.No Title 「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ…ハハハハハァ!これがヒトを超えた気分かァ!絶頂とはこの事かァ!」 「チ…考えが甘かった!」  俺の眼には、哄笑に浸る悪魔が映っていた。 「クククハハハハ!今までの痛みィ、悩みィ、苦しみは地を這う虫の持つ物だったァ!そうゥ!貴様らのようなァ!友人ン?娘、息子ォ?親ァ?そんなものはァ!取るに足らん存在だったァ!」  悪魔は、言い終わると同時に地から風を巻き上げた。 「エド!ここから離脱しろ!もうお前が居る意味は無い!」  悪魔から強烈に吹きつける風を堪えながら、俺は相棒に叫ぶ。 「そうだな、そうするか…」  相棒は後ずさるが、風は周りの小石や岩だけでなく、死体をも動かす威力だ。迂闊に走ろうものなら、転倒は免れない。しかし俺はそれでも良いから早く離れろ、と思った。 「ヒヒヒヒヒ…耐えられるかなァ!」  悪魔は俺達の事情に配慮する訳も無かった。右手を大きく振りかぶり、そして右手は妖しく紫色に光輝く…輝きは段々強くなっている。 「!? 伏せろエド!」 「ムゥンッ!」  攻撃が始まった。悪魔の右手が振り下ろされ、紫色の光が真一文字の刃状になり、エド目掛けて真っ直ぐに飛んでいく! 「げ…やっべぇ!」  肩越しに攻撃を確認したエドは、飛び込んで伏せる。伏せたエドの頭上を紫の光刃が通過して、岩壁にぶつかる。ぶつかった光刃は、一際大きく輝いて形容しがたい音を立てた。 「岩壁が…」  溶けている。紫の光刃が当たった所は、岩壁が深々と抉り込まれていた。周りの岩はドロドロに溶け、蒸気を上げる。あれが直撃していたら、間違いなくエドは死んでいた。 「エド、全力で走れ!」  次の瞬間、俺は弾けるように動いていた。眼前の悪魔目掛けて。 「てめぇぇぇっ!こぉの娘殺しがぁっ!」  腰から抜いたソードを斬りつけるが、悪魔はいとも容易く受け止めた。 「フフフヘヘヘ…後退の援護かァ?涙ぐましいなァ!」 「うるせえんだよ、このお喋り…」  悪魔の言うことが当たっているだけに、俺は余計にイライラした。そして言った。 「お喋りクソ野郎がッ!」  デッカの七人 一章―砂と灰― 1 立て籠もり事件  春はもうすぐ来るだろうけど、まだまだ肌寒い季節。そんな中、銃声がした。 「またか」  俺は反射的に呟いた。続く悲鳴に、ざわめく人々の空気。一瞬で俺の平穏は終わりを告げた。俺は表面は平静を装う為、屋台の椅子に座り直す。その間もむさ苦しい男の罵声と怒声、必死で逃げる群衆、反対に野次馬に向かう馬鹿ども…そんな奴らの交差する場所に俺は居るのだった。椅子に座って状況を把握すると、騒ぎの大元となっている場所は意外な程近かった。 「金を持って来い!馬もだ!」  覆面をした男は人質にうら若き女性…でもないな、あれおばちゃんだな。とにかく人質に刃物を突きつけながら、喚いていた。男が他に数名。一人は銃を携えている。要求はお金に逃走用の馬…この月で何度目だ一体。いっそ政治的要求でも出せば良いのに、そしたら俺が楽できる。そうは思いながらも様子を見ていた俺は、機敏にも出動してきた警察の側まで行った。移動する間に、もう一発銃声が轟いた。 「警察は何やってんだよ」  そんな不満の声が、男と人質を遠巻きに取り囲む群集の中からちらほら聞こえる。多分俺を警察に含んでいて、聞こえよがしの嫌味を言ってるつもりなのだろう。 「そうだそうだ、警察仕事しろ!」  俺は何食わぬ顔で野次り、便乗してみた。実際俺は警察ではない。治安を維持する立場ではあるが…そんな俺の肩をとんとんと叩くヤツが一人。振り向くと中年の男が一人居た。 「ウル、御機嫌よう〜」 「誰かと思えば。スイヤーじゃないですか?」  肩を叩いてきた男はスイヤー、俺の上司に当たる。銀色の髪を後ろに全部撫で付けて銀色の目は開いているのか解らないくらい細い。口にはいつも何か棒のような物をを咥えている。今日は焼き鳥の串のようだ。そして…俺の嫌いな男の一人だ。 「ウル、お前さんも非番なのに仕事熱心だね〜」 「仕事なんかしてませんよ、そこで飯食ってただけですから」  やや不機嫌な声で俺は答える。 「冗談だよ、それで〜?状況は〜?」 「中年女性一名が人質。立て篭り犯は確認しただけで四人。要求は金と馬を人数分」  スイヤーは表情を変える様子も無い。この手の事件に慣れているからだ。 「金はともかく馬はあげられないね〜警察の動きは〜?」 「…お金もダメでしょうに。包囲は完了してますが、上は人質を優先せよ、現場は強行突入すべし、と綱引きの真っ最中のようで」  どちらも譲らず、解決にはまだまだ時間がかかりそうだということも伝える。 「あららら。悠長だね〜」  悠長なのはあんたの口調だ。この口調も俺は嫌いだ。 「んで?ウル、お前さんならどうする?」 「そりゃ俺達の立場なら何しようが、規定が無い以上自由ですけどね、実際やるのは警察ですよ、権限が無いのに立案しても…」  ムダになる。そう俺は言いかけたが、スイヤーは違った。 「あーそう?俺ならこうするね〜」 ボソボソとスイヤーは俺に耳打ちをする。思わず俺は顔をしかめた。 「胸の内にしまっておくことを勧めます…それは極道の発想です」 「そう?一番早いのはこれなんだけど?」  確かに早いけどね…相変わらず飄々とするスイヤーに何か言い返そうと思った俺だが、聞き覚えのある声がデカい声で俺達に声をかけてきたので、そちらに振り向いた。 「スイヤー殿!」  こいつはバーバル。口が俺から見て左に曲がっているわ、顔色がやや赤ら顔だわ、止めに下手な犯罪者より眼つきが悪いわで、およそそうは見えないが、警官だ。バーバルは開口一番に、スイヤーへ切り出す。 「ご助力願えませんか?」 「えー?雁首だけ馬鹿みたいに揃えたって意味ないでしょうよ。包囲は完璧じゃないか」  数は揃っているのに攻めあぐねるだけか、と暗に警察を皮肉っているようにも聞こえる。スイヤーのお世辞に、心にも無いことを…と俺は思ってしまった。 「お褒め戴いて恐縮ですが、膠着状態に陥っているのは事実で、知恵を拝借致したく…」 「ん?ウチに借り作っちゃっていいの?」 「致し方ありません、報告では既に街の東で便乗犯らしき者が出始めているとのことで」  ここだけにかかずらわっては居られない。そういう事らしい。 「早く片付けたいってのね…ああそう、んじゃやるか〜そのかわり後で文句とか無しね〜。バーバル君、立てこもり犯の家族の住居どこだか割り出した〜?」 「一人だけなら」  俺は嫌な予感がした。まさかスイヤー…さっきの話を… 「そ、じゃ行ってくるわ」  俺はこの場を離れるスイヤーを見送って、さてどうするかと考えようとしたら、険悪な視線に気づいた。スイヤーと話が終わったバーバルがこっちを睨んでいる。こいつと俺は仲が悪い。と言うより一方的にこいつが俺を嫌っていて、俺の方はどうでもいいのだが。 「おい外務二課ァ!」  俺の勤務先を呼ぶ不快な声に、こちらも不快な声で返す。 「なんだババ」  俺はこの男の事を略してババと呼んでいる。すると反応は必ずこうなる。 「ババじゃねえ、バーバルだ!てめえ非番だろ、さっさと失せろ!」  例外なく自分の名を訂正し、ムキになるのだ。面白いくらいに。 「言われなくっても失せてやるよ、お前のせいで食った飯が発酵しそうだ」 「そのまま腐っちまえ」 「そっちこそ脳みそが腐ってんだろ、あ、ゴメン。もう腐り切って無くなったのか」 「何だと…?」  口だけの喧嘩に収まらなくなる寸前、人の輪から一人の男がこちらに出て来た。 「そこまでにしろ、バーバル。…済まないな、ウチの部下が粗相をしたようで」 「ヤノーシュ殿!俺は粗相など…」  どうもバーバルの上司らしい。バーバルはヤノーシュと呼んでいる。四十絡みで、スイヤーと同じくらいの年代だろうか。髪は五分に刈り込み、眼は緑色をしていて細い。 「いいからあっちに行ってろ。これは命令だ」 「ク…了解しました」  バーバルは渋々ながら引き下がり、人の輪の中に消える。仕事に戻ったのだろう。 「申し訳ありません、お忙しい中」 「こちらも部下が失礼を。うむ、それでは」  俺も折角の仲裁者の顔を潰さないよう、形だけ謝っておく。その後ヤノーシュも仕事に戻っていった。  建設的でない悪口の応酬をヤノーシュに収められた後、俺は野次馬だらけの場所から離れて屋台の一つに戻り、水を飲む。屋台の親父が話しかけてくる。 「ご注文は?」 「暖かい物なら何でも…あ、あんまり熱くし過ぎるな」  しばらく野次馬どもを見守ること暫し、動きがあったのは俺が注文した、体に悪そうな赤と青の色をした麺が八割型無くなった頃だ。ザワザワ五月蝿いだけの野次馬が、一瞬言葉を失ったかのように静かになったのだ。野次馬どもの動揺がはっきりとわかる。 「ゆ、指?」 「あれ、どう見ても人間の指にしか見えないが…」 「誰のだよ?誰の指だよ?」  俺は眉間を抑えた。スイヤーめ、本当にやったのか…俺には何があったか大体想像がついている。指で済ませたのはまだマシかも、ひょっとすると俺の反応を見て譲歩したのだろうか…と思った自分が嫌だ。 「ごちそうさま」  俺は店主に器を渡して野次馬の輪に再び戻る。銀髪頭を目標に、野次馬を掻き分けて進むとスイヤーが居た。その横には手に包帯を巻いた初老の女性だ。包帯は赤く染まって痛々しい…俺は誰に言うでもなく独りごちた。 「極道…」  スイヤーは、立て篭もり犯に向かって何かを言っている。その後、横の女性をヤノーシュ指揮下の警察の兵に預け、俺の居るこっちへと歩いてきた。俺は慌ててスイヤーを呼び止めた。 「スイヤー、ちょっと」 「ん?おおウル、どした〜」  歩きながら俺は、強い口調でスイヤーに問う。 「『どした〜』じゃありませんよ、本当にやったんですか?」 「やったよ〜?」 「………」  言葉が出なかった。長い付き合いで、この男が無茶な手を使うのには慣れてるつもりだったが、まだまだ認識が甘かったらしい…それでも俺は、声を振り絞って返事をする。 「…普通はやらないんですよ」  さっきスイヤーが話した一番早くこの騒ぎを収める方法とは、あの立て篭り犯の家族を逆に人質に取り、腕の一本も落として脅しに使え、という事だった。脅迫に脅迫で返す。普通そういうことは思いつかないし、思いついても実行しないのだが、些かも躊躇わないのがこの男、スイヤーなのだった。 「ウル、その程度でひかないの〜、ホントに俺があんなことやる訳ないだろ〜?」  自分の胸に聞けと言いたい。付き合いが長いからこそ、貴方が平気でやるのをよく知っているんだ。こないだも人質も褒められた奴じゃないとは言え、まるごと殺しているだろう…と言いたいのを堪えてまだ聞くことにする。 「じゃ、あの指は?」  スイヤーの逆脅迫は功を奏したか、立て籠り犯の顔は目に見えて青冷めている。その後、他の仲間と言い合いになっている様子…狙い通りの仲間割れは近そうだ。 「適当な受刑者のを貰ってきたんだ〜」  結局指一本落としてるんじゃないか!だが、一般市民を傷つけた訳ではないのか… 「…じゃ、包帯巻いていたあの女性は?」 「あれは本物の立て籠り犯の家族。包帯は演技。赤く塗っただけ。お解りか〜?」  なんとも手の込んだ真似を… 「それでも酷いと思います」  受刑者、捕虜、犯罪者。そいつらに何を言う権利も無い。しかし、もし自分が同じ目に遭うかもと想像したら、誰でもやられるのは嫌だろう。 「指の代わりに刑期半分にしてやりゃいいんだよ〜臨機応変ていうだろ〜?」 「スイヤーにそんな権限ありましたっけ…また空手形ですか」 「納得してたけど?」  嘘だ。無理やりねじ伏せるようにしたに決まってる。内心でそう思う俺の顔に不信と不満が出てしまったらしく、スイヤーが言う。 「そんな顔しなさんなって。あ、それと人手が足りないらしいから、応援に出といて」 「…俺、休暇中なんですけど」  俺の出る幕は無いと踏んでいたのだが。まして俺の担当する職務でもない。 「もしかすると、死人が出るかもなあ〜犠牲者いっぱい出るかもなあ〜」  そりゃ出るだろ、死人の一人や二人は。修羅場なんだ。 「知りませんよ。本当に心配ならスイヤーでも誰でも、非番じゃない人で充分対応できるでしょ」  どう見ても暇してるスイヤー、あんたがやれよ…と強く思うのだが、流石にオブラートに包んだ言い方をした。 「皆、別件にかかりっきりだ〜」 「だとしても。後は警察で充分でしょ」 「ふ〜ん、じゃあ仕方ないな、ソルズ卿も落胆なさるな〜」  ソルズ卿という言葉に俺は思わず聞き返す。 「…今何て?」 何故、俺の一番苦手な女性の名が出てきた…? 「いやね、ソルズ卿がここ暫くダイクーンに滞在してるじゃない?卿の耳にウルが警察嫌いだからって、助力を拒んだって噂が入ったら〜」 「汚ねえぞスイヤー!」  敬語を使うのも忘れて俺は激昂する。義姉上に喋るつもりか!何の迷いもなく俺の弱みに漬け込んで来るとは…本当にこの男、嫌いだ。 「ならさっさと行った行った〜。まあ、代休の申請は通してやるからさ〜」 「後で覚えとけよ…」  最早上司と部下の関係とは思えない殺伐とした会話だ。スイヤーをどうするかはとりあえず置いて、命令通り俺は突入準備をしている警官の部隊の輪に割り込んだ。早速バーバルに見つかり、咎められる。 「外務二課はお呼びじゃねえぞ!すっこんでろ!」 「うるせえぇ!うちの上司に無理やりねじ込まれたんだ!文句ならそっちに言え!」  俺は足元の砂を蹴り、バーバルに掛ける。イラつきを隠そうともしない俺の怒気にバーバルはたじろいだが、すぐに言い返してきた。 「本当だろうな、足引っ張ったら承知しねえぞ!」  このバーバル、スイヤーの言うことは素直に聞く。スイヤーより階級が下だからだ。それ以外にもスイヤーを個人的に尊敬しているからと言う理由もある。あんな外道の何処を見て尊敬してるんだか…奴の本性を小一時間掛けて説明してやりたいくらいだ。 「ケツについてきゃいいんだろ、それとも俺を一番前に出すつもりか?」 「黙って俺達の仕事ぶりを、指咥えて見てるがいいや」 「はいはい」  口喧嘩の終わった後で間もなく、突入命令が下った…緊張した気配だ。さっき会ったばかりのヤノーシュも居る。 「突入―ッ!」  ヤノーシュの号令と共に、扉は破壊される。警察が我先にと建物の中へ雪崩れ込む。俺は全員が入るのを見届けてから、悠々と一番後を付いていき、半壊した扉を跨いで中へと入る。先行した部隊はもう奥へ奥へと進んで立て籠り犯と戦っているのだろう、罵声、蛮声、怒声…その他男の野太い声が交錯している。敵は数人。対する味方は数十人、おまけに敵は動揺してる。勝ったも同然だろう。果たして俺の居る意味があるだろうか?スイヤーの考えてる事がさっぱり判らない…その時、奥からはっきりとした声がした。 「てめえら!よくも家族を巻き込みやがって!」  家族?気になって俺も声のする方へと向かった。そこには一人の立て籠り犯の男が、未だ抵抗を続けていた。壁を背にし、周りは警察の兵だらけ。おまけにその男以外の立て籠り犯は、もうとっくに倒されている。最後の一人という訳だ。そんな男に対し、警察の兵は殺気立っている。 「無駄な抵抗は辞めて、武器を捨てろ!さもなくば」  お前も殺す。最後まで言い切るまでもなく、そういうことだ。警察としては事件の事情を聞くためにも、一人は生かして捕まえたいはず。だが、精々努力目標だろう。 「せぇ!てめえらこそどっかに行け!」 「この数に勝てると思うのか!観念しろ」 「…へっ」 男は剣を一度降ろしたが、又すぐに上げた。 「どっちみち俺ぁ消されるんだろ?なら!」  男はこちらに斬りかかってきた!が、衆寡敵せず。兵に無数の傷を負わされ、息も絶え絶えになる。男はそれでも諦めず、剣を振り回していたが、とうとう力尽き、板間に倒れた。血の染みが男の体を中心にじわりと広がり続けている。 「どうか」  ヤノーシュが部下の兵に促す。息があるかどうかを確かめよ、という意味だ。 「確認します」  兵が近寄り、髪を掴んで男の顔を起こす。男の瞳は反応を示さず、動かない。 「完全に死んでいます」 「よし、任務完了だな。死体は教会が…」  場の緊張が緩み、兵達が武器を仕舞う。遠間から見ているだけだった俺の入る隙間、そして入っても許される雰囲気だ。今死んだばかりの男に近寄りしゃがむ。家族を巻き込んだ事に怒っていたな…スイヤーがやった芝居に付き合わされたあの女性の家族なのか? 「消されるとかも言ってたな…何のことだ?」 「ああ?解るかそんなもん。犯人どもは全員くたばって誰に聞いても答えられねえよ!」  いつの間にか横に居たバーバルが聞いたわけでもないのに俺に応じる。いや、殺したのはお前らだろ。それを悪いと非難する気も無いが。 「そう、だな…?」  視線をバーバルの顔から死体に戻した俺は、違和感に気づく。男の体が心なしか俺に近づいたようなのだ。 「誰か、この死体に触ったか?」  俺の疑問に、周囲の兵は一様に首を横に振る。俺は死体に視線を戻す。気のせいか?俺はしゃがんだまま首だけしか動いていない。俺はある疑念の元、気にしすぎならそれでいいと思いつつ、そのまま死体を注視すると…男の体が大きくなったような錯覚に襲われた。が、これは!大きくなっているんじゃない! 「浮|いている《・ ・ ・ ・ ・》んだ!バーバル!ヤノーシュ殿!」  俺は焦った声で叫ぶ。 「何だ、邪魔するな!」  バーバルが鬱陶しそうに怒鳴る。こいつでは埒が明かない。ヤノーシュだ、ヤノーシュはどこだ!俺は仕方なく既に離れたところで指示を出していたヤノーシュの所まで行く。 「ヤノーシュ殿!今すぐ総員下がらせるんだ!」 「今、順次下げている最中ですが?」  ヤノーシュは落ち着いている。 「すぐに、だ!死体の確認も中断だ、後に回せ!」  敬語を使うのも忘れて俺は必死に主張する。早く下がらせないと!そう思いながらも俺は死体から目を離していなかった。異変が起こるのが解っていたからだ。そして異変は起こった。男の死体が浮き上がっていたかと思えば、突然紫の光に包まれたからだ。 「な、なんだこりゃ?」  兵たちのどよめきが聞こえる…まずい。紫の光だって?もう確実だ! 「始まっちまった…」  俺の呻きを無視するように、男の死体は紫の光に包まれながら徐々に変形していった。無数の傷は塞がり、血は止まり、力の抜けていた肉体に精気が再び宿る…死んだことなどまるで無かったかのように。俺は剣を抜いた。 「ウルてめえ、ありゃあ何だ!」  動転した様子のバーバルが俺の胸ぐらを掴み、異変を質す。 「バケモノだ」  男の死体は、復活したのだ。  男は浮くのをやめ、地に足をつけた。外見は人間そのものだが、相変わらず紫の光が薄く体全体を包んでいる。そして挙動がおかしい。何気なく男は自分の右手を見て、掌を二、三度開いたり閉じたりした。が、次の瞬間、男の右腕が膨れ上がった。近くには兵が三人…俺は反射的に叫ぶ。 「そこの三人、ヤツから離れろぉーっ!」  遅かった。男の膨れ上がった右腕は、一番近い兵の腹部を貫き、そしてそのまま歩を進めて、二人目、三人目の腹も次々に貫いた。あまりの事に、貫かれた兵、周りで見ている兵、ヤノーシュ、そしてバーバル全員は一瞬時が止まったかのようだ。哀れな兵は自分の腹を見た直後、口から血を吐き出した。そのまま首の力を無くす…腕は引き抜かれ、兵は捨てられる。そして男は新たな獲物を狙う。 「キッサマァ!」  誰かの怒声を切っ掛けに、時間が動き出した。攻撃する者、怯える者、虚勢を張る者、早くも逃げ出す者。兵達は軽く恐慌状態に陥っている。 「怯むな!敵は一人だ!」  逃げ出す者の数が圧倒的に多い。バーバルも逃げ腰だが、その中でただ一人ヤノーシュだけは必死に逃げ出そうとする兵を呼び止めていた。だが如何せん、浮き足立つ空気の中では、兵も有効な攻撃を与えられない。否、攻撃を与える前に死を与えられていた。どの兵も警察犬も、果ては非常用伝達の鳩までもが、いともあっさりと胴体に穴を開けられ、血の海に沈んでゆく…生物なら見境無しの無差別殺戮だ。 「クソ野郎!」   死傷者だけが増える中を、俺は男へ猛然と躍りかかる。男の右腕はさっきまでと同じように、俺の腹部を目がけて繰り出される。俺は、それがわかっていた《・・・・・・》ので、わざわざ腹の真ん中に剣を水平に構えてただ棒立ちになる。目論見通りに剣は男の右腕と正面からぶつかり、血肉を貫き斬り裂いていった。だが男は攻撃を喰らっても怯まない。ひたすらに俺の命を奪うべく腕を伸ばし歩を進めようとするばかりだ。肉が斬る手応え、そして腱や神経、骨、血。全てを斬りながら男の体を剣は進む。俺が力を込める必要はまるで無かった。勝手に男が自分の腕を省みる事無く腕を突き出し続けている。 「ぶち込むぜ!アラメーザズ・ヘル!」  吐息と同時に剣は腕から男の心臓にまで達した。俺は手首を返し、両手で刃を突き立てる。肉と血にめり込む刃の手応えを感じ、一気に引き抜いた。引き抜いた拍子に滴り落ちた血は、墨のように真っ黒だった。そもそも、これは血なのだろうか?俺の考えをよそに男はピクリと最後に動いたかと思うと、断末魔の悲鳴を上げた。まるで谷底から吹く風鳴りのような不気味な響きで。 「ロオオオオオオオオオォォォォ…」 「還んな、あの世へ…」  後に残ったのは、粉だった。男の肉も骨もそして血も、全てが灰色の粉へと変わっていた。混乱の極みだった雰囲気も、落ち着いたようだ… 「…ところでヤノーシュ殿?」 「あ、ああ何でしょう」  額の汗を手で拭うヤノーシュは、比較的冷静だった。 「この灰は、我が外務二課で処理致します。我々の任務ですので」 「了解しました」  ヤノーシュの返事も待たずに、俺は足元に散らばった灰を集めるのだった。集めながら、ふと気になった事をヤノーシュに尋ねてみた。 「それにしても、ガ…バケモノに対しても動じない胆力、感服です」 「この手の経験が、初めてでは有りませんのでな。ガイムでありましょう?」 「成程…遭遇経験者でしたか。理解が早くて助かります」  ヤノーシュとの会話の間にも俺は灰を掻き集める。この粉は、二課に戻して処理を行う事になる。中断された休暇に未練を残しつつ、俺は黙々と粉を袋に詰めるのだった。  灰を集めて屋外に出ると、スイヤーが待っていた。 「ご苦労ご苦労、上手くやったか〜」 「知ってましたよね?」 「ん〜?何を〜?」  とぼけてくれる。 「外務二課の任務になることを、です!」  あれ《・・》が出た事で、完全に我々がやらねばならない任務に切り替わった。おかげで後始末も含めて休暇は完全に返上だ。 「偶然偶然〜俺は千里眼じゃないからさ〜」  大した必要も無さそうな応援に送り込んだ。そうしたら偶然、俺が役に立ったとでも言うつもりなのだろうか?スイヤーは煙草に火を点けて吸い始めている… 「いいですけどね。しかし、初めから言ってくれればもう少し犠牲が減ったはずですが?」 「民間人じゃなかろ〜?兵なら覚悟を決めてるはずさ〜」 「…」  スイヤーにとっては、兵士は使い捨て扱いの命なのだろうか。とすると、部下である俺も使い捨てなのだろうか?俺もいつかは使い果たされて、磨り減って、無くなるのか…? 「それに、誰がガイムになるかまでは流石の俺でも解らんよ〜」  ガイムとは、さっき俺が倒した『バケモノ』の事だ。人間が死んだ後、極稀にあのように復活することがある。俺とスイヤー、他五名が所属する外務二課の任務は、そいつらを処理することだ。それにしても…無意味な謙遜はやめろ。 「やっぱり知ってたんじゃないですか。とにかくこれで任務完了ですね」  俺は溜息をつく。結局、スイヤーのやったことは受刑者の指を持ってきて投げただけか。しかも偽物だ。だが、それで上手いこと騒ぎが収まったのなら良しとすべきなのだろうか。付き合いが長くとも、未だにこういうスイヤーのやり方に戸惑うのは慣れない。 「で、ウル。ついでに溜まってる書類も片付けて貰えんかな〜」 「嫌です」  調子に乗るな。もう付き合いたくない。 「え〜、この通りだからさ〜」  恥ずかしげもなくスイヤーが地面に手をついて俺に頭を下げる。いい大人がまあ… 「土下座されても嫌なものは嫌です。断固拒否します。これ以上何か聞く気は有りません。それでは!」  俺は走ってその場を離れた。土下座もこの男の常套手段である事を知っているから。他人の目が恥ずかしい、などと思ったらあのオッサンの思う壺だ。 「給料分は働いてる!」  スイヤー=l=バシュタル。俺の上司で、恩人で、その上で…仇だ。この男は極道な手も使うが、それは公務だからこその事で、私利私欲から来ているわけでは無い事くらいは承知している。もし私腹を肥やす為にやっていたら、とっくの昔に俺達七人は造反しているだろう。と思ったが、取る手段に多少趣味が入っている気はする。これは私欲と言え無くもない…早い話が、俺はスイヤーが好きになれないのだ。 2 護送任務  寒い。こないだの立て籠もり事件の日よりも更に寒い、寒い!そんな陽気の中で、俺は大通りの物陰で震えながらひたすら出番を待っていた。手を擦り合わせて気休め程度の暖を取る。息こそ白くならないものの、やっぱり寒い。陽射しがあっても温度は上がらない環境…これがこの季節の平常なのだといえばそうなのだが。 「いくら寒いったってそこまでするかよ?小さくなっちゃってまあ…」  横に居た大柄な体格の相棒、エドが言う。 「エド、お前と違って俺はデリケートなの!」  暦上は春だろうと、異常に冷え込む日はある。なのにこいつときたら。 「大体その格好で張り込むか普通…半袖はまあよしとして、何だその下の丈は」  こいつはエドアルド、通称エドだ。二センチ程に短く刈り込んだ髪に、赤色のやや細い瞳。潰れて低い鼻に大きな口。顎だけに生えている無精髭。そこまではいいが、この寒い天気に衣服が半袖半裾だ。しかも、わざわざ切ってこうしている。膝から下の毛脛が露出していて、正直見苦しい。おまけに堂々たる体格、俺より優に頭ひとつ分は大きいせいで、異常に目立つ。 「怪しく無くていいだろよ?」 「怪しい!どういうセンスしてんだ!季節感を無視すんな!」  俺の非難にも、まるで動じる様子の無いエド。 