洗脳護身術入門
栗栖 益世(フリーライター)
「洗脳」――この言葉は一般に「カルト宗教」「悪徳商法」に始まって「心霊現象」「カリスマ」・・・・などちょっと危険なイメージを連想させる。が、東京都内で先日、「自己洗脳セミナー」という、一風変わったセミナーが行われた。自己洗脳=つまり自分自身を洗脳する、という意味である。
この変わった名前のセミナーの講師は苫米地英人(とまべち・ひでと)博士。アメリカのエール大学大学院にフルブライト留学生として留学、人工知能の研究に携わる。のちにカーネギーメロン大学で博士号を取得。帰国後、徳島大学工学部助教授を経て「ATOK」「一太郎」の開発で有名な潟Wャストシステム基礎研究所所長に就任。通産省(当時)情報処理振興審議会専門委員などを歴任し、現在はコグニティブリサーチラボ株式会社社長のかたわら、中国の名門大学・南開大学名誉教授も兼任する異色の脳機能学者である。
苫米地氏といえば、かつてオウム真理教(現アレフ)の事件の際に、警視庁の依頼により信者の洗脳を次々と解き、事件捜査の大きな手がかりを引き出したことで有名な人物である。著書「洗脳原論」(春秋社)や訳書「CIA洗脳実験室」(デジタルハリウッド出版局)など、「洗脳」に関する書籍や研究を多く手がけており、日本における「洗脳」の第一人者と言っても過言ではない。また、氏の新刊「洗脳護身術」(三才ブックス)は現在話題を集めている。しかし他人を洗脳するのなら話は分かるが、自分を洗脳とは、一体どのようなことなのか? 氏はこう話す。
「このセミナーでは洗脳と脱洗脳の技術を使い、自分の意識の状態を思うがままにコントロールする方法を学びます。なぜこのようなセミナーをやろうと思ったかというと、理由は大きく分けて二つです。まず一つ目は、現代の日本の社会を見ていて、すでに洗脳の技術というものが悪徳商法やカルト宗教の手に渡っています。街角のキャッチセールスから大がかりな詐欺にいたるまで、あらゆるところで洗脳技術が使われているにもかかわらず、一方で、普通の消費者はこれに関して知識を持っておらず、全く無防備です。こうしたことから身を守る技術を学びましょう、ということが目的の一つです。これを私は“洗脳護身術”と呼んでいます。
そして二つ目の理由は、この技術が自分自身の価値観を根本から変えるのに役立つ、ということです。人間には、自分がこれまで受けてきた教育や、家庭や社会で学んできたこと、知らず知らずのうちに身につけてきた考え方やものの見方、などがあります。こうした自分が持っている価値観や過去の記憶などを客観的に眺めてみることで、その価値観から完全に自立することができます。もちろん<教育>は<洗脳>とは違いますが、しかしその価値観から抜け出す方法論は一緒です。仕事で行き詰っている時、人間関係で悩んでいる時、過去の自分を変えたい時などに、こうした技術が劇的に役に立つ場合があります。我々は自分自身を無意識レベルで束縛してしまっていることが少なからずあります。この束縛から自分自身を解放する技術でもあります」
「洗脳」の仕組み
セミナーは都内・六本木のオフィスビルの一室で行われた。20人ほどの参加者は、全員が苫米地氏のホームページに掲載されていたセミナー案内を見て申し込んだ人だという。
関東地方からの参加がほとんどだったが、愛知県、石川県、熊本県といった遠方からの参加者もいた。参加者は心理学や精神医学を扱っている研究者、大学院生、医師、セラピスト、メンタルトレーナーといった専門家から、経営コンサルタント、会社社長、サラリーマン、普通の主婦まで参加者は多岐にわたっていた。年齢も20−50代と幅広く、さまざまな層の人がこうしたテーマに関心を寄せていることがうかがえる。筆者の予想に反し、決して「オタク」だけではなく、ごくフツーの人が多く参加していたのが印象的であった。
セミナーはまず、洗脳の仕組みを脳機能学的に解説するところから始まった。苫米地氏の解説によると、こうである。
人間はいうまでもなく、非常に高度な「意識」を持つ。これはその個人の内部で認識され何かが表現されているという意味で「内部表現」と呼ぶことができる。たとえば、夜、星を見て「ああ美しい」と思うのは、それはその人の意識の内部で「美しい星」が表現されている、というわけだ。
