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東日本大震災1年:福島第1原発事故 電源多重化、課題多く ミス複合、事態深刻化

 東日本大震災から間もなく1年。東京電力福島第1原発で起きた炉心溶融事故により、大量の放射性物質が放出された。福島県災害対策本部によると、現在も約16万人が自宅を離れての暮らしを強いられ、大地や海の汚染、農産物被害は依然深刻だ。事故はなぜ起きたのか。被災を免れた他の原発では再稼働に向けた動きが始まっているが、安全対策は万全なのか。福島第1のような事故はもう二度と起きないのだろうか。

 ◇防波壁かさ上げ、完備まで2年--安全対策

 福島第1原発事故を機に、日本の原発の安全対策はどう変わったのか。中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)で2月21日、安全対策を取材した。

 「60%、70%……。弁、全開!」。3号機の原子炉建屋地下1階で、原子炉格納容器の圧力を下げるベント(排気)の訓練に当たる社員が叫んだ。

 福島の事故では、ベント操作の遅れが炉心溶融につながった。停電すると弁の操作ができなくなるため、浜岡原発では手動でも弁操作ができない事態に備えて窒素ガスの圧力で弁を操作する手順を新たに整備した。建屋2階には窒素ボンベが出番を待つ。

 海岸沿いでは、津波防波壁の建設工事が進んでいた。海面からの高さは18メートル、厚さ2メートル。今年12月完成予定で、原発の施設を1・6キロにわたって取り囲む。基礎は鉄筋コンクリートを地下40メートルの深さまで打ち込む。「防波壁の全体像が見えれば、再稼働への理解も得られると思うのですが……」。建設作業を見守る社員がつぶやく。

   ◇

 福島の事故は、想定を大きく上回る天災と、危機意識の欠如からくる人災との複合災害だ。象徴的だったのが、命綱ともいえる電源確保対策の破綻。事故前、電力各社が持っていた対策は▽隣接する原子炉から電気を融通する▽非常時に原子炉を冷やす原子炉隔離時冷却系(RCIC)が稼働している間に電源を復旧させる。しかし福島では、外部から電気を引き込む変電所や送電線が被災し、津波によって非常用発電機やバッテリーが水没した。

 経済産業省原子力安全・保安院は事故後の昨年3月末、電源や浸水対策の強化を含む「緊急安全対策」を電力会社に指示した。しかし原子炉を安定冷却するのに必要な電力を供給できる電源車は、配備完了までなお時間が必要だ。津波対策でも、各社が津波防波壁のかさ上げを計画したが、完備まであと2年程度はかかる見通しだ。

 保安院はさらに昨年6月、水素爆発の防止策▽緊急時の通信手段の確保▽がれき撤去用の重機の配備--を電力会社に求めた。「電源の多重化」など事故を教訓にした30項目の対策もまとめ、安全対策の強化を内外にアピールしている。

 NPO法人「原子力資料情報室」の伴英幸・共同代表は「事故原因の完全解明が済んでいないのに、福島第1原発と同様の事故を防げると考えるのは時期尚早」と指摘する。

 例えば福島第1原発が震災前に想定していた地震は、揺れの加速度で600ガル、津波の高さは5・7メートル。これに対し、実際には最大675ガルの揺れと13・1メートルの津波に襲われた。伴さんは「これまで甘かった地震や津波の想定などを早急に見直さなければ、信頼は取り戻せない」と話す。

 ◇ストレステストに批判も--再稼働

 安全対策が進まない一方で、国は、停止中の原発の再稼働を目指している。その前提として導入したのが、原発の安全への備えを測る「ストレステスト(安全評価)」だが、再稼働の可否をこのテストで判断することには、専門家の間でも批判がある。

 ストレステストは、原発が設計上の想定を超える地震や津波に襲われ、原子炉建屋や重要機器などが壊れて炉心損傷に至ると仮定した場合、現状がどの程度の余裕を持っているかを調べる。日本では、炉心損傷までの余裕を測る1次評価(停止中の原発対象)と、炉心損傷後の事故の深刻化を抑える対策まで考慮する2次評価(運転中の原発対象)の2段階で実施する。

