戦後補償問題を考える弁護士連絡協議会(弁連協)
事務局通信 第105号
T 2009年4月21日(火)、弁護士会館において、第98回弁連協を開き、以下のとおり報告を受け討議しました。
1. イタリアにおける戦後補償裁判の最近の動向
報告 永野 貫太郎弁護士
(1)2004年3月11日のドイツによる強制労働に関するフェリーニ事件のイタリア最高裁判決がドイツの主張する外国主権免除は重大な国際人道法違反行為には認められないとその抗弁を退けたことをきっかけにその後イタリアにおいて多くの戦後補償裁判が続々と提起された。現在250原告が24地方裁判所と2控訴裁判所で係争中である。これらの訴訟の原告の類型は、1)ドイツ占領中(1943年9月以降イタリアは連合国に参加し国土の大半がドイツの占領下にあった。)イタリアから連行され、ハーグ条約の占領地住民の人道的取り扱いの規定に違反してドイツで強制労働をさせられた人々。フェリーニ事件がこれに該たる。2)イタリア軍人でドイツに捕虜となりジュネーブ条約に反して強制労働させられた人々。3)レジスタンス戦士や市民・子供・女性で報復のため虐殺された人々(イタリア高裁2008年10月21日判決のチビテッラ村事件がこれに該たる。)、4)その他、ギリシャで下された判決の執行を求める人々。
ドイツはこのため法律家の特別チームを編成しなければならず、実際にイタリア国内のドイツ国家資産に対する執行も起こっているとのことである。ギリシャの村民虐殺のレバディア事件に関するギリシャ最高裁判決(2000年5月4日)がドイツとギリシャの政府間交渉を経て2002年9月18日ギリシャ「特別最高裁判所」で覆されたのは記憶に新しい。この事件においても加害国の主張する外国主権免除と国際人道法に対する重大な侵犯のいずれを優先させるかが問われたが、上記のとおり両国の政府間交渉を経た上、ギリシャ特別最高裁判所は外国旧思想に従い主権免除を優先させた。
これを再び国際人道法優先に引き戻したのが先述したイタリアのフェリーニ判決であり、ヨーロッパにおいては、イタリア、ギリシャなど第二次世界大戦の国際人道法違反の被害者の属する国の裁判所において外国主権免除と国際人道法の二つの国際慣習法原則が激しく衝突している。特に2008年10月21日の前記チビテッラ村民虐殺事件判決は外国主権免除を排し、しかも2回にわたるドイツ−イタリア間の請求権放棄条約(1947年ドイツ・イタリア平和条約、1961年ドイツ・イタリア ボン協定)の存在にも関わらず原告の請求を認容し勝訴させている。
(2)こうした情勢に焦燥感を深めたドイツは2008年12月23日イタリアを相手取ってICJ(国際司法裁判所)に提訴した。被害者の属する国であるイタリア国内裁判所における情勢はギリシャにおけるレバディア判決の押さえ込みの成功とは異なり加害国ドイツにとって一層厳しくなったものと判断したと受け取れる。
(3)被害国イタリアにおけるこれら戦後補償裁判の最近の動向は以下のように要約されよう。
1)被害者の属する国の司法機関の判断は、加害国司法機関の判断と異なる。被害者の被害の回復に傾くのである。戦後賠償訴訟に踏み切った被害者は今後自国司法機関への訴えを改めて考慮するべき時期である。
2)大量虐殺や強制労働など重大な国際人道法違反の行為に関しては、外国主権免除の原則は排除されるべきであるという明らかな国際的潮流が見て取れる。これはドイツ及び日本を対象とした戦後賠償訴訟の切りひらいた重要な国際法上の新天地である。(なお、この点につき、日本においても2009年4月 日「国家主権免除法」(「外国等に対する我が国民*裁判権に関する法律」)が成立し同免除が与えられない範囲について初めて明文の法規定が成立した。これは国連の「主権免除条約」の批准と組み合わされた立法である。
2 中国人民法院における戦後賠償訴訟
日本における中国人原告の戦後賠償訴訟は、2007年4月27日の西松建設・中国人強制連行強制労働事件の最高裁判決を受けた。日中共同声明で中国政府自身が中国国民の請求権を放棄したので中国人原告の請求は棄却されるという最高裁小法廷「判例」が支配的となっている。日本の裁判所において敗訴が必至となった中国人原告は、改めて自国人民法院における提訴を真剣に考慮するべきではないだろうか。
(1) 受理とも不受理とも決定しない中国人民法院
強制連行強制労働事件の中国人原告は、加害日本企業を被告とする訴訟を2000年12月以来河北省高級人民法院他、各地の高級人民法院に提訴したが中国人民法院はそれ以来現在に至るまで8年余中国民事訴訟法に反し受理とも不受理とも決定しない状態が続いている。これは異常な事態である。
