審・広島地裁判決(133a)を取り消し、請求額全額の支払いを県に命じた。
在外被爆者への手当支給をめぐる訴訟で時効の適用を認めずに未払い分の支給を命じた判決は高裁レベルでは初めて。
勝訴したのは、広島市内で被爆し、55年にブラジルに移住した向井昭治さん(78)ら男性3人。
判決によると、3人は94〜95年に一時来日して被爆者健康手帳を取得し、健康管理手当を受け始めたが、まもなく帰国したため手当を打ち切られた。03年に国の運用変更で在外被爆者も手当が受けられるようになったが、地方自治法の時効規定に基づき、未払い分の支給は過去5年前までに限られた。
判決は、被爆者が外国に出るとその地位を喪失するとした74年の旧厚生省402号通達(03年廃止)について、社会保障と国家補償との双方の性格をもつ被爆者援護法などの解釈として相当でない、と指摘した。そのうえで、「国は正当な法律の解釈を誤って国家補償的配慮から認められた被爆者の権利を長期間にわたって否定してきた」と判断。「時効を適用することは奪われた権利を回復する道を閉ざすもので著しく正義に反する」と結論づけた。
在外被爆者への手当支給と時効をめぐっては、仕事で中国に出国した日本人被爆者が国と長崎市を訴えた訴訟で長崎地裁が03年に時効分の支払いを認めたが(88#)、福岡高裁が04年に逆転敗訴の判決を言い渡している(121a)。昨年12月には、韓国人被爆者が原告となった訴訟で長崎地裁が時効分の支払いを長崎市に命じている(163a)。(朝日新聞006.02.08 東京夕刊)
【登載判例集】 判例集未登載。ただし、「在外被爆者にも援護法の適用を!」のサイト(
http://www.hiroshima-cdas.or.jp/home/yuu/index.html
)に判決文が掲載されている。
なお、本件上告審最高裁判決(180)参照。
(165) 2006年2月15日 東京地裁、中国残留婦人訴訟で「政治的怠慢」指摘しながらも請求棄却
戦前から戦中にかけて国策で中国東北部(旧満州)に移住し、敗戦後に取り残された「中国残留婦人」ら3人が、日本政府を相手に「早期に帰国させる義務や帰国後に十分な生活支援をする義務を怠った」と1人あたり2千万円の賠償を求めた訴訟の判決が15日、東京地裁であった。野山宏裁判長は国の政治的責務を認めた上で、「極めて消極的な帰国促進施策しか行わず、帰国後の支援も不十分」と怠慢を指摘。しかし、「3人が88年までに永住帰国したことなどを考えると、国家賠償法で違法とするにはいま一歩足りない」として請求を棄却した。3人は控訴する方針。=37面に判決要旨、39面に関係記事
訴えていたのは、いずれも東京都に住む鈴木則子さん(77)、藤井武子さん(73)、西田瑠美子さん(72)。戦前に家族と中国に渡り、78〜88年に帰国した。中国に残った日本人が国に賠償を求めて起こした最初の訴訟で、判決としては残留孤児についての昨年7月の大阪地裁判決(原告敗訴)(154a)に続いて2件目。
判決はまず、日ソ開戦で移民女性たちが過酷な難民生活を送ったこと、生きるために中国人と暮らし始めたが帰国の意思は継続して持っていたことを認定。国側の「帰国の意思はなかった」との主張を退けた。
また、青少年期に日本社会から切り離されたために言葉や習慣が身につかず、日本での労働能力(収入獲得能力)を失った点を重視。「他の戦争被害者とは異なる特性だ」とした。「残留孤児らの不利益の出発点は敗戦前後の混乱で孤児になったことで、国民が等しく受忍しなければいけない戦争損害に属する」とした大阪地裁判決と対照を見せた。
そのうえで、国が(1)残留邦人を早期に帰国させる義務(2)帰国後に自立を支援する義務−−を怠った、という原告の主張を検討。(1)については、帰国する際の旅費を国が負担する制度に言及。「負担申請権者を、経済的な理由から申請に消極的な者の多い国内親族に限定したことが、帰国の障害になった。政治的責務の怠慢だ」と指摘した。また、(2)を検討するなかでも「日本語能力を失った帰国者への日本語教育や職業訓練が不十分」などと国への批判を展開した。(朝日新聞2006.02.16東京朝刊)
【判決要旨】
中国残留婦人訴訟で15日、東京地裁が言い渡した判決理由の要旨は次の通り。=1面参照
第1 認定事実 1932年から45年までの間、国策により、原告ら20万人以上の日本人が、関東軍の軍需補給確保の使命も帯びて、中国東北地方(満州国の地域)に農業移民した。ソ連との緊張関係のある軍事的危険地帯で、日本人居留民の難民化の危険性があった。外地での危険度は、内地よりもはるかに高かった。政府は、危険性の事前告知も、国民保護策(避難計画など)の立案もせずに大量の移民を送り込み、ソ連軍進攻の危険が高まった後も、移民の中止も国民保護策の立案もしなかった。
45年8月9日の日ソ開戦により、陸戦の混乱の中にじかに置かれ、難民となった。難民キャンプ(倉庫など)に収容され、零下30度以下にもなる中、暖房、寝具、医薬品がなく、衣食が不足する過酷な越冬生活に入り、多数の死者が出た。命を落とすか、中国人の保護を受けて中国に取り残されるリスクを負うかという分岐点に立たされ、泣く泣く中国人の嫁になった女性や中国人に託された子供が出た。
原告らは集団引き揚げの情報も届かず、意思によらず長期未帰還者となった。永住帰国(78年、85年または88年)まで帰国の意思を持ち続けた。
日中国交正常化後も、残留婦人の所在確認、帰国希望調査などは実施されず、孤児の親族捜しが優先された。帰国旅費国庫負担申請は、国内在住の親族に限定された。国内在住の親族の多くは傍系親族(兄弟ら)で、物価高、住居費の高騰、核家族化の進んだ日本で、長期未帰還者の帰国受け入れは困難だった。
帰国した残留婦人に対する公的自立支援策も、実効性に乏しかった。帰国後1年間は日本語などの学習のために就労を猶予して生活保護を与えるが、その後は不支給。日本語を習得できずに低収入の仕事につかざるを得ない者が多かった。
第2 早期帰国義務違反に関する判断 自国民保護は政府の使命。被告は条理上その早期帰国を実現すべき政治的責務を負う。
国交回復直後に着手可能だった帰国の環境整備作業は行われず、終戦直後の援護業務の継続にとどまった。在中国長期未帰還者に帰国旅費国庫負担制度を周知せず、国庫負担申請権者を国内の親族に限定したため、原告らは、親族に申請してもらうのに何年も待たされた。申請権者の限定は、永住帰国許可権限を国内親族に委ねるに等しい。永住帰国を妨げ、遅らせたもので、政治的責務の懈怠(けたい)があった。
政策立案及び実施の当否は、基本的には行政府の裁量的判断に委ねられ国家賠償法上の違法を認めるためのハードルは高い。個々の国民との関係で看過できないほどの著しい懈怠がない限り、同法上違法であるとはいえない。原告らは88年までに永住帰国しており同法上の違法性を認めるにはいま一歩足りない。
第3 自立支援義務違反に関する判断 長期未帰還者は、日本語の文字、音声情報がない環境に30年以上置かれた。言葉や習慣が身につかず、日本での労働能力を失った。これは、他の戦争被害者とは異なる特性だ。
逸失利益が損害として発生しており、日本語教育などで収入獲得能力を回復させるか、逸失利益を金銭で支援する必要がある。政府の施策が原因なので、政府には補償措置を行うべき政治的責務があった。
帰国後1年で生活保護を支給しない運用は、意欲ある者から高度な学習・職業訓練の機会を奪い、低賃金の単純労務就労を余儀なくする点で、問題がある。
生活保護とは別の援助金支給制度(年金制度の特例を含む)の創設には立法が必要だ。立法不作為が国家賠償法上違法となるには、立法をしないことが憲法の一義的な文言に違反していることが必要だが、長期未帰還者の生活保障のための特別法の制定を一義的に命ずる憲法の文言を捜すのは困難であり、違法とまで断ずるには至らない。
生活保護運用上の問題や日本語教育の貧困さを、看過できない行政の執行の懈怠として、国家賠償法上も違法とすることも考えられるが、日本語教育のノウハウも不足していたという背景事情に加え、原告らに対しては都営住宅が提供され、不十分ながらも生活保護、年金特例措置の支給がされており、国家賠償法上も違法であると評価するには、いま一歩足りない。
第4 結論 本件は、政策の立案形成の当否を争う訴訟だ。過酷な生死の境の難民体験や、異国に長期間取り残される苦難の人生を歩んだ原告らに対し、政府がさしのべた手が十分であったかが問われた。被害の甚大さなどから、裁量権行使の逸脱や、国家賠償法上違法となる可能性も十分にあった。最終的には、政策形成の当否の国家賠償法上の違法性肯定のハードルは非常に高いため国家賠償請求訴訟としては、請求棄却となった。(朝日新聞2006.02.16東京朝刊)
なお、東京高裁判決(201a)、最高裁判決(241)参照。
【登載判例集】
第一審(東京地裁、平18.2.15) 判例時報1920号、判例タイムズ1270号。 なお、中国帰国者の会のサイト(
http://kikokusha.at.infoseek.co.jp/index.htm
)にも判決全文が掲載されている。
第二審(東京高裁 平19.6.21)
訟務月報53巻11号
(165a) 2006年2月15日 ドイツ連邦憲法裁判所、ディストモ村事件被害者の憲法異議の申立ての不受理決定
ドイツ連邦最高裁判所でも敗訴した(102b)ディストモ村事件被害者のギリシャ国民は、さらにドイツ連王憲法裁判所に憲法異議を申し立てた。2006年6月15日、憲法裁判所は審理のために受理しないことを決定した。裁判所は、理由の中で、被害者個人の国際法上の請求権がないことは連邦最高裁判所の同判決を支持したが、ドイツ国家責任法に基く請求権については、無いとする連邦最高裁判所の同判決とこれを肯定するケルン高裁の判決(156a)を引用した上で、今この問題について決定する必要はない、なぜならばいずれにしても当時のドイツ国内法では相互補償の原則が採用されていたがギリシャは外国人に対して補償していなかったからと述べた。(山手記)
なお、この判決の邦訳が、山手治之「ドイツ占領軍の違法行為に対するギリシャ国民の損害賠償請求訴訟ーー個人の戦争賠償請求権、主権免除、ユス・コーゲンスーー」『京都学園法学』2006年第3号(2007年)に掲載されている。
(166) 2006年2月22日 日中両政府、遺棄化学兵器処理で共同事業体設置に合意
日中両政府は22日、旧日本軍が中国大陸に放置した毒ガスなどの遺棄化学兵器の処理をめぐり、回収・処理事業を行う両国の共同事業体「連合機構(仮称)」を設立することで合意した。また、化学兵器禁止条約が定める来年4月までの遺棄化学兵器の処理は困難だとして、5年間の期限延長を化学兵器禁止機関(OPCW)に申し出ることでも一致した。
両政府は年内の早い時期に中国・吉林省ハルバ嶺(れい)に大規模回収・処理施設の着工を目指している。施設の建設に必要な中国政府の事業承認を得るには、事業体の発足が条件になっている。
政府筋によると、中国外務省の担当官が22日に来日して内閣府の担当者と協議。両政府関係者と建設業者らで構成する共同事業体を、早期に発足させることを確認した。(朝日新聞2006年02月23日朝刊)
なお、既報(153)参照。
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(166a) 2006年2月21日 米連邦最高裁、アジア人元慰安婦訴訟の再上告却下
昨2005年6月28日のD.C.巡回区控訴裁判所の差戻し審(154#)で再び請求却下の判決を受けたアジア人元慰安婦たちが最高裁に再上告していたが、2006年2月21日最高裁は上告を却下した。これにより、2000年9月12日に中国、台湾、韓国、フィリピン人の元慰安婦15人がワシントンD.C.の米連邦地裁に提訴した事件(5)は、最終的に決着を見ることになった。
【登載判例集】 Hwang Geum Joo v. Japan;
126 S. Ct. 1418; 2006 U.S. LEXIS 1691
(167) 2006年3月8日 韓国政府、日本植民地時代の徴用被害者への「補償」計画決定
【ソウル=市川速水】
韓国政府は8日、日本の植民地時代(1910〜45年)に旧日本軍人、軍属、企業労働者として国外に徴用されて死亡、負傷した人の遺族に、1人当たり最高2000万ウォン(約240万円)の慰労金支給を決めた。また企業からの未払い賃金など未収金について、当時の1円を1200ウォンに換算して支給する。
来年から実施される見込み。昨年、韓国で日韓国交正常化交渉(65年締結)の外交文書が公開された際、政治決着に批判が集まり、政府も個人の被害救済が不十分だったと認める一方、「日本に改めて補償要求はしない」と確認。「人道的救済」の道を探っていた。
慰労金の額は、日本政府が在日の朝鮮半島、台湾出身旧軍人・軍属の遺族に支給した弔慰金260万円を勘案して決められた。無事に生還した人は除外され、一定の医療費が補助される。
援助対象者は最高で10万人とみられるが、資料が整った被害者は数千人にとどまっている。韓国側は、認定者を拡大するために、日本側に対して資料提供などの協力を求める方針だ。(朝日新聞2006.03.08夕刊)
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【中央日報】(インターネット版)
日本植民地時代の被徴用者遺族に最高2000万ウォンの慰労金
日本植民地時代(1910〜45)に強制連行された軍人・軍属や労働者・慰安婦などの被徴用者に最高2000万ウォン(約240万円)を支援する案が進められる。
李海チャン(イ・ヘチャン)総理は8日「日本植民支配時代・強制動員犠牲者への救済策のための官民共同委員会」を開き、被徴用者遺族に2000万ウォンの慰労金を支給する法案を国会に提出することを決めた。遺族のうち、75年に政府から補償金を受けた場合は、当時の補償金額30万ウォン(現在の価値では234万ウォン)をひいた金額を受領できる。
政府は行方不明になった場合でも、強制動員被害真相究明委員会が死者と判断すれば、支援対象に含ませる予定だ。負傷者本人や帰国後に死亡した被害者の遺族にも支給する(重傷は2000万ウォン、軽い負傷は1000万ウォン)。負傷なしに無事帰還した被害者には、年50万ウォンの限度で医療費を支援し、帰国後に亡くなった生還者の遺族が低所得階層である場合は、3年間・年14万ウォンずつ学費補助金を支給する。
また、徴用者が企業から受けられなかった賃金は、供託金などを額面の120倍に換算して支払う救済措置を講じる。だが、未払い賃金は日本企業の供託金名簿を通じて名簿が確認された場合に限って支給される。政府はこうした内容の法案を今年前半に国会に提出し、予算を確保した後、来年から補償を行う計画だ。
崔賢哲(チェ・ヒョンチョル)記者 2006.03.08
18:50:55
なお、既報(140)、(158)および法案成立(204)、大統領拒否権行使(208)参照。
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【参考】 朝日新聞2006年3月13日社説
朝鮮半島が日本の植民地だったころ、多くの朝鮮の人たちが故郷を後にし、日本や戦地に渡った。自らの意思で行った人もいれば、企業や軍に徴用された人も少なくない。
そこで死傷したり、賃金をもらえなかったりした人々の被害を、韓国政府が救済することになった。
徴用されて死傷した人や遺族に最高240万円の慰労金を出し、帰還者の医療費を支援する。未払い賃金など未収金については、現在価値に換算して支払う。来年から実施する計画だ。
李海サン(イヘチャン)首相は「遅きに失したとはいえ、国民を保護しなければならない国家の当然の責務だ」と強調した。
植民地から解放されて60年、日本と韓国の国交正常化から40年が過ぎた。なのに、いま韓国政府が「過去」に対してこうした措置をするのには理由がある。
国交正常化の際、日韓は互いに請求権を放棄し、日本が5億ドルの経済協力をすることで合意した。徴用者らの被害については、当時の朴正熙政権が自分たちで処理すると主張し、そのことも含めての決着だった。これは韓国が昨年公開した外交文書でも改めて確認された。
しかし、朴政権は70年代、日本から提供された資金を使ってごく一部の旧軍人・軍属を救済した程度で、資金の大半は韓国の経済発展につぎ込まれた。その後の政権も、韓国民の被害救済にはほとんど手をつけようとしなかった。
いまの盧武鉉政権は、そんな歴史に光をあて、見直そうとしている。
植民地の統治に協力した「親日」派の糾明をはじめ、金大中氏拉致事件などさまざまな事件の真相解明を進めてきた。社会の古傷に触れることにもなり、亀裂を生んだりもしている。
とはいえ、過去に対応が不十分だったことが判明すれば、今からでも補う。不面目ではあっても歴史に向き合おうとする今回の措置は評価できることだ。
韓国政府によると、救済対象は10万人程度と想定されている。あくまで「支援」であって政府の責任を公的に認めた「補償」ではないうえ、対象も限られているため、不満もあるようだ。
被害を確定するため、韓国側は日本にある賃金支払い関係の資料や名簿の提供を求める方針だ。日本側はそうした協力を惜しむべきではない。
日韓条約で決着していたはずの韓国の徴用被害者の救済が、40年以上もたってようやく動き出す。ただこれで終わりではない。サハリン残留の韓国人や在韓被爆者、慰安婦など当時は想定されなかった問題があることを忘れてはならない。
日本政府も遅まきながら、こうした問題での支援に乗り出してきた。ハンセン病で長く隔離された朝鮮人犠牲者の救済にもやっと腰を上げたところだ。
徴用されるなどして日本で亡くなった韓国人の遺骨の調査・返還を含め、日本が誠意を込めてしっかりと続けなければならないことはまだ多い。(朝日新聞2006.03.13朝刊)
(168) 2006年3月10日 長野地裁、中国人強制連行訴訟で請求棄却
第2次大戦中に中国から強制連行され過酷な労働を強いられたとして、中国人の元労働者や遺族が国と建設会社4社に総額1億4000万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決で、長野地裁の辻次郎裁判長は10日、請求を棄却した。
判決理由で辻裁判長は、強制連行・強制労働を国と建設会社による不法行為と認定した上で、行為から20年で損害賠償請求権が消滅する「除斥期間」などを適用。国家賠償法施行前の国の行為に賠償請求はできないという「国家無答責」の法理についても、国の主張通り認めた。
辻裁判長は判決言い渡し後、個人的感想と断った上で「われわれの上の世代がひどいことをした。一人の人間として、救済しなくてはいけないという感想を持ったが、判例を覆せるような理論を立てられないのであればやむを得ない。裁判以外の手続きで解決できたらと思う」と異例の言及をした。
原告は元労働者3人と、死亡した元労働者4人の遺族。被告の4社は鹿島、熊谷組、大成建設、飛島建設。(北海道新聞サイト版2006/03/10
14:38
)
【登載判例集】
第一審(長野地裁、平18.3.10) 判例時報1931号
(169) 2006年3月29日 福岡地裁、中国人強制連行福岡訴訟(第2陣)で請求棄却
第二次大戦中に中国から強制連行され、福岡県内の炭鉱などで過酷な労働を強いられたとして、中国人男性四十五人が国と炭鉱を経営していた三井鉱山、三菱マテリアル(いずれも東京)に計約十億円の損害賠償などを求めた中国人強制連行福岡訴訟第二陣の判決が二十九日、福岡地裁であり、須田啓之裁判長は原告の請求を棄却した。原告は控訴する方針。
判決は強制連行・強制労働について「国と企業の共同不法行為」と認定した。しかし、国への請求は旧憲法下の国の権力行使に賠償責任は問えないとする「国家無答責」を適用し、退けた。
また、不法行為から二十年で損害賠償請求権が消滅するとする民法上の除斥期間が経過していると認め、「企業への賠償請求権も消滅した。除斥期間の効果を制限するような特段の事情は認められない」とした。
原告側は「劣悪な環境で生活と労働を強いられた」と、国と企業が原告の安全に配慮する義務に違反したと主張していたが、判決は「国と原告の間には具体的な指揮監督関係はなかった」などとして国・企業の責任を認めなかった。
原告は河北省や上海などの出身で七十四―九十一歳。一九四三―四四年に中国から強制連行され、三井三池炭鉱(福岡県、熊本県)や三菱飯塚炭鉱(福岡県)などで過酷な労働を強いられたとして一人当たり二千三百万円の賠償などを求めていた。
同訴訟の第一陣(原告十五人)の福岡地裁判決(61)は二〇〇二年四月にあり、国家無答責を理由に国への請求は退けたが、除斥期間の適用は認めず企業に賠償を命じた。しかし、〇四年五月の控訴審判決(128)は強制連行・強制労働を「国と企業の共同不法行為」と認定し、国側の国家無答責の主張も退けたが、国と企業への請求に除斥期間を適用し、原告の請求を棄却した。(西日本新聞2006.03.29夕刊)
なお、控訴審判決(242)参照。
【登載判例集】
第一審(福岡地裁、平18.3.29) 訟務月報54巻6号
(169#) 2006年3月30日 日中戦争中の重慶爆撃被害者、日本政府に賠償求め東京地裁に提訴
日中戦争中の1938〜43年、旧日本軍による中国・重慶への爆撃で家族を奪われたなどとして、中国人被害者40人が日本政府に1人当たり1000万円の国家賠償と謝罪を求める訴訟を30日、東京地裁に起こした。
訴えたのは、重慶やその周辺で爆撃を受け負傷した人や家族を失った遺族ら。04年4月に「重慶大爆撃被害者民間対日賠償請求原告団」を結成した。
訴えによると、重慶は37年12月、国民党政府が首都とし抗日運動の拠点となり、旧日本軍は38年2月から5年半にわたり重慶の市街地などに焼夷弾(しょういだん)などを投下。中国側の調査によると死者は約2万4000人に上るとされる。原告側は、無差別爆撃はハーグ陸戦条約(1907年)など当時の国際法違反にあたると主張している。【伊藤一郎】(毎日新聞2006.03.30夕刊)
(169a) 2006年4月25日 東京高裁、旧日鉄釜石第二次供託金訴訟で請求棄却
戦時中、旧日本製鉄(現新日本製鉄)釜石製鉄所(岩手県)に強制連行され、死亡した韓国人労働者七人の遺族が供託された未払い賃金を受け取れなかったとして国に一人当たり二千万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は二十五日、請求棄却の一審東京地裁判決(二〇〇四年十二月)(139)を支持、遺族側の控訴を棄却した。
国に供託されていることを遺族側に通知する義務があったかどうかが争われ、原田敏章(はらだ・としあき)裁判長は一審判決と同様「戦争直後の日韓の通信状態は良好と言えず、通知書を送付しても遺族に確実に届くと見込まれる状況ではなかった」と判断した。
一、二審判決によると、七人は一九四二年から四四年ごろにかけて強制連行され、釜石製鉄所に徴用されたが、四五年までに連合国軍による攻撃などで死亡した。
遺族は九〇年以降、未払い賃金の供託を知り、盛岡地方法務局に還付請求したが、韓国側が戦時被害の個人請求権を放棄した日韓請求権協定(六五年)などを理由に却下された。
判決後、記者会見した遺族の男性は「未払い賃金は遺族に返すべきだったのに、日本は計画的に供託で処理した。世界中で、こんな非良心的な戦後処理をした国はないと思う」と話した。
釜石製鉄所労働者の未払い賃金供託問題をめぐっては、別の損害賠償請求訴訟も起こされたが、一審東京地裁、二審東京高裁ともに原告側が敗訴している。(2006.04.25共同通信)
なお、最高裁判決(177a)参照。
(170) 2006年5月16日 最高裁、平頂山事件訴訟上告棄却
旧日本軍が一九三二年九月、中国・撫順市郊外の村を襲撃した「平頂山事件」をめぐり、当時四−九歳の中国人被害者らが日本政府にそれぞれ二千万円の損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第三小法廷(上田豊三(うえだ・とよぞう)裁判長)は十六日、原告側の上告を退ける決定をした。
旧日本軍による住民虐殺を認定し、原告側の請求を棄却した二審東京高裁判決が確定した。
原告は楊宝山(よう・ほうざん)さん(83)、方素栄(ほう・そえい)さん(77)と二審判決後に死亡した莫徳勝(ばく・とくしょう)さんの親族。
一、二審判決は、ともに戦後の国家賠償法施行前の国による不法行為について国は賠償責任を負わないとする「国家無答責」の考え方を適用し、請求を退けた。(2006.05.16 共同通信)
なお、第一審(68)、第二審(152)判決参照。
(171) 2006年5月25日 東京地裁、韓国人遺族の靖国合祀中止訴訟棄却
第二次世界大戦中に旧日本軍に徴用された韓国人の元軍人・軍属や遺族414人が「日本の英霊として靖国神社にまつられ、被害者としての人格権を侵害された」などとして、合祀(ごうし)中止や計約44億円の賠償を国などに求めた訴訟で、東京地裁は25日、原告の請求を棄却した。中西茂裁判長は「合祀は靖国神社が判断、実施しており、国と神社が一体となって行ったとはいえない」として、国に対する訴えを退けた。靖国神社への合祀中止を巡る初の司法判断。
合祀中止を請求した原告は414人中117人。訴えによると、原告の父や兄らは旧日本軍の軍人・軍属として第二次大戦中に中国大陸などで戦死し、国が1956〜59年に日本人戦没者として靖国神社に通知したことから合祀された。遺族らは「意思に反して、侵略した異民族の宗教(日本の神道)でまつられ、民族的、宗教的人格権を侵害された」と主張し通知撤回を国に求めていた。
判決はこの通知について「神社からの問い合わせに戦没者の氏名などを国が回答したもので、一般的な行政事務の範囲内。原告に強制や具体的な不利益を与えておらず、原告らの民族的、宗教的人格権や思想良心の自由を侵害したとは言えない」と判断した。
このほか、原告は▽戦場で死傷したことへの賠償▽死亡者の遺骨返還や死亡状況の遺族への通知▽徴用中の未払い賃金の支払い▽BC級戦犯にさせられたり、シベリアに抑留させられたことへの賠償▽軍事郵便貯金の未返還に対する賠償−−などを、国と日本郵政公社に請求。しかし判決は、日韓請求権協定(65年)で原告の国への請求権は消滅し、遺骨についても国が保管していると認められないなどとして、いずれの訴えも退けた。
靖国神社がまつっている約246万柱のうち、朝鮮半島出身者は約2万1000人。一部の遺族原告は来日して合祀中止を直接求めたことがあるが、同神社は認めていない。【高倉友彰】(毎日新聞 2006年5月25日 東京夕刊)
【登載判例集】
第一審(東京地裁、平18.5.25) 判例時報1931号;訟月54巻3号
(172)
2006年6月13日 最高裁、在外被爆者訴訟で初判断:出国後も受給権があるが、支払義務は国ではなく地方自治体にある
海外への出国を理由に被爆者援護法の健康管理手当の支給を打ち切られた被爆者が、手当支給を求めた2件の「在外被爆者訴訟」の上告審判決が13日、最高裁第3小法廷であった。手当の支給義務が国にあるか自治体にあるかが争点となったが、第3小法廷は「国は支払い義務を負わない」との初判断を示し、原告側の国への訴えを退けた。03年の制度改正で出国後も手当は支給されるようになったが、訴訟上は国側の勝訴が確定した。
同種訴訟で初の最高裁判決。原告は韓国在住の元徴用工、李康寧(イカンニョン)さん(78)と、長崎市の元高校教諭、広瀬方人さん(76)。2人は長崎で被爆し、手当を受給していたが、李さんは帰国を理由に、広瀬さんは中国に居住していた間、支給を打ち切られた。李さんは約103万円、広瀬さんは約33万円の未払い分の支払いを求めた。
第3小法廷は「出国しても被爆者は手当の受給権を失わない」との初判断を示したうえで「国外に出た場合は、最後の居住地の自治体が支給義務を負い、国に支給義務はない」と述べた。
李さんの裁判では1
(49b)、2審
(87)とも支給は国の義務と判断。広瀬さんの1審
(88#)も同様の判断を示したが、2審
(121a)は長崎市の義務としたうえ、時効を理由に請求を退けた。
74年の旧厚生省通達は「日本を離れると被爆者の地位を失う」としていたが、同種訴訟の敗訴を受け国が制度を見直し、03年から出国後も自治体を通じて手当が支給されるようになった。李さんにも未払い分が既に支払われている。【木戸哲】(毎日新聞2006年6月13日東京夕刊
)
【登載判例集】
@李事件 最高裁(2006.6.13) 判例タイムズ1213号(2006.9.1)、訟務月報53巻10号2780頁
A広瀬事件 最高裁(2006.6.13) 訟務月報53巻10号2780頁
(173) 2006年6月16日 東京高裁、中国人強制連行訴訟東京二次訴訟で除斥期間を過ぎているとして棄却
第二次大戦中に日本に強制連行され過酷な労働を強いられたとして、中国人41人が国と企業10社に総額約8億4000万円の賠償などを求めた訴訟の控訴審で、東京高裁は16日、1審・東京地裁(03年3月)
(88)に続き原告敗訴の判決を言い渡した。
赤塚信雄裁判長は、1審が避けた強制連行や労働の事実認定で「国と企業の共同不法行為」と踏み込んだ。しかし1審同様「(賠償請求権が20年で消滅する)民法の除斥期間を過ぎてから提訴した」として原告側の控訴を棄却した。原告側は上告の方針。
判決は全原告について、拘束や連行、劣悪な環境での労働などを認定。「国が主導し企業も関与した。極めて悪質で被害も重大」と指摘した。一方で「除斥期間の適用は著しく正義に反する」とする原告側の主張は「提訴が不可能だったとまでは言えず、日中間では戦後処理もされている」と退けた。【高倉友彰】(毎日新聞2006年6月17日東京朝刊
)
【他紙による補充】
一方、企業については「雇用契約が締結された場合と同等の労働の提供を受けたのだから、労働者の安全を配慮する義務があった」と認定。劣悪な労働条件で働かせたことは安全配慮義務違反に当たるとしたが、時効成立で請求権は消滅したと判断した。(日本経済新聞2006.06.17朝刊)
【私見追加】
第一審判決(綿引万里子裁判長)は国の不法行為に関連して、いわゆる国家無答責の法理を否定して問題となったが、この問題について第二審がどのような判断を下したか、新聞報道では触れていないのでわからない。
なお、中国人戦争被害者の要求を支える会のサイト<http://www.suopei.org/index-j.html>に判決要旨が掲載されれており、これを見る限り判決は国家無答責の法理についてはまったく触れることなく不法行為の成立を認定している。結果的には不法行為の法理そのものまたはその適用を否定したことになると解することも可能かもしれないが、判決は除斥期間について論じた後「したがって,その余の点について検討するまでもなく控訴人らの被控訴人らに対する不法行為に基づく損害賠償請求は理由がない。」と判示しているので、裁判所としては国家無答責の問題については一切ノー・タッチのつもりかも知れない。
また、中国国民の対日請求権が日華平和条約または日中共同声明によって放棄されているか否かの争点についても判決はまったく触れていない。ただ、「また,本件訴訟は,不法行為時から50年以上,日中共同声明からでも20年以上が経過した後に提起されたものであり,その上,本件強制連行・強制労働自体,戦争行為との関連性を否定できず,その敗戦に伴う国家間の財産処理に関しては,その後関係国家間において,いわゆる戦後処理がなされている。
これらの事情を総合考慮すると,本件において,民法724条後段を適用し20年の経過によって控訴人らの権利行使が許されないとすることが,著しく正義・公平の理念に反するといえるような特段の事情があるとまでは認められない。」という表現がある。すなわち、除斥期間の適用を肯定する一つの理由として戦後処理があげられているわけであるが、しかしこれは個人請求権放棄の根拠として挙げられれているわけではない。
判決全体として、むつかしい争点に踏み込むことを避けて、除斥期間・時効だけで処理した印象が強い。
【登載判例集】 未登載。ただし、中国人戦争被害者の要求を支える会のサイト(
http://www.suopei.org/index-j.html
)に判決文が掲載されている(2007.8.4掲載)。
なお、最高裁判決(201)参照。
(173#) 2006年6月20日 最高裁、旧日鉄釜石製鉄所強制連行韓国人遺族の国への訴訟上告棄却
戦時中に朝鮮半島から旧日本製鉄釜石製鉄所に強制連行され、死亡した四人の遺族が、戦後に供託された未払い賃金の還付請求を法務局が却下したのは違法として国に損害賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第三小法廷(堀籠幸男(ほりごめ・ゆきお)裁判長)は二十日、原告の上告を退ける決定をした。原告敗訴の二審東京高裁判決(162)が確定した。
一、二審判決によると、四人は一九四五年七月、米軍の艦砲射撃で死亡。製鉄所側は翌年、未払い賃金を法務局に弁済供託した。四人の遺族は九七年に還付請求したが、法務局は、戦時中に受けた被害の個人請求権は消滅するとした日韓請求権協定に基づき却下した。
一審東京地裁(134)、二審はともに「請求権消滅は明らかで却下は適法」と判断した。(共同通信 2006.06.20)
(173a)
2006年8月30日 東京地裁、中国人慰安婦海南島訴訟棄却
旧日本軍の従軍慰安婦だった中国・海南島の女性八人(提訴後に二人死亡、遺族四人承継)が国に総額約一億八千四百万円の損害賠償と謝罪広告を求めた訴訟の判決で、東京地裁は三十日、請求を棄却した。女性側は控訴する方針。
元慰安婦による賠償請求訴訟は一九九〇年代以降十件あり、今回が最後の一審判決。七件は既に原告敗訴が確定し、残る二件は控訴審で敗訴した原告が上告している。
矢尾渉(やお・わたる)裁判長は旧日本軍による女性らへの監禁や暴行などを認定。その上で「(公権力の行使に対する国などの賠償責任を定めた)国家賠償法の施行前で請求権はない。仮に請求権があったとしても、除斥期間(権利の存続期間、不法行為に対する損害賠償請求権は二十年)が経過し、消滅した」との判断を示した。
女性側は日本政府と国会が戦後、女性らの名誉回復を図る行政措置や立法を怠ったとも主張したが、矢尾裁判長は「そうした義務があったとはいえない」として退けた。
判決によると、女性八人は一九四二年前後、海南島を占領していた旧日本軍兵士に連行され、繰り返し乱暴された。当時十四−十八歳で、終戦まで約三年間監禁された女性もいた。
女性らは裁判で「戦後夫から『日本人に捨てられたごみ』と言われたり、隣人から差別されたりした。今でも監禁時の夢を見るなど心的外傷後ストレス障害(PTSD)の症状もある」と訴えていた。(2006.08.30 共同通信)
【登載判例集】
第一審(東京地裁 平18.8.30) 訟務月報54巻7号
なお、東京高裁判決(243)参照。
(174) 2006年9月26日 広島地裁、被爆者手帳海外申請却下処分に対する賠償請求棄却
来日しないことを理由に被爆者健康手帳の申請を認めないのは、被爆者援護法の解釈の誤りで違法であるとして、広島で被爆した韓国在住の李相Y(イ・サンヨプ)さん(83)が国と広島県を相手取り、却下処分の取り消しと35万円の損害賠償の支払いを求めた訴訟の判決が26日、広島地裁であった。能勢顕男裁判長は「原告は提訴後に来日して手帳の交付を受けており、訴えの利益がない。手帳の交付は重要な手続きであり、国内での直接面接を手続きの原則とすることには一定の合理性がある」として処分の取り消し請求を却下し、賠償請求を棄却した。
海外からの被爆者健康手帳の申請を認めない国の姿勢の違法性を争った初の訴訟だった。手帳取得後に支給される様々な手当は昨年11月から在外公館を通じて申請できるようになっており、手帳の申請のみが来日を必要としていた。
一方、制度改正前に韓国からの健康管理手当の申請を広島市に却下されたとして、国と同市に35万円の損害賠償を求めていた朱昌輪(チュ・チャンユン)さん=提訴後に82歳で死亡=の訴えは棄却された。
訴えによると、李さんは戦前、徴用工として強制連行され、広島市の旧三菱重工業で勤務していた45年、爆心地から約3.5キロの工場内で被爆。終戦後に韓国に戻った。04年11月、代理人が広島県に手帳の申請をしたが却下された。05年6月の提訴後に、訴訟の長期化を懸念した李さんは来日し、長崎市で手帳を取ったものの、「却下処分は取り消されていない」と訴訟を続けていた。
李さんは04年3月、徴用工時代の仲間の証言をもとに、在外被爆者を対象に手帳申請に先立って交付される「被爆確認証」を長崎市から取得。原告側は、原告の被爆事実は確認されている▽援護法は必ずしも手帳申請の手続きを国内のみに制限したものではない――などと訴えていた。
国・県側は、援護法が手帳の申請先を「居住地(または現在地)の都道府県知事」としていることから、「審査を適正、円滑に行うため申請者は国内にいることを前提にしている」と反論。さらに、李さんは提訴後に手帳を取得しており、原告不適格と主張していた。(朝日新聞2006.09.26夕刊)
【登載判例集】
第1審(広島地裁2006.9.26) 判例タイムズ1239号(2007.7.15)
なお、関連判決(228)、および本件控訴審判決(230)参照。
(175) 2006年9月27日 大阪高裁、中国人強制連行京都訴訟請求棄却、「国家無答責の法理」適用
第二次大戦中、京都府与謝野町の大江山ニッケル鉱山に強制連行され過酷な労働を強いられたとして、中国人の劉宗根(りゅうそうこん)さん(76)ら元労働者六人(うち二人死亡)が国に約一億一千万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、大阪高裁は二十七日、一審と同様、国の賠償責任を認めず請求を退けた。
判決理由で田中壮太(たなか・そうた)裁判長は、旧日本軍による強制連行を「公権力の行使」と認定。一九四七年の国家賠償法施行以前の公権力行使に対し、国は賠償責任を負わないとする「国家無答責」の法理を適用した。原告側は上告する方針。