「人と違うことをするのがセンスの魅せどころなんだぜ?…お、ウサギが来たよ」  まだ文句を言い足りないのだが、仕事だ。物陰から首を出すと、男がこちらへ向かい一目散に走ってくる光景が目に飛び込んだ。エドが言うところの『ウサギ』だ。その後ろには、追手が三人。待てとも言わず、無言で追いかけるだけだ。俺達の居る方へと… 「エド、右からだ」 「あいよ」  俺達二人は身を踊らせ、走り来る男の進路に立つ。 「そこをどけ!」  俺達に気づいた男は、喚きながらも更に速度を上げる。俺は避けるフリをしつつ、片足を伸ばしてしゃがみ込んだ。伸ばした足は不注意な男の脛に当たる。 「!」  男は俺の足に払われ、地面に叩きつけられかける…寸前でエドに抱えられた。 「ほい、兎狩り終わりよ」 「放せ!」  男はエドの腕の中で藻掻くが、何せ剛力が自慢なのがこのエド。どんなに力を込めようとも、手足を空中でバタバタさせるだけだった。仕事は終わりだ。その場で少しばかり人を待つ間、通りの真ん中で男の相手をする。 「だからさ、放すも何も、あと二ヶ月も大人しくしてれば釈放なんだぞ?なんで脱獄なんてするかなあ…ロンザ君よ」  俺が男…とは言ってもかなり中性的な感じのする少年―ロンザに優しく語りかけるものの、ロンザは興奮しているようだ。 「うるさい!」  ロンザは取り付く島もない。長めの黒髪に半分隠れた黒い瞳には敵意が漲っている。 「ウル。そいつの事情なんか関係ねえよ」  腕の中でロンザを赤子でもあやすかのように扱うエド。 「そうだな。ついでに言うならば、対象の生死も関係問わないとも言われてる」  俺はロンザの反応を見た。一瞬、大人しくなる兆候を見せたかと思ったが、再び暴れようとしだす。脅しは効かないか。 「ロンザとやら、ちょっと落ち着け…」  俺がそう言い掛けた途端、顎に衝撃が加わる。思わず俺は顎を押えた。 「放せ、放せェ!」  エドの腕の中で暴れていた、ロンザの足が俺の顎にまともに入ったのだ。 「…痛ってぇ。おいエド、ちょっとそのバカ放してやれ。少し物を教えてやる!」  痛みで涙が出そうだ。一発は殴り返さないと気が済まない。殴ろうと一歩踏み出した俺だったが、その気持ちを無視してエドは言う。 「やめとけやめとけ。ウルお前、喧嘩弱いんだからよ」  俺の顔を見てエドは、尚暴れるロンザの脳天に、手刀で一撃を喰らわせてこう続けた。 「代わりに俺が殴っといてやる。これでいいだろ?」  殴られたロンザは一時的に大人しくなった。まだなんとなく納得行かないが、俺は矛を収めて、ロンザに最後通告をした。 「これ以上手間取らせるなら…牛に引かせるぞ」  牛引き。処刑の一種で要するに殺すということだ。ようやくロンザは服従の意図を示したようだ。そんなロンザをエドは思い切り持ち上げ…持ち上げついでに宙に舞わせる。 「聞き分けが良い子は好きだぜ?」 「おい、やめろ!」  宙に二度、三度とエドの手で舞い上げられるロンザ。慌てている。 「エド、遊ぶな」  俺はエドを嗜めているうちに、追手の三人の兵も到着し、会話に混ざってきた。 「おう、網役ご苦労」  兵が俺達に労いの言葉を掛ける。 「犬役ご苦労さん、後は警察によろしく」 「お前ら警察じゃないのか?」  ロンザが意外そうに言う。 「あー違う違う。俺達は警察じゃない」  犬役は警察に常駐している兵士でも、俺達は違うのだ。 「警察じゃなきゃ、何だよお前ら?」  いつも勘違いされるので、この質問が来るたびうんざりする。というか、この仕事自体に嫌気が差して来た…主に腹の立つ上司のせいで。 「…俺達は外務処理保安二課だ。覚えとけ」  『外務処理保安隊』そう彫られた石版の後ろにそびえる二階建ての建物。それが俺の働く場所だ。漆喰の白い壁には蔦が絡まっており、外見のオンボロさから公的施設と思われない事もしばしばだ。うちは、一応隊の中の課ということになっている。だが、一課は既に有名無実化しているので、『二課』で馴染んでいる。これから報告の為に会う課長の他にも、課長の上に位置する隊長が居るのだが… 「ただいま戻りましたー」  押すと妙な軋みを上げて元に戻る簡易な浅葱色の扉をくぐり、我々はボスのところへ報告に戻った。書類の山に埋もれているスイヤーが片手を上げて挨拶をしてくれる。そしてそれとは別の若い男が、こちらに不平の声をあげる。 「聞いてくださいよ先輩、ドブさらいに駆り出されたのに、あの婆さん、『あらごめんなさい、うちにあったわ』とか言って…とんだ無駄足でしたよ!」 「災難だったな」  良くある話なので、適当に相手をした。というか俺達の仕事は大半がそんなしょうもない仕事ばかりで埋められる。今日の仕事はましな方だ。そのまま奥の部屋へと向かい、扉をノックして中に入る。 「おう、ごくろうさん。早速で悪いが、ロンザはダイクーンではなく、アルターナへと移送される事になった、お前達にも手伝うよう指令が来てるな」  まずは労って、ついでに仕事の指示もくれたのは、ここで最高責任者の課長だ。 「休む間も無しですね」  半ば抗議の気持ちを込めて、課長に俺は言ってみた。 「ま、しょうがねえよ」  エドが俺に答える。諦めろということか… 「そうそう。じゃ、警察とは仲良くな」  課長が軽く言うが、無理だろう。外務二課と警察の関係は、建前上は協力関係にあるのだが、向こうが嫌っている。 「俺の分も頑張ってな〜」  スイヤーがこちらに声を掛けるが、間髪入れずに何処かから怒声が響いた。「真面目に内勤してろ!」とか何とか。そんな喧騒を後にしつつ、課長の指示で俺とエド、それともう一人がアルターナへの囚人護送に駆り出される事になった。それまでの間、僅かの時間ではあるが待機だ。待機の間、窓の外をしばらく眺めることにした。十歳くらいの子供が四、五人いる。一人がどうも虐められているらしい。時々、『これ食えよ』だの『てめえムカつくんだよ』だの『罪人の子供の癖に』だのと聞こえてくる。初めはどうこうする気は無かったのだが、そのうち虐めがエスカレートして来た。囲んで一人を暴行しはじめたのだ。終いには『やり過ぎじゃないか』『構わねえ、死んでも』という言葉が聞こえてきたので、俺は近くの引き出しから一個の赤い球状の物を取り出した。導火線を窓の縁に思い切り擦りつけて二秒置き、それから窓の外に軽く投げた。耳をつんざく炸裂音がして、空気が揺れる。近隣の住民も何事かとばかりに空を仰ぐ。 「…湿気ってるな」  炸裂弾…といっても音響弾に近い。よく乾燥させると、より大きい音で耳をつんざき、平衡を奪う威力を発揮する。窓の外を再び見下ろすと、子供たちは一人虐めをうけていたヤツを残して居なくなっていた。子供は一応息はしているみたいなので、それ以上の興味を持つのはやめた。 「…死んじゃダメだ」  誰に言うでもなく呟き、俺は窓を閉めた。 「また地味な仕事だ」 「そんなことはありません。立派な仕事です」  俺の発言を嗜めるように若い男が言った。それをエドが受ける。 「立派かどうか知らんけど、まあ仕事だよ」 「ウルさん、エドさん。例え地味でも、真剣に取り組んでください…」  俺達はここダイクーン警察までの道を行きながら、話をしていた。やたら堅い意見なのがもう一人、さっき俺に愚痴をこぼした若い男、リュネッサ。通称リュネだ。やや癖のある長めの髪は、額にかかっており、傷を隠している。顔立ちは少し釣り上がり気味の眼に、瞳の色は青、顎は細い。そして背丈は俺より僅かに小さい程度だ。 「リュネ。大体、俺達居ても警察の奴らに白い目で見られるだけじゃん。気まずい空気の中でひたすら何もないのを確認し続けりゃそれで終わり、地味だろ?」 「仕事は仕事です。地味とか派手とか、関係なくこなすのが我々の本分です」  正論だ。リュネの長所であり短所でもあると言うか… 「堅いね…」 「普通です」  そんなことを話しながら、歩く俺達三人。とは言え歩いて警察の場所まで、目と鼻の先の距離だ。瞬く間に着いた。警察の建物の前には既に、護送用の檻つき幌馬車が二台用意されていた。一目見ただけでは判らないよう、普通の幌馬車と変わらないよう偽装されている。手際の良いことで。警察の入り口に差し掛かったエドが衛士の横を通り過ぎようとしたところ、槍が二本交差するようにして、行く手を阻んだ。 「止まれ!何者だ!」 「おいおい、いつも素通しだろう」  俺が抗議すると、顔見知りの衛士はこう答えた。 「わかっているが、一応名乗れ。こちらも仕事なのだ」 「はいはい。外務二課のウリアン」 「同じく、エドだよ」 「外務処理保安二課、リュネッサ=ゾルダーノだ」 「よし、行って良いぞ!」  やれやれお役目ご苦労さん、という感じだ。警察の中はいつもと同じで、人がごった返していた。民間人や公人、旅でこの街に初めて来たような風体の異国人もいる。これら全員に誰何しているとしたら、大変な手間だ。やはりご苦労な事だと思う。 「なあリュネ、もしかして人が変わったのかね?」 「つい一週間前に変わりました。王都から派遣された人が現在の長です、名前は…」  こういう細かい警察の情報はリュネに聞くに限る。 「ああいいよ、名前までは。俺達に関係無い人だろ」 「無くは無いです。好意的かどうかで、我々の仕事がやりやすく変わるかもしれませんし」  警察の上が俺達にそこまで好意的になる理由が無いので、多分無いだろう。また、仮に上が好意的だとしても、下は…俺達を煙たがる連中が多い。 「かもよ」  エドが頷く。だといいのだが。とは言え、上の人事の影響でさっきのような杓子定規な対応に変わったのだとしたら。あまり俺達に好意的になるとは思えなかったりする。普通は…と、そこまで考えたところで、階段の上から声がした。鬱陶しいのが来た。 「何でも屋の外務二課!」  案の定バーバルだ。多分今、俺は虫を見る時の目になっている。心の中で溜息を一つつき、何を言い返すかを決める。とりあえず警察のミスを詰ってみるか。 「おやおや、誰かと思えば大ヘマをやらかして囚人を逃がしたババさんじゃございませんか、何か御用ですか?」  この口が曲がったバカ、バーバルだが、何かと我々に絡んでくる。背は俺と同じくらいで、細身、顔色が赤みを帯びている。目はやや垂れ目、そして口が俺から見て右にやや歪んでいるのが特徴だ。我々と言ったが何故だか俺によく絡んでくる。正直鬱陶しいので最初は無視していたが、近頃は嫌味のひとつも言い返すようにしている。 「ババじゃねえ、バーバルだ!間違えるな!その逃げた囚人に四日もかけてるのはどこのどいつだ?とっとと捕まえろ能無しが!」 「残念。さっき捕まえたんだなこれが」  俺は返事し、バーバルは黙る。そのうち三日はお前らが情報流さないから聞き込みに回った時間だ、と言ってやろうかと思ったが、こいつとの口論を長引かせる気はない。 「くっ…御用も御用、お前んとこ向きの案件が来てるんだよ!受け取れ!」  バーバルは何かの紙の挟まった薄い板切れを、こちらに荒っぽく投げてよこした。俺達三人は板切れを拾って読む。どれどれ…尋ね人、家出少女、賞金百ロッソ?一ロッソ=金貨一枚に相当する。昼食の三食分が金貨一枚で賄えるので、破格の報酬だ。とは言え、外務二課も半分公僕なので、結局は無報酬になる。得るのは名誉だけ。他にも色々と細々した記載事項がある… 「解ったらさっさと帰れ帰れ!この半端野郎どもが!」  捨て台詞を投げつつバーバルはそのまま階段を降りて俺達の横を通り過ぎる。通り過ぎ様に、エドを下から舐め上げるように一瞬睨んで、リュネには一瞥もくれず踵を返して去っていった。 「久しぶりに会いましたよ、あの人」 「俺達ゃ毎日のように会ってるんだよ」  エドは、バーバルに睨まれた事を無かったかのように喋っている。 「あのバカは暇なのか?」  思わずこぼす俺。渡された案件はいずれやる事になるが、今は護送の応援任務中だ。俺は板切れで自分の肩を叩きつつ、二人に言ってみた。 「今渡されてもな…どうする?誰かこの仕事やりたい?」 「後にしましょう、そんなの」  俺の言葉に対しリュネが否定的だ。堅い意見が信条のリュネにしては意外な反応とも思えた。バーバルの態度に嫌気でもさしたのだろうか。それとも今の任務を全力で優先すべし…とそういう事だろうか。 「いや、一応掛かっとかねえと。又あいつみたいなのに嫌味言われるんじゃねえのかよ?」  一方エドは少しだけやる気を見せている。 「ああ、俺もリュネの言う通りにしたいけど…期限がついてる」 「いつまで?」  リュネの疑問に俺は短く答えた。 「明日」 「…エドさんか僕が行くしかないですね、ウルさん人探し下手ですし」  リュネめ、一言余計だ。 「うるさいよ」 「わーったわーったよ。エド様が行ってやらあ、ありがたく思えよ?」  口調と態度はふざけてるが、仕事には真面目な男。それがエドなのだった。 「ラクーン亭の夕食を酒付きお代わり自由で奢ろう。…リュネが」 「ウルさん、割り勘に決まってます。それと酒は抜きで願います」  リュネは下戸だから。そしてエドが俺達と別れ、人探しに向かう素振りを示した。 「ん、じゃあ行ってくんぜよ」 「気をつけろよ」  俺の声に反応したのか、エドは右手を握り拳にして軽く左肩を叩きながら去っていった。 「全く、何でも屋ったって程があるだろうに…」  俺達はバーバルの揶揄するような何でも屋では無いが、悲しい事にダイクーンの街の人間の認識はそうなっている。 「愚痴っても仕方ないです。それより来ましたよ、担当者」  リュネに促され、警察の護送担当がやってくるのにようやく気づく俺。男は髭をたくわえた、中年の男で、階級章は役職付きのようだ。見たことがある。髪は全て後ろに束ねており、そのせいか額は広く見える。瞳の色も緑、鼻は高い。やや長めの銀髪は、癖がついて後ろで跳ねている。ああ、あの時の。 「やあ、今回の警護を担当しますヤノーシュ=ディテックと申します、どうぞよろしく」 「ウリアンです、こちらこそよろしく」 「リュネッサです」  ヤノーシュ、この間の立て篭もり事件で会った男だ。俺は面識があるが通り一遍の挨拶に終始した。俺達と関わり合いになる警察の人間にしては、ずいぶん愛想が良く好意的だ。バーバル程の悪態をつかなくても、俺達にあまり良い感情を持ってない人間は警察内に多い。それはウチ、外務二課の成り立ちと職務の質―警察の手に余った仕事を片付ける―から仕方がない部分もあるのだが、それでも鬱陶しいのは変わらない。大多数の警官は、警察の限界を認めざるを得ない事に屈辱を感じている。また、以前の立て籠もり事件のように『外務二課のおかげで事件が解決した』となったとする。すると警察より外務二課の方が頼りになるということになり、プライドがあれば警官もウチに対抗意識のひとつも燃やすだろう…バーバルのように。そんなこんなで警察とウチは微妙な関係なのだった。 「それでは早速ですが出立します、もう準備は外で万端完了で…」 「そのようですね」  ヤノーシュと合流して、さっき入ってきた入り口に戻り、外の幌馬車に乗り込む。馬は労働用で別に人は乗らない筈なのだが、何故か鞍と鐙が二台ともついていた。急遽軍馬でも調達してきたのだろうか? 「小官の部下二名を檻の中で監視につけます、外務二課のお二人は前車に乗っていただき、警戒にあたるということでよろしいですか?」 「異議ありません」 「同じく」  リュネが少し嬉しそうな顔をしている。言われた通りに前の幌馬車に乗り込む俺達二人。 中は薄暗い。幌で覆われているから当然だ。外が見えるように採光窓はあるのだが。外の景色を楽しむような旅でもない。馬に鞭をくれ、嘶きと共に馬車が動き出す。動き出してからは特にすることもない、万が一の襲撃に備えた、ただの囮役でしかないのだから。自然、雑談をして時間をつぶす事になる。 「リュネ、嬉しそうだな?」 「ええ、僕達を厄介ごと押し付ける為だけの存在として見ない人は貴重ですから」 「確かに珍しいな、あのヤノーシュとかいう男」  いろいろな意味で。 「ああいう人がもっと増えて欲しいんですけどね…」 「増えたら、戻りたくなるか?」 「…さあ?」  前はこういうからかい方をしたら激怒したのが、このリュネッサという童顔の男なのだが。軽口にも慣れてきたようだ。怒らせた俺は謝り倒すしかなかったが、その一方で、あれだけ怒るのは未練の裏返しなのでは、と少しだけ思っている。 「お前がいなくなると寂しくなるな」 「勝手に決めつけるの止めて下さい」  馬車はガタゴトと揺れながら、アルターナまでの丘陵地帯を順調に進んでいった。 3 騒ぐ森    途中、休憩地点で休息をとることになった。馬に飼い葉と水をやり、人間にも食料と酒。酒といってもかなり薄めていて、酔わない。普通に汲むとまずい水の代わりだ。怪我した時の消毒にも使う。あとトルソーと呼ばれる保存用の粉の入った樽。塩もある。周囲にはまばらな林、少し離れたところに川が流れている。ここからは丘陵から森林地帯へと様変わりする。粗末な小屋で、ヤノーシュと話す。 「ヤノーシュ殿」 「何でしょう」 ヤノーシュは顔を洗っていた。顔を拭きながら俺を見やる。 「襲撃があるとしたら、ここからアルターナの間です」 「わかっております、貴君らも完全武装で待機されたし」  ここらは険しくは無いものの山間部で、山賊に盗賊、詐欺師等々が当たり前に跳梁跋扈している。そいつらが略奪目的で襲ってくる可能性なら大いにある。金目の物が欲しいのなら、俺達のような護送団なんぞよりも商団でも襲うのが理にかなっているはずだが、最近一部にそういう見境のないのが出てきたと注意を呼びかけられている。何でも、略奪目的ではなく、殺人が目的だとか。 「了解しました。リュネッサにもそう伝えておきます」 「そうして戴きたい…時に、あのロンザという男についてですが」  ヤノーシュの顔が少し厳しさを増していた。 「何か?」 「ダイクーン収容所から逃げ出した時、手引きをした者がいるとの噂だ。そのような者達がいるとしたら」 「又逃げ出すかもしれませんね」 「そうならぬよう、警備の厳しいアルターナに移送している訳でして。二度目は警察全体の威信に関わります、絶対にあってはならぬのです」  それはそうだ。でも、俺は警察の威信などというものに興味がない。 「警察は有能です、大丈夫ですよ」  なので、信じてもいない事を言って会話を終わらせた。我ながら不実だ。 「おーいリュネ、武器これ」  馬車の中に居たリュネッサへ、ヤノーシュの部下から受け取った武器を渡した。 「ボウガンと槍ですか」  ボウガン即ち弩は良いとして、槍はあまり使ったことがない。 「鎧は…ってもう着たのか。早いな」  リュネッサも大体の空気で察したか、既に自前の鎧を着用していた。胸、腹、首にかけて覆われる銅の胸当てだ。そんなに大したものでも無い。後は森林仕様に緑と茶に染めた…というより汚した頭巾を頭と口に巻くだけだ。 「弓の方が好きなんですけどね…ボウガンの試射してきます」 「行ってらっしゃい」  リュネは外へ出た。俺も槍と弩の点検を始めることにする。弩は一度に五発撃てる、連射性を重要視したやつだ。矢の装填も、一つずつでなく五つの矢をまとめて入れられるようになっている。最近は専ら銃が浸透して来たが、値段が高すぎて買えない。草むらに試射してみたが、まとめて撃つと命中精度が悪いようだ。確認を済ませると、俺は馬車の中に引き揚げた。馬車の中からは川の流れるのが見える…河原の石には丸いのと角張ったのが混じり合っている。下流に行く程に、石の丸みは増してゆくのだったな、などと俺は思い出していた。  休憩も終わり、再び馬車は動き出した。今度は後車に配置を変えての車旅だ。時々幌をまくり上げて外を見てはいるが、木々の緑と茶色、そして少し離れて前に居る馬車が同じような距離に居るだけだ。回りの風景も、見晴らしが悪くなり、森林独特の暗さと雑然とした感じの中、開かれた道を淡々と進む。しかし丘陵地帯の道とは異なり、ゴトゴト揺れて快適とは言い難い。道の舗装が甘くなっているからだ。尻に優しくない事この上無い。 俺とリュネの会話も段々無くなり、時々こう交わすのみになった。 「来るかな?」 「恐らく」  俺がリュネに襲撃の可能性を聞いて、リュネが来るであろう、と控えめに答えるだけの会話。別にリュネも特に根拠があって言ってる訳でもない。来るとしたらここしかないから油断しないで置こう、という意味合いが強い。馬車に肩肘つきながら、交代で窓から覗くだけの作業を延々と繰り返していると、退屈にもなってくる。そのうち、俺は来るんならさっさと来ればいい、と少々投げやり気味に思うようになった。退屈はリュネも同じか、少し変わった質問を俺にしてきた。 「ウルさんが賊なら、どうします?」 「そうだなあ…俺ならまず俺達と同じ服を手にいれるだろ、それから警察の使いと偽って紛れ込んで」 「紛れ込んで?」 「装備をパクってトンズラ」 「スイヤー主任みたいな事を言いますね…真面目にお願いします」  我ながら、不真面目な案だと思ってたらズバリ指摘されてしまった。わかったよ。 「真面目に?真面目にね…道に足止めを作って馬車を止める」 「足止めですか」  車を止めるのだから、車止めかな。 「馬車の車輪が取られるくらいの穴でも掘っとけばいい。で、止まった馬車に気付いて御者や護衛が降りた所を不意打ち。これかな」 「警戒して降りなかったらどうしますか?」 「お前も真面目過ぎるね。ロンザ奪還の線と仮定しての話だぜ?」  仮定の話でも、リュネはやけに細かい。まあそういう男なのだ。 「僕の考えでは…」  そこまでリュネが言いかけた所で、馬車が突然停まった。俺とリュネの体が一気に前へとつんのめり、二人とも車内を転がり体を軽く打った。俺とリュネはすぐに起き上がり、御者に質す。 「オヤジ!どうした!」 「すいやせん旦那ぁ!車輪がどうも何かに取られたみたいです!すぐに直しますよ…」  俺とリュネは顔を見合わせる。 「まさか…」 「来たかもな。衛兵!周囲を警戒しろ!絶対に前車から目を離すな!」  御者台に乗った客の振りをした衛兵ニ名に声をかける。我々が命令を出す立場だからだ。 「了解であります」 「了か…ウリアン殿!」  一人の衛兵が叫んだ。 「何だ!」 「木が!木が!」 「木がどうしたッ!もっと詳しく…」  言いながら俺とリュネは幌を捲り上げようとした。 「前方で、木が倒れます!」 「何!」  衛兵の言葉が終わるか終わらないかのタイミングで、地響きが鳴った。ズズズゥという音と共に伝わる振動は、幌を捲り上げていた俺達にもはっきりと響いた。 「ウルさん、道が!塞がれた!」  リュネの言う通り、道に何本もの大木が横倒しになり、車どころか人が通るのにも苦労しそうな状態だった。前の馬車も倒れた木に遮られて見えない。 「前車と分断されたか…ええいっ!リュネ、行くぞ!」 「はい!」  弩と盾を片手に、俺達二人は飛び出した。視界のやや先に、数本の大木が折り重なるようにして横たわっている。砂煙をもうもうと立ち上らせたまま。 「御者!予定通り馬を借りるぞ」  衛兵達が二頭の馬を車両から離し、乗り込もうとしている。引く為の馬なのに鞍と鐙がついていた理由はそれか。いざという時、軍馬へ転用可能にしていたのか。あれなら徒歩で駆け出した俺達よりも先に前車へ到達できるかもしれない。馬に乗れれば俺もそうしただろう。ここが森林地帯であまり速度が出せないとは言え徒歩よりずっと速い。案の定、俺達の横を擦り抜け、追い越していった衛兵は、今まさに倒れた大木の脇を回り込もううとした…ん?大木を倒したのは敵のはず。ということは、近くに敵が… 「待て、気をつけろ!」  遅かった。脇を回り込もうとした馬は見事に落とし穴に嵌められていた。馬の嘶きが、乗り手の面食らった声が森に響く。衛兵は二人とも落馬して地面に転がっている。馬は一頭はそのまま穴でもがき苦しみ、一頭は穴から脱出して何処かへ行ってしまった。 「賊め、準備が良いぞ」 「賊を褒めてる場合ですか!」  苦笑い混じりで呟いたら、リュネに突っ込まれた。 「それより…来るぞ!」  敵は、木の陰から姿を現した。まだ収まりきらない土埃の中に見える二つの影。手弓に矢をつがえ、こちらに狙いをつけている。 「リュネ、後ろにつけっ!」 「はい!」  猛然と突進する俺とリュネ、それに向かって矢を放つ敵二人。矢は真っ直ぐに俺の喉笛を狙ってきた。 「かかれーっ!」  叫ぶと同時に前に盾をかざし、矢を弾く。ビィンという二本の矢の衝撃は俺の足を止める。銅板二枚を重ねた盾だが、矢先が僅かに貫通している…リュネは俺の後ろから身を躍らせ、腰の剣を抜き放つ。慌てて再び弓を構えようとする敵の片方に迫り、斬りつけるが、斬撃はすんでのところでかわされる。尻餅をついた敵に追い打ちをかけるリュネに、無事なもう片方が矢を再び矢を放とうとする。 「この野郎!」  俺は盾を構えるのをやめ、弩で狙いも定めずに援護の射撃を撃ちまくる。何本かの一本が賊の足元に突き刺さり、僅かに怯ませる。それが功を奏したかはわからないが、リュネを狙った矢は大幅にずれ、近くの木を掠めて落ちた。 「ハッ!」  その間にリュネは斬りかかり、尻餅をついた敵の弓の弦を叩き斬る。直後、敵は形勢不利を悟ったか、森の中へ逃げ出した。 「逃げるのか!」 「構うなリュネ、ヤノーシュの援護が先だ」 「はい!」  大木で塞がれた視界からは、前車がどうなっているのか様子が掴めない。まして、まだ伏兵が潜んでいるかもわからない。そう思いつつ警戒しながら脇から回り込んだが、前車の様子は不気味に静かだった。こちらで戦闘が行われたというのに、まるであちらでは何事も無かったかのように。 「…」 「……」  剣と弩と盾。それらをいつでも構えられるように備え、擦り足で歩きながらゆっくりと前車に近づく俺達。その時、止まっていた馬車の中からガタンと物音がした。嫌な予感がした俺は咄嗟に走り出していた。 「ちょっとウルさん!」  俺は盾を捨てた。捨てながらリュネに後ろを固めるよう言い捨てる。 「後方を警戒してろ!」  馬車の真横に取り付いたが、もう物音はしない。ロンザもヤノーシュも見えない。護衛の兵士が俺達の馬車同様に二名居たがそれすら居ない。刻が経つほどに状況は悪化していくような気がして、俺は呼吸を整えた。