俺は今、ただただ申し訳ないという気持ちでラブホテルのベッドに横たわっている。出血多量の為に意識は朦朧としてる。そんな中で脳裏に浮かぶのは歌舞伎町で拾った三毛猫のことだ。家族もなく、親しい友人もいない俺にとっては唯一の家族であり、扶養すべき対象であり友人だからだ。

こいつとの出会いは、わりと衝撃的なものだった。

バリ島の長期滞在から帰国し、仕事の打ち合わせみために大崎のIT企業に行き、同席した知人と歌舞伎町のつるとんたんで食事をした帰りに出会った。

歌舞伎町交番の脇を抜けて大久保駅向かう細い路地を歩いていると、ゆっくり走るタクシーと、ネコが視界に入った。タイミング的にはどんぴしゃりでネコが轢かれることが想像できた。俺はタクシーに向かってそれなりの声の大きさで止まれと叫び、身振りでタクシーを停車させようとした。しかしタクシーは止まることなく猫を車体の中心近くで吸い込みんだ。一瞬遅れてゴツンという音が響く。

猫好きの俺としては最悪の場面に遭遇してしまった。

交番の裏で職務質問を受けなければ、歌舞伎町にこなければと後悔するが、逆にこの場面に遭遇した事でこいつを助けられるかもしれないなどと、ネコがタクシーの下から現れるまでの一瞬で考えていた。

タクシーが通り過ぎた後に現れたネコは左右に身体をよじり苦しんでいた。ジタバタと表現すればいいのだろうか。目の前で猫を轢いたタクシーに対して憤怒を抱いた俺はタクシーの前に立ちはだかり叫んだ。

「止まれと合図しただろうが!」

運転手はオドオドしながら、あなたがタクシーを拾おうとしてると思ってスピード上げた等と俺の神経を逆なでする。

「俺のせいか? お前の前方不注意だろう!? とにかく、病院につれていく! 俺が治療費は出すからお前が運べ!」

タクシーの運転手は俺の剣幕に気圧されたのだろう。しぶりながらもタクシーを下りた。

俺は先にネコのそばに歩み寄り、抱きかかえようとしたが動けなくなった。暗闇でよくはわからないが、腹部から出血しているように見える。おまけにぐったりとして、息があがっている。俺には抱きかかえることができない。以前に車に轢かれて眼球と内臓が飛び出た猫を生きたままコンビニ袋に入れて運び、空き地に埋葬した時のトラウマだろうか、どうにも手が出ない。

運転手にネコを運ぶように怒鳴り、俺はその様子を見守った。身長が183センチあり、スキンヘッドで黒革のロングコートを着ている俺は、職務質問を受けるぐらいには人相が悪い。運転手が俺の指示に従ったのは、俺が怖かったからだろう。

運転手が助手席の足下にネコを置き、俺は病院に行けというが病院が分からないという。タクシーの進行方向には歌舞伎町交番がある。俺は後部シートに乗り交番に行くように指示を出す。

「ネコがタクシーに轢かれた、今も営業している病院を教えて欲しい」

と、警官に尋ねる。時計を見ると、時刻は二十一時を回っている。

5分ほどで世田谷の二十四時間営業の病院が見つかり、警官が電話で営業の確認を取ってくれた。警官から受話器を受け取ると運転手に渡し場所を確認させる。電話を切った後で交番の警官に礼を言い、急いで病院に向かう。

後部座席にいる俺には助手席の足下にいるネコは見えない。あの苦しみ様では助からないだろう。それでも目の前で遭遇したのだからできるだけのことしてやろうと思っていた。

病院に着き医者に見せると、レントゲン、血液検査、一日入院で三七五〇〇円を請求される。運転手には俺が治療費を払うと言った手前、俺が払うしかない。運転手にはネコの引き取り先を探す事を承諾させた。

翌日、ネコを迎えに行くと、骨折なし、内臓異常なし、怪我もなしと全くの正常であった。あの苦しみ様はなんだったのだろう。当たり屋か!? とネコに突っ込む。

 

