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急遽、本日午後の帰宅と相成った。
見るにお主、もはや、断末魔に近い状態であるな。
其れにしても、ここまで読解力のない御仁であるとは思わなんだ。哀笑。
仕方がない。
此に改めて論点を整理し、お主の其の自義珍論を、本日この日を以って粉砕せしめよう。
よいか、ロム殿。
お主は、今回の対論に於いて、
『初手の質問は、「葬儀の要不要」葬儀における「僧の要不要」だったのを忘れたのか?』と
ほざいておるが、其の内容は以下のとおりである。
>あっ!そうそう、葬式は成仏とは関係ございませんので悪しからず。(笑)
>大聖人の法門は、一生成仏・即身成仏なのですよ!
>坊様って?葬儀に必要不可欠のお方じゃございません。
ロム殿。
この何処(どこ)が「質問」なのであるか。これは質問ではなく、初手からお主の自論を述べている
ものではないか。しかも、其れをして断定しておる。よいか。本日までの事は、お主の自義断定から
端を発しているのである。
したがって小生は、お主が断言する処(ところ)の、葬儀、つまりは追善供養する儀式と、故人の成仏
との関係について、論を重ねて来たのである。
して先ず、其の論を重ねる中で、小生は、
『今世に於いて一生成仏を成し遂げ、遂には即身成仏する。して其の即身成仏は冥界の生命に於いて
も当て嵌まる』
と述べた。
するとお主はこう言って来た。
「冥界の世界に当て嵌まるって?(笑)」と。
仍って小生は『生死ともに即身成仏義は在る、と申した。又、其の事は、お主が引用せし御文「生死
ともに仏なり、即身成仏と申す大事の法門これなり」との義に一致するものである』と述べ、お主が
嘲笑する「冥界の世界に当て嵌まるって?(笑)」との物言いは、明らかな誤読であると問い詰めた
のである。
よいか。『即身成仏は冥界の生命に於いても当て嵌まる』とは、一生成仏を遂げた者が、死後の世界
に於いて再び成仏をする、などという意味で言っているのではない。そんな事は馬鹿でも解かる事で
ある。よいか。小生が申しておるのは、日蓮大聖人が仰せの如く、即身成仏の大義は、生前にも死後
に於いても当て嵌まる事を述べているのである。
して、お主は、其の事について、
>「於いても」とは、死後の世界にあっても、「即身成仏(一生成仏)」をすると云うことではない
>のか!?(笑) 詭弁を使っても無理である。死後の世界に於いては、生前仏果を得ているので、
>即身成仏(一生成仏)をする必要はないのである。(爆)
などと、其れこそ脳ミソが爆発した様な事を言っておる。
さても、お主は詭弁の意味を理解しておるのか。哀。実にお主こそが詭弁を弄し、返答の摩り替えを
平然と行っているのではないか。
よいか、ロム殿。以下の小生の記述はよく読んでおきなさい。これは『今世に於て即身成仏した者は
来世に於て即身成仏する必要はない、だから、死後の世界での即身成仏はない』とする、お主の詭弁
を封じ込めるものであり、今後の遁走について、其の退却路を絶つものである。
よいか、ロム殿。
生前仏果を得た者が、其の死後に於いて仏果を得る必要はないであろう。其れは、其の者が既に仏果
を得ているからである。又、今世で成仏した者が、死んで地獄に堕ちるという事もない。しかし、
今世で成仏しようとも、死後、親類縁者などが、邪法を以て追善せば、其の死後に於て、其の生命は
忽(たちま)ちにして苦悶するを、小生は述べたのである。
つまり、其の逆に於いて、生前、成仏を果たせなかった者であっても、其の死後、親類縁者などが
正法を以って追善供養せば、其の苦悶せし冥界の命も、忽(たちま)ちにして成仏するを述べたので
ある。其の意味に於いての『即身成仏は冥界の生命に於いても当て嵌まる』との言であり、其の意味
に於いての『生死ともに即身成仏義は在る』という意なのである。
してお主は『(即身成仏が)冥界の世界に当て嵌まるって?(笑)』と嘲笑し、敢えて「冥界の世界に
【も】を意図的に省いて、小生が恰(あたか)も、即身成仏は死後にこそ当て嵌まる、との印象を画策
せんとしたのである。よいか、ロム殿。対論・法論に於いて、其の重要なる論点の一節については、
一言一句たりとも誤謬解釈してはならないのである。仍って、小生は其の事について、お主を問い質
しているのである。
して、お主の『(即身成仏が)冥界の世界に当て嵌まるって?(笑)』という嘲笑の根拠が、
『冥界(死後)に即身成仏はない!』という自論から来ている事からして、小生は種々の文証を通して、
其の珍論を糺したのである。
つまり、其れこそは、
『当宗に於て信の道の大切なる事は親師匠能信の徳に依って即身成仏したまひたる其の跡を継ぎたる
弟子など不信なれば其の親・師匠を悪趣に輪廻させんずるなり。又親師匠不信なれども其の跡を継ぐ
子・弟子能信なれば又成仏すと云へり』との御文であり、
『大石寺の義に云く、縦(たと)ひ親・師匠は信心堅固にして得道すとも弟子等の所々に退転有らば其
の師輪廻すべきなり云々。仰せに云ハく・此の義相違無きなり』との御文なのである。
つまり、此の事からして、仮令(たとえ)今世に於て仏果を得ようとも、冥界(死後の世界)に向かった後、
其の弟子・遺族・縁者等が不信し、退転するならば、それら死後の生命は悪趣に輪廻する、という義
が明らかとなるのであり、又、其の事は、お主が不貞(ふて)腐って書いた処(ところ)の、
>親・師匠が、即身成仏しても、子供・弟子が不信であれば、親・師匠も迷いの境智に入り、その
>反対に、親・師匠が不信であっても、子供や弟子が、篤信者であれば、成仏すると言われているの
>だろ!