吸って、吐いて、又吸って…それを三度繰り返し、心を決める。するとその時、知らぬ男の声が聞こえた。 「…邪魔をするか!」  馬車に乗り込む時に使う踏み板に力を込め、俺は一気に幌を捲り上げる。装填した弩を中に突き出すようにして構える。 「動くなっ!」  中は男が二人殺し合いの最中だった。他に、馬車内で倒れ伏している男がもう一人、見覚えがある…ヤノーシュか。ロンザの首を絞めている男は顔の下半分を仮面で覆っている。その手を死に物狂いで外そうとしているのはロンザだ。 「意外に早かった」  首を絞めている男は、冷たい目でこちらを一瞥し、そう呟いただけだった。俺よりも体格が一回りは大きい。 「ロンザを放せ!」 「…」  仮面の男は答えない。髪は金髪だが眼に掛かる程前髪が長く、顔の下半分は覆面の為ほとんど表情が読み取れない。武装は特に無く、剣すら腰にぶら下げていない。防具らしき物も身に纏っている風でも無い。 「放せって言ってんだ!」  俺が弩を、男に向けたまま数センチ近づけた瞬間、男の足が音も無く翻り弩を蹴り上げた。弩は俺の手を離れて外へ落ちる。俺の体勢が微妙に崩れた所へ、男が第二撃の足を繰り出す。俺はまともに蹴りを肩に食らい、馬車から叩き出された。砂利だらけの地面を這うように男との間隔を取り、体勢も立て直す。男も馬車内から降り立ち、少しずつ間合いを詰める。完全に俺を敵と認識している。 「ウルさん、今行きま…」  リュネの声が遠間から響くが、直後に別の方向から声がした。 「動くなよ。リュネとやら」  目前の敵から注意を逸らさず、声のする方角を横眼でチラと見ると、ロンザが賊に捕らわれていた。ロンザの顔色は悪く、喉を抑えて俯いている。 「動いたら…殺す」  リュネもこれでは動けない。そんなやりとりをまるで無視したかのように、男は俺に攻撃をかけてくる。まだ片膝立ちの俺に水平に足の裏を向け、それを俺が避けるともう片方の足が追い打ちだ。回し蹴りの連続攻撃を凌ぎ、ようやく剣を抜くだけの余裕ができたと思って手を剣にかけた途端、男は一気に間合いを詰めてきた。 「!」  俺の腹に男の拳がめり込む。胴当ての上からでも衝撃が伝わり、呻き声を上げそうになるのを堪えて、剣の柄を男の顔面に叩きつける。手応えはあったが、手で防がれたか?強かに反撃を受ける。男の足が又も俺の肩口に入り、骨が軋む。一撃目と同じところをっ…俺の一瞬の静止をついて、男は俺の剣を蹴り飛ばす。剣は近くの地面にカランと音を立てて落ちる。肩が痛みと痺れを同時に訴えてくる。 「フ、まだまだだな、小僧」  男は余裕の表情だ。しかし俺は男の話し方に、ある想像をした。ここいらの人間じゃないな、と。ここから遙か北、海峡を超えたブリッテ島の出身ではないか、と。 「ブリッテ訛りか…コケモモ野郎はドブでうなぎ取ってろ!」  俺の悪罵混じりの返答に何の興味も示さず、仮面の男は、又も男は蹴りを繰り出す。俺は攻撃に抗し切れずじりじりと後ろにさがる。武器が無ければ不利だ。何か…何か無いか…俺が考える間も敵は攻撃の手を休めたりはしない。攻撃を捌ききれずに、俺の体は打撲傷だらけになっていく。おまけに一撃一撃が想像以上に重い。防具の上からでもこの威力か…。俺の瞳に先程蹴り飛ばされた弩が飛び込む。しかも大股で三歩も無い近場にある。 「…ハッ!」  男の攻撃を躱しざま、気合と共に弩に飛びつき、手に掴む。幸い矢は装填されたままだ。 「フン」  男は、俺が武器を手にしても変わらず余裕の表情だ。それどころか口の端には笑いすら浮かべている。 「何がおかしい…」 「そんな物でも、無くば我に勝てぬか?」 男の口調には嘲弄が含まれていた。少なくとも俺にはそう聞こえた。 「…なんだと?」 「ボウガンに頼らねば何も出来ぬのかと言ってる! 小僧!」 「うるさいっ!」  俺は矢を撃った。珍しく狙い通りの所、男の胸へと矢が飛んでいくのが見えた…だが、男は事も無げに、胸に刺さる寸前で矢を右手で掴んだ。 「!?」 「フ、だから小僧なのだ!」  少なからず動揺した俺に向け、男が突進してくる!次弾を装填しようにも男が早い! 「う、うわぁ!」  俺がボウガンで男を殴ろうとした瞬間、俺の肩に速度の乗った、蹴りが食い込んでいた。ゴリと嫌な音。その次の瞬間、激痛が走る。 「ウグアアァ!」  激痛に耐えきれず叫ぶ俺は、地面に横向きで転がる。肩を脱臼したかもしれない… 「とどめだ小僧」  やられる! やられる…!? やられるかぁあ!転がりつつ、夢中でそこらをまさぐる俺の手に触れた物を無心で掴む。次の瞬間、無数の馬の嘶きと、矢の音がした。一瞬後、目の前には右頬を叩かれた男が居た。俺の手には剣の鞘があった。足元には矢が一本。 「小僧めが…名より命を惜しむのか!」  怒声と共に、男が猛る。男は俺の悪足掻きの攻撃を受けていなかった。頬に鞘が直撃する寸前、手を滑り込ませて緩衝代わりにしていたのだ。 「生憎と、騎士でも貴族でも無いんでな!」  騎士、貴族、王、皇帝。そういう高貴な家に居れば誇りは命より尊ばれるかもしれない。だが俺はそんな大層な身分でない。 「使い走りの下衆め!」  男は俺を木っ端扱いしている。男に取っては俺はそうかもしれないが…痛みで涙目になりつつも反撃したので、顔の筋肉が意味もなく痙攣した。俺を侮蔑したような眼で一撫でしていた男は、何かに気付いたような顔をした。重量感のある馬の蹄の音がする… 「ウルさん!」  リュネの声に反応して、顔をリュネの方に振り向けると、そこには完全武装した軍隊が居た。リュネはボウガンをこちらに構えたままだ。と、いうことは矢はリュネの撃った物だろう。リュネの援護と自身の必死の抵抗で、ようやく俺は死を免れたようだ… 「ウル。よく頑張ったわね」  馬上からするこの声は…義姉上! 「ソルズ卿、命令を!」  ソルズ卿こと義姉上の横に居る、顔まで覆う兜を被った部下が命令を促す。 「ふむ、抜刀許可。復唱せよ」 「抜刀許可、右腕下りるまで待機!!」  義姉上率いる部下が一斉に復唱する。その声は確実な圧力となり敵に伝わった。 「進めぇ―ッ」  義姉の右腕が垂直から水平へと変わった。騎馬隊が整然と敵に向かう。一糸の乱れもない行進は、複数の馬の踏みしめる音を一つに統一するかのようだ。俺の前に傲然と立つ男は隣に居る覆面男と会話を始めた。 「ミラルディ様、軍です」 「わかった。当初の目的は果たしたのだ、後退する」  男―ミラルディと呼ばれている―がそう言った途端、俺は内心でホっとしてしまった。今にも気絶したくなるような激痛の中で、これ以上の格闘は不可能だと解っていたから。 そんな俺をよそに、ミラルディともう一人の覆面男が会話を交わす。ミラルディでない方は、やや間をおいて問いかける。 「…恐れながら。迷ってらっしゃるのですか?」  「偶然に驚いただけだ。それに、まだ全てが揃った訳ではない」  ミラルディは、目もくれずにもう一人に答える。俺には何のことを話しているのかさっぱり解らない…そして黒い外套が翻り、俺に背を向けた状態で喋りだした。 「ウルとやら。貴様らは、未熟に過ぎる」 「…」  俺は黙ったままだった。何か言い返したくとも、言い返すには肩の痛みと痺れ、それに全身の打撲のせいできつい状態だ。喋るに喋れなかった。 「我の相手には不足!」  そう言い捨てたが最後、ミラルディはロンザを抑えていた男と共に森の中へ消えていく。その背中を、騎馬兵が器用に馬を乗りこなして追いかけてゆく…そこまで見届けた次の瞬間、俺に限界が訪れた。 「ま…」  『待て』と最後まで言い切る事も出来ず、俺はそれだけの言葉を搾り出すのが精一杯だった。ガクリと体の力が抜け、意識は闇に吸い込まれていった… 「ウルさん!起きて下さい!」 「う…」  リュネの声に反応して目覚めてみると、見覚えの無い建物の中だった。俺はベッドの上で仰向けになっていた。 「ここは…」 「アルターナ捕囚所です。あの後、馬車に担ぎこんでから眠りっぱなしでした」  ようやく頭が平常に戻り、自分の状況を把握しだした。そうだ、俺はあのミラルディとか言うヤツに手も足も出ずやられたんだった。…そうだ! 「ロンザはどうした!無事なのか!」  声を荒げると、まだ肩に響く。俺は思わず顔をしかめる。 「それなんですが…」 「殺られたのか?」 「いや、ロンザは多少首を絞められた以外は、僅かな擦り傷程度で生きてます。あの男達はロンザの身柄が目的じゃあ無かったみたいでして…」  無事か…胸をなで下ろしたと同時に、当然の疑問が湧く。 「どういうことだよ」 「…ヤノーシュ達が殺されました。三人とも首の骨を折られて。想像ですが、彼らの命が目的だったのではないかと」  妙に静かだったのは、ヤノーシュ達は俺達が向かった時には既に死んでいたからか。しかしそれなら、と続いての疑問が湧く。 「だとすれば、ロンザに構う必要は無いんじゃ?」 「そこが僕にもわかりません。何らかのトラブルでもあったか、それともロンザの身柄はあくまでもついで、だったのか」  確かに謎だ。あのタイミングで襲撃をかけたのだから、ロンザ奪還目的と考えるのが自然だ。だが、仮面の男率いる賊はロンザの身柄を奪わず、あろうことか当のロンザはミラルディに殺されかけていた。 「解らないものは仕方ないな…で?俺達はこれからどうしろって?」 「アルターナの所長に会って経過報告、その後帰還して良いそうです」  報告か。任務は『ロンザの護送』だから何も恥じる事は無い、無いが。 「何も無しの予定通りか」 「予定外の事態についてたっぷりと嫌味を言われるでしょうね」  所長も所詮は警察寄りの人間だ。警察の人間は死んだのに、外務処理二課が生き残っている事に怒っていても不思議はない。こちらにとっては八つ当たりでしかないが、黙って聞くしかないだろう。 「ヤノーシュ達の遺体は?」 「回収済みです。一応蘇生するよう手は尽くすみたいですけど」  形だけだろうな。 「あ、時間です。そろそろ所長に報告行きますよ」 「俺体がこうだからさ、お前一人で報告行ってこいよ」 「ダメです。ウルさんの体は特に異常無し、中程度の打撲程度が複数ヶ所。静養の必要を認めずって医務官が言ってましたよ」  確かに一応五体は動くが、それでもちょっと首を動かすだけでも痛みが付き纏い…結構しんどいのだが。そこで俺は冗談ぽい口調で言ってみた。 「ものすげえーいてえーからだがばらばらになりそうだー」 「本当にバラバラになったら痛いとか言う以前の問題ですよ。早くしてください」  少しくらい冗談に付き合えよ…冷たい奴だ、リュネ。俺は渋々ベッドから降り、身支度を整えてリュネと共に所長室に行くのだった。 「うげー…」 「…」  俺もリュネもげんなりした顔をしている。原因は無論ここの所長だ。ただし、内容が想像と少しばかり違っていた。 「説教を延々してくるとは…」 「こっちの方が堪えますね」  説教の中に嫌味は混じっていたが、それは脇に控えていた部下達の言葉であり、所長がそれに対しても説教をするものだから、無し崩し的に長引いた。所長の部下どもが言われている間は気を抜けたかというとそうでもなく、気をつけの直立姿勢が緩んだかと見るやそこに又説教の種が出来ると言った具合で、夕方に所長室に入ったはずだが、とうに陽は沈み切り、真夜中になっていた。 「飯行こう、飯」 「そうですね」  捕囚所の食堂は、夜中の今でも開いていた。一日中誰かが見張り、巡回、警備の為に起きているからだ。そいつの為に簡単な食事が用意される…とは言え、食堂の親父が出来立てを振舞ってくれる訳ではなく、単に干して塩に漬けた肉と酒、それに蒸して潰した芋が置いてあるだけだ。そんな粗末なものでも空きっ腹には有り難く、食う分を確保したら俺はガツガツと食べ始めた。気絶していた間何も食べていないのだ、その上あんな説教を聞かされたら堪らない。リュネはそこまで腹が減って居ないのだろう、ゆっくり食べている。  翌朝。俺は床に付いたはいいが、半日気絶していた事と考え事のせいもあって、一睡もできなかった。その為不調でこそないが、すっきりとした朝の気分とはまるで違う、とにかく半端な気分で部屋を出た。リュネッサと合流して、アルターナ所長に出立の挨拶を行い、馬車に乗り込んだ。馬車は往路とは異なり、余計な細工の無い普通の馬車だった。だが、誰が用意をしてくれたのだろう。そう思っていると答えはすぐに知らされた。 「ソルズ卿のご好意です」  往路と同じ御者が事情をそう教えてくれた。ここアルターナで俺達に好意的なのは義姉上くらいしか居ないのだから、想像はついていたが。ちなみに森の中で伏兵に落馬させられた衛兵二人は、結構重傷だったらしくアルターナで療養を余儀なくされた。また、余計な報告の仕事が増えた…とはいうものの仕事は終わった事になる。ロンザの護送の手伝いが仕事の内容であり、結果、無事ではないにしろどうにか送り届けた。俺達の仕事は過程は問われない。例え仲間が死んでも結果が全て、それが俺の務める外務処理二課だ。復路は何事も起こらず、ダイクーンの街まで着いた。 4 二課にて 「お帰り後輩〜」  見知った顔の中で一番神出鬼没、それがこのスイヤーだ。外務二課に着いた早々、わざとじゃないかと思うタイミングで出て来る。 「スイヤー、書類仕事は終わったのですか?」  とても終わらない量なのは知った上で、言ってみた。我ながら性格が悪い。 「うん?ああ。終わったといやあ終わったよ〜」 「何ですか?その含みのある言い方は」 「そんなことよりも、だ。俺はこれから仕事だ、じゃあな〜」  誤魔化したな…そう思う間にも、スイヤーは街の雑踏に紛れて行ってしまった。 「終わってないんでしょうね」  リュネが俺と同様の思いを口にした。 「いつものことだ」  スイヤーのやる事をあまり真面目に受け止めなくなって、どれくらい経った事か。最早諦観に近い。そのまま俺達は屋内に入り、課長室へ報告に行った。 「おうお帰り、どうも大変だったらしいな」  俺とリュネは、目の前のでっぷりと太った初老の男―うちの課長だ―にそのままアルターナ途上での出来事を報告した。軽く報告を聞き終えると課長は言った。 「お前達が無事だったのは良いが、警官が三名も殉職したせいで、警察は大騒ぎだ。これから向こうの署長に会いに行かにゃならん、戻るまで、シオと協力して内の仕事をしてろ」  報告をするまでもなく、警察にも大体の様子は伝わっているらしい。それはそれとして、俺はここに居ない同僚たちの様子を尋ねた。 「ハム先輩とかは何処行ったんです?」 「ハムは軍の詰所、エドは人探し、スイヤーは内偵、ジェイは行管区だ」  課長はすらすらと答える。行管区とは行政管理区の略で、ここダイクーンを統治する人間の働いている場所だ。俺達二課の上に位置するの組織でもある。 「ほら、シオ一人でやらせる気か。解散」  課長に促されて、我々は追い立てられるようにして部屋を出た。  シオサラ=ブライトソールこと、通称シオは、一人で黙々と紙の山と格闘していた。左目に掛けた片眼鏡がこちらを向く。短く切った髪は金色に光り、端正な顔は、ダイクーンでも一、ニを争うのではないかと言うくらい美しい女だ。だがこの仕事に男も女もない。ついでにちょっと変わっている。 「話は聞いているでしょう、作業にかかって頂戴」  お帰りとか只今とかの挨拶を抜きにして、シオサラは実務的な言葉だけを俺達に言う。要するに愛想がないのだ。 「はいはい。とっととやっつけよう」 「毎回の事ながら…とんでもない量ですね」  目の前は平積みになった紙と木版の書類が、俺の身長を優に越して山のようにそびえている状態だ。それが一、ニ…数えるのもうんざりしてくる。座ってしばらくは作業に集中していたのも束の間、リュネが異常を知らせてきた。 「ウルさん、シオさん」 「何?」 「なんだよ」 「何か…変な匂いがしませんか?」  言われてみれば、何か臭い。 「そうだな…確かに何か臭いぞ」 「私はわからないわ」  シオは、嗅覚に障害を持っていて、ほとんど匂いを感じ取れない。 「すみません、シオさん。でもしますよね、匂い」  会話をしている間にも段々匂いが強まってくるような気がする。 「おいおい…ちょっとキツいぞ…」  俺とリュネは顔を歪めている、それ程の悪臭となっていた。 「窓開ける?」  シオが提案して、俺が窓を開けようと席を立ったところ、扉が開いた。 「エド戻ったぜ…って課長いねえの?」 「おうエド…ってくっせ!」 「何ですかその格好!」  エドアルドは、土埃まみれ、服は乱れていて黒く汚れ、顔には引っかき傷らしきものがある。それより何より凄く匂う。 「なんなのエド、昆虫採集でもしたの?」  エドはシオの問に答えて曰く、 「ああこれ?探してた娘っ子がグランティス鉱山にいるって聞いて行ってみたらよお…」 「娘はいたのか」 「おお、居たけどとんでもねえお転婆でな、俺が保護しに来たってのに物は投げるわ顔は引っかくわで大変だったんだぜ」 「その匂いはどうしたんです」  リュネは眉間に皺を寄せて鼻を袖で抑えている。 「そん時にバタバタして、虫潰しちまってさ…しかも巣だったらしくこーんな一杯いやがんのよ」 「虫?もしかしたら、ファイビー。所謂ニオイムシの一種かもね」  シオはこういうことに詳しく虫、植物、動物…それらに造詣が深い。 「で、その様か」  俺が呆れながら言うと、エドアルドは何故か嬉しそうになった。 「んでよ、おまけに山火事が起こりやがって…って何だお前ら。その顔」 「後で聞くわよ」  シオが冷たく言い放ち、その後、リュネと俺が顔をしかめたままで言う。 「ええ、後でゆっくりと。それよりとにかく」 「体洗ってこい!!」  俺が書類の重しに使ってた分銅をエドアルドに投げつける。よけつつエドアルドは何やら言いながら扉を閉めた。全く。 「ファイビーってあんなに嫌な匂いしてましたっけ」 「いや…経験無いぞ」  俺も見たことくらいはあるが、それ以上に興味も知識も無い。するとシオが滔々と喋りだした。この女は、そういう知識は豊富だったりする。 「アカイロニオイムシ、通称ファイビー。暗く乾燥した所に多く生息する昆虫。尻から外敵から身を守る為の匂いを振りまく。一説にはオスがメスに対する求愛の印にもなると言われている。人間にとっては悪臭でしかないけれども。匂いがしない事もあるらしいわ」  シオがすらすらとファイビーについての知識を喋っている。 「シオサラさんは流石に博識ですね」 「何でファイビーって言うんだ?」  ふと気になってシオに聞いてみる。 「通称は通称。何か理由はあるにせよ、色々な俗説の集合の可能性が高いわね」 「そっか」  俺も大した興味があるわけでもない。未だエドが持ち込んだ匂いに悩まされながら、俺達は日が暮れても書類に追われるのだった。  とうに日が暮れてどれくらい時が経ったか。一向に終わる気配を見せない仕事に一区切りをつけ、俺とエドアルドは夜食を買いに外に出る事にした。行きつけの店で、いつもの通り骨付き肉を香辛料で焼いたものと、芋を揚げたのに胡椒を振りかけたもの。そして魚の燻製。シオサラがお気に入りの焼き菓子を沢山、その他。 「野菜が足りねえな」 「無いもんは仕方ないだろ」  エドアルドは意外に菜食志向がある。俺より一回り以上大きい体格の癖に肉食じゃなくて菜食とは。足りるのだろうか。 「あー、こんなもんかウル」 「十分だろ」  食料を抱えながら職場に戻る俺達。 「戻ったぞー、リュネシオ」 「一纏めに呼ばないでちょうだい」 「同意見です」  非難の声には構わず、俺は持って帰ってきた食料を机の上に置く。 「じゃあ、シオリュネ。ここに置いとくから、各々勝手に食べろ」 「私はいらないわ」  シオの偏食ぶりを知ってる俺は、半分からかうような口調で言う。 「菓子ならいるんだろ?」 「…」  エドが言葉と同時に投げた焼き菓子を無言で受け取るシオ。菓子は高いんだぞ…食事もそこそこにして、また書類との格闘に戻る我々。進める内に、俺はひとつの気になる文章を見つけた。 「シオ、これ何だ?」 「ふぇ、ほれ?」  受け取り目を通すシオサラ。でも菓子を口に入れながら喋るのは止めろ。 「ふぁあ、ほれはね…ング。最近活発化してる賊の情報よ、要警戒っていう感じの」 「それはいいんだけど、もしかしてここにミラルディって書かれてないか?」  書類とは言っても、書式が統一されておらず、公的文書のように簡潔にまとまっているのもあれば、只の殴り書きにしか見えないのまである。するとこのように、事務処理の天才、シオサラ先生にお伺いを立てる事になる。 「ふぇむ…あある…」  だから食いながら喋るなって。 「…翻訳するとミラルディ、それとクレイグと読めるわね、それがどうかしたの?」 「リュネ」 「聞いてましたよ」  リュネッサはもう俺とシオサラの近くに来ている。 「あいつかな」 「可能性は大ですね」 「シオ、前後の文章も翻訳できるか?」  俺の要請にシオは事も無げに答えた。 「当然よ。…ええと、スカラベ砂漠を根拠地とするスカラベ砂賊、彼らは勢力を順調に拡大しつつあり、ここダイクーンにも普段見かけない人種が散見される。頭領はミラルディと名が知られている、当該砂賊の特徴は…」 「砂賊だって?」  俺が見たあのミラルディという男は、そういう感じではなかった。 「そうよ、砂漠の世界で荒らし回ってたから砂賊。今じゃこのダイクーンの辺りまで出るようになったのね」  俺が感じた疑念は、そういうことじゃない。傍らでリュネがこっちを見ている。恐らく考えてることは俺と同じだろう。 「ふうん。よくわかった」 「で、それがどうしたんだよ?」  エドが尋ねてくる。 「こないだの仕事で、そのミラルディに会った」 「ああ、お前がボコられたって言うあの…睨むな睨むな。んで?」  一言多いんだよ。 「その文章じゃ砂賊だが、実物は全然そんな格好じゃなかった」 「そりゃあ環境が違うからだろうよ」 「環境?」 「お前だって寒けりゃ服を着て、暑けりゃ脱ぐんだろ?賊どもも同じようにしてるんじゃねえの?」 「まあな…」  季節感を完全無視の格好をしたエドに被服の講義をされようとは…と思いつつも曖昧な同意を示した所、シオが仕事を急かす。 「ホラホラ、アンタ達仕事しなさい。今日徹夜になるわよ」 「わーかってるって」 「はい」 「ったく…スイヤーめ」  俺を含んだ三人三様の返事をした後、シオは俺をジロリと睨んできたような気がした。そんなこんなで、夜はまだまだ書類仕事に費やされて更けてゆくのだった。 5 焦り、転び、怒り  二週間程、何事も無く無為な日々が過ぎた。仕事をしていると、課長がやって来た。 「おはようさん」 「おはようございます」  課長の挨拶に俺達も、座りながらだが挨拶を返す。礼儀に課長はこだわらない人だ。 「ん、そりゃそうと応援要請来てるな」 「内容は?」  シオが聞き返す。 「スカラベ砂賊の潜伏先を発見、人員を貸与されたし…とさ」 「またざっくりとしてますね…もうちょい詳しい事は?」  俺の反応に課長は続ける。 「何名でもいいってことみたいだな。じゃ、ウル、エド。ハムが既に行ってるから現場で合流してくれるか?」  とうに書類仕事は飽きていたので、一も二もなく俺とエドは返事をした。 「エド了解」 「ウル了解、はー、これで肩こらなくて済む」 「二人ともほとんど役立たずだから丁度いいわね」  事実だから言い返せない…シオめ。一方エドは全く気にしてないようだ。 「こっちはやっときますから、行ってください」  リュネの言葉に背を押されるようにして俺とエドは現場へと向かった。 「ハム先輩。ここが潜伏先?」  到着してみれば、そこはダイクーン市街の真ん中にある娼館だった。 「ううむ…大胆すぎるな」  ハム先輩が呆れている。ハムとは通称で、ハモンド=アンブロシャが本名だ。俺達より年上なので先輩と呼んでいる。容姿は禿頭にやや赤みを帯びた瞳、鼻は低く口髭だけを短く揃え顎髭は剃っている。体格はやや俺より大きくエドよりは小さい程度で、横幅も大きい。口の悪い者は小太りなどと呼び、好意を持つものは貫禄のある体格と呼ぶといったところか。ついでに、いつも温厚な人となりで優しい…ある人物以外は。 「捕まっても良いと思ってるんじゃねえの?」  エドの言う通り、隠れる気が見えない。 「馬鹿言うな。そんな訳ないだろうが」  横からバーバルが否定してきた。先程警察の隊と合流して、今はこいつの指揮下に入っている。既に警官らしき人間が娼館の周りをぐるりと取り囲むように展開している。当然ながら制服は脱いで。しかし皆一様に、背中に武器を仕込んだ棒を背負っているので、一目で兵だと感づかれる。こっちは隠す気があるが、それにしても解りやすい… 「俺ら居る意味ある?ババ」 「ババじゃねえ!バーバルだ!…俺だってお前らなんか呼びたくねえよ」  バーバルは声を一瞬荒げたが流石に弁えたか、声を潜めつつバーバルは言う。表情は複雑そうだった。 「上がお前ら呼べっていうからだ。そうでなきゃ俺達だけで充分なんだよ」 「こないだは充分じゃなかったけどな」 「黙れ。万が一に備えてとか言っていたが…とにかく。ヤノーシュ殿の仇討ちも兼ねている、邪魔するなよ。わかったな!」 「まあまあ…邪魔なぞしないさ。バーバルや、お前さんもそんなにいきり立つな」  ハム先輩が割って入り、俺とバーバルの不毛な会話を宥めた。 「…フン」  バーバルは鼻を一つ鳴らして指揮に戻っていった。それにしても何だ万が一って。これだけ警官がいて完全に包囲した状況で、俺達三人が応援に来たところでどれ程の意味を持つと言うのか。ガイムが出たら別だが…出るって事か?そんなに頻繁に出るのか?確かに最近多い気がするが… 「ハム先輩。歓迎されてないようなので、二課に帰りたいんですけど」 「俺もやる気出ねえよ、あの言い草じゃあよ」  俺とエドは不平をここぞとばかりに言い散らす。 「ウル、エドや。二人とも冗談を言ってるんじゃない。また課長に頭下げさせる気なのか」  ハム先輩は大人だ。 「わかってますよ」 「ただ、俺らの出番ってのがな。あるとしたらよ?」  エドの言葉を受け、ハム先輩が答える。 「そうだな、例えば…囲みを破られたら出番だろう」 「…そんなのばっかし」  俺のぼやきが漏れる。