水平社博物館への準備書面(2)3月1日現在での報告
2月29日が提出期限で、まだ完成してませんが、執筆中のものを公開します。
繰り返しになりますが、この裁判は私個人の裁判ではありますが、内容は朝鮮の歴史にも関係ある事ですので、運営ブログにて公開する事にしております。
前回よりも、加筆しております。
平成23年(ワ)第686号 慰謝料請求事件
原 告 水平社博物館
被 告 川東 大了
準 備 書 面 (2)
平成24年2月29日
奈良地方裁判所民事部2係 御中
被告 川東 大了
本準備書面は、原告の平成24年2月3日付け第1準備書面に対し、反論をなすものである。
記
第1 「被告の本件発言が極めて強い違法性を持つことについて」について
1. 第1の1「はじめに」について
「被告は、上記準備書面において、当時水平社博物館が行っていた日本軍「慰安婦」問題に関する展示について、「性風俗産業への偏見に満ちた職業差別」(4ページ)であると主張し、自らの発言はそのような差別行為を糾すために行ったものであるとして、あたかもその社会的相当性を主張するかのようである。」の部分について、意見を述べます。
私には社会的相当性と言う言葉の法律的な意味合いは分かりませんが、私は原告の特別企画展における、『「慰安婦」=性奴隷』との解説文を見て、性風俗産業に従事する労働者へ対する偏見に満ちた職業差別であると判断し、職業に貴賎はないにも関わらず、特定の職業を蔑むような差別行為を糾さなくてはならないと思って、街宣活動において、その旨の発言を行いました。
私は電気工事を職業としておりますが、私は建築労働者であっても、建築奴隷では決してありません。何故なら自らの自由意志により、自ら電気工事業を選択しているからです。
もしも、私に対して「電気工事をされているなら、貴方は建築奴隷ですね」と言われたら、私は「いいえ、私は建築奴隷ではありません。そのような偏見に満ちた考え方は間違っていますよ。」とハッキリと答えます。
性風俗産業で従事する多くの労働者も、憲法で保障された「職業選択の自由」の権利の下に、自らの自由意思により、性風俗産業を選択して労働しているのです。彼らは決して奴隷ではありません。労働に見合う賃金も受け取っております。
特定の職業に対して、偏見を持ち、あろう事か「奴隷」扱いする考え方は「職業に貴賎はない」と言う考え方を真向から否定するもので、これこそが差別思想であります。
原告は「慰安婦は性奴隷だ」とする主張をされるようですが、性風俗産業に従事する労働者は「性奴隷」なのでしょうか?
私が「性奴隷」に対して、「奴隷ではない」と事実に反する事を発言したから、社会的相当性がないと主張しているのでしょうか?
「また、本件発言の発端のひとつとして、当時水平社博物館が明成皇后(閔妃)暗殺事件に関して行った展示について多数派の意見との並列表記にすべき旨申し入れたところ、退館させられるという不当な扱いを受けたことがある旨主張するようでもある。」の部分について、述べます。
1月5日、私は入館料を払って入館して見学しており、原告にとっては、私はお客様であり、神様であるはずです。
お客様(神様)の声(意見)を原告に届けたら退去を求めると言うのが原告として正しい対応だと考えているのでしょうか?
「しかし、そのような主張は詭弁でしかない。被告の本件発言は、韓国・朝鮮人に対する強い差別意識を背景に、上記のような展示を行う水平社博物館に対しても極めて強い差別意識をむき出しにしたものというべきである。すなわち、被告が被差別部落に対して有する差別性と女性に対して持っている差別性、そして在日韓国・朝鮮人に対して持っている差別性には、自ずから通底するものがあるのである。」の部分については、女性に関する部分は説明を述べて、それ以外は否定する。
私の主張は詭弁のつもりは全くない。
韓国・朝鮮人に対する差別意識も全くない。
原告に対する差別意識も全くない。
被差別部落に対する差別意識も全くない。
女性に対しては、男性と女性が生物として肉体的な違いも有していますし、全く同じに扱う事が平等とは考えておりません。
私は、男性は女性に優しくしなければならないとの信念を持っております。
これが、差別だと言うのだったら、私は差別意識を持ってる事になるかもしれません。
もっとも、私自身はそれが「差別」だとは微塵も考えておりません。
原告は再三「差別」と主張されてますが、原告は「差別」の定義を明確にしておりません。
「差別」の定義を明確にしない事には、私の行動や考え、思想が「差別」なのかどうかの判断が出来ません。
私も、私なりに「差別」を真剣に考え、差別の無い社会の実現に向けて、日夜、命懸けでボランティア活動に取り組んでおり、差別問題の専門家を自負しております。
私ほど、差別を真剣に考えている人間は他にはいない、とまでは申しませんが、これまで、差別を無くす為の多くの活動を行ってきました、現在においても継続しております。
その中でも特に力を入れているのが、在日韓国・朝鮮人に対する不当な差別の撤廃であります。
前回の準備書面(1)でも説明しましたが、在日韓国・朝鮮人に対する不当な差別である入管特例法(正式名称「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」)の廃止を求めて活動する私が、何故に韓国・朝鮮人を差別する意識を持っている事になるのでしょうか?
