写真で振り返る『やまなし映画祭』 / UPDATE : 2011.10.05

2011年で7回目の開催となるやまなし映画祭。これまでたくさんの映画人がゲストとして山梨県にお越しいただきました。今回は、映画祭のトークイベントの写真から映画祭を振り返ってみましょう。

2008年10月25日(土)

映画『口裂け女2』の寺内康太郎(監督)と飛鳥凛(主演)

寺内康太郎監督は、大阪芸術大学映像学科出身でホラー、コメディ、ラブストーリーと幅広いジャンルを手がけています。近年では『デメキング』『マリア様がみてる』を手がけました。主演の飛鳥凛さんはスターダストプロモーション所属。大阪府出身。ホラー、アクション、ラブストーリーなど映画やテレビで活躍しています。映画『ひぐらしのなく頃に』の主演・園崎魅音役や『仮面ライダーW』の園咲若菜役で有名です。映画『口裂け女2』の舞台は1978年の岐阜県の設定ですが、撮影は山梨県で行われました。飛鳥演じる沢田真弓が通う高校は笛吹市の県立笛吹高校(撮影当時は県立石和高校)で撮影が行われました。改築前の古い高校の姿が映画の中に残っています。映画のクライマックス、川村ゆきえさんが演じる沢田幸子(真弓の姉)が、口裂け女になってしまった真弓に殺されるシーンは甲府市中心街・オリオン通り付近で撮影が行われました。物語の最初に家族のほんわかとした食卓のシーンが描かれていますが、このシーンを丁寧に描いていたからこそ、後半の重い人間ドラマ、悲惨な展開が生きているというのがゲスト2人の共通の印象的なシーンでした。

左から大和田美帆と植田有紀子アナウンサー(YBS山梨放送・当時)

大和田美帆さんは、フジテレビで当時放送されていた番組『映画の達人 Filmania』でアシスタントMCを担当していました。日大芸術学部映画学科出身の彼女は、演じるだけでなく、映画制作のイロハをしっかり学び、映画の知識が豊富でした。また、舞台 『風林火山』で琴姫役だったこともあって、山梨とも縁があるということでお越しいただきました。そして映画のお話をたっぷりしていただきました。

2008年10月26日(日)

映画『クライマーズ・ハイ』の成島出(脚本)、尾野真千子(ヒロイン・玉置千鶴子役)、黒塚まやアナウンサー(UTYテレビ山梨・当時)

成島出さんは甲府市出身。映画『クライマーズ・ハイ』では共同脚本の1人です。監督としては、北乃きい・林遣都W主演の『ラブファイト』、堤真一主演の『孤高のメス』などがあります。監督最新作は役所広司主演の『聯合艦隊司令長官 山本五十六』です。成島さんは、1985年の日航機墜落事故が題材だけあって、うそにしてはいけないと思い、遺族を裏切ってはいけないという気持ちで脚本作りに挑んだそうです。尾野真千子さんは奈良県出身。NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』のヒロイン・小原糸子役で全国的に有名となりました。トークショーでは、中学校の下駄箱の掃除をしていたら河瀬直美監督にスカウトされ、『萌の朱雀』の主演となった有名な話を披露してくれました。奈良県出身なので、普段は関西弁で気さくな方でした。尾野さん演じる新聞記者・玉置千鶴子は日航機墜落事故の原因となるネタを引っ張ってきますが、自分で記事を書くことができず、しかも記事は掲載されず幻のスクープとなってしまいます。玉置も悔しがりますが、尾野さんも役そのままに悔しかったそうです。

2009年10月10日(土)

左から鈴木春花アナウンサー(UTYテレビ山梨)、映画『ゴジラVSメカゴジラ』の大河原孝夫監督、富山省吾プロデューサー、中村修(元東宝宣伝部)

宝塚歌劇団や阪急電鉄を創立したことで知られる小林一三(山梨県韮崎市出身)が創立した映画会社「東宝株式会社」。あまり知られていないことですが、「東宝」とは「東京宝塚」の略なのです。そして東宝が世界に誇る特撮映画群。そのなかでも一番有名な映画『ゴジラ』シリーズのスタッフを招いてトークショーが行われました。大河原監督は、観月ありさ主演『超少女REIKO』で監督デビュー。『ゴジラVSモスラ』『ヤマトタケル』『ゴジラVSデストロイア』『誘拐』『ゴジラ2000ミレニアム』など大作を手がけています。トークショーでは、前作『ゴジラVSモスラ』がファンタジックな世界だったのに対し、『ゴジラVSメカゴジラ』ではメカゴジラを有するGフォースやラドンなどが登場するので、バトルを重視したそうです。