もしも囲みが破られかけたりしたら、俺達三人でどうにかなる状況で無くなっているだろう。結局、この包囲が失敗した時、責任を分散させて一部を我々二課のせいにしたいが為の応援要請なのだ。過去何度か例がある。 「言うな。お前達が居ることで賊が一人でも減るならそれは意義のあることだ。俺達は与えられた仕事を十二分にこなせばそれでいい」  つくづく先輩は大人だ。これは年の功という奴なのだろうか。俺も年を取れば丸くなるのだろうか…その前に辞めたりしなければ。 「…っとと。そろそろおっ始めるみたいだぜよ」  エドの声に俺は向き直る。娼館の正門に約ニ十名。裏手にもほぼ同数。ここ北西の位置から見て、警兵は配置についた。俺達は『盾』なので、そのまま待機だ。さて『槍』は獲物を貫けるか?兵が動き出し、娼館へ行進のように踏み入っていく。 「バーバル君のお手並み拝見といこう」  俺は一人呟き、考える。賊どもは…何も起こらなければ殲滅できるだろう。普段は小馬鹿にしてはいるが、バーバルはじめ警察も無能ではない。動き出した兵達は今頃娼館で今にも起こるであろう荒事に緊張しているのだろうか。今の所は、ちょくちょく女の咎めるような声と男の怒声が漏れ伝わってくるが、特に想像の域を出るものではない。そのうち、男の罵声と詰るような声が多くなってきて、その後、やや静かになりつつある。 「…終わったかな?」 「早いぜ、まだしばらくは…」  エドが言い掛けた瞬間、男の野太い悲鳴が上がった。 「今のは?どっちだ、エド」 「こっちだな…出番、来るかもよ」  味方側の悲鳴、という事だ。会話をしている間も、断続的に悲鳴が続く。四、五回ばかり上がった所で今度は、女達が逃げ惑っているかのような悲鳴が響いてきた。 「こりゃまずいぞ、何かあったな」 「行くのかよ?」 「…まだ俺らが出る幕じゃない」 「包囲を崩す訳にも行かないしよ」  指を咥えて見ているしかない。だが、状況の把握はしておきたかったので、エドに様子を見てきてもらうことに決めた。エドが警兵に手当たり次第事情を聞きまくる間も、悲鳴と怒声、それに罵声は収まらない。中は完全に混乱状態にある様子だ。俺達と同じように包囲中の兵士も、異常な状態には気づいているが、どうすることもできない。ようやくエドが戻ってきて状況を報せる。 「手練れがいるらしい、んで包囲も突破されかけてるよ」 「あーあ…それじゃ、行くか」  俺達が腰を上げようとすると、ハム先輩が駆け寄ってきた。 「何してる!早く行くぞ!」 「へいよ」  やる気のなさそうな口ぶりとは裏腹に、エドは仕事をする時の顔になった。 「了解…は…じゃない、厳しい戦いになりそうですね…」  俺は一瞬激しい戦いと言いかけて、それを飲み込んで別の表現に変えた。それにしても慌ただしい。簡素な扉に桃色の暖簾を潜ると、そこは既に戦場の空気だった。 「出口が見えたぞッ!」  娼館に一歩足を踏み入れた途端、大きな声がした。そしてこちらに男達…いや賊か。そいつらが集団で殺到してくるではないか。七、八、九…両手の指に余る数を越えて、俺はその作業を止めた。バーバルめ…口程にも無い!まだ距離はあるが多勢に無勢だ、相手したくない。言う事は予想が付いていたが、俺は一応ハム先輩に聞いてみた。 「先輩、どうします」 「言うまでもない。一人も通すな!」  予想していたとはいえ、溜息をつきたくなる。そんな俺にエドが追い打ちをかける。 「流石貧乏くじのウルさんだよ」 「………」   やかましい。俺は返事の代わりにエドの向こう脛を蹴っ飛ばした。 「お前達は余裕があって羨ましいな…来るぞ!」  ハム先輩じゃなければ皮肉だと思うところだ。俺はそう思った直後、剣を抜き放つ。殺到する賊を目で牽制する。 「!」  エドとハム先輩が二人で倍の人数を相手にしている。腕利きの二人とは言え、相手は十人以上、足止めに徹するのがやっとだ。俺はというと少し後ろに引いて入り口の――賊にとっては出口だが――前に立って、時々強引に突破を仕掛けてくる賊を牽制するのが仕事だ。幾人かと剣を交え、幾人かを蹴り飛ばし、また幾人かを睨みつける…そんな戦闘が続く中、俺達は何とか突破を防いでいた。代わりにこちらも賊を一人も倒せていないが。警察が気づくまでの足止めならこれで充分だ。だが、いつ援軍が来るかは解らない。 「クソォ!そこをどけぇッ!」  状況はやや膠着状態に陥り、瞬間的に戦闘の中断状態にあった。 「そう簡単にどけるかよ…ん?」  半分独り言の俺の呟きとほぼ同時に、遠くからこちらへ向けて高速で突進してくる人間を確認した。 「先輩、エド、新手だ!」 「何人だ!」 「一名のみ!」  俺の言葉と同時に戦闘が再開された。またも襲い来る賊を捌き、いなし、弾き飛ばす二人とその影に隠れるような形の俺。その間も新手の賊がこちらへぐんぐんと近づいてくるのはわかっていた。その賊の顔の造作がくっきりとするに従って、俺の鳩尾から何か嫌なものがこみ上げるような不愉快な気分がした。そして、賊の集団に混ざろうかという距離まで来たところで、はっきりと俺はそいつを認識した…ミラルディ! 「奴だ!先輩、エド、逃げ…」  遅かった。ハム先輩が武器も構えず突進してくるミラルディの掌底を喰らい、俺の方へと吹き飛んでいた。俺はハム先輩を受け止めようとするものの、体躯が一回り違う。俺もバランスを崩して一緒になって地に倒れる。機を逸せず、ミラルディと賊達は続々と出口を通過しようとする。 「ウル、ハムさん、さっさと起きろ!次々逃げられちまうよ!」  く…もうミラルディはじめ二、三人逃している!起き上がろうとする俺とハム先輩に、賊の嘲弄が降る。 「ざまあねえぜ、ハゲとチビめ」 「ハ…」  げ。まずい…まずいまずいまずいぞ。 「………賊や。今なんつった?」  むくりと起き上がったハム先輩の口調が変わった。俺から先輩の顔は見えないが後頭部は真っ赤に染まっている。 「なんつったって聞いてんだろおがァァァッ!」  怒りの叫びと共に、ハム先輩の剣は、目の前に居た賊を胴当ての上から一刀両断した。哀れな賊は上半身と下半身が真っ二つになって地に転がる。剣の風圧がこちらまで及んでいる。逃げ切れる!と歓喜の雰囲気に、水をぶっかけたかのように時が凍りつく。 「先輩、ちょっと、落ち着いて、落ち着…」 「アァッ?」  駄目だ、完全にキレてる。ハム先輩は『ハゲ』と言われると人格が豹変する… 「ば、化け物だ!」 「また言いやがったなぁ!てめぇら全殺しだぁ!」  先輩、バケとハゲは似てるけど違います!そんな事を聞き入れる状態じゃないか。賊はもう俺達を嘲弄する余裕など無く、我先に逃げ出そうとする。ハム先輩は始めの目的を忘れたかのように、賊を本気で殺しにかかっている。二人、三人目。そうこうするうち、俺の方へ賊が来る。そいつは俺へ短剣を繰り出し、俺は避けるものの、そのぶん出口に隙間が空き、そこからまた一人別の賊が逃げ出す。 「てめえ!」  どうやらこいつが俺を引きつける内に、他の奴らが逃げ出すっていうつもりだ。焦る俺に対し、正対した賊は短剣で何度となく斬りつけてくる。 「ええい!邪魔なんだよ!」  俺が腰も入れずに斬りつけた剣を、賊は短剣で受け流し、そのまま俺の手首を掴んできた。俺の体が賊に引っ張られる… 「しまった!」  俺はふわりとした感じになったかと思った次の瞬間、投げ飛ばされ、天井を見上げていた。背中を走る痛みを堪える間にも、視界の端を賊が駆け抜けてゆく。 「何やってんだよウル!」  慌てて体を起こすものの、エドが相手しきれない賊どもが続々と外へと身を躍らせる。 その一方で、相変わらず怒り狂うハム先輩が、逃げようとする賊を一撃で殺している。 混沌は頂点に達し、そして戦闘は、収束へ向かっていった。 「…それで、少なくとも五人は離脱された、と」  俺達三人は、警察本部に呼び出され、お偉いさんの前で立たされていた。夕方も過ぎて、すっかり日が落ちた中での状況説明だ。窓も無く、蝋燭の灯りだけが光となるどうにも陰気臭い空間が、只でさえ疲れた体の重みを増す。お偉いさんは一人だけだが、高級そうな眼鏡から覗く眼つきは鋭かった。お互い直立不動のまま質問が続く。 「…君達外務二課の職務は何かね?」 「警察、及び行政部の支援を含む治安の維持であります」  ハム先輩が答える。こういうのは年長者に任せるに限る。というかハム先輩が俺達にそう言い含めているからでもあるが。お前ら一言も喋るな…と。 「そう支援だ。言ってみれば脇役である。だがね、主役足りえないからと言って疎かにしてもらっては困るのだ。我が部下の報告では、君達がもう少ししっかりとしていれば、取り逃がす事はなかったとの事だが?」  バーバルの野郎。自分の失敗を棚上げしやがったな…俺は怒気を隠しつつも弁解をしようと前に一歩出ようとし、ハム先輩に左手で制された。俺の代わりに先輩が弁解をする。 「お言葉ですが、我々三人が突入した時には、既に賊どもは警察の隊の捕捉を逃れておりました。且つその数、味方の五倍は居たかと。警察の教則では、三倍以上の敵に相対した場合は、犠牲を少なくする為後退も止むなしと教えられている筈であります」  そうなのか、知らなかった。眼鏡の男は表情を変えないままだ。 「確かに。君達と部下の言うことは食い違う点があるな…よろしい。行きたまえ」 そう言って、眼鏡の男は俺達に背を見せた。 「あーのー野ー郎!」  俺は警察の建物を出た直後に毒づき、夜の空気を震わせる。無論ここには居ないバーバルに向かってだ。通行人が驚いて振り向き、そそくさと通り過ぎる。 「ウルや、落ち着け」 「ハム先輩の言う通りだぜ?責任おっかぶせられるのはいつものこったろうよ?」  エドの言うように、警察の連中が失敗を外務二課に押し付けてくるのは一度や二度の事ではなかった。だが、何度同じような目に遭っても慣れなかった。 「いくら俺達二課のせいにしたとしても、あっちの罰則が適用されたりはせんのだ」 「…名誉の問題ですよ、先輩」  外務二課創立当初は、警察の内部規則が適用されていたらしいが、今は独自の法で動いている。ハム先輩の言う通り罰が俺達に下ることは無いが、やってもいない失敗をやったことにされるのは受け入れがたい。そんな俺の肩を、エドがポンと一度叩く。 「慣れろよ」  エドの言うように、そう出来ればどんなに楽だろうか… 6 複数戦闘   二課に戻った俺達は、暫しの間休養を取っていた。リュネとシオが最後の書類の山を崩そうとした時、下から誰か階段を登ってくる足音が聞こえて来た。 「おう、今帰ったぞ〜」 「スイヤー」  最近、この男の顔を見ただけで禄でもないことが起こる気がしてくるようになった。その後、スイヤーに続いて課長も姿を表し、夜の申し送りが始まった。それぞれ新しい情報を掴んだら二課の面々で共有するのだ。 「それじゃ始めるぞ、まずは…スイヤーから」 「は。えー、スカラベ砂賊のリーダーのミラルディ。本名はミュランダール、以後、呼称をミュラにする。お隣りイストビア王国の元貴族で歳は四十歳。子が何人か居てそのうち一人がこの間ふん捕まえたロンザだ」  こういう時はスイヤーもふざけた口調じゃなくなる。にしても、子供?じゃあ何で…疑問はすぐに解消するに限るので、俺は質問をした。 「スイヤー、それが本当なら、あいつは自分の息子の首を締めてたことになりますよ?」 「家族でも、仲が悪い例なんていくらでもあるわよ」  スイヤーの代わりにシオが答えた。シオの意見ももっともだが。 「お次は、リュネ」  課長が次の報告を促す。 「はい。行政管理部の方とお会いしまして、来年度の予算について話し合いを行いました。どうもこのままだと我々外務二課の予算は今年分より減らされるようです」 「死活問題だ!」  スイヤーが大袈裟に騒ぐ。俺は水を飲みつつリュネに尋ねてみる。 「幾ら下がる?」 「一割五分と仰ってました」 「…ブッ…懲罰物の下げ幅じゃないか」  口の中の水を思わず吹き出した。一割を超えた下げ幅はその組織に対する不信から来る罰と見て良い。 「罰の意味での下げ幅は三分に満たないらしいですが。一応、来年度は外務二課だけでなく警察も一割下がるようですよ。予算全体が縮小傾向ということで…」  そういうことか。それでも来年からはやりくりが厳しくなる。 「次は、ハモンドさんお願いします」 「了解。警察の動きだが、スカラベ砂賊の勢力は先の戦闘で半減した。近々残党を殲滅する予定だ、無論我々も再び応援に行くことになると思う」 「もうあいつらの尻拭いとか嫌だぜよ?」 「そう言うな。お前さんは腕が立つんだから」  エドの不平に課長が返す。そのまま報告は続き、終わったところで課長から明日の仕事の指示を受ける。 「ようし明日の担当を決めるぞ。スイヤー、エドと賊の情報集めてくれ」 「了解〜」 「シオとハム。ここで事務整理」 「解りました」 「リュネとジェイは、行政管理区に報告と予算の折衝、終わったら判断は任す」 「了解です」  それぞれに新しい指示を出す課長だが、俺の名前は出ない。が、非番て事はないだろう。 「課長、俺は?」 「ウル、お前さんはあたしと謝りに行こうかね」 「俺、何かしました?」  身に覚えがない。すると課長はこう言った。 「イヤイヤ、エドの代わりだ。こないだの家出少女の件で、先方から苦情が来てな」  家出少女…エドがわざわざ探してきたあれか。 「ああ、そういうことですか」  エドが担当した仕事である以上、事情を把握している本人に行かせるのが筋だが、諸々の事情から、エドにはこういう仕事は任せない事になっている。何故かというと… 「俺の代わりよろしく」  エドが軽く言う。 「お前が行くと話がこじれるからな…」  このエド、主義なのか知らないが人に頭を下げない。その為苦情処理には最も向いていない。事実、こいつが同席すると先方は大概機嫌を損ねる。嘘でも形だけでも謝ればいいだろうと何度も言われているのだが、それでも主義を曲げない為さじを投げられたと言う訳だ。ちなみに本人の弁では、『本当に悪いと思ったら謝る』らしい。 「お土産もよろしくな」  エドの冗談が少しだけイラつく。 「あるか、そんなもん」  俺の邪険な返事が部屋に響いた。  翌日の正午、課長と共に俺は貴族達が住まう区域の一角にいた。この区域には警察に隠然たる影響力を持つ、ダイクーンを納めるカーンズ家や、俺の義姉のソルズベルリ家もあるし、俺の実家リブレイス家もある。苦情処理の用件は済ませ、まさに帰るところだが、俺は何となくモヤモヤした気分だった。 「何だって貴族の癖にあんなに貧乏くさいんですかね?」 「上に行く程けち臭いもんだぞ、ウルよ。それにお前さんも一応貴族だろう」 「俺は拾われっ子ですから」  歩きながら課長と話をする。内容は勿論、今しがた謝りに行った貴族の事についてだ。何があったかといえば、報酬を値切られたのだ。エドが強引に連れ戻した事を考慮して、安くしろ、と。 「多少その女の子に生傷出来てたけど、無事に帰ったんだから気持良く払えばいいのに」 「まあいいだろう?我々にゃ元々銅貨一枚も入らんのだから」 「課長!文句の一つも吐き出した方が良いですって。誰も聞いてやしませんよ」  その貴族に聞かれた所で構うものか、と思うが課長の答えはこうだった。 「お前さん、まだ若いから」 「課長、そういう言い方は…」  卑怯じゃないだろうか、と言おうとしたところで、大きな物音がした。 「キャアーッ」  更に、若い女性の絹を裂くような悲鳴がした。続いて聞こえたのは、我々外務二課には馴染みのある言葉だった。 「バケモノだ!」  バケモノと言う単語が出たら我々外務二課の担当だ。課長が目尻を擦りながら言う。 「ありゃま。最近多いな、ガイム。じゃあウル…」 「直ちに行きます!」  俺は課長の返事も待たずに悲鳴と喧騒の方向へ走った。走る俺に課長が大声を出す。 「いらんと思うが、一応応援も手配しとく。無茶すんなー」  有り難い事で。  現場は、選りに選ってと言うか、俺の実家リブレイス家だった。兄上が家督を継いで以来、兄に余計な事を考えさせない為にも帰っていなかったのだが、思わぬ形で帰宅する羽目になった。白い檜で作られた扉が開け放たれている。館までは庭園の中を道なりに数十メートルはゆかねばならない。よく手入れされた樹々の下を駆け抜ける途中、使用人らしき者の死体があった。ガイムは外からリブレイス家に侵入してきたのか…点々と残る血の跡が徐々に濃くなる。館に入る扉が見えた。こちらも開け放たれていて、中の様子が解る…居た、ガイムだ!今にも逃げ遅れた使用人を襲わんとしている。俺は中に飛び込むと同時に、剣を抜き、鞘はガイム目がけてぶん投げた。ガイムに命中し、注意がややこちらに向いた。 「お前の相手はこっちだ!それからそこの!早く去ね!」  四つん這いで逃げようとする使用人だが、後ろから近寄ったガイムは無慈悲に使用人をその手に掛けた…鮮血が飛び散り、俺は舌打ちをした。 「この…相手は俺だっつってんだろうが!」  俺はガイムに向け毒づくが、その時別の部屋からも悲鳴が聞こえた。直後、近くの壁が音を立てて崩れ、もう一匹のガイム…こちらは黒い服を着ている。返り血で真っ赤になり、原型をとどめていない。そいつが手で死体を貫いたまま現れた。 「二匹!?」  クソ、一対一なら負けないが、相手が多数じゃ分が悪い。だが、ここで引く訳には行かない。ここには血がつながってないとは言え、兄貴がいるからだ。下手すれば義姉も…そうこう考えるうちに、二匹のガイムは俺を完全に視界に捉え、敵と認識したようだ。一匹が俺に向かって突進を始めた。 「来なっ、刻んでやる!」 「グアアッ!」  攻撃を待ち構え、剣を立ててそのまま相手の力を利用して斬る…つもりが、その作業はあえなく中断した。もう一匹のガイムも俺に攻撃を掛けてきたからだ。俺は慌てて剣を下に抜き、前に転がり、ついでに横に飛んでガイムどもの攻撃をやり過ごす。 「なら…」  あんまりやりたくないが、こっちから仕掛けるしかない。俺は右手の親指の先を噛んだ。血が滲み出るのを待ち、黒いガイムへ向けて右手を振り、血を振りかけた。一滴の血を浴びたガイムは途端に獰猛さを減らし、俺への敵意をやや鈍らせたかのように見える。一方のガイムは俺へ猛然と攻撃を仕掛けてくる。その攻撃を何度かいなし、躱し、掻い潜り、僅かな隙を突いて心臓部へ剣を突き立てようとしたが、剣がガイムの肌に触れたかに思えた瞬間、黒いガイムが攻撃を再開してきた。もう少しだったのに!内心焦りながらも再び仕切り直すべくガイムとの距離を置く。すると上の方から女性の声がした。 「ウル? 来てくれたのね?」  そこに居たのはソルズ卿…義姉上だった。まずい、なんて事だ。 「義姉さん?!ここは危険だ!退って!早く!」 「そうは行かないわ。貴方だけ危険に晒して奥で震えていろとでも?」  俺の必死の叫びに対して、義姉は気丈な事を言ってくれる。でも、キングやクイーンが殺られたらこっちは負けなんだ!その程度の事が解らない筈は無いだろうに! 「いいから退って!」  二匹のガイムの攻撃を避けながら、ほとんど絶叫に近い俺の声が響く。それでも難を逃れようとしない義姉に対し、俺は妥協することにした。 「義姉さん!ならせめて、武器を!」 「武器?お安い御用よ」  義姉は腰に下げていたサーベルを俺に投げ寄越した。抜身のまま飛んできたので、それを避ける。サーベルは足元の床に突き刺さった。武器は揃った。後は誘導するだけだ… 「さて、曲芸の時間だ…上手く行ったら拍手モノ」  独り言を呟きつつ、俺は足を止めて二匹のガイムに注意を払う。一匹のガイムが跳ね、俺へ何度目か解らない攻撃を仕掛け、もう一匹の黒いガイムもやや遅れて反対側から襲ってきた。俺は床に突き刺さったままのサーベルの握りに左手をかけ、右手は剣を立て、先に来るであろうガイムの攻撃に備える。三、ニ、一、来た! 「ゴアアッ!」  タイミングは絶好! 「…ゲラウマイサイ!ひとつ!」  ガイムは俺の右手にある剣に吸い込まれるように攻撃を仕掛け、切り裂かれていく。腕の半分まで達した所で、黒いガイムが雄叫びと共にやって来た! 「ガルアアアッ!」 「ふたつ!」  左手のサーベルを真っ直ぐに向けた所に、これまたガイムが吸い込まれたように攻撃を仕掛け、サーベルが突き刺さり続ける。両手に伝わる人間だった者の肉を斬り裂く感触。順調にまずは右手の剣がガイムの心臓に達し、止めを刺す。内心冷や汗モノだ… 「ゴアアアアア…」  断末魔の叫びが力なく聞こえる。片や黒いガイムの方もサーベルの先端が心臓に達し、こちらもガイムとしての機能をほぼ停止させる。 「ガルアアアアア…」  両手を突き出した格好になっていた俺は手を下ろした。ドサリ、ドサリと二つの塊が地面に落ちる音が、少しだけ俺の緊張をほぐす。俺はふと上を見やる。義姉を目で探したが、居ない。と思っていたら、いつの間にか俺の横まで来ていた。 「ウル!」 「義姉上。サーベルをお返し致します…」  義姉は俺からサーベルを受け取り、そのまま更に近づき、空いてる方の左手で俺を抱きしめて来た。 「ちょ、あ、義姉上…恥ずかしいです」 「恥じらう事なんて無いわ。よく頑張ったわねウル」  義姉は贅肉の一欠片も無い、引き締まった体をしている。そうでなくては男どもが束になっても敵わない強さは得られない。つまり、ガチガチの筋肉質なのだが…腕に抱かれている俺には不思議なくらい柔らかいと思えていた。義姉上が纏う白い薄絹から良い匂いがする… 「…もう少し早ければ、もう少し家人の死者も減ったかもしれません」 「仕方ないわ。家人も、貴方のように私を前に出すまいとした結果だもの」 「そうですね…」  その時、俺の眼にあるものが飛び込んできた。俺は左の奥歯を噛み締めた。 「義姉さん」 「…ええ、ウル。きっと考えてることは同じね」  同じ…ああ、そうか。そういえば俺の後ろにも居るのか。 「言う事も同じかもしれませんね」 「フフ…」  そこまで会話が進んだ時、死にかけていたガイムが俺達を襲ってきた。俺は義姉から体を離し、握ったままの剣を軽く突き出した。義姉もサーベルを振るう。 「ギィッ!」 「ゴァッ!」  俺の目の前とすぐ後ろで、こんどこそガイムの心臓が完全に潰される。ガイムは灰へ、その姿を変えて消えていった。後には人間だった頃の着物が落ちているだけだ。 『還れ!!』  俺と義姉は全く同時に、かつ同じ語句をその喉から搾り出した。後ろを振り返ると、やはり灰になる途中のガイムが居た。義姉が仕留めたのだ。 「久しぶりだったわ」  正直なところ、義姉には俺ほどではないにしろガイムを討伐した経験がある。こと対ガイム戦に関しては、経験が何より物を言う為、ガイムと一度も会ったこともない家人を前に出すよりも、彼女が前に出たほうが犠牲は少なかったのかもしれない。だが、万一この家の貴人たる兄や義姉が殺された場合、そこに仕える家人も遅かれ早かれ殺される運命にある…ガイムではなくこの国の法に。そうなれば家人は必死に貴人を下がらせようとする、俺のように。結局、誰もが必死に考えて戦った結果なのだと受け入れるしかない、か。 「しかし、最近増えております…ご自愛を」  ここ一月の間にこれで三匹めだ。普段なら一月に一匹出るかどうかといった頻度なのに、はっきりと増えている。 「平気よ、ウルが守ってくれるもの…でもね。この間も言ったけど、夫が寝たきりになったのは、貴方のせいじゃない。責任を感じてこの仕事をしているのなら」 「義姉上、それは違います。兄の件も関係ないとは言いませんが…好きでしている事です」 「ウルでなくとも代わりの人が出来るはずよ…例えば私でも良い、貴方の同僚達でも良い」 「この仕事は、俺がやった方が効率が良いんです」 「それでも…」  俺は強引にでも話を終わらせる事にした。 「…義姉上。先程の話に戻りますが、義姉上だけを守る訳には行きませんので、何卒ご自愛なさって下さい」  義姉に張り付いて守る必然性があれば喜んでそうするが、実際の所、今回の場合義姉が狙われた訳でもない。だから、今回の事件を理由として警護に、と申請をした所で却下される。それに危険度は低いのだ。何故かというと、そもそもガイムは特定の誰かを狙って殺す、という行動は取らない。周りに居る人間と動物の別なく殺そうと襲ってくるのみだ。要するに、命を奪えるなら何でもいいのだ。対象が無差別なだけに、一度発生すれば甚大な被害をもたらすが…そして。義姉には悪いが、この仕事をやめるつもりは無い。 「…そうよね。でも、ウル。貴方は危険な所に行く機会が多いから…」 「…」  少し淋しげな声を出しながら、義姉上は死んだ家人の亡骸の傍に膝まずき祈りを捧げる。そして義姉上は最後にこう付け加えた。 「だから、一つだけ覚えておいて。どんな時も、諦めてはダメよ」 「…はい」  俺は生き残りの家人に後始末の様々な指示を出す。しばらくすると、外からドヤドヤと集団がやって来た。課長と…バーバル始め警察の連中だ。 「おうウル。よくやった」 「課長…応援が応援になってませんよ」  険悪な声で、課長の後ろから歩いて来るバーバルを睨みつけながら応える俺。今、最も腹立たしい気持ちになる男を連れて来るとは!怒りが沸々と湧く俺は二の句を継ぐ。 「そこのクソババ野郎!てめえ俺が何で怒ってるか解ってんな!」  バーバルの眼を正面から見据える俺へ、返事は返る。 「解ってる…解ってんだよこの半端野郎!」  バーバルは言いながら腰の武器を捨てた。 「んだと!課長!それに義姉さんと家人達!しばらくあっち向いてて!」  俺も剣を鞘ごと外し、足元に落とす。 「貴様ら!手出しはするな!それと!今から起こる事は見なかった事にしろよ!」  向こうもやる気充分だ。俺はこちらへ進んでくるバーバルへ一直線にこちらも進む。そして俺とバーバルは同時に足を止めた。口火を切ったのは俺の拳だった。 「この恥知らず!」  拳はバーバルの腹にめり込んだ…が、間髪入れずにお返しの拳が俺の頬に飛んでくる。 「誰が恥知らずだ!」  俺もまた反撃の蹴りを返す。バーバルも蹴り返す。 「お前以外の誰が居る!失敗を他人に擦り付ける奴の事を恥知らずってんだ!」 「やかましい!テメエらが粘ってればあんな事にならずに済んだんだろうが!」  