平成17年1月30日(日)昼
今日は母を北方町橋下の美容室へ連れて行った。
かねてから「かっくんちゃん」の写真があると言われていたので、一度は見たいと思っていた。
店はMさんが一人で経営されている。私も幼少の頃、蔵堂にあった以前の店に行き、このおじさんに散髪をしてもらったことをふっと思い出した。もう35年になるだろうか。当時は床屋が嫌で、あまりよい思い出はなかったが、おじさんの顔を見たら、そんなことも昨日のように思い出した。
さて、問題の「写真」であるが、それは白黒の1枚の絵だった。下蓑具のTさん(県警を退職され、現在65歳ぐらいだそうである)が描かれたそうである。
以前見た写真の構図と同じである。1本弦の三味線を弾いて歌う裸の「かっくんちゃん」が堂々と描かれていた。三味線が縄で肩にかけられていること、腰に褌と共に縄が巻き付けられていること。腰の横でその縄に手ぬぐいが下げられていること、などが目を引いた。また、明治27年生まれで昭和27年に没し、享年57歳であることなどが書かれていた。
なお、元となったと思われる例の写真は、1月の雪の降る水堂さんで撮影されたらしい。内田組(?)の以前の社長さんが所有されていたものを橋下公民館に寄贈され、今でも見ることができる。
以下、Mさんの話をまとめておく。
かっくんちゃんは裸足だった記憶がある。冬でも裸だった。
昭和27年は私が10歳ごろになるが、そのころ橋下に来ておられたのをよく見ていた。大男で、とてもこわかった。
無精髭で髪も手入れしているようには見えなかった。当時は私たちもそうそう床屋に行っていたわけではないし。肩のコブは水堂さんで荷物持ちの仕事を、肩に担いでしていたからできのだろうたと聞いていた。
一本三味線はりっぱなものではなく、木の切れっ端で作ったような感じだった。もともと三味線には丸い穴があるが、それは四角だった。
かっくんちゃん自身、自分の「身分」をわきまえていて、以前に年配の駅員さんから聞いた話だが、二等列車に乗っても決して席には座らず、必ず立っていたそうである。座ると汚れるから、他のお客さんに気を使ってのことだと思う。
有明町の引佐神社近くに名前は忘れたが、かっくんちゃん研究会があるそうである。
今日は母を北方町橋下の美容室へ連れて行った。
かねてから「かっくんちゃん」の写真があると言われていたので、一度は見たいと思っていた。
店はMさんが一人で経営されている。私も幼少の頃、蔵堂にあった以前の店に行き、このおじさんに散髪をしてもらったことをふっと思い出した。もう35年になるだろうか。当時は床屋が嫌で、あまりよい思い出はなかったが、おじさんの顔を見たら、そんなことも昨日のように思い出した。
さて、問題の「写真」であるが、それは白黒の1枚の絵だった。下蓑具のTさん(県警を退職され、現在65歳ぐらいだそうである)が描かれたそうである。
以前見た写真の構図と同じである。1本弦の三味線を弾いて歌う裸の「かっくんちゃん」が堂々と描かれていた。三味線が縄で肩にかけられていること、腰に褌と共に縄が巻き付けられていること。腰の横でその縄に手ぬぐいが下げられていること、などが目を引いた。また、明治27年生まれで昭和27年に没し、享年57歳であることなどが書かれていた。
なお、元となったと思われる例の写真は、1月の雪の降る水堂さんで撮影されたらしい。内田組(?)の以前の社長さんが所有されていたものを橋下公民館に寄贈され、今でも見ることができる。
以下、Mさんの話をまとめておく。
かっくんちゃんは裸足だった記憶がある。冬でも裸だった。
昭和27年は私が10歳ごろになるが、そのころ橋下に来ておられたのをよく見ていた。大男で、とてもこわかった。
無精髭で髪も手入れしているようには見えなかった。当時は私たちもそうそう床屋に行っていたわけではないし。肩のコブは水堂さんで荷物持ちの仕事を、肩に担いでしていたからできのだろうたと聞いていた。
一本三味線はりっぱなものではなく、木の切れっ端で作ったような感じだった。もともと三味線には丸い穴があるが、それは四角だった。
かっくんちゃん自身、自分の「身分」をわきまえていて、以前に年配の駅員さんから聞いた話だが、二等列車に乗っても決して席には座らず、必ず立っていたそうである。座ると汚れるから、他のお客さんに気を使ってのことだと思う。
有明町の引佐神社近くに名前は忘れたが、かっくんちゃん研究会があるそうである。