大河原孝夫

『ゴジラVSモスラ』は女性的と言いますか、ファミリー的なイメージがあるし、その辺は大森一樹さんの本もですね、環境問題とか社会性もうまく盛り込んで、家族の問題も登場人物に絡めたシナリオになっていたんですけど、まあメカゴジラは、イメージ通りバトル。これを期待してくださる方も多いでしょうから、Gフォースという組織を発案して、それに沿った面白いシナリオができましたんで、女性層からやや男性層に向けたゴジラ映画ができるのかと、そういう思いでしたね。準備の段階ではここまで賑やかになるとは正直思わなかったんですけど、できるだけお客さんに見せたいということで、ラドンもベビーゴジラも出そうと。ただ出てるんではなくてドラマに溶け込んで絡んでいてくれれば構わない話で。ただ特撮班も本編班も大変は大変でしたね。当時、映画評論家の女性の方が「あそこまでゴジラをいじめないでほしかった。」みたいに言うんです。でもゴジラが負けることないんですよね。(笑)勝ちますから。それだけ感情移入してドラマに入ってくれているということでもあるんですけどね。

元東宝宣伝部の中村修さんは昭和ゴジラシリーズで宣伝を担当。あの名作『ルパン三世 カリオストロの城』も宣伝担当だったそうです。ゴジラの復活を強く訴えていました。

中村修

旧シリーズの一番最後、『メカゴジラの逆襲』っていうのを宣伝したんですけど、これが新旧通じて一番成績の悪いゴジラでしたね。(笑)その頃はお子様向けになっちゃってまして。野山で怪獣と戦うみたいな。プロレスになっちゃてましたんで、血を出したりとかいけないとか配慮があったと思うんですけど。自分自身もゴジラが大好きで、都会に出てくるゴジラはすごく恐怖心があるし、美的に非常に美しい感じがするんです。東宝辞めて30年になりますので、今はゴジラファンの皆さんと一緒に、新作ゴジラ早く出せと、大河原監督と富山プロデューサーのお尻を叩く役をしていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

富山省吾プロデューサーは、ゴジラ9年復帰説(ゴジラ映画は9年後に復活するという説 1975年に『メカゴジラの逆襲』でゴジラシリーズは一旦終了したが、1984年に新作『ゴジラ』が公開され、シリーズが再開している)があるので2013年には復活する可能性があるとシリーズ再開に向けて動きがあることなどを話しました。

富山省吾

皆さんゴジラファンの方はご存じなんですけども、ゴジラ9年復帰説という周期がありまして、1作目の『ゴジラ』、『ゴジラの逆襲』、そのあと『キングコング対ゴジラ』まで9年だったんです。『メカゴジラの逆襲』から復活『ゴジラ』まで9年。それで『ゴジラファイナルウォーズ』が2004年でしたから9年だと2013年なんですね。2013年が可能性が高いと。そのぐらいの間があいて、怪獣映画というものの広がりがもう1回出てくる。どうしてもファンだけの映画になっていくんですよね。こういうシリーズものってね。もう1回、僕らからするとデートムービーになりたいなと思いますし、次はやっぱり、世界中のスタッフが集まって、世界同時公開されるような作品として作るのがいいだろうと。その時にトライスターゴジラのキャラクターというのが、世界中のファンからちょっと違うんじゃないかと言われたのがあったので、製作の母体は東宝映画にやらせてもらえればうまくいくんじゃないかなと。海外のスターが全部集まるような映画にできるといいと思うんで。そういう準備は時間がかかるとおもいますから、2013年に実現できるように微力ですが頑張りたいと思います。

映画『ルパン三世 カリオストロの城』の島本須美(クラリス役)、友永和秀(原画)、TV『ルパン三世』(旧)、『ルパン三世PARTⅢ』の佐野寿七(元読売テレビチーフプロデューサー)、植田有紀子アナウンサー(YBS山梨放送・当時)

宮崎駿監督の名作『ルパン三世 カリオストロの城』。今でもテレビ放送で高視聴率を取る作品です。ルパン三世シリーズに関わった日本アニメ界最高の声優・アニメーター・プロデューサーが揃い、当時の製作現場の貴重な話を披露してくれました。島本須美さんは、『赤毛のアン』の主役オーディションに落ちてしまったが、その時のテープを宮崎監督が聞いていてクラリス役に抜擢されたと話してくれました。

