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吉野弘「生命は」の詩。光をまとって飛ぶのは華やかな蝶ではなく虻であることの意味を深く考えてみては如何でしょうか。

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情理を尽くして語り合う場としてのブログ展開を目指して

ブログを始めて、昨日で訪問者数15万を達成しましたが、この5年8ヶ月の間にブログ更新に精神的に疲れはてての数回に渡る通算2年半の休止時期がありました。今のスタイルのブログになるまで様々なトラブルに巻き込まれる経緯があったのですが………一番消耗するのが、ある特定のイデオロギーに基づいてのドグマに閉じこもり相互の実りのある論議を回避して自己主張を展開した挙句に逆恨みに等しい陰湿な策謀を巡らせる人たちに振り回されて精神的に消耗してブログを休止することを幾度か余儀なくされて来ました。
根拠のないでっち上げ、決め付け、自作自演のマッチポンプ式の誹謗中傷を繰り広げている自称正義の人々の存在はある意味現代社会の抑圧された状況の投影だと思います。
現在の私のブログは訪問者数の割にはコメント数が極端に少ない雰囲気のブログを展開に至っていますが、以前は論議のマナーを心得ずに我田引水の議論で自己の正当性を没論理的に主張するあまりに他人の揚げ足取りが自己目的化して肝心な議論展開に於いては不毛で幼稚な支離滅裂な論理を振り回してばかりいるコメントに溢れていました。このような人たちは長いスパンでの深い思考に基づく議論をせずに、意見の異なる相手にレッテルを貼って、
陰謀論、善悪2元論、オカルなどの根拠のない決めつけに終始します。そして、仲間を募って、共通の敵を規定して中味のないワンフレーズのスローガンを掲げ内輪の奇妙な気色の悪い連帯感、褒め合いを仲間内で展開します。気が付けばそのようなブログの訪問者で周囲の外堀が埋められて行くことも、最近私の知り合いのブログでも多々見かけます。この記事を投稿する前に意見を聞いたブログ友達からのメールです。
 


15万ヒット凄いですね、でもヒット数よりも5年8ヶ月の長いブログ展開がすごいと思います。
>一番消耗するのは・・・
凄く納得です。少しでも理解しあえればと思いながらコメント書いたり返事したりしても、何処まで行っても平行線。陰謀、善悪2元論、オカルトなどの押し付けに終始します。
先の件では私が何をどのように感じ考えるかよりもどちらを支持するのかが大事なようでした(爆笑)
 
>自称正義の人々の存在はある意味現代社会の抑圧された状況の投影だと思います。
そうなのだと思います。あたかも本人達はマスコミ報道に迷わされる事無く、正しい情報を入手し無知な人々に警告を発しているかのように振舞っていますがそれこそが歪みの投影かと思います。自分で考える事を放棄しているように思えてなりません。
問いかけや議論、その中からの気付きには興味が無いようです。
 
仲間内の褒めあいについては私も反省する部分です。
ブログという相手の顔の見えない世界で無用な軋轢を避け、上辺の友達を得るために無責任に「とりあえず褒めておこう」という安易な考えもあると思います。記事の投稿を楽しみにしています。
 
このメールに 対する私の見解を述べたメールです。
彼らを見ていると、気の遠くなるような長い曲がりくねった人生の旅をゆく時に不可欠な、等身大の自己評価の欠落を感じます。
自己に欠けている素養・教養を素直に認めてそこからやり直すことが、等身大のブログの意味だと私は思います。
被害者性意識だけが極端に肥大化した人格の人間は等身大の自己評価を拒否します。
呪いの言葉を発することで被害者意識の投影と幻想に過ぎない『 強い全能感』が彼らの精神構造が麻薬に蝕まれていくように侵されて行きます。
時代が悪い、本来自分がもっと評価されてしかるべきなのに不当に自分が評価されている。
しかしながら、彼らの発する言葉には貧弱な内実しかないのです。
表現には必ず反応が返って来ます。
この時好意的な反応が内容に乏しい諂い、追従、儀礼的なお世辞の類に終始するならば、自分の発する言葉には貧弱な内実しかないのか或いは読み手が内実が伴っていないのだと思います。
情理を尽くしたアドヴァイス・反論・論理の肌理の粗さの指摘に溢れているコメントは貴重です。
偽りの肥大化した自己評価、幻想に過ぎない『 強い全能感』に基づくブログは内田樹氏の語る所の呪いの言葉と内輪のヨイショ言葉に溢れています。
呪いのブログにルサンチマンを抱えた多くの人たちが惹きつけられるのは、単純なワンフレーズで不満を呪いの形で表明する方が、情理を尽くして適切な言葉を選択して時間をかけて諄々と語り合うことよりも手っ取り早く簡単だからです。
彼らが私のブログや貴女のブログに時間をかけて諄々と語り合う趣旨のコメントを投稿しないのは内実が無いことを自覚しながらも偽りの肥大化した自己評価・幻想に過ぎない『 強い全能感』にしがみつきたいからだと思います。
内田樹さんの呪いの時代と言う著作の中の呪いの言葉を発することで至つく麻薬的な精神的な自己破壊の記述を紹介します
イメージ 1


http://gendai.ismedia.jp/articles/-/28694
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
 
一度、呪いの言葉を吐きかけて、それによって他人が生命力を失い、あるいは営々として築かれてきた制度が瓦解するのを見たら、人間はもうその全能感から逃れられなくなる。その快楽なしではいられなくなってしまうのです。麻薬のようなものです。
麻薬中毒者がより強い刺激とより多くの投与量を欲するようになるのと同じく、呪いを吐く人々も、その言葉をいっそう激烈なものにしてゆくようになります。症状がさらに進むと、攻撃したり、破壊したりする必要がどこにあるのか誰も理解できないものに対してさえ、「誰かがそれを大切にしている」という理由だけで標的にして、唾を吐きかけ、踏みにじらずにはいられなくなる。
呪いを発する人間の末路は、だから麻薬中毒者と同じように哀れです。攻撃的な言葉は相手の生きる気力を奪うだけでなく、それ以上に、自分の生命力も傷つけるからです。他人への呪いというのは、自分にも必ずはね返る。
 かつて人々は、呪いに対してきわめて敏感でした。扱いの難しいものであり、劇毒だということは誰でもわかっていた。
 確かに呪いは驚くべき効果を上げ、強烈な全能感をもたらすけれど、同時に代償として、それを発する者の生命力も奪い去ってゆく。そのことを中世までの人たちは常識としてわかっていました。呪いを発するにも抑止するにも専門的な知見と技術が必要だ、ということをみんな理解していた。
 でも今は、誰もそんなことは知りません。呪いなんて迷信だと思っている。だから、これほど危険なものが日常生活の中で平気で蠢いているのです。危険に対する耐性も、自己防衛の方法も知らない子供たちが、平気で呪いの言葉を弄んでいる。それは、日本人が生物としての原初的な感覚と常識的な判断力を失ったせいだと僕は思います。
 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ 
             
 

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