判決は「仮に国家無答責が適用されなくても、二十年で賠償請求権が消滅する除斥期間が経過している」と指摘した。
二〇〇三年一月の京都地裁判決(83)は、強制連行は「法的根拠のない不法な実力行使で、公権力行使に当たらない」として国家無答責を適用せず国の不法行為責任を認めたものの、除斥期間を理由に請求をいずれも棄却。原告側が控訴していた。
原告側は「一審判決より後退した内容だ」と批判している。
訴えていたのは、中国・河南省の劉さんら四人と死亡した二人の遺族十二人の計十六人。
判決によると、劉さんらは一九四四年、中国の農村などから貨物船や列車に詰め込まれ強制連行。露天掘りの鉱山で、粗末な食事しか与えられず一日十四時間以上、働かされた。終戦により、四五年十二月に帰国した。
原告側は九八年八月、国と鉱山を採掘していた日本冶金工業(東京)を提訴。同社は〇四年九月、解決金計二千百万円を支払い大阪高裁で和解した。(2006.09.27 共同通信)
なお、最高裁判決(199)参照。
(175a) 2006年11月2日 ドイツ連邦最高裁、ヴァルヴァリン事件上告棄却
ドイツ連邦最高裁判所は、2006年11月2日、原告らはドイツ連邦共和国に損害賠償を求めることはできないという下級審の判決を支持して、ヴァルヴァリン事件被害者らの上告を棄却した。その要点は、次の通りである。
@ 戦時国際法違反に対して、加害国に対する損害賠償請求権は、今日なお被害者個人にではなく、彼の本国にのみ帰属する。第二次世界大戦期の法状況については、2003年6月26日の連邦最高裁ディストモ判決
(102b)に詳しいが、本判決はこれを補充して第二次大戦以後の動きについて詳論した。A
a) ドイツの兵力が直接には参加せず、ただ支援措置に加わっていただけのNATO空爆の国際法違反行為は、ドイツの公務員(軍人)が具体的攻撃の細目について知らされていた場合に限って、職務義務違反の観点からドイツ連邦共和国に責任を帰属させることができるにすぎない。本件の場合、この要件を満たさない。したがって、一般的に外国におけるドイツ国防軍の軍事行動に基本法34条と関連づけた民法典839条の職務責任(Amtshaftung)が適用可能か否かの問題は、論ずる必要がなくここでは未決定とする。b) 軍司令部が彼らの決定(NATO空爆の目標設定の際の協力)に際して有する裁量の余地についは、広範な裁量を認めて、明らかに恣意的と考えられる場合を除いて、司法審査に服さないとした。
以上からわかるように、本判決をケルン高裁の判決(156a)と比較すると、(1)
国際法上の個人請求権については、両者とも第二次世界大戦期はもちろん現在の国際法においても認められていないとする。その点では、2003年12月10日のボン地裁のヴァルヴァリン判決(116&)も同じ立場であった。しかし、今回の連邦最高裁判所の判決は、第二次大戦後の法状況に詳細な、しかも極めて堅牢な法解釈を加えている点に特徴がある。
(2) ドイツ国内法に基づく請求権に関しては、結論として請求を認めない点においては同一であるが、理由の説明の部分には重要な相違がある。ケルン高裁判決は、第二次世界大戦期の事件ではなく現在の戦争または紛争の事件については、ドイツ基本法における基本的人権の位置づけからして、ドイツ国家責任法が一般に適用されうるという結論を、ドイツの裁判所として始めて下した。もっとも、当該事件に関しては具体的にその要件を満たしていないために原告の請求を棄却したが、理論的にはこのケルン高裁の判決は、ドイツの軍隊の構成員による戦争法規違反の被害者は、国際法上の請求権は有しないけれども、ドイツ国内法(国家責任法)に基づく請求権をドイツ国内裁判所において主張しうる可能性があることを肯定した点において重要な意味をもった判決である。これに対して、今回の連邦最高裁判決は、考察の順序を逆にして、本件の事実関係がドイツ国家責任法適用の要件を欠くことを論証して、一般論としてドイツ国家責任法が適用可能か否かの問題は決定する必要がないとした。連邦最高裁判所が今回このようにこの問題に決着をつけなかったのは、判決の論理構成上必要がないという理由のほかに、連邦憲法裁判所がこの問題を未決定としている(165a)ことももちろん考慮に入れてのことであろう。(山手記)
【登載判例集】 ドイツ連邦最高裁判所のサイト (
http://www.bundesgerichtshof.de/
)から入手可能。なお、本判決の邦訳は、山手治之「判例研究・NATOユーゴ空爆被害者の対独損害賠償請求訴訟ーードイツ国内裁判所のヴァルヴァリン事件判決ーー(2)」立命館法学314号(2007年)所収、参照。
(176) 2006年12月1日 神戸地裁、中国残留孤児訴訟で国の賠償責任を認める
兵庫県内などの中国残留日本人孤児六十五人(一人死亡)が、終戦後に国が早期の帰還措置を取らず、永住帰国後も十分な支援を怠ったなどとして、一人当たり三千三百万円の国家賠償を求めた訴訟の判決が一日、神戸地裁であった。橋詰均裁判長は「国の違法な措置で帰国を制限された」と国の責任を認定。自立支援についても北朝鮮拉致被害者の支援策と比較して「極めて貧弱」と指摘したうえ義務を怠ったとして、原告六十一人に対し、国に総額四億六千八百万円の支払いを命じた。四人の請求は棄却した。原告側のほぼ全面勝訴となった初判断で、全国で争われている一連の集団訴訟に影響を及ぼしそうだ。
国の戦後責任のあり方を問う集団訴訟は、全国の中国残留孤児約二千二百人が原告となり、十五地裁、一高裁で係争中。二〇〇五年の大阪地裁判決では、原告の請求は退けられており、二例目となる神戸地裁判決と判断が分かれた。
判決理由で橋詰裁判長は、残留孤児が生まれた原因を「戦前の政府の政策は、国民の生命・身体を軽視する無慈悲な政策のため」と断罪。「憲法の理念を国政のよりどころとする戦後政府は、残留孤児を救済すべき高度の政治的な責任を負う」とし、早期に帰国させる責任を認めた。
残留孤児の帰国が実現するまでに長期間経過したことについて、「日中国交正常化後は、政府の救済責任と矛盾する行為をしてはならず、帰国を制限したのは違法」とした。国が残留孤児の帰国の際、身元保証人が必要としたことなどを批判した。
また帰国後の自立支援について、北朝鮮拉致被害者と同等の支援を受ける権利があると認め、「国が永住帰国から五年間、日本語の習得、就職活動や生活保持などを支援する義務があった」とした。「国の支援策は極めて貧弱」とし、日本社会への適応が困難になったのは、「政府の無策と違法行為が積み重なった」と厳しく批判した。
国側は、孤児の被害について「国民が等しく受忍しなければならない戦争損害」とし、補償措置の実施などは政府の裁量によると主張していたが、判決は「日中国交正常化後の政府の違法行為による損害であり、戦争損害はない」と退けた。
判決は、生活保護とは別の継続的な給付金を支給する制度の必要性に触れたが、「立法不作為」については否定。請求が認められなかった原告四人については、民法の除斥期間(二十年)を理由に退けた。
拉致被害者と落差老後保障充実急務 <解説>
中国残留孤児訴訟で、国の賠償責任を明確に認めた一日の神戸地裁判決は、残留孤児の帰国の遅れや自立支援の不十分さを「国の怠慢」と断罪した。戦前・戦後の政府の政策を「無策」と表現し、国の責任を追及する画期的な司法判断といえる。全国で争われている一連の訴訟に与える影響は大きい。
判決は、国策で中国に放置され、帰国後も日本語が話せず七割が生活保護を受けるという、原告の長年の苦痛に最大限配慮した。帰国後の支援義務については、北朝鮮拉致被害者に対する自立支援策と比較し、残留孤児への支援策が「極めて貧弱」と指摘。支援を受ける孤児の権利を拉致被害者と同等と認めた。
永住帰国から五年間、孤児が日本語の習得や職業訓練などにじっくりと取り組むため、生活保持の支援をするよう法的義務を国が負っていたと、その責任を厳しく問うものとなった。
日本語教育や生活相談は、不十分さを指摘されてから施設を整備するなど国の対応は後手に回っている。残留孤児の妻の子どもをめぐる強制退去処分取り消し訴訟の判決(二〇〇五年三月)でも、福岡高裁は一九九四年の「自立支援法」などの救済措置を、「遅きに失した」と批判している。
大阪地裁判決後、厚労省は高齢者向けの日本語教育や通訳の派遣を補充したが、問題の抜本的解決にはほど遠い。原告が求める政府への「全面解決要求」が認められるのかという問題もまだ残っている。
一審とはいえ司法の判断が出た今、原告の高齢化が進む現状からも、立法、行政府は現状を直視し、老後の生活保障など早急な対応をすべきだ。残された時間は少ない。(三島大一郎)(神戸新聞2006.12.01朝刊)
【登載判例集】
第一審(神戸地裁2006.12.1) 判例時報1968号(2007.8.1)、訟務月報53巻4号(2007年4月)(2007.1.30の東京地裁判決の掲載に際し参考として)
なお、後続(すべて棄却)の東京地裁判決(178)、徳島地裁判決(185)、名古屋地裁判決(188)、広島地裁判決(189)、札幌地裁、高知地裁判決(200)、「政府中国残留孤児の支援策決定、全国の15件訴訟すべて集結へ」(205)、および大阪高裁での本訴訟の取り下げ(221)参照。
(176&) 2006年12月15日 シベリア抑留補償かなわず、基金解散し慰労品贈呈へ
シベリア抑留者らの慰労事業をしてきた独立行政法人「平和祈念事業特別基金」を解散する与党提出法案が十五日、参院本会議で可決、成立した。今後は生存者に慰労品を贈呈する事業が実施されるが「強制労働の賃金支払い」を求めてきた元抑留者らの願いはかなわず、補償問題は事実上の幕引きとなった。
政府・与党は基金の解散により資本金を取り崩し、生存者のうち/(1)/戦後抑留者に十万円相当の旅行券/(2)/恩給欠格者に五万円相当の旅行券/(3)/引き揚げ者に二万円相当の銀杯−を交付する案を検討している。
民主、共産、社民の野党三党は、元抑留者に帰国時期に応じて一人当たり三十万−二百万円の特別給付金を支給する法案を提出したが、衆院、参院でいずれも否決された。
抑留者の補償をめぐっては、一九五六年の日ソ共同宣言で相互の請求権が放棄された。政府は特別基金を設けて元抑留者らに十万円の国債や銀杯、感謝状などを贈ってきたが、法的な補償義務を否定し続け「補償ではなく慰労金や慰労品」という位置付けをしてきた。
元抑留者らで組織する「全国抑留者補償協議会」は「戦後半世紀、私たちが求めてきたのは不当な抑留・奴隷労働への補償。抑留問題の幕引きには断固反対」との声明を発表した。(共同通信2006.12.15)
なお、平和祈念事業特別基金のサイト< http://www.heiwa.go.jp/
>参照。
(176
#) 2007年1月15日 最高裁、西松建設の上告を請求権放棄問題に限り受理、他はすべて棄却
第2次大戦中に強制連行され、広島県内の水力発電所の建設現場で過酷な労働をさせられたとして中国人の元労働者ら5人が西松建設を相手に起こした訴訟で、最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)は双方の意見を聞く弁論を3月16日に開くと決め、関係者に通知した。同社に総額2750万円の支払いを命じた二審・広島高裁判決を覆すとみられ、原告側が逆転敗訴する見通しだ。
第二小法廷は、72年の日中共同声明で中国人個人の損害賠償請求権が放棄されたかどうかについて初判断を示すとみられ、従軍慰安婦訴訟など中国人の戦後補償訴訟すべてに決定的な影響を及ぼすことになる。
弁論は、二審の結論を維持する際には開く必要がない。第二小法廷は、請求権放棄についての西松建設側の主張に論点を絞って上告を受理した。
日中共同声明では、「日本国に対する戦争賠償の請求を放棄する」とされている。西松建設側は「請求権は放棄された」と主張。しかし広島高裁は「中国国民の加害者に対する賠償請求権の放棄までも当然に含まれているものと解することは困難だ」として、この主張については退けた。
この裁判は、98年1月に広島地裁に提訴。原告側は、44年ごろに日本に連行され、1日12時間以上、トンネル工事などに従事させられたと主張した。02年7月の一審判決(70)は、西松建設側が労働環境を整えるなど安全配慮義務を尽くさなかったと認めたが、時効により請求権は消滅したとして請求を棄却した。しかし、04年の二審判決(131)は「消滅時効の援用は著しく正義に反し、権利の乱用で許されない」として、請求全額の支払いを命じた。
戦後補償裁判の弁護団によると、中国人が原告の強制連行訴訟は下級審も含めて14件が係争中。慰安婦訴訟は最高裁で2件が審理中。(大島大輔)(朝日新聞2007.01.16朝刊)
(176
a) 2007年1月22日 福岡高裁、在外被爆者訴訟で消滅時効適用
被爆者援護法に基づき健康管理手当を支給された韓国人被爆者の故・崔季〓(チェゲチョル)さん(二〇〇四年に七十八歳で死去、遺族が訴訟継承)が、出国を理由に支給を打ち切られたのは違法として、未払い分の手当など約九百六十万円の支払いを国と長崎市に求めた訴訟の控訴審判決が二十二日、福岡高裁であった。牧弘二裁判長は、争点となった地方自治法上の請求権の時効(五年)について「原告の受給権は既に消滅している」と判断。市に請求の一部(約八十二万八千円)の支払いを命じた一審・長崎地裁判決(163a)を取り消し、原告全面敗訴の逆転判決を言い渡した。原告側は上告する方針。 【5面に判決要旨、34面に関連記事】
同種の訴訟では、昨年二月の広島高裁判決(164)が時効適用を認めておらず、高裁段階で判断が割れる結果となった。
判決理由で牧裁判長は、手当の支給を国内居住者に限定した一九七四年の旧厚生省局長通達(四〇二号通達)について「日本語を話すことができない在外被爆者が異議を唱えるのは困難だった」と原告側の立場に理解を示す一方で、「(原告は)法制度上、司法的救済を求めることができたのに、しなかった」と判断。「被告側の時効適用の主張は、信義則違反、権利の乱用とはいえない」と結論づけた。
判決によると、長崎市で被爆した崔さんは、一九八〇年五月に治療のため同市を訪れ、手当の支給を申請。一カ月分を受給後、韓国に帰国したため支給を打ち切られていた。
二〇〇五年十二月の一審判決は、四〇二号通達が「日本の法制度に理解の乏しい在外被爆者にとっては重大な障害だった」と指摘。「時効の適用を主張することは信義則上、許されない」として、支給期間を「最長三年間」と定めた当時の制度に基づき、残る二年十一カ月分について市に支払いを命じた。慰謝料などの請求は棄却した。 (西日本新聞2007.01.23朝刊)
なお、本件上告審で最高裁が弁論開催を決定した記事(212)、最高裁判決(220)および広島高裁判決に対する上告審の最高裁判決(180)参照。
(177) 2007年1月25日 チチハル市の遺棄毒ガス中国人被害者、東京地裁に日本政府を提訴
中国黒竜江省チチハル市で2003年8月、旧日本軍が遺棄したドラム缶から液体の毒ガスが漏れ、中毒になった中国人被害者と遺族計48人が25日、日本政府に計約14億3000万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。
訴状によると、ドラム缶はマンションの建設工事現場から5つ掘り出され、発掘や搬送、解体にかかわった作業員や現場の土が運び込まれた市内の中学校で遊んでいた子ども計44人に皮膚のただれ、視力の低下、呼吸器障害などの被害があった。うち作業員の男性1人が死亡した。
日本は03年、補償ではなく「遺棄化学兵器処理事業にかかる費用」として、中国に3億円を支払い、中国は被害者に大部分を分配した。
被害者は後遺症への恒久的医療支援などを求めたが、日本政府が応じなかったため提訴した。死亡した男性については遺族5人が原告となった。〔共同〕(日本経済新聞2007.01.26朝刊)
なお、関連記事(109)、(111)、(118)参照。
(177a) 2007年1月29日 最高裁、日鉄釜石の強制連行訴訟上告棄却、韓国人遺族敗訴が確定
戦時中に朝鮮半島から岩手県釜石市の日本製鉄(現新日本製鉄)釜石製鉄所に強制連行され、終戦までに死亡した計十一人の韓国人の遺族が、国に計四億円の賠償と遺骨返還などを求めた二訴訟の上告審で、最高裁第二小法廷(中川了滋(なかがわ・りょうじ)裁判長)は二十九日、遺族の上告を退ける決定をした。遺族敗訴が確定した。
二訴訟の二審東京高裁判決((159)および(169a))によると、十一人は一九四二−四五年に強制連行され、働かされていた同製鉄所への連合国側の艦砲射撃や労働中の事故で死亡した。
いずれの訴訟も一、二審判決は強制連行・労働の事実を認定。その上で、国に計二億六千万円の賠償や遺骨返還などを求めた訴訟の判決は、国家賠償法施行前の国の賠償責任を否定する「国家無答責」の法理を適用するなどして請求を棄却(新日鉄とは慰霊金支払いなどで九七年に裁判外で和解)。
日本製鉄が四六年に盛岡法務局に供託した未払い賃金について、国が遺族に通知しなかったために受け取れなかったとして計一億四千万円の賠償を求めた訴訟の判決も「当時の通信事情の悪さからすれば、所在不明の遺族に通知しなかったのもやむを得ない」などとして国の通知義務を否定し、請求を棄却した。(2007.01.29共同通信)
(178) 2007年1月30日 東京地裁、中国残留孤児の国家賠償請求を棄却
日本に永住帰国した中国残留孤児40人が、国がすみやかな帰国措置や永住後の自立支援義務を怠ったために就労や教育で不利益を被ったとして、計13億2000万円(1人3300万円)の賠償を国に求めた訴訟の判決が30日、東京地裁であった。加藤謙一裁判長は「早期帰国を実現する法的義務や、法的な自立支援義務を国が負うとは認められない」と原告側の請求をすべて棄却。「日本の生活習慣に慣れない孤児が一挙に大量に帰国すれば、円滑に定着することは困難」などと述べて、国の帰国支援策に問題はないとの見方を示した。原告側は控訴する方針。
残留孤児が全国15地裁で起こした集団訴訟の3件目の判決。先行した大阪地裁は原告敗訴、2件目の神戸地裁は国の責任を認めた。
東京訴訟でも、孤児たちは、多くが日本語を十分に話せず、生活に窮していると訴えた。訴訟を通じ、制約の多い生活保護ではなく、新たな支援策の創設を国に求めた。
これに対し判決は、民間人を保護しなかった日本軍の作戦行動などが孤児発生の原因になったとの認識を示しつつ、「直接的な原因はソ連軍との戦闘行為やソ連兵、現地住民による犯罪行為だった」と指摘。植民地や戦争をめぐる国の政策は高度の政治的判断に基づくとし、「政策と孤児発生との因果関係の有無に対し法的判断を加えることに疑問の念を禁じ得ない」と述べた。
その上で、孤児たちが既に日本語を母国語にすることは困難なうえ、「戦争による損害は国民がひとしく受忍しなければならず、孤児たちを特別扱いする合理的理由は見いだしがたい」とし、国に早期帰国を実現する義務はないと判断した。
国による永住帰国後の自立支援策について、加藤裁判長は「原告に多くの不満があることは理解できる」としながら、「人道的な見地から実行されたもので、生活保護を受けられることを考慮すると、違法または著しく不当とは言えない」と述べた。(朝日新聞2007.01.31朝刊)
【登載判例集】 訟務月報53巻4号(2007年4月)
なお、本件控訴審で、2007年12月13日、残留孤児側は国の支援法を受け入れて訴えを取り下げた(218参照)。
(178
a) 2007年2月2日 釜山地裁、韓国人元徴用工の三菱重工に対する請求を時効で棄却
【ソウル堀山明子】日本の植民地時代、旧三菱重工業の広島市内にある工場に強制連行され、被爆した韓国人元徴用工6人が現在の三菱重工業(本社・東京都港区)に計6億600万ウオン(約7800万円)の未払い賃金と慰謝料の支払いを求め釜山地裁に訴えた裁判で、同地裁は2日、時効成立などを理由に原告の請求を棄却した。日本の徴用被害者が韓国で起こした訴訟の判決は初めて。原告側は控訴する方針。
判決は「韓国民法上の時効(10年)を越えた」とし、未払い賃金請求に関する「証拠も不十分」と判断した。焦点だった65年締結の日韓請求権協定により個人請求権が消滅したかの判断については言及を避けた。
原告6人のうち5人は、日本でも国と三菱重工に対する損害賠償訴訟に参加し、05年1月の広島高裁判決(141)で国に対する慰謝料は勝ち取ったが、三菱重工業に対しては65年締結の日韓請求権協定で個人請求権が消滅したうえ、時効も成立しているなどとして主張が退けられた。釜山地裁への損害賠償訴訟は00年5月、三菱重工業に対し1人当たり未払い賃金100万ウオンと慰謝料1億ウオンを求めていた(1)。
今回の訴訟は、三菱重工業に対し日韓双方で裁判を起こすのは重複訴訟かも問われたが、「韓国法廷でも裁判可能」と判断した。また、植民地時代と現在の三菱重工は別会社との被告側主張は退けた。
原告弁護団の崔鳳泰(チェボンテ)弁護士は「加害国の日本と同じように、韓国司法までが時効を理由に原爆被害者の請求を退けたことに失望した」と述べた。
個人請求権をめぐっては韓国政府が05年1月、日韓条約関連の外交文書を公開し(140)、日韓請求権協定により日本政府に対する個人請求権は消滅したとしたが、その後の補償義務は韓国政府にあるとの認識を明らかにした。(毎日新聞2007.2.3朝刊)
なお、釜山高裁判決(240)参照。
(179) 2007年1月30日 政府、中国残留孤児の支援策拡充へ新たな給付金検討
安倍首相は30日、日本に永住帰国した中国残留孤児が国に賠償を求めている問題に関し、「いままでも支援してきたが支援の仕方を含め、やはり不十分なところがある。誠意をもって対応するよう、与党とも相談するよう厚労大臣に指示を出した」と語り、政府・与党で残留孤児の支援策の拡充を検討する考えを明らかにした。首相官邸で記者団に語った。
30日の東京地裁の判決では国が勝訴したが、首相は「法律問題や裁判の結果は別」と強調。高齢化する残留孤児への給付金制度創設を求めてきた与党の意向も踏まえ、首相としても前向きな姿勢を示したものだ。
ただ、首相は具体的な支援策には触れず、「高齢で日本語が不自由な中で、仕事を持つといっても大変な困難があることも勘案をしていかなければならない。きめ細かな対応が大切だろう」と述べるにとどめた。
与党の「中国残留邦人支援に関するプロジェクトチーム(PT)」は、(1)60歳に達した翌月から単身者には月額13万円支給(2)配偶者加算として5万円支給などを柱とする新たな給付金制度の創設を提案している。首相の指示を受け、政府・与党は今後、法案提出の可能性を検討する。
ただ、政府はこれまで戦争被害者であっても、生活が苦しい場合には生活保護で対応している。厚生労働省は中国残留孤児を特別視すれば、シベリア抑留者や空襲被害者などへの支援とのバランスを欠くとして政府案提出に難色を示している。
政府は新年度予算案で従来の帰国支援や肉親調査に加え、孤児や子供、孫の日本語教育や就労支援、生活相談を強化することを盛り込んでいる。しかし、与党が求める給付金制度を創設するには新たな法整備が必要だ。
首相は新たな法整備については「法律で処置をするのであれば、そのようなことも考えなければいけない。しかし、実際に残留孤児の方々が生活する上で、きめ細かな対応になっていくことが大切だろう」と語った。(朝日新聞2007.01.31朝刊)
(180) 2007年2月6日 最高裁、在外被爆者訴訟で消滅時効の適用を否定した二審判決支持
ブラジル在住の故向井昭治さんら被爆者三人が広島県に対し、地方自治法上の時効(五年)を理由に被爆者援護法の健康管理手当を支払わないのは違法として計約二百九十万円の支給を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第三小法廷は六日、請求全額の支払いを命じた二審広島高裁判決(164)を支持、県の上告を棄却した。原告勝訴が確定した。
藤田宙靖裁判長は判決理由で「在外被爆者に健康管理手当を支給しないとした旧厚生省の四○二号通達は被爆者援護法の解釈を誤った違法なもので、それに沿った事務取り扱いに法令上の根拠はない」と認定。
その上で「違法な事務処理をした県が被爆者の権利を妨げる時効を主張することは特別な事情がない限り、信義誠実の原則に反し、許されない」との判断を示した。
同様に行政側の時効主張の適否が争われた訴訟の控訴審で、時効適用を認め、韓国人被爆者(故人)側に逆転敗訴を言い渡した一月の福岡高裁判決(176a)は、上告審で逆転する可能性が高まった。
判決によると、三人は一九四五年に広島で被爆後、ブラジルに移住。一時帰国した九四−九五年に健康管理手当の受給が認められたが、ブラジルに戻ると、海外居住者の受給権を否定した七四年の旧厚生省通達に従って県が支給を打ち切ったため、二○○二年に相次いで提訴した。
韓国人被爆者に同手当の受給資格を認めた同年十二月の大阪高裁判決(82)を受け、国は通達を廃止。在外被爆者への手当支給が○三年三月から始まったが、県は時効を主張して提訴から五年以上前の手当支給を拒んだ。
○四年十月の一審広島地裁判決(133a)は時効主張を認めて請求を棄却。昨年二月の広島高裁判決は「時効主張は権利の乱用で、時効適用は著しく正義に反する」として三人の逆転勝訴を言い渡し、県が上告した。(中国新聞2007.02.06夕刊)
なお、在韓被爆者に対し同趣旨の判決(2008年2月18日、220)参照
【登載判例集】
第1審(広島地裁、平16.10.14) 民集61巻1号144頁
第2審(広島高裁、平18.2.8) 民集61巻1号144頁166頁
第3審(最高裁、平19.2.6) 訟務月報54巻4号865頁
(181) 2007年2月6日
厚労省、在外被爆者に時効を適用せずに健康管理手当を支給へ
在外被爆者への健康管理手当について厚生労働省は6日、支給する方針を決めた。同日、最高裁が、時効を理由に支給を拒否した広島県の判断を退けたためで、今後対象者を調べ、都道府県に見直しを通知する。
同省によると現在、被爆者健康手帳を持つ在外被爆者は約4000人。国は大阪高裁判決を受け02年12月から過去5年分までさかのぼって在外被爆者に手当を支払うとした。しかし、時効(97年12月)を理由にそれ以前の手当支給を拒否されている人がどれだけいるかは不明。同省健康局は「自治体にどれだけ記録が残っているか。本人も証明するものがない可能性が高い」といい、特定は難航しそうだ。【北川仁士】(毎日新聞2007.2.7朝刊)
(182) 2007年3月9日 東京大空襲、被災者ら112人国を提訴
62年前、一夜のうちに約10万人の命が奪われたとされる東京大空襲の被災者や遺族112人が、国に総額12億3200万円の損害賠償と謝罪を求める集団訴訟を9日、東京地裁に起こした。空襲被害を受けた民間人として初の集団訴訟。原告側は「民間人被害者に何も援助をせず、切り捨て放置した国の責任を問う」として、国家補償が整備された旧軍人・軍属と一般戦災者との格差の是非を問い直す。遺族を含めた原告の平均年齢は74歳で、最高齢は88歳。
原告側は「東京大空襲が国際法違反の無差別爆撃だったことを裁判所に認めさせ、戦争を始めた政府の責任を追及したい」として、旧日本軍が中国・重慶で繰り返した爆撃などが米軍の作戦に影響を与えた点についても責任を明確にしたい考えだ。一般戦災者への補償や死亡者の追跡調査、追悼施設建設も求める。
戦傷病者戦没者遺族等援護法は、軍人・軍属で障害を負った人やその遺族に年金を支給するよう定めている。同法を一般戦災者にも適用しないのは違法として、名古屋空襲の被災者2人が国家賠償を求めた訴訟は、最高裁で87年に敗訴が確定。一、二審判決は「援護法の趣旨は国の使用者責任で補償すること。民間被災者との差別には合理的理由がある」とした。
中山武敏弁護団長は「空襲については被害者すべてを救済するのが世界の『人権水準』。一般戦災者を切り捨てた国による差別が今も続く苦しみを耐え難いものにしている」と訴えている。(朝日新聞2007.03.09東京夕刊)
(183)
2007年3月13日 東京高裁、旧日本軍遺棄毒ガス二次訴訟で一審支持し控訴棄却
旧日本軍が中国に遺棄した毒ガス兵器で戦後に負傷したとして、中国人5人が日本政府に計8000万円の賠償を求めた訴訟の控訴審判決が13日、東京高裁であった。大喜多啓光裁判長は「日本政府が主権の及ばない中国で毒ガス兵器を回収するのは困難で被害を防ぐことはできなかった」と指摘。請求棄却の一審・東京地裁判決(100)を支持し、原告の控訴を棄却した。原告は上告する方針。
原告の5人は1950―87年、中国黒竜江省の建設現場などで見つかった缶入りの毒ガスを吸ったりして、体が不自由になった。
判決理由で同裁判長は原告5人がけがをした4件の事故のうち3件は旧日本軍の毒ガス兵器が原因だとし、「毒ガス兵器を遺棄したのは違法」と認定。旧日本軍の駐屯地付近に中国人が住んでいたことから危険も予見できたと認めた。
しかし中国で毒ガス兵器を回収するには中国政府の同意が必要で、「日本政府は旧日本軍が遺棄した具体的な場所を把握しておらず、中国政府に回収を依頼したとしても事故を防げたとはいえない」とし、政府の賠償責任を認めなかった。(日本経済新聞2007.03.14朝刊)
なお、最高裁決定(245)参照。
【登載判例集】
第1審(東京地裁、平15.5.15) 訟務月報50巻11号3146頁
第2審(東京高裁、平19.3.13) 訟務月報53巻8号2251頁。なお、判決要旨が中国人被害者の要求を支える会のサイト<
http://www.suopei.org/index-j.html
>より入手可能。
【山手補足説明】
(1)第1審では、国は事実関係については一切争わなかったが(認否すらせず)、2審では事実を争った。高裁判決は、毒ガス兵器については、日本軍のものでなくソ連軍または国民党軍のものである可能性があるとする国の主張を否定したが、4件の事故のうちの3番目の砲弾については、「通常砲弾であり、日本軍に特有の形状等を備えていたとはいえず、その現場付近で終戦直後日本軍とソ連軍が交戦した当の事情があるので、第3事件の砲弾は日本軍のものと認めるには合理的な疑問がある。したがって、第3事件の控訴人の請求は理由がない。」とした。
(2)控訴人(原告)側は、1審では、
@国際法に基く請求
A中国法(中華民国民法および中華人民共和国民法通則)またはこれを内容とする条理に基く請求
B日本法(国家賠償法、民法)に基く請求
を主張したが(判決はこれらすべてについて理由がないとして請求棄却)、2審ではこれらのうち、@国際法に基く請求、A中華民国またはこれを内容とする条理に基く請求、B日本民法に基く請求のうち日本国憲法施行前の遺棄行為に基く請求、の訴えを取り下げた。
したがって、控訴審における請求の根拠(請求原因)は、次の2点に絞られた。
@中華人民共和国民法通則またはこれを内容とする条理
A日本法(国家賠償法、民法)
このうち@については1審同様、本件には法例11条1項は適用されないから、本件請求の根拠となり得ないとした。Aのうち国家賠償法についてはおおよそ上記新聞記事のごとく判示し、民法については「国家賠償法施行前の行為については、国家無答責の法理が適用され、同法施行後は国家賠償法が適用されて民法は適用されないから、上記民法の規定に基く請求は理由がない。」とした(1審判決と同様)。
(184)
2007年3月14日 東京高裁、中国人強制連行新潟訴訟で一審判決を逆転、原告の請求棄却
第2次大戦中に強制連行され、新潟港で働かされた中国人元労働者11人と遺族が、国とリンコーコーポレーション(新潟市)を相手に計2億7500万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が14日、東京高裁であった。安倍嘉人裁判長は、国と同社に計8800万円の支払いを命じた1審新潟地裁判決(123)を取り消し、原告の請求を棄却した。原告側は上告する方針。
全国13地裁で提訴された一連の強制連行訴訟で、国と企業双方の責任を認めた唯一の判決が取り消されたことから、他の訴訟にも影響を及ぼすとみられる。
判決は、国と同社が「身体、自由にかかわる権利を違法に侵害した」と強制連行、強制労働の事実を認定した上で、中国人側に損害賠償請求権が認められるかどうかについて検討。国については、国家賠償法施行前の国の責任を問わない「国家無答責」を適用した。仮に責任があったとしても、賠償請求権は権利が存続する20年の「除斥期間」を過ぎたとして退けた。
同社については、劣悪な条件下で労働を強いた「安全配慮義務違反があった」と認めながらも、それに基づく賠償請求権は10年の「時効」により消滅したとした。
争点の1つとなっていた、1972年の日中共同声明によって中国国民が賠償請求権を放棄したとみなすかどうかについては、判断しなかった。
2004年3月の1審判決は「国家無答責」について「重大な人権侵害が行われた事案では、正義・公平の観点から相当性を欠く」として適用しなかった。さらに国と同社に安全配慮義務違反があったことを認め、「不誠実な態度」などを理由に「時効」を認めなかった。
判決によると、11人は1944年、日本政府によって中国から新潟港に強制連行され、当時の新潟港運(現リンコーコーポレーション)で終戦まで強制労働に従事させられた。既に5人が死亡している。(新潟日報200.3.14
On Line)
なお、最高裁決定(225)参照。
【登載判例集】
第一審(新潟地裁2004.3.26)訟務月報50巻12号
第二審(東京高裁2007.3.14)訟務月報54巻6号
(184a)
2007年3月16日 最高裁、中国人強制連行西松建設訴訟の上告審口頭弁論
新華社東京(日本):3月16日、日本の最高裁判所第二小法廷で、西松建設株式会社(旧・西松組)強制連行訴訟の上告審弁論が行われた。原告の元労働者、宋継堯さん、邵義誠さんが来日して陳述した。
1944年、360名の中国人労働者が西松建設に強制連行され、広島で重労働に従事させられた。日本の敗戦までに、そのうちの29名が虐待によって死亡または帰国する船上で死亡した。1998年1月、元労働者5名が広島地方裁判所で訴訟を起こし、2004年7月には広島高裁が西松建設に対し2750万円の賠償を命じたが、西松建設はこれを不服として最高裁に上告した。
16日の最終弁論で訴訟は結審し、判決期日は4月27日に指定された。(Livedoor
NEWS 2007年3月27日更新)
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第二次大戦中に強制連行され、広島県の水力発電所建設工事で過酷な労働を強いられたとして中国人元労働者らが西松建設(東京)に損害賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)は十六日、原告、被告双方の主張を聴く弁論を開き、判決期日を四月二十七日に指定した。
弁論があった場合、二審の判断が見直されることがほとんどで、請求通り同社に計二千七百五十万円の支払いを命じた二審広島高裁判決(二○○四年七月)が何らかの形で変更される見通し。
上告審は、日中共同声明(一九七二年)などで中国人個人の賠償請求権が放棄されたかどうかだけが争点。
この日の弁論では、上告した西松側が「声明に『日本への戦争賠償の請求を放棄する』とあり、請求権は消滅した」と主張し、原告側は「声明で個人請求権への言及はない」などと反論した。
原告は邵義誠さん(81)ら元労働者二人と元労働者の遺族三人。二審判決によると、原告を含む中国人三百六十人は四四年、中国から強制連行され、大半が同社の発電所建設現場で終戦まで働かされた。移送中を含め二十九人が死亡した。(中国新聞 2007.03.16)
(185)
2007年3月23日 徳島地裁、中国残留孤児の賠償請求棄却
日本に永住帰国した徳島県内の中国残留孤児4人が「国は速やかな帰国措置や永住後の自立支援を怠った」などとして、1人あたり3300万円の賠償を国に求めた訴訟の判決が23日、徳島地裁であった。阿部正幸裁判長は「国の早期帰国実現義務に違反はなく、帰国後の自立支援策の立案・実行に違法性はない」と述べ、原告側の請求をすべて棄却した。一方で、「国は政治的責務を十分に尽くしているとは言い難い」と指摘し、支援策の拡充を求めた。原告側は控訴する方針。
約2200人の残留孤児が全国15地裁で起こした集団訴訟で4件目の判決。昨年12月の神戸地裁判決(176)は国の責任を初めて認定して賠償を命じたが、05年7月の大阪地裁(154a)と今年1月の東京地裁(178)、今回の徳島地裁の3判決はいずれも原告の請求を棄却し、国側が勝訴した。
訴えていたのは、村岡鋭子さん(68)=同県吉野川市=ら64〜77歳の女性3人、男性1人。判決によると、4人は戦後に中国東北部(旧満州)で肉親と死別したり生き別れたりし、中国人に引き取られて育った。72年の日中国交正常化後の82〜95年に帰国し、03年10月に提訴した。
判決は、孤児や残留婦人の発生について、国が旧満州への移民政策や開拓団への保護策を取らなかったことなどが原因となったと指摘。大阪地裁判決と同様に「72年9月の日中国交正常化以降、国には条理(物事の筋道)上の義務として孤児に対する早期帰国実現義務を負った」と認めた。
そのうえで、国の早期帰国実現義務違反の有無について検討。当時、身元調査や帰国実現の有効な方法が確立されていなかったことなどを挙げ、「国が帰国実現のために必要な政策の立案・実行を怠ったとはいえない」と判断した。
帰国後の孤児の現状については、経済的に困窮し文化的な生活を送ることが困難になっていると指摘。こうした不利益は戦争損害の範囲を超えているとの見方を示した。一方で国が孤児帰国直後に一時金を支給したり、日本語習得などのための施設を設けたりしたことを踏まえ、国による自立支援策の立案・実行が著しく合理性を欠くとはいえないと結論づけた。
さらに、神戸地裁判決が指摘した北朝鮮拉致被害者との支援格差についても言及。「内容的に見劣りするが、帰国時期や帰国人数などが異なり、著しく不合理と評価することはできない」と述べた。
判決は最後に「国は孤児が自立した生活を送れるよう配慮すべき政治的責務を負っている」と指摘。支援策拡充を検討している国に対して一層の努力を求めた。(asahi.
