プーチン首相は、自分に対する暗殺計画発覚にもかかわらず、国家指導者の警護を強化する必要はないと考えている。 28日プーチン首相は、急遽訪問したアストラハンで記者団の質問に答えた中で「1999年から始まって、自分に対するあらゆる暗殺計画についての報告を受けてきたが、暗殺の脅威が仕事を妨げてはならない」と述べた。
一方ロシアのマスコミは、27日月曜日に伝えられた首相暗殺計画の調査の行方を見守っている。この事件に関し、現在明らかになっているのは以下のとおりだ。 今年1月4日、黒海に面するウクライナの港町オデッサの貸しアパートの一室で、手製の小型地雷が爆発した。この地雷は、チェチェン出身のアダム・オスマエフとルスラン・マダエフ、そしてカザフスタン生まれのイリヤ・ピヤンズィンが、店で買い集めた材料で組み立てたものだった。
爆発の結果、マダエフは死亡、オスマエフは手に怪我をしたが姿をくらまし、ピヤンズィンは火傷を負って病院に収容された。その後ピヤンズィンは病院で意識を取り戻し、検察庁の職員に「自分がマダエフと一緒にアラブ首長国連邦からオデッサに来た事」「アラブ首長国連邦で彼らは、オスマエフのもとで地雷を使った爆破訓練をしていた事」を明かした。この自白のあと事件は、武器・弾薬あるいは爆発装置の不法な取り扱いに関するものから、テロに関する刑事事件に変えられ、調査はウクライナ安全保障会議の管轄に移された。 .
これを受けてウクライナ安全保障会議は、ロシア連邦保安庁にアダム・オスマエフに関する情報を照会、その結果この人物は、乗用車「ジグリ」に仕掛けた爆弾によりチェチェンのラムザン・カディロフ首長殺害を目論んだ、2007年5月9日モスクワで発生したチェチェン及びイングーシ人若者グループによる事件で指名手配されていることが分かった。 ウクライナ安全保障会議は、この情報を得た後、オデッサのアパートでオスマエフを拘束、彼と一緒に父親のアスランベク・オスマエフ氏も逮捕された。しかし取調べの結果、父親は彼のもとにお客に来ていただけで息子の犯罪に関与していないことが判明、まもなく釈放された。
逮捕後オスマエフは、ロシア側に引き渡さないとの保障を取り付けた後、ウクライナの治安機関に協力を始め、地雷爆破を彼に教えたのは英国在住のチェチェン人らであることを明らかにした。 オスマエフ自身は、英国バッキンガム大学で経済を学んでいたが、卒業していない。
また彼は、自分が将来ロシア国内でのテロ行為に参加する戦闘員の募集に携わっていたことも認め、さらに、そうしたテロの目的の一つとして、プーチン首相暗殺の準備を挙げた。それによると、暗殺は大統領選挙後まもなく行うことになっていた。なお彼の自白は、押収されたパソコンに納められていたビデオ資料によって確認された。それには、プーチン首相が車に乗り込むシーンやモスクワでの自動車パレードの様子などが写されていた。
オスマエフは又「プーチン暗殺用に使う爆発装置の一部は、すでにモスクワにある。2007年5月のカディロフ暗殺未遂の際持ち込まれたものが、ブヌコヴォ空港行きの急行列車が通る線路の近くに埋められている』と供述した。 なおウクライナ側から情報を入手したロシア連邦保安庁の職員がその場所を掘ったところ、硝石と起爆薬の入った樽が発見された。 しかしオスマエフの供述によれば、プーチン暗殺のさい主要な役割を果たすはずになっていたのは、装甲設備の整ったリムジンをも吹き飛ばす能力を持った特別な累積型の強力地雷だった。
事件の取調べは、さらに続けられている。
(ロシアのマスコミ報道からの抜粋)
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