獨協医科大学病院神経内科 講師
筆者プロフィール
医学博士、日本神経学会神経内科専門医・指導医。
1967年埼玉県生まれ、1993年獨協医科大学医学部卒業。同大学病院神経内科で研修後、博士課程、助手を経て2001年より英国グラスゴー大学に留学。
現在、再び獨協医科大学病院神経内科に講師として勤務。専門は免疫性末梢神経疾患の病態および治療。
神経内科病棟医長と医局長とを歴任し、「今、医療者は何を考え、どうするべきか!」を信条として、現場から医療状況を伝えている。
著書に、『医者になって十年目で思うこと:ある大学病院の医療現場から』、『医者の三十代:後悔しない生き方とは』、『医療革命:医者になんかなったってそれだけじゃダメだ』(以上、近代文芸社)、『医者になってどうする!』、『医者を続けるということ』(以上、中外医学社)などがある。
これからの医師に問いかけておきたいこと
筆者著書『医者になってどうする!』(中外医学社)の「はじめに」より抜粋
医学部を目指す受験生が増えていると聞く。
いきなりで申し訳ないが、医療現場で働いている私から言わせてもらえれば、「なぜこんなに辛くて割に合わない仕事に就きたいと思うのか」と感じる。日々厳しい医療を続けていると、多くの受験生に医師を目指して欲しいと思う反面、「こんな職業はやめておけ」とアドバイスしたくもなる。
今、医療は本当の危機に瀕している。医師不足による医療者の疲弊や患者の受け入れ拒否、医療事故などが日々報道されている。そんな状況を知ってか知らぬかは、私は知らないが、受験生に対して「すばらしくやりがいのある仕事だから医師を目指せ」とは、無責任に言えない。
私の周りの子供を持つ大学病院勤務医師たちに、「自分の息子(娘)を医師にしたいと思うか?」と尋ねると、ほぼ全員が、「本人がなりたいと願うのなら止めはしないが、積極的に医師にしようとは思わない」と答える。今の医療情勢を反映した、子を持つ親の微妙な気持ちだと思う。
現役の大学病院勤務医師たちは自分の仕事に誇りを持っている。日々、必死に医療を支えている。だから、自分が医師になったことに対して後悔はしていないし、前向きに取り組む姿勢を示している。自分は何とか頑張れる。しかし、「最愛のわが子に同じ職を継がせたいか」と問われた場合には、そこにはある種の迷いが生ずる。医師になんかさせないで、もっと効率よく収入が得られて、余裕のある暮らしのできる職業を選択させたいと考えている。
自動車や電化製品など製造業の栄えた時代が衰退していくように、時代は常に流動している。動力としての石油を、クリーンエネルギーに変換しなければ製造品は売れない時代に突入した。医療界においても、これまでの自信と威厳とに充ちた時代は終焉を迎えつつある。いつの時代にも憧れの職業にランクインされていた医師という職業に暗雲が立ち込めている。
これからの時代を生き抜く医師は、医療の現実を見据えて、常に進化・発展していかなければならない。私はこれまでに数冊の著書を執筆してきた。医療の現実を伝え、それによって医療者の取るべき行動について持論を説いてきた。しかし、そのメッセージを伝える対象においてきた人物は、第一線で働く現場医師であったり、患者を含む一般国民であったり、政治家や厚生労働省(厚労省)役人であったりした。医療者にはエールを送り、国民には医療の現状を直視してもらい、国や行政には私の思いを伝え、少しでも明るい医療に変換されることを願っていた。
最近考えることは何か? 医療環境を変えていくためのもっとも強い胆力は、医師を目指している若い君たちである。医学部受験生や現役医大生たちを対象に伝えなければならないことがある。
正直なことを言うと、私は何となく医師になった。色覚機能に異常を持つ私にとって、身体的なハンデが医療に興味を抱かせた部分は確かにあったが、「小さい頃からの夢を目標に、努力を重ねて医師になった」などとは口が裂けても言えない。学費のことでは両親に随分苦労をかけた。だからかもしれないが、この数年間は「自分が何のために医師になったのか? これから何ができるのか?」ということを常に考えている。紆余曲折し、綱渡りでここまで医療をやってきた自分だからこそ伝えられることがあるような気がする。
近頃、心の荒んだ医師をときにみかける。疲弊し、荒廃し、破綻しかけている医療現場をみる機会も増えた。「救急の患者なんて待たせておけばいい。どうせたいしたことないのだから、待たされることで患者も来なくなればいい」と言っていた医師に憤りを感じたこともあったが、今はその気持ちが十分に理解できる。その一言に医療の現実のすべてが集約されている。
私自身、「患者のためだけを考えて医療をやってきたか」と尋ねられれば、下を向くしかない。むしろ、どちらかと言えば、自分のためにやってきた部分が大きい。しかし、その都度多くの人から支えられ、何とか気持ちを奮い立たせ、ここまで医師としての仕事を続けてきた。サイエンスを忘れない心と患者の笑顔を糧に、怒濤の日々を犬かきで泳いでいる。
医師として頼りないと思われるかもしれないが、患者からは逆に生きる勇気をもらったこともある。そのことを忘れない医師でありたいと願っている。感謝の気持ちを持ち続けられる人間でありたいと考えている。
少しくじけそうな医師に問いかけておきたいこと
筆者著書『医者を続けるということ』(中外医学社)の「はじめに」より抜粋
医療問題は尽きることがない。
どのような思いを抱いたにせよ君たちは今、医師になった。人生すべてを医療に捧げる決心がある。しかし、いきなりで悪いが、周りにいる先輩医師たちを眺めてみてほしい。熱血漢たっぷりの医師がいる一方で、既に仕事の情熱を失ってしまった医師も、それと同じくらいいるのではないか。
尊敬できる医師がいる一方で、「ちょっとこの医者は・・・」と思うような先輩もいるのではないか。その違いはどこからくるのであろうか?