com 2007年03月23日10時25分)
なお、名古屋地裁判決(188)参照。
(186)
2007年3月26日 宮崎地裁、中国人強制連行訴訟で除斥期間・時効により請求棄却
第二次世界大戦中に宮崎県日之影町の槙峰鉱山に強制連行され、過酷な労働を強いられたとして、中国人と遺族の計13人が国と三菱マテリアル(旧三菱鉱業、本社・東京)に計約1億8400万円の損害賠償などを求めた訴訟で、宮崎地裁(徳岡由美子裁判長)は26日、「強制連行の事実はあったが、法的責任は時の経過により消滅した」として請求を棄却した。原告側は即日、控訴した。
中国人の強制連行を巡る訴訟は全国で14件が係争中。05年6月の東京高裁判決以降、不法行為から20年で賠償請求権がなくなる「除斥期間」などを理由に原告敗訴が続いている。
徳岡裁判長は、国が主導して原告らを強制連行し、会社が強制労働を実行したとして「人道に反し人間の尊厳を著しく侵害するもので、強度の違法性を有する」と国と会社の共同不法行為を厳しく非難した。
更に、国家賠償法施行(1947年)前の行為には賠償責任がないとする「国家無答責」の法理も「国策として遂行した人道に反する犯罪行為」として適用しなかった。
しかし、強制連行が終わった45年末から除斥期間が進行し、不法行為に基づく国と会社への損害賠償請求権は消滅したと結論づけた。
また、会社には安全配慮義務違反による損害賠償責任も認めたものの、中国国民が私事で出国することが法律上可能になった86年から10年で消滅時効が成立したとして原告の請求を退けた。
日中共同声明(72年)などにより、中国人個人の賠償請求権が放棄されたかどうかについては、判断しなかった。【佐藤恵二】(毎日新聞 2007年3月26日 20時50分)(MSN毎日インタラクティブ)
【登載判例集】 日本の裁判所のサイト(
http://www.courts.go.jp/ )から判決全文入手可能(最近の判例→下級裁判所判例集→日付でクリック)。
なお、控訴審判決(244)、最高裁決定(263)参照。
【参考記事】 西日本新聞 2007年3月25日朝刊
国免責、除斥期間どう判断 強制連行訴訟判決相次ぐ 26日宮崎、27日長崎
第2次大戦中に中国から日本に強制連行され、過酷な状況下で働かされたとして、中国人の元労働者と遺族が国や企業に損害賠償を求めた訴訟の判決が26日に宮崎地裁、27日に長崎地裁でそれぞれ言い渡される。同種の訴訟は企業に賠償を命じた2004年7月の広島高裁判決以来、原告敗訴が続いている。約3年ぶりに国や企業の賠償責任を認める司法判断が示されるかどうか注目される。
訴えによると、原告は1943‐44年ごろ、中国で旧日本軍に捕まるなどして日本に連行され、各地の鉱山などで労働を強いられたとされる。
宮崎訴訟は槙峰鉱山(宮崎県延岡市、日之影町)で働かされた元労働者と遺族計13人が原告で、請求総額は約1億8400万円。被告は国と三菱マテリアル(東京)。昨年10月に裁判所が企業に対し「歴史的事実を真摯(しんし)に受け止めて遺憾の意を表明し、和解金を支払う」とした和解の素案を提示したが、企業側は拒否していた。
長崎訴訟は高島炭鉱(長崎市)など長崎県の3炭鉱で働かされた元労働者と遺族計10人が原告。元労働者のうち2人は長崎原爆で被爆死したとされる。被告は国と県、三菱マテリアル、三菱重工業(東京)で請求総額は約2億円。
両訴訟とも国、企業は強制連行・強制労働の事実を認めず、(1)国家無答責の法理がある(2)除斥期間を経過した(3)日中共同声明(1972年)などで中国側が個人の損害賠償請求権を放棄した‐などとして請求を退けるよう求めている。
日中共同声明については、広島高裁が「個人請求権は放棄されていない」と判断。この訴訟で最高裁は今月16日、弁論を開き、判決期日を4月27日に指定した。最高裁が弁論を開くと二審の判断を変更するケースが多く、個人請求権が否定される可能性がある。否定されれば一連の戦後補償訴訟への影響は大きい。最高裁判決を前に両地裁がどう判断するのかも注目される。
一連の訴訟では2002年4月の福岡地裁判決が初めて企業に賠償を命令。04年3月、新潟地裁が初めて国と企業双方に賠償を命じ、同年7月の広島高裁も企業の賠償責任を認めたが、以降は原告敗訴が続いている。
■国家無答責と除斥期間
「国家無答責」は国の公権力行使で個人に損害が発生しても、国は損害賠償責任を負わないとする明治憲法下の原則。現憲法下では国家賠償法が制定され、個人の賠償請求権が認められている。
「除斥期間」は民法上、不法行為に対する損害賠償請求権が20年で自動的に消滅してしまうとされる期間。当事者の主張で起算点が変わったりする時効とは区別される。
ともに戦後補償をめぐる訴訟で国、企業側が適用を主張するケースが多い。国家無答責、除斥期間をめぐる司法判断は分かれており、国と企業に賠償を命じた2004年3月の強制連行訴訟の新潟地裁判決では「著しく正義に反する」として国家無答責を適用しなかった。(2007.03.25
西日本新聞朝刊)
(187)
2007年3月27日 長崎地裁も、除斥期間・時効により強制連行中国人の請求棄却
第二次大戦中に長崎県内の三つの炭鉱に強制連行され過酷な労働を強いられたり、原爆で死亡したりした中国人の元労働者や遺族計十人が、国と長崎県、炭鉱を経営した三菱マテリアル(旧三菱鉱業)など二社に総額約二億円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、長崎地裁は二十七日、請求を棄却した。
田川直之裁判長は、被告それぞれが強制連行という不法行為に関与したと認定し「倫理に反する違法性の強いものだった」と非難。しかし「被害から二十年の除斥期間(権利の存続期間)が過ぎており、原告の損害賠償請求権は既に消滅した」と結論付けた。
中国人の強制連行をめぐる訴訟では、二十六日の宮崎地裁判決に続く原告敗訴。
不法行為のほかにも、田川裁判長は旧三菱鉱業に過酷な労働を強いた企業としての安全配慮義務違反があると認めたが、中国の出入国管理法が施行され、原告が訴訟のために来日できるようになった一九八六年を起算点としても「時効(十年)で賠償請求権は消滅した」と述べた。
国側が「当時は国家が不法行為の賠償責任を負わないとする明治憲法下の『国家無答責の法理』があり、国に責任はない」と主張したことについては「明確な根拠はなく、法理の適用範囲も定かではない」と否定的な見解を示した。
判決によると、主に中国河北省出身の原告らは、長崎県の炭鉱に無理やり連れてこられ、労働に従事させられた。うち二人は治安維持法違反などの容疑で逮捕され、長崎市の長崎刑務所浦上刑務支所に収監中に原爆で死亡した。
原告の支援団体によると、長崎県には戦時中、約千人が中国から強制連行され、百人以上が死亡。うち三十三人は浦上刑務支所で被爆死した。(中国新聞2007.03.27夕刊)
なお、控訴審判決(231)参照。
(188)
2007年3月29日 名古屋地裁、中国残留孤児の請求棄却
日本への速やかな帰国措置や永住後の十分な生活支援を怠ったために就職などで不利益を被ったとして、東海地方などの中国残留日本人孤児168人が国に計55億4400万円(1人当たり3300万円)の損害賠償を求めた訴訟の判決が29日、名古屋地裁であった。渡辺修明裁判長は「国は孤児らの早期帰国をはかり、帰国後も自立を支援する義務はあったが、不合理な施策はなく義務違反は認められない」と述べ、原告の請求をいずれも棄却した。
全国15地裁に起こした集団訴訟で5件目の判決だったが、国に賠償を命じたのは昨年12月の神戸地裁(176)のみで、大阪(154a)、東京(178)、徳島(185)3地裁に続く原告敗訴の判断となった。
名古屋訴訟は03年9月から4次にわたって提訴され、愛知、岐阜、三重、静岡、新潟、石川、福井の7県に在住する207人が原告。東京訴訟に次ぐ規模となっている。この日は、1〜3次提訴の77〜00年に帰国した79〜60歳の168人(うち12人が死亡)に判決が言い渡された。
裁判では、ほかの集団訴訟と同様、国は残留孤児の早期帰国を実現させる義務があったか▽帰国後の自立支援策は十分だったか――が主な争点となった。
原告側は、旧満州に移住を進めた国策が残留孤児を生んだと主張。中国共産党政権が成立した49年から、国は孤児らを速やかに帰国させる「条理」(物事の道筋)上の義務があったのに施策を怠ったうえ、72年の国交正常化後も身元保証を求めるなど帰国を妨げる措置をとったとした。
さらに、帰国後、国が数カ月程度の日本語教育しかしなかったことなどから、原告の多くが日本語に未熟で、就職で不自由したと主張。提訴時に原告の約半数が生活保護を受けるなど日常の暮らしに窮し、自立して生活するのに必要な支援策が不十分だと訴えていた。
これに対し、国側は、早期帰国や自立援助の義務に法的な根拠はないと反論。残留孤児が受けた被害は戦争損害に当たり、原告だけが犠牲を強いられたのではなく賠償義務はないとしていた。
(asahi.com 2007年03月29日14時20分)
【登載判例集】 判決文は、日本の裁判所のサイト(
http://www.courts.go.jp/ )の下級裁判所判例集より入手可能。
(189) 2007年4月25日 広島地裁、中国残留孤児の請求棄却
広島県や山口県に住む中国残留孤児61人が、終戦後も中国に置き去りにされ、帰国後の自立支援も不十分だったとして、1人3300万円の国家賠償を求めた訴訟の判決が25日、広島地裁であった。坂本倫城裁判長(転勤のため、野々上友之裁判長代読)は「国の早期帰国実現義務に違反はなく、帰国後の自立支援も著しく合理性を欠くなどとは認められず、法的な義務違反はない」と請求を棄却した。原告側は控訴する方針。
永住帰国した孤児の9割に当たる約2210人が全国15地裁に提訴した集団訴訟で6件目の判決。国に賠償を命じたのは昨年12月の神戸地裁のみで、大阪、東京、徳島、名古屋地裁に続いて原告敗訴になった。
主な争点は、国に孤児の早期帰国を実現させる義務があったか▽国に孤児の自立を支援すべき義務があったか▽国は二つの義務を果たしたか。
判決は、「満州へ国策として大量の日本人を入植させた上、戦局が悪化しても保護策を講じなかったため」と孤児たちの被害について指摘。そのうえで、日中国交正常化後は、中国側の協力も得られやすくなっており、「早期帰国を実現させる高度の政治的責務があった」と判断した。しかし「さまざまな形態で調査究明が実施され、帰国旅費の支給を拡大する施策などがとられていた」などとして、早期帰国実現義務に違反はなかったと結論付けた。
自立支援義務については「中国残留孤児の生活は苦しいと言わざるを得ない」と認めたが、生活を支援するための措置は取られていたとして、違法性を否定した。
また、国交回復前に、先に帰国していた親族などと手紙のやりとりなどをしていた孤児28人について、国は所在を早くから把握できていたはずだなどとする原告側の主張について、「国が孤児に帰国手続きを教示すれば確実に帰国できるといった特段の事情があるとは認められない」と退けた。【大沢瑞季】(毎日新聞2007.04.26朝刊)
【登載判例集】 判決文は、日本の裁判所のサイト(
http://www.courts.go.jp/ )の下級裁判所判例集より入手可能。
(190)2007年4月27日 最高裁、西松建設強制連行訴訟で、日中共同声明により個人請求権は放棄されていると判示
戦時中に強制連行され、広島県内の発電所建設現場で過酷な労働を強いられたとして、中国人元労働者2人と遺族3人が、工事を請け負った西松建設(東京都港区)に、総額2750万円の損害賠償を求めた訴訟の上告審判決が27日、最高裁第2小法廷であった。
中川了滋裁判長は「1972年の日中共同声明により、中国人個人は日本に対し戦争被害について裁判上、賠償を請求することはできなくなった」との初判断を示した上で、企業側に全額賠償を命じた2審・広島高裁判決(131)を破棄し、原告の請求を棄却した。原告側敗訴が確定した。
戦時中の被害を理由に中国人が起こした戦後補償訴訟は、強制連行や従軍慰安婦など現在、約20件が係争中だが、最高裁が個人の損害賠償請求権を否定したことで、これらの訴訟で司法による救済が原則、認められない見通しとなった。
判決は、同小法廷の中川裁判長、今井功、古田佑紀の3裁判官による全員一致の意見。この訴訟の上告審で、同小法廷は日中共同声明の解釈だけに論点を絞って、上告を受理していた。
日中共同声明は「中国は日本国に対する戦争賠償の請求を放棄する」と規定している。2審判決は「中国国民の損害賠償請求権の放棄まで含まれていると解するのは困難」として、個人の請求権を認めていた。
これに対し、この日の判決はまず、51年に締結されたサンフランシスコ平和条約について、「個人の賠償請求権を含め、戦争中の行為に関するすべての請求権を互いに放棄することを前提に日本と各国の戦争賠償の処理の枠組みを定めたもの」と指摘。その上で、「日中共同声明も、サンフランシスコ平和条約と同じ枠組みで締結された」と述べ、個人の賠償請求権は放棄されたと結論づけた。ただ、「請求権放棄」の意味については、「裁判上、請求はできなくなっただけで、完全に消滅した訳ではない」とし、司法によらない救済の可能性を示唆した。
一方で、判決は、強制連行や強制労働があったことを認め、「原告ら被害者が被った精神的・肉体的苦痛は極めて大きかった一方、企業は強制労働で利潤を得ている。西松建設を含む関係者は、原告ら被害者の救済に向けた努力をすることが期待される」と述べた。
判決によると、原告らは1944年、強制連行されて広島県内の発電所建設現場でトンネル掘削工事などに従事させられ、過酷な労働を強いられた。
1審・広島地裁(70)は、損害賠償請求権は認めたが、民法上の時効を理由に原告の請求を棄却。一方、2審は「強制労働は著しい人権侵害で、時効を認めるのは正義に反する」として1審判決を取り消し、西松建設に請求全額の支払いを命じた。(
読売新聞2007年4月27日夕刊
)
【登載判例集】 判例タイムズ1240号(2007.8.1)、判例時報1969号(2007.8.11)。
なお、判決文は、最高裁のホームページ<
http://www.courts.go.jp/saikosai/
>からも入手可能。
【山手補足説明】
1972年の日中国交正常化交渉の際、日本政府は1952年の日華平和条約によってすでに中国(国家としてのChina)は賠償を放棄していると主張し(これは政府承認の変更の効果に関する国際法の通説に基いている)、中国(中華人民共和国)政府の台湾政権(中華民国政府)にその資格はなく、中国大陸の戦争賠償は今回この声明によって我々が放棄するのだという主張と対立した。そこで、双方の立場が両立しうるように、つまり両方の解釈とも可能なように、共同声明の中国側原案「中華人民共和国政府は、…日本国に対する戦争賠償の請求権を放棄する」を「戦争賠償の請求を放棄する」と改めるという日本側提案に中国側も同意して、ここに放棄が創設的か確認的かの解釈の違いは残して、共同声明の発出後は請求権はもはや放棄されているという実質について両国が合意した(日本側交渉記録は公開され、石井・朱・添谷・林編『記録と考証 日中国交正常化・日中平和友好条約締結交渉』岩波書店、2003年に収録されている)。
そして、この放棄された戦争賠償の中に個人の請求権が含まれているか否かについて、日本政府は、連合国およびその国民の請求権を放棄したサンフランシスコ平和条約14条b項をとり込んだ日華平和条約11条によって、中国国民の請求権も放棄されているという解釈をとっている。もちろん中国側はこの解釈には反対であるが、共同声明では日本側がそのような解釈をとることも可能である。実は、中国政府も、国民の請求権を含む戦争賠償を放棄する意思であったことは、周恩来首相が対日賠償放棄の理由を国民に説明した要綱の第1項目で、「台湾の蒋介石はすでにわれわれより先に賠償の要求を放棄した。共産党の度量は、蒋介石より広くならなければならない」と述べていることからも明らかである(朱建栄「中国はなぜ賠償を放棄したか」『外交フォーラム』1992年10月号、38頁)。
だから、共同声明第5項は、中国政府が中国国民の請求権も含んで国家全体の戦争賠償の請求を放棄したものと、両国によって理解されていたのである。最高裁の判決は、そのようにはっきり言わないで、日中共同声明もサンフランシスコ平和条約の枠組みに従って締結されたものであるから、サンフランシスコ条約と同様に個人の請求権も放棄されていると解されるとやや抽象的な説明をしている。しかし、私が述べた上の事実に合致しているから、基本的に妥当な判決である。
ただし、「請求権の放棄」の意味については、2005年3月18日の「請求権は消滅した」という東京高裁判決(146)の方が正しいと私は考える。平和条約によって政府が自国民の請求権を放棄すれば請求権は消滅するというのが国際法上は世界の常識であるが、日本政府は過去に日本国民の原爆訴訟やシベリヤ抑留補訴訟に対して、補償責任を免れるためにサンフランシスコ平和条約による日本国民の請求権の放棄は国民個人の持っている請求権を消滅させたものではなく、日本政府の外交保護権を放棄しただけだと説明(「外交保護権のみ放棄論」)したために、1990年代に入って外国人から戦後補償訴訟が提起された場合にも同じ立場をとらざるを得なかった。ところが、2000年に米国の裁判所(4)が米国人捕虜の対日賠償請求をサンフランシスコ条約によって請求権は放棄されているとして棄却したのを受けて、2001年以降政府は請求権自体は消滅していないが法律上それに従うべき義務が消滅したから請求を退けうるという「救済なき権理論」を採用した。最高裁判決は、政府のこの主張と平仄を合わせたわけである。
【産経新聞の解説】視点・日中戦後補償訴訟に決着
西松建設の強制連行訴訟で、中国人個人の損害賠償請求権が昭和47年の日中共同声明によって放棄されたと最高裁が判示したことで、強制連行や慰安婦といった日中間の同種の戦後補償訴訟は決着した。今後、中国人が戦争中に被った不利益については、日本の裁判で賠償請求が認められないことになる。
第二次大戦の戦後処理をめぐっては、昭和26年に米国を中心とする連合国と日本の間で締結されたサンフランシスコ平和条約が「連合国及びその国民の請求権を放棄する」などと規定し、対日賠償請求権の放棄が確認された。
日本はその後、サンフランシスコ平和条約に加わらなかった国とも順次、平和条約を締結。日中間では平和条約に準じる日中共同声明が発出され、「日本国に対する戦争賠償の請求を放棄する」と規定された。
だが、サンフランシスコ平和条約と比べると文言があいまいで、一連の裁判では、個人の賠償請求権まで放棄されるかが争点となっていた。
戦争状態にピリオドを打ち、友好関係を築くために締結される国家間の平和条約では、個人の請求権を個別の解決策に委ねることなく、一律に放棄することが重要な要素となる。最高裁でもこうした点を重視し、サンフランシスコ平和条約と同様、日中共同声明でも個人の請求権は放棄されていると判断した。
請求権の放棄には、(1)請求権自体が消滅する「権利消滅」説(2)権利としては残るものの裁判上は請求できない「自然債務」説−の2通りの考え方がある。
最高裁はこのうち、中国人元労働者らの請求権放棄について、「自然債務」説を採用した。破産で免責された債務などと同様に、裁判を経るなどして弁済を強制することはできないが、債務者が自発的に弁済すれば受け取ることができる。
戦後補償訴訟ではこれまで、不毛な争いを終わらせて「企業イメージ」を守ろうとする企業と、高齢のために早期解決を望む原告側の利害が一致して和解にこぎ着けたケースもある。この日の最高裁判決が「関係者が被害救済に向けた努力をすることを期待する」と付言したことからも、人道的見地からの解決に道筋を残したといえる。(大塚創造)(2007.4.27夕刊)
【朝日新聞の解説】 中国反発、国内向け 大衆の当局批判恐れ 韓国「誠意ある態度を」 日本沈黙「波風」を懸念
個人による戦時賠償の請求は認められない−−中国人原告に対する27日の最高裁判決に、中国政府は「不法で無効だ」と強く反発した。ただそれも、黙認すれば国民の対日批判が自らに向きかねないとの事情からだ。日本側にしても、安倍首相が訪米に伴って従軍慰安婦問題で謝罪を繰り返すなど、過去に向き合う姿勢が注目される微妙な時期。主張は通ったが、改善した対中関係への影響を避けようと、努めて平静さを装った。
中国は27日夜になって、外務省の劉建超(リウチエンチャオ)報道局長が最高裁判決に強く反発する談話を発表した。反応に時間がかかったのは、せっかく改善している日中関係への悪影響は避けたい一方、何も反論しなければ外交当局に対する国民の批判が高まる、というリスクなどを慎重に検討したためだったとみられる。
日本がこれまで、日中共同声明で個人の賠償請求権は放棄されたとの立場をとってきたのに対して、中国は95年に当時の銭其シン外相が「中日共同声明で放棄したのは国家間の賠償で、個人の補償請求は含まれない」との見解を示すなど、解釈に食い違いをみせていた。
劉局長は談話で「共同声明で賠償を放棄したのは両国人民の友好のためにくだした政治決断だ」とし、最高裁による声明の「解釈」に「強烈な反対」を表明。日本側に「歴史に責任を持つ態度」を求めた。
対日関係の修復に踏み出し、温家宝(ウェンチアパオ)首相の訪日で「氷は溶けた」と宣伝する胡錦濤(フーチンタオ)指導部にとって、大衆の対日感情が険悪化すれば、共産党大会を今秋に控えて権力基盤を揺るがしかねない。
このため中国側は最高裁判決に先だち、水面下で日本側に「判断を下さないでほしい」と要請していた。27日退任した李肇星(リーチャオシン)外相が1週間前、宮本雄二大使を呼び、「効果的な措置」を講じるよう求める異例の対応もとった。ただ中国は自国民に対し、積極的には個人による賠償請求の権利を説明してこなかった。この日の劉局長の談話でも個人補償の権利を声高には主張していない。
一方、植民地下で多くの人が強制徴用された韓国のメディアは同日、原告敗訴の判決を淡々と伝えるにとどまった。
国交を正常化させた65年の日韓条約で両国は互いの請求権を放棄、日本が韓国に経済協力することで政治決着した。90年代以降、強制徴用された韓国人被害者が日本企業などを相手に相次いで訴訟を起こしたが、同条約が壁になって退けられてきたため、判決への期待感も薄かったようだ。
「過去史見直し」を掲げる盧武鉉(ノムヒョン)政権は、強制動員の被害者に慰労金を支払う独自の被害救済案を作成。現在、国会が法案を審議中だ。65年当時、朴正熙政権が個人請求権をうやむやにしたことへの反省もからむ。
とはいえ、日本に対する不満が和らいだわけではない。韓国政府は「日本は人道的立場から誠意ある態度を示すべきだ」として「自発的な協力」を迫り続ける方針だ。(北京=坂尻信義、ソウル=高槻忠尚)
●日本沈黙 「波風」を懸念
一方、日本政府には判決の正当性をことさらに強調する空気はない。政府高官は27日、「粛々と受け止める」と語るのみだった。
72年の日中共同声明をめぐっては、当時の両政府の妥協で「戦争賠償の請求を放棄する」とだけ記し、個人の賠償請求権についてあいまいな表現とした経緯がある。
だからこそ、ここは冷静な対応に終始するほうが中韓両国政府を困らせず、ひいては両国との関係にも悪影響を及ぼさずに済むとみる。日本政府関係者が「日本は困らないが、中国政府はあいまいな処理をしてきたことを赤裸々にされ、国内に説明できず困るのではないか」と指摘するのはそのためだ。
ただ、中国から判決前に続いていた水面下の働きかけには、「中国政府は日本でも政府が(判決を)何とでもできると思っているだろうが、政治体制が違う」(外務省首脳)との反応だった。
判決を静観する政府に対し、共産党は「不当だが旧日本軍による強制、監禁、暴行の事実を改めて認めた」(市田忠義書記局長)と指摘。社民党は「(被害者)救済の道を閉ざしたのは非常に大きな問題だ」(又市征治幹事長)と批判した。
また民主党は「棄却されたが、被害者救済について議員立法などで議論を続けるべきだ」(朝日俊弘「次の内閣」内閣府担当相)と、政治の場で救済策の検討を訴えた。(2007.4.28朝刊)
(191)2007年4月27日 最高裁、中国人「慰安婦」二次訴訟で、請求棄却理由を日華平和条約より日中共同声明に変更
戦時中の日本の行為をめぐって中国人が損害賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第一、第二、第三各小法廷は27日午後、計4件でいずれも原告側の上告を退け、敗訴させた。同日午前、第二小法廷が、強制連行をめぐる訴訟で「72年の日中共同声明によって賠償請求権は放棄された」との初判断を示したばかり(山手注:上記190の記事参照)。この解釈に基づき、戦後補償裁判が次々と姿を消す事態になった。
4件は、戦時中、旧日本軍の慰安婦にさせられたとして中国人女性が国に損害賠償などを求めた二つの訴訟(山手注:中国人「慰安婦」二次訴訟および一次訴訟)▽中国から強制連行され、働かされていた北海道の炭鉱から45年7月に脱走し、終戦を知らないまま道内の山野で13年間逃亡生活を続けた劉連仁(リウ・リエンレン)さん(00年死去)が、国に賠償を求めた訴訟(山手注:劉連仁訴訟)▽強制連行されて福岡県の炭鉱で働かされた元労働者が国と三井鉱山に賠償を求めた訴訟(山手注:中国人強制連行福岡訴訟)。
このうち慰安婦2次訴訟は、第一小法廷(才口千晴裁判長)が判決を言い渡した。二審(146)は「日華平和条約によって請求権は放棄された」と理由を述べたが、「日中共同声明によって放棄された」と理由を変更した。
訴えていたのは、山西省出身の郭喜翠さん(80)と故・侯巧蓮さんの遺族。一、二審とも軍が15歳の郭さんと13歳の侯さんを連行、監禁、強姦(ごうかん)した事実を認定したが、請求を棄却した。最高裁も、この事実認定自体は「適法に確定された」と認めた。
ほかの3件はいずれも法廷を開く判決ではなく、書面だけの決定により敗訴が確定した。
慰安婦1次訴訟は、被害にあった山西省の女性4人が国に賠償を求めたが、一(25)、二審(137)とも、旧憲法下で国の行為は責任を問われないとする「国家無答責」の法理を適用して請求を棄却していた。
劉連仁さんの訴訟で、一審(29)は国家賠償法に基づき請求全額を認めて国に2000万円の支払いを命じた。しかし二審(154)は、不法行為のあったときから20年がたつと賠償請求権が消滅するとされる「除斥期間」を理由に、原告を逆転敗訴させた。
福岡強制連行訴訟では、一審(61)が被告三井鉱山に計1億6500万円の支払いを命じたが、二審(128)は時効と除斥期間の成立を認めて原告を逆転敗訴させた。(朝日新聞2007.04.28朝刊)
【山手補足説明】 なお、中国人「慰安婦」2次訴訟の判決は、午前中の西松建設強制連行訴訟判決と法律論の個所はまったく同一の文章であるが、後者にあるまとめの中の「付言」(7行)はなく、さらに付言と理論的に関連する法律論のなかの文章(6行)と文言(16字)が2個所で削除されている(後者の判決文のp.12とp.19)。他の3件の判決文は、次の(192)に掲載の決定文参照のこと。
〔登載判例集】
第一審(東京地裁 平14.3.29) 判例時報1804号。 なお、最高裁のサイト(
http://courtdomino2.courts.go.jp/home.nsf
)の下級裁主要判決情報にも掲載されている。
第二審(東京高裁 平17.3.18) 訟務月報51巻11号
第三審(最高裁 平19.4.27) 判例時報1969号(2007.8.11)、判例タイムズ1240号(2007.8.1)、訟務月報54巻7号。 なお、第三審判決文は最高裁のホームページ<
http://www.courts.go.jp/saikosai/
>、および中国人被害者の要求を支える会のサイト<http://www.suopei.org/ingex-i.html
>からも入手可能。
(192) 2007年4月27日 最高裁、中国人「慰安婦」一次訴訟の上告棄却
上記(191)の記事参照。
なお、判決文は、以下のごとく、このような場合のお決まりの文言である。
平成17年(オ)第985号
平成17年(受)第1127号
決 定
当 事 者 の 表 示 別紙当事者目録記載のとおり
上記当事者間の東京高等裁判所平成13年(ネ)第3775号損害賠償等請求事件について、同裁判所が平成16年12月15日に言い渡した判決に 対し,上告人兼申立人らから上告及び上告受理の申立てかあった、よって,当裁判所は,次のとおり決定する。
主 文
本件上告を棄却する、
本件を上告審として受理しない。
上告費用及ぴ申立費用は上告人兼申立人らの負担とする。
理 由
1 上告について
民事事件について最高裁判所に上告をすることが許されるのは,民訴法312条1項又は2項所定の場含に限られるところ,本件上告理由は,違憲 をいうが,その実質は単なる法令違反を主張するものであって,明らかに上記各項に規定する事由に該当しない。
2上告受理申立てについて
本件申立ての理由によれば,本件は,民訴法318条1項により受理すぺきものとは認められない。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。
平成19年4月27日
最高裁判所第一小法廷
裁判長裁判官 泉
徳 治
裁判官
横 尾 和 子
裁判官
甲 斐 中 辰 夫
裁判官 才 口 千 晴
裁判官 涌 井 紀 夫
(当事者目録は省略)
(193) 2007年4月27日 最高裁、劉連人訴訟の上告棄却
上記(191)の記事参照。
(194) 2007年4月27日 最高裁、中国人強制連行福岡訴訟の上告棄却
上記(191)の記事参照。
(195)
2007年5月9日 最高裁、731部隊・南京虐殺・無差別爆撃訴訟の上告棄却
旧日本軍による「南京大虐殺」や731部隊の細菌戦の被害に遭ったとして、中国人被害者や遺族が日本政府に賠償を求めた2件の訴訟で、最高裁第1小法廷(才口千晴、涌井紀夫両裁判長)は9日、「上告理由に当たらない」として上告を棄却する決定を出した。中国人側の敗訴が確定した。
2件のうち、南京大虐殺被害者ら10人が約1億円を求めた訴訟は、東京地裁が99年、被害を事実と初めて認めつつも「国際法上、賠償請求権がない」と請求を棄却。2審・東京高裁(148)は05年、事実に触れずに控訴を棄却した。
一方、731部隊被害者ら180人が1人1000万円を求めた訴訟は、1(73)・2審(156)とも事実を認めたが、同様の理由で原告側敗訴としていた。
最高裁は4月27日、「1972年の日中共同声明により、中国国民は裁判で賠償請求することはできなくなった」との初判断を示しており(190)、戦後補償裁判で中国人が勝訴する可能性は事実上なくなっている。(毎日新聞2007年5月10日東京朝刊)
なお、最高裁の決定文は、以下のごとく、このような場合のお決まりの文言である。
平成17年(オ)第1798号
平成17年(受)第2093号
決 定
当事者の表示 別綴当事者目録記載のとおり
上記当事者間の東京高等裁判所平成11年(ネ)第5767号損害賠償請求享件について,同裁判所が平成17年4月19日に書い渡した判決に対し,上 告人兼申立人らから上告及ぴ上告受理の申立てがあった。よって,当裁判所は。次のとおり決定する。
主 文
本件上告を秦却する。
本件を上告審として受理しない。
上告費用及サ申立費用は上告人兼申立人らの負担とする。
理 由
1上告について
民事事件について最高裁判所に上告をすることが許されるのは,民訴法312条1項又は2項所定の場合に限られるところ,本件上告理由は違憲 及ぴ理由の不備をいうが,その実質は単なる法令違反を主張するものであって,明らかに上記各項に規定する事由に該当しない。
2 上告受理申立てについて
本件申立ての理由によれぽ,本件は,民訴法318条1項により受理すべきものとは認められない。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。
平成19年5月9目
最高裁判所第一小法廷
裁判暴裁判官 涌 井 紀 夫
裁判官
横 尾 和 子
裁判官
甲 斐 申 辰 夫
' 裁判官
泉 徳 治
裁判官
才 口 千 晴
(当事者目録は省略)
(196) 2007年5月9日 最高裁、731部隊細菌戦訴訟の上告棄却
上記(195)の記事参照。
(197) 2007年5月31日 名古屋高裁、名古屋三菱・韓国女子勤労挺身隊訴訟の控訴棄却
太平洋戦争末期、朝鮮半島から、名古屋市内の軍需工場に「女子勤労挺身(ていしん)隊員」として動員され、強制労働させられたなどとして、韓国人女性と遺族計7人が、国と三菱重工業(東京)に慰謝料や未払い賃金など総額約2億4000万円の損害賠償と謝罪を求めた訴訟の控訴審判決が31日、名古屋高裁であった。青山邦夫裁判長は「請求は(個人の賠償請求権放棄をうたった)日韓請求権協定の対象で、原告らはいかなる主張もできない」として、一審・名古屋地裁判決(142)を支持し、原告側の控訴を棄却した。
一方で、挺身隊の実態について「強制連行、強制労働で、当時の三菱重工業の管理で国の監督のもと行われた」と指摘。国際法に基づき「個人の尊厳を否定し、正義・公正に著しく反する行為と言わざるを得ず、違法」と認定。国家賠償法施行前だったとする国側の「国家無答責」の主張や、当時の会社と同一性がないとする三菱重工業の主張は退けた。
訴えていたのは、76〜77歳の元挺身隊員の韓国人女性6人と、妹(14歳で死亡)と妻(71歳で死亡)が元挺身隊員だった遺族男性(82)の計7人。
青山裁判長は、原告らが44年ごろから、同工場で挺身隊員として働かされていたことや、1人が東南海地震で工場内で死亡し、1人が事故で指を切断したことなどを認定。さらに隊への志願は、校長らの虚偽の勧誘や脅迫により、労働も過酷だったなどとして、違法性を認定した。一審判決は、違法性について判断していなかった。
そのうえで、65年に日韓両国が締結した日韓請求権協定が、締結以前に生じた請求権について「いかなる主張もできない」と定めていることを根拠に、原告らの請求を退けた。
元隊員らが韓国で「従軍慰安婦」と同一視され、今も被害が続いているとした主張は、「婚約の破談、離婚などの被害が生じている」と認定。しかし協定の対象として賠償請求は退けた。
最高裁は今年4月、サンフランシスコ平和条約(51年)の当事国(48カ国)だけでなく、他の2国間平和条約を締結した国との戦後処理においても、個人賠償請求権の放棄を明記したサ条約の枠組みと同様の取り扱いとなる、との判断を示した。この判例により、2国間で結ばれた同協定に基づき、韓国の戦争被害者についても賠償請求権は放棄されたとの解釈が導かれることは必至の情勢だった。(朝日新聞2007.05.31夕刊)
【登載判例集】 訟月54巻2号。なお、名古屋三菱・韓国女子勤労挺身隊訴訟を支える会のサイト( http://www.geocities.jp/teisintainagoya/
)より、判決要旨および判決全文を入手可能。
なお、最高裁決定(236)参照。
(197a) 2007年6月4日 在サハリン「韓国人」支援、続く予算支出(産経新聞記事)
【深層真相】サハリン「残留韓国人」続く予算拠出 戦後60年…理由なき支援
今春、成立した政府の平成19年度予算に「在サハリン『韓国人』支援」の名目で約3億円が盛り込まれたことを一体どれだけの国民が知っているだろうか。「人道的支援」の名の下、サハリン残留韓国人問題で政府が拠出してきた金はすでに70億円近い。だが今夏以降、サハリンから韓国への帰国事業を拡大することになったため、日本も新たな負担を求められることになったのである。戦後、60年以上が経過し、もはや支援対象者はほとんどいなくなったはずだ。“理由なき支援”が続く背景は…。(喜多由浩)
韓国・ソウルから電車で約1時間の安山市に、サハリンからの永住帰国者約1000人が住む「故郷の村」のアパート群がある。2000年に日本が建設費約27億円を出して造った(土地代・維持費は韓国側が負担)施設だ。
バス・トイレ付きの2LDK。家賃は無料、生活費として1世帯あたり日本円にして約10万円が韓国側から支給されるから、ぜいたくさえしなければ生活に心配はない。
ほかに、病弱者を対象とした療養院もあり、建設費はもちろんヘルパー代まで日本が出している。これらは平成7年、周辺国への「謝罪」に熱心だった村山内閣時に決定されたものだ。
日本の支援はこれだけではない。日韓の赤十字が運営する共同事業体に拠出する形で、▽永住帰国はしないが、韓国への一時帰国を希望する人たちのサハリンからの往復渡航費と滞在費を負担(今年3月までに延べ1万6146人が一時帰国)▽サハリンに残る「韓国人」のための文化センター建設(04年竣工(しゅんこう)、総工費約5億円)−など、相手方から求められるまま、至れりつくせりの支援が行われてきた。
◆◇◆
だが昨年秋、韓国側は「まだサハリンには韓国への永住希望者が3000人以上も残っている。今年夏以降、数百人単位で順次、帰国させたい」として、日本側に新たな支援を求めてきた。
日本が建てた永住帰国者用の施設にはもう空きがない。ついては、別の公営住宅などを借りるからその家賃を日本側で負担してほしいという話である。
さすがにそれは拒んだものの、結局、サハリンからの渡航費などは日本側で支援することになった。それが冒頭に挙げた約3億円だ。
そもそも、戦時中に労働者としてサハリンに渡ったのであれば80代、90代になっているはず。戦後60年以上たっているのにいまだに「支援対象者」が絶えないのは、支援者の条件が単に、「終戦前から引き続きサハリンに居住している『韓国人』」などとなっているからだ。
この条件なら終戦時に1歳の幼児だったとしても支援対象になるし、日本とのかかわりも問われない。実際、現在の対象者の多くはサハリン生まれの2世たちである。戦後、北朝鮮から派遣労働者としてサハリンに渡った人など、「日本とは何の関係もない人」まで、支援を受けていることが分かっている。
◆◇◆
戦時中、朝鮮半島からサハリンへ行った労働者は企業の高い外地手当にひかれて、自ら海を渡った人が多かった。しかも、彼らが戦後、帰国できなかったのは、当時のソ連が北朝鮮に配慮して国交のない韓国への帰国を認めなかったからだ。だから「日本に法的責任がない」という政府の主張は間違っていない。
百歩譲って、アジアの大国としての「人道的支援」は認めるとしても、すでに使命は十分に果たしたはずである。それなのに、支援を打ち切るという話はどこからも聞こえてこない。
支援事業を行う日赤国際部は、「日本政府としては各事業の効果や必要性等を入念に精査の上、人道的観点から現実的な支援を策定しているものと承知している」とコメント。外務省関係者からは、「この程度(の額)で済むのなら…」と本音も漏れてくる。
だがそういう「事なかれ主義」が歴史問題で日本を苦境に追い込み、竹島や慰安婦問題で譲歩を余儀なくされたことを忘れてはならない。
◇
【用語解説】サハリン残留韓国人問題
戦時中、日本統治時代の朝鮮半島から企業の募集などで樺太(現・ロシア領サハリン)へ渡った韓国人が、戦後にソ連(当時)の方針で出国が認められず、数十年間にわたってサハリン残留を余儀なくされた。日本の民間人の運動がきっかけとなって、1980年代半ば以降、日本を中継地とした一時帰国、さらには韓国への永住帰国が実現した。日本政府は一貫して「法的責任はない」と主張してきたが、日本の一部政党・勢力が「日本が強制連行した上、韓国人だけを置き去りにした」などと、事実無根のプロパガンダを繰り返したために、日本政府は帰国事業などへの人道的支援に乗り出さざるを得なくなり、戦後60年以上たった現在も支援が続いている。(産経新聞2007.06.04東京朝刊)
(198) 2007年6月6日 北方少数民族戦時徴用実態調査へ、政府に補償求めサハリンで今秋実施の方針
太平洋戦争中に旧樺太(現ロシア・サハリン)で旧日本軍に徴用されながら日本政府が軍人恩給などを認めないウィルタやニブヒなど北方少数民族について、ウィルタ協会(北海道網走市)の田中了会長(77)は、今秋にもサハリンを訪問して本格的な現地調査に乗り出す方針を明らかにした。徴用の事実や死亡状況などを調べ、日本政府に戦後補償を求める考えだ。