また、中国政府の中国人原告による「民間賠償」訴訟に対する態度は「反対しない。支持しない。安定第一。」といわれている。中国政府と中国人民法院は中国人原告による戦後賠償訴訟を支持しないことにおいて一見一貫しているようである。こうした中国政府の態度が2007年4月27日西松建設・中国人強制連行強制労働事件の最高裁判決の確実な根拠のひとつとなっている。日中共同声明によって(**条約でなく)中国政府は創設的に「中国国民の請求権を放棄した」という同判決を支える学説はこうした中国政府の理由不明の消極的態度を基本的論拠としているのである。
(2) 人民法院における法律的問題は十分克服される
@ 被告を加害日本企業にする訴訟の法律問題
この場合の準拠法は、中国民法通則によれば不法行為地であるから、強制連行強制労働に関しては日本法となる。日本法の法律問題は、消滅時効と除斥期間という所謂「時の壁」であるが、日本における戦後賠償訴訟では両者とも西松建設中国人強制連行強制労働事件広島高裁判決( )において、各々「権利濫用」及び「正義衡平の理念」より適用されないという判例が開かれ、最高裁もこの点については覆すことができなかった。中国人民法院が「時の壁」という加害日本企業の国際的正義に反する主張を「権利濫用」及び「正義衡平の理念」により端的に退けるのは見やすい予測であろう。また元来、国際人道法には時効の観念はない。戦時国際人道法は各国の一般民法と原則上異なるのは当然である。
A 日中共同声明によって中国政府は中国国民の請求権を放棄したか。それに対する中国人民法院の判断は如何か。西松建設最高裁判決は日中共同声明は「サンフランシスコ平和条約の枠組み」の上に発出されたと断定するが台湾(中華民国)と異なり中国はサンフランシスコ平和条約に対して参加せず、且つ同条約を援用することもしなかった。中国にサンフランシスコ平和条約の効力を及ぼすのは国際法上暴論であり、また中国政府の承認はありえない。遂に中国は「日台(日華平和)条約」は不法であり無効であって廃棄されなければならない」(『復文三原則』の第三)と主張している。中国人民法院が上記日本最高裁の「サンフランシスコ平和条約の枠組み」論を採用することはありえない。では、「日中共同声明」第5項によって中国政府は「中国国民の請求権を放棄した」か?同項においては「中国政府は、日本に対する戦争賠償の請求を放棄する」とあり、その実中国国民の請求権について明示的に触れられていない。これについて中国人民法院は如何判断するか。
仮に、同項の趣旨が「中国国民の請求権を放棄する」趣旨を含むと判断された場合においても、強制連行強制労働や「慰安婦」のような余りに非人道的で国際人道法に対する重大な侵犯事件については、その政府による国民の請求権放棄の効力は及ばない(阻止される)と解釈される。中国政府が仮に「中国国民の請求権を放棄する」としても、それによってこうした余りに非人道的で国際人道法に対する重大な侵犯事件については中国国民の請求権は消滅させられない。
これについては先述したイタリア最高裁のチビテッラ村虐殺事件判決がイタリアとドイツの間の相互の国民の請求権放棄条約及び協定にも関わらずイタリア人原告を勝訴させたことが大いに参考になるだろう。しかも同判決は、ドイツ政府が被告の事案であり、同判決においては、日本政府を被告とする事案においても中国人原告勝訴の路筋をも開かれているのである。日本における戦後賠償訴訟が西松建設事件最高裁判決によって収束させられつつある現在、中国人原告は母国中国の人民法院における同訴訟を改めて考慮するべき時期に至っている。
3 中国人強制連行強制労働事件判決
報告 松岡 肇 弁護士
(1) 福岡第二陣訴訟 福岡高裁判決 (2009年3月9日)
事実を認定し、被告国と被告企業の共同不法行為を認定したが、被告国につき「国家無答責」により被告企業については除斥期間により請求棄却した。
安全配慮義務については、被告国につき否定し、被告企業につき認めたが時効により請求を棄却した。それに加えて西松建設事件最高裁判決に準じ、日中共同声明により中国政府自身により中国国民の請求権は放棄されたと請求を棄却した。
注目された2008年4月21日文書「所見」による和解勧告については被告国は一顧だにせず不出頭でなんら進展はなかった。
(2) 宮崎訴訟 福岡高裁宮崎支部判決(2009年3月27日)
事実を認定し、共同不法行為を認定したが、いずれも除斥を理由に請求を棄却した。安全配慮義務については、被告国については否認し被告企業については認めたが時効により請求を棄却した。また、西松建設最高裁判決に準じ、日中共同声明による中国国民の請求権放棄により請求を棄却した。なお、「和解に向けた努力を祈念する」との口頭の「所感」が付された。
4 海南島事件 東京高裁判決(2009年4月 日)
報告 坂口 禎彦弁護士
事実及び被告を認定(「破局的体験後の持続的人格変化」)したが、公権力の行使とはいえないと不法行為の成立を認めた。しかし、西松建設最高裁判決に準じ、日中共同声明によって中国国民の請求権は放棄されたと請求を棄却した。
(文責 弁護士 木喜孝) |