原告は差別の定義を明確にしないまま、被告である私に対して「差別をした」「差別意識を持っている」と繰り返し主張しますが、他人に対して「差別をした」と言う以上、「差別とは何ですか?」の質問に答える義務がある。それとも、「差別」の意味を説明すら出来ないのに、他人に対して「お前は差別をしている」と主張しているのでしょうか?
是非とも、「差別」の定義を明確にして頂きたいと思います。
この質問に回答がない場合は、原告は差別の定義を知らないと判断させて頂きます。
もっとも、原告が「差別」の定義を知っていなくても、それを責めるつもりはありません。
「そこに、本件発言が表現の自由として保護されるべき正当な目的は何ら存しない。本件発言は極めて強い違法性を有するものとして、厳しく断罪されるべきである。」の部分については否定する。
如何なる表現も自由であるとは私も考えない、公序良俗に反しない範囲で始めて表現の自由は認められるものと考えている。
日本国憲法第1条で明記されている「天皇陛下」を否定する様な表現の自由など無いのは当たり前である。
部落解放同盟などは堂々と、表現の自由として保護されるべき正当な目的は何ら存しないにも関わらず綱領にて「天皇陛下」を否定しているが、本当に強い違法性を有し、厳しく断罪されるべきであるのは、こういった表現などである。
私は、憲法で保障された「言論の自由」を武器に差別の無い社会の実現の為に戦っている。
何故なら、私には権力もなければ、権力者との繋がりもない、財力もない、学歴も高校卒業であり、権威もない、マスコミ等の様に大衆に情報を届けて世論を煽動する力もない、そんな私が戦う為の唯一の武器が「言論の自由」であるからである。
その私に残された最後の武器である「言論の自由」に対して、「表現の自由として保護されるべきでない、違法性が有るものとして断罪すべし」と言論弾圧を加える事は、社会的弱者に残された最後の武器を封殺する行為であり、日本国が世界に誇ってきた自由の国を否定し、言論弾圧を肯定して、朝鮮民主主義人民共和国や支那のように言論の自由を否定し、虐げられた民衆の階級闘争を封殺する行為に通じるものである。
このような言論弾圧は、民主主義の根幹を揺るがし、民主主義を否定する暴挙と言わざるを得ない。
原告は、何故、私の言論に対して言論で応じて来ないのか?
人間には言葉があり、互いの意思を疎通させる事が出来る素晴らしい能力がある、地球上の生物で約束を行える能力を有するのは人類だけであり、それは言葉があるから始めて可能な行為である。
「話し合えば分かる」と言ったにも関わらず、「問答無用」と返答されて殺害された人物も過去に存在するが、原告は「話し合っても人類は分かり合えない」と考えているのでしょうか?
人類は繰り返し戦争の悲劇を経験しました。
「話し合えば分かる」と言う考え方を否定する行為が戦争に他なりません。
話し合いをせずに、「問答無用」で行動を起す、つまり、今回の場合はいきなり民事裁判を提訴して、訴状を送りつけるような行為は、「話し合いなんか無駄、武力で相手を殲滅せよ。」とする考え方と同じで、究極の人権侵害である戦争を肯定する考え方である。
と、言えば原告は「それは違う」と否定されるものと思いますが、何故、「いつでも糾弾集会に呼べ」と言っている私に直接、言論による話し合いを行おうとしないのでしょうか?
話し合いをすれば、お互いの思想や考え方が、理解しあえて、全ての場合において納得のいく答えが出て、解決するとは思いませんが、「差別」とは一体、何なのか?と言う、この深い問題に対して議論・討論を行う事は有意義な事であると思いますし、その議論・討論を多くの人が見て、聞いて、そして、それぞれの人が「差別」についての理解を深めて行く事が出来ると思います。
原告の第1準備書面の中にも「糾弾行動が歴史的・社会的に果たしてきた役割については、例えば八鹿高校事件高裁判決(甲10)においても触れられているように、一定の社会的評価が形成されている。あるいは、仮に糾弾行動の中に何らかの社会的逸脱行為がごく一部あったとしても」と記述されております。(7ページ23〜26)
この記述を引用すれば、仮に私の言論や発言に何らかの社会的逸脱行為がごく一部あったとしても、歴史的・社会的に一定の社会的評価が形成されるなら、私の言論・発言を断罪するできとの主張はこのような社会的な公益性や有益性の可能性を潰す事に繋がるのではないでしょうか?