徴用などを示す資料がないことが補償実現の大きな壁だったが、ロシア側が保管していた「名簿」が二〇〇〇年に確認され、補償を求める動きにはずみがついた。旧日本軍に徴用された北方少数民族のうち、戦後に旧ソ連の軍事法廷でスパイ罪などに問われ有罪判決を受けた計四十人の名簿が同年、サハリン州政府に保管されていることが判明したのだ。シベリア送りにされた四十人のうち、少なくとも二十三人は同地で死亡していた。
さらに、田中会長らが三十年来進めてきた生存者や遺族らからの聞き取りで、名簿の四十人のほかに少なくとも三十三人の存在も確実視されているという。ロシア側は「(四十人のほかに)資料は残っていない」としており、田中会長らは全容解明のため、現地調査を決めた。
三十三人のうち十二人は死亡日時や場所も不明で、田中会長は「人の生死にかかわる重大事だ。一人でも二人でも、詳しい状況を明らかにしたい」と話している。
日本軍に徴用された北方民族について、日本政府は「四十人の名簿はロシア側のもので、日本側に従軍の記録はない」とし、補償の対象になっていない。(東京新聞2007年6月6日朝刊)
(199) 2007年6月12日 最高裁、中国人強制連行京都・大江山訴訟上告棄却
戦時中に強制連行され、京都府加悦町(現与謝野町)の大江山ニッケル鉱山で働かされた中国人6人が国に1億円余の賠償などを求めた訴訟で、最高裁第3小法廷(田原睦夫裁判長)は12日、中国人側の上告を退ける決定を出した。中国人側の敗訴が確定した。小法廷は「上告理由に当たらない」とだけ述べた。
1(83)、2審(175)とも強制連行・労働への国の関与を認めつつも、時の経過で賠償請求権が消滅したなどとして賠償は認めなかった。ただ1審・京都地裁判決(03年1月)は戦後補償裁判で初めて、戦後の国家賠償法制定以前の行為は賠償責任がないとする「国家無答責の法理」を適用せず、注目された。
中国人側は、鉱山企業の日本冶金(やきん)工業(東京都中央区)も訴えたが、2審・大阪高裁で、同社が解決金を支払う内容の和解が成立した。(133) (毎日新聞2007年6月13日東京朝刊)
(200) 2007年6月15日 札幌地裁、高知地裁、中国残留孤児訴訟相次ぎ棄却
日本に永住帰国した中国残留日本人孤児・婦人が「国は速やかな帰国措置と帰国後の自立支援を怠った」として、1人あたり3300万円の賠償を国に求めた訴訟の判決が15日、札幌、高知の両地裁であり、いずれも国の賠償責任を認めず、原告側の請求を棄却した。原告側は控訴する方針。
一連の集団訴訟では、残留孤児の約9割にあたる約2200人が15地裁で提訴。原告勝訴の判決は昨年12月の神戸地裁(176)だけ。この日の結果を含め東京、大阪など7地裁で敗訴となった。
札幌地裁の笠井勝彦裁判長は、北海道内の原告89人の訴えに対し「満州移民政策やその後民間人保護策を講じなかったことなどを含めた一連の国の施策は、高度に政治的な判断に基づく行為で司法判断が及ばない」などと述べた。さらに、日中国交正常化前から国は様々な形で交渉や調査を進めたと指摘。孤児の自立支援については、帰国後に日本語研修を実施するなどしており、「最良ではなくとも不合理とはいえない」と結論づけた。
高知地裁の新谷晋司裁判長は、高知市内などに住む原告56人の訴えに対し「提訴までに永住帰国から3年以上が経過した」と判断。国家賠償請求権は消滅したと結論づけた。一方で、孤児らの発生については、満州で有事に備える「潜在的軍人」として移民政策をとったことが原因だと指摘。「戦後に軍人・軍属を帰国させたのと同様に、国は孤児らにも早期帰国させる義務があり、この義務を果たさず違法だ」と述べた。
また、新谷裁判長は判決言い渡し後、「消滅時効は法的には問題ないが、道義的、政治的には別問題。司法としては限界だが、立法、行政なら十分対応は可能だ。高裁での和解や訴訟外での交渉でより迅速に解決することを望む」と述べた。
政府は新たな支援策として、基礎(国民)年金を満額支給したうえで、給付金を上乗せすることを検討。これに対して原告側は、「生活保護の延長では許されない」などとしている。(朝日新聞2007年06月15日夕刊)
(201) 2007年6月15日 最高裁、中国人強制連行東京第2次訴訟上告棄却
戦時中に日本に強制連行されて過酷な労働をさせられたとして、中国人と遺族計125人が鉱山経営会社など10社と国を相手に損害賠償などを求めた訴訟で、最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)は15日、中国人側の上告を退ける決定をした。中国人側の敗訴とした二審・東京高裁判決(173)が確定した。
被告となっていた企業は、三菱マテリアル、西松建設など(山手注ーー被告企業10社は、間組、古河機械金属(旧古河鉱業)、鉄建建設(旧鉄道建設興業)、西松建設(旧西松組)、宇部興産、同和鉱業、日鉄鉱業、飛島建設(旧飛島組)ジャパンエナジー(旧日本鉱業)、三菱マテリアル(旧三菱鉱業))。二審判決は、国と企業の共同不法行為があったことは認めたが、不法行為から20年を過ぎると損害賠償請求権が消滅する「除斥期間」の規定を適用し、中国人側の控訴を棄却していた。(朝日新聞2007年06月16日朝刊)
(201a) 2007年6月21日 東京高裁で中国残留孤児訴訟二審も原告敗訴
永住帰国した中国残留婦人ら3人が、早期帰国実現や帰国後の自立支援を怠ったとして、国に1人当たり2000万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審で、東京高裁は21日、請求を棄却した1審・東京地裁判決(06年2月)(165)を支持し、3人の控訴を棄却した。宗宮英俊裁判長は「国はさまざまな政策を講じており、著しく合理性を欠くとは言えない」と述べた。3人は上告する方針。
中国残留婦人・孤児訴訟では初の高裁判決だったが、国の法的責任を認めなかった。判決は、国が早期帰国の実現や帰国後の自立支援策を講じる政治的責務を負うことは認めたものの、国の広範な裁量に任されていると指摘し「政策の当否は、国民の自由な言論と選挙による政治的評価に委ねるのが相当」と詳細な司法判断を避けた。一方で「残留婦人・孤児は物心ともに困窮し高齢化も進む。帰国者に新たな自立支援策検討の早期進展が期待される」と述べた。【北村和巳】
■ことば
◇中国残留婦人と孤児
旧満州に取り残された日本人のうち、国はおおむね13歳未満を残留孤児、それ以外は残留婦人等と区分する。当初、残留婦人は自分の意思で残ったとみなされ、自立支援に差が付けられた。厚生労働省によると、今年3月末までに永住帰国した孤児は2509人、婦人は3830人。(毎日新聞2007.06.22東京朝刊)
なお、最高裁判決(241)参照
【登載判例集】
第一審(東京地裁、平18.2.15) 判例時報1920号、判例タイムズ1270号。 なお、中国帰国者の会のサイト(
http://kikokusha.at.infoseek.co.jp/index.htm
)にも判決全文が掲載されている。
第二審(東京高裁 平19.6.21)
訟務月報53巻11号
(202) 2007年6月28日 札幌高裁、中国人強制連行北海道訴訟控訴棄却
第二次大戦中、日本に強制連行され、道内の炭鉱などで過酷な労働を強いられたとして、中国人四十二人(うち十五人死亡)が、国と企業六社に謝罪と総額八億四千万円の損害賠償を求めた中国人強制連行北海道訴訟の控訴審判決が二十八日、札幌高裁であった。伊藤紘基裁判長は「強制連行は違法だが、賠償責任はない」と述べ、原告の訴えを全面的に退けた一審札幌地裁判決(122)を支持、原告の控訴を棄却した。原告は上告する方針。
判決はまず、強制連行の事実について、原告は一九四四年(昭和十九年)ごろ、日本政府の閣議決定などによって一方的に日本企業に引き渡され、劣悪な環境の下で重労働を強いられたと認定。その上で、「一連の過程は少なくとも道理に反するという意味で違法」と一審判決よりも踏み込んだ。
しかし、国と企業の賠償責任については否定した。国の責任に対する判断は一審判決を維持し、国家賠償法施行(一九四七年)以前の国の加害行為で、国は賠償責任を負わないとする「国家無答責」の法理を適用して責任を免除した。
また、企業の安全配慮義務については「違反があったという余地がある」としたが、時効により企業側の債務は消滅したと判断。さらに「一九七二年の日中共同声明により、個人の賠償請求権は放棄された」とする最高裁の戦後補償判断を引用して、訴えを退けた。
控訴審をめぐっては、札幌高裁がいったん、三月二十日を判決期日に指定したが、二月になって取り消し。別の強制連行訴訟で、最高裁が戦後補償問題に関する初判断を示す見通しだったため、この判断を見極めるために延期したとされる。
原告は一九九九年九月に提訴していた。(北海道新聞2007.06.28夕刊)
なお、最高裁決定(225)参照。
【登載判例集】
第一審(札幌地裁2004.3.23)訟務月報50巻12号
第二審(札幌高裁2007.6.28)訟務月報54巻6号
なお、第二審の判決全文および判決要旨が、News for the People in Japan のサイト<
http://www.news-pj.net/index.html
>の注目裁判資料欄に掲載されている。
(203) 2007年6月28日 西松建設裁判を支える会、同社株主総会で賠償を求める質問
日本の市民団体「中国人強制連行・西松建設裁判を支援する会」のメンバー数十人が28日、西松建設本社前に集まり、同社の社員と株主総会に参加する株主に抗議ビラを配り、第2次世界大戦中に中国人労働者を強制連行した史実を認め、元労働者とその遺族に謝罪し、賠償するよう同社に求めた。新華社のウエブサイト「新華網」が伝えた。
株主総会で同社は、「支援する会」が事前に提出した質問状について、すでに日本の最高裁(190)は同社に賠償を命じた広島高裁の2審判決(131)を破棄していること、同社は中国人強制連行という事実はなかったと認識していることを挙げ、この件で交渉に応じる必要はないとの考えを明らかにした。
最高裁は4月27日、中国人元労働者らが西松建設を相手取り起こした損害賠償訴訟で、西松組(当時)が中国人を強制連行して労働を強いた歴史的事実を認定し、「被害者救済の努力」を同社に求めたが、個人請求権はすでに放棄されていることを理由に、中国人元労働者らの訴えを退けた。
最高裁の判決後、「支援する会」は西松建設に対し、問題解決のための交渉を繰りかえし求めたが、同社は一貫して拒否。「最高裁判決は中国人元労働者の請求を完全に退けている」として、元労働者側と交渉する必要はないとの姿勢を取ってきた。
1944年、360人の中国人が西松組によって広島へ強制連行され、日本が敗戦するまで重労働に従事させられた。うち29人は虐待によって、あるいは中国への帰国船の中で死亡した。1998年になって、5人の元労働者と遺族が広島地裁で損害賠償訴訟を起こした。 (「人民網日本語版」2007年6月29日)
(204) 2007年7月3日 韓国で国外強制動員犠牲者等支援法国会通過
【ソウル堀山明子】韓国国会は3日、日本植民地時代に海外に強制連行された韓国人被徴用者を対象に「慰労金」を支給する「国外強制動員犠牲者等支援法」を可決した。韓国政府の強制連行被害者に対する支援は、日韓条約(1965年締結)に基づいて日本から提供された経済協力金を活用し75〜77年に一部で補償が実施されて以来、約30年ぶり。ただ、被害者団体が当初要求した水準には至らず、日韓両政府に対する戦後補償要求運動は今後も続きそうだ。
支援法は、70年代の補償で除外された負傷者や生存者、未払い賃金も支給対象に加えたのが特徴。「慰労金」は「(被害者の)長年の苦痛を慰労し、国民和解を目指す」目的で、法的補償でなく人道支援と規定された。
慰労金は、国家総動員法が公布された38年4月から植民地解放の45年8月までに海外で死亡した軍人・軍属、労働者ら被徴用者の遺族に2000万ウオン(約266万円)を支給。また、障害を負った被害者や遺族にも2000万ウオン以下の範囲で支給される。
一方、生存者に年間50万ウオン(約6万7000円)を想定し「医療費」を支援。さらに慰労金500万ウオン(約67万円)も支給する。未払い賃金については、1円を2000ウオンに換算し支給する。未払い賃金の認定作業には日本政府や企業の資料が必要で、協力を求めている。
現政権は05年1月に日韓条約関連文書を公開して検証に着手、追加支援を推進してきた。(毎日新聞2007.07.04東京朝刊)
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◇30年ぶりに追加支援
日本植民地時代に強制連行された韓国人の軍人・軍属や労働者に「慰労金」を支給する「国外強制動員犠牲者等支援法」が3日、韓国国会で可決、成立した。約30年ぶりに実現した追加支援だが、被害の認定作業で日本側がどのような協力をするかが、来年1月に予定される施行後の課題になりそうだ。
◇被害者も意見割れ
政府が準備した法案は慰労金の支給対象を死傷者としていた。これに対し、国内最大規模の被害者団体「太平洋戦争犠牲者遺族会」や「強制連行生存者協会」と連携した超党派の46議員が本会議での採決前日の2日、議員立法の形で負傷していない生存者にも慰労金を支給する内容の修正案を提出。修正案可決への道を開いた。
支援法はさらに、未払いの賃金も対象に加えた。ただ、対日国家賠償訴訟を続けてきた団体間でも対応は分かれた。
政府案に反対し、修正案を推進してきた2団体に対し、「太平洋戦争被害者補償推進協議会」の李煕子(イヒジャ)代表は「被害者同士の対立は望ましくない。政府が最善を尽くしたなら、和解を目指すべきだ」と政府案の早期可決を主張した。
さらに「全国日帝被害者連合準備会」は、政府案可決後に、改正案提出を議員に要請する構えを見せたが、いずれのグループも「盧武鉉(ノムヒョン)大統領在任中でないと、支援法は成立しない」という危機感があった。
◇進まぬ実務協議
盧政権は70年代の個人補償が不十分だったとして05年1月に日韓基本条約の関連文書を公開し、交渉過程の検証に着手。同年2月には強制連行の事実調査のための被害申請受け付けを開始し、追加支援に積極的だった。
盧政権は日本政府にも未払い賃金の被害認定の根拠となる供託金名簿などの資料提供を求めるが、日本では個人情報保護法上、本人照会以外の方法で一括して情報提供するのは制約があり、「何が協力できるか慎重に検討中」(外務省北東アジア課)という。両国間の実務協議は2年続いているが、進展はない。
行政訴訟で韓国政府の日韓条約文書公開を導いた崔鳳泰(チェボンテ)弁護士は「支援法制定が(日韓の)歴史和解の契機になるかどうかは、日本政府がどれほど誠意を示すかにかかっている」と日本の動向を注視する。【ソウル堀山明子】
◇支援法の骨子
<死傷者> 約1万8000人
・死者に慰労金2000万ウオン(266万円)
・負傷者は2000万ウオン以下の範囲
<負傷しなかった者> 約4万人
・500万ウオン(67万円)=修正案で追加
・医療費(年間50万ウオンを想定)
<未払い賃金等>
・未払い賃金1円(当時)=2000ウオン換算で支給*人数は韓国政府の推計
■ことば
◇日韓基本条約と個人補償
日本政府は65年に締結された日韓基本条約に基づき無償3億ドル、有償2億ドルの経済協力金を韓国政府に提供し、韓国人の個人補償問題を政治決着した。朴正煕(パク・チョンヒ)政権は75〜77年、死亡者8852人に1人当たり30万ウオンを支給。また、日本の金融機関へ預金するなどし、戦後は請求権を失った個人財産も「1円=30ウオン」で換算し補償した。しかし、補償予算の総額は日本から受けた無償協力金3億ドルの10%に満たず、死亡者以外は補償対象から外されたため、国民の間に不満が残っていた。(毎日新聞 2007年7月5日 東京朝刊)
なお、2006年9月25日提出の「日帝強占下国外強制動員犠牲者等の支払に関する法律(案)」(邦訳)は、「韓国・朝鮮の遺族とともに」全国連絡会のサイトから入手可能(
http://homepage3.nifty.com/iimptc/sienhouan.pdf
)。
なお、既報(140)、(158)、(167)および大統領拒否権行使(208)、支援法成立(216a)参照。
(205) 2007年7月8日 中国残留孤児国の支援策受け入れ決定、全国の15訴訟終結へ
永住帰国した中国残留孤児に対する新たな国の支援策について、全国の国家賠償訴訟の原告団と弁護団の代表が8日、東京都内で会合を開き、基礎年金の満額支給と給付金制度の創設を柱とする与党案を受け入れることを決めた。孤児の9割近い約2200人が全国15カ所で起こした訴訟の終結方針も決定。残留孤児支援をめぐる問題は決着する見通しとなった。新支援策は9日の与党プロジェクトチーム(PT、座長・野田毅元自治相)で正式に決まる。
与党案は、月額で基礎(国民)年金6万6000円を満額支給したうえで、最大8万円の給付金を支給。約2500人の孤児の6割以上を占める生活保護受給者の場合、生活費がこれまでの8万円から14万6000円に増える。
低収入の人の住宅費や医療費の自己負担分については、これまでは生活保護制度から支給していたが、新支援策では必要に応じて別途支給する。ただし厚生年金や働いて得た収入がある人は給付金を減額。収入が増えると、さらに住宅費、医療費の順に減らす。
対象は、終戦時に12歳以下だった「残留孤児」と、13歳以上だった「残留婦人」を合わせて約5000人にのぼる見通しだ。
新支援策は、生活保護の収入認定制度と似た運用が取られるため、これまで孤児側は「生活を監視される」などと反発していた。このため与党側は、厚生年金などの収入についても3割程度を認定の対象から外すと決定。さらに、国のこれまでの対策が不十分だったと認め、新支援策を孤児の「人間としての尊厳」や「老後の生活の安定」を基本方針とする見解を盛り込むことにした。
これを受けて孤児側は「実質的に収入認定制度を除去できる設定で、約60年にわたる苦しみに対する配慮やねぎらいに満ちたもの」と与党案を評価。受け入れを決めた。
与党は秋の臨時国会に関連法案を提出し、08年1月から支援策をスタートさせる方針。孤児側は支援策の立法化を受け、和解や取り下げなどで損害賠償の請求権を放棄し訴訟を終結させる。
訴訟は、速やかな帰国支援や帰国後の自立支援措置を怠ったとして、02年から各地で集団提訴。国の責任を認めた06年12月の神戸地裁判決以外はいずれも国が勝訴し、孤児側の「1勝7敗」となっていた。
安倍首相は今年1月、新たな支援策をまとめるよう柳沢厚生労働相に指示。与党PTや厚労省の有識者会議が支援策を検討していた。(朝日新聞2007.07.09朝刊)
(206) 2007年7月9日
中国残留孤児に最大月14万6000円支給、与党側正式決定
日本に永住帰国した中国残留孤児への生活支援を巡り、与党プロジェクトチーム(PT)は9日、孤児側に提示していた支援策を正式に決めた。生活保護を受けている孤児には、新たな給付金を含め単身世帯で月額最大14万6000円を支給する。支給に必要な収入調査は孤児の負担にならないよう年1回にする。政府は関連法案を秋の臨時国会に提出、早ければ来年1月から実施される。
各地で集団訴訟を起こしていた原告団と弁護団が8日、与党PTの検討案受け入れを表明したことを受け、新たな支援策を決定。与党PTの野田毅座長らは会議後に原告団と面会して支援策について説明。「長い間お待たせした。祖国は温かい、と実感してほしい」とあいさつした。
新たな支援では、現在は3分の1しか支給されていない老齢基礎年金を満額支給(月6万6000円)、さらに生活支援の給付金を単身世帯で月額最大8万円を上乗せする。医療、介護、住宅の費用も国が負担する。
給付金支給のため生活を詳細に調べる収入調査については、「生活監視だ」と反発する孤児側に配慮。老齢基礎年金の満額分や、働いて得た収入や厚生年金などの収入の三割を確定対象から除くことを決めた。
このほか、@支給手続きなどは中国語ができる支援・相談員が担当するA収入調査は原則年一回B独立している中国残留孤児二世や三世に原則,扶養の有無を照会しない――などの措置をとることを決めた。
係争中の裁判については、原告が和解協議の場で訴訟取り下げを決め、収入印紙代も原告の負担にならないようにするという。(日経新聞2007.07.10朝刊)
(207) 2007年7月18日 東京高裁、遺棄毒ガス兵器1次訴訟で原告側敗訴の逆転判決
日中戦争終了前後に旧日本軍が中国東北部に遺棄した毒ガス兵器や砲弾で70年〜90年代に死傷したとして、中国人作業員などと遺族ら計13人が日本政府に計2億円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審で、東京高裁(小林克已裁判長)は18日、原告らの逆転敗訴とする判決を言い渡した。一審・東京地裁(108)は「被害発生を防ぐための措置を中国政府に委ねる義務などを怠った」として計約1億9000万円の賠償を国に命じたが、高裁は「被害回避は困難だった」と判断して一審判決を取り消した。
この問題では、96年に1次訴訟、97年に2次訴訟が起こされた。2次訴訟は一(100)、二審(183)とも原告側が敗訴し上告中。今回は一審で勝訴した1次訴訟の控訴審だった。逆転敗訴となったものの、小林裁判長は「被害者を補償の外に置くことは正義にかなわない。総合的政策判断の下、全体的かつ公平な被害救済措置が望まれる」と言及し、政府や国会に救済を促した。
訴訟で、国側は「当時の国際法が禁じたのは毒ガス兵器の使用にとどまり遺棄は禁じられていなかった」「他の国の兵器である可能性もある」などと主張していた。
これに対し、小林裁判長は、旧日本軍による毒ガス兵器の遺棄を認定。遺棄した兵器がある可能性が高い場所や処理方法などの情報の中国側への提供を「国家としての責務」とし、「(これらを)真摯(しんし)に行わないのは責任ある国家の姿勢として許されない」と述べた。
しかし、兵器の配備範囲は広く、遺棄地点の多くも特定されていないことから、「日本政府が積極的に調査や回収作業にあたったとしても一般的な被害防止の可能性が高まったといえるにすぎない」と指摘。賠償責任を認めるのに必要な「被害を防止できた高度の蓋然(がいぜん)性(確率)」までは認められないと結論づけた。(朝日新聞2007.07.19朝刊)
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旧日本軍が中国に遺棄した毒ガスなどで被害を受けたとして、中国人13人が日本政府に約2億円の賠償を求めた訴訟の控訴審で、東京高裁は18日、約1億9000万円の支払いを命じた1審・東京地裁判決(03年9月)を取り消し、請求を棄却する原告側逆転敗訴の判決を言い渡した。小林克已裁判長は「国が遺棄兵器の情報を中国側に提供したとしても、事故を防げた可能性が高いとは認められない」と述べた。原告側は上告する。
原告は、黒竜江省で74、82年に起きた毒ガス事故と95年の砲弾爆発事故で死亡した3人の遺族6人と負傷者7人。
控訴審で国側は、事故原因が旧日本軍の遺棄兵器とは言えないと主張したが、判決は毒ガスについて旧日本軍関係者が隠したものと認定し、遺棄は重大な危険を及ぼす違法行為と指摘した。
そのうえで、国の戦後の対応について違法性を検討。遺棄兵器の情報を集め中国側に調査や回収の申し出をするのは国家の責務としつつも、遺棄兵器の発見場所が中国各地に広く分布していることなどを挙げ、情報提供しなかった国の不作為と事故の因果関係を否定し、賠償請求を退けた。
一方で「中国人被害者が個別に我が国へ賠償請求することは法解釈上、認めがたい。総合的政策判断の下に全体的かつ公平な救済措置の策定が望まれる」と付言した。
遺棄毒ガスを巡る賠償請求訴訟では、別の訴訟で1、2審とも原告が敗訴し、他に1件が東京地裁に係属中。【北村和巳】(毎日新聞2007.07.19朝刊)
【登載判例集】
第1審(東京地裁、平15.9.29) 訟務月報50巻11号3146頁、判例時報1843号90頁、判例タイムズ1140号300頁
第2審(東京高裁、平19.7.18) 訟務月報53巻8号2314頁、判例時報1994号36頁。 なお、判決文および要旨が、中国人戦争被害者の要求を支える会のサイト(
http://www.suopei.org/index-j.html
)に掲載されている(なお、News for the People in Japan のサイト<
http://www.news-pj.net/index.html
>の注目裁判資料欄にも掲載されている)。また、判決正本の写し(pdf
版)が、「化学兵器被害の解決を目指す共同行動」のサイト<
http://blog.livedoor.jp/kaiketsu2006
>より入手可能。
なお、最高裁決定(245)参照。、
(208) 2007年8月2日 盧武鉉大統領、「支援法」に拒否権行使
盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は先月3日に国会を通過した「太平洋戦争前後国外強制連行犠牲者支援法」(204)について、国家財政に大きな負担を与えるという理由により今月2日、拒否権を行使した。
このため、同法案は国会で再議(差し戻し)手続きを経ることになるが、出席議員の3分の2
以上が賛成すれば、拒否権行使とは関係なく法律として確定する。政府と国会行政自治委員会が当初合意していた原案は、日本の植民地支配時代に強制連行された犠牲者の遺族に2000万ウォン(約258万円)の慰労金を、生存者には毎年50万ウォン(約6万4500円)の医療支援金を支給するというものだった。
ところが、遺族会の要請を受けた与党ヨルリン・ウリ党の張福心(チャン・ボクシム)議員が、生存者に医療支援金のほか慰労金500万ウォン(約64万5000円)を追加支給する内容の修正案を本会議に提出、これが通過した。
政府当局者は「修正案通りなら追加予算2000億ウォン(約258億円)が必要で、国の財政に大きな負担がかかる。生きて帰国した後、亡くなった方との公平性にも問題がある」と、拒否権行使の背景を説明している。これに対し、太平洋戦争犠牲者遺族会のヤン・スンシム会長(77)は「政府に届けが出ている生存者2万4000人のうち、約半分は亡くなっており、(修正案通り)1人当たり500万ウォンずつ支援しても、必要な予算は1000億ウォン(約129億円)未満。盧大統領の退陣要求運動を展開すると共に、国会議員の説得に当たる」と話している。(朝鮮日報Online
2007.08.03)
なお、既報(140)、(158)、(167)、(204)、および支援法成立(216a)参照。
(209) 2007年8月29日 前橋地裁、中国人強制連行訴訟群馬訴訟で4.27最高裁判決を踏襲し、日中共同声明で請求権は放棄されているとして棄却
第二次大戦中に強制連行され、群馬県内の工事現場で過酷な労働を強いられたとして中国人と遺族46人が国とゼネコン2社に総額約4億6440万円の損害賠償などを求めた訴訟で、前橋地裁は29日、原告の請求を棄却した。小林敬子裁判長は4月の中国人強制連行訴訟で最高裁が初めて示した「日中共同声明で、中国国民は裁判で賠償請求をできなくなった」との判断を踏襲した。
被告となっていたのはゼネコンは鹿島と旧ハザマの債務を引き継いだ青山管財。
判決は強制連行について否定し続けた企業側の主張を退け「国と企業は共同して原告らを強制連行し、労働を強制させた」と認定したが、不法行為とは判断しなかった。また、4月の最高裁判決が出る前の訴訟で争点となっていた旧憲法で国の公権力行使に個人は損害賠償請求できないとする「国家無答責」などについては触れなかった。
訴えによると、中国人元労働者20人(うち7人は死亡)は旧日本軍に強制連行され、1944年4月から45年8月の終戦まで、群馬県太田市やみなかみ町の工事現場で労働に従事。暴力を受けるなど肉体的、精神的被害を受けた。【鈴木敦子】(毎日新聞2007年8月30日東京朝刊
【登載判例集】 未登載。ただし、中国人被害者の要求を支援する会のサイト( http://www.suopei.org/index-j.html
)に判決要旨が掲載されている。
(210) 2007年9月19 富山地裁、第二次不二越韓国女子勤労挺身隊訴訟請求棄却 強制連行・強制労働の事実は認める
第二次大戦中、朝鮮半島から強制連行され、富山市の機械メーカー、不二越の軍需工場で強制労働させられたとして、韓国の元女子勤労挺身(ていしん)隊員と遺族らが国と同社に計約一億円の損害賠償などを求めた第二次不二越訴訟の判決で、富山地裁は十九日、原告の請求を棄却した。強制連行と強制労働の事実は認めた。提訴時にすでに死亡していた原告一人の訴えは却下した。原告全員が控訴する方針。
戦後補償訴訟では中国人の強制労働をめぐり、最高裁が四月、個人の請求権は放棄されたと判断(190)。その後、韓国人や中国人の強制労働をめぐる訴訟で、二国間協定に基づき個人の請求権を認めない判決が続いており、戦争被害を訴える関係者にとって厳しい司法判断が定着したといえそうだ。
佐藤真弘裁判長は判決理由で、サンフランシスコ平和条約と一九六五年の日韓請求権協定により「韓国とその国民は日本に対し、請求権を主張できないとされたのは明らかだ」と指摘。
「挺身隊への勧誘は虚偽や脅迫によるもので、労働は賃金が支払われず、外出が制限されていた」などと述べ、強制連行と強制労働を認めたが、国と同社の不法行為責任は判断しなかった。(中日新聞2007.09.20朝刊)
【登載判例集】 訟月54巻2号。なお、第二次不二越強制連行・強制労働訴訟を支援する北陸連絡会のサイト(
http://www.fitweb.or.jp/~sksr930/
)に、判決の抜粋(裁判所の法律判断の部分は全文収録)が掲載されている。
なお、第一次不二越訴訟の最高裁での和解について(2)参照。
(211) 2007年9月25日 サハリン残留韓国人、日本国と郵政公社を東京地裁に提訴 郵便貯金2000倍で払い戻し請求
戦時中に日本領だったサハリンに朝鮮半島から渡り、戦後取り残された残留韓国人や遺族ら十一人が二十五日、「払い戻されるはずの郵便貯金を受け取っていない」などとして、日本政府と日本郵政公社に計約二千八百万円の返還を求める訴えを東京地裁に起こした。
このうち六人は現在もサハリンに在住している。このほかは、韓国に帰国した四人と東京都在住の一人。
訴えによると、原告らはサハリンの炭坑などで働き、郵便貯金や簡易保険を利用し、当時の額面で一人約六十四円−約四千三百三十円をためた。戦後、日本人が引き揚げ、郵便局は閉鎖。帰国措置が取られなかった韓国人らは残留を余儀なくされ、払い戻しを受けられなかった。
原告側は「サンフランシスコ条約(一九五二年発効)により、日本政府は、旧ソ連、もしくはロシアと残留韓国人の財産問題について、特別の取り決めで解決する必要があった」と指摘。「日本政府は払い戻しの義務を負っているのに解決に努めていない。物価上昇率を考え、当時の額面の二千倍で払い戻すべきだ」と主張している。
戦時中の郵便貯金をめぐっては、台湾の旧日本軍人らの軍事郵便貯金について、九五年に国が額面の百二十倍で払い戻している。
政府支援なく苦しい生活
「もともと朝鮮人だったのです」。提訴後、東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見した原告の李義八さん(84)=都内在住=は、日本語で静かに語り始めた。
一九四三年にサハリンに移住した李さんは炭坑労働に従事する傍ら強制的に貯金をさせられた。
妻が日本人のため五八年になってようやく引き揚げが実現し、東京で暮らし始めた。
同年、貯金は払い戻されたが、額面の二倍の約四千四百円でしかなく、苦しい生活の助けにはならなかった。
李さんは「日本政府は戦後、何も手を打ってくれなかった。(請求額は額面の)二千倍でもいいと思う」と言葉を振り絞った。
同席した代理人の高木健一弁護士は「通帳を失ったまま苦しい生活を送っている残留韓国人らもいる。日本政府の戦後の政策を徹底的に追及していきたい」と話す。(東京新聞2007年9月25日夕刊)
(212) 2007年10月4日 最高裁、韓国人在外被爆者訴訟の弁論開催決定 高裁敗訴決定見直しか
長崎で被爆した韓国人の故・崔李●(「撤」のてヘンをさんずいヘンに換えた字)(チェ・ゲチョル)さん(平成16年死去)が、帰国を理由に被爆者援護法に基づく健康管理手当を打ち切られたのは不当として、長崎市に未払い分を求めた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(泉徳治裁判長)は4日、双方の主張を聴く弁論を来年1月21日に開くことを決めた。崔さんの逆転敗訴だった2審・福岡高裁判決が見直され、勝訴が確定する公算が大きくなった。
海外に居住地を移した被爆者の手当支給は、昭和49年の旧厚生省局長通達で打ち切られたが、在外被爆者にも受給資格を認めた大阪高裁判決(82)の確定を機に、国は平成15年に通達を廃止した。
崔さんは昭和55年に長崎市から支給認定を受けたが、1カ月分を支給されただけで離日し、打ち切られた。地方自治法上の時効(5年)を過ぎた平成16年に提訴しており、時効で請求権が消滅したかが争点だった。
市側は時効を理由に反論したが、1審・長崎地裁判決(163a)は「通達は在外被爆者に重大な障害だった。時効の主張は信義則上、許されない」とし、規定に基づき昭和55年から約3年分に相当する約82万円の支払いを命じた。しかし、福岡高裁(176a)は約3年分の受給資格を認めたうえで「通達には一応の根拠があった」と、時効の主張を認めた。
ブラジル在住被爆者による同様の訴訟では、最高裁は今年2月、「行政側の時効の主張は信義則に反し許されない」とし、被爆者側の請求を認めている(180)。(産経新聞2007.10.05大阪朝刊)
(213) 2007年10月11日 イラク民間人被害者、損害賠償を求めブラックウォーターを米連邦地裁に提訴
(CNN) 米警備会社ブラックウォーターUSAの従業員が9月16日、イラクの首都バグダッド市内で民間人17人を死亡させたとされる事件で、死者の遺族らが11日、同社に損害賠償を求める訴訟を、米ワシントンの連邦裁判所で起こした。
訴えているのは、従業員の発砲で死亡した3人の遺族と、重傷を負ったとされる男性1人。再発抑止を目的とする懲罰的損害賠償を含め、同社が「絶え間ない不正行為と人命軽視によって得た利益をすべてはく奪するのに十分な金額」の支払いを求めている。
事件についてブラックウォーターは、米国務省関係者の護衛中に銃撃を受けたため発砲したと説明しているが、原告側は「護衛中ではなく、銃撃もなかった」「無実の市民を処刑したに等しい」と主張。同社が「人命を犠牲にして金銭的利益を追求するよう、従業員に促してきた」と非難している。
同事件をめぐっては、米連邦捜査局(FBI)が刑事捜査に乗り出しているほか、米国とイラクの国防当局が今月、合同調査を開始。一方、イラク政府の調査委員会は、死亡した17人の遺族にそれぞれ800万ドルずつの賠償金を支払うよう求める報告書を出している。(2007.10.12
Web posted at: 13:31 JST- CNN)
(214) 2007年10月22日 最高裁、在韓被爆者訴訟弁論なく来月1日判決指定、国に賠償命令確定へ
戦時中に強制連行されて広島で被爆した元徴用工の韓国人40人が「被爆者援護法の適用外とされてきたのは違法」などとして、国や企業に賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(涌井紀夫裁判長)は22日、判決期日を11月1日に指定した。結論を見直す際に必要な弁論が開かれておらず、在外被爆者援護策の違法性を認めて国に慰謝料など計4800万円の支払いを命じた2審・広島高裁判決(141)が確定する見通しとなった。
援護法に関する74年の旧厚生省通達が03年に廃止されるまで、日本から出国した在外被爆者は、各種手当を支給されなかった。在外被爆者援護策を最高裁が違法と認めるのは、健康管理手当の支給を巡り在ブラジル日本人被爆者が広島県に勝訴した2月の判決(180)に次ぎ2例目、国に賠償を命じる判決は初めてとなる。
2審は05年1月、74年通達について「援護法の解釈を誤っており違法」と指摘。国側には、法律を忠実に解釈すべき職務義務に違反した過失があると判断した。さらに、通達を基に援護法の適用外とされたことで「原告は被差別感や高齢化による焦燥感など、複雑で深刻な感情を抱かされ、精神的損害を受けた」と慰謝料請求を一部認めた。
訴えていたのは、広島市にあった広島三菱重工造船所(当時)などに強制連行され、被爆した韓国人。被爆者健康手帳や健康管理手当を得たが帰国により支給を打ち切られた人や、手帳を取得できていない人もいる。
原告側は、企業に対しては、強制連行・労働に対する賠償や未払い賃金の支払いを求めたが、1、2審とも時効などを理由に請求を棄却した。【高倉友彰】(毎日新聞2007.10.23大阪朝刊)
なお、最高裁判決(216)参照。
(215) 2007年10月29日 原告側が和解解決訴え 中国人強制連行長崎訴訟控訴審第一回口頭弁論
第二次大戦中に本県の炭鉱に強制連行され、過酷な労働を強いられたり、移送先の長崎刑務所浦上支所で被爆死した中国人の原告、遺族ら計十人が国と県、三菱マテリアル(東京)、三菱重工(同)に損害賠償を求めた中国人強制連行長崎訴訟の控訴審第一回口頭弁論が二十九日、福岡高裁(牧弘二裁判長)であった。
原告の中国人二人が意見陳述し、敗訴した一審長崎地裁判決に対し「極めて不公平な判決」と訴え、原告側代理人は福岡高裁に和解による解決を求めていく考えを示した。国や企業側は原告側の控訴を棄却するよう求める答弁書を提出した。
意見陳述した李慶雲さん(81)は三菱端島炭鉱での強制労働の実情を訴え「企業側は一銭の賃金も払わず、交渉も責任逃ればかり。正義はどこにあるのか」と怒りをぶつけた。強制連行後、被爆死した喬書春さんの娘、喬愛民さん(66)は「父が連行され、一家の生活は困窮し、私と姉の二人は路頭で物もらいの生活。母は私たちを抱いて泣いてばかりいた」と声を詰まらせ、「加害者の日本政府や企業は言い逃ればかりで良心のかけらもない」と涙ながらに訴えた。
原告二人はこの日、支援者らとともに、福岡市の三菱マテリアル九州支店を訪れ、謝罪や賠償ほか、炭鉱跡地に中国人犠牲者追悼碑の建設を求める文書を手渡した。
三月の長崎地裁判決は、加害行為から二十年が経過し損害賠償請求権が消滅したとする「除斥期間」の適用などで原告の請求を棄却。一方で強制連行と強制労働の事実を認めた上で、被告側の共同不法行為を認定した。
元従軍慰安婦や強制連行・労働など中国人の戦後補償をめぐっては四月に最高裁が「一九七二年の日中共同声明で、中国人個人の賠償請求権は放棄された」とし、請求権自体を否定し原告敗訴が確定したが「原告は極めて大きい精神的・肉体的苦痛を受けた」と認定し「被害者救済に向けた関係者の努力が期待される」とした。
原告側代理人は「最高裁判決も救済すべき問題としている」として和解による解決を求める考えを示した。(下線山手)
次回期日は来年二月十八日。(長崎新聞 WEB
NEWS 2007.10.29)
(216) 2007年11月1日 最高裁、広島三菱元徴用工被爆者訴訟で国の上告棄却 広島高裁賠償判決確定
太平洋戦争中に朝鮮半島から広島市の旧三菱重工業の工場に強制的に連行され、被爆した韓国人元徴用工40人が国などに計4億4000万円の損害賠償などを求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第一小法廷は1日、国の上告を棄却した。在外被爆者への手当支給を認めなかった通達を違法とし、4800万円の国家賠償を命じた二審判決が確定した。
援護行政をめぐる被爆者の訴訟で国家賠償が確定したのは初めて。行政通達の違法性を認め、賠償を命じる司法判断としても初の確定となった。