おそらくどんな医師でも、最初は、今の君たちと同じように使命感を背負っていたはずである。昼夜を問わず医療に没頭していた時期もある。
情熱を失った彼らは、キャリアを積む課程で何があったのであろうか。何が彼らのやりがいを奪ったのであろうか。それは、程度の差こそあれ、一言で言えば“虚無感”だ。
前著でも指摘したことだが、医師なんてものは、どんなに頑張ってみたところで、皆が教授や大病院の院長になれるわけではない。多くの医師は親の後を継いで開業医になるか、一般の市中病院で勤務医として働くか、そのどちらかである。
結局は、大きなリスクを背負いつつ、自分の可能性の限界まで懸けて働いていくのか、医療を生業として、自分の手の届く範囲の患者に対してのみ誠実な医療を行う程度で満足して、ひとりの人間として愉しい人生を深めていくのか、現実的には、この二つの狭間で、教授や大病院の院長になれない多くの医師の心は揺れ動いているのである。
もちろん、こうした事実に異議を唱えているわけではない。私もそのひとりである。しかし、まずこの現実をしっかりと見据えて、将来の構想を少しずつ練っていく必要がある。
医療現場は矛盾や葛藤で溢れている。必ずしも努力の報われる仕事ではない。
本書の目的の第一は、これから君たちが遭遇するであろうさまざまな医療ギャップに対して、どのように立ち振る舞っていかなければならないかを考えてもらうことにある。
パキスタンやカンボジアで働く医師ほどではないにしても、医療現場で働いていれば、少なからず「世の中の人たちのために役に立っている」と実感できる。本来なら、やる気の削がれる分野の仕事ではないはずである。しかし、現場を知れば知るほど医療はどんどん辛くなる。
もう後戻りすることはできない。潰しの利かない医師という職業を選択したからには、ずっとやっていくための工夫を模索する必要がある。もはや、黙って医療をこなすだけでやりがいを得ることはできない。どんな時でも、医療者が自らを“医療者たらしめるコツ”が必要である。
医師のモチベーション維持を考えた場合に、とりあえずの結論を言うと、逆説的かもしれないが“医療だけに没頭しすぎない”ということが重要である。優れた医師は、医療だけに固執していない。むしろ医療を趣味のように扱い、愉しんでいる感じすらある。
適度な開放感がなければならない。ある意味開き直れる素性が必要である。自分を解き放つには、自身の関心の幅を広げる必要があり、思考を切り換えて発展させていくような上手な器量が求められる。
本書の目的の第二は、社会情勢の中における医療の立場について考えていくことである。
人間の多くは、いつか病(やまい)に倒れる。その時になって慌てても遅い。医療というものは、普通の人が健康なときに、将来を見据えて冷静に考えておくべきなのである。病気になってから、あるいは怪我をしてからでは遅いのである。我を忘れた行動では医療の本質を深く考えることはできない。客観的な良識に基づいて多くの人に動き始めてもらわなければならない。
当たり前だが、患者となる人たちの多くは普通の人たちである。彼らと同等に付き合うには、時世を捉える必要がある。世間の動向に敏感になり、感性を養うための洞察力を養わなければならない。言い換えれば、「患者の置かれている状況を理解しなければ、良質な医療は提供できない」ということである。
景気を知らなければ失業者の気持ちはわからないし、政治を知らなければ特定疾患の足切りにあった患者の気持ちはわからない。芸術を嗜まなければ、死にゆく人たちにとって何が重要かを理解できない。世情を知るには、旅情を味わうことが最適だし、彼女(彼氏)を愛せなければ人間を愛せない。
だから、医師といえども世の中の出来事や仕組みに対して視線を向ける必要がある。今の世の中を、医療者の立場から変革していく気概を持たなければならない。医師特有の醒めた考えは捨てるべきである。
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