佐々木秀文留学記



今回、平成9年8月よりDana Farber Cancer Institute, Harvard Medical Schoolに留学をさせて頂きました。

日本で2年間実験生活を送ったあとボストンに行ったのですが、渡米前ある程度はやれるだろうと思っていたのが、当初はlevelの高さに行ってびっくりという感じでした。とにかくHarvardですから、世界中からよりすぐりの優秀なやつがやってきている。またHarvardで働きたい研究者はいっぱいいるので、逆に使いものにならないものはすぐに首になるのです。実際ぼくの行ったDr LanBoChenのラボでも同時期にいたなかで3人が首になりました。僕自身もあまりテクニックがなかったので、3カ月はこれといったテーマも与えられず、ひとの実験を眺めているだけで過ぎていきました。

その後やっていたのはGFPを使った実験でした。目的の遺伝子をGFPとfusionし、培養細胞にTransfectionして発現、局在をみるといったものでした。この実験を通して、molecular biologyの基礎的なテクニックをかなり学ぶ事が出来ました。

当時Chen labではcheck point geneであるHuman rad17の実験が最盛期で、 その流れに乗って、Cancer Research、JBCなどの論文が次々出て、共著に名前が載せて貰えるような貢献が出来ました。

しかしとにかくHarvardは流れが早く、そのprojectは終焉。新たなテクニックを身につけ、またprojectを探すため、平成10年4月からはDr Chenの関連している会社で修行を積むことになりました。しかし実際の所は即戦力ではないので一旦Chen lab を離れる形になったのです。

そこでの修行8カ月、その会社のmolecular biologyの大御所Kin-Ming Loとの出会いは貴重なものでした。自分のわからない事は聞けばすぐに帰ってくると言う感じで、大変勉強になり成長でき、自信もつきました。実験はEndstatinがらみのことをやりました.。expression vectorにmutationを入れた後、mammalian cellにtransfectionしstableを取るのがmainの仕事でしたがあまり良い結果は出ませんでした。しかしそこでの努力が報われ平成12年1月からDr Chen labに復帰しました。

実験は会社でやり始めたTC2(periostin)に関する実験でした。mammalianのstable cell lineからprotein purify、polyclonal、monoclonalantibodyを作る仕事に絡みました。思ったような結果がなかなか出てきませんでしたが、なんとか自分なりにデーターをまとめられました。またHarvard復帰後は成る可く有名人のseminarを聞きに行って、勉強になりました。

留学の体験は非常に貴重なものではありましたが、その経験をどう生かすか今が大事だと思っています。また世界との壁を痛感しましたが、なんとか少しずつ壁を埋められるように努力するつもりです。留学中は「テーマに恵まれないなあ」などとぼやいてばかりいましたが、いざ帰ってみると臨床と絡めれば面白いテーマもいくつかあり、現在はrad 17, periostinなど向こうでの仕事の続きを臨床材料を用いて必死にまとめている最中です。いくつか面白いデータも出始めている今日この頃です。

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