涌井紀夫裁判長は「国の担当者は通達を出した時点で、正当な解釈かどうかを検討する注意義務を怠り見過ごした。原告は被爆による特異な健康被害に苦しみ、不安を抱えながらの生活を余儀なくされた」と判断した。
裁判官3人の多数意見。甲斐中辰夫裁判官は「通達は違法だが、行政側の解釈にも一定の根拠があり、注意義務違反はない」と反対意見を述べた。旧厚生省出身の横尾和子裁判官は被爆者担当部局に以前在籍したため、審理に加わらなかった。
問題となったのは「出国すれば法に基づく健康管理手当を打ち切る」とした1974年の旧厚生省局長通達(402号通達)で、最高裁は今年2月
(180)、ブラジル在住被爆者による同種訴訟で通達を違法と認定していた。
涌井裁判長は「国家賠償は国の担当者が注意義務に違反し、違法性を見過ごした場合などに限られる」と指摘。その上で、不法入国した韓国人被爆者への手当支給を認めた74年3月の福岡地裁判決後、担当者は海外在住者に手当を打ち切る措置の違法性を認識でき、その後の通達の問題点も見過ごしたと判断した。
判決によると、原告らは44年、国民徴用令により旧三菱重工工場に連行され、翌年8月被爆。帰国後、長年援護を受けられなかった。
原告側は「通達は違法な差別」と主張。広島地裁は原告の請求を棄却したが、2005年の高裁判決[広島高裁2005.1.19判決
(141)]は通達を違法とし、原告が精神的損害を受けたとして、慰謝料など1人当たり120万円の賠償を命じた。
原告は強制連行による賠償も求めたが、判決は個人請求権を消滅させた1965年の日韓請求権協定を理由に退けた。
(西日本新聞2007/11/02朝刊)
【登載判例集】
第一審(広島地裁1999.3.25) 訟務月報47巻7号
第二審 (広島高裁2005.1.19) 判例時報1903号、判例タイムズ1217号。なお、三菱広島・元徴用工被爆者裁判を支援する会のサイト<
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/nkhp/index.html
>および「在外被爆者にも援護法の適用を!」のサイト(
http://www.hiroshima-cdas.or.jp/home/yuu/index.html
)にも、判決文(ただし、「当裁判所の判断」の部分のみ)が掲載されている。
第三審(最高裁2007.11.1) 判例集未登載。ただし、日本の裁判所の公式サイト(
http://www.courts.go.jp/ )の「最近の判例一覧」に判決全文が掲載されている。また、上記三菱広島・元徴用工被爆者裁判を支援する会のサイトにも全文が掲載されている。
【参考】 愛媛新聞2007年4月4日社説 「韓国人元徴用工訴訟 在外被爆者初の国賠確定が重い」
援護行政をめぐる被爆者訴訟で初の国家賠償が確定した。
太平洋戦争中に朝鮮半島から広島市の旧三菱重工業の工場に強制的に連行され、被爆した韓国人元徴用工四十人が国などに損害賠償などを求めた訴訟の上告審判決である。
最高裁は在外被爆者への手当支給を認めなかった通達を違憲とし、一人当たり百二十万円の国家賠償を命じた二審判決が確定した。在外被爆者を援護の対象外としてきた国の誤りを断罪した画期的な判断だ。
原告らは一九四四年に連行され、翌年の八月に広島で被爆した。戦後、帰国したことで被爆者の手当を受けられなかった。長年放置された不安と悔しさは察するに余りある。
十二年に及んだ裁判で問題になったのは「出国すれば法に基づく健康管理手当を打ち切る」とした七四年の旧厚生省局長通達(四〇二号通達)だ。最高裁は今年二月、ブラジル在住被爆者による訴訟でこの通達を違法と認定していた。今回は通達を出した時点で旧厚生省の担当者が違法性を気付くことができたはずなのに見過ごした、と行政の姿勢を厳しく批判した。さらに踏み込んで、行政の怠慢に警鐘を鳴らした判決を高く評価したい。
二〇〇五年一月の広島高裁判決は「在外被爆者切り捨て」ともいえる通達で救済への期待を裏切られた被爆者の精神的損害を重視した。最高裁がこれを追認したことを国はしっかり受け止めるべきだ。判決後、厚生労働省は原告や遺族に謝罪したが、あまりにも遅すぎる。
二月の最高裁判決を受けて厚労省は、時効を理由に支給してこなかった一九九七年十一月以前の健康管理手当の未払い分の支給を四月から始めた。残された課題は被爆者が来日しなくても被爆者健康手帳の申請・取得を可能にする制度改正だ。
厚労省は「本人確認や審査のためには一度来日してもらう必要がある」としているが、被爆者救済を遅らせてはならない。来日せずに手帳を取得できるよう、与党プロジェクトチームが被爆者援護法を議員立法で改正する準備を進めている。国会提出を急いでもらいたい。
現在、在外被爆者が手帳を取得するには来日した上で都道府県知事あてに申請する必要がある。高齢や体調不良などで来日できない人も多く、速やかに在外公館などで手続きできるようにすべきだ。被爆者を幅広く救済するには在外被爆者の手当支給は欠かせない。
最高裁判決の翌日、原告らは三菱重工業に強制連行や強制労働による賠償や未払い賃金の支払いをあらためて求めた。判決は三菱重工業への請求については時効などを理由に退けた二審判決を支持、敗訴が確定した。会社側は原告らの訴えに対応を検討して回答すると約束したという。原告らの納得のいく解決策を見いだしたい。
海外の被爆者も高齢化が進んでいる。政府は老後を安心して暮らせる援護行政に積極的に取り組まなければならない。
(216a) 2007年11月23日 韓国、国外強制動員犠牲者等支援法成立
2007年7月3日に国会を通過しながら(204)、8月2日大統領によって拒否権を行使され(208)
国会に差し戻されていた「太平洋戦争前後の国外強制動員犠牲者等の支援に関する法律案」が、盧武鉉政権最後の定例国会のしかも会期最終日に当たる11月23日の国会本会議において、当日最後の審議案件として再議決(無記名投票)に付された結果、出席議員160人のうち賛成52票、反対104票、棄権2票、無効2票で否決され廃案となった。しかし、その直後、同法案の疾病無しに帰国した生存者にも慰労金500万ウォンを支給するという規定を削除した同法案と同一名の法案(その点に関しては、法案の名称は同じであるが、内容はもとの政府案「日帝強占下国外強制動員犠牲者等の支援に関する法律案」に逆戻りしたわけである)を政府が提出し、これがかろうじて可決された。というのは、299名の国会議員のうち、表決に参加したのは152名で、あと3名が欠席していたら、定足数に達しないところであった(可否の表決数は情報がなくて不明)。なお、同法は12月10日、法律第8669号として公布された。(11月23日の国会審議について韓国紙の報道が少ない上に、数少ない報道も支援法成立と支援法廃案と相反する内容で、いったい何がどうなっているのか正確な情報がつかめなかった。以上の記述は、「遺骨問題の解決へ韓国・朝鮮の遺族とともに全国連絡会」事務局長福留範昭氏が、韓国の「太平洋戦争被害者補償推進協議会」事務局長金銀植氏からの報告その他を同連絡会サイト<
http://homepage3.nifty.com/iimptc
>上に紹介されているのを参考にしてまとめたものである。なお、同サイトには、福留氏による同法の邦訳も掲載されており有益である。)
なお、受付開始(229)、初の決定(233)参照。
(217) 2007年12月5日 中国残留孤児集団訴訟、福田首相面談で初の謝罪
新たな支援策を盛り込んだ改正中国残留邦人支援法の公布を受け(山手注ー成立は11月28日)、福田首相は5日、官邸で集団訴訟の原告らと面談し、「皆さんは我々が想像もつかないようなご苦労をされた。これからはぜひ幸せになって頂きたいと思います」とねぎらった。報道陣退席後の懇談の場では「ご迷惑をかけて申し訳なかった。厚生労働大臣も反省している。皆さんのことに気付くのが遅れて申し訳なかった」と謝罪したという。弁護団では「首相が孤児に謝罪したのは今回が初めてで、重く受け止めている」としている。
福田首相は冒頭のあいさつで、これまでの支援策について「十分な成果をあげていない。残念なことだと思います」と語り、「これからも一生懸命努力します」と約束した。「皆さんは日本国民なんです。ほかの日本国民と同じように幸せになる権利がある」という言葉もあり、孤児らは目頭を押さえて聞いていた。
面談終了後、記者会見した集団訴訟全国連絡会代表の池田澄江さん(63)は「総理の温かい謝罪、ねぎらいの言葉を受け取り、晴れて日本人になれました」と話し、福田首相は面談後、謝罪の言葉について「そういう気持ちは、日本の国民の一人として持っていいのではないかと思う」と記者団に語った。
各地で起こされた集団訴訟は、東京訴訟の取り下げ以降、順次終結するが、孤児らは国からの謝罪やねぎらいの言葉を求めていた。(読売新聞2007.12.05夕刊)
(218) 2007年12月13日 東京高裁で、中国残留孤児集団訴訟第1次東京訴訟の40人取り下げ
永住帰国した中国残留孤児の9割に上る約2200人が国に損害賠償を求めて全国の地裁に提訴した「中国残留孤児集団訴訟」のうち、第1次東京訴訟の控訴審第1回口頭弁論が13日、東京高裁で開かれ、原告40人(うち1人死亡)が訴えを取り下げた。
残留孤児の集団訴訟の訴えの取り下げは初。孤児らに対する国の支援策が実現することを受けたもので、孤児側は、現在16の地裁・高裁に係属中のすべての訴訟を取り下げや和解により今年度中に終結させ、5年に及んだ裁判を全面決着させる。
残留孤児の集団訴訟は2002年12月、今回の原告を含む約630人が東京地裁に提訴して以降、全国で計15地裁に起こされた。
孤児らは「中国に置き去りにされ、帰国後も苦しい生活を強いられた」として、国に1人当たり3300万円の賠償を求めたが、06年12月に神戸地裁(176)で国の責任が認められた以外は、7地裁で原告側が敗訴。第1次東京訴訟も今年1月、東京地裁で請求が棄却され(178)、原告側が控訴していた。
しかし、政府が今年7月、国民年金の満額支給などの支援策をまとめたことから、原告側もこれを受け入れる方針を決定。
今月5日、支援策を盛り込んだ改正中国残留邦人支援法が公布されたことを受け、第1次東京訴訟の原告から訴えを取り下げることになった。
原告弁護団によると、東京訴訟の他の原告も近く一括して書面で取り下げるほか、全国の訴訟も来年3月ごろまでに終結させる見通し。(読売新聞2007.12.13夕刊)
(219) 2008年2月12日 山形地裁、中国人強制連行酒田港事件棄却
戦時中に中国から強制連行されて働かされたとして、中国人6人が国と「酒田海陸運送」(酒田市)を相手取り、計1億5000万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決が12日、山形地裁であった。片瀬敏寿裁判長は、強制連行と強制労働が行われたと認定したが、「1972年の日中共同声明により、中国人個人は日本に対し、戦争被害について裁判上、賠償を請求することはできなくなった」とした昨年4月の最高裁判決に基づき、原告の請求を棄却した。原告側は控訴する方針。
判決で片瀬裁判長は、「被害者らは日本に連行されて外出、逃亡のできない施設に収容され、衛生状態や食糧事情が劣悪な環境下で過酷な労働を強制させられた」と指摘し、強制連行・強制労働の事実を認定して不法行為と位置付けた。被告の国側は、旧憲法下の国の不法行為は責任を問えないとする「国家無答責」の立場をとったが、片瀬裁判長はこれを退け、国と会社には安全配慮義務違反があったことも認めた。
しかし、片瀬裁判長は「不法行為などに基づき、原告から被告への損害賠償請求の発生自体は認められるものの、それらは日中共同声明に基づく請求権放棄の対象となる」として最高裁判決に沿った判断を示し、原告側の訴えを退けた。
判決について、被告の酒田海陸運送は弁護人を通じて「強制連行や安全配慮義務違反などが認定されたことについては厳粛に受け止めたい」と話した。また、外務省アジア大洋州局中国課は「これまでの政府の主張が認められたものと考える」とのコメントを出した。
山形地裁にはこの日、裁判の支援者らが多数訪れた。片瀬裁判長が「請求を棄却する」と判決を読み上げると、傍聴席で見守っていた支援者からはどよめきとため息が漏れた。
閉廷後、原告側弁護団は山形市内で記者会見。「棄却は非常に残念」としながらも、「強制連行・強制労働が不法行為であること、安全配慮義務違反を認めたことは、今の状況では最も良い判決の一つと考える」として、判決を一定程度評価した。
しかし、会見に出席した原告の一人で、今回の判決のため来日した檀蔭春さん(87)は、「大変失望した」と険しい表情で話した。
檀さんは1944年に強制連行され、酒田市では連日午前6時から午後10時ごろまで石炭をかごで運ぶ作業などに従事させられた。粗末な食事しか与えられず、少しでも作業が遅れると殴られることもあったという。
この裁判は第1回口頭弁論から判決まで3年以上続き、この間6人の原告のうち3人が死亡した。会見で檀さんは「日本の債務は時間がたつと消滅するのか。控訴して最後まで闘います」と話していた。(読売新聞山形版2008年2月13日朝刊)
なお、判決要旨が、News for the People in Japan のサイト<
http://www.news-pj.net/index.html
>の注目裁判資料欄に掲載されている。
なお、仙台控訴審判決(252)参照。
(220) 2008年2月18日 最高裁、長崎市に在韓被爆者への手当支払い命令
長崎で被爆した韓国・釜山市の崔季チョル(チェゲチョル)さん(2004年7月死亡)の遺族が、帰国により被爆者援護法に基づく健康管理手当の支給を打ち切られたのは不当だとして、長崎市に未払い分の支給を求めた訴訟の上告審判決が18日、最高裁第1小法廷であった。泉徳治裁判長は「市が時効を主張するのは信義則に反する」と述べ、支給を認めなかった2審・福岡高裁判決(176a)破棄し、市に約83万円の支払いを命じた。長崎市の敗訴が確定した。
崔さんは長崎で被爆した後、韓国に帰国。1980年5月、治療で訪れた長崎市で被爆者健康手帳を受け、6月分の手当を受けたが、再び帰国したため7月分以降の支給を打ち切られた。
1審・長崎地裁判決(163a)は、手帳交付から3年分の手当計約83万円の支払いを長崎市に命じたが、昨年1月の福岡高裁判決は、手当の打ち切りから04年の提訴までに、地方自治法で定めた請求権の時効期間(5年)が過ぎていることを理由に、請求を棄却していた。
在外被爆者を巡る訴訟では、ブラジル在住の日本人被爆者3人が起こした訴訟で、最高裁(180)が昨年2月、「出国すると被爆者の地位を失う」とする旧厚生省通達を違法とし、「この通達に基づく事務処理をしていた自治体が時効を主張するのは信義則に反する」と判断している。判決は、この判例を踏襲した。在外被爆者に対しては昨年4月以降、未払い分の支払いが行われるようになり、崔さんの遺族にも昨年10月、計約306万円が既に支払われている。(読売新聞2008.02.19東京朝刊)
(221) 2008年2月22日 大阪高裁で、中国残留孤児兵庫訴訟も取り下げ
中国残留孤児が全国15地裁に国家賠償を求めた訴訟のうち、唯一1審(神戸地裁)(176)で勝訴した兵庫訴訟の口頭弁論が22日、大阪高裁(成田喜達(きたる)裁判長)であり、原告64人が訴えを取り下げた。改正中国残留邦人支援法が昨年11月に成立したのを受けた措置。04年3月に提訴された兵庫訴訟は終結した。
取り下げに先立ち、意見陳述した宗藤泰而(むねとうたいじ)弁護団長は「2審でも国の責任を明確にする判決が下されることを願ってきた。新しい支援策の受け入れと引き換えとはいえ、取り下げは断腸の思い」と無念をあらわにした。
また、原告の山田春木(はるき)さん(65)は意見陳述で、新たな国の支援策は一定の預貯金や収入がある人を対象外としている点に触れ、「ぜいたくをせず、少しずつ貯金をしてきた。支援策はすべての孤児が平等に受けられるべきだ」と声を震わせた。【川辺康広】
◇団長「謝罪まで闘う」
「残留孤児の人権、尊厳は回復されていない」。兵庫訴訟原告団長の初田三雄さん(65)=兵庫県伊丹市=は、これからも空き缶拾いで生活するつもりだ。
1審・神戸地裁判決(06年12月)は「国は、残留孤児の早期帰国を妨げ、帰国後の自立支援も怠った」として、一連の訴訟で国の賠償を唯一認めた。これを機に国は支援策見直しを迫られ、国民年金の満額支給(月6万6000円)や生活支援金(月最大8万円)などを盛り込んだ改正中国残留邦人支援法が成立。4月から給付が始まることになった。
だが国からの謝罪は今もない。そのうえ支援策には孤児の収入を調べ生活支援金から収入の約7割を減額する「収入認定」の仕組みが残り、預貯金や不動産などの保有も制約される。「国の監視が続き、生活保護と同じだ」と兵庫の原告は反発したが、初田さんは敗訴した他地域の孤児から支援策早期実施を望む声を受け、やむを得ず訴訟取り下げに応じた。
中国では「日本人」とつるし上げられ、極貧の農村へ強制移住させられた。帰国後も厳しい肉体労働にしか就けず、脳梗塞(こうそく)で倒れ、今も心臓や脳の血流が悪く通院。それでも「自分の尊厳と、お金を引き換えにしたくない」と生活支援金の給付を受けるつもりはない。
「政府が、残留孤児を遺棄した責任を認めて謝罪し、孤児への監視をやめて、真の『賠償』を勝ち取るまで、闘いを続ける」。厳しい口調で語った。【樋口岳大】(毎日新聞2008.2.23大阪朝刊)
(222) 2008年4月21日 福岡高裁、中国人強制連行福岡訴訟(第二陣)で和解打診の所見提示
戦時中に中国から強制連行され炭鉱で過酷労働を強いられたとして、中国人45人が国と炭鉱を経営していた三井鉱山、三菱マテリアル(いずれも東京)に計約10億円の損害賠償を求めた中国人強制連行福岡訴訟第二陣の控訴審の進行協議で、福岡高裁(石井宏治裁判長)は21日、原告、被告双方に対し、「和解による解決への前向きの配慮を求める」とする和解所見を提示した。
原告弁護団によると、中国人強制連行訴訟をめぐっては昨年4月の最高裁判決(190)が個人の請求権を否定して以降、各地で原告敗訴が続いており、和解に向けた所見が出たのは初めて。同弁護団は「和解勧告と受け止めている」と評価している。
最高裁判決は、1972年の日中共同声明で個人の賠償請求権は放棄されたと判断したが、「自発的対応は妨げられず、被害救済に向けた関係者の努力が期待される」と付言していた。
所見は最高裁判決を踏まえ「法的責任が認められる旨を示さないまま和解の打診を行うのは異例」と前置きした上で、(1)強制連行・労働は国策(2)企業は労働力で相応の利益を受けた(3)被害者らの精神的・肉体的苦痛は言語に絶するほど大きい(4)請求権喪失は被害者らの意向を反映したものでない‐と指摘。「救済に向けた何らかの提案があれば、それを基に協議を尽くしたい」としている。
同様の訴訟は全国で9つ係争中。福岡訴訟第二陣の弁護団は6月2日の進行協議までに、すべての関係企業と国が補償金として1000億円を拠出して基金を創設し、被害者への支払いや日中交流事業に役立てる‐との案を福岡高裁に提案する予定。
また、同高裁の別の部で係争中の長崎訴訟でも今年2月、裁判所から口頭で和解の打診があったという。福岡訴訟第二陣(169)、長崎訴訟(187)とも一審判決は請求を棄却、原告側が控訴していた。(西日本新聞2008.04.22朝刊)
なお、福岡高裁判決(242)参照。
(223) 2008年5月5日 旧軍の北方少数民族徴用に、政府戦後補償前向き
太平洋戦争中に旧樺太(現北緯五〇度以南のロシア・サハリン)で旧日本軍に徴用されながら実態が明らかにされなかったウィルタやニブヒなど北方少数民族について、政府は、軍人軍属の年金支給を定めた援護法に基づいて「遺族年金の支給など適切に対応していきたい」との方針を初めて表明したことが四日、分かった。ウィルタ協会(北海道)の田中了代表は本紙の取材に、首都圏などに在住する遺族らの意向を踏まえ、徴用の実態解明と戦後補償を国に求めていく意向を明らかにした。
政府は二〇〇〇年三月、それまでに把握した北方少数民族出身の援護法適用者は一人だけだと国会で答弁。
しかし、紙智子参院議員(共産)の質問に対する先月三十日付の福田康夫首相の答弁書は、北方少数民族とみられるシベリア抑留者の中に援護法の受給該当者が複数いたと明かした上で、今後も規定に基づいて遺族年金などの支給に応じる姿勢を示しており、補償問題の解決に向け突破口が開かれた格好だ。
田中代表は「協会の調査では徴用された北方少数民族は七十人以上に上るとみられる」とし、国に詳細な資料の公表を求めている。
この問題では、昨年六月、協会側の調査を報じた本紙記事をめぐる衆院議員の質問に、政府は「資料収集など必要な対応をしたい」と初めて前向きな姿勢を示していた。
(メモ) 北方少数民族 サハリンに先住するウィルタ、ニブヒ、エベンキなどの少数民族。酷寒のツンドラで諜報(ちょうほう)活動を行った日本の旧陸軍特務機関は、移動手段のトナカイを飼育して遊牧生活を送るウィルタ民族などを頼りにしたとされる。戦後、一部の人々は日本へ移住し現在、北海道や関東など日本国内で暮らすウィルタ民族は30人弱とされる。(中日新聞2008.05.05朝刊 )
【参考】 北方民族徴用 実態調査で国動かす 解明へ支援活動30年以上(中日新聞2008.05.05朝刊第2社会面)
「旧日本軍から引き継いだ資料に従軍の記録がない」−。日本政府が繰り返しそう答弁し、実態解明に及び腰だった旧樺太(現ロシア・サハリン)での北方少数民族徴用問題。今回、国がようやく遺族年金の支給などに前向きな姿勢を見せるまでになった背景には、三十年以上に及ぶ支援者らの地道な調査の積み重ねがある。(<1>面参照)
二〇〇〇年三月、政府が衆院で、軍人軍属らの年金支給を規定する援護法が適用された北方少数民族出身者は一人だけと答弁したとき支援活動を続けるウィルタ協会の田中了代表(78)は耳を疑った。
前年、北海道庁の担当者の協力を得て、北方少数民族出身のウシク・ローガン(日本名・中村郎岸)さんとウシク・インライン(同・中村一郎)さんに対する弔慰金支給の記録を見つけ出していたからだ。
「われわれは数万円の弔慰金を受け取ったインラインの母親からも聞き取りをし、二人の遺族が受給したことを確かめていた。国が把握できなかったはずはない」と田中さんは国の姿勢に不信感を募らせた。
二人は、それぞれ一九四八年と五〇年に旧ソ連の収容所や病院で栄養失調などにより死亡。五九年には靖国神社に合祀(ごうし)され、約十年後には叙勲も受けていたという。
田中さんらが、協会の調査で判明した人数を突きつけた結果、国は今回、「複数いる」と答弁を変えた。
また、徴用された北方少数民族出身者は特務機関や憲兵隊の任務に就いたため、中には「旧日本軍によって口封じで殺されたのでは…」と支援者らが疑う死亡例もある。
戦後六十年以上たってなお深い闇。「二人だけでなく、なるべく多くの事例について明らかにするよう、国に求めていく」と田中さんは言う。
◇解説 早期の補償が必要
太平洋戦争中、日本が領有していた北緯五〇度以南の旧樺太で、旧陸軍に徴用された北方少数民族の実態解明と補償問題の解決に、光明が見え始めた。
一九四二年に陸軍特務機関に「召集」されたウィルタ民族のゲンダーヌ(日本名・北川源太郎)さんの事例は七六年、国会で取り上げられたが、日本政府は正式な召集ではなかったとし、軍人恩給の支給を認めなかった。
同時に国は「資料がない」との答弁を繰り返したが、二〇〇〇年には、サハリン州政府保管の資料に、大戦後に旧ソ連の軍事法廷でスパイ罪などで有罪判決を受けた北方少数民族計四十人の名簿が存在することが判明。四十人はシベリアへ送られ、うち少なくとも二十三人が同地で死亡していた。
旧日本軍は、日本が統治していた台湾でも先住民族を徴用したが、戦後四十年以上たってから、遺族・重傷者に弔慰金・見舞金として一人二百万円の支払いが決まったという経緯もある。
戦争での先住民族の「使い捨て」は許されず、北方少数民族についても早期の戦後補償が必要だ。そのためにも、現代史の闇に埋もれた徴用の一日も早い実態解明が、何より待たれる。(外報部・嶋田昭浩)
(224) 2008年5月29日 民主党、朝鮮半島・台湾出身元BC級戦犯特別給付金支給法案を衆院に提出
民主党は二十九日、太平洋戦争後にBC級戦犯として処罰された朝鮮半島、台湾出身者に給付金三百万円を支給するための特別給付金支給法案を衆院に提出した。
法案提出者の泉健太衆院議員によると、対象は朝鮮半島出身者百四十八人、台湾出身者百七十三人の合計三百二十一人。本人が刑死やその後死亡した場合は遺族が請求できる。
朝鮮半島出身の元BC級戦犯をめぐっては、韓国政府が二〇〇六年、戦争被害者として認定したため、遺族が公の場に出られるようになり、日本政府に補償を求めている。ただ、韓国内では「対日協力者」と批判されることもあるため、泉氏は「請求者は半数ぐらいと予想される」としている。
民主党は今後、各党に呼び掛け、法案成立を目指すとともに、必要であれば修正にも応じる構えだ。(2008.05.29共同通信)
【参考】 朝鮮半島・台湾出身の元BC級戦犯に補償案 議員立法、初の国会へ(朝日新聞2008.05.18東京朝刊)
「日本人」として処罰されたのに、戦後差別的な扱いを受けてきた朝鮮半島や台湾出身の元BC級戦犯。何の補償もなかった彼らに、特別給付金を支給するための議員立法案が今国会にも初めて出される。法廷で訴え、敗訴後も続けてきた関係者の活動に光があたり始めている。(中野晃)
法案は民主党の泉健太・衆院議員(33)らが提出を検討している。朝鮮半島や台湾出身の元BC級戦犯や遺族に対し、「人道的精神に基づき」1人あたり300万円を支給することが柱だ。
日本人の元BC級戦犯や遺族には、恩給や援護法による給付金が支給されるが、政府は「日本国籍ではない」として対象から排除してきた。韓国・朝鮮人元BC級戦犯者の会「同進会」の李鶴来(イハンネ)会長(83)=東京都=らが国に補償と謝罪を訴えてきた。
泉議員が李さんと初めて会ったのは03年。1枚のビラに目がとまり、話を聞いた。日本兵の遺骨収集団に参加したこともあったが、李さんのような存在は知らなかった。「国会は正面から取り組んでこなかった」。党派をこえて賛同者を広げたいという。
李さんは17歳だった42年夏に朝鮮半島から「徴用」され、タイの捕虜収容所で監視員を務めた。衣食住も薬品も欠乏した過酷な労働環境で、上官の命令は絶対だった。戦後、捕虜を虐待したとして現場監視員が連合国の軍事裁判で訴追され、李さんも死刑判決を受けた。減刑され、東京・巣鴨刑務所から釈放されたのは敗戦の11年後。援護策はなく、自殺した仲間もいる。韓国に戻っても「日本軍に協力した」と白眼視されるため、異郷での苦しい生活を強いられた。
「日本人だったからと刑を受け、日本人でなくなったと補償要求は退けられる。こんな不条理はないでしょう」
李さんら元BC級戦犯6人と遺族が国を訴えた裁判は8年間続いた。99年の最高裁判決は訴えを退けたが、「深刻で甚大な犠牲や被害を被った」と認め、「補償は立法府の裁量」と指摘した。
李さんはその後も立法化を訴えたが、9年の時が過ぎた。仲間は次々と亡くなり、原告の元戦犯で生きているのは2人だけ。「立法府がようやく第一歩を踏み出した」と喜ぶ。
韓国籍の李さんは4月、国を相手に新たな訴訟を東京地裁に起こした。65年の日韓国交正常化までの外交文書の全面公開を求めている。
李さんらの要求に、日本政府は「日韓協定で解決済み」との立場を通してきた。韓国政府の公開文書では、韓国人戦犯の扱いについて、交渉で日本側が「別個の問題として研究したい」と答弁した、との記録がある。日本政府の対応を明らかにすることが法案成立の後押しにもつながる、と李さんは信じている。
◆キーワード
<朝鮮半島・台湾出身のBC級戦犯> 戦争中、日本軍は朝鮮人や台湾人を動員し、捕虜監視員として南方各地に派遣した。日本の敗戦後、日本人司令官や下士官らとともに、戦争指導者らの「A級戦犯」に対して「BC級戦犯」として裁かれた。321人が有罪となり、朝鮮人23人、台湾人26人が死刑になった。韓国政府は06年、「日本の強制動員の被害者」と認定している。
(225) 2008年7月4日 最高裁、中国人強制連行新潟訴訟の上告棄却
第2次大戦中に強制連行され、新潟港で働かされた中国人元労働者と遺族が、国とリンコーコーポレーション(新潟市)を相手に計約2億7500万円の損害賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第2小法廷(古田佑紀裁判長)は4日、請求を棄却した2審東京高裁判決を支持、原告の上告を退けた。原告敗訴が確定した。
全国13地裁で提訴された強制連行訴訟では、昨年4月の最高裁判決(190)で、「1972年の日中共同声明で中国人個人の賠償請求権は放棄され裁判では行使できない」との初判断が示され、中国人側の敗訴が続いていた。
新潟弁護団はこの判決で「原告らの被害救済に向けた努力が期待される」との付言が示されたことを重視。上告後、1年以上動きがなかったことから今年6月、当事者間の解決を目指し、リンコーに話し合いに応じるよう申し入れていた。
新潟訴訟では、2004年3月の1審地裁判決(123)で一連の訴訟で初めて国の賠償責任を認め、国と企業側に総額8800万円の支払いを命じた。国家賠償法施行前の国の責任を問わないとする「国家無答責」の主張を退け、安全配慮義務違反も認定、時効も成立しないと判断するなど、原告側の訴えを全面的に認めた。
しかし、06年〔山手注ー07年の間違い〕3月の東京高裁判決(184)では逆転敗訴。強制連行、強制労働の事実は認定したが、国家無答責を認めて国は賠償責任を負わないとした上、不法行為から20年過ぎると損害賠償権が消滅する「除斥期間」も過ぎたと判断した。(新潟日報2008年7月5日)
【関連記事】 中国人強制連行新潟訴訟 敗訴確定の原告・遺族ら港運会社前で謝罪要求
第二次世界大戦中に新潟港に強制連行され、労働を強いられたとして、中国人の元労働者と遺族ら28人が国と港湾運送会社「リンコーコーポレーション」(新潟市中央区)に賠償を求めた訴訟に関連し、遺族や支援者らが12日、リンコー本社前で、謝罪や賠償などの要求に応じるよう求めた。
同訴訟は4日、最高裁が原告の上告を棄却。強制連行の事実は認めるが、国の責任を認めず、リンコーへの賠償請求権は時効(10年)で消滅したとする2審・東京高裁判決が確定した。
しかし、「道義的責任を果たすべきだ」として、遺族や支援者約20人は、謝罪と賠償、慰霊碑の建立を求める要求書を提出するため、リンコー本社を訪れたが、同社は応じなかった。遺族らは14日、再び申し入れを行う。
被害を受けた張文彬さん(故人)の次男一憲さん(54)は「強制連行・労働させた責任は決して消えない。誠実に謝罪・賠償するまで戦い続ける」と訴えた。【岡田英】(毎日新聞2008年7月13日地方版)
【登載判例集】
第一審(新潟地裁2004.3.26) 訟務月報50巻12号
第二審(東京高裁2007.3.14) 訟務月報54巻6号
第三審(最高裁2008.07.04) 決定全文が、中国人戦争被害者の要求を支える会のサイト(
http://www.suopei.jp/ )
に掲載されている。
(226) 2008年7月8日 最高裁、中国人強制連行北海道訴訟の上告棄却
第二次大戦中、日本に強制連行され道内の炭鉱などで過酷な労働を強いられたとして、中国人四十二人(うち十五人死亡)と遺族が、国と企業六社に謝罪と総額八億四千万円の損害賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は八日、原告の上告を退ける決定をした。請求を棄却し、原告が敗訴した一、二審判決が確定する。
五人の裁判官全員一致の決定。那須裁判長は「原告は違憲を言うが、単なる法令違反で上告事由に該当しない」と述べた。
中国人の強制連行などをめぐる戦後補償裁判では昨年四月、最高裁(190)が「一九七二年の日中共同声明で中国人個人の賠償請求権は放棄され、裁判で行使できない」との判断を示し、中国人原告の請求を棄却した。今回の決定も、この判例に沿った結果とみられる。
一審札幌地裁判決(122)は、不法行為から二十年で、損害賠償請求権が消滅する民法の除斥期間を適用。併せて国家賠償法施行(四七年)以前、国は不法行為の賠償責任を負わない「国家無答責」の法理も用い、原告の請求を棄却。二審札幌高裁判決(202)も、控訴を棄却した。
原告側弁護団は「最高裁の決定は容認できない。判断を改めさせるため、今年中に新たな中国人強制連行訴訟を起こしたい」とコメントした。(北海道新聞2008.07.09朝刊)
【登載判例集】
第一審(札幌地裁2004.3.23)訟務月報50巻12号
第二審(札幌高裁2007.6.28)訟務月報54巻6号
(227) 2008年7月22日 仙台高裁で、中国人強制連行酒田港事件控訴審第一回口頭弁論開かれる
太平洋戦争中に中国から酒田港に強制連行され、過酷な労働を強いられたと、中国人男性と遺族ら13人が国と酒田海陸運送(旧酒田港湾運送)に計1億5000万円の損害賠償などを求めた訴訟の控訴審第一回口頭弁論が22日、仙台高裁であり、原告側は請求を棄却した一審山形地裁判決
(219)の取り消しを求めた。被告側は控訴棄却を求めた。
2004年12月の提訴後に死亡した原告2人の息子(承継原告)が来日して意見陳述し、「日本政府は戦争を引き起こし、父を人間として扱わなかったことを謝罪してほしい」などと訴えた。
国側は、北海道と新潟県の2つの強制連行訴訟で最高裁が今月、相次いで原告敗訴の決定をしたことなどを挙げ、結審を求めた。(下線山手)小野貞夫裁判長は原告1人を証人採用し、次回に尋問することを決めた。
山形地裁は2月、国や企業による強制連行や過酷な労働など不法行為の存在を認めたが、「戦争状態を終了させるため、相互に個人請求権も含めて放棄した」とする日本と連合国のサンフランシスコ平和条約(1951年)と同じ枠組みにある日中共同声明(72年)で「訴訟上の請求権を失った」と判断した。
控訴審で国側は、一審判決の結論を支持する一方、民法上の不法行為責任を負うと認定したことに「国家賠償法施行前の行為で、国が賠償責任を負わない『国家無答責』の法理を適用すべきだ」と反論した。
判決によると、原告らはだまされたり暴力を振るわれたりしながら貨物船で連行され、酒田港で石炭や船の荷物の運搬作業を強いられた。訴訟は中国人男性6人が2004年12月に提訴、うち3人が死亡している。
(河北新報2008年07月23日朝刊)
(228) 2008年7月31日 広島地裁、在ブラジル被爆者の被爆者手帳申請却下を違法として国に賠償命令
来日しないことを理由に、援護を受けるのに必要な被爆者健康手帳の申請を却下されたブラジル在住の被爆者2人が、国と広島県を相手に却下処分の取り消しと計330万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決が31日、広島地裁であった。能勢顕男裁判長は来日を求めることには一定の合理性があったとしたうえで「来日が困難な場合など特段の事情が認められる場合にも却下するのは裁量権の乱用で違法だ」として却下処分を取り消し、国に計165万円の支払いを命じた。
来日を例外なく手帳交付の条件としてきた国の運用が違法と判断されたのは初めて。今年6月には在外被爆者が来日しなくても手帳を取得できるように被爆者援護法が改正され、今年末に施行される。
訴えていたのは、広島で被爆した女性と長崎で被爆した男性。戦後ブラジルに移住し、男性は06年4月に96歳、女性は07年3月に91歳で死亡。訴訟は遺族が承継している。
判決は「居住地の都道府県知事に申請しなければならない」と定めた援護法の解釈について検討。「身体的または経済的事情から来日が困難で、関係書類から申請者の被爆時の状況が判断できるなど、特段の事情がある場合にも却下するのは違法」と判断した。
さらに判決は、原告は以前から手帳交付で援護を受けることを希望していたが、日本から出国すれば援護を打ち切られると考え、来日してまで申請することをためらったと認定。援護法のらち外におかれていたことで精神的損害をこうむったとして、賠償を命じた。
判決などによると、2人は広島、長崎両県市が海外に居住する人の被爆の事実を認めて交付する「被爆確認証」を取得。06年3月、代理人を通じて広島県に手帳交付を申請したが、翌月、来日していないことを理由に却下された。
同じ問題をめぐっては、韓国在住の被爆者が却下処分取り消しを求めた訴訟で06年9月、同じ裁判長が請求を棄却(174)、原告が控訴している。今回の裁判では原告の健康状態が悪かったうえ、来日には40時間もかかることや、広島県職員がブラジルで女性と面談していたことが考慮された。(朝日新聞2008.07.31大阪夕刊)
(229) 2008年9月1日 韓国政府、国外強制動員犠牲者等支援法の申請受付開始、初日申請1300件余
【ソウル堀山明子】韓国政府は1日、日本植民地時代に海外に強制連行された韓国人被害者に対する慰労金や未払い賃金支給の申請受け付けを開始し、1300件余の申請があった。昨年12月に制定された「国外強制動員犠牲者等支援法」(216a)に基づく措置で、2010年6月まで申請を受け付ける。在日韓国・朝鮮人は対象外。
「強制動員被害真相究明委員会」によると、初日の申請は、死傷者や行方不明者の家族らに対する慰労金(最高2000万ウォン=約200万円)が412件▽未払い賃金(1円当たり2000ウォンで換算)が168件▽生存者に対する医療支援金(年間80万ウォン=約8万円)が730件。
支援法は盧武鉉(ノムヒョン)前大統領が05年、日韓条約関連の外交文書を全面公開し、70年代に韓国政府が行った補償を補てんする人道措置として推進された。ただ、申請には「(韓国政府に補償を求める)訴訟など追加請求をしない」という文書に署名が必要なため、被害者団体の一部は反発している。(毎日新聞2008.9.2東京朝刊)
(230) 2008年9月2日 広島高裁、在韓被爆者の控訴棄却、「来日要件は違法」指摘
来日しないことを理由に被爆者健康手帳の申請を認めなかったのは違法だとして、広島で被爆し、韓国在住だった李相ヨプ(イ・サンヨプ=ヨプは火へんに華)さん=07年4月に83歳で死去=が、国と広島県を相手に申請却下処分の取り消しと慰謝料35万円の支払いなどを求めた訴訟の控訴審判決が2日、広島高裁であった。加藤誠裁判長は原告が死亡していることから申請却下処分取り消しの訴えは終了したとし、控訴段階で追加された被爆者の地位確認請求を却下し、慰謝料請求を棄却した。しかし、判決理由のなかで、来日要件の違法性を指摘した。
加藤裁判長は「来日していないことだけを理由に手帳申請を却下するのは合理的に説明が困難」と述べた。
また、05年11月に健康管理手当の海外からの申請が認められるようになる前の手当申請却下をめぐって、国が制度改正の義務を怠ったとして、国と広島市を相手に35万円の損害賠償を求めた朱昌輪(チュ・チャンユン)さん=05年7月に82歳で死去=について、加藤裁判長は控訴を棄却した。
在外被爆者援護は国の相次ぐ敗訴などで段階的に見直され、03年3月に健康管理手当の受給が国外に出ても打ち切られないようになり、05年11月に居住国での手当申請も認められた。手帳申請の「来日要件」も今年末に撤廃される見通しとなっている。
裁判で李さん側は、被爆者健康手帳があれば海外でも手当が受け取れるようになった後も、手帳申請を海外でできるようにしなかったことを違法だと主張した。06年9月の一審・広島地裁判決(174)は、李さんが提訴後に来日して手帳の交付を受けたことから「訴えの利益がなくなった」と判断。来日要件については、手帳の不正取得を防止するために申請者本人との面接を原則とし、国内での申請を求めることに一定の合理性があると判断した。(鬼原民幸)(asahi.com
2008.09.02)
(231) 2008年10月20日 福岡高裁、中国人強制連行長崎訴訟の控訴棄却
戦時中、本県の炭鉱に強制連行され過酷な労働を強いられたり、移送先の長崎刑務所浦上刑務支所で被爆死したとして、中国人の元労働者と遺族の計十人が国と県、三菱マテリアル(東京)など二社に損害賠償を求めた中国人強制連行長崎訴訟の控訴審判決で、福岡高裁は二十日、請求を棄却した一審長崎地裁判決を支持、原告の控訴を退けた。原告側は上告する方針。