ネコの引き取り先が見つかるまでは俺が面倒を見るしかない。まだ、掌に乗る様な子猫なので幼ネコ用の缶餌やネコ用ミルクをオリンピックで購入し、少しづつ食べさせる。さらに、肛門を刺激して排泄させたりと母ネコの様に世話を焼いた。

三日後に運転手から貰い手がいないと連絡が来る。お前が飼えと言うが、母親と子共が小児喘息と言われ、流石に二の句を継げない。また、三日も一緒に居たネコに対して愛情も芽生えていた俺は運転手に俺が飼うからいいと告げ、ネコとの生活が始まった。

長くなったが、これがヤツとの出会いだった。俺が餌や水をやらなければ生きてはいけない存在。あまりなついてはいないが、 寒い日には布団に入ってきて腕枕で眠りにつく。血縁の無い俺にとっては大切な家族になっていた。

その家族を、俺は不幸にしようとしている。既に救急車には連絡してあるが、間に合うのだろうか。俺の意識は朦朧としてきている。

なぜ、こんな目にあっているのか。俺の意識が時を遡って行く。

 

俺の仕事はキャッチやポン引きと言われるものだ。 繁華街を歩く人々に声をかけ、キャバクラや風俗に案内して手数料を稼ぐ仕事だ。報酬は店との契約や業種によってさまざまだが、キャバクラでお客さんの使った少計(課税前)の20%や、風俗一件紹介で五千円などが標準だ。俺の場合はキャバクラから給料を貰いつつなので、最低限の収入プラス、他店に紹介することで収入を増やすことができる。 客がキャバクラで十万使えば二万円を店側から得られることになる。その為、一日五万円程度を稼ぐことがままある。もちろん、ライバルが回りに多数いるので一本も引けず、キャバクラの日給八千円だけの日もある。

また、ポン引きにはテリトリーがある。俺の場合はタテハナビル前の二十メーター程が客を引けるテリトリーになる。その外で客を引いたり、他店の前で客を引くとかなり叱責され、頻繁にテリトリーを侵すと暴力を振るわれることもある。

テリトリーを侵す以上に怖いのがヤクザに声をかけることだ。ヤクザに声をかけた為に、店側が損失を蒙ったり、自分自身が金銭的な損失や、暴力を受けることになる。気をつけなければならないが、キャバクラで金を使う闇金融の人間や裏スロットの人間は風貌がヤクザと似通っているので、声をかけないわけにもいかない。リスクを冒さなければ大金は得られないのだ。もっとも、ポン引きは現行犯で逮捕される商売なので、警察に捕まるリスクは常に抱えている。それでも、この仕事を選んだ理由は四十歳を超えている俺を雇用してくれる会社がなかったからだ。

 

最初は通行人に声をかけることもできず、客も引けない状態で一日十時間以上街中に立ち続けて足が痛み嫌気がさしたが、身体が順応して客を引けるようになると辞められない仕事に変わった。月末の給料以外に毎日現金を得られるからだ。

月の収入が百万円を超えることもあったが、それらはパチンコや裏スロット等で、毎日のように損失を出したので残っていない。有り金全部を擦っても、明日頑張れば取り戻せる。そんな考えにはまってしまったのだ。

仕事になれてくると余裕ができ、新たな収入源となるスカウトを始めた。

歌舞伎町には仕事を探している女、金に困った女が大勢集まる。客に声をかける合間に女にも声をかけキャバクラや風俗、裏ビデオなどの仕事を斡旋するのだ。キャバクラの場合は紹介した時点で謝礼が貰えるし、風俗の場合は女が勤め続ける限り女の売上の10%ほどが店から支払われる。風俗に十人も女を紹介すれば、黙っていても毎月数十万の収入になる。非常に美味しい商売だ。

美人はキャバクラに、そこそこの女は風俗に、普通以下は裏ビデオに紹介する方針で毎日声をかけ続けるが、そこにはもう一つ余録があった。女をいくらでも抱くことができるのだ。

裏ビデオに紹介するには、身体のチェックが必要になる。仕事に興味を持った女には

「紹介してドタキャンは困るし、身体も調べる必要がある。 宣材の写真も必要だから、マネジメントをする俺とは寝て貰うよ」

こう言えば仕事に興味を持った女は股を開く。歌舞伎町で一番安いホテルであるジローに連れ込み、女に奉仕をさせ撮影する。仕事を紹介できずとも、ホテル代三千円だけで女を抱ける。