少なくとも、糾弾行動が犯した犯罪や反社会的・反道徳的・反人道的・反平和的な逸脱行為に比べて、仮に私の言論・発言に社会的逸脱行為をごく一部あっとしても、比較にならない程、軽微なものです。
糾弾行動では、自殺にまで追い込まれた人間がいます。
人の命は地球よりも思いのです。地球よりも重い生命を奪う行為は、原爆投下よりも重犯罪であります。
私は、いまだ、1人と言えども、人間の生命を奪っておりません。
原爆投下に匹敵する重犯罪を犯した糾弾行動ですら、一定の社会的評価が形成されたと言って、その功績を認めるのですから、私の言論・発言など非難に値しないものと考えます。
仮に私の街宣活動が、表現の自由として保護されるべきでなく、違法性が有るとして断罪されるなら、私はどうやって、不当な差別を強いる者や勢力、歴史捏造を流布して差別を惹起させようとする者や勢力と戦えば良いのか?
本件発言は、差別の無い社会を実現する為に、私なりに考えて行った発言である。
勿論、私は自分の事を賢い人間とは思っておりませんので、私の街宣活動や本件発言よりもより効果的な、より理解し易い表現方法はあったものとは思います。
しかしながら、私よりも賢い人間は掃いて捨てる程いると思われるのですが、そのような人間が原告の特別企画展における職業差別や歴史捏造に対して、抗議活動をしていなかったようなので、それ程賢くないと自覚している私でありましたが、「誰もやらないなら、自分がやらなければならない」と思い、私なりに足りない脳みそを働かせて本件発言を行いました。
可能であれば、私の街宣活動や本件発言を批判される方が、「川東さん、貴方のやり方では駄目だ、私が良いやり方をやってあげるから、貴方は私のやり方を見てなさい」と言って、実際に行動されてくれたら、私はそういった自分よりも賢い人達に任せたいと思っています。
2. 第1の2「水平社博物館の展示・解説文が差別にはあたらないこと」について(1)
原告の第1準備書面の第1の2の(1)の部分について述べます。
明成皇后殺害に関しては、1895年10月に起きた事件であり、その真実については、様々な証拠価値の高い資料・史料などによって検証しなければならない事です。
しかしながら、他国での出来事である事、年月が100年以上も前の事を考えますと、最終的には完全に「犯人が誰で、その犯人が誰から命令されて、その命令をした証拠はこれで」という風に全てが解き明かされるかどうかというと難しいと思います。
それでも、当時の史料などを詳細に検証する事や、その前後におきた事件や出来事、更には広い視点に立って、当時の様々な歴史的な出来事などとの整合性によって、概ねの真相には辿り着けるとも考えております。
明成皇后殺害に関しては、彼女の旦那である高宗の実父である興宣大院君との権力闘争から興宣大院君が何度となく彼女の暗殺を企てており、1882年7月には壬午事変が起こります。興宣大院君らが煽動した事などもあり、別名「大院君の乱」と呼ばれています。
1884年12月には甲申政変と呼ばれるクーデターが発生したり、彼女の命は幾度となく狙われており、殺害に至るまで、色々な方面から狙われていたと思われます。
又、明成皇后も興宣大院君やその側近を失脚された後、敵対勢力の排除を行っており、多くの暗殺を行っております。
このような当時の李氏朝鮮の混乱状況を考えますと、明成皇后暗殺の真犯人や真実は中々、一つに絞り込めないものだと考えます。
私も、専門家ではありませんので、これ以上に専門的な領域の議論は然るべき専門家に譲る事にしますが、私が主張したいのは原告の特別企画展の解説文が間違っていると言いたいのではありません。
原告が展示した解説文が正しいかもしれないが、諸説ある中で、その一つが確定しているかのような展示に対して、違う見解もあるから、違う見解も紹介しないと公正・公平でないのではないか?と言う事です。
明成皇后は、現在の大韓民国では国母として敬われる傾向にありますが、それはあくまでも現在の大韓民国国内での評価であります。
時代が変われば、明成皇后が国賊として罵られるような評価に変貌する可能性は十分あります。
時代が変わらなくても、例えば安重根と言う李氏朝鮮のテロリストがいましたが、大韓民国では英雄として扱われておりますが、朝鮮民主主義人民共和国では、馬鹿なテロリストとして扱われております。
ドイツのアドルフ・ヒトラーも現役の当時は国家の英雄と評価を受け、戦後は史上最悪の犯罪者の如く悪い評価を受けております。
