5番の日記~日々好日編~

気の向いた時に気の向いた事を勝手に書いています。
よってテーマはバラバラです。


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1995年1月30日、文藝春秋発行の雑誌『マルコポーロ』が廃刊になりました。

『マルコポーロ』は、名物編集長の花田紀凱旋氏が仕切っていて、勝谷誠彦氏も在籍していた雑誌です。

事の発端は、1995年2月号に掲載された記事
「戦後世界史最大のタブー。ナチ『ガス室』はなかった」

この記事は国立病院勤務の西岡昌紀氏が執筆したもので、内容は、ナチス党政権下のドイツがユダヤ人を差別、迫害したことは明白な史実だとしながらも、

そのナチスがユダヤ人を絶滅しようとしたとする従来の主張には根拠がない。
その手段として使用されたとされるガス室は、それらの位置や構造からみて、ソ連もしくはポーランドが戦後捏造した物としか考えられない。
連合国軍はドイツ政府の文書を押収していますが、書面から判断して、ナチスが「ユダヤ人問題の最終的解決」と呼んだ計画は、ソ連を打倒した後、ヨーロッパのユダヤ人をロシアに強制移住させるものであり、収容所でユダヤ人が大量死した真の理由は、ガス室による処刑ではなく、発疹チフスなどによる病死である....

...などというもの。

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雑誌発売後、直ちにアメリカのユダヤ人団体とイスラエル大使館が、発行元の文藝春秋社に抗議を開始し、さらに内外の企業に対して、文藝春秋社発行の全雑誌への広告出稿をボイコットするよう呼びかけて圧力をかけます。

『マルコポーロ』編集部は、当初、抗議団体に反論のページを10ページ提供する事を提案しますがこの提案は全面的に拒否され、文藝春秋には広告が全く入らない状態に。

そして1月30日、文藝春秋は執筆者である西岡氏には相談せず「記事は誤り」と発表して公的な謝罪をすると共に、『マルコポーロ』の廃刊と花田紀凱編集長の解任を発表します。

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外務省の事務次官までが記者会見を開き、外務省の見解として「廃刊措置は適切だった」とコメントしました。
(著者の西岡自身に対しては廃刊が発表される当日まで抗議や圧力は何もなかったそうです)


『マルコポーロ』の廃刊は日本国内外で大きく報道されました。
ドイツ、オーストリアでこの事件が大きく報道されたほか、アメリカの新聞各紙もこの廃刊事件を大きく伝えています。

ただ、当時の日本の新聞、雑誌の大部分は、記事の内容に関する議論を避けています。

この問題の争点の一つはもちろん「言論の自由」なんですが、文藝春秋社が反論のページを10ページ提供すると提案したのはフェアだと思います。

なぜ抗議団体がそれを全面的に拒否したのはわかりませんが、文藝春秋社もその後、執筆者に一言の相談もなく記事の内容を取り消して広告ボイコットの圧力に屈した形になっています。

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これが我が家にあるその問題の号。当時、特に回収はされませんでした。
(発売日が1月17日、阪神大震災の日でしたので、発売後しばらくは震災報道一色となり、この問題は発売直後はそれほど大きく報道されなかったんです)


記事の真偽はどうなのか、私にはわかりませんが、冷静に読んで、それほど綿密な取材をしたわけではない荒っぽい記事だなという印象。

ただ、欧州ではホロコーストに言及する事は議論する事も許されない完全なタブーになっています。

この問題に対して、実はイスラエル大使館はアメリカの抗議団体とは別に、終始冷静に交渉を持とうとしていました。

当時の江川紹子氏のコメント
「イスラエル大使館がこれが原因で、強大なユダヤの力によって雑誌を廃刊させた、などと言われ、ユダヤに対する偏見を助長させないかと心配しています」

私もそう思いましたね。



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