俺とバーバルは掴み合い、殴り合い、蹴り合う。 「大体どういう包囲してやがったんだ!俺らが突っ込んだらいきなり逃げてきた賊と鉢合わせだ!対策練る暇も無しだったのに粘れとか無茶苦茶抜かすんじゃねえ!」 「それをどうにかすんのがテメエらの仕事だろうが!甘ったれんな!」 「てめえらこそ!俺らに甘えてんじゃねえぞ!」  床を転がりながら、殴り合いの喧嘩をする俺とバーバルだったが、お互いに息が上がって罵る言葉も尽きて来た所で、課長とバーバルの部下たちの仲裁が入った。 「はいはいはいはい、そこまでだウル」 「バーバル隊長も!いい加減にして下さい」  まだ言い足りない事があるような気もするが、課長に羽交い絞めで止められた俺は顔中を打撲痕と血を手で拭いた跡だらけにしながら矛を収めた。バーバルも同様のザマだ。そんな俺達の一部始終を見届けていた義姉が呆れたように語りかけてきた。 「貴方達、仲がいいわね」  反射的に俺は答えた。 『ご冗談を!』  バーバルも同意見だったようで、俺と言葉が重なった。お互い思わず顔を見合わせ、それがまたお互いを不愉快にさせたのだった。 7 スイヤーの作戦 「ブッハハハ、何だその顔よ」 「今日は派手にやり合いましたね」  後始末を済ませて陽も沈みかけた頃、二課に戻ると、エドとリュネが居た。容赦なく大笑いしてくれるエドと、またバーバルと喧嘩ですか、飽きないですねと言わんばかりの感想を述べるリュネ。言っても居ないのに、俺の顔を見ただけで何があったか大体想像がついてるらしい。悔しいが当たっている。 「うるさいよ。で、お前らの方はどうだったんだ」  口の中が切れているので、喋ると痛い。 「僕はご存知のとおり交渉ですから。予算、あんまり芳しくないとだけ言っておきます」 「そ。エドは」 「俺?俺はスイヤーの情報屋に会って、賊の情報聞いたけど、目新しいのは無かったよ。帰りがけに、警察の部隊の動きを見物してきたよ」 「部隊?」 「賊の残党の殲滅に掛かってたよ。珍しく動き速ぇな、と思いながら見てたよ。いっつもドン亀みてえに遅ぇのに」 「で、首尾は?」 「成功してたよ。流石にこないだの教訓が活きたか知らんが、ほぼ全員捕縛、残りももう僅かだってよ」 「ふうん。その中にミュラは?」  俺は聞いたはいいが答えを知っていた。あれだけの凄腕が捕まるはずがない。 「居なかった…ま、あんにゃろ一人で何が出来るかっつう話だよ」 「何はともあれ、賊の殲滅という大目標は達成したと見て良さそうですね」  リュネがまとめる。 「やっと落ち着けそうだ」  俺は願望混じりにそう呟いた。するとそこへ、課長が帰ってきた。 「おうウル、ご苦労さん、でもあんまり無茶するな。対人戦は弱いんだから、お前さん」 「はい」  課長があのアホを呼んだりしなきゃ喧嘩せずに済んだんですよ…と言いたかったが、責任転嫁をしているみたいでみっともないし、それに口の中が切れていて、長いこと喋る気がしなかったので、俺は素直に肯定するだけに留めた。  夜、昨日と同様の申し送りが済んだところで、スイヤーが前に出てきた。そして、突拍子も無い事を言い出した。 「みんな、これからの計画を今から話すからそのままで聞いてくれ〜、ロンザを仮釈放することに決めたから〜」 「は?」 「彼は、今アルターナの収容所じゃないんですか?」  リュネが当然の疑問をスイヤーにぶつける。 「うんにゃ〜。今はダイクーンに居るそうだよ〜」 「『そうだよ〜』じゃありませんよ、警察が仮釈放するんならウチ関係ないでしょう」  俺もスイヤーにそう言ってみるも、スイヤーは澄ました顔で答える。 「いや〜俺達二課が仮釈放すんだよ〜」 「はあ?」  二課にいるスイヤー以外の全員、訝しい顔になった。うちにそんな権限は無いだろう…あ。別に解りたくもないのだが、スイヤーの意図する事が俺は解ってしまった。そんな俺の顔を見て、スイヤーも俺が理解をしたことを察知する。 「ウル。解ったみたいだな、皆に説明よろしく〜」  すっとぼけようか、はたまた見当はずれの事を言ってやろうかと一瞬考えたが、俺が答えないとスイヤーが得意げに講釈を始める事は想像がついた。それも腹が立つので、仕方なく俺が説明することに決めた。 「警察行って、無理にでも拉致る。で、ロンザを餌にして…ミュラを釣ろうってんでしょ」 「ご名答〜」  『ご名答〜』じゃないだろ。俺が白い目でスイヤーを見ていたら、今度はハム先輩が発言した。 「今警察は、ヤノーシュ殺害犯であるミュラを捕まえるか否かで二つに分かれているらしい。バーバルをはじめ、敵討ちを主張する強硬派とミュラ一人くらいは居なかったことにして、捜査を終わらせたい穏健派の連中と。そこで、我々が動きの取りづらい警察の代わりにミュラを捕まえる…」 「そうゆうこと〜」  スイヤーの呑気な相槌に、ハム先輩が烈火の如く怒る。 「そういうこと、じゃないだろスイヤー!お前はまた火のない所に煙を立てる気なのか!」 ハム先輩はスイヤーより年上なので、こういう言い方も許される。というかスイヤーには手厳しい。とても『ウルや』などと我々にするような諭す口調ではない。そして複雑な事に、スイヤーはハム先輩より階級が上という…不思議な関係の二人なのだ。 「そんな事情なら、正式な依頼が来そうなものだわ」  黙っていたシオがそう言うと、スイヤーはこう答えた。 「言われる前にやるのが格好良いってもんだろシオ〜」 「つうかよ、やるとしてもあの、ロンザだっけ?あいつでミュラが釣れるのかよ?」  エドも懸念を口にする。少なくともミュラは、ロンザを森では殺そうとはしていても身柄を奪おうという気はなかったように見えたが… 「大丈夫だよ〜」 「根拠は」  俺の冷たい声にもスイヤーは動じること無く答える。 「勘」  …その勘が外れたとき、どう弁解するつもりなのだろうか。だが、いずれにしろやることだけは決定らしい。この男の計画にいくら異議を申し立てても無駄なのだ。上司だから。 「で、いつやるんです」  俺の質問に、スイヤーはこう答えた。 「今夜」 「スイヤー、話が」 「おう、何か言いたそうだな〜」 「俺だけじゃなく全員言いたいと思いますよ。この際、決行自体に文句はつけません。ですが、あまりにも急じゃないのかと」  俺の言葉を聞くと、スイヤーは珍しく真面目な顔と口調になった。 「…ウル。お前、昼に二匹ガイムを倒したな」 「ええ。でもその話、俺の質問と関係ありますか?」  はぐらかされるかと思い、一応釘を刺したが無用だったらしい。 「ある。あのガイム…ミュラの仕業だ」 「ほう。それで?急な理由はまだですか?」  最近のイライラを嫌味に変え、スイヤーにぶつける感じになった。我ながら子供っぽい。 「最後まで聞くんだ。あのガイムはリブレイス家に侵入したが、本来の目標は、隣のカーンズ家だった。ミュラはカーンズ家の人間を殺そうとし、それが出来ずともカーンズ家及び警察に恫喝する目的だった」  何でスイヤーがそんな事を知っているのだろうか…と思ったが、この男は独自の情報網を持っているのだ。警察、行政管理区、民間人その他。それに、話はまだ途中のようだ。 「ミュラはガイムを産み出す方法を知っている。それを使ってこのダイクーン市を大規模に襲うような事にでもなれば…」  事は深刻なようだ。俺はスイヤーの言いたい事を先回りした。 「俺達の手に負えなくなる、と。昼のは警告で、今後何が起こっても知らんぞ…と言う事でしょうか?なるほど、急いでるのは解りました。しかし、ガイムを産み出すってのは何処から出てきた情報なんです」 「警察だ。実は依頼は警察だからな」  初耳だ…あんなものがおいそれとホイホイ産み出されては堪らない。 「非公式な依頼ですか。確かな線なんですか」  もし俺達が失敗をしても、頬かむりして黙殺するのだろう。さっき言わなかった所を見ると、スイヤーが責を全て負うのだろうか。いや、このオッサンの事だから。そんな事にならないように運動しているのだろう。 「ああ」  スイヤーは、話は終わりだとばかりに俺の肩をポンと叩き、何処かへ歩き出した。  俺達二課の面々は、警察の留置場に来ていた。留置場は木組みの枠で人を閉じ込められれば良し、と言った如何にも急ごしらえの感じが出ている。床は土間になっていて、湿った薄暗いその中にロンザは一人居た。俺は声を掛ける。 「ロンザ=オルベミッターだな?仮釈放だ」  寝転がっていたロンザはその姿勢のまま、顔だけをこちらに向けた。きょとんとした顔をしながらも、突然の訪問者に質問を投げかける。 「釈放?それより晩飯が来てない」 「四の五の抜かさず、早く出ろ。カタツムリ食わすぞこの野郎」  早く済ませたい俺は、つい急かしてしまう。 「その質問、俺が代わりに答えようロンザ君」  スイヤーがずいと俺の横に来た。 「君はこれから、【稲と雀】作戦の稲穂となり、囮となっていただく」  なんだその作戦名。そしてやけに丁寧なスイヤーの口調が気味悪い。 「囮だ?」  ロンザは怪訝な顔をしている。 「君にはいい話だ。上手く行けば仮でない釈放までの期日が大幅に縮まる」 「胡散臭いな。大体貴様ら、警察じゃないんだろ。前言ってたよな?その貴様らがどうして俺の刑期を左右できる?」 「それじゃあロンザ君、大変だけど頑張ってくれるね?」  スイヤーは取り合わないで、強引に話を進めようとする。 「おい、話聞いてるのか」 「頑張ってくれるね?」  強引なスイヤーをたっぷりと数秒眺めた後ロンザは、軽く首を振った。金髪が揺れる。 「………断れないんだな」 「理解が早い!早速こんな薄暗くて小汚い場所からは出よう。ほら、お前達」  俺達は渋面のロンザを留置所と言う名の牢から出してやった。 「そうかいそうかい」  ロンザは衣服の埃を払いながら、スイヤーに対し承諾の意思を見せた。 「スイヤー、本当にやるんですか?この男が逃げ出しでもしたらどうするつもりで?」 「ちょいとこいつにゃ、危なすぎるんじゃねえかよ?」  俺に続き、エドが牢を閉めながらそう言った。しかしスイヤーは相変わらず飄々とした口調でこう言うだけだった。 「大丈夫さ〜」  ただでさえ寒い日、まして夜になってしまえば外気の寒さは倍増する。底冷えまでは行かないが、冷たい空気が俺の顔の肌に突き刺さる。そんな中、遠くから喚き声が聞こえる。 「下ろせぇ!ここから下ろせぇぇ!」  ロンザの声だ。広場のど真ん中に立っている柱に吊るされているのが、俺の潜んでいるところからもはっきりと見える。ついでに、吊るされている下には焚き火が燃え盛っている。魔女の処刑場かここは。すぐ横にはスイヤーが立っている。 「貴様らな…これが捕虜の扱いかっ!」  ロンザよ、あの頭のいかれた男に関わったのが運の尽きだ、諦めろ。 「おーっと?あんまり俺達の事について言及しないでくれるかな?」  スイヤーは薄笑いをしながら剣を吊るされているロンザに向かって突きつけた。首に刺さるか刺さらないかの距離で。たちまちロンザは大人しくなった。どう見てもスイヤーの方が悪人だ。 「危ねえつったのによ。なあリュネ」  エドの指摘したかったのは、『ロンザに逃亡されるのが』危ないのではなく、『スイヤーのやり方が』危ないという点だった。 「吊るすだけかと思ってました。焚き火までやるとは…流石に想定外です、ウルさん」 「スイヤーの悪趣味も段々過激になってないか…お前も諌めろよシオ」 「知らないわよ。本人は目立たせる為に焚き火が必要不可欠とか言ってたわね…ホントかしらハモンド?」 「私に聞かれても困る。あとエドや、もう少し屈め。デカい体が丸見えだ」  ハム先輩が呻くように言ったところで、ビュウと強い風が吹きつけてきた。その場に居た全員が身を竦める。 「火があるあっちが羨ましくなってきたぜ」 「仕方ないじゃない、潜んでいる意味がなくなるわ」 「で?作戦の指示はあれだけですか先輩?」  エド、シオの雑談をよそに俺はハム先輩に聞く。 「もう一度確認しておくか。ジェイが哨戒している範囲にかかったら、連絡が来る。所定の位置に移動後、スイヤーの合図で一斉射撃。敵が撤退開始したら、撒かれた振りをしてアジトを突き止めろ」 『了解』  全員の声が揃う。俺はリュネと組んで北か。南がエド、東がシオ、西がハム先輩だ。スイヤーは勝手に動くだろう。ジェイは哨戒兼、何かあった時の予備戦力だ。何で北だけが二人配置されているかというと、俺の射撃の腕に疑問があるから。それと…リュネのある特徴のせいでもある。 「来るなら早く来て欲しい、ですね」  リュネが足踏みをしながら呟く。 「ところで先輩、どうやって賊に情報を流したんです?」 「ああ、それはな…シッ。ジェイから連絡だ」  遠くから犬の遠吠えが夜空に鳴り響く。ハム先輩は耳を澄ませて集中すること数秒の後。 「…敵の数は十人程だ。賊もこれが罠の可能性を考えて全員武器を携帯していると考えて良いだろう。ここに数分もしたら到着する。直ちに配置につけ!」  ジェイはいつも優秀だ。その優秀さが時々惜しくなるくらいに。 「了解」  二課の面々は、俺も含めて次々に所定の場所へと向かっていった。  広場の北に到着。少し登り坂になっている。身をひそめられそうな場所は何点かすぐに見つかり、後は広場のロンザとスイヤーが見下ろせる位置に陣取るだけだ。リュネは俺から少しだけ離れた木陰に、体半分だけ潜めて広場の様子を伺っている。乾燥してひび割れ掛けた手を掻きながら、俺はリュネに尋ねる。 「おい、リュネ。大丈夫なのか?」 「…」  俺の小声での問いかけに、リュネは顔の前で三度も手を振って応えた。無理らしい。仕方ないな、やはり俺が指示を出すか…そんな事を思っていたら、お出ましだ。スカラベ砂賊の残党は、ほぼ掃討は完了したと聞いていたが。相当の人影が広場へ向けて歩いて来る。 リュネも気づいている。無論他の面々もだ。心なしか広場の空気が張り詰めてゆくような気がした。数秒後、焚き火の光る範囲に、幾つかの影が映り込んだ。来たぞ… 「…」  無言の賊達の影が一、二…十人。ここからでも何とか数えられるまでに距離は接近している。賊達は、ロンザの姿を仰ぎ見ると、一瞬動きを止めたようだ。縄でぐるぐる巻きに縛られ、柱に吊るされ、真下に火が燃えている光景に面食らったのだろうか?それでも男達はロンザを降ろすべく、剣を抜いて縄を切ろうと男達の中の数名が柱に取り付いた。手の空いている男は、火に足元の砂を足でかけ始めた。火の勢いが徐々に衰え、消えた頃…突然広場にスイヤーの声が響いた。 「あーあ、お恥ずかしったらありゃしない〜。飛んで火に入る夏…いや、冬の虫ってか?下手すりゃ虫の方がまだ賢いぜぇ〜」  言いながらスイヤーが暗闇の中からゆっくりと歩いてくる。賊達は一斉にスイヤーの方へ武器を構え突進する。 「リュネ…俯角二度、左に二度修正」 「俯角二、左二度修正完了」  俺は弩を構えるリュネに狙いを微調整する指示を出す。俺がリュネと組んでいる理由は、リュネは弩の腕は俺より圧倒的に上だが、所謂鳥目で、夜目が効かないからだ。俺も既に賊達に向け弩を構えている。 「初めましてだが…サヨナラだ!」  同時に、当たりがパっと明るくなる。合図だ! 「撃て!」  スイヤーの言葉と同時に、俺とリュネ、それに他の連中が一斉に矢を放った。ブブッと鈍く音が立ち夜を切り裂いて男達に突き刺さる。弩は連装式、一度に三発まで発射できる。 「ガッ!」 「ギャッ!」  苦痛の声と共に数名が地面に倒れる。 「六名命中…装填開始」  突然の攻撃に、慌てふためく賊達。俺はリュネに言うでもなく、淡々と呟く。六人に命中したが、戦闘不能になったのは三名程度。俺は急いで弩に矢をつがえる。 「どこだ!」 「ハメやがったな!」 「卑怯者が!出て来い」  残りの賊は、まだ意気軒昂だ。そんな賊達に、スイヤーはあぐらをかいた姿勢で言う。 「お前さんらは、ここで終わりだ〜諦めてとっととおっ死にな〜」  スイヤーがゆっくりと右手を上げる…俺はリュネに新たに指示を出す。 「リュネ、更に俯角一度、足を狙え」 「了解、下げます」  右手が下りると同時に射撃命令が再び下る。 「第二射、撃て!」  ブブッとまたしても矢が四方から男達に襲いかかり、再び苦痛と悲鳴が広場に木霊する。とは言え流石に男達も木偶の坊ではない、今度は致命傷だけは避けた奴がちらほらいる。 「クソ…てめえら、覚えとけ!」  一人の男が踵を返したのを皮切りに、生き残りの男達も戦意を喪失して広場から逃げ出そうとする。俺達は広場に一旦集まる。俺は呻きながら転がる者、動かなくなった者の顔を確認していく… 「…ミュラがいない」 「この程度の罠でやられるような奴じゃないでしょう。追いかければその先に居るんじゃないですか?」  リュネの言う通り、間もなく追撃命令が出た。追いつかないように、追うのだ。 「ロンザはどうすんだよ」  相変わらず縄で縛られたままのロンザを見たエドの疑問に、スイヤーは答える。 「ほっとけば〜?」 「いやいやいやいや…もし逃げられたり、警察に身柄抑えられたりでもしたらどうするつもりなんですか。責任はスイヤーが取らざるを得ませんよ?」  俺は即座に反論した。最後のは軽い脅しだ。 「それもそうかもね〜、よし。ウル、ロンザを二課に連れて帰んな〜」 「了解。じゃあエド、リュネ。そういうことだ」  二人は頷いて走っていった。俺はというと、吊られたままのロンザの縄を見て、それを剣で叩き斬った。結構な高さからロンザが落ちた。 8 ロンザ      ロンザを二課に連れていくことになった俺。当然ながら、ロンザの腰と手には逃げられないよう縄が括りつけてある。両手を斜め下に突き出すような格好のロンザを俺は前に立って引っ張っていく。 「ロンザよ、お前は何で逃げたんだ?」  俺は二課までの道すがら、ロンザに問いかけてみた。 「…捕まえられたら逃げるのは普通だ」  それもそうかもしれない。だが、俺は更に突っ込んで聞いてみる。 「お前、騎士らしいじゃないか。かなりの家の。だったら、捕虜交換で戻れる筈だぞ。何でジタバタする必要があるんだ?」  ロンザ=オルベミッター。十九歳。この国、ルビネル帝国に敵対するアドアーク王国の重臣、オルベミッター家の三男。少年の面影がまだ残る眼の前の男は、そういう人間だ。 「あそこは、人間の居る場所ではない」  あそことは収容所の事だろう。確かに劣悪な環境ではある。 「まあな…ん、そろそろ二課だ」  夜の闇に、二課の建物が浮かび上がってきた。この角を曲がれば、後は真っ直ぐ歩くだけの所まで俺とロンザは戻ってきて居た。するとロンザが言い出した。 「頼みがある。便がしたい」 「二課まで我慢しろ」  俺の冷たい返事にも、ロンザは承諾の意志を見せなかった。 「…漏れそうだ。頼む」  俺は少し嫌な顔になった。そしてロンザに一応聞いてみた。 「小?大?」 「大だ」  …漏らされると困るか、そう思った俺はロンザの要求を容れる事にした。 「あー、そのへんでしろよ」  俺はそう言ったが、ロンザはまだ要求があるようだ。 「…あっち向いててくれないか。そうでないなら、その角の向こうでするが」  人の排便に興味がある訳じゃないので、一も二も無く頷き、俺は邪険に言う。 「どっちでもいいから、さっさとしてこいよ」  ロンザは角の向こうにそそくさと消えた。無論縄は付けたまま。縄を手に持ったまま、俺は仲間達が今何をやっているかと思いを巡らせた。賊はあの策で壊滅に追い込めるとしてもだ。あのミュラ、あいつがそう簡単に捕まったり殺されたりする可能性は低い…しかし、あいつが賊の親玉だとしても、部下が居なくなればそれは無力に等しいのだから、それで良しとするべきだろうか。でもな…警察の面子としては、意地でも自分たちの手でヤツを捕まえようとするだろうな…そこまで考えて、俺はふとロンザに尋ねた。 「ロンザ?お前ミュラに何かしたのか?」  殺されかかる程の何かをしたのだろうか、とふと思いついたに過ぎない。アルターナで事情を聞いた時は、何も関係ないと答えたらしいが…数秒待ったが、角の向こうから返事はない。 「ロンザ?」  縄を俺は引っ張ってみたが、何かさっきと違う手応えが返る。まさか。俺は慌てて角の向こうに駆け出した…。 「やられた…」  縄の先は家の軒に括りつけられていた。どうやったかは知らないがロンザは縄を外したらしい。油断したか…俺は頭を掻いた。 「…まだ遠くには行ってないよな?」  その場に誰も居ないが、自分に確認するように俺は独り言を呟く。そして状況を整理する。今は夜だ。ダイクーンの街は城門が閉ざされていて、外に出ることは出来ない。それはロンザも解っているはず。そうなると何処かで時間を潰すしかなく、まして冬の寒さはまだ厳しい…それにロンザはさっき… 「人間は、色んな物に勝てないからな」  俺はまた独り言を呟き、心当たりのある目的地へ走りだした。 「やっぱりここか」  俺は意外なほどあっさりとロンザを発見していた。さっきロンザは『晩飯はまだか』と言っていた以上、空きっ腹の筈だ。そうなると外務二課の側の食堂、居酒屋を片っ端から当たれば何処かに居る筈だ…そう読んで、その読みは当たった。俺に気づかないままのロンザに背後からズカズカと近づく俺。そして肩を叩く。振り向いたロンザに拳をお見舞いした。テーブルの上の食べ物が落ち、ロンザは椅子の上に腹這いになる。 「手間かけさせんじゃない!」  ロンザは切れた口を押さえている。俺はその襟首を掴み、椅子に押し付け、予備の捕縛紐を取り出した。手早く後ろ手の状態にして結び、ロンザを立たせる。 「お騒がせしました…」  俺が店を出ていこうとすると、店の奥から大きな声がした。 「待った!そいつの代金払ってけ!」  俺は不機嫌になりながら、ロンザを前に立たせて後ろからついて歩いていた。 「ロンザてめー。小銭も持ってねえのに飲食してんじゃねえ!」  言いながら俺はロンザの尻を蹴っ飛ばした。蹴りを食らって前によろけるロンザは、何も言い返さない。 「はぁ…経費で落ちないだろうな、この代金…」  ブツブツと愚痴る俺に、ロンザが言う。 「そのくらい身代金に上乗せしろ、払う」 「今回はこっそり動いてるから、理由を正直に話せないんだよ!」  正直に話すと、絶対に払われないどころか二課の立場まで危うくなる。かといって二課に経費で請求しても恐らく払われない。俺の失策だからだ。大体、そこまでして払ってもらいたい訳でもない額だ。だが、振り回された挙句に思わぬ出費を強いられたので、俺は愚痴っぽくなっているだけだ。イライラしながら歩く俺にロンザは話しかけてきた。 「それはそうと、また頼みがある…便を…」 「お前、俺のこと舐めてる?」  数十分もしていない内に同じ手を同じ相手に使うとか。よくもまあ人の神経を逆撫でしてくれるよ… 「舐めては居ない。今度は…」  そこまでロンザが言いかけた後、俺とロンザの周りを怪しい人影が複数近づいてきた。 「こいつだ!」  人影の一つがロンザを指さして叫ぶ。 「てめぇ!よくも俺らのツレをッ!」  俺は事情がよく飲み込めないので、ロンザに聞いた。その間も人影はゾロゾロと近づく。 「お前、何かしたの」 「ちょっと、お金を借りようとしただけだ」  その言葉で俺には大体想像がついた。腹が減ってもお金の無いロンザは、こいつらの仲間を襲ったか脅したかして、金を巻き上げようとしたのだろう。冷たい目になった俺はボソリとロンザに言う。 「…お前がボコボコにされるのは仕方がないと思うんだ」  人の道理としては。ロンザと取り囲まんとする人影は十人以上に膨れ上がっていた。どう見ても…そこいらに居るごろつきどもだ。 「やってくれたよなァ!まずは有り金全部出してもらおうか!」  人影の一つが恐喝をする。でもロンザにお金など無かった。ということはこいつらも文無しか。さて、気は進まないが…一応うちも治安維持が任務だしな…俺は心を決める。 「あーはいはい、ちょっと良いかな?」  俺の横槍に、恐喝集団は想像通りの反応を返す。 「何だてめえは!すっこんでろ!」 「一応俺は警察みたいなもんでね。お前らのやってる事は恐喝。立派な犯罪。だから引っ込む訳にゃいかない。例えこのアホが悪いのだとしても…引き下がってくれんかな?」  ロンザを横目で見ながら俺は言う。しかし、返答は暴力だった。 「うるせえ!こいつも一緒にたたんじまえ!」  男の拳が俺に襲いかかり、空を切る。それを引き金に、俺とロンザへ男どもが一斉に襲い掛かる!俺はさっき結んだばかりのロンザの縄を切ってやった。 「ロンザ!自分の身は自分で守れ!」  元々ロンザの自業自得だ。が…かと言って男どもに痛めつけられるのを見過ごす訳には行かない。ロンザは手をさすりつつ、俺に声をかける。 「感謝する」  俺は襲ってくる男を捌き、蹴り倒しながら、ロンザの礼に罵声を返す。 「今度逃げたら殺すからな!」  暴力の応酬は、数十秒もかからず決着が付いた。 「覚えてろ!」  ごろつき共が逃げてゆく。ロンザは喧嘩が非常に強かった。ごろつき共を軽く投げ飛ばし、関節を極めて戦闘不能に追い込み、仮に俺が戦わなくとも、一人でどうとでもなっただろうとすら思える強さだった。そんなロンザに俺は話しかける。 「ロンザ手ぇ出して…ん?」  俺はロンザの背後に、キラリと光る物を見つけた。その光は、また一段と輝き…こちらに飛来する! 「あぶねえ!」  俺はロンザに飛びつき、押し倒す。その上を光る物体が過ぎ、壁に刺さる。 「野郎っ!」  俺は起き上がりざまクロスボウを抜き、闇の中へ目標も定めず、撃ち返す。暫くの間辺りに気を配るも…もう殺気はしなかった。俺に跨られた状態のロンザが言う。 「重い…どいてくれ」  よっこらせと、ロンザの胸を手で押して起き上がる俺。何故かロンザが嫌悪感を以って俺を見ている…ともかく今度こそ戦いが終わり、俺達は再び二課までの道を歩く。俺はもうロンザを縛ることはしなかった。ロンザの右手を俺の左手が掴んで引っ張る形だ。すると当然とも言える質問が来た。 「縄は、良いのか?」 「…もう予備が無いんだよ」 「そうか」  実のところ、ここでロンザが暴れて逃げようとしたら、俺には止め切れないかもしれないのだ。だから、縄は無くとも何とか拘束をするべきなのかもしれない。だが…そうはならない気もしていた。