明成皇后が、朝鮮にとって立派な人物だったのか、反対に国賊的な人物だったのかは、時代やその民族が勝手に評価をすれば良い事だと思いますが、大事なのは国賊的な人物だという評価に転じた場合、「国賊であるミンピを殺害したのは、愛国の国士達によるもので、断じて日本の手を借りたものではない。日本は朝鮮の誇りある歴史を汚すつもりか」と言う風に大韓民国の国民の心を傷付ける事になるかもしれないと言う事です。
いえ、既に歴史を勉強している大韓民国民にとっては、明成皇后がトンデモない国賊的な売国の独裁者であって、それを殺害したのは朝鮮人の手によるものであり、それは、李氏朝鮮にとって誇りうる歴史であると考えております。
そのような、大韓民国民を傷付ける事になると私は考えて、諸説ある歴史的見解であれば、多角的に公正な解説文を展示するべきであると原告に申入れを行いました。
又、明成皇后殺害の犯人は、捕らえられ処刑されておりますが、それは日本人ではありません。
他国の司法制度の判断を否定する行為も、見過ごす訳には行きません。
李氏朝鮮は、明成皇后殺害事件において誤審をしたと主張する事に繋がり、それは、ひいては李氏朝鮮を侮辱する行為にもなります。
そういった事にまで思慮しないと、自分たちに自覚はなくても、人権侵害を行ってしまっているといった事になってしまいます。
勿論、原告が絶対に間違いなく明成皇后殺害は日本が行ったと証明出来るなら話は別ですが、原告は明成皇后殺害の真相が原告の解説文で絶対に間違いない事を証明出来るのでしょうか?
原告は明成皇后殺害は日本によるものとの説が定説であると主張しておりますが、日本の関与があった事はほぼ間違いないでしょうが、果たして日本によるものと言えるかは甚だ疑問です。
日本が殺害を計画し、日本人の手で直接殺害した場合であれば、日本によるものと言えると思いますが、あくまでも関与であり、その関与の程度によっては「日本によるもの」と言えない場合もあります。
又、興宣大院君の主導によるものだとする説も根強くあるのも事実です。
興宣大院君が主導していた場合、そして、明成皇后が国賊的な独裁者と言う評価になった場合を考えますと、この明成皇后の殺害を日本によるものだと言う事は李氏朝鮮の歴史捏造の荷担にも繋がります。
最悪の場合は、李氏朝鮮の誇りある歴史への侮辱に繋がる可能性もあります。
原告が解説文を決めた根拠は、原告の説明により、良く分かりました。
それについては、原告の特別企画展ですので、原告が最終的に解説文を決める権限もあるでしょう、しかしながら、だからといってそれに対して一切の異論や反論をしてはいけないという理由にはならないと思います。
私は、李氏朝鮮の歴史を多少は勉強していますが、専門家ではありません。
しかし、私が所属する市民団体の代表は李氏朝鮮の専門家であります。
原告が、歴史の真実を追及したいと考えるなら、是非とも李氏朝鮮の専門家の意見を参考にされる事を奨めさせて頂きます。
それと、参考として閔妃に関するウィキペディアの記事を提出させて頂きます。(乙〇号証)
そして、「被告においてこれをあえて云々したのは、被告自身の差別意識に基づくものであることが、本件発言において被告がこの点に言及した部分(甲3の2ページ以降)の口調からもみてとれる。」の部分について反論しておきます。
「差別意識に基づくものである」とは全くの言いがかりでありますが、それの根拠が口調とは、これこそが恐るべし差別・偏見に満ちた主張だと考えます。
口調などは、人によっては様々な感じ方をするものです、同じ発言を聞いても、ある人は優しく聞こえたり、ある人によっては厳しく聞こえたりする事があります。
そのような受け手の捉え方、もっと言えば、偏見によって、人の発言などは如何ようにも受け取れるものです。
原告が私の口調を根拠に「差別意識に基づく」と判断された行為こそ、自らの偏見で他者を差別者と認識する行為であり、そのような行為こそが差別行為であり、断じて許されるものではありません。
まさか原告は、私が差別意識を持っているとする根拠を口調で判断した。と主張するつもりでしょうか?
そして、その私の口調により、私が差別意識を持っていると判断し、だから「1月5日に抗議をしてきた被告に対し、施設管理権に基づき退館を求めた水平社博物館の対応も何ら問題とされるべきものでもない。」と考えているのでしょうか?