 再稼働へ向けた手続きは、まず電力会社が各原発で実施したストレステストの1次評価結果を評価書にまとめ提出。これを保安院が審査し、内閣府原子力安全委員会の確認作業を経て、最終的には野田佳彦首相と、藤村修官房長官、枝野幸男経産相、細野豪志・原発事故担当相--の3閣僚が再稼働の可否を判断する。

 さらに再稼働には、地元自治体の合意が不可欠だが、福島の事故を踏まえた新しい安全基準の策定を求めるなど慎重な自治体が多い。2月末現在、8社が16基の1次評価を保安院に提出したが、再稼働までこぎつけた原発はゼロ。4月下旬にも、北海道電力泊(とまり)原発3号機が停止すると、日本にある商業用原発54基すべてが止まる、史上初の事態を迎える。

 これまで提出された1次評価結果によると、地震は想定の1・29~2倍の揺れ、津波は1・5~6・2倍の高さになっても炉心損傷には至らない。外部電源を失っても10・7~104日は安全に原子炉を冷やすことができるとした。この「余裕度」が大きいほど安全性は高いと言えるが、それは「想定が正しい」ことが大前提だ。福島第1原発事故は、想定を甘く見積もり、備えもそれに応じて甘かったために起きた。

 全国の原発が、地震の揺れや津波の高さを想定し、余裕を持たせて設計されている=地図、グラフ。だが、これらの想定の多くは、06年の耐震設計審査指針改定を踏まえた再検証を終えていない。商業用原発で検証を済ませた東電柏崎刈羽原発1号機では、想定地震動が450ガルから2300ガルに上方修正された。

 保安院は今年2月、最初に提出された関西電力大飯(おおい)原発3、4号機の1次評価結果を「妥当」とした。だが、保安院の意見聴取会メンバーである井野博満・東京大名誉教授と後藤政志・芝浦工大非常勤講師は「住民の安全性の判断に必要な2次評価が未提出で、再稼働ありきの見切り発車」と批判する抗議文を発表した。

 ◇津波算定方法を規定--指針

 事故は日本の原発の「安全神話」を崩壊させた。同時に、すべての原発がよって立つ安全指針の信頼性も揺らいでいる。

 原発を造る際の基準となる指針類は約70種類。原子力安全委員会(班目(まだらめ)春樹委員長)は事故を受け昨年6月、改定作業に着手した。3月末までに中間取りまとめを公表、4月発足予定の原子力規制庁が引き継いで法制化に生かしたい考えだ。

 ■津波

 津波については、06年改定の耐震設計審査指針に「極めてまれではあるが発生する可能性がある津波によって施設の安全機能が重大な影響を受ける恐れがないこと」としか記載がない。原発周辺で起きる最大規模の津波を想定するよう求めながら、津波高の算定方法も定めていない。

 事故後の改定案では、想定津波の高さの算定方法を規定する。周辺の地震動調査だけでは「限界がある」として、海外で起きた大津波の発生機構とも比べて参考にするよう求める。

 想定を超えた場合の対応については、指針ではなく、電力各社に「過酷事故対策」を義務づけ、建屋や機器の耐水性を強化することなどを求めた。

 ■電源喪失

 今回の事故で明らかになった指針類の大きな不備は、原発施設の基本設計を定めた「安全設計審査指針」(90年策定)が、福島第1で起きた長時間の全電源喪失を「考慮しなくてよい」としている点だ。93年、安全委の作業部会は長時間の全電源喪失が炉心損傷につながる危険性を指摘しながらも「日本では電源の早期復旧が期待できる」として見直しを見送った。日本の安全審査では、全電源喪失は長くても30分程度で、その時間をしのげるだけの設備を備えれば容認されてきた。

 非常用電源も失った福島第1原発の場合、電源喪失は9~11日間に及んだ。事故後の改定案では、非常用発電機が機能しない場合の代替電源の設置を義務づけた。

 ◇東海第2の「幸運」 首都圏救った70センチ

 津波に襲われた原発は福島第1原発だけではない。同原発の南、東京都から130キロの太平洋岸に建つ茨城県東海村の日本原子力発電東海第2原発は辛うじて冷温停止できた。何が明暗を分けたのか。

   ◇

 「もし防潮壁を引き上げていなかったら、福島と同様、深刻な事態に陥っていただろう」。海風が吹きつける第2原発の岸壁で、震災当日勤務していた原電社員が振り返った。最も海側の「非常用ポンプエリア」には、10年9月に完成した高さ6・1メートルの防潮壁がある。これが「首都圏に最も近い原発」を救った壁だ。