牧弘二裁判長は判決理由で「(強制連行と強制労働で)被った精神的・肉体的な苦痛は極めて大きいものであった」と不法行為を認めたが、「一九七二年の日中共同声明で中国人個人の賠償請求権は放棄された」とする昨年四月の最高裁判決を踏襲。「自発的な対応の余地があるとしても、裁判上訴求することは認められない」と結論づけた。
昨年三月の一審判決同様、不法行為の賠償請求権などについては、加害行為から二十年以上経過し消滅したとする「民法の除斥期間」や消滅時効も成立していると判断した。
判決などによると、日本政府は四二年、労働力不足を解消するため中国人労働者の国内移入を政策決定。原告らは河北省などで拉致され、高島、端島、崎戸の各炭鉱に強制的に送り込まれ、過酷な労働に従事させられた。
牧裁判長は今年二月、口頭で和解を打診。原告と企業側は柔軟な姿勢を示したが、国が「判決を待ちたい」として拒否、交渉は決裂していた。
判決に対し県と三菱マテリアルは「主張が認められたと理解している」とコメント。原告代理人の龍田紘一朗弁護士は「一審判決をうのみにした、一言で言えば最低の判決」と語った。原告側は請求を総額二億円から百万円に減額して控訴していた。
(長崎新聞2008.10.21朝刊)
(232) 2008年10月21日 イタリア最高裁、第二次大戦中のドイツ占領軍の住民虐殺に対し、ドイツ政府に賠償金支払い命令
【ローマ藤原章生、ベルリン小谷守彦】第二次大戦中、ナチス占領下のイタリアで起きた住民虐殺事件をめぐり、イタリアの最高裁に当たる破棄院の刑事第1法廷は21日、ドイツ政府に、原告の2人の犠牲者の遺族9人に総額100万ユーロ(約1億2500万円)の賠償金支払いを命じた。また虐殺に加わった当時のドイツ人将校(85)=ドイツ在住=の終身刑を確定させた。
◇人道犯罪に厳罰の流れ
過去の戦争での人道犯罪で、被害国側の裁判所が加害国側に賠償を命じるもので、専門家は「人道犯罪に厳しい目を向ける国際法の潮流に従った判決」と指摘。大戦中の旧日本軍の人道犯罪に対する日本政府への責任追及にも、今後影響を与える可能性がある。
事件は1944年6月、イタリア中部トスカーナ州の町チビテッラで起きた。パルチザンによってドイツ兵3人が殺された報復として、女性や子供、司祭ら203人が暴行の末、銃殺された。当時、ヒトラーはドイツ人1人の死にイタリア人10人の処刑で報いるよう命令。イタリアでは44年までのナチス駐留下、市民約1万人が犠牲になった。
裁判は06年に始まり、1審、2審ともドイツ政府の補償義務を認めていた。
独伊は47年、イタリアのドイツへの賠償要求放棄を確認した講和条約を締結。61年には2国間協定も結んでいるが、破棄院は今回、「ドイツ政府の免責は強制連行に関するもので、人道に反する罪は含まれない」と、原告側の主張を受け入れた。
ドイツ外務省報道官は「判決を理由に政府が個人に補償することはできない」と、判決の受け入れを拒否する一方、「道義的責任は認識している」と述べ、原告への補償金支払いの可能性を示唆した。
国際法の専門家によると、米国や欧州では今回同様、ナチスの戦争犯罪に関して現ドイツ政府の責任を認める判決が出ている。フィレンツェ大のアントニオ・カセーゼ教授(国際法)は伊レプブリカ紙に対し、「一国の司法が他国の罪を問えないというのが、国際法の原則。しかし現在は、人道上の罪は例外という解釈が優位に立っている」と指摘。ドイツの戦後補償問題に詳しいブレーメン欧州法政治学センターのフィッシャーレスカーノ氏(国際法)は「人道犯罪に厳しい視線を注ぎ、人権保障を充実させてきた国際法の潮流に沿うものだ」と評価した。(毎日新聞2008.10.23日東京夕刊)
(233) 2008年10月30日 韓国政府、太平洋戦争前後の国外強制動員被害者支援法による慰労金支給初の決定
【ソウル30日共同】 韓国の首相傘下機関「太平洋戦争前後の国外強制動員犠牲者支援委員会」は30日、日本の植民地支配下で軍人や労働者として強制連行され死亡した225人の遺族に対し、初めて死者1人当たり2000万ウォン(約159万円)の慰労金を支払うことを決めた。聯合ニュースが伝えた。
盧武鉉前政権下で公開された1965年の日韓国交正常化交渉に関する外交文書で、連行された韓国民への補償義務を韓国政府が負うと確認していたことが判明し、昨年11月に支援法が成立(233)。これに基づく申請を受けた初の支給決定。生存者511人にも年間約80万ウォンの医療支援金が支給される。
韓国は74年にも約8500人に金銭を支給したことがあるが、あまりに低額だとの評価が多く、同ニュースは被害に見合う金額の実現は今回が初めてだと伝えている。(2008
.10.30
22:35 共同通信)
【中央日報10月31日】 日本の帝国主義による植民支配時代(1910〜45年)の太平洋戦争当時、強制的に動員された被害者らに対し、国家が慰労金を支給するという決定が下された。慰労金の支給は31年ぶりとなる。
国務総理室の傘下にある「太平洋戦争前後に国外へ強制動員された犠牲者への支援委員会」は30日全体会議を開き、計834件、約49億3000万ウォン(約3億9千万円)にのぼる慰労金の支給を決めた。
太平洋戦争の当時、労役などに強制動員された韓国人に対する政府の慰労・補償は朴正煕(パク・チョンヒ)政権時代の1975〜77年以来、初めて。
今回の決定で、強制動員被害者のうち死者225人の遺族に2000万ウォンずつの慰労金が支給されることになる。511人の生存者には毎年80万ウォンの医療支援金が与えられる。7人の生存者や遺族には負傷障害への支援金として300万〜2000万ウォンが支援され、91人に対しては1円=2000ウォンの換算で、強制労役当時に受領できなかった賃金などが支給される。
今年策定された支援金の予算は約2400億ウォンだ。委員会は2010年6月まで市、郡、区など基礎自治体を通じて被害者を受け付ける。(
中央日報Joins.com 2008.10.31
08:00:42)
(234) 2008年10月31日 金沢地裁、中国人強制連行七尾訴訟棄却
(読売新聞)
第2次大戦中に中国から強制連行されて七尾港で働かされたとして、中国人男性ら6人が、国と港湾運送業「七尾海陸運送」(七尾市)を相手取り、謝罪や6600万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が31日、金沢地裁であった。倉田慎也裁判長は、国と同社の安全配慮義務違反を認定したものの、「戦争中に生じた中国人の請求権は、日中共同声明で裁判上訴求する機能を失った」として、原告の請求を棄却した。
中国人の強制連行を巡っては、最高裁が2007年4月、「日中共同声明により、中国人個人は日本に対し戦争被害について裁判上、賠償を請求することはできなくなった」との判断を示した。国側はこの判断に沿って「個人請求権は放棄されている」と主張。会社側は「安全配慮義務違反はなかった」として、請求の棄却を求めていた。
判決は、原告らが1944年ごろ中国国内から七尾港に強制連行され、不十分な食事で、賃金も支払われない劣悪な環境下で、終戦まで荷揚げ作業に従事させられた事実を認定。国と同社は原告を支配管理しており、「安全配慮義務に違反した」と認めた。しかし、原告の請求権については、「日中共同声明は、請求権を互いに放棄することを明らかにした」として、最高裁判決を踏襲。「請求は、棄却を免れない」とした。
訴訟では、05年7月の提訴以降、07年2月に、裁判所が七尾港と労働者宿舎の跡地で現場検証を実施し、当時の労働環境などを確認した。原告の本人尋問では、過酷な労働条件や劣悪な生活環境に置かれた経験を証言した。
原告団と弁護団は、判決後に声明を発表。判決が、強制連行の事実と、安全配慮義務違反を認めたことに一定の評価をしたものの、「裁判所の人権救済の使命を事実上放棄したに等しい」と批判し、控訴する方針を示した。
◆「納得できるわけがない」 原告・李さん、怒りあらわ
「納得できるわけがない」。判決を聞いた原告の李変さん(44)は、裁判長が退廷して静まりかえった法廷で叫び声をあげた。
七尾港で港湾労働に従事した李さんの叔父、李四さんは1945年9月、祖国の土を踏むことなく、21歳で死亡した。李さんは、判決後の報告集会で、「すべての被害者を代表して抗議する。言葉にできないくらいの憤りを感じている」と怒りをあらわに。「我々は決してあきらめない」と両手を握りしめると、会場に集まった約40人の支援者から「頑張れ」と声が上がった。
支援者からは、判決への批判が相次いだ。支援会の角三外弘(かくみそとひろ)代表(63)は「最高裁判決に追随した内容。誠意ある解決策を探ってほしい」と話した。
一方、外務省中国・モンゴル課は「国側全面勝訴の判決。これまでの政府の主張が認められたものと考えている」とコメントした。(
2008.11.1
読売新聞東京朝刊)
(朝日新聞)
◆地裁 最高裁を踏襲◆
中国人の元労働者ら6人が、国と七尾海陸運送(七尾市)を相手取った七尾強制連行訴訟の判決が31日、金沢地裁で言い渡された。倉田慎也裁判長は「個人の請求権は放棄された」という最高裁判決を踏襲し、原告の訴えを棄却した。提訴から3年余りで原告のうち2人は死亡。被害者の無念の思いは司法の壁に跳ね返された。(菊地直己)
事実認定について判決は、原告側の主張を全面的に認めた。拉致、強制労働について「日本軍が暴力的に中国人を捕らえて連行」「意思に反して過酷な作業に従事させた」と指摘。国が主導的に連行し、関与を否定した会社側の主張も退けた。
また、劣悪な環境で労働させられたとして争われた国と会社の安全配慮義務違反も認定。国の責任について「雇用契約はなくても、指導、是正できる立場にあった」と踏み込んだ。原告団によると、各地の強制連行訴訟で国の同義務違反を認定した例は過去にないという。
しかし、被害者の賠償請求権については、07年4月の最高裁判断を踏襲。「日中共同宣言に基づき国に対する個人の請求は棄却されている」とし、訴えを退けた。
中国人の強制連行訴訟で最高裁判断が示されてから、これまで原告側の勝訴はない。原告団は「裁判所は人権救済の使命を事実上放棄したに等しく不当な判決だ」と声明を出し、控訴の意向を示した。
一方、外務省アジア大洋州局中国・モンゴル課は「これまでの国の主張が認められたものと考えている」、七尾海陸運送は「私どもの主張が認められて安堵(あんど)している」とコメントした。
◆「納得できず」原告ら落胆◆
「納得できない」。静まりかえった法廷に原告の声が響いた。「悔しい判決だ」。支援者らも肩を落とした。
この日、唯一の原告として傍聴した李変さん(44)は原告席から裁判長を見つめた。主文の言い渡しをじっと聞いていたが、通訳から判決内容を耳打ちされると硬い表情で視線を落とした。裁判長が退廷すると、立ち上がって叫んだ。「60年以上も叔父の消息はわからなかった。ずっと待ち続けていたのに、こんな形で終わってしまうなんて」
被害者連絡会事務局長の王水華さん(43)は「聞きたくもない判決だ。若くして日本に連れ去られ死亡したのに、謝罪の一言さえないなんて」と怒った。
判決後、原告団は金沢市内で報告集会を開いた。支援者の他、全国各地の強制連行訴訟の弁護士らも参加。原告支援会の角三(かくみ)外弘代表(63)は「昨年の最高裁判決は、原告の要求を切り捨てる大義名分になってしまった。裁判所は思考停止している」とくやしさをにじませた。弁護団長の岩淵正明弁護士は判決内容に対し、強制連行の事実を全面的に認め、国の責任も一部認めるなど評価できる点はあるとしながら「請求が認められなければ意味がない。これからも闘い続ける」と述べた。(asahi.com
2008.11.01 マイタウン石川)
なお、判決要旨が、News for the People in Japan のサイト<
http://www.news-pj.net/index.html
>の注目裁判資料欄に掲載されている。
なお、名古屋高裁金沢支部判決(257)、および最高裁決定(265)参照。
(235) 2008年11月10日 長崎地裁、在韓被爆者に手帳交付を命じる判決
被爆者健康手帳の取得申請時に来日しなかったことを理由に、交付を却下された韓国人女性の鄭南寿(チョンナムス)さん(88)=釜山市=が、国と長崎県に却下処分の取り消しなどを求めた訴訟の判決が十日、長崎地裁であった。須田啓之裁判長は「来日しないことのみを理由に申請を却下するのは違法」として県の処分を取り消すとともに、「来日が著しく困難な在外被爆者の場合は県知事が手帳を交付する義務を負う」との初めての判断を示し、原告の請求通り手帳交付を県に義務付けた。 【11面に関連記事】
被爆者の高齢化が進み在外被爆者への援護拡大の流れも強まるなか、従来の判例より踏み込み早期救済を命じた。健康管理手当の支給についても県の却下処分を違法と認め、支給を義務付けた。ただ判決は、手帳交付の義務付けなど国への請求はいずれも却下した。
訴訟は、在外被爆者が手帳の取得を申請する際に来日を義務付けていた「来日要件」の是非が争点。来日要件をめぐっては、今年六月に成立した改正被爆者援護法は国外からも申請できることを明記したが、原告側は法改正前の長崎県の処分について「国外の被爆者を合理的な理由なしに差別した」と主張。国と県は「手帳交付事務を適正に行うためには、本人確認や詳細な被爆状況などの聴取が必要」と反論していた。
訴状などによると、鄭さんは広島市の自宅で被爆。戦後、韓国に戻り、五年ほど前から寝たきり状態になった。二〇〇五年に長男が広島市を訪ね、鄭さんが被爆した事実を証明する「被爆確認証」を取得。鄭さんは〇六年、支援者を通じて長崎県に被爆者健康手帳の取得を申請したが、来日要件を満たしていないことを理由に却下された。
同種の訴訟は広島などで計三件が係争中。七、九月の広島地裁(228)と同高裁(230)の判決は、いずれも来日要件を違法とした。
●援護態勢の充実急務
▼平野伸人・在外被爆者支援連絡会(長崎市)共同代表の話 「被爆者はどこにいても被爆者」と認めた当然の判決。来日要件の違法性は被爆者援護法が改正されたことからも明らかなのに、いたずらに判決を待った被告には憤りを覚える。鄭さんだけでなく在外被爆者は高齢化している。一刻も早く援護態勢を充実させるべきで、控訴は許されない。
●関係機関と協議する
▼長崎県原爆被爆者援護課の話 判決文を精査しておらず、コメントできない。精査した上で関係機関と協議したい。
× ×
▼在外被爆者 海外で暮らす被爆者。被爆者健康手帳の所持者は3月末現在、35カ国に約4330人。主な内訳は韓国約2930人、米国約970人、ブラジル約160人。うち約3300人が健康管理手当などを受け取っている。旧厚生省が1974年、海外に出国すると手当などの支給を停止する通達を出したが、打ち切りは根拠がないとする大阪高裁判決が確定し、2003年に通達は廃止された。
今年6月には被爆者援護法が改正され、年内には海外からの手帳取得も可能になる。(共同)(西日本新聞2008.11.10夕刊)
(236) 2008年11月11日 最高裁、名古屋三菱韓国女子勤労挺身隊訴訟の上告棄却
第二次大戦中、名古屋市の軍需工場に女子勤労挺身(ていしん)隊員として動員された韓国人女性と遺族の計7人が、国と三菱重工業(東京)に計2億4000万円の賠償などを求めた訴訟で、最高裁第3小法廷(田原睦夫裁判長)は11日、原告側の上告を棄却する決定を出した。原告敗訴の1(142)、2(197)審判決が確定した。
当時13〜15歳だった原告らは1944年、「日本に行けば学校に行ける。仕事をしてお金ももらえる」と誘われて来日したが無給で働かされた。1審は「65年の日韓協定で、賠償請求権を主張できない」と述べて請求を棄却。2審は動員を強制連行と認定したものの、1審の結論を維持した。
◇弁護団、企業と話し合い続ける
最高裁決定を受け、名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟弁護団が11日、名古屋市内で会見し、団長の内河恵一弁護士は「控訴審判決は、国や企業の不法行為を認めており、責任がないということではない。現実的で人道的な解決を求め、企業との話し合いは続けていきたい」と話した。【北村和巳、秋山信一】(毎日新聞2008.11.12中部朝刊)
(237) 2008年12月8日 大阪大空襲の被害者、賠償求め大阪地裁に国を提訴
1945年3月から終戦直前までの大阪大空襲の被災者と遺族ら18人が8日、国の不作為のため民間犠牲者が戦後、何の補償もなく放置されたとして、国に対し1人当たり1100万円の損害賠償などを求める訴訟を大阪地裁に起こした。8日は、67年前に日米が開戦した日。空襲被災者の集団訴訟は、昨年3月に提訴した東京大空襲訴訟(182)に続き2例目。
原告は、大阪、兵庫、奈良、長野各府県に住む63〜80歳。45年3〜7月の大阪などへの空襲で負傷して後遺症があったり、肉親や家を失ったりした。
訴状によると、国の戦後補償は原則、旧軍人・軍属を対象に障害・遺族年金を支給。民間人には、外地引き揚げ者や被爆者に限定しており、空襲被災者は援護がなかった。原告らは「憲法の『法の下の平等』に反する」と主張。麻生太郎首相の謝罪も求めている。
最高裁は87年、名古屋空襲の被災者が国家賠償を求めた訴訟で、「立法措置は国会の裁量にゆだねられる」との判断を示した。このため今回の訴訟は、最高裁判例にどう反論するのかが焦点となる。【川辺康広】(毎日新聞2008.12.09大阪朝刊)
(237a) 2008年12月23日 ドイツ、イタリアを国際司法裁判所に提訴
(238) 2009年1月8日 ソウル高裁、韓国人強制連行訴訟で和解勧告、企業に救済基金への出資を
【ソウル堀山明子】日韓条約に基づく日本からの経済協力資金によって設立された韓国企業、ポスコ(旧・浦項製鉄)に対し韓国人強制連行被害者と遺族100人が慰謝料を求めた訴訟で、ソウル高等裁判所が先週、ポスコに被害者救済用の基金へ出資するよう求める和解勧告を示していたことが分かった。韓国の裁判所が戦後補償関連訴訟で和解勧告を出したのは初めて。(7面に関連記事)
勧告はポスコに対し、基金への出資で「社会倫理的責任」を果たすよう促した。被害者救済用の基金は未設置。拠出額は「社会貢献活動の通常の予算範囲」として明示しなかった。原告には、資金拠出が法律上の損害賠償に当たらないことを認め、今後、ポスコを相手に民事、刑事訴訟を起こさないよう求めた。
ソウル高裁は8日、勧告決定書を両者へ発送。受領から2週間以内に異議が出なければ「裁判上の和解」が成立するとしている。
日本は1965年の日韓国交樹立にあたり、強制連行被害者らの個人請求権の問題を「解決」するため、請求権経済協力協定を結び、無償3億ドル、有償2億ドルの資金を韓国政府へ提供した。ポスコはこのうち1億1950万ドルを使い、68年に設立された。
原告は06年4月、ポスコの設立に日本からの経済協力資金が使われたことで、被害者の補償が妨害され精神的苦痛を受けたとして、同社に被害者1人当たり100万ウォン(約6万7000円)の慰謝料を求める訴えをソウル地裁に起こした。地裁は07年8月、「(経済協力)資金は全額が被害者に支給されるべきものではない」と訴えを棄却。原告側はソウル高裁へ控訴していた。
ポスコは毎日新聞の取材に「訴訟担当者が不在でコメントできない」としている。(毎日新聞2009.01.16東京朝刊、1頁政治面)
【ソウル堀山明子】韓国のソウル高裁がポスコと強制連行被害者に示した和解勧告には、日本の経済協力資金の使途をめぐる論争に区切りを付ける狙いがある。和解が実現すれば、被害者を幅広く救済する基金構想が加速する可能性もあり、国民統合を促すことにもなりそうだ。
盧武鉉前政権は05年1月、日本の経済協力資金で1975年に実施された民間請求権補償法が「不十分だった」として、追加支援を表明。昨年6月、死傷者1人当たり2000万ウォン(約134万円)以下の「慰労金」支給などを盛り込んだ国外強制動員犠牲者等支援法を施行した。(216a) (229) これまでに約3万5000人が申請し、うち約7000人が支給を受けた。
しかし、政府の財源不足を理由に支援法対象者から無傷の生存者が除外されたため、被害者団体内部で死傷者と生存者の間に亀裂が生じた。
被害者団体の一部は財源補充のため、日本の経済協力資金で設立されたポスコや道路公団に資金拠出を働きかけており、ポスコに慰謝料を求める訴訟はこうした動きの中で起きたものだ。
一方、慰労金を受け取った被害者団体幹部らは今月7日、共済組合設立に向けた準備委員会を発足、基金の受け皿づくりを本格化させている。ポスコ訴訟を起こした崔鳳泰弁護士は「ポスコが和解に応じて基金に拠出すれば、他の企業も同調する可能性がある。最終的には日本の責任ある企業にも働きかけ、日韓の和解を目指したい」と話している。
■ことば
◇日韓条約
国交樹立のために日本と韓国が65年に締結した、日韓基本条約や日韓請求権経済協力協定などの総称。締結交渉の中で、日本が経済協力資金を拠出する代わりに、韓国が個人補償など8項目の対日請求を放棄する方針が決まったとされる。同協定には、対日請求問題が「完全かつ最終的に解決された」と明記されており、韓国政府と同国民の対日請求権が消滅したとする解釈の根拠になっている。(毎日新聞2009.01.16東京朝刊、7頁国際面)
(239) 2009年1月22日 韓国企業、ソウル高裁の和解勧告拒否、「補償は国家で」
【ソウル堀山明子】韓国人強制連行被害者らによる慰謝料請求訴訟で韓国最大手の製鉄会社「ポスコ」(旧・浦項製鉄)は22日、被害者救済の基金へ出資するよう求めたソウル高等裁判所の和解勧告に対し異議申請書を提出した。韓国の裁判所が戦後補償問題で韓国企業の社会的責任を促した初の和解勧告が不調に終わったことで、被害者らが準備を進めている基金創立に向けた資金集めは厳しい見通しとなった。
ポスコ側弁護士が22日、毎日新聞の取材に対し「(戦後補償)問題は国家が責任をとるべきだ。企業を訴えた訴訟に法的根拠がない」と述べ、同日夕に異議申請書を提出したと明らかにした。原告の被害者団体は和解勧告を受け入れる方針だったが、控訴審の結論は判決にゆだねられる。
ソウル高裁が8日に決定した和解勧告は、ポスコに対し被害者と遺族のための基金に出資するなど「社会倫理的責任」を果たすよう促した。被害者らに対しては、基金出資が法律上の損害賠償ではないと認め、今後は民事、刑事の訴訟を提起しないよう求めた。ポスコの法的責任は否定していることから、控訴審で原告が勝訴する可能性は低いとみられる。
ポスコは、日韓国交樹立の際に締結された1965年の請求権経済協力協定による経済協力資金(無償3億ドル、有償2億ドル)のうち1億1950万ドルを使い、68年に設立された。原告は06年4月、ポスコが被害者の受け取るべき資金を使ったため補償が妨害され、精神的苦痛を受けたとして提訴。ソウル地裁は07年8月、訴えを棄却し、原告が控訴していた。(毎日新聞2009.01.23東京朝刊、2頁二面)釜山高裁、韓国人被爆徴用工の三菱重工への補償請求棄却
(240) 2009年2月3日 釜山高裁、韓国人被爆徴用工の三菱重工への補償請求棄却
【釜山・堀山明子】韓国・釜山の高等裁判所は3日、広島市内にある旧三菱重工業の工場に強制連行され被爆した韓国人元徴用工6人が、現在の三菱重工業(本社・東京都港区)に未払い賃金と慰謝料の支払いを求めた訴えを棄却した。
判決は「日本ですでに(三菱重工への損害賠償を認めない)判決が確定しており、韓国民法上これを受け入れない根拠はない」とした。日韓双方で訴えを起こす重複訴訟を実質的に認めない判断といえ、韓国国内で00年以降相次いでいる韓国政府や企業に対する戦後補償要求訴訟に影響を与えそうだ。
原告6人のうち5人は日本でも国と三菱重工に対する損害賠償訴訟に参加。一方で6人は釜山地裁に対して、三菱重工に未払い賃金と慰謝料の支払いを求めて提訴した。
同地裁は07年2月、日本で係争中の訴えでも「韓国で裁判ができる」と重複訴訟を認めたが、韓国民法の時効(10年)を理由に訴えを退け(178a)、原告側が控訴。日本の最高裁は同年11月、国の賠償を認める一方(山手注)、三菱重工に対する要求は時効などを理由に棄却した(216)。
控訴審判決に対し原告弁護団の崔鳳泰(チェボンテ)弁護士は「韓国の法廷は日本の判決に従うという内容で、地裁判決より後退している。被害者の気持ちを無視した判決だ」と批判した。
原告6人のうち1人は01年に他界。父親の遺志を継いで原告となった被爆2世の朴在勲(パクジェフン)氏(62)は、「この程度の内容の判決を聞くために9年も待ったのか。無念だ」と語った。(毎日jp 2009.02.03
20時26分)
(山手注) ここの最高裁判決が「国の賠償を認める一方」という表現は、誤解を招きやすいと思う。2007年11月の最高裁判決は、在外被爆者への手当て支給拒否を違法として、それに対する国家賠償を認めたのであって、ここで問題となっている強制連行に対する賠償については、日韓請求権協定により個人請求権が放棄されているとしてこれを否定している。
【釜山3日聯合ニュース】日本植民地時代に日本に強制連行され原子爆弾の被害に遭った韓国人らが初めて日本企業を相手取り国内裁判所に提起した損害賠償請求訴訟が、控訴審でも棄却された。
釜山高等裁判所は3日、太平洋戦争末期に日本に強制連行され重労働を強いられた上に被爆したイ・グンモクさんら5人が、日本の三菱重工業に損害賠償を求めた訴訟で、原告の請求を棄却した1審判決を支持した。裁判所は、「この事件はすでに日本で判決が確定しており、外国判決を承認する韓国民法規定上、これを受け入れない根拠がない」とした。また、この事案を韓国の法に適用するとしても、すでに消滅時効10年が過ぎており、原告の請求を棄却した1審の判断は適切だったと説明した。
原告側弁護人の崔鳳泰(チェ・ボンテ)弁護士は、韓国の風俗や社会秩序に反しない限り、外国裁判所の判決を韓国の裁判所が受け入れるという規定はあるが、被爆した強制徴用被害者の賠償請求を棄却した日本側の判決が韓国社会秩序に反しないという判決は受け入れられないと、反発している。原告のイさんも「このような判決を下すなら、なぜ9年も裁判を引き伸ばしたのか。韓国はまだ本当の解放を迎えていないと感じた」と述べ、最高裁判所に上告する考えを示した。
太平洋戦争末期に日本の軍需工場に強制徴用され被爆した6人の韓国人が、2000年5月に三菱重工業を相手取り、被爆に対する慰謝料と未払い賃金など6億600万ウォン支払いを求める損害賠償請求訴訟を起こした。しかし、裁判審理に必要な韓日請求権協定の関連資料が公開されず、2003年5月の第16回公判を最後に裁判は中断した。その後2005年に関連資料が全面公開、2006年10月27日に裁判が再開された。
釜山地方裁判所は、2007年2月に「太平洋戦争前後の三菱重工業を別会社とみる根拠がない」とし訴訟当事者資格を認めながらも、原告が被害を受けたのが1944〜1945年で、韓国民法上、消滅時効の10年が経過していると指摘し、原告の請求を棄却した。また、2007年11月に日本の裁判所も、当時の三菱重工業は現在と法人格が異なるとの理由で、原告の請求を棄却した。(2009/02/03
18:48 KST)
(241) 2009年2月12日 最高裁、中国残留婦人・孤児訴訟で上告棄却、全訴訟決着
永住帰国した中国残留婦人ら3人が、早期帰国や帰国後の自立支援を怠ったとして国に計6000万円の賠償を求めた訴訟で、最高裁第1小法廷(宮川光治裁判長)は12日、原告側の上告を退ける決定を出した。原告敗訴の1(165)、2審(201a)判決が確定した。
中国残留婦人・孤児訴訟では初の最高裁の結論。小法廷は「上告を受理すべきとは認められない」とだけ述べたが、宮川裁判長は「政府に自立支援の法的義務があったと解する余地があり、日本語習得などの支援が早期・適切に行われたか、国に違法性があるかについて議論の余地がある。上告を受理して判断を示すべきだ」と反対意見を述べた。
原告は東京都の75〜80歳の女性3人。1、2審は国が自立支援策を講じる政治的責務を負うとしたが、「政策は国の広範な裁量に任されている」と訴えを退けた。旧満州(中国東北部)に取り残された日本人のうち、国はおおむね13歳未満を残留孤児、それ以外を残留婦人等と区分、残留婦人は当初、自立支援に差が付けられた。
残留孤児の集団訴訟は全国15地裁に起こされたが、新たな支援策を盛り込んだ改正中国残留邦人支援法の成立(07年11月)を受け、訴え取り下げなどで順次終結(205,206、217,218参照)。3人は「司法判断を仰ぎたい」と訴訟を継続していた。
また、東京都の中国残留孤児の男性(71)が、早期に帰国させる義務を怠ったとして国に約100万円の賠償を求めた訴訟でも、最高裁第2小法廷(中川了滋裁判長)が12日、男性の上告を棄却する決定を出し、原告敗訴が確定した。男性は集団訴訟とは別に個人で提訴していた。【北村和巳】(毎日新聞2009.02.13東京朝刊)
(242) 2009年3月9日 福岡高裁、中国人強制連行福岡2次訴訟控訴棄却

戦時中に中国から強制連行され、福岡県内の炭鉱などで過酷な労働を強いられたとして、中国人の元労働者ら45人が国と三井鉱山、三菱マテリアル(いずれも本社・東京)に総額10億3500万円の損害賠償などを求めた「中国人強制連行福岡第2次訴訟」の控訴審判決が9日、福岡高裁であった。
石井宏治裁判長(森野俊彦裁判長代読)は、原告の請求を棄却した1審・福岡地裁判決(169)を支持し、原告側の控訴を棄却した。(注ー山手)
訴状などによると、原告は1943年から45年に強制連行され、福岡県穂波町(現飯塚市)の旧三菱飯塚炭鉱や、熊本県荒尾市の旧三井三池炭鉱などで過酷な労働を強いられた。
2006年3月の1審判決は、強制連行や強制労働を「不法行為」と認定。しかし、旧憲法下での国家の権力行為は責任を問われないとする「国家無答責」や、不法行為が終了して20年で賠償請求権が消滅する「除斥期間」を適用し、原告側の請求を退けた。
控訴審で、石井裁判長は昨年4月、「和解による解決へ前向きの配慮を求める」との所見を提示。〈1〉強制連行、強制労働は国策として遂行された〈2〉被害者の精神的、肉体的苦痛は言語に絶するほど大きなものだった――と言及し、法的責任を示さないまま異例の和解を打診したが、和解に至らなかった。(222)
中国人の強制連行訴訟を巡っては、最高裁が07年4月、戦争被害について中国人個人の損害賠償請求権を否定。一方で、企業などに対して「強制労働で相応の利益を受けており、被害者の救済に向けた努力が期待される」と判示している。(190) (
2009年3月9日
14時03分 読売新聞Online)
(注ー山手) 福岡高裁の控訴棄却の理由の骨子は次のとおりである。 @被控訴人ら(国および二つの会社)の強制連行・強制労働による不法行為を原審同様認定したが、国については国家無答責の法理により、会社については除斥期間の経過により、いずれも請求権は認められない。A安全配慮義務に関しては、会社については義務が認められるが、国について認められない。しかし、会社についても、時効が成立していて、請求は認められない。Bまた、日中戦争の遂行中に生じた中華人民共和国の国民の日本国またはその国民もしくは法人に対する請求権は、日中共同声明5項によって裁判上訴求する権能を失ったというべきである。
(243) 2009年3月26日 東京高裁、海南島戦時性暴力訴訟控訴棄却
旧日本軍の従軍
慰安婦だった中国・海南島の女性八人(提訴後に二人死亡、遺族四人承継)が国に一億八千四百万円の損害賠償と謝罪広告などを求めた訴訟の控訴審判決で、
東京高裁は二十六日、請求を退けた一審判決
(173a)を支持、女性側の控訴を棄却した。
渡辺等(わたなべ・ひとし)裁判長は、旧日本軍による女性らへの監禁や暴行に加え、一部女性が過度の暴力から人格に深刻な影響を受けたと認定。国に民法上の賠償義務があると認めたが、「日中共同声明で個人の賠償請求権は放棄され、請求権は失われた」との判断を示した。
判決によると、女性八人は第二次大戦当時、海南島を占領していた旧日本軍兵士に連行され、繰り返し暴行を受けた。
代理人弁護士によると、元
慰安婦による損害賠償訴訟は一九九〇年代以降十件あり、ほか九件は敗訴が確定している。(共同通信2009.03.26)
【山手補足】 一審判決は、本件軍人の行為(拉致・監禁、連続的強姦・輪姦)を公権力の行使として認め、公権力の行使には民法709条、715条等の不法行為の規定は適用されないとし(国家無答責の法理の適用)、仮にそうでないとしても民法724条後段の除斥期間の経過により損害賠償請求権は消滅しているとした。今回の高裁判決は、これに対し、公権力の行使であることを認めず、これら軍人の行為に対して国に民法715条1項(使用者責任)に基づき損害賠償責任を認めた。しかし、2007年4月27日の最高裁第一小法廷中国人「慰安婦」二次訴訟判決(191)を踏襲して、日中共同声明第5項により控訴人らの損顔賠償請求権は「裁判上訴求する権能」が放棄されているとして、控訴を棄却した。
【登載判例集】
第一審(東京地裁 平18.8.30) 訟務月報54巻7号
第二審(東京高裁 平21.3.26) 未登載 ただし、中国人戦争被害者の要求を支える会(
http://www.suopei.jp )に、判決文全文が掲載されている。
(244) 2009年3月27日 福岡高裁宮崎支部、中国人強制連行宮崎訴訟控訴棄却
第二次世界大戦中に宮崎県日之影町の槙峰鉱山に強制連行され、過酷な労働を強いられたとして、中国人と遺族の計15人が国と三菱マテリアル(旧三菱鉱業、本社・東京)に計約1億8400万円の損害賠償などを求めた訴訟の控訴審判決で、福岡高裁宮崎支部(横山秀憲裁判長)は27日、1審に続き原告側の請求を棄却した。原告は上告する方針。
1審(186)の宮崎地裁は07年3月、「時効」を理由に請求を棄却したが、横山裁判長は同年4月に最高裁が示した「日中共同声明で、中国国民は裁判で賠償請求をできなくなった」とする判断を踏襲した(山手注ー2007.04.27の最高裁第二法廷西松建設訴訟判決(190)を引用して説明している)。
一方で、判決は強制連行について「不法行為に該当し、強度の違法性を有する」と国や企業の責任を認定した。
横山裁判長は判決言い渡し後、所感と前置きした上で「請求権が放棄されたと判断されるとはいえ、関係者は道義的責任を免れない」と批判。「当裁判所も和解に向けた努力をしてきたが解決に至らず、判決となった。今後とも関係者の和解に向けた努力を祈念する」と述べた。
弁護側は「判決文は原告一人一人の被害を記述し、丁寧に事実と向き合っている。棄却されたことは残念だが、運動を継続したい」と話した。【川上珠実】(毎日新聞2009.03.28西部朝刊)
なお、最高裁決定(263)参照。
【登載判例集】
第一審(宮崎地裁 平19.3.26) 未登載。ただし、日本の裁判所のサイト(
http://www.courts.go.jp/ )から判決全文入手可能(最近の判例→下級裁判所判例集→日付でクリック)。
第二審(福岡高裁)宮崎支部 平21.3.27) 未登載。ただし、中国人戦争被害者の要求を支える会(
http://www.suopei.jp )に、判決文全文(pdf判)が掲載されている。
(245)
2009年5月1日 中国人強制連行・労働問題で、西松建設和解協議へ
戦時中に強制労働を強いられたとして中国人元労働者らが西松建設を訴え、07年の最高裁判決(190)で原告の敗訴が確定した訴訟をめぐり、同社が元労働者側との和解へ向けた協議に入ったことがわかった。最高裁判決が「同社ら関係者が被害の救済に向けた努力をすることが期待される」と異例の付言をしたことを踏まえた対応だ。元労働者側も受け入れる方向で検討している。
裁判の手続きは終わっているが金銭面での補償などによる和解で解決を目指すことにしたのは、同社関係者によると、前社長が起訴されるなどした違法献金事件に絡み執行部が交代し、企業の社会的責任重視の姿勢を示す一環だという。
同社の顧問弁護士がすでに元労働者側と協議を開始。原告だった人だけでなく、同様の境遇に置かれた人や遺族も対象とする意向だ。元労働者側によると360人が発電所で働かされたが、何人の身元が判明して補償の対象となるかは未定で、額も今後詰める。同社の拠出金をもとに救済のための基金を設立するのも選択肢の一つとなりそうだ。
同社はこれまで一貫して「強制労働はなかった」との立場を取っており、和解条項の中で事実認定をどうするのか、謝罪の文言を含めるのかなどについても話し合う。
訴訟は、広島県内の発電所建設現場で過酷な労働をさせられたとして、中国人の元労働者ら5人が同社を相手に損害賠償を求めて提訴。二審の広島高裁で原告が勝訴したが、最高裁は戦後補償問題は日中共同声明によって決着済みとした。同時に「被害者らの被った精神的、肉体的苦痛が極めて大きく、同社が中国人労働者らを強制労働に従事させて相応の利益を受け」たと指摘して、救済を促した。
同社との交渉で元労働者側の窓口となっている田中宏・一橋大名誉教授は「同社が和解に向けて動き出したことは前進だ」。同社顧問弁護士の高野康彦氏は「元原告と同じ立場にある方々と和解する方向で話し合いを進めている」としている。(金順姫)(朝日新聞2009.05.01東京朝刊)
【山手注】 5月1日、この報道は朝日新聞、共同通信、時事通信が報じ、若干の地方紙が同日または翌日付けでこれに続いたが、朝日以外の全国紙には一切関連した記事は掲載されなかった。ところが、約2ヵ月後の6月26に毎日新聞に次の記事が載った。
西松建設:戦時中の強制連行問題 解決目指し協議を開始
戦時中に広島と新潟の建設現場に強制連行されて重労働を強いられたとして、中国人男性らが西松建設(東京都港区)に賠償を求めた訴訟の最高裁判決(07年4月)を踏まえ、西松が全面的な解決を目指し元労働者側と協議を始めたことが分かった。
最高裁判決は請求を棄却する一方、被害救済に向けた努力を促していた。
西松の顧問弁護士である高野康彦弁護士が取材に対し「原告以外を含めた全面的な解決を目指して協議を始めた」と明らかにした。西松側はこれまで「問題は全面的に解決した」との立場を取ってきたが、違法献金事件で経営陣が交代したことを契機として、企業責任を重視した対応に方針転換したという。
1944年当時、同社が発電所建設工事を請け負った広島と新潟の現場には約360人と約180人が強制連行され、うち約40人が事故や病気で死亡したとされる。【銭場裕司】(毎日新聞2009.06.26東京朝刊)
(246) 2009年5月26日 最高裁、旧日本軍遺棄毒ガス兵器第1・2次訴訟上告棄却
日中戦争終了前後に旧日本軍が中国東北部に遺棄した毒ガス兵器や砲弾で70〜90年代に死傷したとして、中国人作業員やその遺族が日本政府に損害賠償を求めた二つの訴訟で、最高裁第三小法廷(藤田宙靖裁判長)は26日、いずれも中国人側の上告を棄却する決定をした。原告側の敗訴が確定した。
訴訟は96年(1次)と97年(2次)に、ともに東京地裁に起こされた。1次訴訟の一審(108)は国の不法行為を認め、約1億9千万円の賠償を命じたが、二審・東京高裁(207)は、国が遺棄兵器に関する情報を中国側に提供しなかったことと事故との因果関係を認めず、原告側が逆転敗訴した。2次訴訟は一(100)、二審(183)ともに、旧日本軍が兵器を遺棄したことで事故が起きたことを認めつつ、国が事故を防止することはできなかったとして、原告側の主張を退けていた。(asahi.com
2009.06.26)
(247) 2009年6月18日 大阪地裁、在外被爆者の手帳申請に対する大阪府の却下処分を取り消す判決
海外にいることを理由に被爆者援護法に基づく被爆者健康手帳の交付申請などを却下したのは不当だとして、広島で被爆した韓国人女性7人が大阪府に却下処分の取り消しを求めた訴訟で、大阪地裁(吉田徹裁判長)は18日、6人の却下処分を取り消す判決を言い渡した。
同法は昨年12月に改正され、現在は来日しなくても手帳が取得できるようになっているが、原告らは改正前の処分の違法性を訴えていた。