この主張だと、時系列が狂っているように思えます。
1月5日に退館を求めた行為の正当性を、1月22日の街宣活動で差別意識がある事が判断出来たからと言う理由にするのは、私には理解が出来ません。
この理論が通用すれば、人を殴っても、後日、その人間が犯罪を犯せば、犯人を懲らしめる為に殴ったのだ。と正当化が出来てしまいます。
「よって、被告の本件発言が、このような経緯の存在によって社会的に正当化されるはずもない。」の部分については、認めない。
入館料を払ってお客様として水平社博物館を見学し、自分の意見を申し入れた所、退館を求められると言う事があれば、抗議するのは当然の権利であると考えます。
原告の言っている事は、原告の判断で客を選ぶと言ってるように取れます。
それこそが、差別ではないでしょうか?
3. 第1の2「水平社博物館の展示・解説文が差別にはあたらないこと」について(2)
原告の第1準備書面の第1の2の(2)の部分について述べます。
まず、「「慰安婦」=性奴隷と記載した点について、職業差別である云々と主張するが、水平社博物館は現在の国際的認識及び日本史学会の定説としてその旨展示解説文としたのであり、その歴史認識はむしろ一般的なものである」の部分について述べます。
この世の中には、多くの人が誤解したまま、さも事実であるかと思われているような説は沢山あります。
例えば、電流はプラスからマイナスに流れると多くの人が認識しております。
実際に教科書でも電流はプラスからマイナスに流れると明記されており、公教育の場でもそのように教えているのですから当然とも言えます。
が、実際には電流とは電子の流れであり、電子はマイナスの電荷をもつ素粒子の一つであり、その流れはマイナスからプラスに流れております。
これは物理学の話ではありますが、多くの人間が「正しい」と認識していても、間違っている事はあると言う例えです。
では、歴史に当てはめてみましょう、私は現在40歳の人間ですが、私は中学生の時に日本に朝鮮人がいてるのは、戦争中に日本が無理やり強制連行してきたからだ、と教育を受けました。(乙〇号証)
当然、学校の先生が言うのだから間違いないと思っておりました。
かつての私と同様に、在日朝鮮人の来歴を強制連行だと思っている人間は沢山います。
今でも、年配の方の殆どは在日朝鮮人の来歴を強制連行だと信じております。
ですが、歴史の研究をすれば直ぐに分かる事ですが、日本が朝鮮半島から現地の人間を強制連行した事実は確認されておりません。
朝鮮半島から密入国しようとした朝鮮半島出身者を朝鮮半島に強制送還した事はありましたが、敢えて強制連行があったとすれば、日本国から朝鮮半島への強制連行のみであります。
この事は、外務省の見解であり(乙〇号証)、朝日新聞が報じている内容でもあり(乙〇号証)、疑う余地のないものであります。
明らかに証拠能力を有する公文書や一級資料を根拠に検証をすれば、一目瞭然で分かるにも関わらず、未だに誤った歴史認識である「在日朝鮮人の来歴は強制連行」が定説とされております。
この「在日朝鮮人の強制連行」の真相については、私も専門に勉強しておりますので、疑問に思う事があれば、いくらでも聞いて下さい。(乙〇〜〇号証)
つまり、一般的に定着している歴史認識だから、それが正しいとはならない事があると言うのがお分かりになるかと思います。
勿論、原告が特別企画展で解説文を一般的に定着している歴史認識を採用するのは、原告の裁量の範囲であるとは思います。
しかしながら、差別の無い社会の実現を目指す為には、正しい歴史認識が必要だとの強い信念と確信を持っている私にとっては、一般的に定着している歴史認識であっても、それが間違いである場合は、差別を無くす為に是正に取り組んでおります。
又、正しい歴史認識を持たないと差別が無くならないと言う考え方は、大東市教育委員会も私と同様に考えている考え方であり(乙〇号証)、広く一般的に定説とされる認識である。
原告は一般的に定説とさえされていれば、それを以って歴史事実に反する歴史認識を流布しても良いと考えるのでしょうか?
又、その誤った歴史認識の流布の結果として、不当な差別が惹起されたり助長される事があっても良くて、そしてそれは原告の責任ではないと考えるのでしょうか?