今度は、俺から質問をしてみた。 「お前こそ、良いのか?」  俺はあえて抽象的な言い方をしてみた。『逃げなくて』この単語を省略したのだ。 「何が?」  俺は、立ち止まりロンザの顔を見た。闇に隠れて、うっすらとしか顔は見えなかった。だが、ロンザの顔からは逃げ出しそうな気配はしなかった。 「…そうか」  少しの間、沈黙が流れる。そして沈黙は、ロンザが破った。 「貴様が一番最初に聞いた問に答えよう。オルベミッター家は、私が居なければどうにもならないのだ。身内の恥を晒すようだが、血で血を洗う争いになりかねん。一刻も早く戻らねば…そう思ったからこそ逃げようとしている」  ロンザは責任感が強いのか?。俺は三男などと言うのはもっとも気楽な立場かと… 「ふうん、大変だな」  「殺し合いなど、もう沢山だ」  ロンザは貴族にしては、優しい…それが美徳か弱点かは解らない。以後、俺とロンザは妙な匂いのする通りを無言で歩き続け、無事二課に到着した。 9 迷宮  俺は、二課にロンザを拘束した後、他の連中の応援に向かっていた。二課に戻っていたジェイの先導で、苦もなく合流することが出来た。ハム先輩の禿頭が見える… 「遅れました。状況は?」 「もう終わった」  見れば、スカラベ砂賊が数珠つなぎになって捕縛されている。 「ワン!」 「ジェイ、いい子だ」  ハム先輩の方に飛びつくジェイ。【JEMENES】と刻まれた首輪が銀色に光り、その下には小さな赤い玉が結えられている。ジェメネスと書かれてても俺達は大抵『ジェイ』と呼んでいる。俺達外務二課で飼っている…というか俺やエド、リュネ、それにシオよりも以前からあの近辺に居た真っ白な中型犬だ。ただし尻尾だけは染めたかのように黒い。あまりに人に慣れている上、警察の仕事を理解している節もあるところから、元々は警察犬だったのではないかと思われてるが真偽は不明だ。おまけに賢い。軽いお使い程度なら難なくこなしてしまえるくらいだ。 「…ジェ、ジェイ。い、いい子ね、いい子だから…あんまりこっちに来ないでくれる?」  ところが、こんなに賢い犬でもシオはどうも苦手なようだ。悪意のない瞳でシオを見上げて尻尾を振るジェイに、シオは後ずさる。犬に関する嫌な思い出でもあるのだろうか…と思って以前聞いてみたが口を割らない。シオ曰く『思い出させないで!』とのことだ。ジェイはハム先輩のところからシオの方を向くと、不思議そうな顔で見上げる。 「あ、貴方の事が嫌いなわけじゃないの、ただ苦手なだけで…ね?」  シオの引きつった顔を見上げること数秒、ジェイは賊のアジトの方を向いてお座りの姿勢をとった。そしてスイヤーの命令が下る。 「さて、全員揃ったところでミュラを捜索するよ〜、二手に分かれる、表側からは俺とエド、シオサラな〜」  ミュラは見つかっていないようだ。既に脱出済みでは無いかと思ったが、捕縛した賊によれば、どうもそうじゃないという話だ。何より、スイヤー自身が姿を確認したらしい。 「では、ハム先輩とリュネとジェイは俺と組んで裏口から」 「そういうことになるね〜はい散った散った〜」  俺は裏に回った。  目の前の建物は…この街には珍しい石造りの廃屋だ。結構な大きさの屋敷で草はぼうぼう、裏口のこちらの扉は壊れたまま開け放され、錆ついた蝶番が風になぶられギイギイと時々不気味な音を立てる。ここにミュラが居る筈だ。 「ハム先輩、指示を」 「ン。突入…」  我々三人と一匹はジェイを先頭に突入を開始した。とは言っても派手に扉を蹴破るようなのではなく、慎重に。廃屋の中は当然ながら暗いが、今回はまだ明かりをつけない。息を殺して出来る限り見つからずに敵を見つけたい。廃屋は思ったより広かったからだ。ところどころに石像があり、どうやら一室に一つ以上あるらしい感じだった。月明かりを頼りにしつつ、壁伝いに牛のごとき歩みで廃屋の中を歩きまわる俺とリュネ。不気味な静けさの中、しばらく探索に集中する…が、一周しても何も見つからない。 「リュネ…どう思う…」 「居ないはずが無い…なのに居ません…」  ヒソヒソ声でリュネが返す。リュネもおかしいとは思っているようだ。 「一度合流するか…それとももう少し手当たり次第に探すかのどっちかだな…」 「敵の姿が一応無い以上、我々も別れて効率よく探すべきではないでしょうか…」 「そうしようか…」  俺はリュネと別れ、単独行動をすることにした。相変わらず壁伝いに歩きながらも、少し探索の仕方を変えてみる。姿勢を低くして、地面ではなく天井を見上げるような感じで…無論、深い意味はない。地面を注視して何も見つからなかった以上は、手掛りは上にあるかもしれない、と思ったに過ぎない。しばらくその姿勢で探し続けていたら、足に何かがこつんと当たった。無機物では無かったので、下に視線を落としてみると、暗い中に獣の足がある。ジェイだった。 「………」  流石にジェイはこういうところで吠えたりはしない。 「ジェイ…お前でも見つけられないのか?」  俺の声にもジェイは、お座りの姿勢で俺を見上げながら舌を出しているばかりだ…俺はジェイの毛を数回撫でてやってから、探索に戻った。少し行ったところでふと振り返り、ジェイを見やると、何かおかしな動きをしていた。ある所をグルグルと回り続けて、時々止まるのだ。初めは気に留めなかったのだが、振り返る度にずっとやっているので、俺は少し気になった。 「ジェイの鼻も鈍ったか?…ん?」  ジェイのうろうろする所は、何か違和感がある。そっちへ赴こうと、俺が障害物となっている壊れた家具を跨ごうとしたところ、後ろの足の靴がぶつかってしまった。派手に当たったので音がして、埃が舞う。まずい、音を立てた…と俺が思った刹那、俺はあることに思い当たった。埃だ! 「…」  俺は急いでジェイの所まで行くと、屈んで石畳に指をつけ、なぞった。思った通り、ここだけ埃が積もっていない。俺は腹這いになり耳をつける。そのまま少しずつ動きながら、石畳を軽く叩く。地味な作業を繰り返し何回めかで、明らかに他と違う反応、即ち下が空洞であるかのような感覚があったのだ。 「ジェイ、お前の鼻は正しいみたいだ…」  俺は急いで携帯出来る大きさの灯りを取り出し、ベルトの簡易火起こしを使い、灯りをつけた。色は普通の白っぽい岩石そのものだがここに何かある、そう確信したが、ここをどうやって開けるのかは皆目見当がつかない。絶対に何かがある石を睨みつける事数分、考えあぐねた俺は他の連中を呼ぼう、と腰を上げて近くにあった石像のオブジェに右手を何気なくついた、その瞬間。異音がした。石が動いたのだ。ズズズゥと音を立てながら石は斜め上に持ち上がり、人が一人ようやく入れるような大きさの空洞が口を開けた。中は僅かに明るいようだ…奴らはこの中か!俺は喜ぼうとしたが、一方でまずいとも思った。仮にこの中にミュラが居るとすれば、今の音で気づかれた可能性もある。 「クッ…どうする…」  俺は暫し逡巡するものの、決めた。足元にいるジェイに向けて言い含める。 「ジェイ、皆をここに呼んでくれ。俺は先行する」  俺は一刻の猶予も無いと判断し、空洞へと身を躍らせた。穴はそれ程深くはなく、下り坂になっていた。下りが終わると、洞窟に出た。周囲に苔がびっしりと生えていて、その中の一部が僅かに発光しているらしい。お陰で何も見えない闇を手探りで進まなくて済む。それにしても…地下にこんな空間が広がっているとは。 「おいおい、ただの廃屋じゃないな…」  明らかに人の手が入っている。片側の壁に背をついて洞窟を進んでいくと、徐々に明るくなっていった。俺は進む速さを上げようとしたその時、何者かが前からやってくる足音がした。コツ…コツ…ゆっくりとだが足音は近づいてくる。俺は慌てて近くの岩の凹みに身を隠した。誰だ?誰が来る?考えられるのは当然、ミュラかその部下だが…足音が次第に強まるにつれ、そのどちらでもないのでは?と俺は思えてきた。何故なら、どこかで聞いたことがある足音で、一歩一歩の歩く間隔にも覚えがあったのだ。俺のよく知る人間?だが、二課のあいつらではない…考える間にも足音は近づき続けている。そして、とうとう俺の潜んでいる場所のすぐ側まで来た。ええい、儘よ…俺は凹みから身を躍らせ、足音の主に体当たりをした。光があるとは言え、それでも暗い空間だ、顔が見えず未だ誰なのか判別出来ない。 「何者だ!」 そこに居たのは、意外な人物だった。 「何やってんだお前…」  俺が体当たりを食らわせたのは、なんとバーバルだった。どうしてこいつがここに? 「痛ぇ…お前、ウルか?」  地に転がって、上体だけを起こしてそういうバーバルの口調には、いつもの毒舌と敵意が感じられない。いつもなら『何しやがる半端野郎!』くらいは言う。 「そうだよ。で、お前はこんなとこで何やってるんだ」 「そりゃこっちの台詞だ。俺達はヤノーシュ殿の仇討をするべく、あのミュラとか言う輩をぶっ殺しに来たんだよ」 「ぶっ殺しに…一人でか?」 「そんな訳ねえだろ。部下も連れてきたが、はぐれたんだよ」  そういえばこいつは、スイヤーの言っていた強硬派の代表みたいなものだったな。しかし暗い中よくよくバーバルを見てみると、所々に真新しい傷がある。顔、腕、足… 「お前、ボロボロだぞ…その傷は、ミュラ達にやられたのか?」  バーバルははぐれたのではなく、ミュラ達一味と交戦して散り散りになったのを『はぐれた』と強弁しているのではないかと俺は思った。 「違う…達じゃねえ。あの野郎に」  そこまで言って、バーバルは一呼吸置いた。 「あの野郎一人に俺の隊が…俺の部下が…アヒム、ユルグン、シュタイナー、それにハインリヒ…皆やられちまった…」  バーバルの声は震えている。俺はこいつと半日前に大喧嘩をしたばかりで、その時は本気で死ねばいいと思ったはずだ。が、今は。無念さに打ちひしがれるこいつに、ざまあ見ろとはどうしても思えなかった。 「…バーバル。お前はそこで大人しくしてろ」 「てめえらこそ、大人しく、してろ…」 「安心しろ。お前の部下を見つけ次第、回収するだけだ」  俺は嘘を付いた。だが『お前達の仇を討つ』などと正直に言ったところで、プライドの高いバーバルからは罵倒が飛んでくるだけだ。 「………ああ。それは、頼んだ」 「頼まれた」  俺は立ち上がり、洞窟を進もうとしたが、バーバルが苦しそうな声を掛けてきた。 「気をつけろ…お前じゃ…勝てねえ…」  忠告ありがとよ、そう思いながら返事はせずに俺は走り出した。走ってる途中でふと気づき、苦笑まじりに呟いた。 「不器用だな…」  お互いに。  道を走るのは思ったよりすぐに終わった。派手にすっ転んだからだ。よく地形も知らないうえ、おまけに暗いのではなるべくしてなった結果か。ともかく俺は地面の苔だかに足を取られて滑り、尻餅をつく様だった。 「チ…」  みっともない様に呻きかけたのも束の間、すぐに立ち上がろうと体を起こそうとした。すると、どこかから話し声が聞こえてきた。 「埒のあかぬ話だ」  この声は…ミュラか!誰と話している? 「貴様は…利用…権力を…強化する…」  利用?権力?何の話だ?途切れ途切れに聞こえる為、俺はよくわからないまま、少しでも聞き取りやすい場所を求めて駆け回った。 「答えろ…スイヤー…」  相手はスイヤーか…スイヤー?何故?俺より後に入っているはずでは。それとも、ここには複数出入口があるのか?バーバルも居た所を見ると、どうも後者のようだ。それにしても、あのオッサンはミュラと二人で何を話してる? 「お前さんも、もう諦めな。気の毒だが、死んだ者は帰ってこないもんなんだ」 「今さら何を。蘇生の秘法は何があろうと必ず渡してもらう、でなければ…」 「ガイムをダイクーン全体に放つのか?」  ようやく聞き取れる場所を見付け、俺は二人の会話に耳を澄ました。蘇生の秘法だと? 「先の脅しで貴族どもにもわかったはずだ。たった二匹でもあれだけの被害を出し得る事を。あれ以上の被害は出したくあるまい」 「そうだけどな。上の答は変わらないとさ。お前さんも、目的は半分果たしているんだろ?そこらで手を打たないかね。こっちに出来る譲歩は、お前さんを追っかけない事くらいだ」  何を言い出すんだスイヤー、本気か?ほとんど反射的に俺は叫んだ。 「スイヤー!何処に居るんだ!」  俺の叫びは二人にも聞こえたようだ。同時に俺は二人を捜し回る。 「貴様の部下は優秀だな」 「皮肉はよしな。ま、個人的には嫁さん殺されたお前さんにゃ同情してるくらい…」  捜し回る内に、またも声が遠ざかる。そして、どうやらこの岩の向こう側に空間が存在し、二人はそこにいるだろうと推測した。ということはどこかに隠された通路がある。 「貴様が…アイシャを…語るな!」  …ここか?声がはっきり聞こえる所。岩壁に見えた所は光の加減で眼を騙していた。扉らしきものがある。だが、取っ手も何も無く、どうやって開けたらいいのか不明だ。 「ウル〜!」  いきなり自分の名前を呼ばれたのでドキっとした。 「お前さんの居るとこ、今手をついてるとこを思いっきり押してみな〜!」  なに?スイヤーはこっちが見えるのか? 「…さっさとしろ!」  スイヤーの催促が飛んできた。俺の状態がはっきりと解るらしい。俺は言われるままに手を付いている壁に体重を掛けた。その瞬間、いきなり地面が消えたようにな感覚に襲われると、俺は落ちていた。いや、落ちたというよりはいきなり違う場所に移動した感じだ。尻餅もつかなかったし。すぐ前にはスイヤーの背中、その向こうには顔は知らぬ男…だが俺はこいつを知っている。無論ミュラだ。 「お前っ、お前は…」  俺は言いつつほとんど無意識に、男に近づこうとするが、スイヤーに制される。 「ウル〜それ以上前に出るな〜」  スイヤーの眼を俺は見たが、スイヤーは人差し指をある方向に向けながら言った。 「撃たれるぞ〜」  スイヤーの親指の先には、別の男が弓を構えていた。こちらに不審な動きがあればいつでも限界まで引き絞った矢が放たれる体勢だ。他にも部下が数人。俺はスイヤーに食って掛かる。 「そんな事よりスイヤー。これはどういうことですかっ!」  スイヤーはいつものふざけた口調じゃなくなった。 「聞こえてたんだろ?話の途中から。そこから想像したとおりで合ってる…ま、それで全体の七割ってとこか」  七割? 「スイヤー、アンタがこいつの討伐じゃなく交渉に来たのは解りました。その一方で、バーバルの隊がこいつをやろうとして壊滅したこともご存知だったんですか?」  交渉とは別の手段を同時に採っているのか。 「ああ。ついさっき知った。お陰でやりづらくなった」 「賊と交渉するだけでも同意しかねるのに…」  俺の言葉を否定するように、黙っていたミュラが喋りかけてきた。 「小僧、私は賊徒などではない。むしろ私はスカラベの賊徒に死んで欲しかったのだ。妻子の仇としてな!」 「何?お前、賊の親玉じゃ…」 「仇討ちの為だけに親玉になったんだとさ。内側から賊を死地に追いやる為にな」  スイヤーの説明によれば、このミュラは、スカラベ砂賊とヤノーシュに妻子を殺され、仇討の為に賊に成り済ましたのだとか。森でヤノーシュと兵を殺害し、後はスカラベ砂賊の居場所を警察に漏らして討伐させる。それが目的だったらしい。無論、警察とミュラが裏で手を組んでいなければ出来ない話だ。警察は賊を一掃出来、ミュラは仇を討てる。砂賊の癖に、普段居るスカラベ砂漠から離れた都市であるダイクーンに居たのはミュラがわざわざ誘導して来たと考えるべきか。手の込んだ真似を… 「じゃあ、ミュラの目的は達成されたってわけだ…俺達と警察の手で」 「ところが話はそれで終りじゃない。目的はまだ半分しか達成してないんだと」  仇討ち以外にまだ何か有るのか?と思った所でミュラの声が俺の思考を遮った。 「お喋りはここまでだ。交渉は決裂だ!] 「いやいや、ちょっと待ったミュラ。ご所望のもんはあるんだ、まだ話は続くはずだ」  ミュラは何かを要求しているのか。 「あるのならば渡せ!」 「お前さんの手札。ガイムを作る玉を渡してもらわないとさ」  ガイムを作る…その言葉を聞いて俺は表情を強ばらせた。 「スイヤー。貴様が先だ!」 「全く。埒が明かない、仕方無いかな」  スイヤーは懐から、不気味に光る赤紫色の玉を取り出し、その玉をミュラの足元に放り投げる…ミュラの横に控えていた男がすっと前に進み出て、その玉を拾ってミュラに渡す。 「これが、蘇生の秘法を助ける触媒、蘇生玉か…」  ミュラは感慨深げにしげしげと玉を見ている。しかし、俺は思った。蘇生だと? 「おっと、老婆心ながら忠告だ。その玉は陽に当てると使い物にならなくなる。それと。感動してないで、そっちも寄越しなって」  スイヤーの言葉に応じ、ミュラは手に持っていた玉を無造作に放り投げた。玉は俺とスイヤーの足元にコロコロと転がる。 「フン、これで用はない。クレイグ、予定通りだ」 「お任せを」  最早ミュラは俺達を一顧だにせず、洞窟を出て行こうとしている。当然、俺達もみすみす逃してやる気はない…だが、眼前に立ちはだかる男。クレイグと呼ばれている男が居る。 「そこをどきなよ、クレイグとやら」  クレイグは俺に返事をする代わりに、左手の人差し指を口の前で横に往復している。 「クレイグ君は〜どかしたきゃ〜俺を倒していけってな具合かね〜?」  スイヤーの言葉に、クレイグは軽く頷き、背中の弓を俺達に向け構える。するとその時、背後から物音がした。 「スイヤー、それにウル!」  聴き慣れた声の主は、ハム先輩達だった。無論、エドやリュネ、シオにジェイも居る。 「これで七対一だ、それでもまだやる気か?」  クレイグは相変わらず答えない。表情も変わらない。この状況でも余裕がある…何か切り札でもあるのだろうか。それとも…そう思っていると、スイヤーの指示が飛んだ。 「ジェイ、ミュラを追え。匂いはこいつについてる。エド、ハム、リュネ、盾持って前進。シオ、ウル、後方で待機」  ジェイは先ほどミュラが手にしていた玉の匂いを覚え、了承したように短く鳴くと、洞窟を四本の足で駆け抜けていった。意外にもクレイグはジェイを射たりはせず、目の端でちらりと見ただけだった。 10 七対一  「そんじゃ〜クレイグ君の実力を見せてもらおうか〜?」  エド達三人がジリジリと盾を構えつつ間合いを詰める。クレイグは口をほんの少し歪めただけで、矢を事もなげに放つ…手を抜いているようにすら見える。が、その一本の矢が俺達の空気を一変させた。 「!」 「盾を…」 「貫通した?」  三人の言う通り、クレイグの撃った矢は盾を貫通した。ただ貫通したのではなく、三つの盾の真ん中を同時に貫いている。正直なところ、神業に近い。 「スイヤー、これは…」  俺も援護して、全力で掛かった方が良いのではないか、と俺は言おうとしたが、スイヤーは俺を制する。 「…手加減してこれか〜凄いねお宅〜」  クレイグはやはり答えない。スイヤーはその反応を見て取ると、片手を上げた。 「三方向に散開〜」  エド、リュネ、ハム先輩の三人がそれぞれ正面、左右に散る。これでいくらクレイグが武芸百般であろうとも、一度に三発を三人に命中させるのは不可能だろう。 「かかれ〜」  スイヤーの気の抜けた号令と共に攻撃を始めるべく三人は間合いを詰めるが、クレイグは動じない。何やら新たに矢を取り出して弓につがえた。そうこうする間にもリュネが手持ちの武器である槍の間合いに入った。攻撃を繰り出すリュネを軽く捌き、クレイグは叉も矢を放つ…と、爆音が辺りに響いた。 「グァッ!」  ハム先輩のうめき声が上がる。盾が矢を受けたと同時に、爆散したのだ。クレイグの矢も折れて砕け散っている。恐らく、鏃に盾を破壊する爆薬か何かを仕込んでいたのだ。ハム先輩は盾の破片をまともに喰らい、顔じゅうが血だらけになっている…その様子をエドとリュネは確認したが、怯むこと無くエドは手斧を、リュネは槍を繰り出して攻撃を続けている。 「ハモンドは下がりな〜ウル、交代〜」  ハム先輩は後退して、シオの手当を受けている。で、俺の出番か…今見た限りじゃ、俺とクレイグの力量には、天と地程の差がある。つまり、加勢に入った所で物の役に立てないだろう。エド達は未だ攻撃を続けているが、二人の攻撃の合間を縫って放たれる矢により、負傷が増えてきている。弓という接近戦には比較的不利な武器でもあそこまで…クレイグの息もまるで乱れていない。クレイグの背に背負われている矢筒にはまだ充分余裕がある。 「リュネ、一旦下がれ!」  二人の内消耗が激しいリュネに声をかけ、俺はクレイグを挟んでエドと対になる位置に移動する。対峙するが、武器を構えただけで俺は攻撃を仕掛けない。いや、迂闊に仕掛けられない。 「あー…強ぇよ。こいつ強ぇ」  肩で息をしながらエドが言う。エドも相当の猛者なのだが、それを上回るとは。言葉にも納得が行く。このクレイグという男の近くまで寄ってみて解ったが、何しろ隙がないのだ。戦っている間もまるで焦ったり、顔を顰めたり、或いは喜んだりという反応らしき物も無かった。 「やりにくい」  俺は独り言を呟く。俺より対人戦で実力が上の三人が束にかかっても敵わない相手だ。俺とエドでどうにかなるとは思えない。かと言って、ここで時間を空費していても、こいつの思う壺にはまる。何せクレイグの目的は俺達の足止めなのだから。いくらジェイが追尾しているとは言え…と、そこまで考えた時、俺から見て斜め右前に人影がゆらめいた。 「居たぞ!仲間の仇!」  あれは…警察の兵か?四名ばかりの兵士がクレイグ目がけて殺到していく。 「やめろ!」  俺の叫びも兵士達の耳には届かないようだ。無視してクレイグに迫る四名の兵士。そして、エドもこれを好機と見て中断していた攻勢を再開した。確かに、六名掛かりならば…と俺も思い、クレイグへと向かう。だが、三方向から六倍の人数が襲うという状況にもクレイグはやはり表情を変えなかった。落ち着き払って新たな矢を弓につがえている。 「おおおおお!隊長の仇だッ!」  叫びながら斬りかかる兵を躱し、クレイグは至近距離から矢を放つ。兵の側頭部に鏃がめり込み、兵士は断末魔すら上げずに飛ばされて動かなくなる。やや遅れて来た兵士達三人は、その様子に少し顔を歪めつつも恐れず踏み込んでゆく。エドと俺をちらりと横で見て、こちらに矢を構えて放ってきた! 「エド、避けろ!」  俺の叫びと同時にエドの足元、そして俺の足元に炸裂する矢。先程ハム先輩の盾を壊した奴だ。俺は大袈裟に避けた為に無傷だったが、エドは通常の矢と思ったか、炸裂した鏃の破片で足を傷つけている。そんなエドが叫ぶ。 「気にすんなよ!掠っただけだぜよ!」  俺達二人の足を止めている間に、クレイグは兵三人の攻撃をいなし、時には地面に前転をしながらも躱し、その間も抜け目なく新たな矢を準備している。 「死ねぇ!」 「ちょこまかしてんじゃねぇ!」 「このルーピー野郎が!」  口々に罵りの言葉を浴びせながら必死に剣と槍を繰り出す兵達。ちなみにルーピーとは、頭のおかしいというような意味合いだ。だが、クレイグが兵達三人がほぼ一つの場所に固まったと見るや放った矢は、無慈悲に一人の兵の上半身を爆散させた。 「お…」  まともに食らった一人は即死だろうが、それよりも惨い事になっているのは後の二人だった。一人は鏃の破片が喉に刺さり、夥しい出血をしている。まだ息こそしてはいるが間もなく絶命するだろう…そしてもう一人はこちらも爆風に肩をやられ、右腕がもげて力なくぶら下がっている。 「お、俺の腕がぁ!」  最早兵は全員戦闘不能だ。走って走って、ようやく攻撃可能な位置まで来た俺とエドだったが、目前の惨劇に流石に無関心ではいられない。 「そこの兵!もう無理だ、離れてろ!」  俺の忠告だったが、兵はなんと左手で無理にでも携えていた剣を抜こうとしている。 「…隊長と、仲間の仇なんだよ!」  勇ましい言葉と共に剣を抜き掛けた兵だったが、クレイグは未だ元気な俺とエドを無視し、矢を兵に向かい放とうとする。俺は迷った。絶好の攻撃の機会であるのだが、つい先刻のバーバルとの会話を思い返したからだ。 『…お前の部下を回収するだけだ…』 『…ああ、それは、頼んだ…』  どっちだ!攻撃をするのか?それとも…俺は決断を迫られた。 「ええいっ、クソ!」  俺は、跳んだ。負傷した兵に向かって。 「ムッ?」  意外そうなクレイグの声がした。俺は跳びつつ足を思い切り伸ばし、兵の体を蹴り飛ばした。伸ばした足の上を、負傷した兵の頭の横を、殺意の篭った矢が虚空に飛んでゆく。 「ウル、なにやってる!」  その場に居た全員に言われる俺。非難を無視し、飛び蹴りを食らって仰向けになっている兵を担ぎ上げた。無論クレイグに対して隙だらけなのは解っている。 「エド、時間稼いでくれ」 「お前は人が良すぎんだよ!」  斬新な意見だ!今まで一度も言われたことがないからな!そんな事を思いつつ、俺は担ぎ上げた兵と共にクレイグの矢の間合いから離脱を始めた。 「ちょっとばかし本気で行くぜよ!」  エドが精度を無視して手数を重視した攻勢をクレイグに掛ける。俺に注意を向けない為の苦肉の策だ。そのお陰か、離脱する俺に矢が刺さる事は無かった。顔を真っ赤にしながら死に物狂いで運んだせいで、息が切れる。 「エド!もういいぞ、一旦仕切り直せ」  今まで黙って見ていたスイヤーが指示を飛ばす。戦っていたエドは斧を収め、間合いを広げて射程範囲から出る。クレイグもそれを見て、構えていた弓をゆっくりと下ろした。 「シオ、ハム先輩と同様、こいつの手当宜しく」  俺は包帯で頭を巻いたハム先輩の隣に兵を下ろした。 「了解したわ」  俺とシオのやり取りの間も、スイヤーは新たな怪我人には一瞥もくれずに、クレイグの方を向き続けている。そして状況をまとめ出した。 「皆よく聞け、目標の情報を伝える。武器は弓矢。但し通常の貫通する矢ともう一種炸裂する矢の二つある。炸裂する方は鏃が赤だ」  又スイヤーが真面目な口調になった…初めから真面目にやれよ、と言いたくなる。 「弓の名手であり、一度に三発まで同時に発射可能、狙いは正確。三発の中に炸裂弾を混ぜるのも出来るらしい。だが、先ほど奴の矢筒を見た限りじゃ、炸裂する矢は残り一発だ」  スイヤーの言葉が続く。 「最後、目標の癖だ。