島本須美

声優としてのデビュー1年目の作品なんです。テレビシリーズとしては、『ザ・ウルトラマン』の紅一点をやらせていただいたのが最初なんですが、それを1年間やっている間に、この作品があって、業界的には声優さんブームがちょうど走りだったりして、ものすごくアニメが作られていたんで、現場は画がないとか、色が付いてないだけじゃくて線画すらなくて、白い画面の中に赤いマジックで書いてあるところを喋って下さいとか厳しい時代だったんです。そんな時代だったので、ど素人の私としてみれば、すごく大変な思いで、まして1年生ですから、山田康雄さんや増山江威子さんであるとか大先輩の方々がテレビシリーズでやっている作品の劇場用ということで、温かい家庭的な雰囲気でしたけど緊張しました。ものすごく印象深いです。『赤毛のアン』というテレビシリーズの最終オーディションに残っていたんですよ。結果はダメだったんですけど、監督が高畑勲さんで、一緒にお仕事をされていた宮崎さんが、私のオーディション用のテープを聞いてくださってて、何か記憶に残っていたということがあったみたいで、それで宮崎さんから「今度カリ城やるんですけども、クラリスの役ということで、ちょっと声を聞かせてください。」と、それで1人呼ばれてオーディションを受けて決まったんです。他にオーディションを受けている方がいるかどうか結果は知らないんですけども、決まってやらせていただいたという経緯があるんです。だから、落ちたからといって落ち込むことはないんだと思いましたね。素敵な出会いでした。

声優デビュー1年目での大役は、今も日本アニメ界の永遠のヒロインです。友永和秀さんは有名な冒頭のカーチェイスのシーンの原画を担当しました。

友永和秀

僕は途中から入ったんですけども、8月に原画インしまして、終わったのは11月半ば頃だったと思うんです。その前に宮崎駿さんは日本アニメーションで『未来少年コナン』をやってたんですけども、そのあとすぐテレコムでルパンをやるということで、そのままの勢いで作ったと思います。宮崎さんは、ストーリー・絵コンテ・原画チェック・レイアウトをほとんどやったスーパーマン的な仕事ぶりで、僕らはそれに付き合わされたというか、引っ張り回されて、あれよこれよという間に出来上がったという感じなんですよね。僕は冒頭のカーチェイスを担当したんですけども、車をメカ的な冷たいものにしたくないので、ルパンと一緒にキャラクターを一体化させたいなと。特にフィアットは、後から追ってくる車とコントラストをつけられたらいいなと思っていたんで。フィアット500は実際も小さいんですけども、もっと小さくしてフロントガラスいっぱいにルパンと次元が埋まるように、ルパンとフィアットを一体化させて動かしたら車そのものがキャラクター性が出てくるんじゃないかと思ったんですね。ルパンの気持ちになって車が動いてくと。そうすると非常に楽しい動きになるんじゃないか思うのと、車が崖を上ったり下りたり非常に荒唐無稽なことをやっているんですね。それだけやると説得力がないんで、普通に走っている時は、車がどう走るか、どういう重さを感じるのか、あるいは曲がる時にどのようにサスペンションを利用しているのかをちゃんと描いて、説得力のある世界にしておけば、崖を上ろうがスーパーチャージャーを出そうが、あるいはルパンが後半、時計塔から飛び降りて、クラリスを救おうが、信用できる世界になっていくというか。そういう裏付けとしての細かいところを表現しようと、そういうところをお客さんに感じてもらえればいいなと思って心がけたというか、そこが苦労しましたね。

と宮崎監督のすごさを改めて教えてくれました。

佐野寿七さんは、ルパン三世誕生秘話を披露してくれました。

佐野寿七

1971年に東京ムービーの藤岡豊社長(当時)が、私のところへ来ましてですね、「実はルパン三世という企画があるのだけど。」という持ち込みをしました。藤岡さんも私も30代の若者だったわけです。私は『巨人の星』や『タイガーマスク』を担当して、熱血根性ものの後に、ふざけた作品があるかと言って、ものすごく反対して怒った記憶があるんです。その後、藤岡さんは15分のパイロットフィルムを作ってもう1回持ってきました。それを見たとたんに読売テレビの社内の空気がだいぶ変わってしまったんです。これはスゴイぞと。つまり当時のアニメ界でこれほどの作品を作る者はいないんじゃないかと。それでやってみろという話になったわけです。『巨人の星』や『タイガーマスク』の後企画に優秀な企画が色々出てきたんですけど、それを全部断って、藤岡さんの『ルパン三世』第1シリーズを始めることになったわけです。ところが、第1シリーズは、視聴率が良くなくてですね、記録的な惨敗を喫したわけなんです。その後、再放送をやったところが、いきなり視聴率15%いっちゃうわけなんです。「再放送をやったほうが視聴率が良いのだったら、最初から再放送やって、それから本番やったらどうか。」って皮肉を言われたんですけれども(笑)。その中で固定ファンがついてきたんです。つまり、ワルサーP38がどうだとかフィアットがどうだとかいうふうに、作画監督の大塚康生君が描いた画をですね、全部ファンが覚えちゃうんです。そうした状況で日本テレビの吉川斌君がもう1回ルパン三世をやらせてくれと言ってきて、第2シリーズが始まったわけです。第2シリーズはのっけから25%いって、大変な視聴率を取って、3年続いたんです。第1シリーズの余波をかって、カリオストロの城に続いていくわけですね。ルパンは国民的な作品になったんですね。