個別に原告の主張にも反論しておきます。
「クマラスワミ報告書」を引用されていますが、これは吉田清治と言う人物が書いた書籍「私の戦争犯罪−朝鮮人強制連行」を引用しており、この書籍は吉田清治自身が「創作」である事を認めております。(乙〇号証)
このように、虚偽・創作の書籍を引用した報告書に信憑性があるはずもない。
又、吉田清治の創作である「朝鮮人強制連行」では、朝鮮半島で若い婦女子を白昼堂々と強制連行したとする内容が書かれており、これこそが朝鮮民族に対する極めて悪質な差別意識に基づく侮辱行為である。
朝鮮人(当時は日本国籍)の男性は、目の前から若い婦女子、つまり、自分の妻であったり、自分の娘であったり、自分の妹が無理やり連れ去られても、日本の官憲に抵抗しなかった腰抜け共であったとする内容であり、これは吉田清治が「朝鮮人は最低な腰抜け民族である」と言う差別意識・軽蔑意識を持っていた証拠である。
このような、朝鮮民族が腰抜け民族であると言う侮辱的・差別的な認識を認めるのが、クマラスワミ報告書の内容である。
原告は、クマラスワミ報告書を採用するにあたり、本当に朝鮮民族は目の前から、若い婦女子が強制連行されていくのを黙って見ていたと考えたのでしょうか?
だとすれば、それこそが朝鮮民族に対する偏見・誤解であります。
朝鮮民族は家族思いが強い民族であり、彼らの目の前から日本の官憲が若い婦女子を強制連行する事などは不可能である。
事実、済州島でも「この島で人間狩りが起こったら大騒ぎになって誰でも知っているはずだが、そんな話は聞いたことすらない」(乙〇号証)と明確に否定されております。
「マクドゥーガル報告書」も引用されてますが、本気で信用されているのでしょうか?
慰安婦の人数が20万人と断定したり、11歳から慰安婦にされていたとか書かれておりますが、原告は本当にこの報告書の内容を引用するにあたり、信用出来るものであると判断しているのですか?
慰安婦の生還率が25%であるとか、その多くの記述について、根拠がありません。
もしも、原告がこの報告書に信憑性があると主張するなら、どうか、詳細にこの報告書の記述内容に踏み込んで、何故、この報告書を信用出来ると判断したのか説明して下さい。
推定無罪と言う言葉がありますが、疑わしきは罰せずが原則です。
そして、その根拠となる証拠に虚偽があれば、虚偽の事実を基に導かれた結論や有罪判決に効力があるはずもありません。
慰安婦の生還率25%でも、11歳の少女が慰安婦にされていたでも、慰安婦の人数が20万人のどれでも良いですので、証拠を提示して証明出来ますか?
「レイプセンターの奴隷にされていたことをはっきりと示している。」という文章を引用されていますが、原告はこの記述が正しいものと判断されているのでしょうか?
当時、朝鮮半島は日韓併合により日本国でした、具体的には1910年から少なくとも1945年までは日本国でした。(実際には、ポツダム宣言受託により、日本国の領土として放棄する条件がついており、その効力はサンフランシスコ講和条約に伴って生じるものであったので1952年まで日本国の領土であるとも解されますが、歴史的な事実から見ますと、それぞれ大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国として建国をしましたので、何年までが日本国であったのかは断言出来ない)
さて、日韓併合の間は朝鮮半島出身の日本兵も沢山いました。
便宜上、「朝鮮出身日本兵」と言う言い方をします。
もしも、マクドゥーガル報告書が正しいとすると、朝鮮出身日本兵は、同郷の婦女子、それも11歳の幼い子どもが性奴隷とされているのを見て、何にも救済の為の行動を取らなかったと言う事になりますが、原告は本当に朝鮮半島の民族がそのような民族であると考えますか?
慰安婦を買う目的で慰安所(報告書ではレイプセンター)を訪れ、そこで自分達の祖国(朝鮮半島)の娘が性奴隷とされている。中には11歳の女の子も性奴隷とされている。
そんな光景を目の当たりにすれば、上官や慰安所(報告書ではレイプセンター)を監督する人間に猛烈に抗議をするでしょうし、場合によっては暴動すら起きるはずです。
ですが、マクドゥーガル報告書を肯定すれば、そのような同郷の11歳の女の子が性奴隷になっていても黙認していた。更には、そのような女の子を買っていた(レイプしていた?)と言う事になります。
これこそ、朝鮮民族に対する許しがたい侮蔑行為ではないでしょうか?
仮に日本に置き換えてみましょう、ある日、大韓民国が「戦後に我々は日本人の若い婦女子を慰安婦=性奴隷にした、11歳の少女も慰安婦にした、そして、それを日本人男性相手にレイプさせて商売をした、その事を謝罪します。」と言ったら、原告はどう思いますか?
私なら「日本人が、同胞の11歳の少女をレイプする訳ないだろ、日本人を侮辱する気か」と怒りの声を挙げます。
原告も同様ではないでしょうか?