他にも、声をかけ仲良くなってアドレスを交換した女から「泊まる所がない」と泣きつかれホテルに泊めてやる代わりに抱くこともあった。ビルの踊り場でしゃぶらせたこともあるし、はめたこともある。歌舞伎町でうまい具合に世渡りをすると、金と女には不自由しなくなるのだ。

こうして、歌舞伎町でのギャンブルと女にまみれた楽しい日々が続いたが、今日は失敗した。最悪の失敗だ。

いつものように声をかけた女と仲良くなり、歌舞伎町のホテル街そばの居酒屋アルプスで酒を飲み、カラオケに誘う。カラオケと言ってもボックスではない、ラブホテルのカラオケのことだ。アルプスはホテル街の入口にあるので流れで誘い易い。

女はホテルのカラオケで良いといい、カラオケのあるラブホテルに入った。

部屋に入ると女は服を着たままベッドに横たわる。俺もベッドに飛び込んでじゃれ合いながら、服の上から胸や陰部を触り、 軽く嫌がる女の服を脱がせる。嫌がるといっても、笑いながらだから本気ではない。お互い全裸になり、いよいよという所で女が急に起きあがる。様子が変だ。ベッド脇のソファーからポーチを取り、俺に背を向けて中を探っている。俺は急にどうしたのかと問うた。女は返事をせず、その代わりに乾いた音を響かせた。

「チキチキチキ……」

聞き覚えのある音だ、なんだろう。女の背中越しに音の主を確認すると、それは細身のカッターナイフだった。

カッターの刃は、5センチほど飛び出している。女の右手にはカッターナイフ、左手の手首はリストカッター特有のでこぼことした洗濯板状になっている。この女は精神を止んでた。

洋服を着ている状態ならまだしも、全裸の状態でこのシュチエーションはきつい。カッターの刃が肌を切り裂くイメージが頭から離れない。圧倒的な恐怖だ。

女が俺を切りつけても、自ら切りつけても警察沙汰は避けられない。とにかくカッターを奪わなければならない。

「そのカッターは俺を切るの? 自分を切るの?」

間抜けな言葉しか出なかった。女は振り向き様にカッターをかかげげ振り下ろした。咄嗟に腕を出し、顔を守ろうとしたが、その途端に激痛が走る。裸の腕で防御したのだから当然だ。パタタタッと白いシーツに血が滴る。某然としているところに、立て続けにカッターが振るわれる。防御した腕でカッターの刃が折れる音がした。俺は必死で女を抱きすくめ、声をかけた。

「嫌ならこれ以上なにもしないから、落ち着いてくれ!!」

力強く抱きすくめていると、脇腹辺りに痛みが走る。カッターの刃は折れたが、少し残った部分で切られたようだ。俺は女を突き飛ばした。ベッドから落ち、ソファーの横に吹き飛んだ女は奇声に近い声で泣き叫んでいる。もう、襲ってはこないようだ。

俺は血だるまになった自分を認識していた。俺の座っているベッドのシーツには血溜まりができていたからだ。手のひらを血溜まり乗せるとビシャっという音がする。死ぬかも知れない。ヘッドレストに置いた携帯を取り、119にダイヤルする。ホテル名と部屋番号、自分のおかれた状況を伝えるとベッドに横たわる。そして、掛け布団を自分の下半身にかけた。全裸であることを恥ずかしいと思ったのか、無防備な状態が嫌だったのかは自分にもわからない。

薄れる意識の中で、ネコに話しかけていた言葉が浮かぶ。

「お前が死ぬまでは俺も生きるからな、百年生きて猫又になれよ」

それなのに、申し訳ない、俺がバカなせいでお前を孤独の中で餓死させてしまうかもしれない。許してくれ。俺が帰らないせいで、不思議に思い寂しがらせることを許して欲しい。

もし、生きていたら、スーパーでマグロの刺身を買ってやるよ。大好きだもんな。

 

「ごめんな、ゆう……」

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