戦意の強い者から撃つようだ。距離も実力も関係ない。それはウルがあの兵を助けた時解った、もし目標が手当たり次第に数を減らすような方針なら、ウルもあの兵も死んでいた」  背筋が寒くなった。それはそうと情報の整理も良いが、それでこれからどうするんだ? 「そうなんだろ、クレイグ君?」  遠くにいたクレイグは僅かに口を歪めて笑ったように見えた。直後、下ろしていた弓を上げ、スイヤーに向けて撃った。 「スイ…」  シオサラの声の後、矢はスイヤーの背後の岩に刺さり、パラパラと砂を落とす。 「射程外だ、慌てるなシオサラ。しかし指摘は図星かね?それとも怒ったのか?」 「…」  クレイグは徹底して無言のままだ。そうすると、こいつが先程見せた、俺が兵を庇って蹴り飛ばした行動に対しての短い呻き声。あれは奴としては珍しかったのだろうか。 「まあいい、作戦を説明する。ウル、耳を貸せ」  俺?満足に動けるのは俺とエド、それにシオくらいだが、俺だけ?少し引っ掛かりながらも俺はスイヤーの口に耳を寄せる。 「………こんな具合で」 「あのなオッサン。別に反対しないし、してもやらせる気だろうけど一つ言わせろ。アンタはいつか絶対に罰が当たる!」 「よく解ってるな。でもお前も共犯だから罰は当たるけどな。残念」  心の中で溜息を一つ付いて、俺はスイヤーに言われた通りクレイグの方に無造作に歩き出した。そして思わず愚痴がこぼれた。 「クソ上司…」  聞こえたとは思えないが、スイヤーの反応は鋭かった。 「なんか言ったか?」 「何も!」  地獄耳め。俺はクレイグの弓の射程距離ギリギリに立った。スイヤー曰く、『この辺』だそうで、いい加減な教え方も良いところだ。そして、俺がスイヤーに受けた指示は、とにかく喋ってクレイグの気を何でもいいから引け、ということだった。俺は剣を捨てた。 「ミスタークレイグ?貴方は何者だ?」 「…」 「答えないか。なら勝手に喋らせてもらう。貴方はあのミュラの部下だな。森で一度会ったような記憶もある。あの時ヤノーシュはあっさりと殺したが、俺やリュネは殺さなかったな。それもスイヤーの言うところの貴方の『癖』か?」 「…」  変わらず答えないクレイグ。こっちも勿論最初から返事など期待してない。そもそも口から出任せだ。スイヤーは定位置に着いただろうか?リュネは?…そろそろ頃合いか。 「じゃあ、これが最後だ。貴方の事を何か一つ当てて見せよう…そう、例えば…」  適当に時間を稼いだらこの言葉を言え、ともスイヤーに言われている。 「クレイグ=レイダーマン=ハーセン…それが貴方の名前だ!」  初めて、クレイグの表情が目に見えて変わった。同時に、地を這うようにして飛来したのは両端の石に縄を括りつけた物…『ポーラ』と呼ばれる物だった。撃ったのはリュネだ。ここが明るくて良かった…俺が無駄話で時間を稼いでいる間に死角に回りこみ、今の隙を逃さずに撃ったのだ。ポーラはクレイグの足に巻きつく。そして、スイヤーが動いた。猛然とクレイグへ向けて突進してゆく。 「かかったな!もう逃げられん!」  俺の言葉に、クレイグはやや動揺していた表情を引き締め直した。そして、突進するスイヤーへ向け、赤い鏃を弓につがえる。 「来るぞぉ!」  エドの大きな声が響く。スイヤーとクレイグの間には、大股で二度跳んでも届かないであろう距離がある。間に合うか?クレイグの矢が弦を離れ、一直線にスイヤーを襲う! 爆音がした。炸裂する矢によって四散する肉体…だが、足こそ一度止まったもののスイヤーは生きていた。 「よく思いつくよな…」  俺の感心半分、呆れ半分の呟きの間にも、スイヤーは一旦止めた足を再び動かし、クレイグに向かう。斬りかかる事が出来る間合いまであと僅かだ。クレイグは尚も通常の矢を放つが、ことごとくスイヤーに素手で払われた。 「お前のボスの技さ〜」  とうとうスイヤーはクレイグの間合いに入り込み、足をポーラに取られているクレイグを苦も無く地に引き倒した。俺とエドはすぐにクレイグの側まで近づき、動けないように縄で縛る。地にうつ伏せになったままのクレイグに向けて、スイヤーはやれやれ、という顔をした。 「兵が見てなくて良かったですね」  俺はそうスイヤーに言った。スイヤーの作戦はこういうものだった。俺が時間を稼ぐ間に、リュネは死角の射撃位置につき、スイヤーはクレイグと兵士の死体を間に挟んで直線になる位置まで移動する。俺がクレイグの本名を言い、クレイグが動揺を示した所でリュネがポーラを射撃、行動の自由を奪う。スイヤーが突撃し、炸裂する矢を使ってこなければ良し、もし使ってきたら…兵士の死体を盾にする。先に四散した肉体はそれだ。仲間の死体をそんな風に使われたら、誰でも怒るだろうと思ったが、今のところそういう怒声は聞こえない。それを指して俺は『見てなくて良かった』と言ったのだ。もっともこの男の事だ、見られていてもまるで頓着せずにやったに違いない。よく考えつくなと感心半分、呆れ半分で呟いたのはこの事だ。後はろくに動けないクレイグを制圧して終りだ。 「兵?止血してる途中に気絶したわ、死んではいないけれども」  いつの間にかシオもクレイグの側まで来ていた。死んではいないか。何とかバーバルとの約束は守れたようで、俺はほっとした。 「ハム先輩の傷は?」  俺の質問にシオは答えて曰く。 「出血は派手だけどたいしたことないわね。でも、瞼の上を切ってるからちょっと戦闘はやめた方がいいわ。動いたら又傷口が開いてしまうかも」  死体の盾は思った以上に機能したらしい。本物の盾で防いだ先輩は傷ついたというのに。 「それで〜?ミュラはどこ行ったんだ〜?」 「隠すと為にならんぞ!」 「拷問の前に吐けって。こっちもやりたかねえんだ」  いつもの軽い調子に戻ったスイヤー、普通に凄むハム先輩、恐らく本心のエド。しかし案の定というか、クレイグは答えようとしない。 「こいつに構わず、追わなくて良いのですか?まだミュラは遠くに行ってませんよ?」  リュネの意見ももっともだが、最早俺達の戦力は半減しているに等しい状況だ。無傷なのはスイヤーと俺だけで、初めから戦闘に向いてないシオ、リュネは右足を矢で抉られて立つのもしんどい。エドもニ、三の矢傷を受け疲労の色が濃く、ハム先輩は相変わらず血が止まり切らずに包帯が痛々しい。一度引き上げてからでないとミュラと戦うのは厳しいのではないか、と俺は思う。 「ん〜…じゃ、手っ取り早く爪の何枚かでも剥いでみるかな〜」  スイヤーは間延びした声で怖い事を言う。だが、その言葉を聞いてもクレイグの顔色は一定のままだ。拷問など恐れてはいないと言う感じだ。 「おい、クレイグ、早く喋っちまえって」 「…居場所を聞きたいのだな?」  エドの催促に、クレイグが喋った。明瞭な声だった。 「そうだよ、どこだ」 「それは…」 「それは?」  俺が急かすものの、クレイグは何か言いかけて止まった。そしてうつ伏せのまま顔を上げさせられた状態で、鼻を鳴らして低く笑った。 「…言えないな」  直後、クレイグは歯を食いしばるように顎に力を込めた。クレイグの眼が剥かれ、一瞬後にビクンと体を震わせた。クレイグを押さえていたエドとハム先輩が異変に気づく。そしてクレイグの体の力は急激に抜け、ダラリと地に伸びた。 「自害した!?ウル!」 「はい!」  先輩の言葉に俺は慌ててクレイグの口に手を突っ込んだ。舌を噛み切ったと思ったからだ。口の中を喉まで手を突っ込み、詰まっている筈の舌を捜すが、何処にもそれらしきものはない。ということは… 「毒か…」  俺は涎塗れになった手を引き抜いて、力の無くなった体をそっとうつ伏せに置く。手遅れだ、もうクレイグが二度と動くことはない。シオが脈を取るような格好になり言う。 「死んだわ。もし即効性の毒だとするなら、カロ系植物から取れる粉末があるわね」  シオが解説してくれているが、正直そんな事はどうでもいい。 「どうします?手掛りが…」  クレイグの死によって、ミュラを追跡する材料が減ってしまった。そうリュネは言いたいのだろう。 「ん〜ジェイと合流しよ〜」  リュネの言葉にスイヤーは、次の指示を出した。俺達二課は用の無くなった空間を後にした。残されたのは人間だったモノが四人。行きがかり上俺は助けた生き残りの兵を担ぎながら、こう思った。あいつらは皆任務に殉じたんだ。好きでやった事で死んだんだ。だったら… 「それでいい筈だろ」  ほとんど無意識に、こぼした言葉を聞きとったのはリュネだけだった。 「何です?」 「何でもない」  それでいい?本当に?心のどこかにわだかまりを残しつつ俺は、リュネに答えながら、洞窟の中を歩くのだった。 11 後始末     洞窟を出ると、ダイクーンの町外れに出た。集団の最後尾を人を担いで歩いていた俺は、白い犬の姿を発見した。ジェイだ。ジェイは洞窟の出口付近に居た。何やらグルグルと同じところを回っている。 「ジェイ、ミュラの奴はどっちだ?」  ジェイは尚も同じところをグルグルと回り続けている。これは… 「スイヤー、これだ!」  地面からハム先輩が何かを拾い上げた。小さな袋から、赤い粉末が覗いている。 「これ、何だ?」  俺は何気なく聞くと、シオが答えた。 「犬にしか解らないけど、強烈な匂いを発生させる粉末。水と混ぜることで効力を発揮するわ。この匂いを嗅いだ犬は、嗅覚を狂わされて他の匂いとの判別を困難化させる」 「ああ…で、ああなったと」  いくら集中しても俺達には何の匂いもしない。ジェイは困った顔で歩く所を、見かねたエドに抱き上げられた。 「ジェイが頼みの綱だったってのによ」 「キュゥーン」  申し訳ない、とでも言いたげなジェイの鳴き声がした。 「別にお前を責めてねえからよ」  エドはジェイの首の後を掻きながら、優しく言った。 「どうされますか?」  リュネが疲れた声でスイヤーに聞いた。 「一本取られちまったかね〜。ま、取り敢えず二課に戻ろうか〜」  敗北を認めるような口ぶりのスイヤーだったが、俺は当人の眼を見て嘘を言っていることが解った。如何にも一仕事終えたっていう顔をしていたからだ。 「じゃ〜戻ろうか」  スイヤーが短くまとめた。ふと見上げると、そろそろ空も日を昇らせる頃になっていた。  助けた兵を警察に預け、バーバルに状況が変わったという事を伝える紙をジェイに持たせ、クレイグ並びに警察の兵の死体があの洞窟にあることを行政管理区に報せ、怪我をしたリュネ、ハム先輩、エドを手当し…色々と戻ってからもやることはあった。それらがようやく一区切り着いて、俺が一人で一服しているとスイヤーが戻ってきた。 「まずい事になった。ロンザが居なくなってる」  何だって?と思ったがスイヤーの顔も口調も真面目だ。俺をからかっている訳じゃ無さそうだ。俺は椅子から腰を上げる。 「は?俺はちゃんと二課の牢に…」 「その牢が破られてる。ミュラの仕業だ」  ミュラが?どうしてここに居る事を知った?いやそれよりも… 「何でロンザが?」  アルターナに護送した時は身柄を奪わなかったのに、なぜ今頃になって? 「蘇生法に必要だからだ。奴の妻の蘇生にな」  『蘇生法』その名の通り、死んだ者を生き返らせる秘法の事で、先に洞窟でミュラとの会話の中、出てきたあれだ。俺も蘇生法の名前くらいは知っていたが、殆どお伽話の伝承程度にしか思っていない…俺だけではなく、ダイクーンに住む者全員もその程度の認識だ。だが、スイヤーの話によれば、ミュラはそれを信じ込んでいるらしい。ヤノーシュ殺害と、蘇生法に必要な蘇生玉の入手。これがミュラの目的… 「ところで、ウル。お前、人が生き返ると思うか?」 「思いませんよ」  俺は一笑に付そうとしたが、スイヤーは意外な事を言い始めた。 「ところが、これがあながち嘘でも無いんだ。蘇生法に必要なのは蘇生玉だけではなく、形式に則った儀式と、更に生贄となる者が不可欠であり、その条件さえ満たせば絶対に生き返るんだそうだ…」  生贄?ロンザが?更にスイヤーが続ける。 「生贄も、誰でもいいわけじゃない。愛する者の命でなくてはならない」 「男同士で愛し合うんですか?気持ち悪いです…」  俺の返事にスイヤーは妙な顔をした。銀色の眉毛が微妙な動きを示す。 「ウル、何か勘違いしてるな。あいつは女だぞ」 「え?」 「あいつの本名はローザ=オルベミッター。ミュラの娘だ。もっともロンザでも間違いではないな。当主代行の時はそう呼ばせてたらしい」  まさか、と俺は思った。全然解らなかった…が、スイヤーによれば二課の他の連中は解っていたようだ。そうと知っていればもう少し丁寧に扱ったものを… 「…じゃあ娘の命を生贄に?」 「そうだ」  俺はあんぐりと口を開けた。自分の娘の命を捧げるだって?正気とは思えない。第一そこまでして妻を生き返らせるのか?奴の中では、死んだ妻が最優先なのか。 「…事情は解りました。それでは、奴を追わないと!」 「それだがな、ウル。追跡はしない」  スイヤーは俺の思ってもみない言葉を吐いた。当然、俺は質す。 「どうしてですか!」 「よく考えろ。まともに動けるのはお前とエドくらいだ。後は全員万全とは言い難い。人員を割こうにも、ダイクーンに一人は必ず残さねばならん。おまけに俺は、これから運動《・・》に出ねばならん」  スイヤーの言う運動とは、政治工作の事だ。有体に言えば、二課のお咎めを少しでも減らす為の活動…元はといえば、この男がロンザを連れださなければ何事も起こらなかったとは言え。だが今更言っても始まらない。俺はスイヤーの眼を見据えた。 「俺が行きます」 「やめておけ。お前一人ではミュラには勝てん。それを承知で言ってるのか?」  そうだろうと思う。俺と奴には厳然たる力の差がある。それでも… 「見捨てられませんよ」 「…そうか、なら勝手にするがいい。場所はグランティスだ」  俺はスイヤーに一礼をして、その場を離れた。  スイヤーと別れ、俺はグランティス廃鉱山に行くことになった。そこにミュラとロンザはいるとの事だ。急を要するので、馬が居る。独特の飼葉と、馬糞の匂いが混ざり合う厩舎の前で手続きを済ます。しかしグランティスか。何処かで聞いた単語だ…するとそこへ欠伸をしながらエドがやって来た。 「ふぁぁ…まだ眠い。ウル、どこ行くんだよ?」 「お前こそ。しかもその格好で」  エドは完全武装していた。胸当て、手甲、背中には大きな斧。軽装が常のこの男が。薄々感づきながら、俺は聞いてみた。 「グランティス。お前の行くところと同じだよ」  想像は的中した。微かな笑いを口の端に湛えながら俺は気づいた。俺がグランティスに行こうとしている事を知っている…即ちスイヤーが差し向けたのだ。 「相棒、お前の数少ない長所は、付き合いの良いところだよ」 「心外な。俺は長所ばっかりだよ?」  俺は苦笑いになった。 「そういうことにしといてやる」 「ヘッへ…そんじゃ、行くかよ」  元気に嘶く馬が、一頭繋がれてきた。  グランティス廃鉱山―――ダイクーンの北十キロに位置し、鉱物資源の豊富さでは類を見ない鉱山だった。だが去年、廃山になってしまった。鉱物資源が枯れた訳ではなく、原因不明の火事や爆発事故が頻発したせいだ。原因が特定されれば又採掘を再開するのでは…とも言われている。そんな状況なので、立ち入り禁止になっているにも関わらず人がチラホラと散見される。もっとも集まっているのはあぶれ者、悪い意味での山師、賊紛いのチンピラ…碌でも無い人間ばかりだ。俺達は入り口の近くに馬を置き、中へ進む。 「家出少女の来るとこじゃないな…」 「あのチビっ娘は飼い犬追っかけてここまで来たってだけだからな。ここがどういうとこか解ってたら来ねえだろうよ」  そして、エドは懐から何か球体を取り出して、俺に渡す。 「お、そうだウル。ハモンドのおっさんがこれお前に、ってよ」 「音爆弾か」  先輩の気持ちとして大切に使おう…そう思うと手の中に重みをズシリと感じる。 「あ、何か言ってたぞ。いつものと違うから慎重に扱えとか」 「違う?そういえば重いが」  気のせいではなかったのか。ともかく、俺達二人は傾き始めた陽を背に浴びながら、薄暗い穴の中へと進んでいった。鉱山内部は、夕暮れ時という事も合って、行けば行く程に暗さが増してゆく気がしてくる。一応の採光孔が点在しているので、全くの視界ゼロではないが、それでも明るさは足りない。壁にかがり火の残骸が周期的に配置されているのだが、点火しようとしてもすぐに消えてしまう。防火処理がされているようだ。俺は一つ疑問が湧いた。山火事なんぞ起こりようが無いはず…エドが嘘をついてる訳でもないだろうし一体何故?考えながらも更に歩くと、道が二つに分かれていた。ひとつの道にはかがり火が点いているが、もう片方は一ミリ先も見えない闇だ。 「どうするよウル?」 「こっちだな…」  別に根拠は無かった。単純に視界が明瞭な方を選んだだけとも言う。数分も歩いたところで道は終り、明るくなる。出口だ。出口には人が幾人か居た。ほとんどが鉱夫だが、一人だけ小奇麗な身なりの白い服を着た男がいる。その男が鉱夫達に指示を出している。男達は俺達に気づいた。 「客だ」 「今日は多いな」  少し俺達は話をしてみる事にした。 「…あんたらはここに何か堀りに来てるのか?」 「今日は晴れだから休みだ。雨が降ったら俺らの仕事だな」  普通は逆じゃないのだろうか。でも、細かいことは気にせず話を続ける。 「そうか。雨が降ったら何が採れるんだ?」 「ダマスクス鉱って言う貴重な鉱物が採れる。お前達は何しに来たんだ?」  隠すつもりは無いが、一応ぼかして答えてみる。 「ま、あんたらのとは違うけど、俺達も仕事だ。ここに先客が来たか?」 「おお、四十くらいの男と十代の親子連れが」  俺とエドの眼に険しさが帯びる。 「エド。いよいよだ」 「おう、ちゃっちゃっと片付けるかよ」  するとその時、白い服の男が一歩前に出てきた。何やら分厚い本を抱えている。学者だろうか、と俺は思った。そんな俺とエドに男は話しかけてきた。 「お前達、旧鉱山に行くのか?」 「そうだが?」  男は重々しく語る。 「忠告しておこう。中には様々な動物、植物、昆虫、その他の生命が居るが、無為に殺さないようにし給え」 「どうしてだ?」  殺すな、か。そりゃ虫とかをやたらに殺す気は無いけどね… 「あそこは、不思議な生態系の天秤で釣り合っている。確たる証拠はないが、一匹でも殺すと、どういう理由か、君たちに因果が巡るのだ」  はじめは学者かと思っていたが、どうやら神官としての側面もあるのか、運命論めいた事を俺達に言ってきた。 「ふうん。忠告は肝に銘じておく」 「ま、これから人間同士で殺し合いするんだけどよ?」  身も蓋もないエドの言葉にも、男は冷静だ。 「そうか。人間は対象外だったと記憶してる。まあ勝手にやってくれ」 「ああ、じゃあな」  元々それ程深い話をするつもりもなかった。男達と別れ、グランティス新鉱山から旧鉱山へと向かう。 「ようやくミュラとかいうのとご対面かよ」  グランティス旧鉱山と書かれた古ぼけた看板は、あかね色の空に照らされている。その看板を通り過ぎ、鉱山内部の薄暗い道を行くとやや明るい広間に出た。そこにミュラは居た。猿轡を咬まされ地に横たわるロンザも。まるでミュラは俺達を待ち受けていたかのようだった。ミュラの眼と眼が合い、俺はスイヤーに教わった情報を暗唱する… 「ミュラ。本名ミュランダ=ゼオ=オルベミッター。第十六代オルベミッター家当主。我が国との戦争で名声を上げる。五年前に謎の失踪。一説によれば、その時期に前後して死んだ妻が関係しているとの事。子は四人。長男オーギュスは夭逝、次男カペランは戦死。三女ローザが暫定的な当主を代行中だった…」 「我はもう、オルベミッターの人間ではない。ただのミュラだ。何用だ、小僧」 「ローザ…いや、ロンザを返してもらおう」  ロンザは動かないが、ここから見ても外傷は無いし、蘇生法が終わっていたらここにミュラ共々居るまい…と考えると、まだ無事なのだろう。 「断る」 「お前は、実の娘を生贄にしてまで、妻をこの世に生き返らせたいのか?」  ミュラは答えない。 「死んだ者は帰らないんだ。悪あがきはもう止めろ」 「貴様らに何が解る…貴様らなどに…」  ミュラの顔が怒りに燃える。 「ああ。解らねえよ。だから俺達のやることは決まってんだよ」 「そう。お前と…決着を付ける!」 「…フン。小僧どもが。初めからそうすれば良いのだ!」  俺達は張り詰めた空気の中、ジリジリと間合いを詰める。丸腰のミュラに対し、弩と槍を構える俺達。そして無言でミュラに歩み寄り、無造作なまでに間合いに入るエド。 「よお。そおりゃあッ!」  挨拶をしたかと思ったら、エドは一気に大斧で殴りかかっていた。ミュラはいとも簡単に受け流すが、エドは大股で踏み込み、、右の掌底を繰り出す。掌底はミュラの手で受け止められたものの、今度は槍の柄が唸りを上げて払われる。しかしそれも反対のミュラの腕で受けられる。 「ほう、なかなかやる。だが、それでも…未熟だ」  エドとミュラは互角か?と一瞬思ったが、すぐにエドが押されだした。力は拮抗しているが、経験から来る技はエドよりもミュラに一日の長ありか。 「んがッ」  エドが蹴りを脇腹に受け、横に跳ね飛ぶ。土を靴の裏で擦りながら何とか止まるエド。蹴撃を受けたと同時に、自分も力の方向へ飛んでいるようなのでダメージは少なかろうが、それでもエドは悔しそうな顔をしていた。 「貴様達は、何故戦う?」 「仕事だっつうのよ…」  エドが答えるも、ミュラは間髪入れずに問を重ねる。 「仕事なら仕方ないか?仕事なのだからあらゆる所行が正当化されるか?」 「何言ってるんだ?」 「我の妻子を殺した男も、そう言って開き直った」 「我に殺される寸前、『仕方がなかった』と。そんな自分の背負うべき業を。責務をどこか棚上げにして逃げる俗物に、我は倒せぬ!」 「エド。少し休んでろ」 「ウルおめえ、喧嘩弱いんだからムリすんなよ」 「わかってる」 「ミュラ、俺はお前が嫌いだ…お前が気に入らねえッ!」 「最後はそれかッ!低俗だがそちらの方が余程得心は行くぞ!来るがいいッ!」 「エド、休憩終わりだ!」  俺は連装弩を構える。四発同時に矢が発射されると同時に、エドが再び槍でミュラに襲いかかる。 「効かぬ、我に飛び道具は!」  飛び来る矢などお構いなしだ。ミュラは矢を素手で掴み、折る。俺の攻撃は牽制にもなりゃしないのか?それでも俺は矢を撃ち続ける…少なくとも狙いが正確なら手や腕を使って矢を払う行動をするはず。事実、ミュラはエドと渡り合いながら俺の攻撃を並行して捌いている。手が四本あるのかと思うほど素早く、そしてろくにこちらに注意を払っているように思えないのだが、確実に自分を狙う矢だけを排除する。狡猾なのは、エドに当たりそうな矢はそのままにする所だ。 「チ、ウル!もっとよく狙えよッ!」  エドは俺の誤って放たれた矢を処理しているが、その都度こうして非難の声が飛ぶ。 「やってんだよ!」  装填、照準、発射。格闘、防御、攻撃、回避。その繰り返しが幾度となく回り、俺達の方は疲労の色が濃くなってきた。 「エド、一旦戻って来い!下がれッ!」  何発目かの打撃を受けたエドがたたらを踏んだのを見て、俺は仕切り直すのを決めた。エドはこちらに戻ってきたが、ミュラは追い打ちをかけてこなかった。余裕のなせる業に見えて、腹立たしい。ミュラを観察してみると、息も乱れていない。 「遊んでやがる…」  吐き捨てるようにしてエドが呟いた。その通りなのだろう。 「作戦の時間か!十秒だけ待ってやろう!」 「そりゃどうもッ!エド、耳貸せ………だ」 「…俺が面倒な策立てやがってよ」 「嫌なら強制は」 「ハ…やるよ。やってやるよ!」 「十秒だッ!」  ミュラが初めて積極的に攻撃を仕掛けてきた!狙いは…俺かっ! 「ッ!」  ミュラの打撃を既の所で受けるが、第二撃、第三撃はとても捌き切れず、守勢一方となった。危うく直撃を受けるところをエドが攻撃に掛かり、ミュラの行動を中断させ、俺はようやくながら間合いから外れた。この隙に装填を… 「グァッ…ウル!」  エドはミュラの攻撃をまともに額に受けたが、続く攻撃をどうにか躱してその上で脇にミュラの左腕を抱え込んだ。 「ク、離せ!」  ミュラは肘や膝で突き放そうとするが、必殺の攻撃とはならず、エドが急所をずらしてどうにか耐え忍ぶ。 「…グゥゥッ!ウル!まだかッ!」  エドの悲痛な焦りの叫びの一瞬後、俺はミュラを葬るべき射程に入ることが出来た。 「当たれ!」  俺は超至近距離から、連装弩をミュラに発射した。動きの取れない状態の上、この至近距離ならッ!矢が三つ連続でミュラの体に風穴を開ける…予定だった。予定だったのに。 「………惜しかったな」  矢は二本が弾き飛ばされ、最後の一本が辛うじてミュラの頬を掠めた程度だった。弩がミュラの足の間合いに届く距離だったのが災いした。膝で弩を跳ね上げられ、狙いが大きく逸らされた。 「だが、惜しいだけだ!」  驚く俺の鳩尾をミュラが蹴り飛ばす。モロに食らった俺は岩壁まで飛ばされ、叩きつけられた。 「ウル!」 「貴様もだ!」  エドも肘を顎に叩き込まれ、たまらずミュラの腕を離し、その場に膝をつく。 「エ…エド…!? ウ…ウブッ…ウブハッ!」 俺は無理に声を出そうとして、喉奥からこみ上げてくる熱い塊のような液体をぶちまけた。血だ。 「無駄な足掻きだったな」  口からこぼれ出す血と胃液が混ざり合ったもの。それが俺に敗北を覚悟させる。体はまだ上半身だけは動かない事も無いが、足に来ている。どうやって攻撃を当てればよい?どうやって攻撃を凌げばよい?頼みの相棒ですら今ミュラの前に膝を屈し、俺も体のあちこちが悲鳴を上げ、今の衝撃で先の戦いでの腕の傷が開いた。この先、どうすりゃいい?一種の混乱状態に陥った俺は、暫く半ば放心状態でミュラをただ見ているしか無かった。ミュラはというと、頬に付いた傷を軽く触ったのみだ。 「だが、我に傷を付けたことは評価に値する…」  ミュラは、エドから俺へと狙いを変え、壁に背を預けたままの俺の前で立ち止まった。 「未熟者にしては、よくやった方だ」 「…うるせえぞ。未熟未熟って。何様だ」  放心状態から立ち直ったが、相変わらず下半身は痺れたように動かず、口で言い返すのが精一杯だった。