きょうのコラム「時鐘」 2012年2月28日

 橋(はし)は、時(とき)が流れる川にかかり、時代(じだい)とともに姿形(すがたかたち)を変えていく。金沢の国道(こくどう)で歩道橋(ほどうきょう)が撤去(てっきょ)されたと聞いての感想(かんそう)だ

1967(昭和42)年に造(つく)られて45年の命だった。交通事故死(こうつうじこし)が全国で年2万人近くになろうとした当時、歩道橋は車の流れを止(と)めずに子どもや高齢者(こうれいしゃ)を守る時代のヒーローだった

だが、社会は急激(きゅうげき)に変わった。少子高齢(しょうしこうれい)・バリアフリーの波が押し寄せた。橋を渡る子どもが減(へ)り、お年寄りに橋の上り下りは酷(こく)となった。都市景観(としけいかん)からも問題が多く、交通事故死は5千人を割った。救世主(きゅうせいしゅ)は一転(いってん)、過去(かこ)の遺物(いぶつ)となった

6年前の富大入試問題(もんだい)に「橋と日本人」(上田篤(うえだあつし)著)が出題(しゅつだい)されている。著者(ちょしゃ)は大阪万博(おおさかばんぱく)お祭り広場の設計や比較文明論(ひかくぶんめいろん)で知られ、橋の歴史は「永久橋(えいきゅうばし)でなく仮設(かせつ)だった」と指摘している。昭和に生まれ平成に消えていく歩道橋はその仮設性を証明した格好(かっこう)である

行く河の流れは絶(た)えずしてしかももとの水にあらず。人の世は久(ひさ)しくとどまることなしと鴨長明(かものちょうめい)の「方丈記(ほうじょうき)」はいう。社会構造(しゃかいこうぞう)は常(つね)に見直(みなお)せということか、役割(やくわり)を終えて今に残る歩道橋は立派(りっぱ)な古典(こてん)だ。