「国会の爆弾男」と名をはせた旧福岡1区選出の元衆院議員、楢崎弥之助(ならざき・やのすけ)さんが29日、福岡市東区の自宅で死んでいるのが見つかった。91歳だった。葬儀・告別式は未定。
同日午後6時半ごろ、東京都内に住む楢崎さんの友人から、楢崎さんの孫に「連絡が取れない」と電話があった。孫が自宅に行くと、風呂場で楢崎さんが倒れ、亡くなっていたという。福岡・東署は28日朝に病死したとみている。楢崎さんは一人暮らし。右足が不自由で05年からリハビリ生活を続けていた。
楢崎さんは福岡市出身。戦後の社会党結党に参加した。故・松本治一郎参院議員(部落解放同盟委員長)の秘書を経て1960年に衆院に初当選した。83年の総選挙で苦杯をなめ、84年の福岡市長選にも落選したが、86年の衆院選で返り咲き、計11回の当選を果たした。77年に社会党を離党し、翌年に社民連を結成して初代書記長に就任。93年には勲一等旭日大綬章を受章。94年に社民連が解散した際、無所属となった。
博多弁をまくし立てる国会質問での追及ぶりが有名だった。竹下政権崩壊につながった88年に発覚したリクルート事件では、リ社側から贈賄申し込みを受けて拒否した事実を公表し、東京地検に告発。これをきっかけに東京地検の捜査が本格化した。
76年に米国議会で表面化し、田中角栄元首相の逮捕にまで発展したロッキード事件でも、国会で追及の先頭に立った。
安保・防衛問題でも、独自に入手した資料を使って在日米軍基地の核問題などを追及した。国会外でも活発に活動し、64年に米国の原子力潜水艦が長崎県の佐世保港に寄港した際は、反対デモに参加し逮捕された。【三木陽介、井本義親】
毎日新聞 2012年2月29日 21時20分(最終更新 2月29日 23時21分)
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