俺のせめてもの抵抗も、軽く聞き流される。 「…死ねッ!」  だがその時、ロンザの声が割って入った。 「待て!父上!これ以上無益な殺生をしないでくれ!」 「ローザ!意識が戻ってしまったかッ!」  ロンザは必死の形相でミュラに嘆願する。金髪を振り乱し、父親の肩にすがりつくようにして。 「母上が大切なのは解る!その為なら私の命など惜しまない!だが、もう殺しはやめてくれ!お願いだ、父上!」 「黙れ!」 「ロンザ!もういい。こいつの言う通り俺達はお前の父親を殺しに来た!殺される覚悟なんてしてないけどな!」 「ほう…?まだ見苦しく足掻こうというつもりか?見せてみろ!そんな物があるというのならッ!」 「どこまでも余裕くれて…お望みならとくと見なっ!」  俺はハム先輩から貰った音爆弾に火を付け、ミュラの居る方向…よりも大きく右にずらして投げつけた。 「くらえぇッ!」 「そんなものに当たるとでも思ったか?」  あっさりと避けられた爆弾は、転々と転がる。 「…当てるだって?そんな必要ねえさ」  ドゴォォォォォ!!轟音と共に弾ははじけ飛び、中の炸薬が一気に力を爆発させた。命ある者には死をもたらし、そうでない物はただただ吹き飛ばし、抉り取る。絶大な暴力は、暗い洞穴の中を縦横無尽に暴れまわり、俺の意識を消した。  ここはどこだ?俺は誰だ?短い間だが気を失っていたらしく、そこから正気を戻した時は本当にこんな感覚だった。自失状態から立ち直り、今の状況が飲み込めてくる…体じゅうに重く纏わり付く物の正体も。口の中が苦い。これは、土か?俺は土砂の中に居るのか?そう悟った瞬間、少なからず焦り、うつ伏せから慌てて四つん這いになるように両手両足に力を込め、体を起こした。幸いにも、埋まり方は浅く、自力で出られる程度で済んだ。これがもしも完全な生き埋めになっていたら…と思うと背筋が凍りそうだ。 「先輩…これ、音じゃなくて本物の…」  土砂まみれになった俺は、口の中に入った土を吐き出しながら愚痴った。赤と黒の液体に、茶が混じり地に吐き捨てられる。目、鼻、口、耳、全てが土に侵食でもされているかのようだ。今使ったのは、いつも自分が使っている湿気た音爆弾などとは威力が比べものにならないくらい違うものだ。完全な軍用、或いは工事用の炸裂弾だ。大方、ハム先輩がこれをエドに渡す時、エドが意味を勘違いしたに違いない。それとも、エドは正しく意味を知っていたが、あのいい加減な説明で通じたと思っていたのか?ミュラに向けて投げたのも、ここまでの威力を弁えてた訳ではなく、持っている武装を全て使い切ってやろう…という程度のものだった。危うく、ミュラどころかロンザまで殺してしまう所だった。 「結果的には良し、なのか?…いや」  俺はようやく立ち上がったが、周囲は俺の知っている風景とはまるで変わっていた。炸裂弾の効果は、地盤が弱い部分を落盤させ、辺り一面を新しい土砂の雨を降らせた。土の中からは、見たことのない虫や、植物が顔を出している…採光用の穴が落盤によって新しく出来て、落盤前よりも格段に視界が明るくなった。とここまでは良いが、さっきまで居た三人の姿が見えない。エド、ミュラ、それにロンザ。 「エド!ロンザ!どこだ?生きてたら返事しろ!」  最も土砂の堆積している所で、俺の腰程もある。仮にここの真下に埋まった場合、自力で出るのはほぼ不可能だろう。ミュラが埋まったなら両手を上げて喜ぶが、エドやロンザが埋まっていたら…本末顛倒だ。 「返事が無理なら、何でもいい、合図をしろ!」  落盤前の位置関係の記憶から、当たりをつけて声を掛けるが、返事はない。が、近くで手らしき物が土中からボコリと出てきた。節くれだった右手…砂まみれで色が変わってるが緑色の手甲…エドだ! 「エドか!今出してやる!」  必死に土砂を掻きだし、エドの体を掘り出す俺。相当深く埋まっていたようだ。数秒後、俺の助けもあってエドが体全体を土から出すのに成功した。 「ブハッ、ゴハッ…」  エドは救い出した。後はロンザだ。あまり時間を掛け過ぎると、酸欠で死んでしまう恐れがある。早く見付けなくては… 「エド、ロンザがまだ見つからない。探せ」 「休ませろよ…ちったぁ」 「一刻を争う」 「あー…って。アレじゃねえのかよ?」  エドが示す所には、人間の履くブーツ…そしてその先には足らしき物がある。 「あれ、ロンザか?」 「俺が知るかよ」  人が埋まっているのは確実でも、あれがロンザかミュラかは判断が付きかねる。 「仕方ない、賭けだ」  俺達は早速ブーツの所へ行く。エドは槍の刃先を下に向けて、足の伸びる方向から胴体部分の位置を推測し、そこに構える。俺はブーツの回りから慎重に土砂を掻き出してゆく。ある程度胴体の形が解った所で体がピクリと動いた。間髪入れずに俺は警告する。 「動くな!」  ミュラならば俺たちの言葉を聞き入れず体を起こすだろう。ロンザならばおとなしくしているはず…そう思い、エドに槍を構えさせた。かくして、体は動かなかった。そして、一気に顔の部分が解る程度に掘り出す。 「ロンザか、無事だな!」  胴体が見えた所で九割方確信はあった。 「ブェッ、ペッペッ…」  俺達と同様に、口の中に入った土を吐き出すロンザ。 「…なんなんだ。お前、何をやった」 「爆弾が予定外の威力だっただけだ。生き埋めにしたのは謝るが、俺も同じ目に合った。おあいこだ」 「これで、目標達成だろ?」  エドに言われて俺は確かにそうだ、と思った。ミュラとの結着は付かなくてもロンザを救出できれば御の字だ。 「じゃ、帰るか…」  俺がそう言った直後、ロンザの背中に人間の手が伸びた。手は、ロンザの左脇腹を触ったかと思うと、ギュっと握った。ブシュッ。形容しがたい音がした。 「ウッ…?」  ロンザの腹から血がどくどくと滴り落ちる。手は、未だにロンザの脇腹を握りつぶし続ける。ロンザの顔が苦悶に歪み、瞳に力が無くなる… 「ロンザ!エドぉーっ!」 「ミュラかよォッ!」  俺の絶叫と共にエドが大斧を『手』に振り下ろし叩き斬った。手はロンザの体から離れて土砂の上へボトリと落ち、紫の灰になる…なんてこった!俺はロンザの容態を診る…左脇腹が握り潰されている!服の上からでもはっきりと見て取れる。人間には到底不可能な力で脇腹が潰されていた。力なく膝から崩れ落ちるロンザを俺は抱きかかえ、叫ぶ。 「ロンザ、ロンザ!しっかりしろ!」 「…もう、ダメみたい…眼が霞んで…見えないの…」 「そんな事を言うな!気をしっかり持て!すぐにこんな傷は治る!」 「…ふふ。優しい…わね…父も…小さな…頃は…優しかったの…」  血が止まらない。 「…これで…良いの…当主なんて…荷が重くて…」 「ロンザぁぁぁっ!死ぬなぁっ!」 「…逃げ…出し…て………ゴ…メ…ン…ね…」  俺の腕の中で、ロンザは事切れた。 「ウル、あれを見ろよ!」  感傷に浸る暇はなかった。土砂の下から現れたミュラ…だった者。そう、姿形こそミュラだが、その眼は狂気を孕み、顔色は赤紫に変わり…体の至る所から不気味にうねる触手を出すガイムと化していた。突如、辺りにミュラの哄笑が鳴り響いた… 「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」 12 焚身  エドを離脱させたは良いが、俺は苦戦していた。ガイム化したミュラは、今まで倒してきたガイムと違い人格が残っていた。 「未熟ゥ、未熟ゥッ!そんなものかァ、虫けらよォッ!」  人の言葉を話し、人の言葉を解するガイム。俺はこの手のガイムと交戦した経験があるものの、それだけに性質が悪かった。野生動物とそう変わらない普通のガイムと違い、思考出来る動物。それは戦いが一筋縄でいかない事を示している。 「うるっせえ!」  俺の攻撃を事も無げにいなし、急所を殴りつけてくるミュラ。そのやり口をある程度知っている俺は、防具の下に衝撃を吸収する素材を、急所の部分だけ重ねておいた。攻撃を喰らわないに越したことは無いものの… 「ムゥン!」  やはりミュラの動きが早い。俺は攻撃を読んでいたにも関わらず急所に攻撃を受ける。 「うごっ…」  まともに食らった俺の動きが止まる。それを見て、ミュラは追撃をしてくる。 「掛かった…アラメーザス・ヘル!」  その追撃の軌道を先読みし、カウンターで刃をミュラの体にねじり込む。ミュラが怯んだのを認めて、どうにか間合いを空ける俺。 「未だ、馴染まぬかこの体はァ!この体の力ァ、こんな物ではない筈だァ!」  思うように俺をぶちのめせないミュラは、戸惑いを隠さない。俺は憎まれ口を返す。 「生憎、お前らには相性が良くってね…」  事実、百三十五度に及ぶガイムとの交戦経験は、その都度、別のガイムと戦う時役立ってきた。ミュラも例外ではない。俺にはある程度だが、ガイムの攻撃が読めるのだ。それを利用し、カウンターで攻撃を加える…それで勝算はあると思っていた。 「だがァ!これでェ…終わりだァ!」 「!」  ミュラは腕を顔の前で交差し、力を溜め始めた。触手が紫の光を放ち始め、その光は徐々に強まっていく。これは…何をしてくるかは解らない。でも、黙って見ているのは危険だ! 「このおっ!」  力を溜めているミュラに、俺は弩で射撃を浴びせる。的が動かないので、全弾が命中して、ミュラの体に刺さるのを見た。が、光は増々明るさを増してくる…と、俺の足がフワリと浮き上がった。途端、光は廃鉱山の全てを包んだ! 「うっ!うおあああああああっ!」  強かに叩きつけられた衝撃。光が弱まる中、跳ねるようにして俺の体は地面に落ちる。グキッと嫌な音と痛みがした。受け身を取り損ねて右足を岩で強打し、挫いた。折れてはいないが…動けない。まずい。今の攻撃で、血がこみ上げてきた。口から血が溢れる…血は赤より黒が強い色だ。本格的にまずい。ミュラはもう俺のすぐ側まで来ている! 「くっ!」  ミュラの足が俺の体を踏み潰そうと迫る。足の裏を見た瞬間に、左足に渾身の力を込めて横へ飛びつく俺。着地と同時に折れた足に激痛が走る。 「足が邪魔だなァ!潰すゥ!」  ようやくの所で躱した俺に、追い打ちの足が踏み降ろされる!メリメリと言う音が一瞬したかと思った次の瞬間、俺の左足は踏み折られ、俺は苦悶の絶叫を上げた。 「ぐあああああああああああああああっ!」 「今度こそォ…虫けらがァ…殺すゥ!従って、終わりよゥ!」  体じゅうに走る激痛の中、俺は万策尽きたと観念をした。両足が動かず、体内から血が込み上げてくる。頼みの爆弾も無い。矢はとっくに撃ち尽くしている。仮に何かいい考えが浮かんだとしても、そもそも俺に何かをさせる間もなく、ガイムは俺を殺すだろう。 「ヘ、ヘヘ…」  絶望的だ。いや、絶望そのものだ…そう思った途端、俺は笑った。 「笑いィ?何故貴様がァ!笑うゥ!」  死ぬ覚悟が出来たら、何故か脳裏に色々な人間の記憶が甦ってきたのだ。これが死ぬ前に現れるって言われる走馬灯か。そう思ったら何だかおかしくなってきたのだ。 『…諦めてはダメよ』  ごめんなさい義姉さん。これが俺の死に場所みたいです… 『…山火事が起こりやがってよ』  エド、ここで火事なんて本当か?火の気配なんて無かったじゃないか…ああ、後のことは皆によろしく頼むぜ相棒。 『ファイビー…匂いがしないこともあるらしいわ』  そういえばシオが言っていたな…こんな時に思い出すのが虫の話か。ミュラが虫けら虫けら連呼して五月蝿いからだ。それに、目の前を甲虫らしい虫がそのへんをうろついてる。しかし、走馬灯ってのはこんなにも無茶苦茶でバラバラなのか?あまりの脈絡の無さが俺をおかしくさせたのだ。 『お前は捜査官としちゃ、並かそれ以下だ』  スイヤー。あの極道上司、そんな事も過去に言ってたな…続きは何だったっけ…? 『…だが、お前には才能があるよ。生き残る為の才能がある。その為の何かが出来る」  こんな事も言われたっけな。 「フフ…」  俺はまた笑った。死にかけの俺に何が出来るんだ。スイヤーは最後までいい加減な男だ。横向きに倒れる俺の目の前、見上げるミュラとの間に、甲虫が数匹宙に漂っている。ミュラが、何気なくその虫を手で潰した。こいつらガイムは命ならば人も虫も無差別に殺す。だから不思議はない。程なく立ち込める悪臭…やれやれと俺は心で溜息をついた。泥塗れ血塗れ、おまけにクソのような匂いか。死ぬ時や場所は選べないだろうと思ってたが、想像以上に最低な死に場所だなと俺は思った。俺も…すぐに…こいつら虫たちと同じようになる…死への道連れが、虫か。するとその時、どこからともなく同じ虫が集まってきた。かなりの大群だ。臭い?…そういえば…変な事を… 「ヘヘヘ…弔いの見送りって訳か…?」  ミュラは何故か、俺へとどめを刺しに来ない。生じた疑問に猛るだけだ。 「だから何故ェ!死ぬのに笑うゥ!貴様ァ、答えろォ!」  ガイムは笑う俺が理解出来ないようだ…答えようにも俺にだって解らない。何だってこんな事を死ぬ間際に思って、それで笑ったのか…ミュラ、いやミュランダ。お前にだって解りはしない…笑うのを止めて、何か言い返そうと思った瞬間。線が繋がった。繋がった線は俺を動かした。最後の… 「フフフ、ククク、ヒヒヒ、ハハハ。フハッ!ミュラ、いや…ミュランダっ!」  最後の賭けだ。 「死にかけがァ…何をォ!」  ミュラは倒れている俺を掴み上げ、吊るし上げた。 「…ミュラ。教えてやるぜ、冥土の土産に。俺が何故笑うかを」  的外れな考えかもしれない。失敗してミュラの手が俺の命を握り潰すかもしれない。いや、こうしてる間にもミュラの気が変わって死ぬかもしれない。だがそれでも… 「言えェ…言えェッ!!」  やるしかない! 「…答えはこれだっ!」  俺はベルトの簡易火起こしを強く擦り。小さな火花を作り出した。次の瞬間、火花は火の玉になり、火の玉は空を伝ってミュラに向かう。一つではない、無数の火の玉だ。無数の火の玉がミュラを中心に螺旋状に渦を描く。そして火の玉は、ミュラの頭上で一箇所に集まり火炎となった…火炎はミュラを飲み込み…その直後、瞬く間に火炎が巨大化し、拡散し!辺り一面は火に包まれた!火炎に巻かれたミュラは俺を離し、絶叫を上げた。 「ウォォォォァッ!ギ、ギャアアアァァッ!」  火事に気を使った形跡はあるのに起こった山火事、そして、未だ資源はあるのにここが廃山となった理由。学者男が言った警告…そしてエドが話していた虫。ファイビーとシオサラは呼んでいた甲虫だ…あれが原因だった… 「おお…凄ぇ…アチっ!」  俺にも火が回りかけた。推測だが、ファイビーとはファイアービートル、その略称。放たれる悪臭が、可燃性を帯びているせいで、小さな火花が巨大な火炎と成り得たのだ。恐らく、鉱山が廃山に追い込まれたのもこの虫のせいだ…この事にもっと早く気づけばと思わぬでもない。炎はミュラを包み増々激しく燃え盛る。その周りを、火の玉が縦横無尽に飛んでいる。あの甲虫が燃えながら飛んでいるのだ…あの悪臭は警告だ。警告に従わなかった場合は…非常に弱い刺激でも引火して対象を燃やし、復讐を果たすと言う訳だ。 「…っ!」  ありえない方向に曲がっている自分の足を見て、完全に折れていると思った。しかし今はなぜか、痛みは不思議なくらいに無視出来た。そうこうする間も、炎は大きくなり続けている。辺り一帯は火の海で、俺の居る所も安全ではない。火炎に包まれのた打ち回るミュラを見て、俺は毒づいた。 「思い知ったか、クッソッタレぇっ!」  巨大な火炎は、虫が飛ぶ後を追うように空を舞い、あたかも伝説の竜のように洞穴じゅうを自由に駆け巡り、落盤で開いた天へと伸びていった。火炎の奔流は、ミュラにのみならず俺をも容赦なく飲み込もうとする。伏せてやり過ごそうとしてはいるものの、背中がジリジリと熱い。俺の衣服に引火するのも時間の問題だろう。 「…ゲホっ。ゴホゴーホッ、ゴホっ!」  俺は煙を吸い込んでしまい、大きく咳き込んだ。傷を炙られるような痛みと、黒煙の息苦しさ、目も薄く開けるのがやっと…さながら灼熱地獄の環境に耐えつつ、顔だけは上げて目の前のミュラが炎に焼き尽くされるのを睨みつけていた。見たところミュラは、炎に巻かれつつもまだ動きを止めていない。ミュラの息の根が止まるのが先か…俺の体がこの地獄に耐え切れなくなるのが先か。或いはミュラが俺を殺しに来るのか…いずれにしろこうなれば我慢比べだ。もう口の中の血の味も、鼻をつく焦げた匂いも、折れた足も、じりじりと焼かれる腕の傷も、そして顔に滴る汗も、どうでも良くなった。神経は全て目に集中し、我慢比べの相手が先に力尽きるのを見届けるだけだ!ミュラの体は炎のせいで、真っ赤に変色し、火の点いていない部分などどこにもない有様だった。最早顔と胴体の区別をするのが難しいくらいに焼け焦げている。そんな様子を見守る俺とミュラの眼が合った。 「キザマァ…キザマァァァッ!ヒト…ごとき…虫…ごとき…がァッ!」  ミュラは俺への怨嗟を吐きながら、ゆっくりと足をひきずるようにして近づいてくる。 「はっ、お恥ずかしいったらありゃしないっ!散々見下した相手に、やられちまうなんてさぁっ!どんな気分だ?最高かっ?ええっ?どんな気分だって聞いてんだよぉっ!」  俺は最後の挑発をしてみた…もう出来ることがないというのが本音だった。体は傷だらけでろくに動かず、動かせるのは口くらいで…ほとんどヤケクソだ。髪の焦げる匂いがして来た…俺の頭に火が付いているのだ。するとその時、のたうち回っていたミュラが、もう何処が目かも解らない程焼けた顔をこちらに向ける。 「こ…ロ…すゥッ!」  明確な殺意と共に、ミュラはゆっくりとだが俺への距離を詰めてくる。腹這いのまま俺は待つしかなかった。足が動かせないからだ。一歩、二歩…距離が詰まる度に俺の心臓が騒々しく鳴る。来るな来るな、早くくたばれ、と俺は念じ続ける。だが、そんな願いも虚しく、とうとう俺を殺せる所までミュラが来た。 「おワ…り…ダ、し…ネェ!」  来てしまった。終わりだ…俺は顔を起こし続けるだけの力も尽きかけている。ミュラの燃える手がうつ伏せの俺へ、その魔手を伸ばすところまで見届けて、俺の気力は限界に達し、顔は落ち、額を地に付けた… 「楽には…死ねないな…」  俺はそう呟き、迫る死を待っていた。  ……来ない。    ………まだ来ない。  …………ボトリと何かが地に落ちる音が聞こえ、俺は反射的に顔を上げた。眼に飛び込んできたのは燃え落ちたミュラの手だった。さらに視線を上にすると見えたのは…焼け焦げて炭になりつつあるミュラの肉体が少しずつ少しずつ崩れていく様だった。 「…」  俺は黙して見つめるだけだった。どうやら我慢比べには勝ったようだ…もうミュラの体は腕から下が燃え落ち、膝をついて立っているような状態だ。そして…ゆっくりと俺の顔のすぐそばにミュラの体がドサリと落ちた。 「勝った…?」  いや…まだだ、終わってない…俺は、最後の力を振り絞り、体を更に起こした。折れていない方の足を無理に酷使し、杖代わりの剣を燻る地面に付いて。脂汗が止めどなく溢れるが、炎の熱で垂れた端から蒸発する。折れて無くとも、足の打撲は痛みの最高潮に達していて、目を背けたくなる紫色だ。完全に立ち上がるのは不可能だった。折れた剣に重心を移すようにしてようやく中腰の姿勢に持って行く。 「ゼェーゼェーッ…ミュラ…まだ、いるんだろ《・・・・・》?」  呼吸が荒い。全身に襲う痛みから来る脂汗が止まらない。地に付いた剣が震える。そして相変わらず周囲は熱と煙だらけの状況…最悪の気分だ。 「何故ェ…何故、俺が負けるゥ…?この力ァ…ヒトをォ…超えた筈ゥ…」  俺はミュラに告げる。 「お前は沢山殺した。ヤノーシュに、その部下。ロンザ。間接的にはバーバルの部下。それにスカラベ砂賊達を何十人も俺達に始末させた…死ぬのはそいつの運命だったのかもしれない。訪れるべき時が訪れただけなのかもしれない。だが…皆そうなんだ。いつかは体も衰え、出来たことが出来なくなり、近しい者は死んで一人取り残され、心も死んでいくんだ!生き続ける限り起こる、無数の喪失。お前は…その定めを拒んだ。娘を犠牲にしてまでな!」 「俺はァ…アイシャにィ…」  尚も何かを喋るミュラの言葉を無視し、俺は剣を握る手に力を込める。額から汗が溢れては、熱で蒸発する。そういえば、こいつに初めて遭ったのは、アルターナへの森だったな…やや唐突にそう俺は思い返していた。 「そういや覚悟がどうとか高説垂れてくれたな、お前は。…お前こそがっ!意地汚く死を受け入れる覚悟も無い、俗物だ!どんなヤツも、最後は死ぬのさ…立ちな」   決着を付ける…それがミュラに通じている事を俺は信じていた。崩れ続けるミュラの肉体が炎を纏ったまま起き上がる。驚異的な生命力だ…俺は地から剣を離す。ミュラは炎を纏った、先のない腕を振りかぶる。互いの息が直接かかる距離で、俺は最後となるであろう雄叫びを上げた。 「…ううううううううおおおおおおおおおおっ!」  ミュラも雄叫びを上げる… 「オオオオオオオオオオオオオオォッ!」  ミュラの腕は、俺の首に達する寸前で止まり…俺の剣は、ミュラの首を刎ね飛ばした。ミュラの体が炎に包まれたまま灰へ変わる。俺はその途端、アルターナ途中で休憩を取った、川の風景を思い出した。大きな岩がぶつかり合い、削れ、砕けて、小さな岩へと変わり続ける様を…そしてその岩は、いつか俺の踏みしめる土砂へと姿を変え、最後には俺に認識すらされない小さな粒になるのだ…目の前の炎は燃やす物を失い、ただの紫の灰と化した…その途端、甲虫は一斉に空へ舞い上がり、炎は鎮火していった… 「地に還れ。お前は…砂になれなかったな」  跡に残ったのは、俺と、腹を抉られて死んでいるロンザ、それにあの炎でも燃えなかった蘇生玉だけだった… 13 不変  俺は生きて二課に戻ることが出来た。そして、スイヤーに一直線へ会いに行った。報告を済ませて、戻ろうと扉に手を掛けた所で、一度振り返った。スイヤーは、煙草をふかして机に足を投げ出していた。 「スイヤー、質問が」 「何さ〜」  スイヤーの声は、少しだけ面倒そうな感じだった。ダイクーンに居たスイヤーは、ロンザを無断で牢から出した事について処理…というより揉み消す工作をしたのだそうだ。この男の自業自得ではあるが、スイヤーの疲労した顔は珍しい。 「仮に…仮にロンザが生きていたら、どうしましたか?」 「ん〜別に?こっそり警察に戻すだけだぜ〜?でも、生きてた方が面倒だったかな〜」  そうだろうな、と俺も思う。スイヤーの、いや二課の…非合法な動き全てをミュラのせいに出来るからだ。しかし、事態がどっちに転んでも二課の責任が軽くなるように、或いは責任を逃れるように工作をしたのだろう。それがこの男の仕事だ。 「蘇生玉については、怒られたりしないんですか?」 「ああ、あれ?ありゃ幾らでもあるんだ〜ただ、滅多に蘇生に成功しないから…」  スイヤーの話によれば、蘇生玉自体は、量産が可能な程度のありふれた物だそうだ。ただし、蘇生の成功の確率はゼロではないが、但し限りなく低い率だと。誰でも蘇生に挑戦する事はできるが、蘇生しないのが当然。教会に布施をすれば、その確率を上げられる…そう言って金を集める。それでも成功しなかったのは神に対する信仰が足りなかったからで逃げる…もっとも、教会が宗教の奇跡を謳うには、逆に高すぎても困るのだろう…そう皮肉っぽくスイヤーは語る。ついでに蘇生率を聞いたが、数万人に一人程度の確率で生き返るそうだ。随分低いんだな。 「まだ何かある〜?つうか、何だか文句ありそうな顔だな〜」  そう言って笑うスイヤーが、俺には何故か巨大な岩石に見えた。何があろうと傷一つつかない硬さの岩石…ぶつかり合い、小さくなっても巨大な岩石… 「いいえ。スイヤー、いや、隊長。隊長は…政治家に向いてますね」  俺はスイヤーに精一杯の皮肉をぶつけ、背を向けてその場を立ち去った。俺はどうしたってこの男の手のひらの上か。だから好きになれない。扉を完全に閉めようとした瞬間、スイヤーが引き止めるように声を出した。 「…ウル〜?お前さん、何か隠してない?」  俺は、内心の動揺を悟られまいと笑顔を作った。 「何も隠してません。それでは」  あれから二ヶ月が過ぎた。今日は捕虜交換の式典があるが、俺は出る気は無かった。 「ウルさんの怪我は治ったんですよね?」 「リュネ、こいつは意外と繊細なんだよ」  リュネは椅子に、エドが机に腰掛けながら言う。 「お姉さんが居るから行きたくないって事かしら?」  シオが書類仕事の手を止めて言う。そして丁度、ギシギシうるさい扉を揺らして帰ってきたハム先輩も会話に加わってきた。 「何だウルや。ソルズ卿に含む所でもあるのか?」  俺はハム先輩に向けて、顔の前で手を二、三回振って否定の仕草を示した。そして、俺は席を立ち上がった。 「ちょっと外に出てきます…」  別に式典に出る為に立った訳ではないが、エドがニヤニヤしている。殴るぞ。外ではジェイが行儀良く座っていた。軽くジェイの頭の後ろを撫でて居ると、少し気分が和らいでいった。義姉上の顔を見に行っても良いかもしれない…そう思った頃、遠くで銃声がした。 「また事件か」  呟きと共に襲う既視感。俺は銃声のした方角へ、わざとゆっくり歩いていった。俺はミュラのように、燃え尽きるつもりはない。スイヤーのように巨大な存在となって上に立つ人間になれるとも思わない。俺はただ…砂になるまで戦うだけだ。  14 その後  捕虜交換式典の翌日。祖国へ送り返される兵達が、城門を続々と出ていく姿が見える。俺はそれの警護の応援に来ていた。粗末な身なりのままでは格好が付かないのか、敵国が持参した新品の服に着替えて、ようやく祖国へ帰れる喜びの表情を浮かべている。勿論の事だが、その中にロンザは居ない…義姉上の隊に所属する兵が、城門までの道を挟むようにして固めている。せっかくの平和の式典ながら、静かな緊張感を身に纏わせて。俺はその中の一人の兵士と目が合った。顔をすっぽりと覆う兜から、金髪がはみ出している。やれやれ、ただでさえ義姉に上がらない頭が、増々上がらなくなった…と今更にして思った。それにしても。数万分の一の女か。その女は重そうな甲冑と兜を着込んでいる… 「ま、当主の仕事より…肩は軽いだろ」  元気でやれよ。  終