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放射能と向き合う−仙台圏(3)測る/困っている人のため
 | 分析を依頼された水を測定器に入れる石森さん=仙台市太白区坪沼 |
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<自宅に機器設置> 仙台市太白区坪沼の山すそを切り開いた開墾地。車が擦れ違えるかどうかの細道を進んだ先にある自宅で、農業石森秀彦さん(51)が農産物や土壌に含まれる放射性物質量の測定所を開設したのは昨年11月末だった。 「国や県の食品放射能検査はサンプル数が少なくて信用できない。個人で検査機関に依頼するとそれなりのお金がかかる。震災や原発事故で財産を失った人、貧しい人たちに『お金がなかったから被ばくした』と言わせたくなかった」 「小さき花 市民の放射能測定室仙台」と名付けた測定所を開設した理由を、石森さんはこう説明する。 450万円する国産測定器は、知人らからのカンパのほか、子どもの進学用に蓄えていた貯金などを取り崩して充てた。 測定料は1品3000円だが、お金がない人から取るつもりはない。恒常的に測定の依頼が来るようになれば原発事故や津波で仙台に避難してきた人を雇用する方針だ。 石森さんは福島第1原発事故による放射能汚染に関して、国や宮城県の対応に不信感を抱き続けている。昨年4月には飛散した放射性物質が付着したとみられる影響で、自宅から2キロ離れた畑の小松菜から、放射性セシウム(国の暫定基準値1キログラム当たり500ベクレル)が3737ベクレル検出されたこともあった。 「県に相談しても『国は出荷制限をしていない』。でも現実を直視すれば知らんぷりはできないから畑の除染が終わるまで農業はやめることにした。俺は加害者になりたくなかった」 畑や水田は耕せば土壌の放射性物質の濃度が薄まるが、石森さんは耕さないまま栽培する不耕起農業を行っているので、神経質にならざるを得ないという事情もあった。 畑は50アール、水田は30アール。大学で農業を学んだ石森さんは、アジアやアフリカの発展途上国で農業を手伝った後、1985年に古里の仙台に戻って坪沼に移住した。野菜や裏山で採れる山菜を宅配して生計を立てていた。水は井戸、暖房や風呂はまきが燃料だ。 しかし、原発事故後は土壌が汚染されたため井戸水は諦めた。まきを燃やすと灰に放射性物質が濃縮されるので、燃料は灯油に切り替えた。
<悔しいと思わず> だが、石森さんは「悔しいなんて思ったことはない」とあっけらかんと語る。「だって俺が努力を怠ったから原発事故が起きたわけじゃない。どうしようもないんだよ」 石森さんは畑の表面の土をスコップでかき集め、除染を進めている。春には一部で野菜の作付けを試験的に始め、収穫後に含まれる放射性物質量を測ってから販売を再開したいと考えている。
2012年03月01日木曜日
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