ところで、洗脳の仕組みは、生物の基本的な機能「ホメオスタシス」に深く関わっている。ホメオスタシス・・・生物学では「恒常性維持機能」とよばれ、生物が生きていく上で必要な身体活動を、無意識の内に調整する機能である。例えば、心臓の鼓動、発汗、呼吸、まばたき・・・・こうしたものは、ふだん意識に上らないが、私たちの生命を維持する活動として自動的に行われている。
通常、このホメオスタシスが反応するのは「物理的環境」である。例えばヒトは気温が上がれば自動的に汗を出して体を冷やし、気温が下がれば身震いなどにより熱を作り出す。この場合、外気温という環境条件をフィードバックしながら、体温を一定に保つ仕組みになっているわけである。
ところが、人間はその進化の過程で異常なまでの脳の発達を遂げた結果、情報をフィードバックする対象や物理条件だけではなく、本人の内部表現にまでいたってしまった。氏の解説ではこれが「洗脳」という現象が起こる基本的なメカニズムであるという。
例えば、映画を見たとしよう。私達はそれが現実でない、画面の世界の「作り話」であることを知っていながら、主人公と「一体化」してしまう。主人公が危険に遭う場面では手に汗を握り、感動の場面では涙が流れる。こうしたホメオスタシス的な肉体反応が、「映画」というバーチャルな世界、すなわち映画からの視覚情報と、それを認識しているわれわれの「内部表現」に呼応することで起こってしまう。
もちろん映像だけではない。人は音楽に感動して涙を流すこともあれば、小説に没頭して胸をドキドキさせることもある。いずれも音や字がもたらす自分自身の世界=認識の「内部表現」によってでも、物理的な反応が体に起きてしまうのだ。
そして、こうした「物理世界からのフィードバックよりも架空世界からのフィードバックの反応の方が大きい意識の状態」を「変性意識状態」と呼ぶ。洗脳というのは、こうした「変性意識状態」を作り出し、相手の「内部表現」の世界に、「洗脳者の内部表現」を強制する行為である。洗脳者が他人の「内部表現」を支配することはすなわち、その人の思考や行動、感情などを思うがままに支配することである。常識ではとても考えられない価値観、例えば「ポアさせるのは本人のため」「敵中で自爆すればすばらしい天国が待っている」などといった「洗脳」が実際に有効なのはこのためである。
こうした「洗脳」に対抗するためには、複数の「内部表現」の可能性世界を自由に行き来する必要がある。つまり「洗脳者」が「A」という「内部表現」の世界観を押し付けてきた時に、それを受け入れず即座に自分の「内部表現」を「B」の世界へとアクセスさせれば、人は決して「洗脳」されることはない。「洗脳護身術」とは、このように「洗脳者の内部表現から自分の内部表現を護ること」であると言っていい。
セミナーではこうした解説をひと通り終えた後、まずこの「変性意識状態」を作り出す実技に入った。
「変性意識状態」を生成する
「変性意識状態」は、精神医学の分野では「乖離状態」と呼ばれている。これは、意識が現実世界から離れているような感覚の状態である。例えば映画や読書などに熱中している時によくあるが、自分の視点が後ろにあって、自身から分離したような感覚は誰にでも経験があることだろう。これがさらに強い「変性意識状態」になると、目の前のものが見えていながら本人には見えていなかったり、違うものに見えていたりする。例えば、ふつうのオジサンである教祖が信者には神に見えたり、汚いプレハブ小屋のサティアンが清浄な神殿に見えたりしているのである。そしてさらにこの「変性意識状態」の極度に強いものが「トランス」と呼ばれ、宗教儀式などで見られる場合がある。洗脳には、こうした意識状態の生成が不可欠である。
「変性意識状態」への誘導−生成にはいろいろな方法があるというが、代表的なものは「呼吸法」によるワークである。解説によると、呼吸は「人間のホメオスタシスにとって不可欠な活動であるにもかかわらず、意識的にコントロールできる数少ない活動のひとつ」であり、呼吸のコントロールは比較的容易に変性意識を生成させるのだという。