判決は、06年6月に手帳とともに健康管理手当の支給を申請していた6人について「手帳を申請した翌月までさかのぼって手当を受給できる利益がある」と判断。手当を申請していなかった1人については「その後の法改正で手帳は交付されており、訴えの利益がない」と却下した。(朝日新聞2009.06.19大阪朝刊)
(248) 2009年6月24日 大阪府橋本知事、在外被爆者手帳訴訟控訴見送り
来日しないことを理由に、韓国人被爆者からの被爆者健康手帳の交付申請などを却下した大阪府の処分を取り消した大阪地裁判決について、橋下徹府知事は24日、「被爆者援護法の精神や被爆者の高齢化を考えて判決を受け入れる」と述べ、控訴しない考えを明らかにした。敗訴が確定すれば、同種の訴訟では全国初となる。控訴している長崎県の金子原二郎知事も同日、控訴取り下げの意向を明らかにした。
18日の地裁判決は、広島で被爆し、06年6月に手帳などを申請して却下された韓国人女性6人について「被爆を確認できれば国外からの申請は可能」と判断した。
被爆者援護法は昨年12月に改正され、今は手帳申請時の来日は不要となっている。橋下知事は記者会見で「来日要件を定めていたのは行政の判断として間違っていた。長い間ご不便をかけて申し訳ない」と話した。舛添厚生労働相に事前に伝えた際、国の立場を考えて控訴するよう求められたが、「控訴したかったら国の名前でやってほしい」と言うと、「府の判断に任せる」と言われたという。
「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」(事務局・大阪府豊中市)によると、この問題では韓国とブラジル在住の被爆者計11人が大阪、広島、長崎の各地裁に提訴。一審で敗訴した広島、長崎両県は控訴している。
大阪府の対応について、大阪訴訟の原告代理人の永嶋靖久弁護士は「被爆者援護法と地方自治の精神に沿うものとして歓迎する。国は国内外の不平等をすべて解消するよう希望する」としている。(朝日新聞2009.06.25大阪朝刊)
(249) 2009年6月29日 長崎県金子知事、在外被爆者訴訟の控訴取り下げ決定
来日できないことを理由に、韓国人女性の鄭南寿さん=5月に89歳で死去=の被爆者健康手帳申請を却下したのは違法とした昨年11月の長崎地裁判決について、金子原二郎長崎県知事は29日に記者会見し、控訴取り下げを決めたと発表した。県の敗訴が確定する。同様の在外被爆者訴訟をめぐっては、広島県が1審敗訴を受け控訴中。大阪府は24日に控訴しない方針を表明している。
金子知事は会見で、控訴取り下げをめぐる国との協議について「話し合いは決着がつかなかった」と述べ、自身の判断で取り下げを決断したことを明らかにした。金子知事は取り下げの理由として、自治体敗訴の判決が続いていることや、法改正で在外被爆者が来日しなくても手帳を取得することが可能になったことを挙げ「鄭南寿さんのご冥福を祈り、ご遺族に哀悼の意を表したい」と述べた。(産経新聞2009.06.30大阪朝刊)
(250)
2009年09月17日 東京高裁、中国人強制連行長野訴訟請求棄却
戦時中に中国から強制連行されて長野県内で重労働を強いられたとして、中国人の元労働者や遺族が国と建設会社4社に計約1億4千万円の損害賠償などを求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は17日、請求を退けた一審長野地裁判決を支持、中国人側の控訴を棄却した。
中国人側は上告の方針。訴えた7人のうち6人は既に亡くなり、遺族が訴訟を引き継いだ。4社は鹿島、熊谷組、大成建設、飛島建設。
青柳馨(あおやぎ・かおる)裁判長は「日中共同声明(1972年)で中国人個人の賠償請求権は放棄され、裁判で行使できない」という2007年4月の最高裁判断を踏襲、請求を退けた。
不法行為から20年で損害賠償請求権が消滅する「除斥期間」や、国家賠償法施行前の国の行為に賠償請求できないとする「国家無答責」の法理の適用など、一審が採用した国の主張については判断しなかった。
ただ、国と企業の責任については一審判決同様「強制的に連行し労働させたのは共同不法行為に当たる」と指摘。「これらの行為が国際人道法に違反するとの主張にはうなずける面もある」と原告側への理解も示した。
判決によると、中国人7人は1944年5〜7月に強制連行され、長野県内の水力発電所で重労働を強いられた。(共同通信2009.09.17)
【注】 判決要旨が、中国人被害者の要求を支える会のサイト(
http://www.suopei.jp/ )に掲載されている。
(251) 2009年10月23日 西松建設、「安野発電所」建設工事関係元中国人労働者と和解
戦時中に広島県の建設現場に強制連行されて重労働を強いられた中国人男性8人(生存者4人と4遺族)と施工業者の西松建設(東京都港区)が23日、和解した。西松側が強制連行の責任を認めて謝罪し、2億5000万円を信託して補償などのための基金を設ける内容。戦後補償問題で企業側が自主的に和解を申し出て、補償に応じるのは異例。【銭場裕司】
和解金の支払い対象は1944年当時、西松建設の「安野発電所」建設工事現場(広島県安芸太田町)に強制連行された360人。8人は代表して和解に応じた。裁判外で当事者同士の話し合いがついた場合に合意内容を調書にまとめる「即決和解」が同日、東京簡裁で成立した。
和解条項は西松側が(1)歴史的責任を認識して「深甚なる謝罪の意」を表明(2)2億5000万円を支払い被害補償や消息不明者の調査、記念碑建立などを目的とする基金を設立――する内容。
中国人側が西松建設に賠償を求めた訴訟で最高裁は07年4月、「日中共同声明で裁判では賠償を求められなくなった」として請求を棄却し、原告の敗訴が確定した。その一方で、判決は強制連行の事実を認め「被害者の苦痛は極めて大きい。救済に向けた努力を期待する」と自主的な解決を求めていた。
西松側は「問題は解決済み」という立場を取ってきたが、違法献金事件を機に企業責任を重視する対応に方針転換した。今後、新潟に連行された約180人との和解も目指す。
西松側の弁護士は同日、「昨年来の不祥事を踏まえ過去の諸問題について見直しを続けてきた。中国人当事者及び関係者のご努力に感謝する」とのコメントを発表した。
◇「高く評価」元労働者
中国人側と西松建設側の各弁護士は和解成立後、東京都内でそろって会見し、握手を交わした。強制連行された邵義誠(シャオイーツェン)さん(84)は「我々の要求が認められ、謝罪を受けたことをうれしく思う。高く評価したい」と語った。
360人が強制連行された広島県の発電所建設現場ではトンネル掘りなどの重労働を命じられた。衣服は支給されず雪の中を裸足のまま働いた。中国人側によると、終戦までに29人が死亡し、身元が判明しているのは160人だけという。
中国人の強制連行を巡っては全国で15件の訴訟が起こされ約半数の敗訴が確定している。07年の西松建設を巡る最高裁判決で勝訴は難しくなった。中国人側の内田雅敏弁護士は「裁判ではなくても、こういう形(訴訟外の和解)で解決する道筋ができた」と評価し、邵さんは「他の企業と日本政府が全面解決するよう心から希望する」と訴えた。【銭場裕司】(毎日新聞2009.10.23大阪夕刊)
(251a) 2009年10月28日 京都地裁、シベリア抑留訴訟請求棄却
終戦後、シベリアなどに抑留された大阪、京都など11府県在住の旧日本兵ら57人(80〜91歳、うち5人が死亡)が、旧ソ連側に兵士を労役賠償として引き渡す「棄兵政策」で精神的、肉体的被害を受けたとして、国に1人当たり1100万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が28日、京都地裁であった。吉川慎一裁判長は「国が違法な棄兵政策を行ったとは認められない」として、請求を棄却した。原告側は控訴する方針。
シベリア抑留を巡っては、強制労働の補償などを求めた3件の訴訟があり、いずれも最高裁が請求を棄却し、原告敗訴が確定している。
吉川裁判長はそうした経緯に触れる形で、「現在まで補償を定めた立法がなく、労苦に報いるところがなかったというべきであり、その解決は政治的決断に待つべきもの」と言及した。
判決によると、旧ソ連は1945年9月から、旧満州(現中国東北部)などにいた日本兵ら計約60万人を収容所約2000か所に抑留。抑留者は劣悪な環境で鉄道敷設工事などの長時間労働を強制され、6万人以上が死亡した。原告も1年8か月〜4年6か月にわたって強制労働に従事した。
原告側は、旧日本軍が終戦直後に旧ソ連に提出した文書を根拠に、国が兵士らを労役賠償として提供したと主張していたが、吉川裁判長は判決理由で、「文書は、残留希望者については土着させるという内容であり、棄兵政策を裏付けるものではない」と判断。
国が戦後、元抑留者への補償や賠償などの立法措置を怠ったかどうかについては、「戦争損害は国民が等しく受忍しなければならなかったもので、立法措置が必要不可欠とは言えない」とした。
◆“政治的決断”原告団が評価
判決後、原告らは京都市内で報告集会を開いた。弁護団長の村井豊明弁護士は判決を「不当な認定」としながらも、“政治的決断”に触れた点について、「過去の訴訟でも、ここまで踏み込んだことはなく、一定の評価はできる」と分析。
7月の衆院解散で廃案となった、抑留者らに一時金を支払うなどとする「戦後強制抑留者特別措置法案」を民主党が再検討していることもあり、「司法と立法の両方に、補償の実現を求めていきたい」と述べた。
原告団長の林明治さん(84)は「ようやく階段の第一歩を踏み出した。今後も支援をお願いしたい」と力を込めた。(読売新聞2009.10.29大阪朝刊)
〔ありみつ・けん「国の不作為、今こそ清算を 労苦に報いず半世紀経過」〕(共同通信2009.10.29)
京都地裁は10月28日の判決で、元シベリア抑留者による国家賠償請求を棄却した。
元シベリア抑留者が国に補償を求めた訴訟は1981年以来6件あり、うち4件は既に最高裁で棄却が確定している。
今回の裁判で新たに争点となったのは、朝枝繁春(あさえだ・しげはる)大本営参謀がソ連側に送ったとされる、日本人捕虜の使役を申し出た文書で、国が「棄民棄兵=ソ連による奴隷労働」をあらかじめ意図・提案していたのではないか、という点であった。この点について裁判所の判断は「日本軍将兵をソ連に対する労務賠償として引き渡したことを裏付けるものではない」というものであった。
故朝枝氏は生前この文書について「筆跡は自分のものではなく、偽造されたもの」と否定しつつ「似た内容の文書を作成、打電した」とも語っていた。真相は今もって明らかでなく、多くの元抑留者らは、自分たちは関東軍の草地貞吾(くさち・ていご)参謀(作戦班長)や瀬島龍三(せじま・りゅうぞう)参謀らによって、日本の国体を守るために「労務賠償」としてソ連側に提供させられた、と今も信じ、憤っている。ソ連ではなく、実は日本にだまされ続けてきたのではないか、との不信だ。
政府としてロシア側に全資料の開示と協力を求め、歴史を明らかにすべき時点にきている。貴重な当時の資料の一部が日本では民間で保管されていて、一般には公開されていないという現状は誰がみても不自然だ。
判決は、国家賠償拒否は違法とまではいえないが、国は元抑留者の「労苦に報いるところがなかった」と断じている。
鳩山由紀夫首相も認めているとおり、帰国後の待遇も含め、日本政府の対応は極めて不十分だった。帰国した元抑留者を連合国軍総司令部(GHQ)の指令で警察や公安の監視下に置いた時期もあった。「シベリア帰り」とのレッテルを張られ、まともに就職もできない元抑留者が多くいた。
時間がたち過ぎており、経済状況も厳しいが、9万人弱と推定される平均年齢87歳の元抑留者に政府はできるだけの措置を取るべきではないか。
幸い、戦後強制抑留者特別措置法案が今年3月、民主、共産、社民、国民新党などによって参院に提出された。特別給付金の支給だけでなく、真相究明や資料の保存・展示など次世代への継承も含めた基本法案となっている。衆院解散で廃案となったが、早急に再提出し成立させてほしい。
原告側当事者らは最高裁まで闘う意思だろうが、他の戦後補償裁判もほとんどが敗訴しており、最高裁まで争っても勝訴の可能性はほとんどない。一人でも多くの当事者が目の黒いうちに国の正当な措置を受けることができるよう、政治が動きだすことを強く求めたい。
歴史の判断を裁判所に求めるのも無理がある。日ロの歴史家・研究者に検証を委ね、政府は情報を入手・開示することに全力を注ぐべきだ。
いずれにしても、敗戦直後に起きた史上最大規模の拉致事件の後始末ができていない。76万人分の個人カードのコピーが近くロシアから届くが、この基本情報がなぜこれまで放置されてきたのか、理解に苦しむ。半世紀以上にわたって情報も隠ぺい・遺棄されてきた。今となっては違法でなくても、多年にわたる不作為の清算は必要だろう。政権交代は絶好のチャンスと思う。
× ×
ありみつ・けん 51年生まれ。早大政経学部政治学科卒業。戦後処理の立法を求める法律家・有識者の会世話人。シベリア抑留者支援センター代表。全国抑留者補償協議会参与。
なお、大阪高裁判決(269)参照。
(252) 2009年11月20日 仙台高裁、中国人強制連行山形訴訟請求棄却
第二次世界大戦中に強制連行され、酒田港で強制労働させられたとして、中国人と遺族計13人が国と酒田海陸運送を相手取り、総額1億5000万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審で、仙台高裁の小野貞夫裁判長は20日、中国人側敗訴の判決を言い渡した。1審・山形地裁判決(219)を支持し、「日中共同声明」を理由に原告の請求権を認めなかった。中国人側は「判決は不当」として来週早々に上告する方針。
最大の争点だった請求権の有無以外では、小野裁判長は、山形地裁の認定通りに強制連行・労働の事実を認めた。一方、国、企業の不法行為と安全配慮義務違反については、企業側にのみ配慮義務を認め、国には「直接的に労働を管理する立場になかった」として1審が認めた配慮義務を認めなかった。一方、判決文の最後に「任意の被害救済が図られることが望まれる」と、国と企業側に賠償を促す文言を盛り込んだ。中国人側弁護団の外塚功弁護士は「企業・国との和解を目指す上で文言は大きな力になる」と話した。【細田元彰】
「どうしても納得がいかない。判決は無効だ」。原告の一人、檀蔭春さん(89)は会見で声をあららげた。
中国から酒田港に連れて行かれ、1945年1月ごろから終戦まで、粗末な食事と長時間労働を強いられたという。原告13人のうち唯一、中国・河北省から来日し判決を聞いた。原告は高齢化し、提訴当時6人だった連行と労働の体験者は3人に減った。檀さんは「国としての請求権は放棄したが、個人の請求権は放棄していない」と訴える。「最後まで闘う自信がある」と最高裁で争うと語った。【細田元彰】(毎日新聞2009.11.21地方版/山形)
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(注) 判決全文が、中国人戦争被害者の要求を支える会のサイト(
http://www.suopei.jp/ )に掲載されている。.
(253) 2009年12月14日 東京地裁、東京大空襲訴訟請求棄却、「救済は立法で」
東京大空襲の被害者や遺族ら計131人が、戦後の救済措置を怠ったなどとして、国に謝罪と総額14億4100万円(1人当たり1100万円)の賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は14日、請求を棄却した。鶴岡稔彦裁判長は「戦争被害者救済は、政治的配慮に基づき立法を通じて解決すべき問題。立法には極めて広い裁量を認めざるを得ない」と述べた。原告側は控訴する方針。【伊藤一郎】
原告側は、旧軍人・軍属や被爆者、沖縄戦被害者らが補償を受けながら、空襲被害者に救済措置がないのは、憲法が定める法の下の平等に反すると主張した。これについて判決は「国家が主導した戦争による被害という点では、軍人らと本質的な違いがないとの議論は成り立つ。原告らの苦痛や労苦は計り知れず、心情的には理解できる」と述べた。
しかし、当時の国民のほとんどすべてが何らかの形で戦争被害に遭っていたと言え、司法が基準を定めて救済対象者を選別することは困難と指摘。「誰にどのような救済を与えるかの選択は、政治的判断に委ねられる。戦闘行為をした軍人や特殊な後遺症が残る被爆者と比べ、差別的扱いがあったとは言えない」と判断した。
また、国が51年のサンフランシスコ平和条約で米国への賠償請求権を放棄したのは国民の保護義務違反との主張に対しては、「請求権を定めたハーグ陸戦条約の適用は全交戦国の条約加入が条件。イタリアなどが加入しておらず、第二次世界大戦は適用外」として、国に請求権自体がなかったと述べた。
戦争被害を後世に伝えるため被害者の実態調査などを求めた点も「個々の国民に対する義務として実行を定めた法律は存在しない」と退けた。一方、国は「戦争被害は国民が等しく受忍すべきだ」とする名古屋空襲訴訟の最高裁判決(87年)を引用したが、判決はこの点に触れなかった。
訴訟は、空襲による負傷者や家族を失った元孤児らが07〜08年、2次にわたって集団提訴した。原告の平均年齢は77歳。大阪大空襲の被害者や遺族計18人も08年12月に同様の訴訟を起こし大阪地裁で係争中。
◇「司法の責任放棄」 原告ら落胆
「司法ってこんなに冷たいものなの」
判決後、原告・弁護団は東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見。両親と叔父ら家族7人を亡くした原告の草野和子さん(74)は「孤児になり、生活の苦労や病気で子供を産めない体になってしまった。戦争孤児の中には人間として扱われなかった人もいる」と訴えた。
星野弘原告団長(79)は「空襲被害者を救済対象から外した差別の是正を訴える旗を降ろすわけにはいかない。高裁、最高裁まで頑張っていく。原告の大半が控訴する意向」と述べた。中山武敏弁護団長も「司法の責任放棄。受忍論の最高裁判例(87年)には触れなかったが、実質上はそれに沿った判断」と批判した。
「東京大空襲」の著者で、証人として出廷した作家の早乙女勝元さん(77)も同席し、「一夜で10万人の死者を出した過去にない未曽有の被害。本土こそ最も過酷な戦場で、民と軍の区別などない。無念の死を遂げた人たちがうかばれない」と話した。【伊藤一郎】(毎日新聞2009.12.15東京朝刊)
(注) 判決要旨が、NPJ弁護士の訟廷日誌( http://www.news-pj.net/npj/2008/tokyodaikushu-2008111.html
)に掲載されており、また判決文の主要部分が東京大空襲訴訟団のサイト(
http://www.geocities.jp/jisedainitakusu
)に掲載されている。
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(253a) 2009年12月18日 在韓被爆者が国と和解、大阪地裁で130人
広島、長崎で被爆した韓国在住の被爆者らが、国外へ出ると各種手当の受給資格を失うとした違法な通達で精神的苦痛を受けたとして、国に慰謝料など各120万円の国家賠償を求めた集団訴訟で、大阪地裁の原告1千人余りのうち1次提訴の130人が18日、国が各110万円を支払うことで和解した。昨年末以降、広島、長崎地裁も含め2400人余りが提訴しており、順次和解する見通し。
国は2007年11月の最高裁判決で旧厚生省の74年の「402号通達」(03年廃止)が違法とされたのを受け、裁判で受給資格などを確認できれば和解に応じる方針をすでに打ち出していた。今回の和解はこれに沿うものだが、原告側が求めた謝罪の言葉は盛り込まれなかった。(朝日新聞2009.12.19大阪朝刊)
(253b) 2009年12月22日 最高裁、手帳交付申請却下取り消し訴訟で在外被爆者遺族の上告棄却
被爆者本人が来日して手続きしないことを理由に被爆者健康手帳の交付申請を却下したのは違法として、2007年4月に死去した韓国人の李相〓(〓は「火へん」に「華」)さんが広島県に処分の取り消しなどを求めた訴訟の上告審で、最高裁第3小法廷(堀籠幸男裁判長)は22日、訴訟を承継した李さんの遺族の上告を退ける決定をした。
広島県の申請却下処分を「国外居住のみを理由にしたもので違法」と判断する一方、被爆者本人の死去で「取り消しを求める訴えは終了した」などと請求を退けた二審判決が確定した。
昨年9月の二審広島高裁判決は、申請当時は国外からの申請を認めないとする国の行政解釈に疑問を示す司法判断などはなかったとして「却下処分は注意義務を怠ったものとはいえない」と指摘、国や県などの国家賠償責任は認めなかった。
第3小法廷は、被爆者に対する健康管理手当の国外申請を当初認めなかったのは違法として、国賠請求し05年に死去した韓国人、朱昌輪さんの遺族の上告もあわせて退けた。(共同)(西日本新聞2009.12.23朝刊)
(253c)
2009年12月24日 最高裁、中国人強制連行訴訟2件(福岡2次と長崎)を棄却
戦時中に福岡県の炭鉱に強制連行され重労働を強いられた中国人45人の本人や遺族が、国や三菱マテリアル(東京)など2社に計10億3500万円の損害賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(甲斐中辰夫(かいなか・たつお)裁判長)は24日、原告側の上告を退ける決定をした。原告敗訴の一、二審判決が確定した。
3月の二審福岡高裁判決(242)は、強制連行と強制労働を「国と企業の共同不法行為」と認めたが、「1972年の日中共同声明で個人の賠償請求権は放棄され裁判で行使できない」とした2007年4月の最高裁判決を踏襲した。
第1小法廷は、長崎県の炭坑で労働を強いられたとして、国や長崎県などに損害賠償などを求めた(第2審福岡高裁判決231)中国人や遺族の上告も受理しない決定をした。(共同通信2009.12.24)
(253d) 2010年1月19日 在韓被爆者、長崎地裁で第1次127人が国と和解
長崎や広島で被爆したが、旧厚生省通達によって国外に出ると援護の対象外とされ精神的苦痛を受けたとして、韓国の被爆者計856人が国家賠償などを求めた集団訴訟で、1次訴訟の127人について国が1人あたり110万円を払う内容の和解が19日、長崎地裁で成立した。残る原告についても順次、同様に和解する。原告側が求めていた謝罪の文言は和解条項に盛り込まれなかった。
同種の集団訴訟で国と和解が成立したのは2009年12月の大阪地裁(253a)に続く。国は、通達を違法だとする07年11月の最高裁判決(216)を受け、訴訟で事実認定されれば和解に応じる方針を打ち出している。(朝日新聞2010.01.20西部朝刊)
(254) 2010年2月9日 東京高裁、中国人強制連行群馬訴訟請求棄却
戦時中に強制連行され、群馬県内の軍需工場建設などで重労働を強いられたとして、元作業員の中国人生存者10人と死亡した10人の遺族39人の計49人が国と鹿島、青山管財(旧ハザマから分社)に計約4億6千万円の損害賠償と謝罪を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は9日、一審に続き原告側の請求を退けた。
園尾隆司裁判長は、強制連行や過酷な労働実態を認めた上で「日中共同声明(1972年)で中国人個人の損害賠償請求権は放棄され、裁判で行使できない」との最高裁判例(2007年)を踏襲した。
国と企業に対しては「国が中国人労働者移入政策を決定し、企業とともに原告らの意思や自由を抑圧して労働を強制したのは共同不法行為に当たる」として加害責任を認めた。
一審前橋地裁は07年8月の判決後「関係者による適切な救済が期待される」と付言したが、園尾裁判長はこうした点には言及しなかった。
判決によると、中国人20人は44〜45年、旧中島飛行機の地下工場建設や水力発電所建設などのため、群馬県内の各地で過酷な労働を強いられた。(共同通信2010.02.09)
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(255) 2010年3月2日 最高裁、海南島慰安婦訴訟上告棄却
第二次世界大戦中に中国の海南島で旧日本軍の慰安婦にされたとして、中国人女性8人が日本政府に1人あたり2300万円の賠償などを求めた訴訟の上告審で、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)は2日付で原告側の上告を棄却する決定を出した。原告側敗訴の1、2審判決が確定した。元慰安婦による戦後補償裁判は10件起こされたが、これですべてが原告側敗訴で終了した。(毎日新聞2010.04東京朝刊)
(256) 2010年3月8日 名古屋高裁金沢支部、第二次不二越訴訟請求棄却
第2次大戦中、女子勤労挺身隊として朝鮮半島から強制連行されて機械メーカー、不二越(富山市)で労働を強いられたとして、韓国人の元労働者や遺族ら23人が国と同社に、謝罪と未払い賃金など計約1億円の支払いを求めた訴訟の控訴審判決で、名古屋高裁金沢支部は8日、一審富山地裁判決を支持、元労働者らの控訴を棄却した。強制連行や強制労働の事実は認定した。
元労働者側は全員上告する方針。
判決理由で渡辺修明裁判長は「1965年の日韓請求権協定で、元労働者らは請求権を失ったと言うべきだ」と述べた。
日本人教師らが当時、「勉強ができる」などと言い来日させたことについて「(日本での)勉学の機会の保障は絶望的だったにもかかわらず、偽って挺身隊に勧誘した」と指摘。「不法行為で、適切に説明すべき義務にも違反していた」と述べ、強制連行や強制労働の事実は認めた。
判決によると、元労働者柳贊伊さん(84)らは44〜45年、「学校に通える」「金もうけができる」などと説明を受けて来日。不二越の軍需工場で十分な食事も与えられず、飛行機の部品製造などの重労働を強いられた。(共同通信2010.03.08)
〔毎日新聞2010.03.09石川地方版〕
「真実が得られるまで、命を尽くして戦う」−−。名古屋高裁金沢支部で8日、判決が言い渡された第2次不二越(ふじこし)訴訟。判決では1審・富山地裁よりも詳細に強制連行の実態を認定し、国と機械メーカー「不二越」(本社・富山市)の責任を示したが、個人の請求権を認めていない日韓請求権協定を理由に原告の訴えは再び棄却された。弁護団が判決を「前進」と評価する一方で、来日した原告6人の表情には悔しさと怒りが浮かんだ。【宮嶋梓帆、岩嶋悟】
◆怒りの原告
「請求をいずれも棄却する」。渡辺修明裁判長の声が響いた。原告席の安喜洙(アンヒス)さん(79)ら6人は通訳から内容を聞くと、ぼう然とした表情になった。やがて怒りを抑えきれなくなり、扉の奥へ退廷した裁判官の背中に向かって「逃げるな」と大声を上げた。怒りは失望に変わり、目には涙を浮かべ、「判決を許さない」と裁判長の机を何度もたたいた。
6人は判決後、金沢市の金沢弁護士会館で記者会見。「本当に失望した」と悔しさをにじませた。
提訴から7年。この間、4人の仲間が亡くなった。控訴審を闘った仲間のそばには、車椅子が目立つ。13歳で富山に渡った安さんは疲れ切った表情で「勉強できるとだまされて引っ張られ、軍需工場で重労働を強要された。裁判官は自分の胸に手を当てて、良心を感じてほしい」と絞り出すように訴えた。原告を代表して読み上げた声明文では「真実の謝罪と補償が行われるまで、命を賭けて戦う」と誓った。
◆弁護団「裁判外での救済も」
強制連行や強制労働について、判決では原告個人のケースを詳細に挙げ、「労働力不足を解消するための国策だった」など、踏み込んだ認定をした。弁護団事務局長を務める島田広弁護士は「被害を踏みにじることはできないという裁判所の思いが伝わってきた」と評価した。
判決ではさらに、国賠法施行(47年)以前の損害賠償責任は負わないとする「国家無答責」に基づく国の主張を退けた。1審では触れなかった観点から、弁護団は「国と不二越が重大な責任を負っていることを示した」とした。(下線山手)
ただ、日韓請求権協定が個人の請求権を認めていないことを理由に1審・富山地裁(07年9月)を支持した今回の判決を「解釈の論理が成り立たず不当だ」と指摘した。
今後は最高裁に判断を委ねながら、「裁判外での救済を強く訴えていきたい」と救済の道を探る。
◇「不当判決だ」 原告ら高裁前で抗議
「不当判決だ」。一審判決に続き、訴えが認められなかった原告らは、高裁前で抗議した。判決直後、原告らは玄関付近に座り込み「不二越と政府は謝罪せよ」などと書いた横断幕を広げ、「なぜ請求を認めない」などと怒りをあらわにした。
裁判所から退去を命じられ、職員らが移動するよう促したが、原告らはやり場のない怒りをぶつけるように叫び声を上げて激しく抵抗。最後は警察官が出動し、女性らの腕や足をつかんで正門付近まで移動した。
原告らは、正門から一歩外へ出た場所で判決に対する抗議集会を再開。集会では「トイレに行くにも監視がつくなど、軍隊式だった」と当時の労働状況を語り、「不二越と日本政府は謝罪しろ」とシュプレヒコールを上げた。【岩嶋悟】(毎日新聞2010.03.09石川地方版)
(257) 2010年3月10日 名古屋高裁金沢支部、中国人強制連行七尾訴訟請求棄却
第2次大戦中に中国から強制連行され、七尾港で働かされたとして、中国人男性と遺族ら計18人が国と港湾運送業「七尾海陸運送」(七尾市)に対し、謝罪や6600万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が10日、名古屋高裁金沢支部であった。
渡辺修明裁判長は、国と同社の不法行為を認定したが、「中国人個人の請求権は、日中共同声明により、裁判上訴求する機能を失った」として、請求を棄却した1審・金沢地裁判決(234)を支持、原告側の控訴を棄却した。原告側は上告する方針。
中国人の強制連行訴訟を巡っては、2007年4月、最高裁が「1972年の日中共同声明により、中国人個人は日本に対し戦争被害について裁判上、賠償を請求できなくなった」との判断を示し、1審判決も最高裁判決を踏襲していた。
控訴審判決では、1審に続き強制連行と強制労働の事実を認定。旧憲法下の国の不法行為に賠償責任はないとする1審の考え方について、「個人の尊厳を損なう、違法性、不当性の著しい(強制連行などの)事案に適用すべきでない」として、「国は、同社との共同不法行為に該当する」と原告側の主張を認めた。
しかし、1審が認定した国の安全配慮義務違反については、「国と中国人労働者の間に実質的な雇用契約は認められない」として、原告側の主張を退けた。
◇
原告団は判決後、記者会見し、岩淵正明弁護士は「国の不法行為を認定し、より違法性を認めた点については1審より一歩進んだ」と評価したものの、「結論は、最高裁に盲目的に従った極めて不当な判決だ」と非難した。
叔父が強制連行され、死亡した、原告の李変さん(46)は「命を軽視する判決に激しい憤りを感じた。裁判官に良心があるのか疑いたい」と涙を流し、強い口調で不満をぶちまけた。(読売新聞20100311東京朝刊)
なお、最高裁決定(265)参照。
(258) 2010年4月26日 西松建設、信濃川訴訟でも和解
太平洋戦争当時、新潟県内の建設現場に強制連行されたことによる損害賠償請求訴訟で、敗訴が確定した中国人の元労働者らに対し、西松建設が加害責任を認め謝罪の意を示し、解決金計1億2800万円を支払うことを条件とした即決和解が26日、東京簡裁(深津洋(ふかつ・ひろし)裁判官)で成立した。
戦時中の強制連行をめぐる西松建設の即決和解は昨年10月、広島県の発電所建設工事で過酷な労働を強いられた元労働者らとの間で成立したのに続き2例目。西松建設が被告企業となっていた強制連行訴訟は全面解決した。
元労働者側の弁護団によると、強制連行への関与が認められた計35社のうち、全面解決したのは西松建設が初めて。
和解条項によると、西松建設は強制連行の事実を認めた上で、企業としての歴史的責任を認識し、元労働者側に謝罪の意を表明。新潟県内の発電所建設工事に携わった元労働者ら183人を対象に、計1億2800万円の解決金を元労働者側の基金に支払うことになった。
解決金は、元労働者への補償や慰霊、追悼費用などに充ててもらう、としている。
元労働者側の敗訴が確定した2007年の最高裁判決が「当事者間で被害救済に向けた努力が期待される」と付言したのを受け、西松建設は広島のケースと同様に即決和解の手続きを取った。(共同通信 2010.04.26)
〔注1〕 和解条項が、中国人戦争被害者の要求を支える会のサイト≪
http://suopei.jp/
≫に掲載されている。
〔注2〕 この西松建設信濃川訴訟の和解については、中国側に分裂・反対の動きがある。以下に二つの記事を掲載しておく。
西松建設との和解に不満 強制連行訴訟の元原告
(共同通信 2010.04.27)
【北京共同】太平洋戦争中の強制連行をめぐる訴訟で2007年に敗訴が確定した中国人の元原告らが27日、北京で記者会見し、西松建設と元労働者側との間で26日に成立した和解について不満を表明、「受け入れられない」との立場を示した。元原告らを支援する弁護士によると、元原告5人を含む計7人は解決金の受け取りを拒否する方針。
和解条項は、西松建設が新潟県内の発電所建設工事に携わった元労働者ら183人を対象に、計1億2800万円の解決金を元労働者側の基金に支払うとしている。
元原告らは、和解条項に「(敗訴)判決を受け入れたわけではない」との元原告側の主張が盛り込まれておらず「不誠実」と反発。同弁護士は、183人のうち約50人しか所在などが判明しておらず、和解は「四十数人の和解賛成者との解決にすぎない」と強調した。
中国人強制労働者原告「西松建設と和解は成立していない」(Searchina
2010.04.28
11:44)
戦時中に新潟県の建設現場に強制連行されていた183人の中国人労働者とその遺族代表が26日、日本の西松建設と和解し、西松建設が賠償金あわせて1億2800万円を支払うという報道がなされたが、訴訟代理人の康健弁護士は26日に中国の中央電視台の取材に応じ、「原告は西松建設と和解に達していない」と否定した。チャイナネットが伝えた。
康健弁護士は「今日の協議を原告側は不満を感じ、全員で拒絶した。交渉代表の原告全員が拒絶したため和解には達していない。今日、和解に達したのは原告ではなく、信濃川の被害者の遺族たちだろう」と和解した事実を否定した。
続けて、和解が成立しなかった理由については「是正したいことがある。西松会社が支払うのは賠償金ではなく償金であり、賠償金にあたるものではない。受け入れなかったのは、西松会社側が『和解条項にある中国人は請求権を失っており、この状況にふさわしい救済を提供する』と要求したためで、これは中国人に対する侮辱だと考え、原告は拒絶した」と語った。
今後については「引き続き、日本政府と西松会社にこの権利を主張し、誠意を持って歴史責任に取り組む。言葉のゲームで責任を逃れるべきではない」と話した。(編集担当:米原裕子)
(259) 2010年4月28日 フィリピン最高裁判所、元慰安婦70人の訴え棄却
【マニラ共同】第二次大戦中に日本軍の従軍慰安婦を強いられたフィリピン人女性約70人が、日本への謝罪要求を支持するよう自国政府に求めた訴訟で、フィリピン最高裁は訴えを退ける判決を言い渡した。判決は4月28日付で4日に公表された。判決理由については、外交問題であり司法の権限を越えると述べた。(毎日新聞 2010.05.07東京朝刊)
(260) 2010年5月11日 在韓被爆者、長崎地裁で第二陣299人も和解
被爆後、出国を理由に国が健康管理手当の支給を打ち切ったのは違法として、在韓被爆者299人が国を相手取り慰謝料などを求めた訴訟は11日、長崎地裁(須田啓之裁判長)で和解が成立した。集団訴訟の第2陣で、同地裁では1月にも在韓被爆者127人の和解が成立している。
和解したのは、広島、長崎で被爆した64〜89歳の299人で、国は慰謝料110万円を支払う。長崎地裁では第4陣まで提訴しており、残る原告430人も年内に和解する見通し。
和解した原告の一人、韓国原爆被害者協会釜山支部の許万貞(ホマンジョン)支部長(77)は「訴訟が長引かないか心配していたが、和解が成立して本当にうれしい」と笑顔で話していた。
◇
この日、長崎で被爆したスウェーデン在住の日本人女性(65)が慰謝料を求めて同地裁に提訴した。これまでにアメリカ、ブラジルなどの在外被爆者も提訴しており、5か国目。(読売新聞2010.05.12西部朝刊)
(260a) 2010年5月17日 在外(米、ブラジル、韓)被爆者、広島地裁で314人が国と和解
国外退去を理由に援護の枠外に置かれ精神的苦痛を受けたとして、在外被爆者と遺族が国に慰謝料を求めた広島地裁の集団訴訟は17日、国が1人当たり110万円を支払う内容で米国やブラジル、韓国在住の原告計314人と和解が成立した。
314人の内訳は米国79人、ブラジル74人、韓国161人で、米国とブラジル在住の原告が和解したのは今回が初めて。
またカナダ在住の被爆者ら計13人も17日、広島地裁に追加提訴した。
2008年に大阪、広島、長崎で始まった同種訴訟は、韓国や米国など7カ国在住の計約2800人が提訴。09年12月以降、3地裁で在韓の原告が順次和解している。
出国した被爆者は手当受給権を失うとした旧厚生省通達(402号通達、廃止)を違法とした判決が、07年に最高裁で確定。国は裁判所の事実認定を条件に、賠償に応じることを決めている。(共同通信2010.05.17)
(261) 2010年5月21日 シベリア抑留者救済特別措置法案を参院可決
第2次大戦後に旧ソ連・シベリアやモンゴルで強制労働させられた元抑留者に対し、1人最高150万円の給付金を支給する特別措置法案が、21日の参院本会議で全会一致で可決された。直ちに衆院に送付され、今国会で成立する運び。
約60万人が抑留されたとみられる戦後補償問題に、ようやく政治的救済が図られる。ただ、対象は日本国籍を持つ元抑留者に限られ、韓国など旧植民地出身の元抑留者への対応は今後の課題だ。
法案は抑留された期間に応じて元抑留者を5段階に分類。独立行政法人「平和祈念事業特別基金」の約200億円を取り崩し、1人25万〜150万円を一時金として支給する。元抑留者が死亡した場合は相続人が請求できる。また抑留の実態解明が不十分として、総合的な調査を行うための基本方針作成を政府に義務付ける。
帰国した46万人を超える元抑留者のうち生存者は7万〜8万人、平均年齢は87歳前後と推定されている。(2010.05.21 共同通信)
〔山手補足〕 この「シベリア特措法」は6月16日、衆院本会議で可決成立した。(263a)参照。
〔関連記事〕
1 戦後処理に重大な節目 民主党迷走、遅すぎた救済(2010.05.20 共同通信)
20日、成立確実となったシベリア特措法案は、自民党政権下の1984年、戦後処理問題懇談会の答申で「戦後処理の終結」を宣言した国が、戦争被害に対する事実上の補償の領域に踏み込んだ点で重大な節目となる。
しかし、帰国を果たした46万人を超える元抑留者のうち生存者は7万〜8万人、平均年齢も87歳前後と推定され、遅すぎた救済となった。
民主党は野党時代の2004年から、法案を提案してきた。「補償」の文言は避けながら、抑留期間に応じ特別給付金を支給することで、「慰謝」事業として、金銭ではなく記念品の贈呈に固執した自民政権との違いを打ち出してきた。
元抑留者の「シベリア立法推進会議」は、民主党法案には、国が一定の責任を認める意味があると解釈。政権交代直後の昨年の臨時国会で成立を期待していた。
だが政権につくと政府、党内で消極論が強まり、法案は一時暗礁に乗り上げた。その間に多くの元抑留者が世を去った。
慎重論の背景には、他の戦後処理に波及するとの警戒があり、財務省、総務省の官僚の抵抗とともに逆風となった。
関係筋によれば、最後は鳩山由紀夫首相の指示で提案が決まったが、同法が他の戦後補償の突破口となるかどうか、見通しは厳しい。
