連合赤軍による「あさま山荘」事件で、人質救出の突入作戦から40年を迎えた28日、殉職した警視庁の警察官2人の慰霊式が長野県軽井沢町の現場近くであった。約35人の出席者の中に、当時クレーンの先につるした鉄球で山荘の壁を破壊した長野市の元運送会社員の白田(はくた)弘行さん(74)と義弟の五郎さん(76)の姿もあった。【福富智】
白田さん兄弟は事件発生の1週間後、長野県警から鉄球(直径約70センチ、重さ約1.7トン)で銃眼がある壁を打ち壊すよう依頼された。クレーン車の運転は弘行さん(当時34歳)、クレーン操作は五郎さん(同36歳)の腕前が評判だった。
攻防が続く28日昼ごろ、弘行さんは運転席近くに立つ警視庁の内田尚孝第2機動隊長(同47歳)に「隊長! 狙われてるよ」と声をかけた。「ありがとう」。張りのある大声が返ってきた。その直後、隊長の頭部を銃弾が襲った。
「さっきまで話していた人が亡くなり、切なかった」と2人。事件後も家族に危険が及ぶのではと、作戦に参加したことを長く口外しなかった。
「今思うと、メンバーの若者もちょっとしたボタンの掛け違いで事件を起こしたのだろう。ほかにやりようがなかったのだろうか」
72年2月19日、当時、河合楽器の保養所だった長野県軽井沢町のあさま山荘に群馬県のアジトから逃れた連合赤軍のメンバー5人が管理人の妻を人質にとり、立てこもった。氷点下15度になる厳寒の中、10日間の攻防で警察官2人、山荘に近づいた民間人1人の計3人が銃で撃たれ死亡した。2月28日の模様はテレビで生中継され、史上最高の89.7%の視聴率をあげた。
毎日新聞 2012年2月28日 12時29分(最終更新 2月28日 17時48分)