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右翼の捲土重来 - 赤狩りをファシズムの現象として捉えた丸山真男
このところ、政局の中心が大阪に移っている。テレビが報道する政治のニュースが大阪発になり、新宿の都庁発になり、驚愕するような暗黒の未来がどんどん発信、宣告され、われわれが腰を抜かしている間に、死角となった永田町の密室で増税法案の日程が姑息に決められている。政治の主役に橋下徹と石原慎太郎が躍り出て、右翼的な大言壮語を乱発して掻き回し、永田町の政治家たちが黒子の脇役になり、背後に隠れながら直近の政治の子細を埋めている。まるで、永田町の政治家たちが霞ヶ関の官僚になったようだ。橋下徹は、わずか3か月前に大阪市長になったばかりだが、もう首相になったような態度で、奔放自在に国家の政策構想の法螺を拭き、マスコミを使って派手に広報宣伝させている。マスコミは橋下徹を持ち上げ、媚を売り、次の選挙での圧勝と首班指名を確定させたかのように扱い、テレビのニュースを橋下徹の演説を放送する時間にしている。昨年11月末、市長になったとき、橋下徹の政策は大阪都構想で、「僕は国政選挙には出ません」と言い、「維新の会」の候補擁立も大阪都構想を実現させるために関西のみという説明だった。それが年が明け、いつの間にか300小選挙区で200人を当選させるという話に化け、一院制と首相公選の新憲法の制定となり、挙げ句、「思想信条の自由が欲しいなら公務員をやめればいい」という脅迫と人権否定に行き着いた。


動きが非常に速い。ヒトラーは、1932年11月の選挙で第1党になった後、翌1933年の1/30に首相に就任、この時点ではワイマール憲法の遵守を誓約している。ところが、掌を返したように2日後の2/2には議会を解散、2/27に国会議事堂放火事件を起こして犯人を共産党と断定、2/28に共産党を非合法化して逮捕する弾圧を開始、3/5の選挙から共産党を排除する。3/24には全権委任法を成立させ、議会や大統領の承認を経ずにヒトラーが自由に法律を制定できる独裁体制を敷く。ここまで、ヒトラー内閣発足からわずか3か月。5月には労働組合を禁止して解散させ、7月にはナチス以外の政党を禁止した。橋下徹とヒトラーのイメージが重なるのは、この政治の動きの速さであり、そして前言撤回の二枚舌であり、二枚舌への厚顔とその作為的使用である。ヒトラーとファシズムを体験した者は、異口同音に、そのときはまさかそこまでの速度で事態が進むとは思わなかったと回顧する。あれよあれよと言う間に自由が奪われ、戦争の地獄に落ちたと言い、油断と不覚と後悔を述べる。1932年の時点では、リベラル派や保守派の中でも少なくない者が、1年後の化け物のヒトラーを想像しておらず、共産主義の台頭を右側から抑制するための必要悪の劇薬ぐらいの認識しか持っていなかった。不安と不審は感じつつ、甘く見ていたのであり、根拠のない楽観的な予測にすがっていたわけだ。

無論、ヒトラーの方は、1933年の前半に実行する政治は、何年も前から計画を練っていたもので、権力を手中にすれば一気に強行するプログラムだったのであり、これを実行するために権力が必要だったのである。私が橋下徹に対して、権力を取れば全公務員から思想信条の自由を奪い、政治活動を全面禁止し、最後にはそれを全国民に拡大して来るだろうと予測することについて、現時点では警戒過剰だと思われるかもしれないが、1930年代を経験したドイツ人の感覚や記憶からすれば、決して神経質すぎる見方という判断にはならないだろう。政治については、市民は楽観論のバイアスでの予断は謹むべきだ。われわれから見れば、眼前の現実はファシズムが急速に台頭している図だが、このスピード感について、われわれ市民と対極にいる右翼はどう感じているか想像する必要がある。2、3日前に、橋下徹の活躍に破顔する安倍晋三の動静がマスコミに登場した。今の橋下徹と石原慎太郎の動きは、右翼からすれば、5年間頓挫させられていた「維新」が動き始めた光景なのだ。2007年の参院選で安倍晋三が惨敗し、ぶざまに下痢を起こして退陣に追い込まれて以来、ずっと雌伏してきた「維新」が、ようやく軌道に乗り直してエンジンを噴かせ始めた場面なのである。久しく政治の主舞台から遠ざけられていた右翼が、勢力を挽回し、溜めに溜めていたバネとエネルギーを再び躍動させている局面だ。

