日清戦争の外交を指揮し、「カミソリ大臣」と恐れられた明治の外相・陸奥宗光は、大変な愛妻家だった。ロンドンに留学中、英国女性が物知りで話し上手なのに感心し、日本にいた妻に手紙で勧めている。
「あなたも歴史書などしっかりした本を読む傍ら、新聞で一通り今日の世間の有り様を知ることが必要です。東京日日新聞がよいでしょう。事件や花柳界のうわさ話ばかりでは実のある話はできません」
手前みそで恐縮ですが、毎日新聞の前身です。当時(1885年)まだ創刊13年。社説欄や政治論議が売り物だった。
時に政府寄りと批判され、大衆紙に押され、道のりは平たんでなかったが、ともあれ新聞は草創期から、社会の動き全体を考える論点の提供に努めてきた。事実を伝え、興味に応えるだけが報道ではない。
国連で「アラブの春」1周年の討論会をのぞいたら、インターネットの役割が口々に称賛された後、こんな報告があった。
革命の経過を丹念にたどると、ネットでの無数の発信は「今・ここ」の出来事を素早く生々しく伝えたが、人々が行動を起こしたのは、多くの場合、マスメディアが報じた全体状況の中で、それがどんな意味を持つかを知ってからだったという。
思えば世の中の動きを、動いている端から全体として意味づけようとは、随分無謀な企てだ。間違いや失敗は数知れず、おごりや不明を恥じる例も多い。新聞紙はいずれなくなるかもしれない。それでも新聞の役割はなくならないと確信する。
宗光の妻亮子は、芸者だった17歳の時に結婚。先妻の子を育てながら、夫の獄中4年半と留学2年間を熱烈な手紙のやりとりで待ち続け、やがて鹿鳴館やワシントン社交界で人々を魅了した。きっと東京日日新聞の読者だったに違いない。
毎日新聞 2012年2月29日 0時43分
| 2月29日 | 創刊140年余聞=伊藤智永 |
| 2月28日 | 終わらない「戦後」=大治朋子 |
| 2月24日 | 日本人論って?=小松浩 |
| 2月23日 | 27人のいとこ=藤田悟 |
| 東京オリンピック=落合博 | |
| 2月22日 | 食べない理由=滝野隆浩 |
| 2月21日 | 老いの伴走者=永山悦子 |
| 2月17日 | モンティの証明=福本容子 |
| 2月16日 | エリートはつらい=榊原雅晴 |
| 雪の上越と楓石先生=布施広 | |
| 2月15日 | ネット革命の正体=伊藤智永 |
| 2月14日 | 「二重外交」のわけ=大治朋子 |
| 2月10日 | 権利とは何だろう=小松浩 |
| 2月9日 | 100年後の再挑戦=藤田悟 |
| ローザンヌの栄冠=落合博 | |
| 2月8日 | ああ昭和ライダー=滝野隆浩 |
| 2月7日 | がれきの中の宝=永山悦子 |
| 2月3日 | アメリカン・モデル=福本容子 |
| 2月2日 | 凡人閑居して=榊原雅晴 |
| 御用学者はいらない=布施広 | |
| 2月1日 | 政治が消えた世界で=伊藤智永 |
| 1月31日 | 琉球豚アグー=大治朋子 |