法案の内容にも、これらの事情は反映している。国の責任にかかわる文言に政府が抵抗した結果、強制労働の「対価」への言及が削除された。
抑留者団体が国際法を盾に、捕虜の労働賃金は捕虜の所属国が払うべきだと、裁判に訴えた経緯があるからだ。
韓国など旧植民地出身の元抑留者に、何らかの対応を検討する条項も、政府の反対で消え、今後に課題を残した。
2 シベリア特措法:超党派で今月国会提出へ 元抑留者の悲願に光(毎日新聞 2010年5月20日 東京朝刊)
超党派の国会議員が「戦後強制抑留者に係る問題に関する特別措置法」(シベリア特措法)を、議員立法の形で今月中に国会へ提出することを目指している。国がシベリア抑留者に特別給付金を支給し、抑留問題の全容解明などを目指すものだ。成立すれば、元抑留者たちの長年の悲願がかなう。【栗原俊雄】
昨年9月の政権交代で、全国抑留者補償協議会(全抑協)の期待は高まった。民主党や鳩山由紀夫首相はシベリア抑留者に関する法律制定に意欲を示していたからだ。しかし、半年余りたっても、事は進まなかった。
全抑協は今年4月23日、鳩山首相あてに「要望書」を提出した。「昨年夏までは『政権交代後に』と言われ、すでに東京の桜も散って、残りの会期も1カ月半程度です。本当に速やかな法案成立を鳩山総理以下も願い、指導性を十分に発揮していただいているのでしょうか? 最終的に形にして、結果を出していただくことができなければ、失望を超えて、怒りが広がります」などという文面だった。
こうした声を受けて、民主党の円より子、谷博之両参院議員らが奔走。政府や野党の了解もとりつけ、法案提出のめどがたったという。内容は(1)抑留期間に応じて1人当たり25万〜150万円を「特別給付金」として支払う(2)抑留の実態解明を推進する基本方針を策定する(3)対象者の高齢化に配慮して公布日に即日施行する−−などだ。
◇
第二次世界大戦の終結直前、約160万人のソ連軍が満州(現中国東北部)に侵攻。1945年8月以降、日本軍兵士ら約60万人をシベリアやモンゴルに連れていった。抑留は最長で11年間に及び、6万人が死んだとされる。
56年、鳩山一郎首相(当時)が日ソ共同宣言を締結し、ソ連との国交が回復された。そのため、シベリアに最後まで残されていた日本人1000人余の帰国が実現した。だが、重大な積み残しがあった。抑留者への補償問題である。
ソ連は国際法違反の抑留に対する補償はおろか、強制労働の賃金も支払わなかった。本来の支払い義務はもちろんソ連にある。だが、共同宣言で両国は戦争にかかわる賠償請求権を相互に放棄したため、元抑留者は日本政府に補償を要求せざるを得なくなった。歴代自民党政権はこれを拒否した。
一方、司法による解決もかなわなかった。シベリア抑留者が国に謝罪や補償を求めた訴訟で最高裁が判断を下した例は四つあり、すべて原告側敗訴である。
◇
全抑協は敗訴確定後、立法による国家補償実現へと運動方針を転換した。多くの判例が、抑留者救済は「立法府の裁量」との判断を示したからだ。
これに応えたのが、野党時代の民主党である。共産、社民の両党とともに、元抑留者に特別給付金を支給する法案を繰り返し国会に提出した。
昨年5月、民主党党首に就任した直後の鳩山氏は、東京都内で開かれた全抑協創立30周年の集会で「参院だけでなく、衆院でも皆様の思いが通る政治に変えていきたい」と決意を示した。祖父が残した課題を自分が解決する、という思いが強くにじんでいた。その後、民主党は衆議院選挙で地すべり的な勝利を得た。
民主党は当初、昨年の臨時国会に法案を提出しようとしていた。90歳で、がんと闘いながら運動を続けていた松原恒雄・全抑協理事は「何としても成立させなければ」と話していた。だが、与野党対立の国会混乱のしわ寄せで時間切れとなり、提出は見送られた。直後の全抑協の集会で、円議員は「政権をとったら、真っ先にやるべきだった。来年の通常国会で必ずやります。皆さん、長生きしてください」と訴えた。しかし、その10日後、松原理事が亡くなった。
◇
民主党は今年1月に通常国会が開会した直後も、法案提出を模索した。「もうこれが最後のチャンス。この政権の中で、しっかりと解決を示して参りたい」。3月25日、参議院の厚生労働委員会で抑留者への補償問題について聞かれた鳩山首相は、そう答えた。
しかし、法案提出は遅れた。それはなぜなのか。「財務省など官僚の抵抗」というのが、民主党側の説明である。法案が成立すれば、ほかの戦後補償問題に波及する可能性が高い。官僚としては、それを避けたいのだ。
こうした経過を経てきたシベリア特措法はついに実現するのか。生存する抑留者は約8万人、平均年齢は87歳程度と推定されている。「命があるうちに、国としてのけじめをつけてほしい」。平塚光雄・全抑協会長はそう話している。
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◇シベリア抑留者問題の経緯◇
45年 8月 ソ連軍、満州へ侵攻。終戦以後、シベリア抑留開始。
56年10月 日ソ共同宣言調印 12月に最後の引き揚げ船が京都・舞鶴へ入港。
79年 5月 全国抑留者補償協議会(全抑協)結成。
81年 4月 全抑協、未払い賃金の補償を国に求めて東京地裁に提訴(1、2審敗訴、97年に最高裁で敗訴確定)。
86年 5月 自民党総務会、元抑留者に50万〜100万円の特別給付金を支給する法案をまとめるも、国会への提出は見送られる。
92年11月 在日韓国人の元抑留者が国に損害賠償を求めて京都地裁に提訴(1、2審敗訴、02年、最高裁で敗訴確定)。
96年 9月 元抑留者2人が政府に謝罪と補償を求めて東京地裁に提訴(1、2審敗訴、02年、最高裁で敗訴確定)。
99年 4月 元抑留者5人が国に補償を求めて大阪地裁に提訴(1、2審敗訴、04年に最高裁で敗訴確定)。
03年 6月 韓国籍の元抑留者ら31人が日本政府に損害賠償を求めて東京地裁に提訴(1、2審敗訴)。
04年 6月 民主党が元抑留者に30万〜200万円の特別給付金を支給する法案を衆院に提出(以後、同様の法案が度々提出されたが、廃案か否決)。
06年12月 元抑留者らに旅行券10万円など「慰労品」を贈る自民・公明の法案が衆参両院で可決、成立。
07年12月 元抑留者30人が政府に謝罪と補償を求めて京都地裁に提訴(09年に敗訴)。
09年 3月 民主など野党5党がシベリア特措法案を参院に共同提出。8月の衆院解散で廃案。
09年 9月 鳩山内閣成立。民主党などが特措法の臨時国会提出を模索するも、12月に断念。(毎日新聞 2010年5月20日 東京朝刊)
(262) 2010年5月24日
東京地裁、チチハル旧日本軍遺棄化学兵器訴訟棄却
中国黒竜江省チチハル市で2003年、旧日本軍が遺棄した化学兵器により住民が死傷した事故で、被害を受けた中国人や遺族計48人が日本政府に計約14億3000万円の賠償を求めた訴訟の判決が24日、東京地裁であり、山田俊雄裁判長は請求を棄却した。
山田裁判長は「遺棄化学兵器は中国の広範囲に存在しており、遺棄された可能性のある現場をすべて調査することは困難。チチハル市内の調査を優先すべきだったとも認めることはできない」としたうえで、「原告の受けた被害は甚大だが、日本政府の法的責任は認められない」と、原告側の主張を退けた。
その一方で、「日本政府は、旧日本軍の遺棄化学兵器による被害が出る危険性を予見できた」とも認めた。
日本は03年、中国に「遺棄化学兵器処理事業にかかる費用」の名目で3億円を支払い(111)、(118)中国側はこの中から被害者1人当たり550万円を配分している。(産経新聞2010.05.25朝刊)
なお、中国人戦争被害者の要求を支える会ウエブサイト<
http://www.suopei.jp/ >に判決要旨が掲載されている。
(263) 2010年5月25日 最高裁、中国人強制連行宮崎・槙峰鉱山訴訟上告棄却
戦時中に宮崎県の槙峰(まきみね)鉱山に強制連行され重労働を強いられたとして、中国人の元労働者と遺族の計23人が、国と三菱マテリアル(東京)に約1億8400万円の損害賠償などを求めた訴訟で、最高裁第1小法廷(桜井龍子(さくらい・りゅうこ)裁判長)は27日までに、元労働者側の上告を退ける決定をした。元労働者側敗訴の一(186)、二審判決が確定した。決定は25日付。
昨年3月の二審福岡高裁宮崎支部判決(244)は、中国人の戦後補償をめぐる最高裁判決を踏襲し「1972年の日中共同声明で個人の損害賠償請求権は放棄された」とした。
二審判決によると、槙峰鉱山では、強制連行された中国人241人が過酷な労働に従事。帰国までに67人が死亡した。(2010.05.27 共同通信)
(263a) 2010年6月16日 戦後強制抑留者特別措置法(シベリア特措法)成立
第2次世界大戦直後に旧ソ連によってシベリアやモンゴルに抑留され、強制的に働かされた元日本兵らに特別給付金を支給する「戦後強制抑留者特別措置法(シベリア特措法)」が16日、衆院本会議で可決、成立した。生存している約7万人が対象で、抑留期間に応じて25万〜150万円を支給する。元抑留者たちが平均88歳あまりと高齢で早期の支給が望まれるとして、同法は遅くとも17日中には施行され、給付金をもらえる人が確定する。
元抑留者たちは、過酷な労働の対価が支払われなかったとして、日本政府に補償を長年求めてきた。しかし、政府は「戦後処理は終わった」として応じてこなかった。
法案は議員立法。条文に「補償」という文言は盛り込まれなかったが、提案した佐藤泰介・参院総務委員長は国会での趣旨説明で「長期間にわたる強制労働にもかかわらず、その対価が支払われていない。問題解決に長い歳月がかかったことを社会全体として反省し、その労苦を慰謝することが必要だ」と述べ、給付金に補償・謝罪の趣旨を込めた。
財源には、1988年から元抑留者らへの慰謝事業を行ってきた独立行政法人「平和祈念事業特別基金」が国庫へ返納した資本金約200億円をあてる。基金は今年9月に廃止する予定だったが、2013年3月末まで存続させ、支給の事務を行わせる。
厚生労働省などによると、シベリアやモンゴルなどへ約58万人が抑留され、うち約47万人が帰還したとされる。全国抑留者補償協議会によると、現在の生存者は7万人余りという。しかし抑留の実態にはなお不明な部分が多く、同法は抑留中に死亡した人の埋葬場所の調査や遺骨の収集なども政府に義務づけた。
政府は1956年の日ソ共同宣言で旧ソ連への賠償請求権を放棄した。06年以降、10万円相当の旅行券などを慰労品として配ったが、「問題の幕引きだ」と元抑留者たちは反発。国家賠償請求訴訟も続いている。
●シベリアで苦難・救済遅れ… 倒れた仲間に涙
元抑留者たちが切望してきた「シベリア特措法」が16日、ようやく成立した。戦後65年。立法運動スタートから7年。「男は泣くもんじゃないとしつけられましたが、今日は別です」。満場一致で可決した瞬間、国会傍聴席の元抑留者たちは凍土に倒れた戦友たちを思い、涙した。
「本案は可決いたしました」と横路孝弘・衆院議長が告げると、国会議員たちが傍聴席を振り返り、平塚光雄・全国抑留者補償協議会(全抑協)会長(83)らに拍手を送りつづけた。
成立後の記者会見で、東京都三鷹市の長谷緑也さん(85)は「長い間、この日があることを信じていました」と声を震わせた。大阪から夜行バスで駆けつけた池田幸一さん(89)も「ダモイ(ロシア語で帰還の意)して舞鶴港から日本の山々を見た時と同じうれしさだ」と語った。
支給される給付金は最高で150万円。だが、ほとんどのケースは25万円か30万円にとどまる。青春を奪われた代償としてはあまりに少ない。しかし東京都中野区の岡野工治さん(83)は「お金をもらえるからうれしいんじゃありません。国が謝罪したことがうれしいんです」。
立法に前向きだった民主党が政権につき、法成立の機運が高まった。しかし手が届きそうになるたびに国会が混乱し、先延ばしに。その間にも関係者は次々と他界した。「我々はなぜ補償金を払ってもらえないのか」と涙を流した渡辺仁三さん、「法案を成立させるまで死ねないですよ」と言っていた松原恒雄さん……。
「主人がここにいたらどんなに喜んだでしょう」と松原さんの妻政子さん(83)は遺影を掲げて嗚咽(おえつ)した。(朝日新聞2010.06.17東京朝刊)
〔抑留の実態調査急げ〕(共同通信2010.06.18)
第2次大戦後に旧ソ連圏に抑留された日本兵らに25万〜150万円の特別給付金を支給するシベリア特措法が成立した。抑留期間の長さに応じて金額が異なる給付金は、強制労働に対する賃金としての性格があり、事実上の国家補償といえる。
60万人ともいわれる抑留経験者のうち、生存者は7万〜8万人と推定される。救済はあまりに遅すぎた。
元抑留者たちは、対価のない労働は奴隷や家畜に等しいとして、国に未払い賃金の支払いを求める訴訟が続いたが、すべて敗訴している。「戦争被害は国民が等しく受忍するべきもの」というのがその理由だった。
一方で司法判断は、戦争被害の救済を立法の裁量に委ねる立場も示してきた。シベリア特措法はまさに、昨年の政権交代を受け、民主党が、戦後補償にどう取り組むかの試金石だった。
自民党政権は1984年の戦後処理問題懇談会報告を受け、戦後処理の終結を宣言、一切の国家補償を拒絶してきた。その自民党も今回の特措法では賛成に転じた。
特措法が超党派で成立したのは、戦争の結果、深い傷を受けた人々の声をとうとう無視できなくなったからだ。
しかし総務省、財務省が強く反対、昨秋の臨時国会では提案すらできなかった。今国会でも政府側の抵抗は続き、韓国人など旧植民地出身の元抑留者の救済に関する「検討事項」が法案から削除された。
民主党は野党時代に、韓国人BC級戦犯や元従軍慰安婦らを救済する法案も提出してきた。東京大空襲の被害者たちも国家賠償を求めて裁判で係争中だ。
いったん国家補償の領域に踏み込めば「パンドラの箱」を開けてしまい、他の戦後補償にまで波及すると官僚たちは懸念している。
これまで政府は、戦争被害者に「慰藉(いしゃ)事業」で対処してきた。「慰藉」とは「国には責任はありませんが、大変ご苦労さまでした」という意味だ。だから、被害の度合いにかかわらず、同じ記念品や同額の旅行券などを贈り、金銭の支給は避けてきた。
この点でシベリア特措法は、従来の「慰藉」の領域から、国家の責任を事実上踏まえた「補償」や「賠償」の方向に一歩踏み出したともいえる。
「戦後処理の終結」という自民党政権時代の大原則が揺らいだ以上、民主党政権は今後、他の戦後処理との整合性を問われる。
個々の問題で国の対応が異なれば混乱を招く。関係者は高齢化しており、戦後処理全般にわたる包括的な基本方針を早急に定める必要がある。
シベリア特措法には、特別給付金と並ぶもう一つの柱がある。
いまだに死者の数さえはっきりしない抑留の実態調査を、日本政府の責任で進める方針を明記したことだ。
そこには、抑留中に死亡した人々の埋葬地の調査や、遺骨収集の促進、歴史的経緯を示す旧ソ連側資料の収集も含まれる。特に埋葬地の調査は、墓参を願いながら果たせないできた遺族の高齢化に配慮して、優先課題として取り組むべきだ。
日本政府もロシア政府も、これらの問題に真剣に取り組んできたとは、決して言えない。兵士を死に追いやった国が、戦争とどう向き合うかが今も問われている。(松島芳彦)
なお、同法案参院可決記事(261)参照。
(263b) 2010年7月2日 在外被爆者、広島地裁で388人が国と和解
海外在住の被爆者が、国の違法な通達(2003年廃止)で各種手当を受給できなかったとして国家賠償を求めている集団訴訟の和解協議が2日、広島地裁であり、韓国262人、米国・メキシコ107人、ブラジル19人の原告の和解が成立した。国が1人あたり110万円を支払う。
通達を違法とした07年11月の最高裁判決以降、国は訴訟で受給資格が確認できれば和解に応じてきた。在外被爆者は08年12月から、広島、長崎、大阪の3地裁に順次提訴。このうち広島地裁の在韓被爆者訴訟については原告が死亡した1人を除く551人の和解が成立した。
残る原告は米国87人、ブラジル13人、カナダ9人、豪州1人で、年内に和解する見通し。原告弁護団によると、韓国で生存する被爆者約70人と死亡した約100人の遺族が8月以降、同地裁に追加提訴する予定。(加戸靖史)(朝日新聞2010.07.03大阪朝刊、地方版/広島)
(264) 2010年7月14日 三菱重工、元朝鮮女子勤労挺身隊員と補償交渉に応じる用意
【ソウル共同】の韓国人女性らが太平洋戦争末期、三菱重工業の軍需工場で強制労働させられたとして同社や日本政府に補償や謝罪を求めている問題で、三菱重工側が補償交渉に応じる意向を示したことが15日、分かった。
女性らを支援する韓国の市民団体や国会議員は先月23日、東京の三菱重工本社を訪れ、補償交渉に応じるよう要請。三菱重工側は今月14日、問題解決に向けた「協議の場」を設けることに同意すると、総務部長名の文書で回答した。
文書では、市民団体などに韓国側の意見集約を求め、交渉期間中は三菱重工や三菱グループ企業に対する抗議行動を控えるよう要請している。
同問題では女性ら8人が三菱重工と日本政府を提訴。二審名古屋高裁は、強制連行と強制労働の存在、被告両者の不法行為責任を認定したが、請求自体は棄却(197)。2008年、最高裁で原告敗訴の判決が確定した(236)。(2010.07.15 共同通信)
【ソウル=牧野愛博】太平洋戦争中、「朝鮮女子勤労挺身隊(ていしんたい)」として朝鮮半島から日本に徴用され、三菱重工業の軍需工場で働かされた韓国人女性たちが同社や日本政府に補償や謝罪を求めていた問題で、三菱重工側が14日、女性たちとの交渉に応じる考えを伝えていたことがわかった。
女性たちを支援する市民団体が15日、全羅南道光州市での記者会見で明らかにした。
同問題では、1940年代に挺身隊として三菱重工業名古屋航空機製作所道徳工場で働いていた8人が99年に損害賠償を提訴。08年11月、最高裁で原告敗訴が確定した。昨年12月には、社会保険庁がこのうちの7人(うち2人は死亡)に厚生年金の脱退手当金として各99円を支払った。(朝日新聞2010.07.16東京朝刊)
(265) 2010年7月15日 最高裁、中国人強制連行石川・七尾訴訟上告棄却
戦時中、石川県七尾市に強制連行され、過酷な労働を強いられたとして、中国人の元労働者と遺族ら計18人が国と七尾海陸運送(同市)に計約6600万円の損害賠償や謝罪を求めた訴訟の上告審で、最高裁第一小法廷(宮川光治裁判長)は、元労働者らの上告を退ける決定をした。15日付。元労働者らの敗訴が確定した。
一(234)、二審(257)判決は、国による強制連行があったと認めた上で、元労働者の意思に反して過酷な作業に従事させた強制労働の事実も認めた。しかし、「1972年の日中共同声明によって賠償などの請求権は失われた」とする2007年4月の最高裁判決を引用して、元労働者らの請求は認めなかった。(朝日新聞2010.07.21東京朝刊)
(266) 2010年8月14日 空襲被害者、国家補償を求める全国組織結成
太平洋戦争末期の空襲で障害を負ったり肉親を奪われたりした空襲被害者が、初の全国組織「全国空襲被害者連絡協議会」(全国空襲連)を14日結成し、年内に被害者救済のための法案を作ることを決めた。空襲被害の実態調査も国に求める。国は民間人の戦争被害者への援護措置を講じていないが、法案には「国家補償の精神に基づく援護」を明記する。
結成集会は東京都台東区で開かれ、約300人が参加。共同代表に、東京大空襲訴訟弁護団長の中山武敏弁護士ら5人を選んだ。全国空襲連には各地の遺族会や空襲を記録する会など20団体が参加し、個人加盟も相次いでいる。
事務局の東京大空襲訴訟弁護団によると、法曹関係者や学識者らの協力で、年内に空襲被害者等援護法案(仮称)を作成。支援を表明している超党派の国会議員に、議員提案を働きかける。被害者が高齢化しているため、被害の深刻さから緊急性が高いと判断した「戦災傷害者」や、親を失った人たちへの援護を優先する方針。
国はサンフランシスコ講和条約が発効した1952年以降、旧軍人・軍属とその遺族には国家補償理念に基づいて総額約50兆円の恩給や年金などを支給してきたが、民間人の空襲被害者に対しては「戦争で受けた損害を国民は等しく受忍(我慢)しなければならない」として、援護措置を講じていない。
原爆被爆者については「特別の犠牲」を理由に、放射線に起因する健康被害に限った援護制度があるが、国家補償の枠組みには入っていない。
中山弁護士は「第2次世界大戦で同様に空襲被害を受けた欧州各国は、被害者補償制度を整備しており、被害を我慢せよという日本は特異。差別なき戦後補償を実現しなければ本当の民主主義国とは言えない」と話した。(武田肇=平和・核問題担当)(朝日新聞2010.08.15大阪朝刊)
(266a) 2010年9月6日 在外被爆者、広島地裁で80人が国と和解
国外に住んでいることを理由に援護の枠外に置かれ精神的苦痛を受けたとして、在外被爆者と遺族が国に慰謝料を求めた広島地裁の集団訴訟は6日、国が1人当たり110万円を支払う内容で、原告のうち米国在住の70人、ブラジル在住の10人と和解が成立した。
今後、両国在住の被爆者計約10人が追加提訴するという。
出国した被爆者は手当受給権を失うとした旧厚生省通達(廃止)を違法とした判決が2007年、最高裁で確定。厚生労働省によると、これまで大阪、広島、長崎各地裁で韓国や米国などの被爆者計約1800人と和解が成立している。
一方、韓国の被爆者遺族の集団訴訟については、大阪に続き広島でも10月末までに提訴の方針。(共同通信2010.09.06)
(267)2010年9月12日 元米兵捕虜公式招待で来日…岡田外相「おわび」
第二次世界大戦中に旧日本軍の捕虜となり、日本で強制労働をさせられた元大学教授のレスター・テニーさん(90)=米カリフォルニア州在住=ら
元米兵捕虜とその家族らが12日、日本政府の初の公式招待で来日した。岡田克也外相は13日、外務省で一行と面会し「非人道的な扱いを受けたことに対し、日本政府を代表して心からおわび申し上げる」と謝罪した。テニーさんは「このような機会を歓迎したい。ただ、日本企業は強制労働をさせながら65年間沈黙を続けている」と指摘し、企業による謝罪を日本政府としても働き掛けるよう求めた。
フィリピン戦線で捕虜となった元米兵6人と家族らの計14人。1942年にバターン半島で、米兵捕虜らが収容所までの約100キロを連行される過程で多数が死亡した「バターン死の行進」の生存者やその息子も含まれる。日本政府は過去に英、豪などの元捕虜を和解に向けた試みとして招待したが、米国の元捕虜の招待は初めて。一行は、強制労働に従事した地方都市などを訪問し、19日に帰国する。九州の炭鉱などで働かされたテニーさんは「強制労働問題では日本企業に責任を果たしてほしい」と話した。【隅俊之】(毎日新聞 2010.09.14 東京朝刊)
〔関連記事〕 外相謝罪、強制労働の企業は沈黙 和解へ政と民に温度差(毎日新聞2010年9月17日東京朝刊)
第二次世界大戦中にフィリピンで旧日本軍の捕虜となり、日本などで強制労働に従事した元米兵捕虜6人とその家族が今月中旬、日本政府の初の公式招待で来日した。米国の元捕虜を招待するのは初めて。日米間では、ルース駐日米大使が今年8月の広島の平和記念式典に出席するなど、「心の和解」に向けた取り組みが始まりつつある。ただ、岡田克也外相は13日の面会で「より良い日米関係を築くためのきっかけに」と呼びかけたが、強制労働の問題では元捕虜を使役した企業の多くは沈黙を続けており、和解に向けた姿勢に温度差も残る。
「共に苦しい体験をしたが、生き延びたからこそ会えた。平和の尊さを語り継いでいかなければならない。その思いを改めて強く感じました」
今月14日午後、元米陸軍兵でフィリピン・ミンダナオ島で旧日本軍の捕虜となったエドワード・ジャックファートさん(88)とジョセフ・アレクサンダーさん(84)は、山梨県忍野村を訪れ、シベリア抑留を経験した元陸軍少尉、渡辺時雄さん(93)と互いの捕虜生活を語り合った。
元米兵捕虜の初の招待は、「日本に特別な感情を持つ米国人元戦争捕虜らを招へいし、心の和解を促すこと」(外務省)が狙いだ。
ただ、元捕虜は、強制労働での謝罪を得ることを来日の目的の一つにしてきた。ジャックファートさんは「日本人に恨みはない。ただ、ひどい扱いを受けたことを忘れることはできない」と話す。
POW(戦争捕虜)の資料などを集めている「POW研究会」によると、旧日本軍はアジア地域などで捕虜にした連合軍兵士約3万6000人を日本に移送、約130カ所の収容所で労働力不足を補うため鉱山や造船所などで強制労働させた。約3500人が虐待や病気などで死亡した。
大戦中に日本が被害を与えた国については、95年度から10年間、ホームステイなど交流事業を盛り込んだ「平和友好交流計画」を実施。英国やオランダなどの元捕虜が招かれたが、米国の元捕虜は対象外とされていた。
米国では90年代後半から、元捕虜が日本企業に賠償や謝罪を求めて相次いで提訴。外務省関係者は「日本も米国による原爆投下などで多数が亡くなった。提訴が相次ぐ中で、和解をという雰囲気にならなかった」と話す。
当時の柳井俊二駐米大使は00年6月の記者会見で「日本側にも言いたいことはある。(ただ)それは言わない方がいい。ふたを再びあければ、大変なことになる」と発言した。
一連の訴訟は、個人の賠償請求権の放棄を定めたサンフランシスコ平和条約を理由に原告の敗訴が確定。元捕虜が謝罪や賠償を求める法的な道は閉ざされた。
昨年5月、フィリピン・バターン半島で米捕虜ら多数が死亡した「バターン死の行進」の生存者らでつくる元米兵捕虜団体(解散)の会合で、出席した藤崎一郎駐米大使が村山談話を引用する形で初めて日本政府として公式に謝罪。外務省関係者は「過去は過去として一歩踏み出すべきだと考えた」と話す。今回の元捕虜の来日でも、岡田外相が「非人道的な扱い」に改めておわびを表明、元捕虜は謝意を示した。
一方、元捕虜を使役した企業側の多くは沈黙している。元米兵捕虜団体の元会長で、「バターン死の行進」後に九州の炭鉱で強制労働させられたレスター・テニーさん(90)は09年など数回、かつての使役企業が加盟する日本経団連に解決を求める手紙を送ったが、返事はなかったという。【隅俊之、春増翔太】
(268) 2010年9月17日 元中国人強制連行労働者、中国で賠償提訴
【北京時事】 第2次世界大戦中、日本に強制連行され、旧三菱鉱業(現三菱マテリアル)の炭鉱などで過酷な労働を強いられたとして、中国山東省の元労働者5人が約1000人を代表して17日、三菱グループの現地法人を相手取り、1人当たり10万元(約127万円)の賠償を求める訴状を山東省高級人民法院に提出した。原告側代理人の付強弁護士が明らかにした。
満州事変の発端となった柳条湖事件から79周年を迎える18日を前に、訴状を提出することで、「戦争中の強制連行の不当性」をアピールした。
強制連行をめぐり、中国人元労働者側が日本で起こした訴訟は相次いで敗訴が確定。日本の司法で救済を求める道は事実上閉ざされたが、西松建設については歴史的責任を認めて謝罪し、被害救済を目的とした基金を設立することで昨年10月に和解が成立した。
その他の企業は和解に応じていないため、元労働者側にとって残された道は中国での訴訟。今回の訴状を法院が受理すれば、強制連行訴訟では初めて中国での審理が始まる。
付弁護士は「訴訟が唯一の選択ではなく、原告は訴訟以外の方法で賠償問題を解決することも望んでいる」として、三菱側に和解を促すことも考慮に入れている。
三菱マテリアル広報IR室の話 訴状を受け取っていないので、コメントできない。(時事通信2010.09.17-12:23)
(268a) 2010年11月11日
三菱重工、元朝鮮女子勤労挺身隊員の支援団体と補償交渉に同意
第2次世界大戦末期に「女子勤労挺身(ていしん)隊員」として朝鮮半島から徴用され、名古屋市にあった三菱重工業の軍需工場で働かされた韓国人の女性たちが補償や謝罪を求めていた問題で、10日までに元隊員の支援団体と同社による正式交渉が始まったことが、両者への取材でわかった。
「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」(名古屋市)の高橋信共同代表と韓国側支援団体のメンバーら計5人が出席し、三菱重工と協議した。日時や内容については、双方が明らかにしていない。高橋氏は「韓国併合100年の年に協議が始まったことを歓迎する。誠心誠意話し合えば、必ず合意でき、日韓友好にもつながる」と話している。三菱重工は、協議に入ったことは認めたうえで、「内容についてはコメントしない」としている。
この問題では1999年以降、「女学校に通いながら働けて、給料ももらえる」などと勧誘されて動員された当時13〜15歳だった女性と遺族の計8人が、国と三菱重工を相手に総額2億4千万円の損害賠償と謝罪を求める訴訟を提起。一審の名古屋地裁と二審の名古屋高裁は「65年の日韓請求権協定で個人の賠償請求権は放棄されている」として請求を退けた。08年に最高裁で、原告の敗訴が確定した。
しかし、日韓の支援団体はその後も、三菱重工への要請行動を継続。今年7月、同社は支援団体に対し「話し合いの場を設けることに同意する」と表明していた。(黄テツ〈ファンチョル〉)(2010.11.11朝日新聞名古屋朝刊)
(269) 2010年11月22日 在外被爆者、広島地裁で31人が国と和解
国外に住んでいることを理由に援護の枠外に置かれ精神的苦痛を受けたとして、在外被爆者と遺族が国に慰謝料を求めた広島地裁の集団訴訟は22日、国が1人当たり110万円を支払う内容で米国17人、ブラジル4人、カナダ9人、オーストラリア1人と和解が成立した。
在カナダと在オーストラリアの原告と和解が成立したのは初めて。
大阪、広島、長崎で2008年に始まった同種訴訟は昨年12月以降、各地裁で和解が続き、広島地裁ではこれまでに約950人と和解が成立。
出国した被爆者は手当受給権を失うとした旧厚生省通達(廃止)を違法とする判決が07年に最高裁で確定。国は裁判所の事実認定を条件に、賠償に応じることを決定している。(共同通信2010.11.22)
(270) 2011年1月18日 大阪高裁、シベリア抑留訴訟控訴棄却
第2次世界大戦後にシベリアに抑留された元日本兵らが国に元日本兵1人当たり1100万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が18日、大阪高裁であった。渡辺安一裁判長は、「国民は戦争で生じた犠牲を等しく受忍しなければならない」として国の責任を否定した一審・京都地裁判決を支持し、元抑留者らの控訴を棄却した。元抑留者側は上告する方向で検討する。
原告は近畿や関東などに住む元日本兵49人と元日本兵6人の遺族21人。国が敗戦の賠償の一環として将校と兵隊らを旧ソ連に引き渡し、シベリアでの強制労働を容認したと指摘。「国は戦後も早期帰国の措置をとらず、炭坑などでの過酷な労働に従事させられた」と主張していた。
渡辺裁判長は、シベリア抑留被害は旧ソ連の国際法規違反などによるものだとし、日本側が賠償として日本兵を労役させる政策をとったとは認められないと指摘。別のシベリア抑留をめぐる訴訟の最高裁判決(1997年)を踏まえ、「抑留被害は国民が耐え忍ばなければならない戦争損害であり、その補償については国会の広い裁量に委ねられている」として国の責任を否定した。
また、原告側は2009年10月の一審判決(251a)後にできた戦後強制抑留者特別措置法(シベリア特措法)(263a)について、支給金は25万〜150万円とわずかで補償にあたらないと主張した。 (平賀拓哉)(朝日新聞2011.01.19東京朝刊)
(271) 2011年1月24日 在外被爆者、広島地裁で82人が国と和解
国外に住んでいることを理由に援護の枠外に置かれ精神的苦痛を受けたとして、在外被爆者と遺族が国に慰謝料を求めた広島地裁の集団訴訟は24日、国が1人当たり110万円を支払う内容で原告のうち韓国在住の79人と米国在住の3人と和解が成立した。
大阪、広島、長崎で2008年に始まった同種訴訟は09年12月以降、各地裁で和解が続き、広島地裁ではこれまでに約1020人と和解が成立。
出国した被爆者は手当受給権を失うとした旧厚生省通達(廃止)を違法とする判決が07年に最高裁で確定。国は裁判所の事実認定を条件に、賠償に応じることを決定している。(共同通信2011.01.24)
(272) 2011年2月18日 最高裁、中国人強制連行酒田訴訟上告棄却
第2次大戦中に酒田港で働かされた中国人らの強制連行をめぐる損害賠償訴訟で、最高裁第二小法廷(須藤正彦裁判長)は、原告側の上告を退ける決定をした。18日付。一、二審の判断は覆らず、原告側の敗訴が確定した。
上告していたのは、河北省在住の中国人男性と遺族の計13人。国と酒田海陸運送(酒田市)に計1億5千万円の損害賠償と謝罪を求めていた。
中国人が戦時中の被害について戦後補償を求めた裁判では、2007年4月に最高裁が「1972年の日中共同声明で、個人も含めて賠償請求権は放棄された」との判断を示し、その後は中国人側の敗訴が続いている。
08年2月の山形地裁判決は、強制連行し過酷な環境で労働させたことについて国と会社の安全配慮義務違反は認めたが、最高裁判例に従って請求を棄却。09年11月の仙台高裁も会社の安全配慮義務違反を認めつつ、原告側の控訴を棄却した。ただし高裁は、強制労働などで極めて大きな精神的・肉体的苦痛を受けたとして、「任意の被害救済が図られることが望ましい」と関係者の努力を促した。(asahi.com
2011.02.18 マイタウン山形)
(273) 2011年2月24日 最高裁、中国人強制連行長野訴訟上告棄却
第2次大戦中に日本へ強制連行され、長野県内の発電所建設工事などで過酷な労働を強いられたとして、中国人元労働者と遺族らが国と大手建設会社4社を相手に損害賠償などを求めた訴訟で、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)は24日付で、原告側の上告を棄却する決定をした。元労働者側の敗訴が確定した。
4社は鹿島、熊谷組、大成建設、飛島建設。
一審長野地裁は2006年、20年で賠償請求権が消滅する民法の「除斥期間」が適用されるなどとして請求を棄却。二審東京高裁は09年、日中共同声明で賠償請求権は失われたとする07年の最高裁判例を踏襲し、原告側控訴を退けた。(時事ドットコム 2011/02/26-19:51)
(274) 2011年3月1日 最高裁、中国人強制連行群馬訴訟上告棄却
戦時中に強制連行され中国人20人が群馬県の軍需工場建設などで重労働を強いられたとして、本人や遺族が国と鹿島、青山管財(旧ハザマから分社)に計約4億6千万円の損害賠償などを求めた訴訟で、最高裁第3小法廷(那須弘平(なす・こうへい)裁判長)は3日までに原告側の上告を退ける決定をした。原告側敗訴が確定した。1日付。
2007年8月の一審前橋地裁判決は、強制連行や過酷な労働実態を認めた上で「日中共同声明(1972年)で個人の損害賠償請求権は放棄され、裁判で行使できない」とする07年4月の最高裁判決を踏襲し、請求を棄却。10年2月の二審東京高裁判決も支持した。
一、二審判決によると、中国人20人は44〜45年、旧中島飛行機の地下工場建設や水力発電所建設などのため、群馬県内の各地で過酷な労働を強いられた。(2011.03.03共同通信)
〔山手補足〕 1996年に劉連仁氏が東京地裁に提訴して以来各地で提訴され、15年にわたって続けられてきた中国人強制連行・強制労働事件訴訟は、司法上はこれですべて終了したことになる。
(275) 2011年5月23日 広島地裁で、在外被爆者集団訴訟の71人が国と和解
国外居住を理由に健康管理手当の受給権を失い、被爆者援護法から切り捨てられたとして、米国などに住む在外被爆者が国に慰謝料などを求めた広島地裁の集団訴訟は23日、原告71人について、国が1人当たり110万円を支払う内容で和解した。弁護団によると、今回和解したのは米国に住む63人とブラジル7人、カナダ1人の原告計71人(2011.05.23中国新聞朝刊)
(276) 2011年5月23日 在外被爆者集団訴訟、中国、台湾からも初参加、広島地裁
国外居住を理由に被爆者援護法に基づく健康管理手当の受給権が認められず、精神的苦痛を受けたとして、被爆者1人当たり120万円の慰謝料などを国に求める訴えを台湾と中国に住む被爆者たち計15人が23日、広島地裁に起こした。これまでに米国など7カ国の計約3千人が起こした集団訴訟の一環で、台湾と中国の被爆者は初めて。
台湾の原告は67〜97歳の被爆者11人と亡くなった1人の遺族3人。中国の原告は、広島高等師範学校(現広島大)に留学して被爆した王大文さん(85)=南京市。広島、長崎両市で被爆後に日本を離れ、全員が被爆者健康手帳を持っていた。
訴えによると、被爆した13人は、国外居住は手当受給権を失うとした1974年の旧厚生省通達で援護の対象外にされたと主張。2003年3月に通達が廃止されるまで「精神的苦痛を被った」としている。
在外被爆者をめぐっては、通達を違法とした最高裁判決が07年に確定。国は裁判所が認定した被爆者と順次和解し、慰謝料などを支払っている。
また同日、韓国に住む51人、米国10人、カナダ3人、ブラジル1人の被爆者も同様の訴えを広島地裁に起こした。(山本乃輔)(2011.05.24中国新聞朝刊)
(関連記事)「届かぬ情報 苦渋の選択 誠実な対応 弁護団ら訴え」
台湾と中国の被爆者が23日、国外居住を理由に手当を支給しなかった国を提訴したことを受け、広島の弁護団と支援者は、広島市中区の広島弁護士会館で記者会見し「世界中にいる被爆者一人一人に、国は誠実に対応しなくてはならない」と訴えた。
国は在外被爆者援護をめぐる旧厚生省通達が2007年に最高裁で違法と確定後、被爆者と順次和解し慰謝料などを支払っている。
その条件として、国は訴訟で事実関係が認定されることを求めているが、支援する広島県原水禁の金子哲夫常任理事は「被爆者が組織化されていない中国と台湾には情報が届いていない」と問題点を指摘する。これまで米国や韓国など7カ国3千人以上が集団訴訟に加わってきた一方、中国と台湾の被爆者が提訴するのは初めてという現実がそれを物語る。
さらに在間秀和弁護士は「国は訴訟を待つのではなく、積極的に補償すべきだ」と批判する。集団訴訟は国の「消極姿勢」に対抗する苦渋の選択なのだ。
厚生労働省によると現在、中国に61人、台湾に18人の被爆者がいる。今回の提訴では広島、長崎の支援者が現地を訪れ、本人の意向を確認するなど準備を進めた。金子氏は「さらに多くの国の被爆者が当然の権利を求められる状況に進まなくてはならない」と強調した。(金崎由美)(2011.05.24中国新聞朝刊)
(277) 2011年6月1日 在韓被爆者、全額医療費を国に求めて大阪地裁に提訴
国外在住を理由に被爆者援護法に基づく国の医療費全額負担を受けられないのは不当だとして、在韓被爆者と遺族の韓国人計3人が、医療費の支給申請を却下した大阪府の処分取り消しなどを求める訴えを1日、大阪地裁に起こした。
原告弁護団によると、在外被爆者の医療費をめぐる訴訟は初めて。
訴状などによると、李根睦さん(85)ら3人は広島市で被爆し、同法による健康手帳を取得。過去2〜4年間に心不全などの治療を韓国で受け、1月に医療費の支給を申請したが、府は3月、「医療体制が異なり、国内の被爆者同様に適用するのは困難」として却下した。
同法では、被爆者の医療費を国が全額負担すると規定。しかし国外に住む被爆者には適用されず、
助成事業で国が一部だけを負担する。2011年度では入院日数に応じ年額約17万〜18万円の上限を超えた分が自己負担になっている。
提訴後の記者会見で、原告代理人の太田健義(おおた・たけよし)弁護士は「同法の積み残しで、日本の被爆者と異なる扱いを受けているのが医療費だ」と話した。
一連の在外被爆者訴訟では、2002年の大阪高裁判決が、出国した被爆者にも健康管理手当の受給権を認め、05年の福岡高裁判決(いずれも確定)は、海外での申請を可能と判断するなど国の敗訴が相次いだ。
大阪府健康医療部は「医療費の支給は全国統一で運用されている。国とも相談し、適切に対応する」としている。(2011.06.01共同通信)