 それまでの防潮壁は高さ4・9メートル。スマトラ沖大地震(04年)の後、茨城県は07年、独自に津波の浸水想定区域図(ハザードマップ)を作製し、想定津波高を4・9メートルから5・7メートルに引き上げた。これを受けて原電は、非常用ディーゼル発電機の冷却ポンプ3基があるこのエリアに、1・2メートル高い防潮壁を設置した。

 3月11日、実際に到達した津波の高さは最大5・4メートル。新しい防潮壁はわずか70センチ高かった。ポンプ3基中2基は、2日前の3月9日に止水工事が完了したばかりで浸水を免れた。工事が終わっていなかった1基はケーブル用の穴から海水が浸入して水没。1基がダウンしたことで、冷温停止までに3日半を要した。

 今年2月、同原発を視察した横浜国大の小林英男客員教授は「(壁の引き上げを)即実行したことが成功した。東海第2は他の原発にとっても非常にいい教訓になる」と指摘した。一方、引き上げるきっかけとなったハザードマップをまとめた「津波浸水想定検討委員会」委員長の三村信男・茨城大教授は「我々が当初想定した震源は実際と異なっており、今回の津波の到来を『当てた』わけではない。しかし、歴史的に考え得る最大の津波を想定したことが結果として役立った」と話す。

 防潮壁自体も大型漂流物の衝突には耐えられない構造だった。もし船舶や自動車がぶつかっていれば倒壊し、3基とも水没していただろう。実のところは幸運も手伝った「薄氷の冷温停止」(原子力安全・保安院幹部)だったといえる。

 ◇事故のあらまし

 11年3月11日、三陸沖でマグニチュード9・0の地震が発生、高さ約13メートル(東電推計)の津波が到達した。運転中の1~3号機は地震で自動停止(4~6号機は定期検査中)したが、地震と津波により外部電源や発電所内の非常用電源などほぼすべての電源を失い、原子炉や使用済み燃料プールの冷却ができなくなった。1~3号機は過熱して炉心溶融が発生。1、3、4号機の原子炉建屋では水素爆発が起き、大量の放射性物質が外部に放出された(5、6号機は冷温停止)。国際評価尺度ではチェルノブイリ原発事故と並ぶ「レベル7」。

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 ◇非常用復水器、作動と誤解--現場

 事故はどうして起きたのか。政府の事故調査・検証委員会(委員長・畑村洋太郎東京大名誉教授)が昨年12月に公表した中間報告書から振り返る(文中の肩書は事故当時)。

 第一に、炉心を危機から守るための作業が適切になされなかった。報告書は非常時に1号機(3月12日に水素爆発)の炉心を冷やす「非常用復水器(IC)」の作動状態を吉田昌郎(まさお)所長らが誤解していたこと、さらに3号機(3月14日に水素爆発)への注水操作に不手際があったことを指摘している。

 「3月11日午後4時42分、1号機の原子炉の水位が低下」「同日午後5時50分、1号機原子炉建屋付近の放射線量が上昇」

 1号機では電源喪失後、ICの弁が閉じ機能していなかった可能性がある。正常に動いていないことを示す兆候も次々と出ていた。

 しかし、現地や東京都千代田区の本店は、11日午後11時50分まで「ICは作動している」と誤解。消防車による外部からの注水や、炉内圧力を下げるベント(排気)の遅れにつながった。

 なぜか。運転員は、訓練や教育を含めてICの作動を経験しておらず、操作に習熟していなかった。本店も適切な助言や指示ができなかった。報告書は「状況を正しく評価していれば、ICに関して誤解しなかったはず」と記す。過酷な事態に対処する訓練や教育が不十分だった。

 3号機では、地震から2日後の13日午前2時42分、運転員が別の注水手段に切り替えるため、高圧注水系(HPCI)を止めた。しかし別の方法による注水に失敗。発電所内の連携不足もあり、吉田所長ら幹部が状況を把握したのは、HPCI停止から1時間余りたった後だった。対応が後手に回り、状況は一層悪化した。