そして、それは朝鮮人も同様なのですよ。
マクドゥーガル報告書や、前出のクマラスワミ報告書を引用する行為自体が、朝鮮人に対する人権侵害行為である事に気付いて下さい。
「河野談話」と呼ばれている談話を引用されている部分について述べます。
河野談話で述べられている「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに荷担したこともあったことが明らかになった。」の部分についてですが、平成9年3月12日の参議院予算委員会で、平林内閣外政審議室長は「政府の発見した資料の中には、強制連行を直接示す記述は見当らなかった」と答弁しています。
私は以前に大阪府地方法務局に対して原告を相手方として人権侵犯被害申告シートを提出しました。その際に河野談話に関する説明もしておりますので、その人権侵犯被害申告シートを証拠資料として提出します。(乙〇号証)
その人権侵犯被害申告シートにおいて、原告の特別企画展における「従軍慰安婦」の問題点や歴史的事実と反する点などを説明しております。
「その他、同様の認識を示す文献は枚挙に暇がない。」について述べます。
先述の通り、広く一般的に認識されている事が必ずしも正しいとは限りません。
例えば、枚方市人権政策室では外務省の見解に反して、在日韓国・朝鮮人の来歴は強制連行であると歴史捏造を行っておりますが(乙〇号証)、何故、そのような歴史捏造をするのか問い合わせた所、「嘘でも、教科書に書いてあったから、これで良い。」「例え真実ではなくても、この見解が世間では広く通用しているから、(誤った歴史認識である)強制連行を正しいとした。」と返答しております。
原告も、枚方市人権政策室の考え方と同様に、歴史の事実に反しても、誤った歴史認識の風説や書物が沢山ある事を理由に、歴史捏造をする事が正しいと考えるのでしょうか?
まるで、歴史は多数決で決まる。と言わんばかりに聞こえますが、歴史とは証拠価値のある資料・史料などに基づいて検証し、そして、前後の歴史との整合性を勘案しながら真相に辿り着くべきものである。
「したがって、被告の主張は、自らの差別意識を糊塗する詭弁にすぎない。」は否定する。
「被告は、上記準備書面において、「私は「誤った歴史認識の流布によって、差別が惹起され拡大される」と訴えかけているのであるから、「誤った歴史認識」を否定するならば、特別企画展での展示内容が正しいとする証明をしていただきたい」(11ページ)というが、この点に関する原告の回答は上記のとおりである。」に部分について述べます。
原告は特別企画展での展示内容(解説文)をどのような経緯、根拠で作成したかを説明したかもしれませんが、特別企画展での展示内容(解説文)が歴史的事実として正しい事の説明はしていないように思います。
勿論、原告の特別企画展での展示内容(解説文)の趣旨と同様の報告書や談話、判決(極東軍事裁判など)、書物、証言、風説は枚挙に暇なくあるのは存じておりますが、それらをいくら提示されても、それを以って原告の特別企画展での展示内容(解説文)が歴史的事実として正しい事の証明にはなりません。
そもそも、原告は本件発言を受けて、原告の行った特別企画展「コリアと日本」での歴史説明(解説文)が歴史捏造であるか、無いかの検証を行ったのでしょうか?
いえ、私の本件発言を受けなくても、在日韓国・朝鮮人の来歴に関する強制連行など無かったとする説が存在することや、従軍慰安婦の問題で、強制連行が確認されていない事や、河野談話の内容に問題があり、それを指摘する声や白紙撤回を求める動きがある事などを把握してなかったのでしょうか?
もしも、それら原告の特別企画展での展示内容(解説文)とは違う見解がある事を全く知らなかったとすれば、このような歴史の説明を行う展示などをするべきではありません。
報道でも、意見が複数ある場合は両方の意見を紹介する等の配慮を行っております。
それは公平・公正を保つ為に必要だからです。
原告は、特別企画展での展示内容(解説文)とは違う見解が存在する事を知っていたのか、知らなかったのか明確にお答え下さい。
又、知っていた場合、何故、複数の見解・諸説ある歴史認識から、特別企画展の展示内容(解説文)だけを紹介する事にしたのか、答えて下さい。
そして、知っていた場合、どのような検証作業によって、最終的に特別企画展での展示内容(解説文)が正しい歴史的事実もしくは、限りなく正しいであろうと思われる歴史的事実であると判断したのか、答えて下さい。
そして、私の本件発言や準備書面(1)での反論を受けて、改めて、原告の特別企画展での展示内容(解説文)が正しい歴史的事実・歴史認識であると主張するのであれば、私の主張や反論が間違って事を証明して下さい。
原告も、真実の歴史を望むのであれば、原告の特別企画展での展示内容(解説文)の間違いや問題点を指摘して頂いた訳ですから、私に感謝しても良いのではないでしょうか?