「維新」が最も興隆して、右翼が理想とする地平に接近したのは、2006年から2007年の安倍政権の時期であり、教育基本法が改悪され、共謀罪が国会で可決されようとしていた瞬間だった。横田早起江がNHKの7時のニュースのレギュラー出演者となり、毎晩5分から10分の枠を与えられ、北朝鮮を憎悪し戦争を扇動するプロパガンダを絶叫していた頃である。この後、小沢一郎の「国民の生活が第一」が支持を得て躍進し、小泉・安倍の右翼新自由主義は半ば否定されて後退、ほぼ3年近く「維新」の動きは停滞を余儀なくされる。したがって、われわれからすれば、橋下徹のスピード感はfastだが、右翼にとってはearlyではなく、遅きに失していた政治を挽回し、左に偏っていた方向感を元に矯正しているだけに過ぎない。公務員の思想信条や政治活動の自由の禁止は、安倍晋三が共謀罪を仕掛けた時点と直結するのであり、そこまでに横たわる時間が、「維新」にとっては迂回であり曲折であり苦節なのだ。思い出せば、教員への君が代の強制と粛正は、石原慎太郎が米長邦雄を都教委員に任命して強行した問題で、2004年秋の園遊会で天皇陛下に一喝され、挫折を余儀なくされた「維新」の策動の一つだった。8年も昔の小泉純一郎の時代の事件である。右翼からすれば、小沢一郎と民主党による左旋回の所為で、改憲も核武装も官公労潰しも、すっかり当初の予定が狂っていたのであり、橋下徹は救世主なのだ。

ここで、広辞苑(第二版)を開いてファシズムの語の意味を引くと、次のような説明がある。「①イタリアのファシスト党の運動、及び同党が権力を握っていた時期の政治的理念及びその体制。②広義では、イタリア・ファシズムと共通の本質をもつ傾向・運動・支配体制。第1次大戦後、世界の資本主義体制が危機に陥ってから、多くの資本主義国に出現(イタリア・ドイツ・日本・スペイン・南米諸国・東欧諸国など)。全体主義的或いは権威主義的で、対外的には侵略政策をとることを特色とし、また、一党専制の形をとり、国粋的思想を宣伝する」とある(P.1912)。私は、7年前に「改革ファシズムを止めるブロガー同盟」の運動を起こし、小泉・竹中の新自由主義路線と、それとマスコミが結託して一つの権力となっている政治への抵抗を呼びかけたことがある。そのとき、小泉政治をファシズムの語で定義するのが適当かどうか少し迷った。概念とイメージが必ずしも一致しなかったからである。今回の橋下徹は、すでにハシズムという俗語が提供されているように、小泉純一郎よりも実像がファシズムの概念に近いと言える。政治の中央ではなく周辺から登場した点など、ヒトラーのイメージに近い。が、それ以上に、政治の中身の狂暴さがあり、自由の抑圧や人権の侵害の契機が色濃い点が特徴だ。小泉純一郎の場合は生存権を否定してきたが、橋下徹は自由権を否定している。ここまで過激に「思想信条の自由」に手をつけた政治の例は見たことがない。

広辞苑にあるようなファシズムの定義を広げ、単に第1次大戦から第2次大戦までの歴史の事象を指すのではなく、近現代の民主主義国家に内在する固有の病理として捉え、政治学的な概念を与えた一人が丸山真男だった。特に丸山真男が注目したのが、1950年代前半に米国で猛威をふるったマッカーシズムの政治で、『ファシズムの諸問題』(1952年)、『ファシズムにおける現代的状況』(1953年)、『現代における人間と政治』(1961年)などの論文の中で繰り返し考察が加えられている。曰く、「アメリカは自由主義の国柄である、自由民主主義とファシズムとは正反対である、故にアメリカはファシズムと縁がない - というような簡単な三段論法が存外大手を振って通用しております。私は、一部の論者のように、現在のアメリカの支配形態を完全なファシズム体制だとは毫も思いませんが、(略)あらゆる徴候から見て、そこには歴然としたファシズムの傾向が現れており、しかもそれはますます増大していると思います」(第5巻 P.301)。「アメリカのように本来の自由主義の原則が長く根をおろしていたところでさえ、自由を守るために自由を制限するという考え方は、現在の客観情勢の下ではズルズルとファシズム的な同質化の論理に転化する危険がある」(同 P.312)。この丸山真男のファシズム論とマッカーシズムの分析に大いに衝撃を受けたのが、米国の宗教社会学者で、『徳川時代の宗教』(岩波文庫)の著作があるR.ベラーだった。

赤狩りがファシズムの概念を一般的に構成する要素の一つとなっていること、橋下徹にファシズムの表象が適合すること、この二つの根底を辿ると、どうやら丸山真男の理論の基礎がありそうだ。


by thessalonike5 | 2012-03-01 23:30 | Trackback | Comments(0)
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