 報告書は1、3号機について「代替注水が順調だったら水素爆発を防げたかは判断できないが、炉心損傷の進行を遅らせ、放射性物質の放出量を抑え、その後の作業を容易にした可能性はあった」と指摘する。

 ◇場当たり的な対応--官邸・保安院

 報告書は危機の司令塔となるべき首相官邸や経済産業省原子力安全・保安院の場当たり的な対応も取り上げた。

 地震発生直後、東京都千代田区の官邸地下にある危機管理センターに関係省庁幹部や担当職員が集まり、情報収集や支援策の検討に入った。しかし同センターは情報保全のため携帯電話の電波が届かない。電話回線も混雑し、情報収集は困難を極めた。

 そのころ官邸5階の執務室では、菅直人首相が関係閣僚や原子力安全委員会の班目春樹委員長、東京電力の武黒一郎フェローを集め、避難区域の設定や原発の対応について協議していた。しかし地下のセンターでは5階の状況が把握されないまま対策が練られていた。さらに官邸側から現地への助言のほとんどは、吉田所長が既に着手しているものが多く、実際には役に立っていなかった。

 保安院は地震後、霞が関の経産省別館3階に緊急時対応センター(ERC)を設置。ここに4、5人の東電社員が派遣された。しかし、ベントの準備状況について明確な情報が得られないなど、東電社員から最新の情報を集められなかった。約600メートル離れた東電本店では、テレビ会議システムで現場の状況を把握していたのに、保安院職員は状況確認のため東電本店に出向くこともせず、東電に「正確な情報を早く上げて」と依頼するだけで、監督官庁として効果的な指導や助言をしなかった。

 一方、原発から放出された放射性物質の拡散状況を予測する文部科学省の「緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)」は十分に活用されなかった。実際には、放出された放射性物質の量や種類などのデータが停電でSPEEDIに送信されなかったため拡散量を算出できなかったが、文科省は「毎時1ベクレル放出された」との仮定で拡散予測を計算していた。

 問題は、その結果を政府も福島県も避難などの検討に活用せず、結果を公表する発想も持たなかったことだ。そのため一部の住民の避難先が放射性物質の飛散方向と重なり、無用な被ばくを招いた。報告書によると、事故直後の基準で「除染が必要」とされるレベル(その後上方修正)の被ばくが確認された住民は1003人(昨年10月末現在)。「住民の命と尊厳を重視する立場でデータの重要性を考える意識が希薄だ」。報告書は批判する。

 ◇災害を軽視、備えに不足--東電

 津波を含む自然災害を軽視し、過酷な事故に発展するとの想像力や事故対策も不十分だった。

 東電は02年、津波の評価方法を示した土木学会の「原発の津波評価技術」に基づき、福島第1原発で想定される津波の高さを3・1メートルから5・7メートルに引き上げた。08年には国の長期評価などを基に試算し、津波は「15メートル超」となった。

 これに対応する防潮堤の設置には、数百億円の費用と約4年の歳月がかかると見積もられた。当時の武藤栄原子力・立地副本部長と吉田昌郎原子力設備管理部長は、長期評価を「仮想的な数値」と軽視し、対策に結びつかなかった。その後の試算でも、三陸沖で869年に起きた貞観(じょうがん)地震の研究結果から、福島沿岸に到達する津波は8・6~9・2メートルになるという結果を得ていたが見過ごされた。

 背景には、備えるべき「過酷事故」として故障や人的ミスばかりを想定し、津波などの自然災害を対象外にしていたことがある。報告書は「極めて大きな問題点の一つ」と指摘している。想定の甘さ、それに伴う備えの甘さ、関係者の連携不足などが複合的に絡み、事態を深刻化させた。

 ◇東電「食い違いはない」

 東電広報部は政府事故調の中間報告書について「綿密に調査した結果であり、事実関係について大きな食い違いはない。ただ、1号機の非常用復水器に関しては、電源喪失のタイミングによって弁が閉じることもあれば開いた状態の可能性もあり、事故時に弁の開閉状態を認識し、対応するのは困難だった」とコメントした。

 事故をめぐっては、「福島原発事故独立検証委員会」(民間事故調)が独自に調査を実施。2月27日に公表した報告書では首相官邸の危機管理のまずさなどを指摘した。国会が設置した「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」(国会事故調)も6月に報告書をまとめる予定。

 2012年3月1日

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