筆者もワークに参加してみた。用意された椅子に楽な姿勢で座ると、会場は窓にカーテンがひかれ、お香が焚かれる。会場の後部では、この日のために招かれた音楽家がコンピューターを駆使し、その場で瞑想音楽を作ってBGMとして流してゆく。解説によると、五感のチャンネルを遮断してゆくことで、変性意識状態の早い生成を助けるのだという。目を閉じ(視覚の遮断)、お香の香りをかぎ(嗅覚の遮断)、瞑想音楽に耳を任せる(聴覚の遮断)と、なんとなく「アヤシイ雰囲気」になってきた。
助手の方の指導のままに「逆腹式呼吸」と呼ばれる呼吸法にチャレンジする。息を吸う時にお腹をへこませ、吐いた時にお腹を膨らませる、という動作を繰り返すと、確かにだんだん全身の感覚が敏感になっていき、周囲の状態から意識が切り離されるような感じになっていく。続けていくつかの呼吸法を行い、その意識の状態をさらに強化すると、次は「気功」のワークである。
一般に「気」は「目に見えない生命エネルギー」という形で紹介されることが多い。が、このセミナーではそうした「気」そのものをトレーニングするというよりは、それにより自分の「変性意識」を生成するいわば「手段」として利用されている。手で「気」を感じたり、タントウ功と呼ばれる気功独自のポーズで「気を練る」ことによって、参加者はさらにずっと深い「変性意識状態」に入ってゆく。
「気」について科学者としての苫米地博士は「気は言葉を使わない情報の伝達手段として確かに存在している」という立場をとっている。実は苫米地氏自身が気功師であり、全日本気功師会の理事を務めている。が、氏によると「気の存在を信じるかどうかは別として、自己洗脳術では自分で自分自身の内部表現に、自由に書き込みをできなければいけない。そのワークとして気功は最適です」とのことであった。「気」を見たり感じたりできる意識の状態というのは、自己洗脳に適している「変性意識状態」であるとのことだ。こうして多方面から徹底して「変性意識状態」を自ら生成していくことにより「洗脳」技術をトレーニングしていくワークが続いた。
「かめはめ波」の実習
こうして参加者全員が「変性意識状態」の生成を次第に習得していくうちに、ワークは次へ進んだ。何と「かめはめ波」をやるというのだ。「かめはめ波」とは「ドラゴンボール」という有名な漫画で主人公が使う技で、一言でいうと「気のカタマリを相手にぶつける」技である。解説によると「気が物理的な実体を伴ってそのような現象を起こすかどうかはともかく、変性意識状態で<気で相手が動く>という状態を引き出してあげれば、気で人を動かすことは出来る」とのこと。参加者の多くが首をひねりながらも、他の参加者とペアを組んで試してみることになった。
まず最初に、呼吸法などにより自分が深い「変性意識状態」に入る。入ったら、相手とまばたきと呼吸を合わせてホメオスタシスの一部を同調させ、相手も「変性意識状態」に入れるようにする。そして「かめはめ波で相手が飛ぶ」というイメージを自分の「内部表現」にしっかり作り上げて、それを相手の「内部表現」に転写するようイメージする。そうしてから、相手を押し出すような「かめはめ波」の動作をゆっくり行うと、実際には相手に触らずとも、確かに相手が少し「動く」ようになった。
「最初は少し大げさな動作をやって、相手の<内部表現>に<動く>ことを意識的に書き込んでください。自分の動作で相手が少しでも動いたら、次からその関係を少しずつ強化していけば、もっと動くようになりますよ」と苫米地氏は参加者の間を回りながら指導をしていく。苫米地氏曰く、よくテレビや雑誌で見る「気功で人が吹っ飛ぶ」というのは、その人の「内部表現の操作」つまり「洗脳技術のひとつ」なのだそうだ。実際、セミナーのワークでは「吹っ飛ぶ」までの参加者はいなかったものの、多くの人がワークを重ねるうちに動くようになってしまった。中にはよろよろと2−3歩あとずさりしてしまう参加者もいたのには驚かされた。
「退行催眠」実習
他にもいくつかのワークがあったが、興味深いもののひとつに「退行催眠」の実習があった。「退行催眠」とは、被験者の過去の記憶を現在に再現する方法である。主に精神科や心療内科などで心理的外傷の治療に採用されている方法であり、過去に起こった出来事を現在の観点から捉えなおすことによって、患者のトラウマの治療−回復などに成果を上げている。