少なくとも、真摯に対応されてはどうでしょうか?
おそらく、この裁判において、原告の特別企画展での展示内容(解説文)が歴史的事実か否かを判断される事はないと思いますので、この裁判とは別に、真実の歴史を求めて、徹底的に議論を行いたいと思いますが、如何でしょうか?
原告も『水平社博物館での特別企画展「コリアと日本」での展示内容(解説文)は誤っている』と言われたままでは、納得されないと思いますし、間違いなら訂正する潔さも責任もあると思います。
私の指摘した「間違いだ」に対して明確に、原告の特別企画展での展示内容(解説文)は誤りでないと証拠を提示して証明出来るのなら、それをされる責任もあるのではないでしょうか?
「むしろ、被告の主張が、それ自体、女性及び韓国・朝鮮人に対する差別意識に基づくものであること、いうまでもない。」の部分は女性については前述の説明の通りです。(2ページ15〜19)その他は否定する。
「いうまでもない」どころか、「いうまでもある」ので、言って下さい。
第1準備書面の第1の2の主張全体に対して、以下の意見を付け加える。
大東市教育委員会が主張する、「一番身近な外国人である在日韓国・朝鮮人問題を正しく理解し、偏見や差別をなくするための教育や啓発を進めることは肝要なことである。」(乙〇号証)との主張の通り、正しく理解しないと、偏見や差別をなくす事は出来ません。
何度も繰り返しの主張になりますが、差別の無い社会の実現の為に、本当に正しい歴史認識が必要であり、歴史捏造を糾さなくては差別が無くならないとの信念を持っており、原告の特別企画展における歴史捏造を放置すれば、差別が惹起され助長されると危惧を抱き、差別の無い社会の創造の為、そして現在、不当な差別に苦しむ在日韓国・朝鮮人を差別から解放する為に、私は歴史捏造に対して抗議の街宣活動を敢行しなければならないと思いました。
4. 第1の3「被告が当初から街宣活動を予定していたこと」について
「この点に関して、被告は、上記準備書面において、あたかも水平社博物館が当時行っていた日本軍「慰安婦」問題に関する展示を見学し、その内容に疑問を感じたので、これに対する意見表明として本件街宣活動を行ったかのように主張するが、全く事実に沿わない。
なぜなら、被告は、先に訴状でも触れたとおり、2011年1月5日、水平社博物館に来館する前に予め高田警察署に立ち寄り、同月22日に街宣活動を行うことの許可を求めているのである。すなわち、その時点において既に本件発言のような内容の街宣活動を行うことを予定していたのである。」の部分について述べます。
原告の特別企画展「コリアと日本」の展示内容を見ないで、街宣活動の内容をどうやって私が決定したと言うのでしょうか?
もう少し説明しますと、本件発言ですら、平穏に街宣活動が出来ないと言われておりましたので、それ程、沢山考えていませんでした。
街宣活動の許可を求める行為があったかどうかについては、それを立証する事が出来ませんので不知としますが、仮に街宣活動の許可を求める行為があったとして、街宣活動の許可を得たら必ず街宣活動をしなければならない訳ではありません。
又、テーマにしても「拉致救出」の街宣活動を予定していたのかもしれません。
原告の邪推による想像の域を出ないと思います。
又、私が2011年1月5日に高田警察署に立ち寄り、同月22日の街宣活動の許可を求めたと主張されますが、何を根拠に述べているのでしょうか?
警察官は公務員であり、職務上知り得た情報を部外者に話してはならない守秘義務があると思いますが、原告はどのようにして、私が高田署で街宣活動の許可を求めたとの行動を知り得たのでしょうか?
私は、解放新聞に「差別した」と報道され、県連に「糾弾闘争」を展開すると宣言されて、その為に心因性反応・不安神経症と呼ばれる精神疾患を患い、その為か、物覚えが悪くなり、物忘れが酷くなり、過去の記憶も色々と途切れております。(乙〇〜〇号証)
2011年1月5日の事も、今となっては明確に思い出すことが出来ません。
「この点からも、被告の本件発言が、水平社博物館の展示に対する意見表明というものではなく、当初から韓国・朝鮮人及び被差別部落出身者に対する差別意識を露わにし、挑発する目的で予定されていたものだということが明白である。」の部分について述べます。
全て否定します。
本件発言は、差別の無い社会の実現の為に、誤った歴史認識の流布を糾すのが目的であり、断じて差別意識を露わにし、挑発す
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