今も続くルパン三世シリーズの出発点は視聴率の記録的な惨敗から始まったんですね。勉強になります。

『隠し砦の三悪人THE LAST PRINCESS』の樋口真嗣(監督)、坂野友香(さよ役)、黒塚まやキャスター(TBSニュースバード)

『隠し砦の三悪人THE LAST PRINCESS』という黒澤作品に挑んだ樋口真嗣監督と、真壁六郎太の妹・さよ役の女優・坂野友香さんの2人のトークはとても面白かったのでたっぷり掲載します。このトークショーでは、隠し砦とカリ城の関係や、エヴァと山梨県甲府市の意外な関係も判明しました。ファン必見です。

樋口真嗣

プレッシャーは絶えずありました。こういう時、黒澤明さんならどうしたのかなとか。特に冬場で寒い撮影だったので。役者さんは皆、寒いのに草鞋を履くわけですよね。見えないところで肌色の足袋を履いて温かくするんですが、どうしても見えてしまうんです。足袋だから。それで、黒澤さんだったら絶対裸足だと思って、皆、泣きながらやっていたんですね。で、ある日オリジナル版を観たら思いっきり役者がブーツみたいなのを履いてて、あれーっ!何それって(笑)。黒澤さんより酷いことをさせてしまって反省しています。さっき、カリオストロの城のトークショーを見てて思いだしたんですけど、俺、カリオストロの城をやろうとしてたんですよ。最初頂いたストーリーは、『グラディエイター』みたいな話で。トラが出てくるんです。これは隠し砦ではないなと。で、「お姫様とそれを狙う悪人、悪人イコール泥棒、えっ?カリオストロでいけるじゃん!」と。実は下敷きにしてあるのは、カリオストロの城なんです。長澤まさみさん演じる雪姫と椎名桔平さん演じる刑部の芝居で、悪者が姫様の顎をぐっと上げるというのは、カリオストロ伯爵と同じ芝居なんです。これは映画祭主催者側の嫌がらせかと思いました(笑)。比べて観てください。

甲府は、エヴァンゲリオンの昔の映画の時にちょっとだけ実写があるのですけれど、そこのロケは甲府でやりました。第3新東京市の全景は、甲府の愛宕山に登って、朝もやに煙るすごい良い感じだったんで、そこに後でビルを合成しました。エヴァンゲリオンは甲府で撮ったんです。

自分の企画ではなくて、東宝さんから頼まれて、面白そうだなって思って引き受けたというプレッシャーの大きさにですね、もがいてなんとか撮った映画ですけども。意外と時代劇がことのほか面白かったというか。現代からまったく切り離された世界なので、役者さんもキャラクターを一から自分の中で構築できるという、そうした面白さがあります。今まで『ローレライ』だったり、『日本沈没』だったり、タイトルが全てを表しているんですけど、人間より、乗り物や災害が主役の映画だったんです。初めて自分としては、人間がタイトルの映画ができたんで、悪人という。そういう意味で人間をどうやってキャラクターを面白く作っていけるかというのを初めてやらせてもらえた気がします。

坂野友香

役柄は真壁六郎太の妹・さよでした。そこが問題で。長澤まさみさんよりか年下でなければならないんじゃないかって。実際は長澤さんの方が年下なんで、本当にゴメンナサイ。台本には「さよも19(歳)なら・・・」という台詞が。どうしようかと悩みました(笑)。このお話が戦国時代だということで、太っている人は1人もいないということで、役者さん達には、皆さん痩せろ痩せろということだったんですね。私は役が決まったのがギリギリだったので、1週間で10キロ近く痩せました。ひたすら何も食べずにずっと走りまわって。監督の『ローレライ』や『日本沈没』は観てました。で、今回の作品は客観的に「面白いな。」と思ったんです。自分のところは抜きにして、「こういう面白い映画なんだ。」って思いましたね。

いかがでしたでしょうか?貴重なお話を改めて聞いたんだなあと思います。今後のゲストの皆さんのトークが楽しみになりますね。