通常、こうした施術は医師やセラピスト、研究者などの専門家によってなされるものであるが、このセミナーではやり方を教わり、自分で自分に施術していく実習が行われた。半信半疑ながら、筆者もこの「退行催眠実技」を実際にやってみたら、本当に「過去への退行」を体験することが出来てしまった。
筆者はまず、呼吸法により変性意識状態を生成した後、椅子の背もたれを調整し、リラックスして全身の力を抜いて座った。筆者の場合は時間を遡るのに「逆走する時計」のイメージを利用した。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のイメージである。時計がクルクルと針を逆転させていくうちに、どんどん時間が逆向きに流れていく、というイメージを強く意識し、変性意識状態の自分に身を任せ、そうして移動先の年をひとまず10年前、1993年に定めてみた。すると、霧が晴れるように次第にはっきりした映像が脳裏に浮かび上がってきたのである。
遡った日にちは定かではなかったが、長袖のシャツを腕まくりしており、春-初夏頃だと思われた。場所は知人の家の前で、当時乗っていたボロボロの自転車とともに「タイムトリップ」して到着したのだが、2003年現在の記憶が残っているのが不思議であった。つまり「退行催眠でここに来た」ということをはっきりと自覚したまま1993年に行ってしまった訳である。
この時の状態を例えて言うと、非常に鮮明な「夢」や「映画」を見ているような感じであった。でも、現在(2003年)の記憶があるために「おおーっ。ほんとにもどっちゃった。すごいな、こりゃ」などと筆者は妙に冷静にその不思議な現象を味わっていた。
とりあえず、筆者は当時住んでいたアパートの方に向けて自転車をこぎ始めた。記憶をたどりながら、しばらくまっすぐ走って左に曲がり、急坂をブレーキをかけながら降りて行く。随所に懐かしい景色が現われ、自転車のスピード感、サドルのクッションの感じ、ブレーキがきしむ音など、細部にいたるまで「昔」が再現されることに驚いた。
途中、橋を渡り、渡ったところを右に曲がり、また左に曲がって進んでいったら電車の踏切があり、その手前にいつも寄っていくおいしい洋食屋があって・・・と今では覚えてもいなかったような記憶が細部に至るまで臨場感を伴って現れ続ける。
アパートに着き、自転車をいつもの場所に止めてから玄関に入り、急な階段を上がり、カギを開けて2Fの部屋に入る。ここで驚いたのは、当時の部屋の様子がやはり全部現れた(正確には記憶の中からよみがえったのだが)ことであった。ラジカセが吊り棚の上にあったり、古い型の留守番電話が壁にかかっていたり、冷蔵庫やテレビ、たんすの位置などを、正確に映像が再現されたのである。そして本棚の前では2003年の最近、探していた本を見つけ、思わず「あー! ここにあったー!」と「夢」の中で声を上げてしまった。それも、表紙の日焼け具合や、ホコリのたまり具合などを本当にリアルに見ることができたのである。
この間、何分くらいたったのか覚えていないが、この「退行催眠状態」に大分慣れてきて、水道で顔を洗ってみたり、ガスレンジの火をつけてみたり、冷蔵庫を開けてみたり(ひんやりした感触も体験できた)、畳の上に寝転がってみたり、と、全く当時のままに再現された「10年前の自分の部屋」を筆者は懐かしい思い一杯で楽しんだ。1993年当時の部屋で、これが「退行催眠状態だと分かっている2003年の自分」が、やるのである。しばらく部屋で「アー、懐かしいな、これ」とか「おー、そういえばこんなの、ここに置いてた、置いてた!」などと色々な体験をし「今ではすっかり忘れているようなこと」が次々と映像に出てきたことには驚きを禁じえなかった。「普段忘れている」こうしたことが出てくるからこそ、却って「リアル感」があり、不思議な気分だった。しばらく楽しんだ後、部屋を出て、最寄のJR駅までの道すがら、また周囲の風景を楽しみながら歩き、駅に着いたところでワークの時間が終了した。
「現実の世界」に戻ってきた時、筆者は全身が汗でびっしょりになっていた。周囲を見渡してみると、多くの人が同様の体験をしていた。もちろん全員が初回でこのような退行体験に成功したわけではなかったようだが、それでも数回の練習でほぼ全員がこのような体験をするにいたったという。
洗脳技術と現代社会