という解釈によって、其の文意の論拠を得たのである。して、上記の御文が、今世のみに当て嵌まる
事を申しておるのか。お主は、謹んで其れを正訳しなければならない。して、上記の文意が今生のみ
ならず、来世に亘って通用する義であるならば、お主こそは、今こそ『(即身成仏が)冥界の世界に当
て嵌まるって?(笑)』という嘲笑を訂正し、又、其の稚拙な誤読を恥じなければならない。
尚、お主は、小生の言葉尻を捉えて、
>即身成仏・一生成仏は、「ある」のではなく、「する」のである。
>もういい加減、貴殿は言葉の錯誤に気づかれては如何か?(苦笑)
などと、苦しまぎれに笑っておるが、即身成仏は『する』。即身成仏義は『在る』が根釈であり、
其の立て分けなどは、以前からの小生の記述を読んでおれば、容易に判別出来るものである。
其れよりも何よりも、冥界の意を、相互に於いて『死後』として論じて来たものを、今になって
地獄界だ、などと後釈し、
>貴殿は、冥界と云う言葉の意味を分かって使っておられるのか?(苦笑)
>単純に死後の世界と云う意味で使っておられるのか?
などと嘲笑したのである。して、其の嘲笑している己(おのれ)自身が、
>即身成仏は、一生成仏と同義語で、今世で成仏を果たすと、死後も仏であると云う事ではないのか?
>なぜ、死後(冥界)に即身成仏があるのか?
などと、脳捻転が如き質問しているのであるから、もはや救う神とておるまい。呆笑。
して見れば、
>貴殿の示した、『冥界』と云う言葉を『三悪道』と捉え、話をしたのである。
などと、今更に惚(とぼ)けた言い訳などをしておる。哀笑。
ならば何故『死後も仏であると云う事ではないのか? なぜ、死後(冥界)に即身成仏があるのか?』
などと申すか! お主は間違いなく『冥界』を『死後・死後の生命』と捉えていたのであり、だから
こそ『なぜ冥界に居る仏に坊さんが引導を渡すのか』と質問したのである。して見れば、此の時点で
冥界を地獄界と捉え、そして今回の投稿に於いては、冥界を三悪道と捉えていたのだと云う。小笑。
お主が云く、
>『何故故に、冥界に居る仏に坊さんが引導を渡さないといけないのか?」と云う質問は、
>「冥界(地獄界)」に居る「仏(仏界)」と云う意味で、何等、解釈におかしいところがあるとは
>思わないが。(苦笑)
などと言っておる。
ったく、冥界を地獄界ではなく、死後の世界との認識であったからこそ、其の死後、つまりは冥界に
居る仏に何故、引導を渡すのか、と質問したのであろうが。して、お主の詭弁を糺すとなれば、死後
の地獄界に仏が居るとは如何なる事か。して、冥界に仏界が居る、とは、如何なる意味か。お主は、
此の二点について、説明しなければならない。よいか、お主は、冥界に居る仏に何故引導を渡すのか、
と問うたのである。ならば、其の仏とはどういう仏であるのか。お主は今世に成仏した者は、死後に
於いても仏である、と申したのであるぞ。今回こそは其れに答えなさい。よろしいか。
尚、
一生成仏を遂げて亡者となり、冥界(死後の世界)に旅立った者は、其の子孫が退転し、邪教を信奉し、
其の邪教を以って供養した場合でも、其の亡者の生命は、延々と成仏の歓喜を受け続けるのか。
さても、其れは何処の教えであるか。お主は創価学会員であるから、其の文証を恩師の指導から提示
して貰おうか。出来ずんば、お主の論敗である!
という小生からの詰問に対し、お主は『ばかばかしい!(苦笑)』と吐き捨て、本幹での池田太作の
『葬式に必ずしも御僧侶を呼ぶ必要はないのです。正宗は葬式仏教ではなく生きるための仏教です。
呼びたい人は呼んでもいいが、呼びたくなければ呼ばなくてもいい』などの文言を出し、これが恩師
の見解だ、などと莫迦な事を言っておる。
よいか、小生が詰問しておるのは『一生成仏を遂げて亡者となり、冥界(死後の世界)に旅立った者は、
其の子孫が退転し、邪教を信奉し、其の邪教を以って供養した場合でも、其の亡者の生命は、延々と
成仏の歓喜を受け続けるのか。さても、其れは何処の教えであるか。お主は創価学会員であるから、
其の文証を恩師の指導から提示して貰おうか』という事である!
本より、恩師とは戸田先生の事である! お主は池田の事を、恩師・池田先生と呼んでおるのか。
何とも変梃(へんてこ)りんな学会員である。よいか! 小生が云う恩師とは、創価学会第二代会長・
戸田城聖先生、其の仁(ひと)である! よろしいか。上記の詰問に対して、其の回答を寄こしなさい。
尚、お主は、小生が引用せし、烏竜と遺竜親子の説話に対し、
>烏竜は、地獄で一生成仏を果たしたのか?(笑)
などと阿呆な事を言っておるが、本より、此の御説は、死後の生命に於いても、今世の者が為す正法
追善の功力によって、其の即身成仏が成るを説いたものであり『仮使(たとい)法界に遍く断善の諸の
衆生も一たび法華経を聞かば決定して菩提を成ぜん』との御義にして、応に死後の生命をして菩提を
成ずるを示されたものであり、其の地獄に於て常寂光の都と成り、遂には地獄に住する罪人に於ても
皆、仏と成る、つまりは即身成仏する旨を説かれているのである。
又、其の事は、お主が返して云う処(ところ)の、
『貴殿が示した『法蓮抄』の御文は、法華経写経の功徳でさえ父を無間地獄から救い出す功徳がある
のだから、読誦による功徳は更なるものがあると仰せなのだよ』という、当たり前の解釈をもって、
死後の生命に於ける即身成仏の義が、証明されるのである。して、其の事は、お主が引用したる所の、
『生死ともに仏なり、即身成仏と申す大事の法門これなり』の御文に繋がるのである。言って置くが
『生死ともに仏なり』とは、今世に成仏した者は、来世も引き続いて仏である、なとど云う簡素な意
ではない。今世に於いても、来世に於いても、ともに即身成仏の大義が在る、との意である。
而してお主は断言した。
『冥界に即身成仏はない!』
『死後の世界の即身成仏(一生成仏)などは、大聖人の法義ではない』と。
よいか、此の事は、前々から申しているとおり、葬儀の要不要、僧の要不要以前に、日蓮大聖人の
仏法に於いて、死後の生命、つまりは、其の解釈としての冥界に於いて、其の命が即身成仏するや
否やの、大根本たる論議なのである。して、これこそは、両者に於ける、日蓮大聖人門下としての
当に成仏義に於ける正邪決定の瞬間なのである。
ロム殿。
お主にもう後はない。何度でも云うが、アヒルは所詮、アヒルなのである。其れ以上、足をバタつか
せては、其れこそ醜いアヒルと成ってしまう。して、もはや、其の細首も、我が正法の大刀によって
今や刎ねられんとしているのである。
御義口伝に曰く、
『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて
即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり』(新編 1724)
よろしいか。ロム殿。
お主こそは、其の自義珍論を速やかに恥じて、本日までの小生の論述に対する嘲笑を詫び、其の貧弱
なる読解力によって誤読を繰り返して来た事を心から猛省して、今こそ、其の創価の論客としての潔
(いさぎよ)さを、此に示すべきである。
又、其れこそが本日まで、お主の論勝を待ち望んでいた同志に対する礼儀でもあろう。
それ以上、醜いアヒルになっては、お主こそが可哀想である。
よろしいか。閲覧されている同志への手前もあろうが、ここは論客としての潔さこそが大事である。
最早、これ以上は申すまい。
お主の態度、皆が注目しておるぞ。
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