これまで、こうしたセミナーにありがちなのは「脱・洗脳」と称し、その実、新たな「洗脳」を施すだけ、というシロモノであった。つまり洗脳者が「これまでの洗脳」を解く代わりに自分に都合のよい「新たな洗脳」を強力な技術で被害者の意識に刷り込む、という手法である。過去に多くの宗教やセミナーなどがそのようなことを行い、社会問題を起こしてきた。が、今回特筆すべきは、これらの技術がすべて「自分自身で行われたこと」であった。つまり講師の苫米地博士が施術するのではなく、参加者がやり方を教わって、自分自身で自分に洗脳技術を施す、というセミナーだったことである。苫米地博士によると「教えたいのは自己解放の技術であって、何らかの価値観ではありません。ですから私が施術するということは一切ありません」ということだ。
通常、このような技術は、長年にわたり特殊な修行や訓練を積んだ人だけが持っているもの、と筆者は考えていた。ところが、たった数時間の練習でシロウトの筆者自身が行えるようになったことに驚きを禁じえなかった。もちろん筆者は以前に精神医療や心理療法やセラピーを受けたこともなければ、それらの予備知識もまったくない状態でセミナーに参加していた。
これについて苫米地博士はこう語る。「こういうことは専門家の観点からすると別に珍しいことでもなんでもなく、ちょっと訓練すれば誰にでもできる技術なんです。科学的に体系付けられた練習メソッドがあれば、<洗脳技術>を身につけることはカンタンです。そして、今や、どんな人でも自分の身を守るためにこうした技術は必須のものになってきていると思います」。
しかしこうしたことをセミナーで一般に公開するということは、非常に危険なことでもある。なぜなら「自己洗脳」の技術はただちに「他者洗脳」につながる可能性があるからだ。それは一面で「洗脳技術の普及」ともとられかねず、こうした技術を学んだ人の中からそれを悪用する人が出てくることは十分に考えられる。そうしたリスクがありながら、なぜこのようなセミナーを開講するのだろうか。
「よい悪いは別として、現代では、多くのビジネス、企業、カルト宗教などが、すでに多かれ少なかれこうした洗脳技術を使っています。オウム事件のような危機は亡くなったわけではないんです。21世紀は間違いなく、そうしたものを意図的にプログラムとしてビジネスや研修に取り入れていくような時代になるでしょう。だからこそ、一般の人たちが自分で自分を洗脳から守るために洗脳技術を学ぶ必要があると思うのです。
洗脳技術自体は単なる技術であり、それが悪いというわけではありません。問題は、その技術をその人がどう使うかだと思います。例えば、空手を習えば確かにその技で人を傷つけることができます。だからと言ってすべての空手道場を閉鎖せよ、というのは間違っています。洗脳技術も同じです。ただ、一部のカルトや悪徳商法の人たちは知っていて、普通の人は知らない。この知識のギャップこそが問題だと私は思うんです。ですから、自分自身が<だまされる側>だとしたら、身を護るために学んでおいた方がいい、と思うんですね。」と苫米地氏はこのセミナーの意味を語った。
カルト宗教、思想団体などによる「洗脳」は、多くの現代人にとって自分とは無縁のもの、と漠然とイメージされている。しかし現代ではそうした一部の狂信的団体にとどまらず、健康食品・器具、自然保護、ビジネスセミナー、成功哲学、小口の金融、ギャンブル・・・・といった、一見誰にでも受け入れられる事柄すら、洗脳を巧みに利用した商法が消費者を狙っている。気づいたら何十万円もする高価な布団や浄水器を買わされたとか、不要な高額商品を購入させられていたなど・・・その意味ですでに洗脳技術は「特殊なビジネス」だけが使っているテクニックではなく、あなたのすぐそばにある技術なのだ。
「治安が悪くなった」と言われて久しい現代の日本社会。ピッキング強盗や社内暴力といった「物理的な暴力」からだけでなく、そうした「精神的な暴力」からも自分を護る技術が必要な時代が到来した。フツーの人が六本木で「洗脳技術」を学ぶ時代。映画「マトリックス」のような「精神で戦う」世界は、すでに現実のものとなっているのかもしれない。
(参考:苫米地英人著「洗脳護身術」三才ブックス刊/ 苫米地英人博士公式サイト「トマベチ・ドットコム」 www.tomabechi.com) (くるす・ますよ)